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Follow Your Heart

「社長。ご無沙汰しております」
 会社にかかってきた電話。受話器の向こうから響く声に、懐かしさと驚きを感じつつ、御堂は挨拶を返した。軽く閉じた瞼の裏に、以前在籍していたオフィスの光景が広がる。
 電話の向こうの相手は、L&B社の社長だった。MGNを辞めた後、御堂を熱心に誘ってくれたのはこの社長だった。結果として一年間で辞めることとなったが、最後の最後まで御堂に目をかけてくれた、頭の上がらない人物だ。
 久々に今夜一緒に食事でもどうだね、そう誘われて、御堂は一も二もなく了承した。
 電話を切って、はたと気が付いた。
 この件を克哉に伝えるべきかどうか。

 その日の夕方、ミーティングルームでの打ち合わせを終えて、社員が部屋を出ていく中、克哉を呼び止めた。部屋の扉を閉めて、克哉にL&B社の社長と夕食を約束したことを告げる。
 予想通り克哉は渋面を御堂に見せた。
「L&B社の社長?」
「ああ」
「確か、あんたを随分と買っていたな」
 探るような克哉の視線が向けられる。
「要件は何だ?本当に食事だけなのか?どこで食べるんだ?」
「君は私の保護者か?」
 克哉の詰問口調にうんざりとした態度で答える。
 黙ったまま行って後から責め立てられることを考えると、事前に一言告げておこうとしたのだが、案の定だ。
「私には、君抜きで食事に行く自由もないのか」
「相手の男が気になるんだ」
「私を信用していないのか」
「信用していないわけじゃない」
「君のその物言いは、私を疑っているようにしか聞こえない」
「心配しているんだ。あんたは隙があるからな。世の中にはあんたの想像を上回るような悪い人間がいるんだ」
「安心しろ。それはお前のことで、私はお前と約束したわけではない」
 自身が鬼畜だということは克哉も自覚している。だが、克哉は自身が史上最高の鬼畜だと自負するほど不遜ではない。自分みたいな鬼畜がいるのだから、世界にはそれ以上の鬼畜がいるだろうという謙虚な推測による、至極真っ当な配慮だ。
「俺も一緒に行く」
「馬鹿を言うな。己の立場を考えろ」
 克哉は御堂を引き抜いた側だ。
 勿論、克哉の誘いを受けたのは自身の判断だし、そのために急な退職をすることになった道義的な責任は自分にある。
 だが、そうは割り切れないのが人間社会だ。御堂を翻意させようと必死だったL&B社の社長は克哉に対して良い印象は持っていないだろう。
 それに、御堂としては自分が辞めた後のL&B社がどうなっているか気にもなっていた。部下に引き継いだやりかけのプロジェクトもいくつもあった。他社の内部事情を克哉の前で詳らかに聞くことはできない。
「お前に詮索されるような関係はない。それに、あの人には恩義がある」
 睨み付けて言い切ると克哉はむすっと押し黙った。
 そもそも、L&B社と御堂を結びつけることになったのは、克哉が原因だ。
 そこまでは御堂は口にしなかったが、克哉も思うところがあるのだろう。眉間にしわを寄せたまま目を伏せた。
 ややあって、ふうと克哉は大きく息を吐くと、肩を竦めてみせた。
「分かったよ。楽しんでくればいい」
「もちろんそうするつもりだ。それとも、夜、君一人だと寂しいか?」
 御堂も克哉との過去を持ち出すのは本意ではない。
 場の空気を和らげるよう、茶化して言うと、克哉は顔を上げて表情を綻ばした。
「ああ。寂しいね」
 静かに御堂の元に歩み寄る。
「だが、キスしてくれれば今夜は一人で我慢するさ」
 先ほどまでの不機嫌な態度とは打って変わって、その素直で甘えたような言い方に少し引っかかりを感じたが、嫉妬深い男がキス一つで快く送り出してくれるというなら文句はない。
「それならお安い御用だ。…キスだけだからな」
「もちろん」
 取引成立、と顔を寄せてくる克哉に自ら唇を近づける。
 社内ではこの手の行為を極力控えているが、今のミーティングルーム内なら無人だし、キス位は良しとしよう。
 克哉の背に手を回し、唇を重ね合わせて、舌を絡める。克哉に歯列をなぞられ、口蓋をくすぐられた。唾液が混ざり合う音がくちゅくちゅと口内に響く。
 克哉の指が産毛を逆立たせながら、首筋をたどる。そのまま御堂のネクタイのノットに指がかかり、緩められた。襟元のボタンを外され喉元を寛げられる。
