top of page
花火

――何て歩きにくいんだ。
 克哉は心の中で何度目かの悪態をついた。
 克哉は浴衣を着て草履を履いていた。浴衣を着たのは記憶にある限り初めてで、もちろん草履も初めてだ。歩こうにも裾が足に絡んで邪魔をする。こんなに歩きにくいものだとは知らなかった。
 それでも、克哉の着付けをした御堂は、きっと歩きにくいだろうから、と着丈を少し短めに、克哉の踝が出るように調整してくれたのだ。
 さらに気に食わないことに、周囲は人混みで真っ直ぐに歩くこともままならない。
 ただ、家を出る時間が遅くなったのは克哉自身の責任だ。人混みを避けるために早めに出ようと御堂は言っていたにもかかわらずだ。
 ふう、とため息をつきつつ、目の前を歩く御堂に遅れまいと歩を速める。
 御堂は浴衣になれているのか、長めの着丈で着ているにもかかわらず、颯爽と歩いていく。
 濃紺の浴衣の襟元から御堂の白くすらりと伸びたうなじが覗く。
 今の周囲の状況は普段の克哉なら、全く我慢ならないものだが、それでも浴衣姿の御堂を見られたのは、この不満を差し引いてもお釣りがくると思う。
 目の前を歩く御堂は色気があった。
 御堂はスーツを着るように浴衣を着る。そこには一分の隙もなく、禁欲的でもある。だが、その姿は逆に、御堂の内にひそむ淫らな性を連想させる。先ほどの御堂の乱れた姿を思い出し、克哉は笑みを浮かべた。

 一緒に同居を始めたとき、御堂の引っ越し荷物の中にそれがあった。
 和紙に包まれた数反の浴衣。尋ねると、御堂は困ったように答えた。
「着物好きの実家の母が時々仕立てて送ってくるんだ。着る機会がないといっても聞かなくてね」
 そのままずっと保管しているのだそう。
 浴衣を片づけようとしていた御堂が、突然良いことを思いついたように、楽しげな口調で克哉に声をかけた。
「佐伯、今度の花火大会に行かないか?せっかくだからこの浴衣を着て」
「花火大会…?浴衣で?」
 正直、人混みは嫌いだった。花火大会がどれだけの人混みになるか想像しなくても分かっている。
 克哉の表情をみて御堂が悟ったのか、少し遠慮がちな口調になった。
「私が着付けをするが…。やっぱり嫌か?」
 少し残念そうな顔をする御堂を見て、心が変わった。
「いや、いいですよ。貴方の浴衣姿を見てみたいですし」
 御堂が嬉しそうな顔をする。この人が喜ぶなら、それだけでも価値はある。

 花火大会の当日、克哉の浴衣を選ぶために、ベッドの上に浴衣を全て出して並べた。
「身長が同じくらいだから、着丈はちょうどいいはずだ」
 立たせた克哉に御堂が浴衣の色をあわせる。克哉から見たらどれでも良かったが、御堂が真剣に選んでいるので好きにさせる。
「君は体型が細めだから、明るめの色が似合いそうだ」
 そう言って、墨染めの薄いグレーの浴衣を持ってきた。
 体型はそんなに変わらないと思うのだが、御堂は自分用に、と濃紺の浴衣を選ぶ。
「佐伯、着付けをするから服を脱いでくれ」
「ああ」
 さっさと服を脱ぎ捨てて全裸になろうとする克哉を御堂は慌てて止めた。
「下着はそのままでいい!」
 残りの浴衣を片づけて、克哉の着付けを始めた。
 その着付けの手さばきは鮮やかだった。背中に縫い目をあわせ、ぴんと浴衣を張る。前をしっかり合わせて腰紐を回ししっかり締める。その上から帯を締めた。
 克哉は素直に感心した。
「御堂さん、着付けも出来るんですか」
「まあな。昔、母から習ったんだ」
 そう言うと、今度は自分の浴衣の着付けを始めた。その濃紺の浴衣は御堂の白い肌によくあっていた。伸びた背筋に上品な佇まい。よく浴衣が似合っている。
 御堂は、さっと着こなして、克哉の方を向く。
「混むだろうから、早めに出ようか」
 浴衣の上から御堂の手首を掴んで引き寄せた。
「浴衣っていうのは色っぽくていいな」
「佐伯!何考えている。やめろ」
 御堂が克哉の意図にすぐ気づき、手を振りほどこうとした。お構いなしに強く身体を引き寄せる。
 キスをしようとしたら、顔を背けられた。仕方がないので、浴衣の襟元からのびる白く長い首筋をペロリと舐めあげ、痕がつかない程度に強めに吸った。御堂の身体がびくりと震える。
「佐…伯!」
 御堂は自由になる片手で克哉の上半身を押し戻そうとする。
 克哉は片手で御堂の手首を掴み、もう片手で御堂の腰を引き寄せ、下半身を密着させた。
 自分の股間を浴衣の布地越しに御堂の太ももにあてる。既にそこは硬くなり始めていた。
 その感触に気付いたのか、御堂の顔が赤くなる。
「佐伯っ。少しは自重しろ。今から出かけるのだろう!」
 焦って克哉を押しのけようとする御堂の肌が紅潮し、浴衣姿が益々色っぽくみえる。
 克哉は御堂の耳元で囁いた。
「俺は、ここでやっても、花火大会の会場でやっても、どっちでもいいが……どっちがいい?」
「馬、馬鹿なこと言うなっ」
「花火の真下でやるというのもいいな」
 克哉の無茶苦茶な言いがかりに御堂の顔が更に真っ赤になった。
 ふっ、と克哉は笑って、御堂の耳朶を口に含んで舐める。
「っ……!」
 御堂の身体から力が抜けた。御堂がため息をついて、克哉に顔を向ける。
「全く、君は……。浴衣は汚すなよ」
 そう言うと、片手を克哉の後頭部に回して、顔を引き寄せた。そのまま柔らかい唇を押し当て、濡れた舌を克哉の口内に差し入れる。
 そのまま御堂をベッドに押し倒した。
 はだけた浴衣の裾から、御堂の白い脚が艶めかしく映える。
 にやり、と克哉は笑って、その上に覆いかぶさった。


