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​32歳エリート部長、魔法少女になりました☆
第二話 キチクな眼鏡と痴漢電車

「小学生からやり直した方がいいのではないか、片桐課長?」

「申し訳ございません……」

 

 MGN社の執務室。冷たく言い放たれた言葉に、御堂のデスクの前に立つ片桐稔はこれ以上ないほどに身を縮こませて、深くうつむいた。

 

「アポイントの時間に遅れるとは、社会人としてあるまじき失態だろう。私は君と違って時間を持て余してはいないんだ。……このことは君の社の権藤部長にも報告しておく。以上だ」

「あ、あの……報告書を……」

「次の予定が控えている。改めてアポイントを取りたまえ」

 

 

 片桐が手に握った報告書を御堂はちらりと一瞥したが、受け取るそぶりは見せなかった。代わりに片手を軽く上げて、面談の終了を合図する。

 

「大変申し訳ございませんでした……。改めて出直してまいります」

 

 もう一度、片桐は深々と頭を下げて、御堂の執務室から退室した。その背中は気落ちして哀愁が漂っている。

 ぱたん、と執務室のドアが閉まると同時に、どこからともなく羽音が聞こえて、御堂のデスクの上に蝙蝠の羽と一対の角を持つ生き物が降り立った。鬼畜妖精だ。

 片桐が出て行ったドアを見てつぶやく。

 

「なんだか可哀想でやんすね」

「何を同情しているんだ。時間を守るなぞ、小学生で習うことだ」

 

 御堂は苛立たしげに返し、ぎろりと鬼畜妖精を睨みつけた。

 

「大体、貴様、なぜここにいる」

「そりゃ、御堂の旦那の相棒ですから!」

「こんな生き物を飼った覚えはない」

 

 昨夜、御堂は公園で怪人に遭遇し、魔法少女に変身して戦った。

 朝起きた時には、昨夜の一件は夢だったのだ、と自分を納得させ、そう信じ込んだはずだった。それなのに、なぜだか御堂の周りには、いまだに鬼畜妖精という訳の分からない生き物がパタパタと飛び回っていて、「やんす~」と御堂の平常心を逆なでするような口調で話しかけてくるのだ。

 御堂は大きく嘆息した。

 

「それで、お前はいったい何者なんだ。なぜ私につきまとう?」

「説明すると長くなるでやんす。それに、あっしたちの世界について話してはいけないきまりでやんすけど……」

 

 と言いながらも、鬼畜妖精はまんざらでもない様子で「えー、遡れば……」と演説口調で話し出したところで、御堂は鬼畜妖精を遮った。

 

「そうか、なら説明しなくていい」

「へ?」

「よく考えれば、もう私には関係ない話だ。私は昨夜のことをすべて忘れる。貴様も、どこかに消えうせたまえ。そして、今後もう二度と私の前に現れるな」

 

 そう言って、御堂は邪魔だと言わんばかりに手でデスクの上の鬼畜妖精を払おうとした。その手を寸でのところで躱しつつ、鬼畜妖精は必死に声を上げた。

 

「待って待って! 御堂の旦那もあっしの話を聞きたいでしょ?」

「不要だ」

「え、なんで?」

 

 いきなり話の腰を折られて呆然とする鬼畜妖精に、御堂は冷ややかな一瞥をくれた。

 

「第一に、私に関係のない話は聞く必要がない。第二に、要領を得ない長話を聞くほど私は暇ではない」

「御堂の旦那、つれないでやんよ。昨夜の戦いを見て確信したでやんす。御堂の旦那しかエネマキュアになれないでやんす!」

 

 御堂は眉を顰(ひそ)めた。エネマキュア……。今、御堂がもっとも消去したい記憶だ。

 

「そもそも、なぜ私なのだ。世の中には暇を持て余している人間が腐るほどいるだろう。そういった社会の役に立っていないリソースこそ活用すべきではないか。私の一分一秒は貴重なのだ。貴様のお遊びに付き合っている暇はない」

「お遊び……?」

 

 そう、時間は有限なのだ。御堂は史上最年少の32歳で、一流グローバル企業であるMGN社の部長職を務める比類なきエリートだ。この異例ともいえる昇進は、同世代の人間が時間を無為に費やしている間、御堂は時間の投資先を厳しく吟味して成果を上げてきたからだ。そんな御堂からしたら、魔法少女はまったくもって無駄だ。無駄どころか有害無益だ。

 魔法少女になったときのことを思い出すと、激しい羞恥とともに得体のしれない疼きが生まれて身体が熱くなってしまう。だから、一刻も早く忘れてしまいたい。憤然と言った。

 

「魔法少女なぞクーリングオフだ」

「そんな制度はないでやんす! それに、御堂の旦那、エネマキュアになるべき才能を持ったお方でやんす!」

「断る。二度とごめんだ。大体、私が魔法少女になって怪人と戦うことに何のメリットがある?」

「世界平和が守れるでやんす」

「それは私の職分ではない。私の本業はMGN社企画開発部部長だ。自分の職務を全(まっと)うすること以外興味はない」

「う……」

 

 完膚なきまでに言い返されて、鬼畜妖精はもごもごと言いかけた言葉を口の中に呑み込んだ。そして、どうにか御堂の興味を引きそうなネタを考え、ようやく口を開いた。

 

