top of page
​32歳エリート部長、魔法少女になりました☆
第五話 オオカミ少年の叫ぶ夜

「ふうん……」

 

 御堂はプリントアウトした企画書をパラパラめくり、いくつかコメントを書き込みながら感心したようにつぶやいた。

 

「まさか、ここまでとはな」

「何がでやんすか?」

 

 執務室のデスクに降り立った鬼畜妖精は御堂の手元を覗き込む。そこには、キクチ八課の佐伯克哉の名が記載された企画書があった。

 

「佐伯が作った企画書だ。広報の企画など作ったことがないだろうに、なかなかどうして、面白いものを作ってくる」

「そうでやんすか」

「ああ。正直、驚いた。斬新で奇抜だが、説得力がある。現時点で、これ以上のレベルの企画はないだろうな」

「へえ、すごいでやんすね」

 

 鬼畜妖精もまた、感嘆した声を出した。御堂が他人を手放しでほめるところなど見たことがない。それも、毛嫌いしていた佐伯が書いた企画書だ。よほど、優れていたのだろう。

 御堂が鬼畜妖精に顔を向けた。

 

「おい、鬼畜妖精」

「はいでやんす!」

「一仕事、してもらおうか」

「はい?」

 

 御堂は手に持っていた企画書の束を鬼畜妖精の前のデスクにぽんと放った。その風圧でよろめきそうになるがどうにか堪える。御堂が企画書を指でトントンと叩いた。

 

「貴様のその個人情報駄々洩れ端末で、この企画書を精査しろ」

「はい?」

「この企画書のあらを探すんだ。必ずどこかに問題があるはずだ。それを貴様が見つけるんだ」

「ええ!? あっしがでやんすか!?」

「そうだ。調べるポイントはそれに書き込んである。あいつの企画書をそのまま通すなんてこと、してやるものか。あの取り澄ました顔を屈辱で歪ませてやる」

 

 そう口にして、御堂は唇の片端を吊り上げた。あれほど企画を褒めておきながらも、やはり佐伯への恨みは消えないらしい。大いに呆れて言った。

 

「相変わらずでやんすね……」

「いいから早くしろ!」

「この端末、そういうことに使うものではないでやんすけど……」

「私の言うことが聞けないのか?」

 

 冷たく睨みつけてくる御堂に鬼畜妖精は慌てて姿勢を正した。

 

「い、いえ、直ちにやるでやんす~!」

 

 御堂の機嫌を損なわないように、鬼畜妖精は急いで端末を取り出すと、企画書の内容を調べ始めた。

 そして、それからしばらくして、キクチ八課に佐伯の企画書を正式に採用する旨が通知されたのであった。

 

 

 

 数日後。

 MGN社の会議室、佐伯と共にカジュアルな服装に身を包んだ四人の若者たちが並んで座っていた。楕円型に並べられたデスクに着席し、物珍しそうに会議室の中を見渡している。

 御堂が入ってくるとさっと佐伯が立ち上がった。それに倣うように若者たちもガタガタと音を立てながら椅子から立ち上がる。御堂は佐伯達を見渡すと、向かいのデスクへと着席した。

 

「企画開発部の御堂だ。よろしく」

 

 開口一番挨拶をすると若者たちを一人一人に視線を合わせ、値踏みをするように視線を這わせた。不躾な眼差しに若者たちが身を固くする。

 

「君らがgrab your luggageか」

 

 御堂の言葉に、佐伯が横に並ぶ若者たち一人一人を紹介し始めた。

 

「紹介いたします。grab your luggageのリーダー、横内ノブ、マシュー・クコーズ、モトキハマワキ、五十嵐太一です」

「よろしくお願いします!」

 

 幾分緊張にぎこちなくなった声で、それでいて若者らしい快活さで口々に挨拶する。彼らは『grab your luggage』というバンドメンバーだ。契約のために佐伯に連れられてこのMGN社に赴いたのだ。

 

「佐伯から大体の話は聞いているか?」

「ええ、俺たちの曲を新商品のイメージソングに使ってくれるとか」

「ああ」と御堂は頷き、手元に用意していた資料をめくった。

「君たちgrab your luggageは音楽事務所に無所属でありながら、動画配信サイト、マイチューブに上げたライブ動画は再生回数のべ数百万回突破。若い世代に圧倒的な人気を誇り、今、もっとも勢いのあるバンドと言える」

 

 御堂の言葉通り、grab your luggageはアマチュアバンドでありながら、動画配信サービスを通じた活動を始めてわずか数年でSNSを中心に人気を博し、今は国内外に多くのファンを抱えていた。メジャーデビューも時間の問題だと言われているが、今のところどのレコード会社にも所属していない。そのバンドの曲を佐伯は新商品の広報企画のイメージソングとして据えてきたのだ。もしそれが実現すれば、話題性は十分。このバンドにとっても華々しいメジャーデビューとなるだろう。

 御堂はメンバー一人一人に視線を合わせるようにして、満足げな笑みを浮かべる。

 

「君らの音楽の方向性とわが社の新製品のコンセプトは一致している。君たちの音楽が新製品のターゲット層であるZ世代を中心に人気を博していることも我々は評価している」

 

 好意的な雰囲気に、バンドメンバーは緊張を解いていった。和やかな空気が会議室に満ち、メンバーたちの表情がほころぶ。御堂は、最後に佐伯に視線を合わせ、にこりとほほ笑んだ。

 

「佐伯、君が作った企画は見事なものだ。これからの時勢、マーケティングはデジタルシフトする。その中で、競合が入り込む余地を排除して、わが社の商品を最大限に売り込むというアカウント・ベースド・マーケティングを君はよく理解している。その戦略として、このバンドとのタイアップは目的達成のために最適な手段であるだろう」

 

