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Frozen Fever -Burning Blizzard ver.-

 東京の夜は街の灯りに浸食されている。
 窓の外に視線を流しながら、何本目かのタバコを咥え、大きく息を吸った。寝苦しい夜だった。御堂は出張で不在であり、どこか空虚な心を熟ませながら、そのやるせない気持ちを一人持て余していた。
 朝、部屋から出張先に直接向かう御堂を見送った。抱擁をし、キスをし、互いの愛を確認する。いつもの朝の光景だ。愛し合い幸せなはずの二人。それなのに、いつからだろう、御堂の切れ長の眸の奥に、自分に対する憎しみが凝っているのではないかと探ってしまう。
 その漆黒の眸は俺の心を映す。迷いがあるのは自分自身だ。その迷いの原因を作ったのも自分自身の過去の行為が原因だ。御堂に直接訊ねることも出来ず、一人で歪んだ疑心に絡めとられ続けている。
 アルコールでも煽ろうか、とキッチンに向かった。適当な酒を探して棚を漁る。その棚の隅に白い紙袋を見つけた。
――なんだ?
 何気なしに手を取った。それは俺の名前が印刷された薬袋だった。一瞬訝しんで、すぐに思い当る。インフルエンザに罹った時の処方薬の袋だ。
 確か、薬は飲み切ったはず。
 中を覗き込んで、ぞくっと背筋に寒気が走った。中にあるPTPシートには紅色のカプセルが並んでいる。
 そのPTPシートを取り出した。1カプセル分空になっていた。
 このカプセルを口にした時に見た夢が、鮮烈に蘇った。俺を見詰める冷徹な眼差し、身体に触れる冷たい指先、そして体内に注ぎ込まれた憎しみという名の凍えた熱。
 そうだ、あの夢が猜疑の種を俺に植え付けたのだ。昏い過去を栄養にして育ち、その根を深いところに張り巡らせ、心を翳らせる。
 身体の奥がじわりと疼いた。一粒、カプセルを取り出した。ごくり、と溢れる唾液を呑み込んだ。
 カプセルを口に含み、水で臓腑に流し込む。
 そして、ソファに座って、“彼”を待った。

 しばらくして、リビングの扉が開いた。そのスーツ姿の人物が姿を現した途端、空気が緊張感を持って張りつめた。
「あんたを待っていたよ」
 俺の言葉に御堂は俺の方に顔を向けた。悠揚と佇む美しく高慢な男。やや吊り上がり気味の眦、漆黒の双眸が、感情も体温も載せずに凍てついた視線で俺を射抜いた。
「来い」
 その言葉に従い、御堂の元に歩み寄る。距離をゆっくりと詰めて後一歩のところで、足を止め、冷ややかな色気を滲ませる顔を見詰めた。
「…あんたは幻だ」
 その言葉は自分自身にも言い聞かせるものでもあった。俺と対峙している目の前の御堂が本物であるはずがない。俺の恐れと不安が具現化しただけの存在であるはずだ。
 だが、俺の言葉が聞こえないかのように、御堂の顔はぴくりとも動かない。形の良い唇を少しだけ開いた。
「脱げ」
 シャツのボタンを外し、ベルトに手をかける。最小限の動きで衣服を全て脱ぎ捨てた。
「あんたは本物の御堂ではない」
「跪け」
 御堂の前に片足ずつ立て膝を着いて、頭の位置を下げる。
「朝になれば夢から醒める」
 言葉も表情も威厳を保ち、御堂は動じることはない。御堂が俺を見下ろし、俺も御堂を見上げる。俺と御堂の間に生まれた静寂が室温を一度下げた。
 御堂は俺を睥睨しながら、ゆっくりとその唇の端を歪めた。
「その夢の中の幻に、お前は何を縋ろうとしているんだ?」
 冷たい指先が俺の顎を掬う。蔑みの視線が降ってきた。
