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傷痕

 掻き回されたシーツの海に沈み込む、裸の背中。ベッドサイドライトの絞られた光量が、美しく締まった局面に陰影を刷く。御堂を起こさないように、克哉はその背中を注意深く繊細な指先でなぞる。
 克哉が辿る線を目を凝らせば、その肌はほんの僅かだが表面の質感が周囲と異なる。一度傷つき、失われ、そして再生した部位なのだ。
 それを目にするたびに、苦々しさがこみ上げる。
 この滑らかな肌を傷つけて失わせたのは自分で、再生させたのは御堂だ。その背に刻まれた傷痕は、消えることなく克哉に過去を突きつける。そして、御堂自身にも。
 何度も何度も、その痕を繰り返し触れて、なぞる。
 これは、誓いであり、願いであり、祈りである。失われたものを悼み、忘れないように自らに誓う。そして、御堂がこの傷痕に脅(おびや)かされぬよう願い、二人の未来を祈る。
「すまない、御堂」
 夜の静寂に呑み込まれて消えるように、そっと克哉は呟いた。

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 裸の背中を滑(すべ)らかに触れられる。産毛を撫でるような柔らかい感触に、御堂は不意に意識を引き上げられた。
 激しい情交の後で意識がもうろうとし、身体は酷く重い。ぼんやりと漂う意識の中で、傍にいる克哉の存在を感じ取る。
 行為の後始末にしては、肌のべたつきも身体の中に残る違和感もない。
克哉は何をしているのだろう。気怠さの中の気持ちよさ。眠りに誘(いざな)われる意識を好奇心が崖っぷちのところで踏みとどまらせた。それでも、少しでも気を抜けば泥沼のような眠りに陥ってしまいそうだ。
 肌の下の僅かな筋の緊張に気付いたのだろう。背中に触れていた手の動きが止まった。自分を伺う視線を感じる。そのまま動かず静かに寝息を立てていると、肌の上を指が滑り出す。
 克哉の指は背中から臀部を不規則になぞっているようだ。静かに、柔らかく、祈りを込めるように丹念に。その感触は心地よい。少しずつ、指の動きが収斂し、ある軌跡を描く。
その指先を無意識に辿る。その指が、意図をもって触れる部位、そして、なぞる線を御堂は知っている気がした。
 何だったのだろう。覚醒に至らない意識を遊ばせていると、静寂をくぐり抜けて微かな声が鼓膜に触れた。
「すまない、御堂」
 それはあまりにも小さな呟きで、耳を澄ましたが、二度と聞こえることはなかった。
 克哉の行動と意味が結ばれて、闇の中、一筋の光となって胸に差し込んだ。
 そっと触れる指先から、克哉のどうしようもない孤独を感じとる。こんなにも近くにいるのに、日々肌を重ねているのに。克哉は御堂から隠れて、失ったものを独り探し求めている。
 克哉を抱きしめてやりたい。そして一言、伝えてやりたい。
――私はずっと君と共にいる。
 だが、御堂がいくらそうしたところで、克哉を満たしてやることは出来ないと分かっていた。
 克哉は気付くべきなのだ。克哉が探しているものは既に手中にあることを。再び失うことを恐れる必要はないことを。
 肌の上を指が滑る。
 優しく触れられるその心地よさに、御堂の意識はゆっくりと暗い所へ沈んでいった。

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