「ん……ふっ」
 克哉の唇が御堂の下唇を食む。そのまま下あごを伝い、喉仏を噛みつくように唇を押し当てられつつ舐め上げられ、御堂は喉を反らした。ぞくぞくするような甘い痺れが背筋を走る。
 克哉の舌が首筋を舐めて辿っていく。そして、首の根元まで。克哉が御堂の肩口に顔を埋めた。鎖骨の上をペロリと舌を這わせて吸い上げる。
「んん……っ。あっ!!」
 突如克哉から与えられた強い刺激に、我に返った御堂は克哉を両手で思い切り押し返した。
 後ろに突き飛ばされた克哉が派手に尻もちをつく。濡れた唇を手の甲で拭いつつ、にやりと笑みを浮かべて御堂を見上げた。
「御堂さん、痛いじゃないですか」
「佐伯っ!お前っ!!」
 肌蹴られた首元を手で押さえる。ジンジンと痺れたそこは、鏡を見なくても何が起きたか分かる。
「私にキスマークを付けたな」
 怒りに言葉尻が震える。
「そんなに怒るなよ。ネクタイを締めていれば見えない」
「やっぱり私を信用してないんだろう」
「俺のものだという印位つけておいてもいいだろう。それともなにか?その男の前で、そこを広げて見せたりする機会でもあるのか?」
「お前を信じた私が馬鹿だった」
 憤然と言い捨てて、御堂はハンカチで口元と首を拭い、襟元を手早く整える。
 大股でミーティングルームを後にし、克哉の視線を遮るように大きな音を立ててドアを閉めた。


 その夜、御堂が訪れたのは東京の料亭街に並ぶ店の一つだった。石畳を進み、日本庭園を眺めながら純和風の建物に入る。名前を告げると、奥の小部屋に案内された。
 部屋には既にL&B社の社長が座していた。御堂を見て笑みを浮かべる。
「久しぶりだね。元気そうだ」
「お待たせして申し訳ございません」
 遅刻はしていなかったが、そう言って軽く礼をする。社長と最後に会ったのは半年近く前、L&B社を辞するときだった。40代後半とは思えない若さとエネルギッシュさを兼ね備えた人物だが、以前と比べて、少しやつれた気がしないでもない。
 運ばれてきた日本酒で乾杯をし、軽く近況を交わす。
 お互いの緊張感が解れてきたところで、社長がおもむろに切り出した。
「ところで、今、君のところで輸入食品の展示会のコンペを出しているだろう」
「よくご存じですね」
「うちも出しているんだ」
 それは初耳だったが、L&B社もAcquire Association(AA)社と同様に企画運営を手掛けている。会社の規模の違いから、今までは直接競合したことはなかったが、同じコンペティションに応募していてもおかしくはない。
 ちょうど今日、AA社の企画が最終選考に残ったという連絡が、主催者からきたところだった。
「実は、そのコンペの企画側に知り合いがいるのだが、君のところとうちが最終選考に残っている」
「…それで?」
 話の雲行きが怪しくなる。そのコンペは御堂が企画案を作成していた。最終選考では御堂自身がプレゼンテーションを行う予定だ。
「問題は、その企画案の中身なんだ。君のところのプランとうちの社のプランがよく似ていると、その知り合いから指摘されたんだ」
「まさか……」
 社長から告げられた言葉に猪口を持つ手が止まった。
「その企画を立てたのは誰ですか?」
「君の元部下だよ」
 社長から告げられたその名前は、かつての自分の部下だ。何故、企画案が似通ってしまったのかその理由が分かった。
 以前、同様の食品展示会のコンペにL&B社が参加を検討したことがあった。結局、その展示会自体の企画が流れたため、案が表に出ることはなかったが、その時にチームで検討して出し合ったアイデアの一つを、今回の企画のベースにしていた。
 アイデアと言っても、ラフ案にすらならなかった思いつきに近いレベルの話だ。だが、お互い頭の中にそれが残っていたのだろう。
 一年間チームを組んだ仲間だ。そのアイデアを核にして作った企画が酷似してしまった不自然ではない。むしろ、単なる抽象的な概念に過ぎなかったそれを肉付けし、企画案として最終選考に残るレベルまで具体化したのは、御堂が要求してきたレベルをかつての部下たちが達成したということでもある。
 別々の社で作り上げた企画案が似通ったのは、偶然などではなく、彼らの成長による必然だと考えたい。
 それは喜ばしいことだが、困ったことになった。最終選考のプレゼンテーションで御堂は元部下のチームと闘わなくてはならない。
 表情が強張る御堂に対して、社長は困ったような笑みを浮かべた。
