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深淵に眠る月
 初夏の夜の心地よい風が頬を撫でる。克哉はMGN社のビルを足早に出たところで背後から唐突に声をかけられた。

   「おい、克哉!」
   「……本多か」

 振り向けば、本多が手を大きく振りながら駆け足で向かってくる。ここで本多に捕まっても良いことはないだろうとは思ったが、あからさまに避けるわけもいかずに、克哉は足を止めた。

   「もう仕事は終わったのか?」
   「……ああ」

 端的に返事をすると、本多が顔を綻ばせた。「それなら……」と口を開きかけた本多の言葉が続かぬうちにきっぱりと言った。

   「飲みなら断る。そんな気分じゃない」
   「相変わらず付き合い悪いな。お前、ことごとく飲み会断っているだろう」
   「用事はそれだけか?」
   「おい、ちょっと待てよ」

 さっさと会話を打ち切って帰路へと足を踏み出そうとしたところで本多が克哉の前に飛び出した。進路を邪魔されて、浮かせた足を仕方なしに戻す。

   「まだ何か用なのか?」
   「今回の飲み会は、片桐さんの送別会なんだ。だから、顔だけでも出してくれないか?」
   「片桐さんの?」

 想定外の本多の言葉に虚を突かれた。

   「まさか、辞めるのか?」
   「詳しいことはおいおい話す。克哉も世話になったろう? だから、乾杯だけでもしていけよ」
   「……」

 腕時計に目を落とした。
 一時間くらいなら、なんとか誤魔化しがきくかもしれない。

   「……一杯だけなら」
   「助かるぜ!」

 本多は顔をパッと輝かせると、すぐに道路に向かって身を乗り出し、流しのタクシーを止めた。後部座席の奥に乗り込むと続いて本多が乗り込んでくる。二人で繁華街の居酒屋に向かった。
 図体の大きい本多に、窮屈に押し込められながら口を開いた。

   「それにしても、この中途半端な時期に辞めるって何か事情があるのか?」
   「店に着いたら話す。……運転手さん、そこで」

 店の前にタクシーを付けて料金を支払って降りる。本多が名前を名乗ると個室へと案内された。扉が開かれて中に入ったところで、克哉は騙されたことに気が付いた。案内されたテーブルは二人席だ。胡乱な視線を本多に向けた。

   「どういうことだ、本多? 送別会じゃなかったのか?」
   「そうでも言わないとお前、俺に付き合わないだろう」
   「帰らせてもらう」
   「待てよ!」

 部屋から出ようにも、本多が出入り口をしっかりと塞いで仁王立ちした。梃子でも動かない様子だ。

   「どけ、本多」
   「克哉、お前、ここ最近ずっとおかしいぞ」
   「……」
   「付き合いも悪いし」
   「そうだとしても、それをなんでお前にどうこう言われなくてはいけないんだ」
   「……それに、なんだか思い詰めた顔をしている」
   「俺がどんな顔をしてようと俺の勝手だろうか」

 ぞんざいな克哉の言葉と態度に本多は怒るかと思いきや、肩を大きく竦めて深いため息を吐いた。

   「いいから、俺に一杯付き合え。一杯付き合うまでは帰さない」
   「ふざけているのか」
   「いいや、俺は本気だ」

 真正面からにらみ合うが、本多は一歩も譲る気がないようだ。しばらく視線をかち合わせて火花を散らしたが、折れたのは克哉の方だった。力で勝負しても本多には勝てない。それならさっさと一杯だけ付き合って帰った方がよっぽど早く帰れそうだ。くるりと本多に背を向けると、椅子を乱暴に引いてテーブルに着いた

   「一杯だけだぞ」
   「交渉成立だな」

 一転してパッと表情を綻ばせた本多は、克哉の正面に座ると店員を呼んだ。克哉が口を開く前に「ビール大ジョッキふたつ」と注文する。勝手に注文されて「チッ」と大きく舌打ちしたが、本多は素知らぬ顔だ。
 すぐにジョッキになみなみと注がれたビールが運ばれてきた。本多はネクタイを緩めてスーツのジャケットを脱ぐと、ジョッキを高らかに掲げた。

