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In Cold Blood

 その日の光景が今も瞼の裏に焼き付いている。

 痣だらけの裸の身体。土気色の顔。手足は不自然に曲がったままピクリとも動かない。
 目は薄く開かれていたが、瞳孔は動かず焦点の合わない瞳。
「御堂!?」
 咄嗟に駆け寄って、身体を揺すった。何の反応もない。冷たくなった身体だが、わずかに体温が残されている。上半身を抱え起こした。筋肉の緊張が全く感じられず、ぐらりと頭が後ろに仰け反る。力なく開いた唇に指を這わすと、微かに規則正しい呼吸を指先に感じた。
「おいっ!!御堂!!!」
 肩を掴んで揺すった。だが、首がぐらぐら揺れるだけで、息をのむことも身を竦ませることもない。開かれた目は何も映さず、何の感情も宿さなかった。
「御堂……」
 呻くように呟いた。自分の腕の中で、何の反応も示さない、微かに温かい人の形をした物体を唖然と見下ろした。

 どれくらいの時間、そうしていたのだろうか。ゆっくりと御堂を床に横たえた。
 ごとり、と床に置かれた頭が横に向く。薄い胸板がわずかに上下し、呼吸をしていることを示す。
 手足の拘束具と鎖を外す。改めて自分の目の前に横たわる身体をみた。酷い状態だった。
 痩せた身体の全身に余すところなく、鞭や拘束具の痣が新しいものから古いものまでついている。無傷なのは顔ぐらいだ。
 下半身には乾いた体液がこびりついている。昨夜の凌辱の跡だ。
 御堂の萎えた性器に手を伸ばし、軽く掴んで擦り、刺激を与えてみるが全く反応を示さなかった。
 こうなることを予感していたのではないのか。
 監禁し凌辱し、いくら嬲っても、御堂は自分に屈することはなかった。後に退けなくなり、次第に行為がエスカレートしていった。
 ある日、涙を流して震えながら助けてを求めてきた御堂を更に凌辱した。その日を境に、御堂の反応が乏しくなった。それが逆に癇に障り、御堂の反応を引き出すためにより酷い行為に手を染めていったのだ。
「御堂……御堂……」
 何回目の呼びかけだろう。自分の声が震えていることに気が付いた。
 よろめきながら立ち上がった。洗面所に向かい、新しいタオルを手に取り、熱いお湯で絞って持ってくる。
 御堂の身体をきれいに拭く。身体を拭くために手足を持ち上げても、ただ重く、手を離した瞬間に重力に従い落ちるだけだった。
 濡れたタオルで拭いたせいか、徐々に御堂の身体が冷えてくることに気付いた。急いで、バスタオルを取ってきて、御堂の身体を包んだ。このままだと身体が冷え切ってしまう。
 御堂を抱え上げた。緊張をなくした身体はぐにゃりと曲がり、自分の腕からこぼれ落ちそうになる。しっかりと抱えながら、ベッドに運んだ。
 ベッドの上に御堂を横たえバスタオルの上から毛布でくるむ。自分が何をしたいのか分からなかった。
「御堂……ぅっ、あっ」
 自分から嗚咽が漏れていることに気が付いた。
 救急車を呼ばなくてはいけない、頭では分かっていた。だが、動けなかった。
 こうなってもまだ御堂を手放せなかった。自分以外の誰にも御堂を触らせたくなかった。
――俺は、御堂をこうしたかったのだろうか……違う……ただ、俺は一緒に……
 高慢さと気丈さを兼ね備え、そして誇り高かった御堂、そんな御堂をどうしても手に入れたいと思った。
 涙が溢れた。自分の本当の望みに初めて気が付いた。膝から力抜け、ベッドの横にへたり込んだ。
「俺は……あんたが好きだった」
 なんでこんな簡単なことに気付けなかったのだろう。あふれ出る涙をぬぐうことも出来なかった。
「うあーーーっ!!」
 ベッドに横たわる御堂の傍に顔を埋めて叫んだ。声が枯れるまで息が出来なくなるほど叫び続けた。そのまま意識を失った。