「反抗的な目だな。それでいて、私に何をされるのか、と期待している。下賤な男だ」
 次の瞬間、目の前に火花が散り、頭がぐっと右側に曲がった。左の頬を張られたのだ。口の中が切れ、鉄の味が広がった。その衝撃も痛みも、確かな実体を持って俺を襲った。
「どうだ?目が覚めたか?」
「…ああ」
「私は貴様が求めるものなど何も与える気はない。貴様のお遊びに付き合う気もない」
 ぐらつく頭の芯をなだめながら、ずれた眼鏡のブリッジを押し上げ、元の位置に戻す。
 御堂の手が再び上がった。再びぶたれるのか、と観念して目を閉じる。眼鏡を外しておけばよかった、とちらりと後悔したが、幸い二度目の衝撃はなくその手は頭に置かれた。前髪を掴まれて前を向かされ、顔を上げさせられた。
「これは償いのつもりか?これで、過去が塗り替えられると思ったか?貴様が赦されるとでも?どこまで貴様は傲慢なんだ」
 御堂が一つ一つ俺の退路を断っていく。
「以前、お前が言っていたな。私は人に虐げられたことはないだろう、と。ならば、問う。お前はあるのか?貶められ、辱められ、全てを奪われた経験が?」
「…いいや」
「お前は他人を徹底的に踏み躙っておきながら、そんな立場になるとは想像もしたことがないのだろうな」
 くつくつと御堂が嗤う。
「私もかつてはそうだった。だが、お前のおかげで経験できた。礼をしないとな」
 その唇が淫靡に吊り上がり、目に嗜虐の光が滲んだ。犯された感覚が蘇り、身体の深いところがぎゅっと収縮した。御堂は続けて俺に命じた。
「両手を後ろに回せ」
 言われた通りに両手を背中に回すと、背後にまわった御堂に手を拘束された。肩越しに振り返れば、革の拘束具が手首にきつく巻き付いていた。
「私に奉仕しろ」
 目の前に御堂が立ち、ベルトを外し、鉤ホックを外す。そこまでして両手を降ろした。その手の動きを眼で追っていると冷たい声が降ってきた。
「早くしろ」
 御堂の意味するところを知り、御堂の股間に顔を寄せて歯でファスナーのスライダーを噛み、引き下げる。スラックスの前を寛げ、アンダーのゴムの縁を唇で食んで、引きずり下ろした。苦戦しながら、何とか御堂の性器を出す。垂れたままのペニスを口に含んだ。舌先に、御堂の体温が触れる。
 唾液で丹念に潤し、尖らせた舌でその輪郭を辿り、小孔をくじりつつしゃぶる。
 両手が使えない状態で硬さのない性器を舐めるのは存外難しい。上体のバランスを保つために腹筋に力を入れた。
 徐々にペニスが芯を持ち始めた。唇を窄めて、茎を締め付ける。硬さを持ち、張ってきたペニスに口内を圧迫され、生々しい潮の味を感じた。舌を動かす度に唾液が口の端から滴った。
「もっと深くだ。喉を拓け」
「ふっ…はっ、」
 両手で頭を抑えられる。御堂が10本の指で俺の頭を掴み固定すると、自ら腰を使いだした。喉の奥を突かれ、息苦しさに口を大きく開く。
「私を見るんだ」
 レンズの縁越しに視線を上げれば、御堂の昏い眸の中に取り込まれる。冷徹な視線が頭の芯を痺れさせていった。
 御堂はひとしきり、俺の口内を犯すと、ズッと性器を口から引き摺りだした。次の瞬間、顔に熱いしぶきを感じた。粘ついた熱い液体が強い精臭と共に顔に散らされる。眼鏡のレンズにも飛び散り、その周囲が一瞬曇った。
 俺は御堂を見上げながら、口元についた精液を見せつけるように舌でペロリと舐めあげた。
「濃いな。溜まっていたのか?」
 俺の言葉にクッと御堂が喉を震わせて笑った。長い指が頬に伸び、付いていた精液を拭い取ると俺の下唇に指が置かれた。
「舐めるんだ」
