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(1)
(1)

「佐伯さん。それでは、これで契約ということで」
「ええ。よろしくお願いします」
 企業の応接室で契約書を交わし、克哉と依頼企業の担当者はにこやかに握手を交わした。克哉の傍らに控えていた御堂も続いて握手を交わす。
 和やかな雰囲気に御堂は胸を撫で下ろした。
 今回のコンサルティングの依頼は、コンペティションを勝ち抜くところまでは上手くいったのだが、肝心の契約を交わすところで思いがけず躓いたのだ。
 克哉が送った契約書の契約条項の細かい点について、依頼企業から驚くほど多くの修正要求事項が突き付けられた。契約条件に対する大きな変更を要求されたわけではないが、枝葉末節の些末な事柄、それこそ、てにをはの字面に至るまで修正を余儀なくされたのだ。
 他の企業とはこの文面で契約している、と伝えても、このままでは弊社の法務弁護士の許可が下りない、との一点張りで取り付く島もない。気の短い克哉が、もう知るか、と怒りながら匙を投げかけたところを、御堂が介入してどうにか契約までこぎ着けたのだ。
 とはいえ、御堂を以ってしても舌を巻くほど、相手からの指摘が細かく、互いが納得する契約書を作り上げるまでかなりの労力を要した。
 それでも、今回は依頼企業が東証一部に上場する大手企業であるだけに、得られる成果は大きい。手間暇をかけた価値はあるはずだ。
 担当者に挨拶をして応接室を出た時だった。
「御堂君!」
 廊下で背後から呼びかけられた女性の声に御堂は足を止め振り向いた。すぐ後ろについていた克哉も訝しげな視線を向ける。
 視線の先には、一目でわかる上質な設えのスーツに身を包んだ女性。人目を惹く美人という訳ではないが、肩の高さで切り揃えられた黒髪と目鼻立ちがはっきりしたその顔は年齢よりも若く見え、意志の強さを感じさせる。颯爽とした足取りで御堂の元に歩み寄った。小柄ながらも存在感を見せる立ち振る舞いからは、自分への自信と確かな実力が滲み出している。
「…皆川か?」
 敬称をつけずに呼んだその名前に、気安さと懐かしさが思わず零れた。その声音に潜んだ感情を汲み取った克哉が、視線を御堂に一度戻し、再び近寄ってきた女性に向ける。
「お久しぶり!」
「いつ日本に?」
「1年前よ。独立して事務所を開いたの。それで、この企業と顧問契約をしているのよ」
 彼女は御堂と同じ東慶大学の法学部の同期で、同じゼミの仲間だ。卒業後はアメリカのロースクールで学び、現地で一流といわれる法律事務所(ローファーム)に就職したと聞いていた。
「驚いたわ。御堂君が独立して経営コンサルティングの会社を設立したなんて。業界で注目を浴びているらしいわね」
「御堂君…」
 背後でぼそりと克哉が呟く。慌てて、一歩引いて、克哉を前に出す。畏まった口調で克哉を紹介した。
「皆川さん、彼が我が社の社長だ。…佐伯、大学の同期の皆川さんだ」
「初めまして。Acquire Associationの佐伯克哉と申します」
「ここの法務弁護士をしている皆川です。こちらこそよろしく」
「法務弁護士、ですか」
 克哉のレンズの奥の眼差しがわずかにきつくなるが、二人とも表向きの営業スマイルを浮かべ、名刺を交換し、軽く握手を交わす。
 御堂の友人に克哉を紹介すると、大概、克哉の若さに驚き、御堂が転職し克哉の下についていることに言及されるが、彼女はそれをおくびにも出さない。
 アメリカで長くキャリアを積んできた所以だろう。アメリカでは起業家の年齢は問われないし、転職もよくある話だ。
 ただ、克哉と皆川の間で、相手を値踏みするような隙のない視線が頭からつま先まで交わされたのを御堂は見逃さなかった。
 皆川が御堂の方を向く。
「御堂君、もしよければ、この後、ランチでもどう?佐伯さんも一緒に」
 そんなもの嫌な予感しかしない。
 御堂の友人関係はプライベートでもオフィシャルでも、克哉を不機嫌にする。
