
仕事納めの日
「それでは、来年もよろしく」
『みな、お疲れ様』
『良いお年を!』
AA社、年末最後のWeb会議。AA社の社長のデスクから克哉が仕事納めの挨拶をすると、四角に区切られた画面に映る社員の面々が頭を下げる。直接面と向かっているわけではない。パソコン画面のカメラに向けて頭を下げるという傍から見れば奇妙な光景だが、身に染み付いた癖は抜けないのだろう。
社員同様、パソコン画面に映る御堂にちらりと視線を向けた。視線が合ったような気がするがきっと気のせいだ。御堂は相変わらず髪型から服装まで一切の乱れなくかっちりと決めている。そして、御堂の背景に映り込む書斎は克哉の部屋だ。
かつてないパンデミックは、容赦なく人々に変化を強いた。新しい生活様式と呼ばれる暮らしは、コミュニケーションのあり方を大きく変えた。外出時は常にマスク。大勢で顔を合わせたり、飲食を共にしたりすることは避けるようになった。働き方もそうだ。出社勤務よりもリモートワークが奨励される。必然的に、AA社も時世の流れに合わせて働き方改革を余儀なくされた。
打ち合わせは基本Web会議で。リモートワーク中心の勤務体系になる中で、重要な機密書類をどうやって管理するか、一層のセキュリティ対策が必要になっている。クライアントとの面談も出来る限り対面を避けているが、直接現場に赴かないと見えてこない課題も多い。幸い、AA社はどうにかこの一年を乗り越えたが、この生活がいつまで続くのか、先は見えないままだ。
人々の流れが滞れば、経済も滞る。政府の感染症がもたらした不景気を打開する一手を打てぬまま、世の中は年の瀬を迎えようとしていた。
不況の底は見えず、来年はコンサルティングの依頼が増えるかもしれない。だが、劇的に変わりつつある社会にどう対応していくか、難しい舵取りを迫られることになるだろう。
克哉はAA社の戸締りを確認すると、エレベーターに乗って上層の住居フロアへと向かった。カードキーで部屋のドアを開けると、御堂が玄関へと顔を出した。
「ただいま、御堂さん」
「お帰り」
Web会議のため、ほんの一時だけAA社に出社したのだ。出社と言っても下の階におりるだけだ。コートもマフラーも必要としないし、移動の時間は主にエレベーター待ちの時間という便利さだ。
御堂は、克哉の部屋の書斎からWeb会議に参加した。同棲する二人だ。別に隠してないとはいえ、さすがに二人が同じ部屋から参加するのもどうか、となって、克哉がAA社の執務室から参加することにしたのだ。
御堂は、カメラ越しに見た通り、部屋から一歩も出る必要がないにもかかわらず、髪の毛は一筋の乱れもなく整えられて、折り目正しく纏ったスーツは上下ともしわがない。
克哉は窮屈なネクタイの結び目に指を入れてほどきながら御堂に言った。
「何も、下までスーツじゃなくてもいいだろう」
「上だけスーツなんて恥ずかしい格好出来るか」
克哉は出社しているが、御堂は在宅のままだ。映るところだけきちんとしていれば十分だろう、そんな克哉の指摘に御堂は呆れた表情で御堂は返す。
仕事とあればいつ何時であっても決して隙は見せない、御堂なりのこだわりを感じるが、実際のところアパレル業界ではスーツのズボンの売れ行きは落ちている。世間一般は柔軟に時代の流れに対応しているようだ。
上半身はスーツ姿で下半身は何も着用せずに仕事する御堂の姿はセクシーだと思うし、克哉は興奮するが、それを実現するには高いハードルがありそうだ。
脱いだジャケットをクローゼットにかけていると御堂が声をかけてきた。
「コーヒー淹れてあるぞ」
「ありがたい」
リビングからは淹れたてのコーヒーの良い香りが漂っていた。身を切るようなビル風に晒されたわけではないが、それでも部屋に戻ると暖房がしっかり効いていて、そして、温かいコーヒーが飲める。それだけではない。何よりも、克哉の帰宅を待っていてくれる人がいる。