   「それじゃあ、乾杯!」
   「……乾杯」

 乗り気でない態度を全面に出して乾杯したが、目の前で本多はうまそうにビールを呷りだした。視線が合うと、口元にビールの泡を付けながら男前な顔を崩してにやりと笑う。

   「克哉、お前もネクタイ緩めたらどうだ? ジャケットも脱げよ。暑いだろう」
   「すぐに帰るからこのままで問題ない」

 冷たくあしらった。
 ネクタイはきっちりと結ばれたままで、家に帰るまではジャケットの上着も決して脱いだりはしない。ジャケットの下も長袖のシャツだ。日中は熱さを感じる季節になってきたが、キクチの営業時代と違ってMGN社に勤めだしてからはほとんど内勤だ。空調がしっかり管理されている室内ならこの服装で問題ない。
 出社してから帰宅するまで、この服装を乱すことは一切なかった。克哉にはそうしなければならない理由があるのだ。
 本多はにこやかな表情を崩さないまま、つまみをいくつか注文した。
 さっさと一杯飲んで帰ろうと思うが、大ジョッキのビールをひと息に飲むのはなかなかキツい。諦めて手に持っていたジョッキをテーブルに置いた。

   「……それで、用件は何だ?」
 こんな拉致まがいの状態で飲み屋に連れてこられて、こっちはいい迷惑だ。きつい眼差しと口調で問うと、本多はまじまじと克哉を見返してきた。

   「お前、何かあったのか?」
   「何か、とは?」
   「MGN社に行ってから、様子が変だ」
   「そうか? 変わらないぜ」
   「いいや変わった」

 そうきっぱり言い切る本多に反論しても無駄だと分かっているから、黙って、ぐいとビールを呷る。そんな態度の克哉に本多は肩を軽く竦めた。

   「付き合い悪いし、すぐに家に直帰するだろう」
   「仕事が終わったら家に帰って何が悪い」
   「家に早く帰らなければいけない理由でもあるのか?」
   「逆に聞くが、家に早く帰ってはいけない理由でもあるのか?」

 そう切り返すと、本多は眉をしかめた。くっきりとした眉と意志が強そうな眼差しを持つ顔が困ったように歪み、言いかけた言葉を呑み込む。本多もまた、克哉に何を言っても無駄だと諦めているようだ。その一方で、窮する友人を放ってはおけないというお節介さに駆られている表情にも見える。
 しばらくの間、頭の中で克哉との会話のとっかかりを探したのだろう、本多は唐突に話題を変えた。

   「そういえば、前に猫を飼っているって言っていただろう?」
   「……そんなこと言ったか?」
   「言ってたぜ」
   「忘れたな」
   「あの時はまだ楽しそうに見えたんだけど、今のお前はなんだかそうは見えない。やつれているし、どこか不幸そうだ」
   「ふうん」
   「克哉、聞いているのか!?」
   「大声で騒がなくても聞こえている」

 本多は反応に乏しい克哉に苛立っているようだ。だが、反応しないのは本多を突き放したいからではない。自分に対する気遣いと心配を痛いほどに感じたからだ。
 本当のことを言ったら本多はどう反応するだろうか。そんな歪んだ誘惑に駆られた。
 あの時飼っていたのは猫ではなく、御堂部長だと知ったら、本多はどんな顔を見せるのだろう。突然無断欠勤をして姿を消した御堂が、どこでどうしていたのか。
 そして、御堂を飼い続けた結果、克哉が今どれほどの窮地に立たされているのか。
 それを知ってもなお、本多は自分に同情するだろうか。

   「あれ、猫じゃないだろう?」

 そんなことを考える克哉をよそに、本多はテーブルに身を乗り出して、克哉に顔を近づけた。

   「……実は恋人じゃないのか?」
   「恋人?」
   「実は、お前が言う『猫』というのは束縛が強い恋人で、今、恋人と上手くいってないんじゃないのか。だから、そんなこの世の終わりみたいな顔をしているんだろう」

 本多の言葉に目を大きく見開いて、そして思い切り噴き出した。

   「恋人か、それはいいな」
   「なんだよ、違うのかよ」

 あまりの可笑しさに腹を抱えて笑い続ける克哉に、本多は訳も分からず目を丸くしている。笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指で拭った。