 先だっては、拘束された上に監禁じみた真似までされたのだ。その直接の原因は御堂の友人というよりも、互いへの気遣いの行き違いによるものだったのだが。
 克哉の思考は御堂にとって読みにくく、克哉もそれを御堂に説明しようとしない。もう少しお互い胸を開いて話し合うべきだとは承知してはいるのだが、自身も克哉もそういう性分ではないことも分かっていた。
 だからこそ、克哉の暴走につながるような不安要素は少しでも排除しておいたほうがいい。
 皆川と御堂の間には、男女間の関係もそれに類する感情も一切なかったが、同じゼミに所属していたこともあり大学4年間、比較的近い位置にいた。それこそ、御堂が最も隠したい事柄、大学時代の御堂のプライベートな関係を耳にしていただろう。そんなことが万一、彼女の口から洩れたりしたら、克哉にどんな目にあわされるか、火を見るよりも明らかだ。
「いや、せっかくだが…」
「ええ、是非」
 断ろうとしたところで、克哉が御堂を遮って返事をした。その顔に悪辣な笑みが一瞬よぎる。克哉は皆川に親し気に微笑みかけると、御堂を差し置いて二人で連れ立っていこうとする。遅れまいと急いで二人に追いすがった。
 克哉は良からぬことを企んでいる。残念ながら、御堂のこの読みだけは外れたことはない。


 皆川に案内されたフレンチレストランは近くの複合ビルに入っている、外装からして高級なレストランだった。毛足の長い絨毯の上を歩かされ、個室に案内される。
 お昼だけどこれ位は問題ないでしょう、とサーブされた食前酒に口をつけて食事は始まった。
 克哉が食前酒を飲み干してグラスを置き、皆川に顔を向ける。
「この企業の法務弁護士をされているそうですが、もしや、当社との契約書もあなたが?」
 克哉の言葉には、「あなたが重箱の隅を突くような難癖をつけたのか?」が省略されている。もちろん相手もその言外の部分をしっかり拾う。
「ええ、私。でも、あなたのところは割とよく書けていたわよ。察するに、最初、佐伯さんが契約書を作って、途中から御堂君が引き継いだという感じかしら」
「よく分かりますね」
「御堂君の学生時代の特徴が契約書にそのまま出ていたから。完璧主義で几帳面」
「そうですか」
 克哉の表情も声音も表面上は穏やかだが、御堂だけが分かる皆川に対する苛立ちが染み出している。
 克哉は何に怒っていのか。彼女の御堂に対する親しげな態度か、それとも、今回の契約を散々手こずらされたことか。おそらくはその両方だろう。
 皆川と御堂は大学の同期でゼミの仲間で、それ以上でも以下でもない。それに、この契約も結局のところ上手くいったのだ。克哉の意趣返ししたい気持ちは分からなくもないが、ここで彼女の心証を悪くすることは得策ではない。
 克哉が場を引っ掻き回す前に、御堂は克哉を制して口を開いた。克哉の手前、あえて強めの口調で言う。
「あれはやりすぎだ。今回は経営コンサルティングの契約だぞ。M&A(合併・買収)などではない。あそこまで細かく取り決める必要があったとは思えない。どういうつもりだ」
「私はこの社と契約しているの。つまり、私はこの社の利益に尽くす義務がある。取引相手と交わされる契約の不安点を全て取り除くのが私の仕事。日本の契約は慣例にそって、細かいところを詰めずに、なあなあで済ませるきらいがあるわ」
 自分を曲げない強さと一歩も引かない果敢な態度は、学生時代から変わらない。当時を思い出して御堂は自然と表情を緩めた。
「“このままでは日本は海外企業に食い荒らされる。一刻も早く国際標準の法整備を”、学生時代の君の主張だったな」
「その考えは今も変わっていないわ。今の日本を見ればわかるでしょう。海外ファンドの暴虐ぶりを。日本政府が日本の企業を守らないのなら各企業は自衛するしかない」
 某海外ファンドの暴虐ぶりは御堂も克哉も体験済みだ。皆川は、訴訟大国であるアメリカ仕込みの綿密で隙のない企業法務を行うことで、法律を武器に企業を守ろうとしている。
 二人のやり取りを見守っていた克哉が皆川に目を向けた。
「国際標準ね……。米準拠の間違いでは?」
「ええ、その通りよ。佐伯さん。否定はしない」