 朝の光が差し込む。重い瞼を開いた。ベッドに顔を埋めたままの姿勢だった。
「御堂…?」
 目の前で横たわる御堂に声をかけて顔を覗いた。反応はない。薄く開かれた唇と目。時折瞬きをするが、反射以外の何物でもない。
 わずかなアンモニア臭に気付いた。御堂の毛布をめくる。身体を包んだバスタオルに少量の失禁の跡があった。
 生物としての最低限の機能は残されているのか……。
 ぼんやりと御堂を見下ろした。昨日よりは若干冷静になっていた。もう一度御堂の全身を眺めた。
 身体に手を這わす。乾燥しかさついた肌だ。手を滑らせ、唇に触れた。呼吸に伴いわずかに動く。
 そのまま口の中に指を差し入れた。噛みつかれることもない。口内の粘膜や御堂の舌に触れ、気付いた。口の中も乾燥している。
 そういえば、尿の量もかなり少ないのではないだろうか。
 思えば、昨日の朝から御堂は水分も食べ物も何も摂取していない。
――このままだと脱水で死ぬ。
 御堂が死ぬかもしれない、その想像は恐怖をもたらした。
 慌ててキッチンに行き、コップに水を注ぐ。御堂の上半身を抱き起し、ぐらりと倒れる頭を支えた。
 口に水を含ませる。開いた唇の端から水が伝いこぼれたが、反射で嚥下し、水を飲み込むのが見て取れた。
 コップ一杯の水を飲ませ、一息ついた。再度ベッドに横たえ、尿で汚れた下半身を拭く。
 ふと会社のことを思い出した。とても出勤する気にならない。電話をかけて急病で欠勤することを伝えた。
 再び御堂を見下ろした。
 本当にずっとこのままなのだろうか。
 もっと刺激を与えれば目を覚ますのではないだろうか。
 一縷の望みをかけて、自分のシャツのボタンを外し衣服を脱ぎ捨てた。
 ベッドの上の御堂に覆いかぶさる。ひんやりした肌が触れる。
 首筋に唇を這わし、指で御堂の胸の突起をつまんだ。
 一切の反応はない。今までみたいに、息をのんだり身を竦ませることもない。
 手を下腹部におろし、御堂の性器に刺激を与えつつ、奥の窄まりに触れる。
 何の反応もなかった。
 ベッドサイドテーブルの引き出しに閉まってあったワセリンを取り出し、指ですくう。
 そのまま指を御堂の後孔に差し入れた。反射で指が締め付けられる。だがそのまま動かさずにいると、締め付けが緩んだ。指を二本差し入れて後孔をほぐす。
 片手で御堂の足を掴んで膝を立てさせた。しかし、手を離した瞬間に、膝が崩れる。
 御堂の足を折り曲げ、胸につけ、崩れないよう、自分の上半身で抑えた。
 全く気持ちが昂ぶらなかったが、自分自身を手で擦り無理やり硬くした。
 御堂の後孔に位置をあわせ、腰をぐっと入れた。
 その衝撃に御堂の身体が揺れた。ただ揺れただけだった。
 腰をグラインドさせるたびに御堂が揺れる。表情が変わるわけでもなく、四肢が動くわけでもない。その眼は虚空を見つめたまま、嫌がる素振りも感じる素振りもなかった。
「御堂……」
 再び涙が溢れた。涙はそのまま流れ落ち、御堂の身体に滴る。
――…御堂は壊れた。俺が壊した。
 すっかり萎えてしまった自分自身を御堂から引き抜いた。
「すまない……すまない……」
 嗚咽を漏らし、御堂をかき抱いた。強く抱きしめても御堂は微動だにしない。
 素肌を通して伝わってくる御堂の鼓動もリズムが乱れることはない。
 謝罪の言葉が伝わることもないだろう。

 ひとしきり嗚咽を漏らして、体を起こした。
「身体、拭きますね」
 御堂に向かって呟いた。自分の涙で濡れた御堂の身体をぬぐう。
――…そうだ、食事。
 御堂にまだ食事をとらせていないことを思い出す。先ほど、コップ一杯の水を飲ませただけだ。
 だが、反射で嚥下するだけの御堂に何を食べさせればいいのか分からなかった。
 再びコップに注いだ水を御堂に飲ます。御堂はおとなしく嚥下する。
 液体状のものなら摂取できるのだろうか。
 以前営業で訪れた店で、摂食機能が低下した高齢者用に、液体状の栄養剤が取り扱われていたのを思い出した。確か、介護用品も取り扱っていたはず。
 急いで服を着た。御堂をベッドに横にし、声をかける。
「食事を買ってきます。少し待っていてください」
 返事はない。御堂の身体が冷えないように、汚れないように、バスタオルでくるみ毛布をそっと上から掛けた。

「ただ今戻りました」
 思いつく限りの介護用品や食事を購入して御堂の家に帰宅した。
 御堂はそのままの姿勢で、ベッドの上で克哉を待っていた。
 下腹部を見てバスタオルが汚れていないことを確認した。
 介護用の排泄ケア用品を下半身にあてる。
 着脱しやすいように前開きの浴衣状の寝巻を着せた。
 久々に身に着けさせたものが介護用品だなんて、プライドの高い御堂が知ったら怒るだろうな、と微かに苦笑した。
 御堂を抱き上げて、リビングのソファに移した。
 座らせようとしたが、身体が崩れる。やむなくクッションを使って身体を支えた。
「食事にしましょうか」
 先ほど購入した流動食を皿に移し、スプーンで御堂の口に含ませた。
 反射で嚥下する。与えれば与えるだけ飲み込んだ。その姿に安堵する。
「好みの味があったら教えてください」
「……」
 規則正しい呼吸音だけが響く。
 食事をとらせて、御堂の口元を優しく拭った。
 御堂の隣に座った。御堂の方を向いて肩に手を回しそっと身体を引き寄せる。
 抵抗なく素直に御堂が自分にもたれかかった。ぐらりと頭が倒れ、自分の肩に顔を埋める。
「御堂さん」
 耳元で囁いた。
「御堂さん、愛しています」
 身体を優しく抱きしめた。布地を通して御堂の温もりが微かに伝わってくる。
「最後まで俺の我儘を通させてください。…ずっと傍にいさせてください」
 御堂のガラス玉のような瞳をのぞき込んだ。
 その瞳に克哉の顔が映り込むが、何ら焦点が合う気配はない。御堂が瞬きをする。
 それは単なる反射によるものだと分かっていたが、何か御堂が反応したようにも感じられた。
「御堂さん、俺の全てをあなたに捧げます」
 あなたと生死を共にする、そう決意を込めて囁いた。自分勝手なことは十分承知していた。それでも御堂から離れることは出来なかった。
 好きだ、愛している、今まで御堂に向かって発したこのない単語を呟き続けた。
 自分の身に流れる冷たい血液に御堂の温もりが徐々に伝わる。
「御堂、好きだ」
 何度目かの愛の言葉を囁いた。
 ただただ御堂の体温を感じていたかった。御堂の身体を静かに強く抱きしめた。

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