 誉めそやす御堂の言葉にも関わらず、佐伯は表情をわずかに硬くした。今までにない御堂の友好的な態度に不穏なものを感じたのかもしれない。そして、佐伯の予感は的中する。

 すっかり緩みきった雰囲気の会議室で、御堂は一息おくとおもむろに口を開いた。

 

「だが……残念なことに見過ごせない問題があるな」

「問題?」

 

 バンドリーダーのノブが聞き返した。御堂は小さくうなずく。

 

「ああ。メンバーの問題だ」

 

 御堂は先ほどまでとは違う、鋭い眼差しをメンバーの一人へと据えた。その視線の先には、黒い革ジャンを着た一人の若者がいる。中途半端に伸びた髪を後ろでひとまとめにしていて、人懐っこそうな顔つきの若者はバンドのギターを務める。その演奏技巧は御堂から見ても相当なものだと分かる。その青年は、御堂と視線が合った途端に、表情を変えた。何かを悟ったらしい。御堂はゆっくりと口を開いた。

 

「五十嵐太一、高知に本拠地を置く『鉄勇会』、指定暴力団組織の組長が君の祖父、五十嵐寅一だな」

 

 その一言に会議室が凍り付いた。ノブはその事実を知っていたのか表情を変えなかったが、他のメンバーは初耳だったようだ。唖然とした顔で太一へと顔を向けた。太一が掠れた声を出す。

 

「どうしてそれを……」

「関係者、特に表に出る人間の事前調査など当然のことだ」

 

 御堂は手にしていた資料をデスクへと放った。和やかなムードは消え去り、その口調はひどく冷淡だった。

 

「当たり前のことだが、反社会的勢力とのつながりは決して許容できるものではない。万一、五十嵐組との関係が取りざたされたら、わが社の商品イメージは失墜する」

 

 いったん言葉を切り、佐伯へと視線を向ける。

 

「佐伯、君が作った企画書は申し分のないものだ。私でさえ驚くくらいに。だが、詰めが甘い。メジャーデビューしていないバンドを扱うのなら、メンバーの身元を洗うことくらい当然のことだ。それを怠ったな。君はわが社に重大な損害を与えるところだった」

 

 佐伯の責任をとがめる口調に、佐伯は静かに口を開いた。

 

「知っていました」

「何? 君は彼の実家のことを知っていてこのバンドを推薦したのか?」

「ええ。彼の音楽性と彼の家系はまったくの別問題です。本商品のマーケティングには無関係であると考えました」

「ふん、無関係だと? 関係があるかないかは私が判断する。君は所詮、子会社の平社員だ。何の責任も取れない分際で偉そうなことを口にするな。それとも、君はわが社を危険にさらそうとしたことさえも認める気もないのか?」

 

 反論を試みる佐伯を御堂は鼻で笑い飛ばす。二人の間に緊迫した空気が立ち込めたところで、唐突に太一が声を上げた。

 

「待ってくれよ! 俺はあの家を出てここにいるんだ! あの家や家業のことはもう何にも関係ない!」

 

 これから佐伯を思う存分こき下ろそうとしたところで思わぬ邪魔が入り、御堂は眉を顰めて太一へと顔を向けた。

 

「だからどうした? 君一人がそう言っても世間一般はそうは思わないだろう」

「太一がどんな家に生まれたかは、太一の責任じゃありません」

 

 さらに、ノブが太一をかばうように加勢してくる。

 

「勘違いするな。私は責任の在り処を問題にしているのではない。リスクの有無を問題にしているのだ」

 

 御堂はうんざりしながら言った。会議室内の空気は刺々しいものへと変っていた。

 

「こんなの、不公平じゃないか……!」

 

 ドン、と大きな音が響いた。太一が拳をデスクに打ち付けたのだ。太一が立ち上がって御堂を睨みつける。

 

「俺だって、好きであんな家に生まれたんじゃねえ! あの家の家業を継ぐ気なんてこれっぽちもない。音楽一本で生きていこうと頑張ってきたんだ。それなのに、実家がどうこうでチャンスを奪われるのはどうみても不公平じゃないか!」

 

 太一は一気呵成にまくし立てて、荒く息を吐いた。ほかのバンドメンバーは太一の迫力にあっけにとられたように動けなくなっている。御堂は冷笑を返した。

 

「世の中は不公平だと? そんなこと当たり前だろう。理不尽で不公平、それがこの世界だ。今まで生きていてそんなことも知らなかったのか? どれだけ甘ったれなんだ。それとも、君の家では、騒げばなんでも思い通りになるとでも教わったか?」

「――ッ! ふざけんな!!」

「よせ、太一っ!」

 

 御堂のあざける言葉に太一の針が振り切れたようだ。椅子が派手な音を立てて倒れ、デスクに乗り上がった太一が御堂に殴りかかろうとする。それをノブと佐伯が慌てて押さえつけた。

 

「落ち着くんだ。ここで暴れたら余計に立場を悪くするぞ」

 

 佐伯の言葉に太一は唇をきつく噛みしめた。それでも血走った眼は御堂を見据えて離さない。

 

「このキレやすさも、血筋か?」

 

 御堂は小馬鹿にしたように顎を上げる。

 

「なんだとっ!?」

「挑発に乗るな、太一」

 

 佐伯が太一の耳元で叱咤した。太一はぎりぎりと歯を食いしばりながら、俯いた。御堂の言葉は太一の柔らかく脆い部分を深く抉った。ガクリと太一の身体から力が抜ける。佐伯とノブは太一が落ち着いたのを確認すると、倒れた椅子を戻して着席させた。

 ようやく、混乱が落ち着いたところで、御堂が言った。

 

「まあ、だが、この問題さえ解決できれば君らを採用してもいいと思っている」

「どういうことですか……?」

 

 ノブが訝しげに御堂を見た。

 