 あっさりと皆川は克哉の言葉を肯定する。克哉は口の端を吊り上げた。
「ですが、今、日本にとって脅威なのはむしろ中国資本(レッドチップ)でしょう。アメリカのやり方をそのまま持ち込んで、中国に対抗できるとお考えですか?当のアメリカも赤く染まりつつありますが」
 その克哉の物言いは挑発的だ。
 皆川は、オマール海老のテリーヌを切り分けていたナイフとフォークを持つ手を止めて克哉に顔を向けた。その強い視線がまっすぐと克哉を射抜く。その視線を受けて、克哉がレンズの奥の目をニヤリと細めた。獲物を待ち構える肉食獣の目だ。これは良からぬ兆候だ。
「佐伯さん、私は市場における自由競争を支持しているの。そこに中国だからとかアメリカだから、という区別はないわ」
「その自由競争の結果、市場の新陳代謝が行われ、市場経済が活性化する。俺もあなたの言う自由競争を支持します」
 ですが、と克哉は唇の片側を不敵に吊り上げた。
「あなたがやろうとしていることは、企業を守るという名目で法律の言葉尻にしがみついて、健全に動くべき市場を阻害しているだけのように思いますが」
「健全な市場を守るためには、厳格なルール運用が必要なのよ。あなたはルール無用の世界が自由経済を導くと考えているのかしら」
「全てのルールを一言一句愚直に順守する弊害はどうお考えですか?」
「二人とも議論は次の機会にしろ。食事位、おいしく食べさせてくれ」
 克哉と皆川の間に高まる緊張を御堂が寸断する。克哉はこのまま論戦に持ち込んで、皆川をねじ伏せる気だ。克哉は言うまでもなく弁が立つが、皆川も学生時代から優れた論客だった。お互い、相手にとって不足はないだろう。
 東慶大学出身者は往々にして鼻持ちならない高いプライドを持っている(御堂もその一人であったが)。そして、克哉はそのプライドをへし折るのが大好物ときている。
 だが、この場で二人が大激論を始めたところで、得られるものは何もない。少なくとも、御堂にとってはいいことなどない。何一つ、ない。
 克哉は不承不承に黙り込むと、皆川の左手の素の薬指に視線を這わして、先ほどの態度から一転し、蕩けるような笑みを浮かべた。
「失礼ですが、皆川さんは、ご結婚はまだされていないのですか?」
「佐伯!」
 突然、不躾な質問を浴びせた克哉を小声で咎める。だが、克哉は知らん顔だ。
 よりによって、彼女はアメリカ帰りだ。いわゆる高学歴・高キャリアでアメリカナイズされている彼女にこの手の質問は失礼極まりない禁句にあたるが、克哉はそれを承知の上で尋ねている。相手の気分をわざと逆なでする気なのだ。先ほど御堂に妨害された意趣返しをまだあきらめていないらしい。
 そうはさせない、と御堂がフォローを入れようとする前に、皆川は克哉に向かってにっこりと笑った。
「あなたみたいないい男(handsome man)にそんな質問されたら、私に気があるのかしら、と勘違いするわよ、――坊や(little man)」
 流ちょうな英語をはさみながら、彼女が最後に唇の動きだけでこっそりと付け足した一言に、御堂は噎せかえった。
 いくら克哉のほうが7歳年下とはいえ、彼女よりも頭一つ分上背がある克哉を“坊や(little man)”と呼ぶのは中々パンチが効いている。
 御堂が無関係な第三者としてこの場にいたなら、この二人の丁々発止を嬉々として見守っていただろう。だが、遺憾なことに御堂は当事者の一人だ。
 何気ない風を装いながらグラスの水を流し込み、克哉は今の一言を気付いただろうか、と黒目だけ密やかに動かして固唾をのんで二人を伺う。
 皆川の顔はにこやかさを保ち、対する克哉の顔も端正な笑みを崩さない。
 一見和やかな空気の下に潜む不穏な渦を御堂は敏感に感じ取った。
 つつがなくこなすはずだったランチが、今や被害の拡大を防ぐことが最優先課題となる。
「大変失礼しました。あなたがあまりにも魅力的だったもので」
 克哉が心にもないことを甘い声で言う。
「あなたみたいな優秀な法務弁護士に、わが社もお願いできれば心強いのですが」
「ごめんなさい。私、上場企業としか手を組まないの」