「ところで、御堂の旦那、今日は身体の調子、絶好調でやんすよね?」

「何? まあ、言われてみれば……」

 

 昨夜、御堂はあんな目に遭ったにも関わらず、今朝の寝起きはとてもさわやかで、熟睡した後のように力が漲っていた。残業続きだったはずなのに、これまでにないくらい心身ともに充実している。

 

「何か関係があるのか?」

「大有りでやんす!」

 

 鬼畜妖精はここぞとばかりに胸を張った。

 

「言ったでやんすよ、性なる力が魔力の源だって。御堂の旦那、昨夜は必殺技を使ってもありあまるほどの性なる力をゲットしたので、余った魔力が旦那の気力体力を増強しているでやんす。御堂の旦那は魔法少女とものすごーく相性がいいでやんす!」

「なんだと……?」

 

 鬼畜妖精が言う通り、今日の御堂は朝から最高のパフォーマンスで仕事をこなしていた。どんどん新たなアイデアが沸き、仕事を滞らせていた問題点も次から次へと解決できている。

 半ば信じられない気持ちで言った。

 

「私が魔法少女と相性がいいだと……?」

「そうでやんす! 御堂の旦那は少しの刺激でものすごく快楽を感じやすいから、簡単に魔力をゲットできるでやんすよ! いわば、御堂の旦那はまさしく天性の淫乱で……ぐぇっ」

 

 鬼畜妖精は最後まで言い終えることができなかった。その前に、御堂の手が鬼畜妖精を掴んだのだ。鬼畜妖精はどうにか手から逃れようとじたばた暴れだしたが、御堂はそのままゆっくりと握る力を強くする。そうしながら、鬼畜妖精に、静かに、なおかつ威圧感のある声で尋ねた。

 

「私が、なんだと……?」

「てんせ……いや、あらゆることに天賦の才を持ったお方でやんすっ!」

「まあ、いいだろう」

 

 手を離した。鬼畜妖精が急いで羽をはばたかせて御堂から距離をとると、ゴホゴホと咳き込んだ。

 

「どちらにしろ、もう二度と魔法少女にならないからな」

 

 そう、御堂は忙しいのだ。こんな常軌を逸した生き物に構っている暇などない。

 視界と意識から鬼畜妖精を消し去ると、御堂は何事もなかったかのように、キーボードをなめらかに叩いて仕事を再開した。

 

 

 

 

「はあ……」

 

 キクチ八課の給湯室で、片桐はお茶を淹れながら深々と溜息をついた。

 目の前には、今、キクチ八課にいる部下たちの数だけ湯飲みが並んでいる。課長なのに部下たちのためにお茶を淹れているのだ。それはもはや片桐の習慣と化している。お茶を淹れている間は無心になれるし、部下に「課長が淹れたお茶はおいしいですね」と言われると嬉しくなる。それでも今、片桐の表情は晴れず、知らず知らずのうちに何度も嘆息していた。

 

「片桐さん、どうしたんですか?」

「あ、佐伯君……」

 

 背後からかけられた声に振り向けば、キクチ八課、片桐の部下である佐伯克哉が給湯室に入ってきた。どうやら大きなため息を聞きとがめたらしい。

 慌てて取り繕った笑みを返した。

 

「いや、なんでもありません。今、お茶を持っていきますね」

「御堂部長に何か言われましたか? MGN社から帰ってきてから様子がおかしいですよ」

「そ、そうですか?」

「ええ」

 

 落ち込んでいるのは見た目に明らかだったのだろう。

 佐伯は二十五歳という若さでありながら、有能で営業のセンスもずば抜けている。180センチ近くある身長は同僚の本多と並ぶと低く見えるが、端正な顔立ちを銀のフレームの眼鏡が引き締めて、最近は女性社員の人気も高いという。お荷物部署と呼ばれるキクチ八課に配属されたときはもっと弱気な性格のように見えたが、今はなぜキクチ八課にいるのか分からないほどの優れた営業マンだ。

 そんな佐伯の鋭い観察眼をごまかしきるのは難しいだろう。部下に自分の失態を告白するのも恥ずかしいが、片桐は正直に言った。

 

「御堂部長に怒られてしまいましてね。先ほど、権藤部長にも捕まって怒られてしまいました」

「片桐さんがですか? なにかまずいことでも?」

「いえ、キクチ八課は問題ないんです。私が悪いんです。……恥ずかしいことに御堂部長のアポイントメントに遅刻してしまいまして」

 

 片桐の言葉に佐伯は小首を傾げた。

 

「片桐さんが遅刻ですか? ……確か、1時のアポイントでしたよね。片桐さん、昼前にはMGN社を出ていたじゃないですか。電車の遅延でもあったんですか?」

「それは……」

 

 やはり佐伯は鋭かった。素早く頭の中で片桐の行動を反芻し、整合性がとれない点をついてくる。

 

「実は電車で痴漢にあってしまいまして……。降りようにも降りられなくて……」

「痴漢?」

「こんなおじさんに痴漢しても仕方ないのに」

 

 はは……、と片桐は力なく笑った。もちろん、そんな理由で遅刻したなど御堂に言うことも出来ず、御堂を怒らせ、直属の上司の権藤部長にもここぞとばかりに嫌味をたっぷり言われてしまった。どうしてこう、何もかもが上手くいかないのだろう。そして挙句に部下にまで心配される始末だ。ほとほと自分に愛想が尽きるが、それでも頑張って笑顔を作った。

