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Shall We Take a Break?

「御堂さん」
 窓の外には東京の明るい夜景が広がる。終業時間をとうに過ぎて、二人きりの社内。
 厳しさを滲ませ、一心不乱にモニター画面を見詰めるその横顔に、デスクから声をかけた。
 ああ、とキーボードを叩く手を止めることもなく、生返事が返ってくる。
 もう一度、声を強めて呼びかけた。
「御堂さん」
「…なんだ?」
 御堂が手を止めて、モニターから視線を外しこちらを向いた。御堂の意識を仕事から奪うことが出来て、自然と笑みが唇から零れる。
「少し休憩しませんか?」
「いや、この報告書を早く仕上げてしまいたい」
 間髪入れずに硬い返事が返ってくる。
「そう言わずに、一緒に気分転換でもどうです?」
「気分転換…?」
 御堂は俺の言葉を口の中で復唱した。
 その明晰な頭脳は過去の経験と現在の俺の言動を元に、予想される未来を瞬時に弾きだしたらしい。眉間にしわが寄った。
「断わる。君一人で気分転換とやらをしたまえ」
 そう言い放つと、貴重な時間と意識を俺に割いてしまったのを後悔するがごとく、猛然とキーボードを叩きだした。
 少しの間、御堂を見詰めていたが、当の本人はこちらを一顧だにする気配はない。
 仕方がない。
 デスクから立ち上がり、自分のプレジデントチェアを御堂のデスクの前まで転がして移動させた。
 御堂のデスクを挟んだ向かい合わせの位置にチェアを置いて、そこに腰を掛ける。
 御堂のキーボードを叩くスピードが遅くなる。モニターに向けている視界の端で俺の不審な動きを伺っているようだ。
 御堂に視線を送りながら、おもむろにスラックスの前を寛げ、下着の中に手を差し込んだ。さすがにここまで来ると、ぎょっとしたように御堂が俺に顔を向けた。
「何をしているんだ」
「気分転換です。……一人で」
「そんなことは密やかにするものだ。こんなところでするな」
「そんなことってどんなことですか?」
「…うるさい。私の視界に入ってくるな」
「俺のことはどうぞお構いなく」
 中断していた作業を再開する。目の前の御堂を頭の中で脱がせつつ、自分のペニスに指を絡める。目の前の本人を題材にして自慰をするというのは、背徳感が脊髄を這いあがり、快感を煽る。
 短く継ぐ息に熱がこもっていく。
 御堂のキーボードを叩く音が止まった。ダン、とデスクに両手をついて勢いよく立ち上がる。
「佐伯!」
「いいところなんで、邪魔しないでもらえますか」
 御堂の端正な顔が、怒りと羞恥に赤く染まっている。
 その顔に見惚れた。
 初めてこの人の顔を見た時は、本心を伺わせない冷ややかな表情が張り付いていて、顔の神経が何本か切れているんじゃないかと思ったものだ。だが、実際は多彩な表情を持っていることを知っている。
 御堂の怒りを気にも留めず、ねっとりとした視線を絡ませていると、御堂が唇を噛んで悔しそうに横を向いた。
「分かった。…私もその気分転換とやらに付き合う」
「いいんですか?」
「このままでは仕事にならない。…さっさと終わらすぞ」
 最後の一言が気に食わないが、それでも御堂をこちら側に引きずり込むことが出来てほくそ笑む。
 御堂がデスク脇の自分の鞄に手を伸ばした。
「ただし、これを使ってくれ」
「ゴム…ですか」
 鞄の中から取り出したコンドームを差し出される。その手つきは小慣れている自然さで、俺は無意識に眼差しがきつくなった。
「御堂さん、いつもゴムを持ち歩いているんですか?」
 口調が詰問調になる。その俺の気配を感じ取ったのか、御堂が取り繕うように付け足した。
「…自衛のためだ。君はいつでもどこでも盛るからな」