「ギターのメンバーなど替えはいくらでもきくだろう。五十嵐太一、君だって、表に出なくてもこのバンドに貢献する道だってあるはずだ。考えてくれたまえ」

 

 会議室内の空気は重く、張り詰めたものだった。その中で御堂一人だけ薄い笑みを保っていた。ゆったりとした動作で立ち上がり、佐伯へと顔を向ける。

 

「佐伯、結論が出たら私に連絡をくれたまえ。いい返事を期待している」

「……はい」

 

 最後にひとつ、にこりと場違いな笑みを残して御堂は会議室を辞したのであった。

 

 

 

「はあ……」

 

 夜の公園、太一はベンチに腰を掛けて胸の中を一掃するほどの大きなため息を吐いた。ズボンのポケットに入れていた携帯が震えて着信を告げる。しばらく無視していたが着信は止まりそうにない。太一は乱暴に携帯を掴んで取り出すと、画面を見ることなく電源を切った。誰からの着信かは容易に想像できた。きっとノブだ。責任感の強いバンドのリーダーだ。話し合いの最中に飛び出していった太一を心配しているのだろう。

 こんなところで時間を潰しても、どうにもならない。問題の先送りをしているだけだ。だが、それでもぐちゃぐちゃにかき回された心は、メンバーたちと向き合うことを拒否していた。

 俯きながら足元の砂を蹴っていると、頭上から声が降ってきた。

 

「太一」

「克哉さん……」

 

 顔を上げれば目の前に佐伯が立っていた。手にはコンビニの袋をぶら下げている。佐伯はその中から缶ビールを取り出すとプルタブを開けて太一に渡した。そして、もう一本缶ビールを袋から取り出すと、太一が何かを言う前に、隣に座ってビールを飲み始めた。

 手には冷えたビール。そういえば喉が渇いていたことを思い出して、太一も缶に口を付けた。冷たい液体が泡を弾けさせながら喉を滑り落ちていく。

 そうやってしばらく無言でビールを飲んでいると、佐伯が口を開いた。

 

「悪かったな。嫌な思いをさせた」

「……いいんだ。俺があの一家に生まれたのは消せない事実だしな」

 

 佐伯と太一は以前からの知り合いだった。太一がバイトをしていた喫茶店ロイドの近くに佐伯が住んでいたのだ。コーヒーを飲みに来る佐伯と自然に顔見知りになり、バンド活動をしていることを告げたらライブを見に来てくれたりしていた。だから、今回、佐伯がMGN社の新商品のイメージソングの話を持ってきてくれた時はうれしいと同時に誇らしかった。ようやく佐伯に良いところを見せられると思ったからだ。だが、事態は最悪の展開になった。

 

「ノブから連絡が来た。お前が飛び出していったとな」

「……」

 

 太一がノブからの連絡を無視したので、佐伯の方に連絡が行ったらしい。

 MGN社を出てからのバンド内での話し合いを思い出した。

 太一以外のメンバーの意見は一致していた。太一を辞めさせるくらいなら、今回の契約を断るというのだ。ノブだけは太一と古い付き合いでもちろん太一の家のことも理解していた。だが、他のメンバーは太一が暴力団の組長の家系だとは知らなかった。それでも、その事実が太一の人となりや音楽性を損なうものではない、とあっさり受け入れてくれたことは泣くほどうれしかった。

しかし、太一はメンバーの提案をそのまま受け入れることはできなかった。バンドを辞めると言ったのだ。それで揉めた結果、今、ここにいる。

 佐伯は静かな声で太一に話しかけた。

 

「本気でバンドをやめる気なのか? 音楽で生きていくんじゃなかったのか?」

「今回の話を断って音楽を続けても、大きなチャンスが舞い込むたびに、俺の家のことを蒸し返されるんだろ。そしたらまた、ダメになる」

 

 太一は足元の砂を乱暴に蹴り上げた。砂埃が舞う。

 

「あの御堂って奴はクッソむかつくけど、あいつの言ったことは間違ってない。俺がいるだけで、grab your luggageはリスクを抱え込んで、チャンスを失ってしまうんだ。俺一人のせいで、あいつらに迷惑をかけられない」

「だから、辞めると?」

「……ああ」

 

 ぶっきらぼうに返す太一に、佐伯はため息を零すように小さく笑った。

 

「随分といい子ちゃんになったものだな、太一」

 

 佐伯は太一の手を掴んだ。そして、何かを握らせる。

 

「太一、これをやろう」

「これは……?」

「ラッキーアイテムみたいなものだ」

 

 太一は自分の手に握らされたそれをまじまじと見つめた。そこにあるのは何の変哲もない普通の眼鏡だ。

 

「これが、ラッキーアイテム?」

「ああ、俺も、この眼鏡で生まれ変わった。本当の自分を知ることが出来た」

「克哉さん、冗談でしょ……」

 

 笑い飛ばそうとした太一は、佐伯の顔を見て言いかけた言葉を失した。淡い色の虹彩がまっすぐに太一を見つめていた。まるで、太一の魂そのものを見透かすかのような真剣さで。

 魅入られたように、佐伯の顔から視線が外せなくなる。

 佐伯が太一の耳に唇を近づけた。低く囁く。

 

「お前の血に流れる本性を見せてみろ、太一」

 

 ひんやりとした眼鏡のフレームが太一の手の熱を奪っていった。

 

 

 

 その夜、御堂は上機嫌だった。機嫌がいい理由は明白だ。あの気に食わない部下、佐伯の思惑を挫いたのだ。それも持ち上げたところから叩き落してやった。佐伯は表情こそ変えなかったが内心歯噛みしていることだろう。それを考えると気分は晴れやかで、自然と笑いがこみあげてくる。

 あとは、あのバンドの落としどころをどうつけるかだ。佐伯の企画が優れていることは御堂も認めている。佐伯が泣きを入れてきたところで、嫌味を浴びせながら渋々採用してやるあたりが妥当なところだろう。

