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​淡雪

 深夜の電話は苦手だ。

 幼い息子が交通事故に遭ったとき、一度は持ち直した容態が急変したと告げられたのも真夜中の電話だった。

 それだけではない。深夜にかかってくる電話は危篤や訃報、そういった心をざわつかせる連絡ばかりだった記憶がある。

 それもそうだ。メールを始めとしたいろいろな通信手段がある中で、夜でもわざわざ電話をしてくるのは、それが急を要する用件だからだ。そしてそれは大抵悪い知らせだ。

 だから、こたつの上に置いてあった携帯が鳴りだしたとき、片桐稔は冷水を浴びせかけられたかのように跳ね起きた。

 静まりかえった部屋で、いつの間にかこたつで横になって寝入っていたらしい。部屋には透き通った冷たさが忍び寄っていた。雪が降り始めたのかもしれない。すっかり冷めきった茶が入った湯飲みの横で携帯が着信を告げて光っている。

 携帯の液晶画面には、佐伯克哉の名前が表示されていた。佐伯は朝から遠方の工場への出張の予定だった。だが、都心部は夜から雪が降るという予報で、交通網の乱れを避けるため、前日から現地入りしたのだ。何か、あったのだろうか。

 跳ね上がる鼓動と不安に震える手で携帯を取る。恐る恐る通話ボタンを押した。

 

『稔さん?』

「ど……どうしましたか?」

 

 耳に馴染んだ声が響いた。それでも、緊張に声が上擦ってしまう。携帯を握る手に嫌な汗をかいた。

 電話の向こうで、佐伯はひとつ息を吐き、そして、告げた。

 

『稔さん、誕生日おめでとうございます』

「ぁ……」

 

 壁掛け時計に視線を向ければ、十二時を回ったところだった。今日の日付を思い出して、肩の力が抜けた。

 

『誰よりも先におめでとうと言いたくて。……起こしましたか?』

「いや、その……ありがとうございます」

 

 思いがけない言葉に声がつまりそうになる。

 そんなに焦らなくとも僕の誕生日を祝ってくれるのは君くらいですよ、そう伝えても、きっとこの年若い恋人は、日付が変わると同時に、おめでとうを伝えてくるのだろう。

 

『ちゃんと寝室で寝てくださいね。それとも、ひとりきりで寝るのは寂しいですか?』

 

 笑い含みの声で釘を刺される。どうやら、佐伯は片桐がどこで寝ていたのかもお見通しのようだ。佐伯の声を聞くうちに、胸がほんのり温かくなっていた。

 

『今日はなるべく早く帰るようにしますから』

「僕も仕事を早く切り上げますね」

 

 おやすみなさい、そう言い合って電話を切った。耳から離した携帯がほんのりと熱を持っている。その熱をもう少し感じていたくて両手で握りしめた。

 もう、雪は積もり始めただろうか。二人で眺める景色はきっと輝いて見える。

 こうやって、二人で寄り添う日々を重ねながら、不安も苦しみも淡雪のように溶かしていくのだろう。そして、きらめくような思い出に塗り替えていくのだ。

 片桐稔はくすりと笑って、佐伯の忠告を守るべく、こたつから這い出たのだった。

 

END

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