 

「心配かけちゃいましたね。御堂部長には明日、改めて謝罪しますから。すみません……。こんな頼りない上司で……」

「いいえ、片桐さんは素敵な方です」

「え……」

 

 間髪入れずに言い切られた言葉に驚いて顔を上げれば、レンズ越しの眸がまっすぐに片桐を見つめていた。佐伯の真摯な表情と眼差しに、片桐は頬をさーっと赤く染めた。

 

「佐伯君っ、僕をからかわないでください」

 

 はた目から見ても明らかなほど動揺する片桐に、佐伯はクスリと笑って表情をやわらげた。そして、ポケットから何やら取り出すと、片桐の手に握らせた。

 

「片桐さん、これを使ってみてください」

「これは……。眼鏡ですか……?」

「痴漢は気が弱そうに見える人を狙うとか。眼鏡をかけて見た目を変えれば、きっと痴漢は寄ってこないですよ」

「ありがとうございます。……優しいですね、佐伯君は」

 

 佐伯のあたたかな気遣いに触れて、心にぽっと火が灯る。佐伯は片桐に微笑んだ。

 

「片桐さんにはお世話になっていますしね」

「ありがとうございます。早速使ってみます」

 

 先ほどまでの落ち込みはどこかに消え去ってしまったかのようだ。

 片桐は佐伯に礼を言うと、渡された眼鏡を大切そうにジャケットのポケットに仕舞った。湯気が立つ湯飲みをお盆に載せて給湯室を後にする。

 その背中を見送りながら佐伯が小さく呟いた。

 

「さあ、片桐さん。あんたの力を見せてもらおうか。……くくっ」

 

 低く笑いながら、佐伯は眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

 

 

 

 

「まだ帰らないでやんすか~」

 

 鬼畜妖精は一人ぼやきながら、御堂の執務室の窓から外を眺めた。窓の外はすっかり夜の帳に覆われて、眼下では無数の光がきらめいている。

 御堂は鬼畜妖精を無視したまま黙々と仕事を進めていた。あきらめてそのうち消えるかと思いきや、いまだにしぶとく御堂の周りでうろちょろしている。いい加減、目障りだ。そろそろこの執務室に殺虫剤でも焚き付けようか、と考えた時だった。唐突に鬼畜妖精が声をあげた。

 

「ああっ!」

「どうした?」

 

 無視を貫くつもりだったのに思わず反応してしまう。

 

「怪人が出たでやんす」

 

 鬼畜妖精はどこからともなく、極小サイズのスマートフォンを取り出して手で操作する。どうやら、そこに怪人出現の通知が来たようだ。鬼畜妖精の世界もIT化が進んでいるらしい。

 だが、それはそうとして、いちいちこの鬼畜妖精に反応しては奴をつけあがらせるだけだ。無視だ無視。そう自分に言い聞かせて仕事に意識を戻そうとした寸前、鬼畜妖精が口を開いた。

 

「あ、この怪人、今朝ここに来た人でやんすよ」

「何?」

 

 聞き捨てならない言葉にまた返事をしてしまう。

 

「えっと、片桐稔って人でやんす」

「片桐課長が怪人に?」

 

 キーボードを叩いていた手が完全に止まる。椅子を回転させて、鬼畜妖精の方に顔を向けた。

 

「電車内で怪人化したみたいで、電車がストップしたみたいでやんす。……御堂の旦那、助けに行きましょう! このままじゃ、この人、怪人に取り込まれて人間に戻れなくなるでやんす! エネマキュアになって戦うでやんすよ!」

 

 御堂は鬼畜妖精の言葉をしばし吟味し、そして言った。

 

「知ったことではない」

「ひど……っ」

「ひどいだと?」

 

 じろりと御堂は鬼畜妖精を睨みつけた。

 

「なぜ私が、子会社のうだつのあがらない一課長のために、身を挺して戦わなくてはいけないのだ。私の方が、立場が上だぞ」

 

 鬼畜妖精は御堂の言葉を無視して、手に持ったスマートフォンの画面を読み上げる。

 

「片桐稔、キクチ八課課長、43歳、バツイチ。幼い我が子を事故で失い、現在は戸建てにインコ二羽と暮らしているでやんす。今日は親会社の部長に怒られ、直属の部長にもいじめられ、散々でやんすね。あ……、今日の遅刻の原因は途中の電車で痴漢にあったからでやんす」

「……それがどうした」

 

 どうやら、鬼畜妖精のスマートフォンは個人情報が駄々洩れらしい。

 

「この人が怪人になったらインコはどうなるでやんすかね。保健所で処分されてしまうかもでやんす」

「だからどうした!? その話は私に何の関係がある!?」

 

 もうやめろ、と言わんばかりに御堂は声を上げた。だが、鬼畜妖精は大仰な仕草で「はあ」と悲しげな吐息を零す。

 

「可哀想でやんすね~。同じ翼をもつものとして悲しみに堪(た)えないでやんすよ」

「待て、貴様の羽はどう見ても蝙蝠だろう。鳥類といっしょくたにするのは分類学的におかしいし、私からしたら貴様は害虫と同じカテゴリだ」

「あー! インコたち可哀想でやんすねー!!」

「黙れ!」

「インコはどうなるでやんすかー!」

 