「俺が責任もって処理しますよ。それでも気になるなら、俺の部屋のシャワーを使えばいい」
「それが嫌だから、頼んでいるんだ。…この報告書を今日中に仕上げたい」
 御堂の言いたいことは分かった。どうしても、仕事に戻りたいらしい。
 それでも、ゴムを使う事を渋っていると、御堂が口調を強めた。
「使わないなら、しない」
 そう言われて不承不承、頷く。
「あなたが着けてくれるなら使う」
「分かった」
 嫌がるかと思いきや、あっさりと御堂は了承した。ゴムを持って俺に近付くと俺の前に跪き、俺のペニスを擦ってしっかりと勃たせる。
 そして、ゴムをパッケージから取り出すと、手際よく俺のペニスに装着する。
 ゴムを扱うその仕草一つ一つでさえ、優雅と言えるほどに手慣れていてぶれがなく、その所作から御堂の過去が透けて見えた。
 胸の中にどろりとしたものが噴き出してくる。
 俺も手際よく御堂の下着も含めて、御堂の下半身を全て脱がす。そして、御堂のデスクに伏せさせ、片膝をデスクの上に乗せさせた。これで、必要なところが余すところなく俺の前にさらけ出された。
 御堂が含羞に喘いで、顔を伏せた。
「こんな格好…っ」
「俺の方を向いて」
 その恥じらう顔を見たくて、肩越しに振り向かせる。
 眸を潤ませ目元を朱に染めたこの色っぽい顔も、かつて、他の誰かに見せたのだろうか。
 一度、御堂の過去に捉われるとどうしようもなく昏く粘ついた感情が心の奥底に渦巻き、苛立ちを生む。
 腰を引き寄せ後孔をほぐすと、ゴムに塗されている潤滑剤を利用して、ぐうっと大きく腰を入れた。
「うっ、あ、ああっ」
 わだかまる想いに衝き動かされるように、隘路を穿つ。その圧迫感に御堂が苦しげな声を上げた。薄いゴム一枚隔てるもどかしさも相まって、逃げようとする御堂の腰を押さえつけて深く突き入れた。
「んんっ、ふ…、あ…っ」
 いささか乱暴なこの行為にも、次第に御堂の呼吸が上がり、劣情に喘ぎだす。
 そんな御堂を見ながら、無言で腰を激しく揺する。最中にゴムを外して中に出してやろうか、という邪な誘惑にかられた。
 その時だった。
「佐、伯」
「何ですか?」
 俺の名を切れ切れに呼ぶ声に、上体を深く折り曲げ顔を近づけた。
「さえ…きっ、…いいか?」
「はい?」
 聞き取れずに聞き返す。
「気持ち…いいか?」
 御堂の伏し目がちの長い睫毛が微かに震える。その顔は頬を紅潮させながらも、行為に耽る陶然とした表情ではなく、うっすらと不安を滲ませていた。
 虚を突かれて返事に詰まり、一瞬遅れて、この問いは俺への気遣いなのだと気が付いた。
 胸に閊えていた想いがあっという間に凪いでいく。
 代わりに衝き上げてくる狂おしいほどの愛しさに、耳元に口を寄せて囁いた。
「ええ、とても」
「そうか…」
 俺の返事に、御堂は安堵したようにふっと息をついて、柔らかく目を閉じた。そのまま与えられる官能に身を委ねだす。
 ああ、そうか。
 この人を愛するという事は、この人の過去も愛することだと思い知る。この人の過去がこの人の現在を作り上げているのだから。
 ゴムを扱い慣れしているのも、ゴムを使う俺を気遣うのも、同じところに端を発しているのだ。
 甘ったるい気持ちに包まれながら、自分の素直な気持ちを伝える。
「孝典さん、愛していますよ」
 俺の言葉に、その唇がふわりと優美な弧を描く。
 それをずっと鑑賞したいという望みと自分のものにしたいという欲望が拮抗し……欲望に負けた。
 その顔を指で掬い、目一杯、俺の方に向けさせて唇を貪ると、二人の到達点に向けて大きく律動を再開した。

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