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​迷宮の囚人

「本城、ただいま」

 

 静寂を乱す声に本城史郞は瞼を押し上げた。部屋の明るい照明が目に染みる。

 声が聞こえた方に顔を向ければ、ワイシャツにスラックス姿の四柳がベッドの横に立っていた。

 四柳のワイシャツは半袖で、この地下にある部屋の外では夏が訪れていることを四柳の服装から知る。ということは、この部屋に閉じ込められてワンシーズン経過したということだ。

 

「遅くなってすまない。帰り際に急患が来てね」

 

 四柳は申し訳なさそうに言った。

 本城はマットに肘を突いて上体を起こした。はらりと上掛けが落ちて、裸の身体が露わになる。きわどいところまで見えそうになり、四柳が慌てたように視線を逸らした。

 そんな四柳の態度に本城は喉の奥で笑った。

 四柳は本城をこんな姿でこの部屋に監禁している張本人で、医師という仕事柄、裸は見慣れているだろう。それなのに、随分と初心な反応をする。

 本城から外した視線をさまよわせつつ、四柳は言った。

 

「食事は食べたのか? もしまだなら一緒にどうだ?」

 

 四柳の顔が部屋の隅のミニキッチンへと向けられた。本城が食事をした痕跡がないか確認しているのだ。

 そのミニキッチンには刃物やフォークなど金属のカトラリーは置かれていないが、ミネラルウォーターや新鮮な果物、そしてパンに冷凍食品、そしてオーブンレンジが供えられている。食べようと思えばいつでも腹を満たすだけの食事が常備されていた。

 ここには、テレビも含め、外の世界をつなぐ通信機器は一切なかったが、運動をしたいと言えばトレーニング機器が用意されたし、暇つぶしの本も色々なジャンルのものが与えられている。考えようによっては快適に過ごせる空間だが、たったひとつの大事なものはずっと奪われたままだ。それは、自由だ。

 本城の右足首には鎖が付いた足枷が嵌められている。鎖の長さは十分に長く、サニタリールームでシャワーを浴びて用を足すこともできるし、部屋の中を自由に動くことが出来るが、部屋の外に出ることは叶わない。また、この足枷のせいで下着もズボンもはくことが出来ず、着るものといえばガウンが与えられていたが、裸でも快適に過ごせるくらい部屋の空調は完璧に調整されていた。

 本城は額にかかる前髪をかき上げつつ、言った。

 

「食事よりも別のものが欲しい」

「本城っ……」

 

 振り向いた四柳の腕を掴むと、有無を言わさずベッドへと引きずり込んだ。

 四柳の身体に馬乗りになり、ボタンを引きちぎる勢いで四柳のシャツを脱がす。

 形ばかり抗う四柳が懇願するように言った。

 

「やめろっ、今、帰ったばかりなんだ。せめてシャワーを浴びさせてくれ」

「嘘吐くなよ、四柳。シャワーはもう浴びているだろ? 準備万端じゃないか。期待していたのか?」

 

 四柳の首筋に顔を埋める。清潔なシャボンの香りが漂っていた。

 

「それは……緊急手術に入ったから、職場でシャワーを…」

 

 顔を赤くしながら四柳は必死に言い訳をする。そんな四柳をせせら笑いながら手を伸ばしてベルトを外し、スラックスを下着ごとずり下ろした。

 四柳は外科医だ。一日中部屋に閉じ込められている本城とは違い、細身でありながらもしっかりとした筋肉も体力も兼ね備えているし上背もある。だから、その気になれば片足をつながれている本城を押さえ込むことも出来るだろう。それでも、そうしないのは大学時代からの友人である本城に気を遣っているからだろうか。

 四柳のスラックスのポケットを漁り、医療用の潤滑剤を見つける。それを四柳の顔の前にぶら下げた。

 

「ほうら、やっぱり期待していた」

「それは……」

 

 言葉に詰まった四柳の顔が早々に観念したようにあきらめ顔になる。

 

「どうせ僕が嫌がっても、お前はやるといったらやるだろう。だからせめて、身体の負担を減らしたい」

「はいはい。じゃあ、俺が優しくしてあげるよ。正気の時の俺の優しさは知っているだろう?」

「正気なのにこんなことをするのか」

「俺をここから出してくれたら、もう二度とこんなことをしないと誓うけど?」

「……っ」

 