 言われた通りにその指を食み、綺麗に舐めとる。ちゅぱちゅぱと音を立てて吸い上げると、御堂が昏い愉悦を浮かべた表情で、目を眇めた。
 指を俺の口から引き抜くと、取り出したハンカチで自分の指を拭い、ついでの手つきで俺の顔を拭った。
「いい子だ。褒美がほしいか」
「ああ。あんたがくれるものなら何でも貰う」
「そうだな。私がお前から与えられた恥辱をそっくりお前に返そう」
 御堂は冷ややかな笑みを深めた。後ろ手に拘束されたまま、立たされてベッドルームまで前を歩かされる。
 ベッドサイドまできたところで、背中を突き飛ばされ、ベッドマットに上体を突っ伏せた。身体を捩じって、ベッドにずり上がりつつ、御堂の方に向き直った。互いの視線が拮抗する。目の前の美しい男に訴えた。
「俺はあんたを愛している」
「私はお前のことなど愛していない」
 間髪なく硬い声で返される。ベッドサイドで御堂がスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイのノットを緩めた。
「ほら、這ってみせろ」
 動かずに御堂に視線を向けたままでいると、ベッドに上がってきた御堂に乱暴に肩を掴まれ、うつ伏せにされた。肩を押さえつけられたまま腰を高く掲げさせられる。背後の見えない相手に、動物のような格好で秘所を晒すこの姿勢は思っていた以上に屈辱的だった。
 御堂は自身のペニスにジェルを塗り付けると、俺の腰をぐっと掴み引き寄せた。双丘の狭間に、硬く熱い肉塊を感じた。窄まりに、ぬらつく亀頭があてられた。
 まさか、解しもせずにそのままねじ込む気だろうか。身体が強張った。
「どうした?今更、怖気づいたか?」
「そんなことはない」
 これが御堂の俺に対する怒りだとするなら、受け止めよう。そう覚悟すると、出来るだけ身体の力を抜いて、次に来る衝撃に備えた。それでも、質量のある異物が蕾をぐっと割った時には、その痛みと圧迫感に息を詰めた。
「ん――っ」
「二度と忘れられないように、身体に刻み付けてやる」
 呻き声を殺すために、目の前のクッションに噛みつく。裂けた感触はなかったが、身体を割り拓かれる苦痛に、骨が軋み粘膜が悲鳴を上げた。
 そのまま、ずくずくと内腔を深く蹂躙されていく。根元まで力任せにねじ込み、御堂は愉悦まじりの息を吐いた。
「お前は、私に犯されれば罪が消えるとでも思っているのか?卑怯で愚かな男だ」
 浅いところまで引き抜かれ、ぐっと深く抉られた。その圧迫感に声が息に混じって漏れる。
「そのくせ、感じているんだな。ここをこんなに硬くして」
 張りつめていた俺のペニスの根本をぎゅっと掴まれ、その痛みに身体が戦慄いた。
「お前…だからだ」
「何だ?」
「お前以外には抱かれる気もないし、感じたりもしない」
「相変わらず口だけは達者だな」
 黙れと言わんばかりにベッドに頭を強く押さえつけられた。肌とベッドマットに挟まれた眼鏡のフレームが撓んで、肌に食い込む。
「貴様は私に何をした?言ってみろ」
 頭を押さえつける手が僅かに緩んだ。首をぐいと捩じり、肩越しに御堂を見上げる。
「俺は、あんたを、閉じ込めて、犯して、壊した」
「…そうだ。貴様も同じ目に遭えばいい」
「あんたにそうされるのなら、本望だ」
 くっと、御堂の喉の奥が鳴ったと思ったら、一層強く頭を押さえつけられた。その力に俺に対する憎しみの深さを知った。
「貴様は、私が幻だと思っている。だから、そんなことを言えるのだろう。本当はそんな覚悟も度胸もないくせに」
 御堂が上体を屈めて、俺に顔を近づけた。首筋を、荒く熱い吐息が撫でる。