 社交辞令には社交辞令で返せ、という御堂の願いは虚しく掻き消える。
「そうでしたか。残念です。どうやら俺はまだまだひよっ子のようで、あなたのお眼鏡にはかないませんね」
 やはり先ほどの“坊や(little man)”は聞こえていたか、と小さくため息を吐いた。口の減らない二人の応酬で、御堂の神経はすり減るばかりだ。
 何か理由を付けて、御堂一人だけでもこの場から逃れられないだろうか、そんな誘惑にかられる。
 気を揉む御堂をしり目に、皆川はその尖った雰囲気を寛げた。
「冗談よ。あなたのところには御堂君がいるのだから、私の出番はないわ。それでも何かお役に立てることがあったら声をかけてちょうだい」
 皆川が発した「御堂君」という単語に、再び克哉の視線がきつくなる。これは早めに釘を刺しておいた方がいいだろう。
「皆川さん、その呼び方は…」
「あら、ごめんなさいね。学生時代の気安さが抜けなくて、御堂さん」
 皆川が御堂に肩を竦めてみせた。
「…そういえば、ゼミの教授、もうすぐ退官だったか?」
「ええ。来年よ。退官パーティーが企画されるみたい」
 一触即発の危うい状態を何とか脱しようと、御堂は皆川の気を克哉から逸らし、同じゼミの仲間の現況や当時の話題で場を持たせる。
 食事もやっと終わりかけたころ、皆川がウェイターを呼んだ。
 何とか無事に危機を脱したようだ、と御堂は緊張を解いた。
 皆川がウェイターに、会計をするようさりげない仕草で合図を送る。
「私から誘ったし、会計は持つわ」
「いいえ、お気遣いには及びません。俺と御堂の分はこちらで、あなたは自分の分を」
 突然、それまで黙っていた克哉がぴしゃりと相手の言葉に被せて、冷ややかに言い切った。皆川の笑みが強張る。
「利益相反(Conflict of Interest)……それがあなたの言う国際標準では?」
「…それもそうね。あなたの言う通りだわ」
 彼女は企業の法務弁護士だ。その企業の利益に尽くす義務がある。取引先に利益を供与することは利害の衝突、すなわち利益相反に該当する恐れがある。取引相手間での贈り物や接待の慣習がある日本では見逃されがちだが、欧米では利益相反を厳しく取り締まっている。少額であっても奢る、奢られるはご法度だ。
 それを利用して、克哉は皆川からの心遣いを一刀両断して突き返した。大人げないやり方ではあったが、向こうも契約書を国際標準の名のもとにしつこく修正を迫ってきたのだから、克哉としてはこれでお相子といったところなのだろう。
 やはり、最後まで気を抜くべきではなかった。皆川の挙げ足を取る形で仕返しをした克哉に、御堂はこめかみを押さえて、ため息を深くする。
 克哉にしてやられた皆川は苦笑を浮かべながら、呼びつけたウェイターに耳打ちして、会計を二つに分けさせた。
 互いの支払いを終えて、レストランを辞す。前を歩いていた皆川が振り返った。
「それでは、また。佐伯さんに御堂君!」
 皆川は“御堂君”の部分を殊更明るい声音で呼びかけると、出会った時と同じ颯爽とした身のこなしで皆川は身体を返し去っていった。
「御堂君…」
 克哉が小さな声で呟いた。その低い声音にぞくりと嫌な汗が伝ったが、余計なことは考えないでおく。
 皆川も皆川だ、心の中で大きく舌打ちをする。よりによって、克哉に打ち込まれた球を、最後の最後に御堂の元に叩き返してくるとは。
 その後姿を見送りながら、克哉に向かって念を押した。
「言っておくが、彼女とは何もないぞ」
「何の話ですか」
 白々しい返答。それを聞き流して、更に一言、付け足しておく。
「彼女は企業法務弁護士だから、契約が締結した以上、仕事で絡むこともない」
「何でそんなことを気にしているんですか」
 気にしているのは、お前のほうだろう。
 そう言いたいのは山々だったが、それを指摘すると藪蛇になりかねないので、口をつぐんでおく位の分別は持ち合わせていた。

(2)

 その後、その日は何事もなく終了した。