 唇を噛む四柳に笑いかけながら足を開かせて、その狭間に潤滑剤のジェルを絡めた指を差し込んだ。言葉通り、たっぷりと時間をかけて四柳のそこを手懐けていく。とはいえ、四柳のそこは連日抱いているせいか、日に日に従順になってきている。

 もう十分だと指を抜くと四柳に覆い被さった。今しがた指で犯していたところにペニスをねじ込む。

 

「く……ぅ…っ」

 

 シーツをきつく掴む四柳の手が震える。身体を裂かれるような苦痛に必死に耐える四柳の苦しげな顔を目にすると、嗜虐的な趣味はないはずなのに、ゾクゾクとした興奮が込み上げてくる。これもクスリの影響なのだろうか。いや、この部屋に閉じ込められて感覚を狂わされているからだ。

 この部屋には酒もドラッグもない。

 強制的に断酒、断薬状態にさせられて、今は意識が鮮明に保たれているが、この部屋に連れてこられた最初の頃の記憶は途切れ途切れだ。激しい離脱症状に襲われて、自分が何を叫び、どう暴れていたのかも記憶がない。

 ただ、意識を取り戻したとき、自分はこのベッドの上で四柳を犯していた。「本城…っ、よせっ!」と自分を呼ぶ声に下を向けば、眉根を寄せて苦しげに喘ぐ四柳がいた。どうやら、まともな意識が吹っ飛んでいるときに四柳を強姦してしまったらしい。

 何でこんなことになっているのか。

 ついさっきまでは幸福な夢を見ていた余韻が残っている。そう、抱いていたのは四柳ではなく、別の男で……。

 

「あれ、四柳……? 悪い…、俺……」

 

 ぐらぐらする頭で口先だけの謝罪をしながらつながりを解こうとした。だが、四柳は本城の目から必死に自身の下半身を隠そうとしていて、気が付いた。四柳のそれが硬く反り返っていることに。可笑しさが込み上げて言った。

 

「なんだ、そういう趣味だったのか、四柳は」

「違……っ、ああぁっ!」

 

 そういうことなら遠慮は要らない、とギリギリまで引き抜いたそれを強く突き入れた。四柳の悲鳴が上がり、白い首が反らされる。その反応にも気を良くして、たくましく腰を使い始める。すぐに酩酊するような快楽が全身を満たしていった。

 夢の中ではいいところだったのだ。本城は御堂を抱いていた。本城を冷たく睥睨していた御堂は、本城に組み伏せられてみっともなく喘いで感じまくっていた。あれが夢だったことにがっかりしたが、下半身の興奮はいまだ治まっていない。だから、四柳の中に自分の性欲を排泄するかのような乱暴さで抱いた。たっぷり放ってようやく我に返った後、それなりに後悔したが、謝る本城に四柳は弱々しく微笑んで首を振って言った。

 

「お前は正気ではなかった。だから、僕は気にしていない」

 

 無理やり性行為を強いられたのに随分と寛容な奴だな、と感心したが、思えば学生時代から四柳はこんな感じだった。怒っているところを見たことがない。御堂みたいに冷めた目で俯瞰しているのとは違う。四柳は相手の立場になって親身になった挙げ句自分よりも他人を優先させるような性格なのだ。そういう意味で医者は天職だったのだろう。だから、四柳が本城の引受人となって病院を早々に退院させてくれたときは、内心ほくそ笑んだ。ふたたび好きに動くことが出来ると思ったからだ。

 だが、本城の見立ては甘かった。クスリが抜けていないという理由で、本城はこの地下室に監禁されたまま、一歩も外に出ることが出来ていない。毎日本城の世話をこまめに焼いてくれるが、四柳は決して本城を解放しようとはしなかった。

 本城がどれほど懇願しても、怒っても、腹いせに乱暴に抱いても、四柳は決して首を縦に振ろうとはしない。いつになったら出してくれるのか訊いても、曖昧な答えしか返ってこない。果たして本当にこの状況は治療の一環なのだろうかと疑心が沸いてくる。