 御堂の声に被せるようにして、鬼畜妖精が悲嘆の声を上げる。御堂がうんと言わない限りは、ずっとインコインコ騒いでそうな勢いだ。これでは仕事にならない。どうすべきか、頭名の中で素早く計算し、御堂は折れた。

 

「分かった、分かった! 片桐課長がいなくなって、さらなる無能がキクチ八課に配属されても困るからな。今回だけだぞ」

「さすが、御堂の旦那でやんす~」

 

 途端に鬼畜妖精はゴマをするような仕草で御堂にすり寄ってくる。そんな鬼畜妖精にしっかりくぎを刺す。

 

「ただし、魔法少女には変身しないからな!」

「それでどうやって戦うでやんす?」

「戦う必要はない」

「?」

「言っただろう。相手は子会社の課長で私は親会社の部長だぞ? 私の命令は絶対だ。戦うまでもない」

「……うまくいくといいでやんすね」

 

 懐疑的な返事をしながらも、鬼畜妖精は大きく蝙蝠の翼を羽ばたかせた。途端に光の粒子が現れて御堂と鬼畜妖精を包み込み、執務室から一人と一匹を消し去った。

 

 

 

 

「なんだ、これは……」

 

 目の前に広がる光景に御堂は息を呑んだ。そこは、電車の車内のはずだった。だが、御堂が見知っている電車からかけ離れていた。座席や天井、そして床に数多くの男たちが身体の一部をめりこませて、苦悶に呻いている。まるで、電車と一体化しつつあるようだ。よく見ると、電車の壁や床が脈打ち、まるで巨大な生物の体内にいるかのようだ。動揺が顔に出ないよう自分を落ち着け、あたりを見渡したが片桐の姿はない。

 

「一体どうなってる? 片桐課長はどこだ?」

「これは、電車型怪人でやんす」

「電車型? 随分と変わっているな」

「電車に憑依して一体化してしまったでやんすよ。そして、ここは電車型怪人の体内でやんす」

「ということは、片桐課長の……」

 

 片桐の胃の中だろうか。そう思うと落ち着かない気分になってくる。

 鬼畜妖精は自分のスマートフォンを操作して何やら確認する。

 

「今、ここに捕まっているのは痴漢犯罪歴がある連中でやんすね~。きっと性犯罪を憎んでいるやんすよ」

「それなら別にこのまま放っておいて構わないだろう。下劣な性犯罪者どもだ」

「だけど、このままにしていたら、この人たちこの電車に消化吸収されてしまうでやんす」

「東京の治安がよくなって大変結構ではないか。大体私は、弱者に対して性犯罪をするような輩は嫌いだ。反吐が出る」

 

 もともと片桐を助けること自体乗り気ではなかったのだ。片桐が攻撃しているのが痴漢犯罪者であるならなおさらだ。放っておいても害にはなるまい。むしろ、性犯罪が減るなら願ったりではないか。東京の治安が向上し、より安全な都市になるだろう。何も問題はあるまい。御堂は片桐に聞こえるよう、声を張り上げた。

 

「片桐課長、許すぞ。気が済むまでやりたまえ!」

 

 まったくの無駄足だった。自分がわざわざ出張(でば)るまでもない。

 それだけ言って鬼畜妖精に「帰るぞ」と言いかけた時だった。

 御堂の足元がずぶりと沈んだ。

 

「な……っ、どうなっている!」

 

 あっというまに、両足とも膝まで電車の床に呑み込まれて動けなくなる。慌てて足を引き抜こうとしたが泥沼に捕らわれたかのように足が動かせなくなっていた。

 どうにか抜け出そうともがくがあっという間に太ももあたりまで沈んでいった。鬼畜妖精が急いで御堂の肩を掴んで引っ張り上げようとするが、非力すぎて何の足しにもならない。

 

「御堂の旦那も電車に捕まってるでやんす!」

「なぜ私が捕まるんだ! 私は痴漢なんてしたことないぞ!」

「本当でやんすか? 立場を利用してセクハラとかしていないでやんすか?」

 

 疑わしい眼差しを向けてくる鬼畜妖精に、御堂はほんの少し視線を逸らした。

 

「……セクハラとは人聞きが悪い。私の場合はお互い納得ずくの……いわば、取引だ」

「やっぱりでやんす……」

 

 御堂のセクハラはあくまでも相手に拒否権を与えている(もちろん、拒否しようものならそれなりのペナルティを覚悟してもらうが)。相手が自ら望んだ体をとることで、決して犯罪にはならないように気を付けているのだ。エリート中のエリートである御堂の立場からしたら当然のことだ。セクハラごときで足元をすくわれたくはない。

 それで思い出したが、片桐の部下、キクチ八課の男性社員に一人、御堂の好みのタイプがいた。佐伯克哉という名で、キクチに置いておくにはもったいないほど有能な社員だ。だが、端正な顔立ちの裏に研ぎ澄まされた牙を隠していそうな危険さがある。しかし、所詮は子会社の部下だ。そのうち八課に無理難題をふっかけて、佐伯を追い詰めてやろう。親会社の上司に性的接待を要求されれば断れないはずだ。あの生意気な男が快楽にむせび泣くのを見るのはきっと楽しい。

 ……と話はそれたが、御堂はこのように、外堀を周到に埋めて、決して表ざたにならないように、ことに及んでいるのだ。それなのに、こんな浅はかな痴漢犯罪者どもと同列にされては御堂の矜持が傷つく。御堂はあらんばかりの大声で叫んだ。