   「お前は俺を本気で心配してくれているんだな」
   「当たり前だろ!」
   「久々に笑った気がする」

 ムッと不機嫌に返す本多を前にして、ジョッキの底に残ったビールを飲みほした。空になったジョッキをテーブルに置いて立ち上がる。

   「本多、俺を気にしてくれてありがとう。だが、見当違いだな。俺は今、いままでになく幸せだぜ?」
   「何だって?」

 唖然とする本多の肩をぽんぽんと叩くと、財布から千円札を数枚抜いてテーブルに置いた。

   「悪いな。束縛の強い恋人が待っているからな」

 まだ笑いが収まらず肩を震わせながら片手を上げて個室から出た。背後では、「ちょっと待てよ」と本多が声を上げたが、今度こそ振り返らずに飲み屋を出た。
 すぐにタクシーを捕まえて、行き先を告げた。ちらりと腕時計を見る。思った以上に時間がかかってしまった。
 しばらくして、タクシーが高層マンションの前に停まった。清算してタクシーを降りて、足早にエントランスをくぐる。カードキーで部屋のドアを開けて、「今、帰りました」と暗い廊下の向こう側に向かって声をかけた。そして、靴を脱いで、廊下の突き当りのリビングに通じるドアを開けた。すると、

   「どこに行っていたんだ!」

 と激しい罵声と共に皿が飛んできた。それを寸でのところでよけると、顔の横の壁にあたった皿が乾いた音を立てて床に転がった。それを屈んで拾い上げる。顔を上げると、この部屋の主である御堂が、怒りを露わにした表情で立っていた。案の定、帰宅が遅くなったことで御堂を怒らせてしまったらしい。

   「遅くなってすみません。……同僚の付き合いで飲みに」

 家の食器はすべて割れないように、樹脂製のものに切り替えている。割れた破片で御堂が怪我をしないようにするためだ。

   「飲みにだと? 貴様は私をこんな目に遭わせて、自分はのうのうと遊んでいるわけか」
   「すみません」

 言い訳をせずに謝った。御堂の憤りの気配がひしひしと伝わってくる。一度御堂の怒りに火が点くと、何を言っても御堂を余計に逆上させるだけだ。
 視線を伏せて正面に立っている御堂と直接目を合わさないようにする。身体の横に降ろされた御堂の拳は怒りに細かく震えている。

 あの日、人形のように無反応を貫いていた御堂は、唐突に目を覚ました。
 それから、目覚ましい回復をみせて、御堂は自分の足で歩くようになったし、食事、排泄、移動といった身の回りのことは克哉の介助を必要としなくなった。克哉と会話も交わせるし、感情も見せる。しかし、だからと言って人形状態だった御堂を世話していた時よりも楽かと言われればそれは違った。
 壊れきった状態から奇跡的に回復した御堂は、一見、元に戻ったように見えるが、どこか危うい。この家から出ようともせず、食事も克哉が促さなければ食べようともしない。味の好みも変わった。好みが変わったというより、食事自体に興味を失ったかのようだ。睡眠に関しても、放っておけば起き続けて、突然こと切れたように眠りにつく。どうやって生活していたのか忘れてしまったかのようだ。
 ずっとこの部屋の中で克哉に依存しきることで、御堂の閉ざされた世界が完結していたのだ。それはこちらの世界に戻った今となっても変わらなかった。生きていくために必要な何かをあちらの世界に置き去りにしてしまったのだと思う。
 日中、克哉が仕事に出ている間は、テレビやパソコンで時間をつぶしているようだが、結局、克哉がいなくては、御堂は食事もしないし眠ろうともしない。克哉がいなくなれば、誰に助けを求めることもなくこの部屋で朽ち果てるのだろう。
 ただ、そんな御堂が唯一、血の通う人間らしい顔を見せる場面がある。それは克哉を嬲るときで、かつて克哉に受けた仕打ちを一つ一つなぞるように克哉に与えていく。その時の御堂の顔は高揚し、表情は生き生きとして、とても愉しげにみえる。まるで、克哉に報復するためだけにこの世界に戻ってきたかのようだ。
 自分も御堂と同じ目に遭って壊れてしまえば、御堂の気が済むのかもしれない。それで御堂が満足するなら、喜んでこの身を捧げるつもりだ。だが、今、この場で自分が壊れてしまったら、誰がこの御堂の面倒をみるというのだろう。その不安がかろうじて、克哉を自滅的な衝動から引き留めている。

   「食事、まだでしょう。今用意します」

 淡々と告げて、御堂の横をすり抜けてキッチンへと向かおうとした時だった。
 御堂の手が一閃した。克哉の左頬に向かって鋭く振り下ろされた手を寸でのところで受け止めた。衝撃で手に持っていた皿が手から滑り落ちてカランと大きな音を立てた。