「私はお前を憎んでいる。殺したいほどにな。赦したりなどするものか」
 死刑宣告をするように、ゆっくりと厳かな声で告げられた。俺はその言葉を余すところなく全て、受け止める。
 その上で、下半身を穿たれたまま、自由にならない上体を目一杯捩じり、御堂の方を向く。間近にある顔の、その冷たい光を湛えた双眸をひたと見詰めた。
「赦してくれなくていい。俺はお前の憎しみを全て受け止める」
 御堂の眼が見開かれた。初めて御堂の揺らぎない表情に僅かな歪を入れることが出来て、込み上げる愉悦と共に俺の気持ちを率直に伝える。
「お前を愛している。俺のものになれ。御堂」
 御堂の顔が大きく歪んだ。そこにあるのは憤りだろうか、憎悪だろうか。そんな御堂とは反対に、俺は笑みを浮かべた。
「俺は、強欲なんだ。お前の全てが欲しい。お前が幻であっても欲しいんだ。その憎しみごと全て俺に委ねろ」
 そう言いつつも、俺は奇妙な感覚に囚われた。今、俺を犯している御堂は、本物の御堂ではない。だが、俺はこの御堂を知っている。この御堂は幻のようで、幻ではない。
 それでも、俺はこの御堂を逃す気はなかった。
「御堂、好きだ」
 壊れたスピーカーのように、その言葉を囁き続ける。
「黙れ。お前の空言などこれ以上聞く気はない」
「…くっ」
 御堂が苛立ったように俺を責め立てた。その激しい律動に声が震えつつも、口を閉じる気はなかった。
「愛している」
「煩い。私を怒らせるな」
 ベッドに頭を押し付けても黙る気のない俺に腹を立てたのか、前髪を掴まれ、ぐっと顔を反らされた。首が仰け反り、顎が引き攣れる。その乱暴な所作は、御堂の余裕が失われつつあることを示唆していた。俺は喉を震わせ、笑い声に似た音を作った。
「俺を…黙らせたいなら、猿轡でもギャグでも噛ませればいい。…息の根を止めれば、もう二度と口を開いたりしないぞ」
「黙れっ!」
 さらに髪を引っ張られ、顔を背後に向かされる。無理に首を捻じ曲げられ、筋が引き攣った。
 自分の肩越しに御堂の顔が見えた。
 俺に激しい憎しみをぶつけるその美しい顔に見惚れる。俺がどうあがいても、この人の美しさと気高さは損なわれることはない。俺は学んだのだ。力ずくではその荒ぶる高貴な魂に近付くことさえかなわない。その魂に触れるためには、ただひたすらに愛を捧げるしか方法はないのだ。
 更に愛を伝えようとしたとき、唐突に唇を塞がれた。キスと言うには激しすぎる熱量をぶつけられる。勢いよく歯が当たり、唇が切れ、血が流れた。その血を二人で啜り、噛みつき合うようなキスを交わす。
 口から生まれる濡れ音が律動で生じる音に重なり、響き合う。その淫猥な音の中で、昂ぶった身体が撥ねて達した。その内部の痙攣に絞られたのか、御堂も俺の中に欲望を叩きつけた。
 ずるり、とペニスを引き抜かれ、身体を解放された。
 ベッドに沈み、荒い息をついて酸素を全身に取り込む。背中に御堂の重みがかかっていたが、ふっと軽くなった。御堂の手が俺の背中に伸びて、両手の拘束を外された。
 自由になった手を使い、身体を返して御堂に向き直った。闇を凝らせたような漆黒の眸が俺を射抜く。その眸は俺の心を映す。もう迷いはない。
「これで、やっとあんたを抱きしめることが出来る」
 そろり、と両手を広げて、御堂を包む。さも嫌そうに御堂が身体を捩じったが気にせず抱きしめ続けた。
「お前は俺だったんだな」
 俺はやっと思い出したのだ。目の前にいるこの男のことを。
 御堂を解放したとき、憧憬によるものか、罪の意識によるものか、俺はその気高く孤高の魂を自らの魂の一部に映しとった。