 御堂は克哉の部屋に戻ってシャワーを浴びるとリビングに向かい、一足先にバスローブを纏いソファで寛ぎながら、新聞を開いている克哉を見遣った。
 克哉からは何も言われなければ、何もされていない。あの件はあれで片が付いた、と考えていいものだろうか。いや、むしろ、あの克哉から一言も言及されていない時点で不自然ではないだろうか。
 それでも、御堂自ら下手に話を蒸し返して、痛くもない腹を探られるのも避けたい。
 ひねくれ者の克哉のことだ。御堂が訊いても素直に答えてくれるとも限らない。
 御堂はリビングの入り口でしばし思案し、腹を決めて克哉の元に歩み寄った。克哉との間にわだかまりを残すことは避けたい。手っ取り早い方法と言えば、これしかあるまい。
「佐伯」
 その言葉に新聞から克哉が顔を上げる。その顔に唇を重ねた。綻んだ唇の隙間に濡れた舌を差し入れ、自ら吸い上げる。しなだれかかるように身体を寄せ、片手で克哉の新聞を取り上げると、センターテーブルに無造作に置いた。
「今日は随分と積極的だな」
「大きな契約がまとまったからな。お祝いだ」
 克哉の腕が回されて、御堂の身体を引き寄せる。克哉の機嫌は悪くないようだ。
 クスリと笑みを浮かべて、克哉の唇に軽くキスを落とすと、ソファに座る克哉の前に跪いた。克哉のバスローブの前を寛げると、腿に手を当てて股間に頭を埋める。
 まだ硬度を持ってない克哉のペニスに唇を押し当てた。舌を出して唾液をまぶしながらちろちろと舐めあげる。少しずつ、だが着実に熱と質量を持ち出したそれを唇と舌で丹念に辿る。陰嚢から根元そして先に向けて舌を這わし、カリの張り出しをなぞる。わずかに塩気を感じる先端を口に含んで吸い上げ、そのまま根元まで咥えるとその質感を口内全体で味わいながら、唇で締め付けつつ出し挿れする。どんどん沸いてくる唾液をたっぷりと克哉のペニスに絡めていく。
「美味そうにしゃぶるな」
 かけられた言葉に上目遣いで克哉を見上げると、眦に微かに朱が差した双眸と視線が交わる。頭に克哉の両手の指が埋まった。御堂の髪の毛に指を絡ませながら、絶妙な力加減で頭を押さえてくる。その指先から、口の中を満たすペニスから、克哉の自分に対する欲望が伝わり、腰が揺らめく。御堂のペニスもすっかりと張りつめていた。
「そろそろ俺の番だな」
 頭を押さえつけられ、すっかり硬くなり張り詰めたペニスを口の中から引き抜かれる。銀色の糸が先端から唇まで伝った。
「お祝いなら、俺が欲しいものを貰っていいか?」
「ん、何だ?」
 欲情に潤んだ目で克哉を見上げた。
「あんたが欲しい」
「そんなこと、言うまでも…」
「あんたの全部だ。全てを欲しい」
「…ああ」
 目の前には、濃く強い光を湛えた眸。その眼差しに絡めとられて、酩酊したように頷いた。
「来い」
 羽織っていたバスローブを剥がされ、腕を掴まれ、ソファの上に身体を引き上げられた。
 うつ伏せにされ、肘と膝をついた状態で腰を上げさせられる。
「ふっ、ああっ!」
 双丘が両手で割り拓かれると同時に、熱くぬめった舌が後孔に触れた。熱い吐息が会陰部を灼き、その肉厚な舌が後腔に侵入してこようとする。
「あっ、佐伯っ」
 思わず腰を引こうとしたが、克哉にがっちりと腰骨を掴まれ動くことがかなわない。ぬるぬるとしたそれは、生き物のように奥を目指して中を犯していく。
「うっ……、あ」
 たっぷりとアヌスを濡らした舌が、ずるりと引き抜かれて代わりに指が潜ってくる。ぐいぐいと中を捏ね拡げながら指の数を増やされる。敏感な部分を強くこすられながら、もう片手が御堂のペニスにまわされた。指が絡みつき、漲った幹から先端まで扱かれる。
「ぃっ、ああっ!」
「相変わらず感じやすいな」
 与えられる刺激に下肢がガクガクと痙攣し、御堂のペニスからは滴が次から次へと零れ落ち、革のソファに小さな水たまりを作っていく。頭をソファに埋め、声を抑えようとするも克哉の指の動きに合わせて喘いでしまう。
 込み上げる射精感を抑えようと、下腹部に力を入れたところで中を抉られ、ひくついたペニスを強くこすりあげられた。
「あ、イくっ、ぁ――っ!」