 

「片桐課長、私を放せっ! こんな下劣な犯罪者どもと一緒にするなっ! 断固抗議するぞ!」

 

 だが、何の返事もなく、御堂の両足がさらに数センチ沈む。

 

「御堂の旦那、もう変身するしかないでやんす! 早くしないと旦那も消化されてしまうでやんすよ! 魔法スティックを出して!」

「そんなもの持っているか!」

「スーツのポケットに入ってるでやんす!」

「スーツのポケット?」

 

 何を馬鹿なことを、と思いつつ、御堂はスーツのポケットに手を入れた。すると何かが触れる。それをつまみ出してみるとエネマグラだった。鬼畜妖精が自慢げに鼻をこする。

 

「御堂の旦那がいつでも使えるように、入れておいたでやんすよ」

「私のスーツになんてものを……!」

 

 ドヤ顔で言ってくる鬼畜妖精に、怒りでエネマグラを掴む手がわなわなと震えだす。こんなものをスーツのポケットに忍ばせられて、間違えて他人の前で取り出してしまったらどう言い訳をしろというのだ。

 

「いいから早く、変身するでやんす!」

「くそ……っ、…エネマキュア!」

 

 御堂の声に呼応して手の中のエネマグラが光り輝く。次の刹那にはエネマグラは無数の光の粒となり御堂を空中に浮かび上がらせ、全身を包み込んだ。スーツが消え、御堂の身体をぴったりとした薄い布が巻き付く。そしてフリルやらアクセサリーやらで飾り立てつつ、御堂の髪と瞳を深くあでやかな紫色に染め上げた。

 そして、光の粒子は渦を巻きながら凝集し、エネマグラ型魔法スティックとなった。御堂の伸ばした手に、すっと収まる。

 御堂は電車の床に音もなく降り立つと、魔法スティックをびしっと前に振り下ろした。凛々しい声が車両内のよどんだ空気を一掃する。

 

「魔法少女エネマキュア、参上!」

 

 見事に登場ポーズを決めた御堂は、そのまま魔法スティックをくるっと一閃させた。すると、御堂を中心に光の輪が飛び散り、電車に取り込まれていた男たちが車内にはじき出された。電車の床に投げ出された男たちが、よろよろと立ち上がる。

 

「おおっ! 自由になったぞ!」

「やった!」

 

 ようやく電車から解放されて、男たちは歓声を上げた。そんな男たちを御堂は侮蔑の眼差しで見渡した。

 

「貴様らのことは分かっている。この痴漢どもめ。痴漢は卑劣な犯罪だぞ、恥を知れ!! そして、私に平伏して感謝しろ」

 

 男たちはそこでようやく御堂の存在に気づき、唖然とした顔を向けた。男の一人がぼそりとつぶやく。

 

「そんな格好している変態に言われたくない……」

「へ、……変態だと?」

 

 ハッと視線を下に降ろせば、薄い布地の愛らしい魔法少女の衣装に包まれた、自分の身体があった。カッと顔が燃えた。事情を知らない者がこの場をみれば、明らかに御堂の方が変質者だ。だが、御堂は根性で激しい羞恥を怒りに転換させた。

 

「私が好きで魔法少女になっていると思うのか! この社会の屑どもめ!!」

 

 吐き捨てる言葉に男たちが反応した。

 

「魔法少女だと!?」

「なんでJKじゃないんだ!」

「男の娘にもなりきれてないぞ! どうみても男の身体じゃねえか!」

「黙れ、貴様ら! 成敗してくれる! この姿を見たものは生かしてはおけん!」

「旦那! この人たちは怪人じゃないでやんす!」

「うるさいっ!」

 

 鬼畜妖精を無視して、エネマグラ型魔法スティックを振り上げた時だった。

 

「くあっ!」

 

 背後から伸びてきたつり革が魔法スティックを弾き飛ばした。そのまま右手に巻き付いて動きを封じる。

 

「な……っ」

 

 慌てて左手でつり革を外そうとしたが、他方から別のつり革が伸びてきて御堂の左手に巻き付いた。そのまま頭上に両手を吊り上げられる。

 

「くそっ、離せっ!」

 

 がむしゃらに手を振りほどこうとするが、固く御堂の両手を固定し、動くことができない。

 誰かに助けを求めるしかない、と周りを見渡した時だった。御堂を取り囲んだ男たちがじりじりと距離を詰めてきた。その眸は先ほどまでと違ってどんよりと濁り、半開きの口からはよだれが滴る。

 

「貴様ら、どうした……」

「怪人の影響でおかしくなったでやんすよ!」

 

 自分だけ一人、さっさと安全圏へと逃げ出した鬼畜妖精の声が頭の中に響く。エネマキュアのフェロモンは怪人の性衝動を煽る。その結果、この男たちも影響を受けたというのだろうか。

 男たちは何やらぶつぶつ呟きながら、御堂へと手を伸ばしだす。

 

「もうこの際、男でもいいか……」

「むしろ、この男でいいや……」

「よせっ! 近づくな! 片桐課長、どうにかしろっ!」

 

 だが、牽制の声も懇願の声も空しく、男の手が御堂の胸元の衣装にかかった。そのまま引きずりおろされて、御堂の両胸が露になる。

 