 ここは戸建ての家の地下室だった。四柳が所有している家らしい。しかも、都内の一等地にあるようだ。

 たかだか勤務医風情の四柳がどうしてこんな高級物件を所有しているのか謎だったが、四柳の話では、担当患者だった孤独な金持ち老人が四柳の献身的な治療に感謝して、遺言で四柳に全財産を相続させたらしい。そしてこの地下室はその老人が趣味のオーディオルームとして使っていた部屋で、四柳はそこをリフォームして防音の聞いた悪趣味な監禁部屋にしたのだ。

 この話が本当なら、四柳は今やいっぱしの資産家になっているはずだった。働かずとも暮らしていけるはずだが、未だに一勤務医として激務に明け暮れている。あまり金に執着がないのかもしれない。

 だから、四柳をうまくたらし込めば、多額の金を引き出せるだろう。しかし、そうは思っても、四柳に取り入る気はまったく起きなかった。金持ち老人の話を聞いて、ぞくりとした寒気が背筋を走ったのだ。これとそっくりな話を本城は知っていた。頭のいかれた精神科医が次々と金持ちを籠絡して遺産を引き継ぎ、その資金を元手におぞましい犯罪を繰り返したという話。そう、ハンニバル・レクターだ。レクター博士は恐ろしいことに、人間を食べていた。四柳もそんな風にして金持ち老人を操ったのではないかと想像してしまったのだ。

 四柳に限ってそんなことはないと信じたいが、こうやって本城を監禁し続ける四柳の考えは理解できない。一体何をしたいのか。

 どうやったら四柳を説得しこの部屋から自由になれるのか、その糸口が見つからないまま、この地下室で倦んだ毎日を送っている。

 娯楽に乏しいこの地下室での楽しみと言えば、こうやって仕事から帰ってきた四柳を抱くことくらいだ。

 そして、今もこうして四柳を抱いている。腰をリズミカルに動かしながら、四柳の胸に手を這わせる。女とは違い平坦な胸だ。慎ましやかな尖りを指で摘まみ上げると、そこはすぐに赤く色づき硬くなった。

 

「は、……っ、ぁ、ほんじょ……」

 

 四柳は切羽詰まったような声を上げる。乳首を離して四柳のペニスに指を絡めた。触れずともすでに大きく育ったそこは、根元から擦りあげるたびに先端からしとどに蜜を溢れさせる。途端に、本城を含んでいる粘膜がぎゅっと引き絞られた。

 鮮やかな快楽が脊髄を貫き、脳髄を痺れさせる。まるでクスリを使ったセックスのようだ。こうまで神経が研ぎ澄まされるのは、窓もなく何の刺激もないこの部屋に一日中いるせいだ。

 腰を強く深く打ち付けて、根元まではめ込んだまま腰を揺すり立てた。ぶわりと熱が弾けた瞬間、四柳もまた極みを迎えていた。ペニスを握りこんだ手にどっと熱い飛沫を感じた。

 

 

 

 

「ねえ、四柳。俺の治療は順調なの?」

「ああ」

 

 行為を終えて地下室のシャワールームから出てきた四柳はタオルで頭を拭きながら、ベッドに転がる本城に顔を向けて頷いた。だが、あっさり肯定されても未だに自由は与えられないし、治療というような特別な何かをされている実感もない。

 本城の顔に滲む不信の色を見たのか、四柳が言葉を継いだ。

 

「依存症の患者を治療するためには別の依存先を与える必要があるんだ」

「それが俺の場合はセックスなの?」

 

 だとすれば辻褄があう。四柳が本城に抱かれても拒否しないのはやはり治療のためだったのか。薬物依存症の患者をセックス依存症にする。それは改善していると言えるのか謎ではあるが。

 四柳はベッドに腰をかけて本城へと柔らかな表情を向ける。

 

「……僕に依存してくれれば良いと思っている」

「お前に?」

 

 呆気にとられて目を丸くして、数秒後に笑い出した。

 

「四柳、俺は、クスリは使いすぎたけど、正直、自分が依存症だとは思っていない。単に、楽しんでいただけだ。節度を超えてしまっただけで。お前だって、酒を飲み過ぎて酷い二日酔いになったことの一度や二度はあるだろう。それと同じだ。だから、俺は他の何かに依存しなくても生きていける。もちろん、お前にも」