 それから御堂と再会するまで、俺の傍らには常にこの御堂がいて、俺を責め苛みその想いを掻きたてた。だが、本物の御堂が俺の下に来たとき、俺は自分の中にいたこの御堂を捨てた。正確に言えば、封印して、意識の奥底に沈め、忘れ去ったのだ。
 どこまでも俺は身勝手な男だった。自分に添っていた存在をこうもあっさり記憶から消し去っていたのだ。苦い想いに胸を焦がされながら、目の前の御堂の顔を覗き込んだ。
「俺はお前のことを二度と忘れたりしない。これからも愛し続ける。だから俺のものになれ」
「都合のいい男だな。私はお前を憎み続ける」
「言っただろう。憎しみごとお前を受け止める」
 御堂の柳眉が顰められた。苛立ちと怒り、相半ばの感情を持て余しているようだ。その感情の隙間に付け込もうと抱きしめる腕に力を込めた。
 静かな声で御堂が呟く。
「私はお前の中の存在にすぎないのだろう。私を手に入れたとしても、それはお前の自己満足に過ぎない。現実は何も変わらない。お前は何一つ赦されない」
「いいんだ。自分の心さえ自分のものに出来ないのに、他人の心を手に入れられるわけないだろう」
「これはお前の単なる自慰行為だな。虚しくないのか」
「自慰というなら、俺を気持ちよくさせろ」
「馬鹿め。勘違いするな。お前が私に尽すんだ」
「ああ」
 皮肉めいた笑みと共に俺に注がれる眼差しは、欲情が滲んでいた。抱きしめていた腕を解くと、御堂がネクタイに指をかけ、シュッという衣擦れの音と共に引き抜いた。
 俺はシャツの襟元に手を伸ばし、その身体を引き寄せた。荒々しく互いの肌をまさぐりながら、唇を貪る。御堂の服を脱がしながら、撓る身体を押さえつけ肌を重ねた。その肉体の中に深く突き入り、俺の存在を馴染ませ刻み付ける。上擦った喘ぎと共に息を弾ませながら、御堂は俺を受け容れた。激しい淫蕩にぐずぐずに溶けてしまいそうになりながら、身体の位置を入れ替え、相手の中に自分を、自分の中に相手を刻み付ける行為に没頭する。
 目もくらむような悦楽に翻弄されながら、御堂の耳元に口を寄せた。
「お前を愛している」
 御堂の濡れた眸が向けられた。しどけなく開かれた唇から掠れた声が響いた。
「…私は…お前のことが…、」
 その先の言葉が御堂の口から紡がれることはなかった。いや、紡がれたものの俺には届かなかったのかもしれない。それでも十分だった。愛されようが憎まれようが、その全てを受け容れると心に決めたのだから。
 互いで快楽を高めあい貪り合う。淫らな二匹の獣のように激しく交わる。俺が御堂になり、御堂が俺になる。混然と融け合って、一つになる。
 魂が震えた。
 ついに、俺は自分の中の御堂を俺のものにしたのだ。

 朝、インターフォンの音で起こされた。
 跳ね起きて慌てて周囲を見渡すも、隣に御堂の姿はなかった。
 まるで初めから何もなかったかのように、俺一人分の痕跡しか残されてなった。
 玄関に向かいドアを開ければ、出張帰りの御堂がスーツ姿で凛然と立っていた。御堂に向かって微笑んだ。
「お帰りなさい」
 御堂は、ただいま、の代わりに、優しい笑みを整った唇に刷いた。
 その身体を腕で包んで、部屋の中に抱き寄せた。唇を重ね、離れていた距離と時間を埋める行為に夢中になる。
 息継ぎがてら顔を離し、その双眸を覗き込めば、御堂もまた俺の眸を覗き込んだ。
 御堂の漆黒の眸の奥に、美しく高慢な彼の姿を視る。
 その熱をひしと腕に抱きながらも、胸の奥底が僅かに軋んだ。

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