 大きな波に攫われるように限界が訪れた。身体を仰け反らせて、克哉の手の中に白濁した重い液体をどろりと吐き出す。同時に体の力が抜けていく。
 後孔に咥えさせられていた指が抜けて、落ちていく御堂の腰を支えた。克哉は、傍に捨ててあった御堂のバスローブで精液を拭うと、自らの硬くそそり勃ったペニスを御堂の後孔にあてがう。その熱さにびくり、と身体が戦慄いた。
「あっ、…さ、えき?」
「一回抜いたから、堪え性のないあんたでも、これで少しは持ちこたえられるだろう」
「あああっ!!」
 その言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、ずぐっと張り詰めたペニスが御堂を挿し貫いた。
 その圧迫感に腰をずり上げて逃げようとするも、絶頂の余韻に浸る身体は克哉によってやすやすと押さえつけられ、脱力した体内は克哉のペニスを蠕動しながら食んでいく。
「いい具合に解れている」
 ずくずくと最奥を目指して、ペニスが御堂を串刺しにする。その全てをおさめきったときは、苦しさに息を荒くしていた。
「――あっ」
 ゆっくりと克哉が動き出す。絶頂を迎えて敏感になった身体は克哉が少し動くたびに、ひくひくと痙攣して耐え難い刺激が身体を走る。
「佐伯、苦、しい」
「気持ちいいはずだ」
 縋る言葉を否定される。克哉の言う通り、苦しさが占めていた感覚は今や快楽が凌駕している。中から抉られるのは気持ちがいい。その悦楽は、底がない。
 次第に克哉は激しく抽送しだした。突き入れられる度に御堂の先端からポタポタと白濁した液が滴る。克哉の凶暴な欲望に突き上げられて、切れ切れに叫んだ。
「あっ、手加減…しろ、佐、伯」
「俺の名前を呼べ――孝典」
 感情を押し殺したような低い声音にぞくりとした怖さを感じた。肩越しに克哉を仰ぎ見れば、鋭く厳しい表情をした克哉が御堂を見据えていた。
 これは、前と一緒だ。昔を思い出せ、と言われて手ひどく犯されたときも、今みたいに激しい感情を堪えたような顔で御堂を見下ろしていた。その秘められた克哉の獰猛な感情に身体が戦慄く。
「佐伯……怒っているのか?」
「何の話です」
「何で、怒っているんだ…」
「怒ってなんかいませんよ」
 克哉が御堂に対して怒っているなら、弁明の機会を与えてほしい。このような形で怒りをぶつけられるのは真っ平だ。だが、何に対して怒っているのか問うにも、克哉は怒っていることを認めようとしない。
「待てっ、佐、伯。何故だ…昼間の…」
「俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。俺の名前を呼ぶんだ、孝典」
「あああっ!」
 御堂の言葉を切って、克哉が大きく深く穿つ。
 一瞬遠のきかけた快楽が、再び舞い戻ってくる。逃げ出そうと前に出した両腕を掴まれると、背後に回されて手綱のように引っ張られた。反らされた身体の真ん中を克哉に穿たれる。
 叩き付けられるように一番感じる部分を激しく抉られて、暴走する快楽に翻弄される。両腕を引かれて背と喉を反らせながら、たまらず、命令されたとおりに、克哉の名前を呼んで必死にせがむ。
「か、つや…お願いだ…もう、ムリ、だ」
「いいや、あんたの淫乱さはまだこんなものじゃ足りない」
「あ…ああっ、あ」
 果てのない快楽に追い上げられて、さらに高い極みに押し上げられる。立て続けに達して、身体を断続的に引きつらせ、その苦しさと快楽に身悶えた。
「か…や、あ、ゆる、して…克哉っ」
「見せるんだ、俺に。あんたの全てを」
 イきっぱなしの状態になり、視界も思考も閃光に白く灼かれていく。
 身体の中を掻き混ぜられるたびに、どろどろと内側から蕩けていき自分が失われていくような恐怖が悦楽と混ざり合い、体の芯を揺さぶる。
「克哉っ、いやだ、ゆるしてくれっ」
 首をねじって克哉を見上げ、涙を流しながら懇願する。
 克哉が腰を止めて、ずるりとペニスを引き抜いた。支えを失い、ぐらりと傾いた身体を仰向けにされる。解放された、と安どしたのも束の間、両脚を抱えられ、再び貫かれた。
「ひっ、ああっ、やだっ」