「君にこんなことを言える義理はないことは分かっているんだが、君の社との一騎打ちは避けたいんだ」
 その言外の意味を拾う。社長はAA社にコンペから手を引くように迫っているのだ。
「このコンペにわが社の社運がかかっているといっても過言ではない。この社は、今回の日本での企画展示会を足掛かりに、来年、日本に大型の旗艦(フラグシップ)店を出店する計画があるんだ。その企画運営を任せるビジネスパートナーを探している」
 その噂は聞いていた。今回の展示会のコンペは日本市場の手ごたえを探るだけでなく手を組む相手を探すための試金石だという話だ。
 AA社の規模では展示会の企画を行えても、その社のビジネスパートナーとは成り得ないだろう。そう考えると、今回のコンペティションで選ばれる可能性は少ない。だが、克哉は今まで、既成概念をことごとく打ち破って業績を上げてきている。実際、今回のコンペティションでAA社が最終選考に選ばれているということは、主催者側もAA社に興味を持っている証拠だ。勝算がないわけではない。
 御堂は酒が注がれた猪口を口につけることなくその場に置いた。
「私一人で判断できる問題ではありません」
「もちろんだ。無理なことを言っているのは分かっている。まあ、与太話だと思ってくれていい」
 社長は努めて明るく言うと、重くなった場の雰囲気を払しょくするように、話題を別の方向に切り替えた。それに合わせて相槌を打つも、その心は上の空だった。


 翌朝、御堂は朝早く出勤し執務室で克哉を待った。
 今日の午前中、御堂は外回りだ。午後は入れ違いで克哉が外回りになる。克哉を捕まえるなら朝しかない。
 昨夜、店を辞して帰宅してから、L&B社の業績を事細かに調べた。
 御堂が在籍していたころの著しい右肩上がりの成長は、ここのところ勢いが鈍っていた。L&B社に関連する業界の記事も検索したが、御堂が退職してから新規の大型案件を獲得していない。だとしたら、現在の業績も御堂の時代の遺産頼りだ。その契約が切れるにつれて次第に業績は先細りになるのは予想に難くない。
 L&B社の同僚や部下を思い出す。L&B社はMGN社と違い歴史が浅い新興企業だった。だからこそ社内に不要な慣習や派閥もなく若さと勢いがあった。
 御堂にあてがわれた部下たちは、MGN時代の部下に比べその能力の至らなさに不満を覚えたが、それを補って余りあるだけの情熱を持っていた。当初は周りに気を向ける余裕もなく、突き放すだけの厳しい上司だったが、それでもよく御堂に食らいついてきたと思う。手探り状態でチームとして形を整え、MGN社の複合商業施設のコンペに臨んだときは、一つのチームとして結束力、パフォーマンスともに完成されていた。
 あの一年間、克哉に踏みにじられてどん底にいた御堂を気に掛けてくれたのはL&B社の社長であり、仕事を通じて社会へのつながりを保ってくれたのはL&B社の部下たちだ。L&B社がなければ、御堂は今ここに立っていなかっただろう。
 その社を突然の退職で迷惑をかけたことは、今でも心の片隅に引っかかっている。協力できることなら、どうにかして手助けをしたい。
 今回のコンペティション、社長の言う通り、L&B社と競合することになることは御堂としても避けたい。自分もやりにくいが、向こうはそれ以上だろう。かつての上司とやり合うことになるのだから。取り下げるなら早いうちがいい。
 どうやったら、克哉を上手く説得することができるだろうか。
 L&B社のために御堂が便宜を図ろうとしていることがあからさまであれば、克哉のことだ、余計な嫉妬を煽りかねない。
 悶々と考えているうちに、克哉が出勤してきた。
 挨拶を交わすなり、御堂はデスクから立ち上がり本題を切り出した。
「佐伯、次のコンペ、降りたいんだ」
「どうした、いきなり?」
 訝しむ克哉にL&B社と企画案が似通っていること、そもそもL&B社の今回のコンペの企画担当者が自分の元部下であり、自らの古巣との一騎打ちになることを伝える。
 御堂の話を黙っていた克哉は、感情を伺わせない視線で御堂を見た。
「つまり、あんたは相手の手の内を知り尽くしているということだろう。やりやすいじゃないか」
「フェアではない。相手は元部下だ」
「フェア?」
 克哉が鼻で嗤う。
「あんたともあろう人間が何を言っている?ビジネスの世界がフェアであるわけないだろう。俺たちがするべきことは何だ?フェアプレイか?違う、勝つことだ」