「そうだね。お前は強いよ」

 

 四柳は本城の言葉を否定せず微笑み返した。

 ああ、またこの笑みだ。四柳はこの笑みで本心をすべて覆い隠して、決して本音を見せようとしない。じれったい気持ちで四柳を問い詰めた。

 

「なあ、俺をどうする気なんだ?」

「どうして、そんなことを訊く?」

「知りたいのは当然だろ。ずっとこんなところに閉じ込められているんだ。治療と言っても、治療らしいことしてないじゃないか。お前はいつも答えをはぐらかすし」

「そうだな……」

 

 四柳は本城の顔を真上から覗き込んだ。まっすぐな視線が本城の奥の奥まで探ってくる。

 

「僕はお前を知りたいんだ。ありのままの本城嗣郎を」

「もう十分知っているだろう」

 

 うんざりとした口調で返した。

 四柳は本城の傍ですべてを見てきた。御堂との出世競争に敗れ、渡米したことも。そこで薬物を覚え、帰国してから御堂と揉めた挙げ句に事故まで起こしてしまったことも。

 そして、薬物依存症の烙印を押されて、今は四柳の管理下にある。

 

「僕は人間の身体の隅々まで知っているし、この手で触れている」

 

 四柳の長い指が本城の下腹に触れた。その指が臍、そして胸の中心へとまるで触診するかのように繊細かつ精密な動きで触れていく。それは、まさしく卓越した外科医の指の触り方だ。

 

「腸も、肝臓も、胃も、肺も、心臓も……そして、脳もこの手で触れたし、メスも入れた。君の内臓もどこでどのように動いているか、透かし見ることができる」

 

 四柳の指が本城の心音と同じリズムを叩きながら頸動脈をたどり、本城の眉間に触れた。その一点に神経が集中する。その指先がまるで血に濡れた銃口のように思えて、本城は緊張に動くことが出来なくなった。

 

「四柳……?」

 

 本城を見つめる四柳の目が眇められる。その眼差しはふだんの四柳からは想像も出来ないような冷徹さを宿していて、本城は薄ら寒さにぞくりと身を震わせた。四柳の唇が言葉を紡ぐ。

 

「だが、どれほど臓器を切り刻もうと、その人間の心が何を考えているかは分からない。本城、お前の言動を通してしか、お前の心の中を推し量れない。お前は俺にとって、いつだって未知の存在だ」

「だから、俺にむざむざ抱かれているの? 俺のことを知りたくて?」

 

 緊張を和らげようと、本城は冗談めかして言った。四柳は答えの代わりに微笑んだ。その笑みはどこか寂しげで、四柳の顔はいつもの優しく穏やかな表情に戻っていたが、本城の疑念はますます色を濃くした。

 よく考えれば、この男は本城嗣郎の生殺与奪のすべてを握っているのだ。それだけでは満足せずに本城の本心を覆う鎧を剥ぎ取って丸裸にしようとしている。

 セックスとは濃密なコミュニケーションだ。本能を剥き出しにした行為は、人間の本性が出る。本城に好きにさせながら、四柳は本城をつぶさに観察していたのだろうか。本城のすべてを知るために。

 だが、知ってどうするというのか。その目的は何なのか。

 ひんやりとしたものが背筋を伝う。

 本城のすべてを知り尽くして、あとは自分の良いように本城を刻むのかもしれない。それこそ、まさしく人喰いレクター博士のように。レクター博士の恐ろしいところは人間を物理的にも精神的にも喰らうところだ。人間を洗脳し、思いのままに動かし、自殺させることさえ簡単だったという。あれはフィクションの話だが、現実がフィクションを超えるのはままある話だ。

 どれほど自分が四柳の前で無防備でいたのかを思い知らされる。鋭い恐怖が身を貫いた。

 四柳の手が本城の顔を挟んだ。ゆっくりと顔が近づき、唇が額に触れる。

 その柔和な仮面の奥で四柳は一体何を考えているのか。

 早く、逃げ出さなければならない。

 この囚われの迷宮から。

 四柳が自分を喰らい尽くす前に。

 本城は瞬きもせずに身を強ばらせたまま、四柳のキスを受けとめた。

 

 

END 

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