「違う、『もっと』だ。俺を強請れ。乱れて見せろ」
「ふっ…、だめだっ、壊れる…っ」
 容赦なく責め立てられ、首を左右に振りながら壊れたように声を上げ続ける。
 克哉は動きを止めて、御堂に顔を寄せると指先が御堂の眦から流れ落ちる涙を拭った。
「俺を信じて委ねろ。あんたは壊れたりしない」
「ぁ……っ」
 涙に濡れた視界を克哉に向ければ、真剣な眼差しが注がれていた。
 克哉の顔が落ちてくる。唇が重なり、唾液を混ぜ合わせて啜られる。その与えられる熱にしがみつこうと、克哉の背に両手を回し爪を立てた。
 克哉を信じろ、そう自分に言い聞かせる。結局のところ、最後は信じるしかないのだ。克哉には克哉の考えがあり、御堂にはそれが分からなくても今は信じるしかない。克哉の両の眸にはちゃんと御堂が映っている。
 再び克哉が腰を使いだした。ジンジンと痺れるような悦楽が這いあがってくる。
「ふっ、あっ、克、哉」
「俺を求めろ、孝典」
 揺さぶられながら名前を耳元で囁かれ、頷きながら克哉を求める。
「克哉、もっと、あ、ああっ」
 寸でのところで自分に制御をかけていた理性を解き放つ。身体を支配しようとする快楽に身を委ねて、貪欲に克哉を強請り、奥へ奥へとより深い場所で繋がろうと内側で克哉を搦めとる。
「もっと、深く、あっ、んんっ、…かつ、や」
「いいぞ。孝典。それがお前の本当の姿だ」
 獣のような呻きとともに、克哉は御堂の奥深くに熱く重たい液体を注ぎ込んだ。それを受け止めながら、克哉、とうわ言のように名前を呼んでキスをせがむ。濡れそぼった唇を押し当てられ、蕩けゆく意識に恍惚と目を細めた。


「御堂さん、おはようございます」
「あ……」
 身体を揺さぶられて、重い瞼を開いた。身体が圧し掛かられたように重く、喉が痛い。絞り出した声は枯れている。
 昨夜の記憶を思い返すも、最後の方は途切れ途切れにしか記憶にない。克哉の名前を叫びながら許しを請いつつ、克哉を強請って、何度も繰り返し達した。克哉も御堂を責める手を一切緩めなかった。あれ程ひどい荒淫は久々だ。
 意識を失ったあとベッドに運ばれたようで、身体は克哉によって清められていたが、下腹部の奥は痺れており、まだ何か挿れられているような気さえする。
 克哉がぐったりとベッドに沈んだままの御堂に唇を重ねて、囁いた。
「朝ごはん、出来ていますよ」
「佐伯、その前に話し合いだ」
 そのままベッドから離れようとする克哉を、逃がすまいと手首を掴む。強く引いて、ベッドに引き寄せた。
「朝からおねだりですか?」
「違う!…何故、昨夜はあんなことをしたんだ」
「何のことです?」
「とぼけるな!あんな強引なことを」
 怒りに任せて睨み付けると克哉は肩を竦めてみせた。
「事前にちゃんとあんたの承諾を得たじゃないか」
「承諾…?」
 そんなもの、しただろうか。
 確かに、全てが欲しい、と言われて頷いた記憶はあるが、それが克哉の言う御堂の承諾だったとしたら、詐欺もいいところだ。
 いつもの睦言の類だと思って、安直に頷いてしまった自分のうかつさを呪ったが、それにしても、だ。昨夜の克哉は尋常ではなかった。
 思い当たる原因は、昨日の昼間の一件しかない。
「…皆川と私のことを勘ぐったのか?」
「いいえ。あなたは彼女との間には何もない、と言っていたじゃないですか」
「なら、何故だ」
「別に。そんな気分だっただけだ」
 しらを切りとおされては困る。御堂から顔を逸らそうとする克哉を掴む手に力を込めた。二人の間を沈黙が支配する。ややあって、克哉が御堂に顔を向けると、レンズの奥の目を細め、その表情をわずかに強張らせた。
「御堂君…」
「何?」
「俺は、“御堂君”って呼ばれていたあなたを知らない」
 苦々しく吐き捨てられるその言葉に、克哉の心の底を垣間見た気がした。
「だけど、俺は、誰も知らないあんたを知っている。それを時々確認したくなるんだ」
 誰も知らない御堂、それは自分自身でさえ知らなかった淫らな自分の姿だ。克哉によって無理やり引きずり出されて、そのまま克哉のものにされた。