 ハッと息を呑む。克哉の言うことは全て正しい。ビジネスはスポーツではない。フェアプレイ精神は必要とされていない。
「だが、あんたがやりにくいというなら、俺がやる。それでいいだろう」
「佐伯、違うんだ。今回のコンペにはL&B社の今後の業績がかかっている」
 克哉が冷ややかな表情を御堂に向けた。その眼差しを受け止めきれず、御堂は克哉から視線を伏せた。
 業績がかかっているのはAA社も同じだ。
 言い訳がましく言い添える。
「L&B社は、私が辞めてから成長が鈍っている」
「同情で力を貸そうとするならやめておけ。実力で勝ち取ることができないなら、この場を乗り越えたとしても、すぐに同じ状況に陥る」
 反論の言葉もない。
 L&B社の社長が社員や株主に対して責任を負うように、克哉もAA社に関わる全てに責任を負っている。その責任の重さに上下はない。
 克哉は嫉妬でもなんでもなく、冷静な判断を下している。それに比べてどうだろう。御堂の方こそ個人的な感情でAA社の利益を損なおうとしているではないか。
 AA社の共同経営者としてあってはならない話だ。
 どちらに非があるか、考えるまでもない。
 克哉が御堂をプライベートのパートナーとしてだけでなく、仕事上のパートナーとしても選んだのは、恋慕の情を超えたところで御堂の実力を認めてくれたからだと思っていた。その期待に恥じない仕事ぶりを心がけてきたはずなのに。
 ぐっと奥歯を噛みしめる。
 じっと御堂を見詰めていた克哉が静かに口を開いた。
「あんたは…」
「佐伯、すまなかった」
 克哉が言いかけた言葉を遮る。これ以上、克哉の前に無様な姿は晒したくない。
「君の言う通りだ。今の話はなかったことにしてくれ」
 一刻も早くこの場から立ち去りたい。
 御堂は鞄を掴むと、素早く身体を返して執務室を後にした。
 背中に突き刺さる克哉の視線が痛かった。


 
 終業時間もとうに過ぎた執務室、御堂は一人、手元のコンペティション用のプレゼン資料を眺めた。
 克哉の言う通り、相手の手の内は知り尽くしている。その上で、相手の弱みを突いて自分たちの企画案の差別化を図ることも出来る。
 自分のなすべきことは分かってはいるが、どうにも気が進まない。
 同じ業界にいる以上、元同僚たちと競うことになるのは十分にありうる話だ。
 かつての御堂ならそんなことは悩むまでもないと一笑に付していただろう。そう、ビジネスは勝つことこそ大切なのだ。
 こんな感傷的な迷いを持ちながらプレゼンに挑むことは避けたい。これで負けたとしたら、尚更、無様だ。克哉に全てを託すということも出来たが、それは自分の矜持が許さない。
 とはいえ、かつての同僚たちが脳裏に浮かび、先ほどから視線は資料の上を滑るばかりだ。
 御堂は資料に向かって何度目かのため息を吐いた。
 その時、不意に視線を感じて見上げると、デスクの脇に克哉が立って御堂を見下ろしていた。
 深く考え込んでいたせいか、克哉が戻ってきたことも気付かなかったようだ。
「佐伯、戻ってきていたのか」
 朝の件があり、どことなく気まずい。
 殊更、いつもの調子を心がけて声をかけたが、克哉は無言で御堂の手からプレゼン資料を取り上げると、そのまま資料をシュレッダーに放り込んだ。
 いきなりの克哉の行動に、驚いて声を上げる。
「何をするんだ!」
「このコンペは取り下げた」
「なんだって?」
「もう先方にも連絡した」
 御堂に背を向けたまま端的に返す克哉に、状況を把握できず、御堂は困惑を露わにした。
「佐伯、いいのか?だって、君は……」
「あんたは人の話を最後まで聞かない」
 シュレッダーが資料を全て裁断し、動きを止めた。克哉はゆっくりと御堂に向き直る。
「俺は、フェアプレイとか同情とか、そんな理由で仕事を譲る気はない。だが、あんたが大切にしたいものは、俺も大切にしたいんだ」
 克哉は、一拍おいて、静かに言葉を継いだ。
「あんたはあの社を大切に思っているんだろう。それなら、あんたは一言俺にそう言えばいい。余計な言い訳なんか乗せずに」
 御堂が自らの心に従って判断することを、克哉も支持する。そこには後付けの理屈なんていらない。
 じわりと克哉の言葉が心に沁みてくる。
「大切に思う気持ちに、理由なんかいらないだろう」
「佐伯」
「あんたを大事にしてくれた会社だしな」
 克哉は口元に小さく笑みを刷いた。