 そんなことを考えながら、御堂は残業を普段以上のハイペースでこなし、意気揚々と帰宅の準備をし、MGN社のビルを出た。タクシーを捕まえようと道路に視線を走らせたが、すでにタクシーの姿はなかった。

 夜も更けたオフィス街だ。タクシーは繁華街の方に流れてしまったのだろう。御堂はタクシーを捕まえようと繁華街へと足を向けた。途中に公園があり、そこを突っ切れば近道になる。だが、公園の前で御堂はためらった。以前、まったく同じ行動をして、ここで怪人に出会い、御堂は魔法少女になってしまったのだ。

 足を止めた御堂の肩の上に、小さな影が現れた。鬼畜妖精だ。

 

「どうしたでやんすか~?」

「……この公園を通り抜けるべきか悩んでいる」

「この公園はあっしと御堂の旦那が出会った思い出の公園でやんすよ!」

 

 嬉しそうにパタパタと羽をはためかせる鬼畜妖精をきつく睨みつけた。

 

「だから、縁起が悪いのではないかと思っているんだ」

「縁起だなんて、御堂の旦那でも非科学的なことを気にするでやんすねえ」

「貴様がそれを言うか!」

「旦那は可愛いところもあるでやんすね~」

 

 非科学的事象の集大成ともいえる鬼畜妖精は自分のことは棚に上げて、からかう口調で返してくる。

 いちいち言い返すのも癪だったので、御堂は鬼畜妖精を無視して、公園へと足を踏み入れた。

 オフィス街、ビルに囲まれた公園は都会の真ん中であることを忘れるほどに広く静かだった。疎らな街灯が照らす公園はどこか不気味さが漂い、御堂はさっさと公園を通り抜けようと歩調を速めたその時だった。鬼畜妖精が唐突に声を上げた。

 

「あああっ、怪人が出たでやんす! しかも、この公園の中でやんすよ!」

「やっぱりか! だからこの公園を通るのは嫌だったんだ!」

 

 せっかく上機嫌だったのに、求めてもいない怪人情報で気分が台無しだ。鬼畜妖精を睨みつけたが、鬼畜妖精は御堂を無視して話を続ける。

 

「怪人になったのは……あ、五十嵐太一でやんすよ。今日、御堂の旦那がいじめたあの青年でやんすね。……キチク眼鏡は人の心の絶望に付け入るでやんすからねえ」

 

 鬼畜妖精はまるで御堂のせいだと言わんばかりに、ちらちらと御堂を見てくる。ふん、と御堂は鼻を鳴らした。

 

「私がいじめたとは人聞きの悪い。そもそも、彼の家の情報を教えたのは貴様だろう」

「それは旦那が調べろって言うから!」

「もとはと言えば佐伯が悪いんだ。あいつにもう少し可愛げがあれば、多少は配慮してやったのだが」

「つまりあの青年に、八つ当たりしたでやんすか。それに責任転嫁まで。とても部長のやることとは思えないでやんすね」

「何か言ったか?」

「いいえ、何でもないでやんす~」

 

 言い合いをしながら公園を抜け出そうとしたところで、鬼畜妖精が一点を指さした。

 

「旦那、あそこでやんすよ!」

 

 御堂はとっさに木の陰に隠れて、鬼畜妖精の示したところをこっそり覗き見る。

 そこには巨大な黒い獣がいた。街灯に照らされた獣は狼のような出で立ちでありながらも、その大きさはけた外れだ。肩の高さは人並みにあり、低く唸り声をあげる口からは長く鋭い牙が見え隠れする。一目で獰猛さが分かる姿だ。

 

「……今回の怪人は、何というか、見た目からして本格的に危なそうだな」

「獣型怪人でやんすね」

 

 鬼畜妖精は例のごとく端末を調べて御堂に告げる。

 

「狼男みたいなものか」

「まあ、そんな感じでやんす。歴史と伝統ある怪人で、古くは、十八世紀のフランスを震え上がらせたジェヴォーダンの獣もこの怪人のお仲間でやんす。クラシックタイプな分、今までの怪人とはくらべものにならないほど強いでやんす」

「そうか。では、見つからないうちに早く退散するぞ」

「え、戦わないでやんすか?」

「なぜ、私がこんな危険極まりない怪人と戦わねばならんのだ。何度も言うが、私は魔法少女になりたいなど一度も思ったことはないからな! 平和を愛する一市民だぞ」

 

 そう言って御堂は踵を返そうとしたその時だった。

 

「グォオオオオオオオ!」

 

 獣が空に向かって大きく咆哮した。夜の闇を大きく震わせる。御堂は思わず両耳を塞いだが、頭がガンガンと痛む。

 

「なんなんだ、この音は」

「あの獣型怪人の遠吠えでやんす!」

「仲間でも呼んでいるのか? ――ぅあっ」

 

 そう言った瞬間、身体の芯がずくりと疼いた。みるみるうちに体温が上昇し、鼓動が早鐘を打ち鳴らす。

 

「どうなっている? 身体が熱い……っ」

 

 肌がうっすらと汗ばみ、得も言われぬ衝動がこみあげてくる。

 

「旦那、あの怪人の力でやんす! この遠吠えを耳にしたものは、獣の本能を呼び起こされるでやんす」

「獣の本能だと?」

「ずばり、セックス&バイオレンスでやんす! あの遠吠えは半径二キロくらい響きますから二キロ圏内の人間たちはみんな獣化するでやんすよ。血をみるかも……」

「なんだと……」

 

 出した声が掠れる。間近で遠吠えを耳にしてしまったせいだろうか、体内の血が滾り、じんじんとした熱い衝動に理性が吹き飛びそうになる。滾る血は股間へと流れ込み、勃起しそうになって御堂は股間を抑えた。前かがみの姿勢になってしまう。