 克哉は皆川に嫉妬したのではない。自分の知らない御堂の過去に嫉妬したのだ。どうあがいても自分のものにできない御堂の過去、その存在を見せつけられたことに克哉は苛立ったのだ。
 克哉の存在しえない御堂の過去。だが、御堂の現在と未来は克哉と共にある。そう頭では分かっていても、心では割り切れないものがあって、克哉は昨夜のような行動に出てしまったのだろう。
 その執着の強さは独占欲の裏返しでもある。愛されていると実感できるといえば、その通りなのだが、その結果がこれだ。
 それでも、御堂に渋々ながらも理由を説明してくれた克哉とそれを理解できる自分がいて、克哉に対する怒りはいつの間にか溶け去った。
 前回はその場で寝室に連れ込まれて有無を言わさず犯されたことを考えれば、その日一日我慢して御堂の承諾を得る(形ばかりではあったが)あたりは、少しは忍耐強くなったと評価していいのかもしれない。
 克哉に対して寛容すぎる気がしないでもないが、こんな克哉を愛してしまったのだ。諦め半分で表情を緩めた。
「それなら、お前は他の誰も知らないお前を私に見せてくれるのか」
「もう十分見ているじゃないですか」
「いいや。お前は肝心なところははぐらかして隠す」
「全てさらけ出して、御堂さんに飽きられたら嫌だからな」
 既に、御堂は克哉に全てをさらけ出している。恥ずかしいところまで、隠さず全てだ。
「逆にお前はどうなんだ。私の全てを見て、飽きたりしないのか」
「まさか。まだまだ見足りない」
 克哉が言っていることは矛盾している。だが、それだけ御堂に向ける自分の気持ちに自信があるのだろう。それは愛情表現とも言えなくもない。
 大きくため息を吐いた。
「お互い、相手を知り尽くすまで時間がかかりそうだな」
「一生かかっても、あなたの全てを理解できそうにありませんよ」
 克哉の顔が近づく。唇を塞がれる前に「それは私の台詞だ」と呟くと、自ら克哉の唇を押し潰すようにキスをした。



 皆川から会社に連絡が入ったのはそれから数日後のことだった。克哉が外回りで不在であることに感謝しつつ、電話に出た。
 先日の契約についての事務的な連絡事項を受けた後、電話の向こうの気配が親しげに和らいだ。
『そうだ、この前のランチの時、佐伯さんが聞いていたわね。私が結婚していないかどうかと』
「ああ…、佐伯が失礼なことを訊いた。忘れてくれ」
『いいの、伝えてちょうだい。私が結婚しないのはあなた達と同じ理由よ』
「私たちと同じ?」
『今の事務所、パートナーと共同経営しているの。私にとってプライベートでも大切な人なの。今度、“彼女”を紹介するわ』
 彼女には御堂と克哉の関係は全てお見通し、という訳だったのだ。それは自らもそうであるが故に、すぐに察したのだろう。
『ごめんなさいね。分かりやすく嫉妬されたから、ちょっと大人げないことをして。彼、有能で素敵ね。お似合いだわ。そうだ、互いのパートナーと一緒に4人で食事でもどう?』
 その言葉に嘆息する。
 彼女は克哉の嫉妬がどれ程凶悪に発露されるのか知らないのだ。お陰で御堂がどのような目に会ったが、詰ってやりたいがそうもいかない。
 それでも、彼女があの場で御堂の大学時代の恋愛遍歴を一言も洩らさなかったのは、彼女の聡さと口の堅さによるものだろう。その点からしても、彼女は信頼に値する弁護士だということはよく分かった。
 だが、それでも、だ。克哉の嫉妬の対象は何も人だけではない、御堂の過去に対しても向けられるのだ。
「悪いが、遠慮させてもらいたい。見ての通り、誰彼構わずの嫉妬深い恋人でね」
『御堂君の口からそんな惚気が聞ける日が来るなんて』
 電話の向こうで可笑しさを噛み殺した声が響く。
『あなたの可愛い眼鏡君によろしく(Say hello to your sweet, wearing glasses )!』
 その「御堂君」という呼び方はやめろ、そう注意する前に、快活な笑い声とともに、電話が切れた。

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