「んあっ」

 

 武骨な指が御堂の乳首を摘み上げた。途端に、電撃のような刺激が御堂を貫いて御堂は背を反った。

 

「いい反応じゃないか」

「もっと触ってほしいのか?」

「やめっ、はあっ、あ、ああっ!」

 

 汗ばんだ手が御堂の身体を這いまわる。いくつもの手が、御堂の脇腹や脇の下へそやその下まで撫でていく。

 

「よせっ、そんなところ触るなっ」

 

 身体を捩じり、抗う声を上げるが、それは痴漢たちをさらに調子づけるだけだった。

 赤く色づいた胸の尖りを両方同時に刺激される。男たちの指は巧みだった。乳首を強くつねられてジン、と痛くなったところでやわやわと撫でられる。エネマキュアの過敏になった身体はあっという間に炎に包まれたように熱くなった。

 指で刺激するだけでは飽き足らず、男の一人は御堂の胸に吸い付いてきた。

 

「ひあっ!」

 

 上ずった声が出てしまう。

 

「やめろっ」

「そんなこと言って、感じてるじゃねえか」

「ぁああっ」

 

 男の手が御堂の股間に触れた。そこには薄いショーツを押し上げるようにして、大きく張り詰めたペニスがあった。先端部分が濡れて黒く染まり、男の指の腹がそこを擦ると、ぬちゅっと淫靡な音が立つ。

 

「や……、んあっ」

「御開帳だな」

 

 下卑た笑い声とともに、ショーツがずり下げられた。窮屈な空間に押し込められていたペニスがぶるんと弾んで出ると男たちが歓声をあげた。

 

「立派なものを持ってるじゃないか」

 

 男たちの手が御堂のペニスに絡みつく。先端からあふれる蜜を全体に塗りつけられて、ぬちゃぬちゃ音を立てながらしごき上げられる。

 

「イかせてしまえば、いいんだろ?」

「そうすれば和姦だな」

「やめ……ひぃっ、――ぁあ」

 

 男たちは御堂をイかせることにしたらしい。「やめろ」と言っても逆に男たちを煽るばかりで、無数の手と舌が御堂の身体を這いまわる。

 

「ん……っ、ふぁ、ああっ、や……んっ」

 

 自然と身体が揺れていた。乳首をいじられながら、ペニスを刺激されるのがたまらなく気持ちいい。御堂の絶頂感があっという間に高みへと向かっていく。

 その時、背後から太ももに硬いものが押し当てられた。その熱さに息を呑む。

 素股のように御堂の脚の狭間に押し入られたペニスが、御堂の陰嚢をつつき、危ういところを掠めながら前後に抽送される。

 荒い息が首筋にかかる。背後の卑猥な動きに我慢しきれなくなった目の前の男が自らもまたペニスを出して、御堂のものと重ねるとまとめて扱きだす。

 

「はあっ、う……ぁっ、ああ……」

 

 前後に挟まれて淫らな行為をされて、嫌なのに身体はびくびくと反応してしまう。周囲の男たちから注がれる視線も御堂の官能を高めるばかりだ。

 身体の奥底からたまらないほどの絶頂が噴き出し、爆発した。

 

「ぁ……、あああっ」

 

 ひときわ大きな声を上げて御堂は達した。同時に御堂を挟んでいた男たちも達したらしい。会陰部に、ペニスに熱いしぶきがかかる。

 

「はぁ……はぁ……。……ああ!?」

 

 苛烈な絶頂に息を乱したのもつかの間、昨夜、触手に懐柔されたアヌスに指が潜り込む。中を探るように何度か往復すると、指が増やされ、御堂のアヌスが十分に柔らかいと知るや否や、太くて硬い屹立が押し当てられた。

 何をされるのか、それを悟って身体がこわばった瞬間、肉塊が御堂の身体の中へと押し入ってきた。

 

「ぁ、ああああっ」

 

 ずちゅっと音を立てながら、容赦なく御堂の体内を蹂躙していく。脈打つそれは、明らかに自分とは違う熱を持っていて、男に犯されているのだと思い知る。

 双丘を揉みしだかれながら、ペニスが御堂の身体を出入りする。身体を無理やり拡げられる圧迫感に苦しいはずなのに、奥深いところを突き上げられると甘苦しい疼きが腰に波紋を広げる。

 

「ぁ、い……っ、そこ、や……、あ、あああっ」

「ここがいいのか」

 

 御堂を犯す男が、御堂の反応をみながら、感じる一点をえぐり込んでくる。たまらなくなって、御堂は再び絶頂を迎えた。すると、内腔がうごめき男を絞り上げる。

 

「ぐ……」

 

 背後の男が呻いた。身体の奥底で雄が弾ける。体内をしとどに濡らされながら、御堂はその感触に感じ入っていた。こんな男たちに犯されるなんて嫌悪しかないはずなのに、エネマキュアになってしまったせいなのか、疼くような熱が全身を嵐のように駆け巡りだす。満足した男のペニスが抜けると、すぐに次のペニスが押し入ってきた。

 

「は、らめ……、や、ひぅっ、はああっ」

 

 全身が快楽器官になってしまったかのようだ。どこを触られても愉悦が弾ける。気持ちよくて仕方がない。

 御堂の乳首を、脇を、腹を、ペニスを、尻を、撫でられ、舐められる。がくがくと揺さぶられていると、男の手が伸びて、御堂の両手をつり革から外した。ようやく手が自由になっても抵抗する意思は奪われていた。それどころか床に仰向けになった男の上に股がされて、さらに深いところを突き入れられる。