 

「御堂の旦那は暴力よりも、性欲の方が刺激されたみたいでやんすね」

「そんなこと言っている場合か!」

 

 これはまさしく発情している状態で、この場にほかの誰かがいたら問答無用に襲い掛かってしまいそうだ。そんな衝動を辛うじてこらえながら、舌打ちする。

 

「旦那、遠吠えに思考が支配される前に、変身するでやんす! それに早くしないと辺り一体危ない人たちで溢れかえるでやんすよ!」

「く……。東京随一の地価を誇るこの街を無法地帯にしてたまるか」

 

 本当は魔法少女になぞなりたくなかったが、そんなことを言っている場合などなかった。原始の本能が沸き立ち、このままでは自分が何をしでかすか分からない。この遠吠えが届く範囲には繁華街もある。そこの人間たちが獣欲の赴くままに暴れだしたら大惨事だろう。

 一刻も猶予はない。御堂はジャケットのポケットからエネマグラを取り出した。それを頭上に掲げる。

 

「エネマキュア!」

 

 叫ぶと同時に、圧倒的な光が御堂を取り囲む。身にまとった最上級の仕立てのスーツは消え去り、引き締まった裸体が現れる。同時に光が縒り合わさったかのような輝く布が御堂の身体に巻き付いた。その光の布はみるみるうちに可憐なコスチュームになって御堂の身体を彩る。御堂の髪と双眸は艶やかな紫に染め上げられて、整えられた髪にカチューシャが装着される。成熟した男の身体を魔法少女の愛らしい衣装が引き立てた。

 

「魔法少女エネマキュア参上!」

 

 夜の公園に、颯爽と魔法少女が降り立った。

 

「五十嵐太一、どんな理由があるにしろ怪人になるという反社会的行為は捨て置けん。覚悟しろ」

 

 獣は御堂の姿を見つけて、「グルルルル……」と威嚇するように唸る。

 

「さっさと片付けるぞ」

 

 御堂は魔法スティックを振り上げた。

 

「エネマスプラッシュ!」

 

 超広域魔法を発動する。先の戦いのおかげで、御堂の身体には魔力が溢れかえっていた。

 御堂の声に応えて巨大な光が弾ける。無数の光の矢が四方八方に飛び散る。この光の矢は怪人の魔力をどこまでも追尾して影響を受けたものを浄化する。先ほどの遠吠えで感化された者たちを全員元に戻すことが出来るはずだ。

 そしてまた、目の前の怪人に対しても光の矢は向かっていった。眩い光がさく裂する。

 

「やったか?」

 

 早々に勝利を確信した御堂だったが、光が掻き消えると同時に現れたのは光の矢をかみ砕く獣の姿だった。

 

「なんだと……」

「ガウウッ!」

「……ッ」

 

 吠えられると身が竦む。相手はどうみても完全な獣にしか見えない。とても話が通じる相手には思えなかった。

 今まで必殺技を使えば必ず勝てていた。それが、この獣型怪人には通用しないらしい。これまでの怪人より強いというのは本当のようだ。唖然とした御堂に獣が頭を低くすると、大きく地面を蹴って襲い掛かった。

 

「うあっ!」

 

 鋭い爪が生えた前足が御堂の背を押さえつけた。圧倒的な力の差に、やすやすと押さえ込まれる。獣は御堂を四つん這いさせて、尻を突き上げるか格好にさせた。さっと前足の爪が御堂の股間を掠める。

 

「ひあっ」

 

 痛みを予期して声を上げたが、爪は御堂の下着だけをやすやすと切り裂き、股間をむき出しにする。ひんやりした夜気に触れて、寒さとおびえに縮こまったペニスが露になる。

 尻の狭間、ひくんと窄まるアヌスが熱く濡れたものに舐め上げられた。

 

「ぁああっ」

 

 肉厚な長い舌が御堂のアヌスに挿しこまれた。触手のように中で蠢き、奥深いところの肉襞を擦り上げる。獣の熱く濡れた舌にぐりぐりと粘膜を擦り上げられアヌスをほじられ、御堂は抗う声を上げた。

 

「やめっ、離せ……っ!」

 

 ずるっと舌が引き抜かれた。だが、安堵したのもつかの間、獣が荒い息を吐き御堂に覆いかぶさってくる。それはまるで獣の交尾の体勢で、御堂はぎくりと身体をこわばらせた。恐る恐る振り向けば、獣の後ろ脚の間に、巨大なモノが反り返っている。ヒッ、と御堂は息を鋭く吸い込んだ。

 

「まさか、それを……」

 

 はち切れんばかりに育ったペニスは、人間のそれより度を越して大きい。そしていびつなイボのような突起がペニスのあちこちにある。その異形のペニスを目にしてごくりと唾を呑み込む。

 

「そんなの、無理だっ、よせっ!」

 

 獣は御堂の拒絶を意に介さず、位置を合わせるように二三度腰を軽く打ち付けると、ぐうっと腰を入れてきた。

 

「あ、ああああっ!」

 

 メリメリと肉が裂けるような音がするようだ。獣のペニスが力任せに御堂の肉をこじ拓いて無理やり根元まで納められる。

 獣は御堂の身体が慣れるのを待つことなく、律動を始めた。ぎりぎりまで引き抜かれ、抜ける直前でまた最奥まで突き入れられる。

 

「ぁぐ、ふう、あ、はあああっ」

「グァアア……」

 

 唸り声が御堂の鼓膜を震わせる。その声は、遠吠えと同じトーンで御堂の脳を痺れさせる。ただでさえ感じやすいエネマキュアの身体が、獣の声の魔力によって発情させられていった。

 じんじんとした熱い衝動が込み上がってくる。くたりと上体の力が抜けて地面の上にへたり込むが、獣の硬いペニスに穿たれた尻は空に固定されたままだ。

 