   「御堂、顔は止めろ」
   「―― ッ」
   「外から見えるところに傷がつくと周りに気付かれる」

 二人きりの生活で、御堂のわがままはなんでも許していたが、これだけは譲れない一線だった。二人の生活を守るためには、決して周囲には気付かれてはならないことがある。だから、克哉は強い口調で釘を刺した。
 しかし、手首を掴まれてもなお、御堂は力任せに克哉を殴りつけようとする。だが、力では決して自分に敵わないことを、御堂の手の動きを完全に封じることで教えると、御堂は忌々しげに手首をつかむ克哉の手を振り解いた。

   「私に触るなっ」
   「すみません」

 克哉は正当防衛をしただけだったが、自ら謝った。御堂は「ふん……」と鼻を鳴らすと、克哉に掴まれた手首を擦った。
 
   「……顔でなければいいのだな?」
   「ええ」

 御堂の舐めるような視線が克哉の頭からつま先まで振られた。

   「それなら服を脱いでベッドに上がれ」
   「分かりました」

 御堂の唇の端が冷ややかに吊り上がる。
 克哉は黙ったまま御堂の指示に従った。ちらりとキッチンに未練がましい視線を送ると、御堂が「早くしろ」と鋭く咎めた。
 御堂はまだ夕ご飯を食べていない。だがそれを気にする素振りもない。この分だと、夕ご飯は食べさせられないだろう。明日の朝食で辻褄を合わせるしかない。
 寝室に向かうと、御堂がついてくる気配を背中に感じた。ベッドサイドに立って、スーツのジャケットを脱ぎ、その場に落とした。本当は型崩れしないようにハンガーにつるしたかったが、そんなことに時間をかけたら益々御堂を怒らせるだろう。ネクタイを解いて、シャツのボタンを襟元から一つ一つ外していく。
 克哉のシャツのちょうど両乳首あたりにいびつな凹凸があった。シャツのボタンを全部外し終えて脱ぎ去ると、乳首に施されたリングピアスが露わになった。そして、克哉の手首や体のあちらこちらに付けられた拘束の痕が、しなやかな筋肉をまとう身体を不気味に彩っている。
 御堂が克哉の裸の上半身を見て目を眇めた。その眸が愉悦に眇められる。
 これが、克哉が決してスーツを乱さない理由だ。
 乳首のピアスや痣をみられないように、長袖のシャツとジャケットを着、常にネクタイをきっちり絞めて首元を隠している。だが、これから暑い季節を迎えると、クールビズに合わせて薄着にしなくてはならない。ジャケットを脱いでも異変に気付かれないよう、ウェストコートを着用し、シャツはネクタイを外しても首元が見えぬように、普通のシャツより襟が高いドゥエ・ボットーニに変えた方がいいだろう。そんなことを考えながら、脱いだシャツを床に捨てた。するとすぐさま声がかかる。

   「下も脱げ」

 ベルトのバックルに手をかけて、下着ごとスラックスを下ろした。腕時計も外す。顔の眼鏡以外、一糸まとわぬ状態になると、御堂はようやく厳しい表情を少しだけ緩めた。

   「ベッドに乗れ」
   「ああ」

 御堂の視線を痛いほどに感じながらベッドに乗り上がったところで、克哉は息を詰めた。乳首に施されたピアスが、ベッドに乗った弾みで揺さぶられたのだ。
 ピアスを貫通された痛みはもうなくなったが、金属のリングピアスの重みで乳首が甚振られ、常に硬くしこっている。ふとした拍子にシャツに擦れると、それだけで灼かれたような疼きが乳首に宿る。その感覚を顔に出さないように堪えた。

   「寝ればいいか?」
   「そうだな。仰向けになれ」

 言われたとおりにベッドに仰向けになると、ベッドサイドテーブルに御堂がコップを置いた。そこに消毒用のエタノールを注ぐ。そして、太く長い針とボールが付いたリング状のピアスを用意した。克哉が不在の間にインターネットの通販で買ったものだろう。

   「またピアスを入れるのか?」

 克哉の問いに、御堂は黙ったまま針をコップの中のエタノールに浸した。
 やはり、ピアスを入れる気なのだ。
 心臓が逸りだす。
 次はどこに入れるのだろう。

   「耳とか見えるところはやめてくれ。……仕事に支障が出る」

 その仕事というのも、御堂から奪ったMGN社のポジションなのだが、業務に裁量が効き、待遇の良いその仕事を辞めるわけにはいかなかった。そうなれば二人分の生計を稼ぐ手段がなくなる。