 

「は、ああああっ」

 

 下から突き上げられるたびに嬌声が漏れる。身体の奥深いところをえぐられ、こすられるのは気持ちがいい。ペニスが御堂の体内を穿つほど、内壁がうごめいて男に絡みつく。蕩けるような甘い痺れが背筋を駆け上がり、この快楽にずっと浸っていたくなる。

 

「ん、ぁ……」

 

 車両内に発情した男の匂いが濃く立ち込めた。

 御堂のペニスは何度も放ちながらも濡れて反り返り、さらなる刺激を求めている。いじられすぎて赤く腫れた乳首もピンと尖り、男たちに犯されることを悦んでいるようにしか見えない。

 御堂の白い手袋をした両手に怒張したペニスを握らされた。手袋を通しても、男たちの熱と興奮が伝わってくる。促されるままに手を動かして男を刺激すると、面白いように、男たちは情けない声を上げて果てていく。

 それだけじゃ物足りなくて、咥え込んだ男を誘うように淫らに腰を動かしてしまう。

 青臭い匂いがむせ返りそうな車両の中で、御堂は男たちの精を全身に浴びていた。

 ぬめるように艶めく御堂の媚態に煽られて、男たちは果てても果てても、御堂に群がりその体を犯そうとしていた。御堂はそれを嫌がることなく、むしろ貪欲に男たちから与えられる快楽を貪っていく。そうしているうちに、頭の中で声が響いた。

 

「旦那! もう、十分でやんすよ! 早く必殺技を出すでやんす!」

「ん……?」

 

 呆(ほう)けたように行為にふけっていた御堂は、ようやく、何をしにここまで来たのか思い出した。鬼畜妖精が御堂に喝を入れるように声を上げる。

 

「ほら、エネマフラッシュって叫ぶでやんす」

「エ……エネマフラッシュ!」

 

 言われるがままに叫んだ。御堂の声に呼び寄せられて、エネマグラ型魔法スティックが御堂の前に現れる。そして、まばゆい輝きを放ちながら爆散した。

 車両内に光が満ち、視界を白く染め上げる。そして、ようやく光が引いた時には、そこは普段通りの車両の風景で、御堂の周りには何人もの男が意識を失い倒れていた。

 

「どうなった……?」

「旦那、あれ!」

 

 御堂の顔の横で鬼畜妖精が指をさした。その方向に目を向ければ、見知ったスーツ姿の男が、少し離れたところに倒れていた。

 

「片桐課長……?」

 

 片桐の顔には見慣れぬ眼鏡がかかっていた。その眼鏡のレンズにぴしりとひびが入る。次の瞬間には砕け散り、眼鏡は跡形もなく消えていた。

 

「やったでやんすよ! さあ退散するでやんす!」

「お、おいっ!」

 

 片桐課長に駆け寄ろうとしたところで御堂の身体を光の粒子が包み込む。あまりの眩さに御堂は目を閉じた。そして目を開いた時には、御堂は元通りのスーツ姿で、先ほどまでいた執務室に戻っていた。

 

 

 

 

 佐伯は駅のホームに立っていた。

 帰宅ラッシュ時の電車事故でダイヤが大幅に乱れ、苛立つ帰宅客がホームに溢れている。佐伯の視界の端には駅員にいつ運転再開するのか駅員に激しく詰め寄る客もいた。だが、駅員は言葉を濁すばかりだ。それはそうだ、電車事故の詳細も何も知らないのだから。

 佐伯は何が起きているのか、すべてを知っていた。この分だと、当分電車は動かないだろう。あきらめて別の方法で帰ろうかと思ったその時だった。運転再開のアナウンスがホームに流れた。ようやくの運転再開に周囲からは安堵した声が漏れる。

 佐伯はちらりと腕時計に視線を落とした。時間を確認するふりをして口を開く。

 

「……やられたのか?」

「ええ、例の魔法少女に」

 

 独り言のようにつぶやく声に、克哉の背後から別の声が応えた。見れば、佐伯から一歩引いたところに長身の黒衣の男が立っていた。周りの人間から頭一つ分高く、さらに黒いボルサリーノ帽を被っている。帽子からこぼれる金色の髪は、緩く編み込まれながら腰のあたりまで長く伸びていた。Mr.Rだ。

 明らかに人目を惹く姿であるのに、周囲の人間はまったく気にする気配がない。まるでこの男の存在目に入っていないかのようだ。佐伯はつまらなそうに溜息をついた。

 

「せっかく復讐の機会を与えてやっというのに」

「まことに残念でございます。我が王のありがたいお心遣いを無駄にするとは……」

 

 自らの失態を謝罪するかのようにMr.Rは深々と頭を下げた。そして、ちらりと金の眸を佐伯に向ける。

 

「……それで、いかがいたしましょうか」

「何をだ?」

「魔法少女でございます。いささか目障りな存在かと」

「放っておけ。どこの誰だか知らんが、大した障害にはなるまい」

「……仰せのままに」

 