 そして、事を終えて、乱れた浴衣を再度着付けし直して部屋を出てきたのだ。
 ため息をつきながら、シワを伸ばすために浴衣をパンっと張って着付けをする御堂の姿を思い出す。克哉の勢いにまたもや流されてしまった自分自身に呆れているのであろうことは見て取れた。
 そんな御堂の機嫌を取りつつ、花火大会の会場まで大人しくついてきているのだ。
 その時、轟音が上がり、夜空が光った。
 周りが歓声に包まれる。
 目の前の御堂が立ち止まって、空を見上げた。その横に並ぶ。
 一面の花火が夜空を彩る。周囲の観客たちも足を止めて頭上を振り仰いだ。
 克哉は隣の御堂に視線を向けた。夜空を仰ぐ御堂の顎から喉のラインを眺める。
 うなじのラインも色っぽかったが、喉から首元につながるなめらかな白い曲線も捨てがたい。克哉は御堂の首元に口づけしたい衝動にかられた。
 その衝動を飲み込んで、御堂の横に寄り添った。
 片手をさり気なく、御堂の腰元に回す。御堂の尻を撫でようとしたときに、その手首をきつく掴まれた。
「痛っ!」
「無粋だぞ。花火を楽しめ」
 掴まれた手首を体の前に回された。そのまま御堂は掴んだ手首を離さない。
「御堂さん。手を離してくれませんか」
 御堂が空から克哉に視線をうつし、克哉を一睨みする。
「この手を離したら、君は碌なことをしないだろう」
――よく分かってらっしゃる。
 克哉は御堂の視線を受け止め、参りました、と肩をすくめてみせた。
――まあいい。部屋に帰れば、浴衣を脱がす楽しみがある。帯も腰紐もあるし、楽しめるぞ。
 邪なことを考えながら、御堂と一緒に空を仰いだ。
 轟音と共に絶え間なく空が光り、極彩色の華が咲く。一瞬で崩れては次々と新しい華が咲く。
「……!」
 その時だった。
 手首を掴んでいた御堂の手が滑り、克哉の指に指を絡ませ、そっと握った。
 御堂はその柔らかく握った手を二人の身体の間にひそませ、周囲から隠すために克哉に身体を密着させるかのようにすっと身を寄せた。
 思わず横を向いて御堂の顔を見る。
 御堂は、こちらを見ずに素知らぬ顔で夜空に視線を向けている。
 花火で照らされたその頬に、少し赤みが差していた。
 思わず笑みがこぼれた。そっと握られた手をしっかり指を絡めて強く握り返す。
 御堂の身体が、一瞬震えたように感じた。
「なあ、御堂」
 克哉は空を見上げながらつぶやいた。
 花火の音にかき消されるかと思ったが、その声は御堂の耳にしっかり届いた。
「なんだ?」
 御堂が克哉の方を向く。克哉もその眼を見返した。
「来年も花火を見に行かないか」
「そうだな」
 お互いの顔が花火で照らされる。思わず笑みがこぼれた。ふっ、と御堂も笑う。
 熱い眼差しを交わす。二人を祝福するかのように頭上の花火が絶え間なく輝いた。

bottom of page