   「見えないところならいいのだろう?」

 冷笑と共に言葉が返ってきた。「ああ」と頷いて覚悟を決める。
 先日も、そうやって両乳首にピアッシングされたのだ。克哉は御堂の心と人生にに決して消えない傷跡を残し、御堂の人生を台無しにした。それに比べれば、身体を傷つけられることなど大したことではない。この悲劇の主人公は克哉ではなく御堂なのだ。
 御堂が針を手に取った。脱脂綿でエタノールを拭き取る。針で刺される痛みと恐怖は想像するだけで身が竦むが、自分だって御堂にそれ以上の仕打ちしてきたのだ。
 次は臍だろうか、と思いながら御堂の手の動きを見守ったが、御堂に垂れたペニスをぐっと握られて、克哉は目を見開いた。

   「何……?」
   「ここに入れる」

 茎に指を絡められ、亀頭を親指で押された。尿道孔が開き、中の赤い粘膜が剥き出しになる。御堂が残忍に笑った。

   「ここにピアスを入れたら、もう、お前は男として使い物にならなくなるな」
   「本気か?」
   「冗談でここに穴をあけるとでも思うのか」
   「……」
   「私を放って他の人間と遊んでいた罰だ。私は毎日、貴様としか顔を突き合わさないのに。不公平だとは思わないか?」
   「……そうだな」

 どうやら、本気で御堂は克哉のペニスにピアスを施すようだ。克哉の要求通り、外から見えないところなのだから、これ以上文句は言えない。
 御堂は罰だというが、要は、克哉に罰を与える理由があれば何でもいいのだ。本多と飲んだことをいちいちあげつらわなくても、克哉の過去の行為を振り返れば、それだけでどんな罰を受けるにも値する罪を犯している。だから、御堂が気まぐれに克哉を嬲ろうとも、粛々と受け容れるつもりだった。
 御堂が手に持った針をペニスに近づけた。針は太く、その切っ先は鋭い。それが液体しか通ったことがない敏感な粘膜を貫けば、想像を絶する痛みとなるだろう。
 針が突き刺さる瞬間を思い描くと、ひくり、と喉が上下した。
 針の動きを止めた御堂が、黒目だけを克哉に向けて確認する。

   「耐えられそうか? 動かれると危険だから、無理そうなら縛る」
   「大丈夫だと思う」
   「ほう……」

 御堂は克哉を気遣うような素振りを見せた。だが、その実は、ピアッシングを完璧に実行すべく不安定要素を排除しようとしているに過ぎない。その冷徹なまでの判断力と実行力は、かつての御堂を彷彿とさせた。
 手でシーツをきつく掴んで、襲い来る痛みを覚悟した。
 御堂が吐息で笑う気配がし、次の瞬間、ペニスの頂に激烈な痛みが弾けた。

   「―― ッ!!」

 電撃のように灼けつく痛みが走った。ゆっくりと針の先端が敏感な粘膜を食い破り、中の柔らかな組織をずくずくを切り拓いた。そして、熱く重い痛みをあとに残していく。
 呼吸をすることも忘れる。開ききった瞳孔に映り込む天井の照明はぼやけて、熱い液体がこめかみを伝った。
 シーツを掴んだ指は力が入りすぎて麻痺したように固まっている。

   「佐伯、見てみろ。うまくいったぞ」

 優しげな口調と共に強張る上半身に腕を回されて抱え起こされた。促されるままに目線を下に落とすと、自分のペニスに太い針が突き刺さっていた。
 尿道孔を貫いた針は亀頭の裏筋に針先を貫通させている。無残に串刺しにされた自分のペニスを見せられて、背筋を冷たいものが流れ落ちていく。

   「今からピアスを付けてやる」
   「く、ぅ……」

 御堂はリング状のピアスを手に取ると、克哉の目の前で針で開けた穴を拡張しながらピアスを嵌めこんだ。さらに痛みが深まる。咄嗟に縋るものを探して、御堂の肩にしがみついた。
 剥き出しの神経を炙られるような痛みに途中から意識が朦朧としていたらしい。御堂にしがみついているうちに、終わったようだった。
 御堂が満足げな口調で言った。