 自分の会社よりも何よりも、克哉は御堂の気持ちを優先させることを、迷うことなく選んだのだ。
 克哉は経営者としては失格なのかもしれない。それでも、その克哉のまっすぐでみずみずしい気持ちが胸を熱くする。
「佐伯、すまない。せっかく最終選考に残ったのに」
「謝るな。俺はあんたに謝られるようなことをした覚えはない。礼なら別だけど」
 克哉のその想いが嬉しくて、だが、それを素直に表せなくて条件反射で謝ってしまう。
 だが、すぐに思い直した。克哉は御堂が謝るところを見たくて、そうしたわけではないのだ。
 克哉に向けて御堂は心から微笑んだ。
「そうだな。ありがとう、佐伯」
「感謝するならキスでいいぞ」
「ああ」
 フロアに二人きりであることをいいことに、克哉の元に歩み寄り、自ら唇を押し付ける。慣れた仕草で唇を触れ合わせて熱を交わす。
 御堂の後頭部に回された克哉の指が首筋を辿り、ネクタイのノットにかかる。そのまま解こうと試みる克哉の手をすかさず押さえこんた。
 同じ手は二度と食わない。
 手の動きを封じられた克哉が、御堂から唇をわずかに離して、拗ねた眸で悪戯っぽく覗きこむ。
「駄目ですか」
「当たり前だ」
 目を見合わせ、どちらからともなくクスクスと笑い合う。
「これ以上はお前の部屋で、だ」
「ええ」
 そうは言いつつも身体を離すのが名残惜しくて、その背に回した手に力を込めて克哉を引き寄せた。



 翌日、L&B社の社長から御堂の元に連絡が入った。
『御堂君、先日は無理なお願いをしてしまって、すまなかった』
「佐伯が判断したことです」
 既にAA社がコンペを降りたことは伝わっていたのだろう。開口早々、謝罪とお礼を述べられ、それを黙って受け取る。
 いくら御堂のためとはいえ、克哉はAA社の不利益になる判断をしたのだ。そのことは重々に承知しておいてほしい。
 その時、思いもがけないことを社長が口にした。
『実は、昨日、佐伯さんが菓子折りを持って訪ねてきてね』
「佐伯がですか?」
『コンペを辞退する旨と、君を引き抜いたことに関して丁重な詫びをされたよ』
 驚きに言葉を失う。
 昨日の朝、L&B社の話をしたばかりだ。克哉はその日のうちに、コンペの取り下げの手配をして、外回りの合間にL&B社に挨拶に出向いたのだ。
『君がうちの社を辞めると言い出した時は、本気で君を引き留める気だったんだ。君がいなくなることでわが社の今後がどうなるかということもあったが、君が共に起業する相手が20代の若造だと聞いて、君の将来が不安でね』
 受話器の向こうで、息を大きく吸って吐く音が響いた。
『だが、なかなかどうして、頼もしい青年だな。君が惚れ込んだのも分かる気がするよ』
 惚れ込んだ、という言葉を深読みしてしまい、噎せ込みそうになる。そんな御堂に気づかず、社長は言葉を楽しそうに継いだ。
『それにね、彼も抜け目がない。うちが先方と独占契約を結んだ暁には、その実務を君のところに任せるようにしっかり言質を取られたよ。もちろん喜んでそうさせてもらう』
 転んでもただでは起きぬところが、克哉らしい。御堂を引き抜いたことによるわだかまりを水に流し、尚且つ、L&B社がAA社の新しい取引先となるよう布石を打ったのだ。
 ビジネスは勝つことこそ大切だ。だが、スポーツと違って勝敗を決する必要はないのだ。相手を勝たせて、自分も勝つ。克哉はビジネスの勘所をよく分かっている。
 克哉はどこまでも欲張りな男だ。その視界の真ん中に御堂を置きながらも、世界を手に入れようとしている。彼ならきっとやるだろう。
 自然と笑みが零れる。
「チームのメンバーによろしく伝えてください」
『ああ。君の部下はしっかりと育っているよ。安心してくれたまえ。』
 窓の外に目を向ければ、何処までも青い空に初夏の強い日差しが降り注ぐ。地平線の代わりに立ち並ぶビルの中、L&B社がある方向に意識と視線を向ける。
「彼らの雄姿が見られなかったのが残念ですが」
『いつ戻ってきてくれても構わないよ』
 冗談めかして言う社長に笑い返すと、晴れ晴れとした気持ちで電話を切った。

 それからしばらくして、L&B社がビジネスパートナーとして、相手企業と正式に独占契約を結んだことが業界紙を賑わせた。
 そして、AA社とL&B社も良きビジネスパートナーとして、共に業界の内外で名を馳せることとなる。

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