「んあっ、あ、はぁああああっ」

 

 艶めいた声が混ざり始める。獣に犯されて感じたくなどないのに、身体は勝手に発情し、快楽を拾い始めた。御堂のペニスはいつの間にか張り詰めて、先端からは蜜を滴らせ続けている。

 

「はあっ、んあ、あ、ああああっ」

 

 気づけば御堂は四つん這いになった足を開き、獣を自ら迎え入れるかのように腰を高く掲げていた。発情しきったメス犬のようにハッハッと荒い呼吸を刻む。獣によって発情させレれた身体はいっそう感度をまして、淫らな薬物をきめたかのように突き入れられるたびにこれ以上ない快楽を感じていた。

 従順になった御堂を獣は後ろから激しく突きまくる。

 ペニスをいびつにかたどる無数のイボが腸のあちこちを刺激して容赦なく責め立てられる。獣の長大なペニスが御堂の粘膜を抉りぬいた。誰にも犯されたことのない深いところを貫かれて、未知の感覚に善がり泣く。

 

「んあっ、そこ……深すぎるっ! あああっ、気持ち、いいっ、らめ、もっとっ」

 

 理性では拒絶しているのに、メスと化した本能が獣の種付けをねだってしまう。身体を押さえつけられていなければ、恥知らずのように腰を振り立てて獣に犯されることをねだっていただろう。

 

「はああっ、ぁ、らめ、あ、やああ、そこっ」

 

 獣はますます勢いづいて、体重をかけるように腰を叩きつけた。ぐちゅぐちゅと濡れた音が響き、獣のペニスがさらに大きくなる。息つく間もなく犯され続けているのに、声を上げればあさましい嬌声しか出ない。

 

「グァウ……」

 

 獣が喉を低く鳴らし、重たく腰を打ち付けた。

 ビュルルルルッと奔流の音が聞こえそうな勢いで、大量の精液が撃ち込まれていく。熱い粘液が濁流のように迸り、御堂もまた絶頂に達した。ペニスが跳ねて、何回かに分けるようにして精液を噴き出した。あまりにも激しい極みに意識がもうろうとする。

 

「ぁ……ああっ?」

 

 絶頂の余韻に浸ろうとして、御堂は違和感に気が付いた。獣の射精が終わらないのだ。だくだくと精液が注ぎ込まれた下腹部が重たくなっていく。

 

「苦し……っ、も、抜け……っ」

 

 苦痛に顔をゆがめて、嫌々というように首を振るが、獣は御堂の身体をがっしりと押さえつけたまま深くつながり射精を続ける。そういえば、犬の射精は三十分以上続くと聞いたことがある。

 

「ぁ、あ……」

 

 腹部が大量の精液で不自然に膨れ上がる。あまりの苦しさに御堂の額から脂汗が滴り落ちた。

 獣は満足したのかグルグルと喉を鳴らして御堂の首筋を満足げに舐め上げる。猛烈な排泄衝動がこみあげてくるが、獣のペニスに栓をされて出すことがかなわない。行き場を失った精液がぎゅるぎゅると音を立てるようにして御堂の腸内を逆流する。内臓の隅々まで精液に満たされる苦しさに煩悶する。

 

「ぁ、ああっ、んあっ、も……無理っ、出したい……んあああ!」

 

 御堂を確実に孕ませようとするかのように執拗に交わっていた獣がようやく腰を引いた。長時間犯されて緩みきったアヌスから大量の精液が噴水のように噴き出した。高く掲げた腰からあふれる大量の精液は可憐なコスチュームを汚していく。

 

「ぁ……ふぁ、あ……」

 

 苦しさが一瞬にして消えうせ、快美な感覚へと塗り替えられる。まるで排泄するかのような快楽に御堂は再び達していた。

 その時、御堂の身体が淡い燐光を発した。魔力が充填された徴(しるし)だ。魔法少女として刻み込まれた戦いの記憶が絶頂に霞む御堂の意識を引き戻した。瞑目しかけた目をカッと見開く。

 

「エネマフラッシュ!」

 

 叫んだ声に魔法スティックが反応する。眩い光を放つそれが、巨大な光の塊となって獣を弾け飛ばした。

 

「ガアアアアアッ!」

 

 獣が大きく口を開いて吠えた。溢れる光は御堂を包みこむ。身体を浄化され、爪の先まであふれんばかりの魔力を滾らせながら、御堂はその場に降り立った。今度こそ片を付けたつもりだったが、獣は光に襲われ、ぼろぼろになりながらも、まだ踏ん張っていた。その強靭さは想像以上だ。

 

「動きを封じたでやんす! このまま決着を付けるでやんすよ、旦那」

 

 どこに隠れていたのか、何事もなかったかのような顔をして鬼畜妖精が現れた。横目で睨みつけながらも、御堂は聞いた。

 

「どうするんだ?」

「古くからオオカミ男を倒すのは銀の弾丸と決まっているでやんす!」

 

 鬼畜妖精がどこからか銀の弾丸を取り出して御堂に手渡した。これをどうしたものかとしげしげ眺めていると、

 

「魔法スティックを使うでやんすよ」

 

 という。

 

「これを?」

 

 訝しげに魔法スティックを掲げると、魔法スティックがみるみるうちに縮んで拳銃のサイズになった。

 

「エネマ銃(ガン)でやんす!」

「どうみても一回り大きいだけのエネマグラだが……」

 

 T字型の太く突き出た部分がどうやら銃口らしい。だが、どこに弾を充填するのか、試しに弾丸をエネマ銃に近づけると、ふっ、と弾丸が掻き消えた。それと同時にエネマ銃が銀色に輝きだす。

 

「さあ、狙いを定めて!」

 

 鬼畜妖精に言われるまま、獣にエネマ銃を向けた。そして、叫ぶ。

 