   「これからトイレも個室を使わざるを得ないな。こんなところにピアスを入れている変態だと知られたくないだろう?」

 もう一度恐る恐る自身のペニスを見れば、赤く充血した亀頭に金属のリングが輝いていた。開けられた穴から滲む赤い液体が竿に一筋の線を引いている。
 両乳首にピアスを入れられたせいで、すでに日常生活に支障が出ている。さらにペニスまでピアスを入れられて、とても普通の生活が送れるとは思えなかった。
 御堂が克哉の耳元に唇を寄せた。

   「もう、貴様は誰を抱くこともできない」

 艶のある声で耳に毒を注ぎ込まれる。
 胸を押されてふたたび仰向けに倒された。御堂がローションのボトルを手に取った。空気がつぶれる濡れた音がして、ローションに塗れた指が克哉の尻のあわいに潜り込んでくる。

   「ん……っ」

 体の中をまさぐる刺激に内腿が細かく引き攣れた。

   「よせ……」

 力ない声で抵抗したが、御堂は構わずに克哉の薄い尻肉を左右に割り拓いた。自分の前を寛げると、拒もうとする窄まりに自身を押し付けてきた。

   「く……ぁ、あ」

 粘膜と肉塊が擦れ合い、強い摩擦を生みだした。太すぎる御堂の性器は、克哉の窮屈な内腔を少しずつ押し拡げながら奥へと目指す。
 あまりの苦しさにシーツを掻きむしった。
 まだピアッシングの痛みが抜けきらず、克哉の内壁は異物の侵入を激しく拒もうとする。そのせいで、御堂の形がはっきりと分かった。張り出したエラが克哉の粘膜を抉りながら、奥に嵌まりこむ。

   「全部挿入ったぞ」
   「うご、くな……」

 内臓を押し上げられて、呼吸が浅くなった。
 ぐちゅっ、ぐちゅっ、と淫猥な音を立てながら、突き入れられる。そのたびに、克哉のペニスが揺さぶられて、ピアスの重みに先端が甚振られた。亀頭は真っ赤に充血して、快楽ではなく苦痛を間断なく生み出してくる。
 御堂の指が克哉の胸に飾られたピアスにかかった。尖り切って立ち上がった乳首。そこを貫くピアスをきつくねじる。

   「くあっ!」

 乳首が千切れそうな痛みに、たまらず悲鳴を上げた。

   「すごい、食い千切られそうだ」

 御堂が嗜虐の光を眸に宿して、さらに激しく腰を遣いだした。
 これほどまでに残酷なことをされても、克哉は御堂の顔から目が離せなかった。
 喜悦に満ちた顔は、血が通い頬に赤みが差している。生気に溢れる表情だ。人形だったころの御堂とは全く違う。御堂は確かに生きているのだ。
 胸に熱いものが込み上げてくる。
 もっと御堂の体温を間近で感じたくて、克哉は自らの両脚を御堂の腰に絡ませ、その身体を引き寄せた。
 求めるような仕草に、御堂が戸惑ったように動きを僅かに止めたが、ふたたび強く腰を打ち付けだした。
 息を弾ませた御堂が、重たい粘液を克哉の深いところに注いでいく。
 もったりとした熱が克哉の中で溢れ返り、溺れそうになった。
 痛くて、苦しくて、気持ちがいい。
 身体の輪郭が溶け出して、闇と一体化してしまいそうだ。
 それでも、乳首とペニスにぶら下がる金属の重みが鈍い痺れとなって、克哉の肉体がいまだにこの世界に残されていることを教えてくれた。
 不意に、自分を心配そうに見つめていた本多の顔を思い出した。
 脳裏に浮かぶ本多に向かって、胸の裡で呟いた。

 ―― 俺は、今までになく幸せなんだ、本多。

 今、自分の胸を占めるこの気持ちを何と呼ぶのか分からなかった。だが、本多が気付かせてくれた。
 御堂をあんな目に遭わせた自分が、こんな風に満たされていいのだろうか。
 罪悪感に胸がちくりと痛んだが、それをはるかに凌駕する安堵が克哉を覆いつくしていく。
 もう、暗い夜の中、御堂の魂を探して彷徨う必要はないのだ。独りきりで取り残される不安に耐える必要はないのだ。
 御堂はここにいる。その漆黒の眸の真ん中に克哉を捉えてくれている。いっそこのまま死んでしまえたら、どれほど幸せなのだろう。

「御堂……」

 そう呟くと、克哉の意識は恍惚とした闇の中に霧散していった。
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