リビングのソファに座り熱いコーヒーが注がれたマグを手にすると、じんわりとした温かな気持ちになってくる。
ラフなシャツ姿に着替えた御堂が、克哉の隣に腰を下ろした。
仕事納めを迎えて、切羽詰まったタスクもなく、年明けまではのんびりするつもりだった。見渡す限り部屋も片付いていて、大掃除の手間も省けそうだ。
隣で克哉と同じようにマグを手にする御堂にちらりと視線を向けた。
「実家に顔を出さなくてよいのか?」
「ああ」
あっさりと御堂は頷いた。
「こういう時勢だからな。あとで連絡を入れるさ。それに……」
御堂は言葉を切って、ひとつ息を吐くと克哉にくっきりとした切れ長の二重を向けた。
「君の誕生日もあるからな」
毎年、克哉の誕生日である大晦日から正月まで、御堂と克哉はホテルで過ごしている。今年も例外ではない。都内の五つ星ホテルのスイートをしっかり予約している。
今年もどうにか無事に一年を終えられそうだ。
そんな感慨に耽っていると、不意に御堂が呟いた。
「春になったら、君を私の親に紹介したい」
突然の言葉に驚いて御堂を見返すと、御堂はコホンと咳ばらいをした。
「伝えるべきことは早めに伝えないとな」
今や、ネットの時代だ。直接会わなくても、いくらでも画面越しに連絡を取ることが出来る。いつでも伝えられるということは、伝える機会を逃してしまいがちになるということだ。このコロナ禍で直接会える機会を失ったからこそ、直接会うことの大切さを実感する機会も多かったはずだ。大事なことだからこそ、直接伝えたい。今だからこそ伝えたい。御堂もまた、問答無用に変化を迫られる中で、決断をしたのだろう。
克哉の反応を窺う御堂の表情にほんの少し強張っている。克哉は、ふっ、と表情を緩めた。
「それならしっかりと着飾って行かないとな」
克哉の言葉に御堂の緊張が解けて、顔をほころばせる。
「わざわざ畏まらなくても、普段通りでいい」
「それは、俺はこのままでも十分に男前だからか?」
「そうだな。私が見込んだ男だからな。自信を持っていいぞ」
茶化して言ったつもりが、さらなる上から目線で返される。
お互い顔を見合わせて笑い出した。笑いながらも、さりげなく御堂の手からマグを取り上げて、センターテーブルに置いた。身を乗り出して、御堂の唇に唇を重ねると、御堂の手が克哉の後頭部に回される。
コーヒーの苦みが混じったキスを堪能しつつ、キスのその先へと官能の炎が燃え上がる直前に御堂から顔を離した。
唐突にキスを解かれて、御堂が訝しげな顔をする。
「どうした?」
「御堂さんと一緒に暮らしていて良かった、と思ったんですよ」
何をいまさら、といった反応の御堂に、言葉を重ねる。
「自粛期間でも、あなたと二十四時間一緒にいられますし」
御堂が返事の代わりに眉をひそめたのは、自粛期間中の爛れた生活を思い出したからだろう。部屋から出るどころか、ベッドから出ることさえも難しい日々だった。自粛期間が長引いたら、御堂は足腰立たない状態にされていただろう。
その時の爛れた熱を思い出して、御堂の背中に回した腕に力を込めて抱き寄せると、御堂が克哉の腕の輪から抜け出ようと胸を押し返してくる。
「佐伯! 密だ。密すぎる」
「さっきまでは、その気になっていたのに?」
「夕食もまだだし、今日中に片づけたい資料整理もある。君のペースに付き合わされたらあっという間に仕事始めだ」
「じゃあ、自制心を総動員して数時間くらい待ちますよ」
「自制心を総動員してその程度か」
「これでも我慢しているんだ。今すぐにでもあなたが欲しいのに」
あきれ果てた口調の御堂から渋々身体を離すと、御堂はクスリと笑って克哉の額に唇を押し付けた。同じ居場所で二人で穏やかに過ごす、その幸せを噛みしめる。
また、ひとつ歳を重ねること。新しい年を迎えること。それを愛する人と祝うこと。
社会がどれほど変わろうとも、お互いに向ける気持ちは変わらない。
新しい年も、きっと良い一年になるだろう。
END