「エネマショット!」

 

 銃口から魔力が込められた銀の弾丸が発射された。眩いばかりの光の輝線を描いて、銀の弾丸は一直線に獣の胸を貫いた。

 

「グォオオオオオオオ!」

 

 獣の断末魔が闇を震わせた。パンッと破裂するような音が響き、黒い獣が内側からはじけ飛んだ。そして、中から一人の若い男が現れ、意識を失ったようにそのまま地面に突っ伏した。五十嵐太一だ。

 

「やったでやんす!」

 

 鬼畜妖精がガッツポーズをする。

 倒れた太一の顔には、例にもれず眼鏡がかかっていた。ピシリ、とレンズにひびが入り、一瞬で砕け散る。

 無事に怪人化は解けたらしい。安堵に胸を撫でおろしたその時だった。

 

「――ッ!」

 

 鋭い衝撃が右肩を貫いた。身体が後方に吹っ飛び、地面に叩きつけられる。

 

「ぐ……っ」

 

 右肩が焼けた火箸を突き刺されたかのように激しく痛んだ。顔を向ければ、御堂の右肩に真っ黒な刀が刺さり、地面に御堂を縫い付けていた。刀身は闇のように黒く、何の光も反射しない。御堂の顔さえも映らず、虚ろな闇を湛えている。その刀は単なる刀ではないことは一目瞭然だった。

 手足が痺れたように動けなくなっていた。肩に鋭い痛みが居座り、そこから何かがあふれ出るように失われていく。血液と魔力が吸い取られているのだ。その刀を取り除こうにも、もはや指の一本も動かせなくなっていた。仰向けになった視界に大きな白い月が映り込む。

 ひんやりとした夜気が身体の中心へと入り込んできた。信じられないし、信じたくもないが、もしかして死ぬのだろうか、そんな恐怖が身体の芯を震わせた時だった。

 カツン、カツンと規則正しい足音が公園に立ち込める静寂を寸断した。それが、ゆっくりと御堂に近づいてくる。

 そして、真上に向けられた視界に人影が現れた。御堂の傍らに立ち、見下ろしてくる。黒いマントが風にはためき、月を背負うその人物が男だということはシルエットから分かったが、その顔は陰になって判然としない。だが、その男がかける眼鏡のフレームが冷たく輝いた。

 

「初めまして、ミスター・エネマキュア」

 

 闇に染み入るような低い声が投げかけられる。男はどこか愉悦を含ませた口調で御堂に話しかけてきた。御堂は掠れた声を絞り出す。

 

「誰だ……?」

「俺が誰だか、知りたいか?」

 

 瀕死の御堂を前にしても、男は手を差し伸べようともしなければ、気遣う素振りさえみせない。それどころか、口元には禍々しい笑みを浮かべている。御堂の味方でないことは確かだ。その男がまとう気配はただならぬもので、普通の人間とは思えなかった。全身の肌が粟立ち冷たいものが背筋を駆け抜ける。

 男は御堂の肩に突き刺さった刀の柄に黒い革手袋をまとった手をかけた。そのまま刀をぐりっと捩じる。

 

「ぐああああっ!」

 

 肉を抉られる激しい痛みに視界に火花が散り、声が枯れるほどの悲鳴を上げた。男は目を眇めて冷たい笑みを深めた。まるで、御堂の悲鳴を楽しんでいるかのようだ。

 男はしばしの間、御堂をいたぶるとゆっくりと刀を引き抜いた。

 

「くぁっ」

「だが、残念だな。俺が誰だか知ったところで、もうお前にとっては詮無きことだ。なぜなら、お前はここで死ぬからな」

 

 男はゆっくりと刀を頭上に掲げた。丸い大きな月の真ん中に漆黒の刀身が一筋の線を引く。男が冗談でもなんでもなく御堂を殺そうとしていることは明らかで、御堂は必死に声を上げた。

 

「待て……っ! お前は何が目的なんだ!? 金か? それとも出世か……!?」

「魔法少女は随分と俗なことを考えるんだな」

 

 男の手が止まり、呆れる声が降ってきた。

 

「……そうだな。俺が望むのは、お前の絶望に染まる顔だ」

「やめろっ!」

 

 男の眼鏡がきらりと輝く。ひゅんと空気を裂く音がして刀が振り下ろされる。斬られる、と目をきつく瞑ったその時だった。

 

「旦那、逃げるでやんす!」

 

 鬼畜妖精が男と御堂の間に突如として割って入った。そして、輝く燐光を発した。男がその眩さに目を眇め、そしてわずかに意識が逸れた瞬間、御堂は鬼畜妖精ごとその場から掻き消えていた。後に残るはわずかな燐光で、それもすぐに散り散りとなって消えうせた。

 

「……」

 

 男が刃を振り下ろした先にはもはや何もなかった。地面に刀が刺さり、その周囲にはかすかな魔力の残滓が漂うのみ。

 

「ちっ、邪魔が入ったか」

 

 男は舌打ちすると、刀を構え直し、虚空に向けて刀を振りかぶった。空気が裂ける音と共に、目の前の空間に縦一直線の切れ目が入った。異空間の入り口のような空間の裂け目、男は迷うことなくその切れ目と足を踏み入れた。ふっと気配が掻き消える。だが次の瞬間には裂け目の向こう側に男が現れていた。

 しかし、その様相は先ほどまでとは違っていた。黒いマントも手にしていた刀もなくなっている。身にまとうのは紺のスーツでえんじ色のネクタイを締めている。一見して、普通のビジネスマンしか見えない。そこにいるのは、佐伯克哉だった。

 佐伯は眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「俺から逃げられると思うな、エネマキュア」

 

 重傷を負ったエネマキュアはここからそう遠くへはいけないはずだった。

 

 ――探して、仕留めればいいだけの話だ。

 