 ホームに電車が入ってきた。ドアが開くと、おびただしい数の人間が吐き出され、そしてまた、おびただしい数の人間を呑み込んでいく。佐伯もまた人の流れに巻き込まれるようにして電車の中へと姿を消した。発車メロディーが流れて、電車のドアが閉まる。Mr.Rは佐伯の姿を深々と頭を下げたままホームから見送った。

 動き出した電車が視界の端に消えるのを確認してゆっくりと頭を上げる。帽子のつばに手をかけて、ふふ……、とほほ笑んだ。

 

「キチク眼鏡を使いこなせるのは、世界広しといえども我が王、あなただけ……。どうぞ、王たるにふさわしい道をお選びくださいませ……」

 

 その言葉は駅のざわめきの中に紛れてかき消された。そして、次の刹那にはMr.Rの姿もまた、かき消えていた。

 

 

 

 

 翌日、片桐がふたたび御堂の執務室を訪ねた。書き直した報告書を提出する。そして、身体を二つに折るようにして頭を下げた。

 

「御堂部長、昨日は申し訳ありませんでした」

「今日は時間通りだな」

 

 御堂はそれだけ言って、報告書を受け取り、緊張に固まっている片桐の前で中身を検めた。

 

「まあ、及第点だな。よく書けている」

 

 御堂の言葉に、片桐は露骨に安堵した顔を見せた。

 

「あ、ありがとうございます。あの、佐伯君が手伝ってくれまして……」

「ほう……」

 

 よく見れば一つ一つのデータは丁寧に集計されており、きめこまやかなデータ処理をしていることが分かる。片桐は佐伯が手伝ったというが、時間がかかる手作業のほとんどは営業で外回りをしている佐伯ではなく、片桐自身が行ったものだろう。

 褒めているのだし、そんなに卑屈にならなくてもいいと思うが、それはもう片桐の人となりに違いない。

 片桐がお荷物部署と呼ばれる八課の課長という閑職に追いやられているのは、この不器用な性格によるものであって、存外、片桐の能力は高いのかもしれない。

 御堂はじろりと片桐を見ると、デスクの電話に手を伸ばした。そして、片桐の前で電話をかける。

 

「……権藤部長か。MGNの御堂だ」

 

 何を報告されるのかと、片桐の顔が青ざめる。御堂は片桐の顔をちらりと見ながら、表情を変えずに言った。

 

「そちらの八課の片桐課長はよくやってくれている。あまりいじめないでやってくれ」

 

 それだけ言って、権藤が何かを言う前に電話を切った。片桐はぽかんとした顔で御堂を見ている。御堂は何事もなかったかのような澄ました顔をして言った。

 

「以上だ。……ほかに何か?」

「いえ、……御堂部長、ありがとうございます」

「ふん」

 

 御堂は目線だけで面会の終了を告げると、片桐は一礼して御堂の執務室から出て行った。あからさまな安堵の表情が片桐の顔に出ている。あまりにも分かりやすい、単純な男だ。

 そしてどうやら、鬼畜妖精の言う通り、片桐は昨夜のことをまったく覚えていないようだった。だが、ハッとあることに気づいて御堂は鬼畜妖精を呼んだ。

 

「おい、鬼畜妖精!」

「はいでやんす~」

 

 呼んだ瞬間に鬼畜妖精が姿を現してパタパタと御堂のデスクに降り立った。どうやら、四六時中御堂の傍にまとわりついているようだ。

 

「あの男たちはどうなった? 痴漢どもだ」

 

 怪人を消滅させた後、片桐に気を取られてあの男たちの存在をすっかり忘れていた。あの魔法少女を言いふらされたりしないかと気が気でない。だが、鬼畜妖精は平然とした顔で言った。

 

「大丈夫でやんす。怪人に影響されていた時の記憶はすべて吹っ飛んでなにも覚えてないでやんすよ。片桐課長と一緒でやんす。それに……」

 

 と鬼畜妖精はにんまりと笑った。

 

「エネマキュアとエッチしたんでやんす。普通の人間なら精魂搾り取られて、数年は性的不能(インポ)でやんすよ。治してやることも出来たけど、もちろん治してやらなかったでやんす」

「当然だな。性犯罪者など去勢してやればいい」

 

 自分のことを棚に上げてそう言い切る御堂を鬼畜妖精は何か言いたげな目で見ていたが、御堂と視線が合うやいなや、こびへつらう笑みを浮かべて

 

「その通りでやんす。さすが、御堂の旦那!」

 

 と調子を合わせる。

 

「ふん」

 

 と御堂は鼻を鳴らして、視線をパソコン画面に戻した。そこには新しく書いた企画書がある。朝から書き始めたのに、もう完璧と言っていいほど仕上がっている。

 今日は昨日以上に調子が良かった。御堂の処理能力にパソコンが追い付かないほどで、この勢いで仕事をこなしたら、あっという間にすべての仕事が片付いてしまいそうだ。

 それもこれも、あのエネマキュアに変身したおかげなのだろうか。

 こんなにも仕事のパフォーマンスがあがるなら魔法少女も捨てたものではないかもしれない、そう思いかけて、御堂は慌てて首を振った。

 昨夜の出来事はあまりにもひどい。ひどすぎる。自分があんな乱交をするなんて、それも、それで感じてしまうなんてあり得るはずがない。悪い夢だ。

 

「もう絶対、魔法少女になぞならないからな!」

 

 そう宣言して御堂は再び仕事にとりかかった。

 エリートはいつだって忙しいのだ。

 

 

END

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