 佐伯は周囲を見渡し、繁華街へと顔を向けた。そこからかすかに魔力の粒子が漂う。

 唇をいびつに歪めて、佐伯は街へと足を向けた。

 

 

 

「ぐ……」

 

 瞬間移動した御堂が現れたのは、公園からほど近い繁華街の人気のない裏路地だった。御堂を包んでいた燐光が消え、重力がかかった瞬間、御堂は立っていられず膝をついた。

 魔法少女のコスチュームは消え、元のスーツ姿に戻っている。攻撃を受けた右肩に手を当てたがそこには何の傷もない。一瞬にして傷が消えていた。

 御堂はあたりに視線をさまよわせた。鬼畜妖精の姿を探すが見つからない。

 

「おい……?」

 

 呟いた声に頭の中でかすかな声が応えた。

 

『旦那……』

「鬼畜妖精か? どうなっている?」

『旦那は致命傷を受けたでやんす。旦那に残された魔力とあっしの魔力を総動員して応急処置をしたでやんす』

「治ったのか……?」

 

 確かに、傷はどこにもなかった。だが、四肢の末端まで色濃い疲労感が染み渡り、身体はひどく重たかった。支えていないとその場に崩れ落ちてしまいそうだ。その一方で、身体の奥底は熱っぽく疼いている。

 

『エネマキュアの身体と旦那の身体は、同一人物でも違う位相の身体でやんす。だから、いったん人間の身体に戻して傷をなかったことにしたでやんす。だけど、魔力はリンクしているでやんすから、時間差でこの身体にも大ダメージが現れるでやんす』

「それはつまり……時限爆弾を抱えているようなものか?」

『早い話がそうでやんす』

 

 この場に瞬間移動する寸前、漆黒の刀が御堂に向かって振り下ろされた。それは寸前で回避できたものの、その前に刺されたダメージは時間差で襲い掛かってくるということらしい。

 

 ――あの漆黒の刀……。

 

 エネマキュアとは異質の禍々しい魔力が込められた刀はエネマキュアの右肩を貫いた。それはまさしく死を覚悟するほどの衝撃だった。その恐怖に御堂はぞくりと身を震わせた。

 

「つまり絶体絶命ではないか!」

『まだ時間はあるでやんす。魔力が同期されるまでに、新たな魔力を得るでやんす。……身体の傷を相殺するだけの魔力を……』

「待て、私は今、一般人だぞ? それに、身体がどこか変だ……」

『それは、怪人の遠吠え影響が残っているでやんす。怪人の遠吠えを受けた状態でエネマキュアに変身したので、元の姿に戻ると同時に発情状態が戻ったでやんす』

「なんだと……」

 

 身体は重いのに、血が沸き立つ発情の感覚が御堂を襲う。

 

「鬼畜妖精、どうにかしろ……っ!」

『あっしの魔力も枯渇して、形を保つことができないで思念だけの状態でやんす。このまま魔力が供給されなければあっしはもう……』

 

 めそめそと泣き出す気配がする。どうやら、鬼畜妖精は魔力の使い過ぎで、自身の形を保つことが出来なくなったらしい。そして、このままの状態が続けば、存在自体が消え去ってしまうようだ。

 

「つまり魔力が必要なのだな……」

 

 エネマキュアのダメージを治すために、どれほどの魔力が必要なのか見当がつかない。そして、どうやってこの身体で魔力を得ればいいかも分からない。御堂の身体は元の一般の人間の身体だ。それも、怪人の影響でとても正常とは言えない状態で、今の御堂に何かできるとは思えなかった。

 御堂はビルの壁に手をついてどうにか立ち上がった。身体がひどく熱い。そして、激しい乾きが御堂を苛む。

 

「苦しい……」

 

 御堂は胸元のシャツを掴んだ。呼吸が弾み、心臓は不穏に乱れ売っている。エネマキュアの時のように、肌は過敏になっていて、ちょっとした服の擦れだけで淫らな電撃が身体を駆け抜ける。焦がれるような熱が身体の芯を炙っていた。それでも、何とか魔力を得なくてはならない。

 だが、どこに向かえばいいのか。

 あてどもなく足を踏み出したところで、よろめいた。バランスを崩し、その場に倒れ込みそうになった。咄嗟に目の前を通りかかった男にしがみつく。

 

「す、すまない……」

 

 体勢を整えようにも、ふらついて足腰に力が入らない。しがみつかれた男が戸惑うような気配を見せた。もう一度詫びようと顔を上げたところで、見知った顔が目の前にあった。男も、御堂を見て大きく息を呑む。

 

「御堂……部長?」

「佐伯……?」

 

 佐伯が手を伸ばした。脇の下に手を入れられて、ぐっと身体を持ち上げられる。よろめく身体を無理やり立たされた。それでもバランスを保てず、佐伯に肩を貸される。

 

「どうしたんですか、こんなところで」

「それは……」

 

 この窮地を上手く説明できる言葉など持っていなかった。言葉を詰まらせる御堂の顔を佐伯が覗き込んでくる。

 

「随分と具合が悪そうだ。大丈夫ですか?」

 

 端正な顔立ちの、レンズの奥の淡い虹彩が御堂を見つめた。薄く、形の良い唇が御堂に向かって何かを言っている。だが、もはや佐伯の言葉など聞こえていなかった。渇きと衝動は極限まで高まっていた。

 御堂は衝動に唆されるまま、御堂は佐伯のスーツの襟をつかんで、ぐいと引き寄せた。佐伯に噛みつくような勢いで唇に唇をぶつけた。

 

 

 

 泥のように深い眠りだった。

 時間の感覚もなく、昏々と眠り続ける。前後不覚になるようなこんなにも深い眠りはいつぶりだっただろうか。御堂の身体を覆う上掛けやベッドのスプリングは気持ちよく、窓から入り込む朝陽さえも御堂の熟眠を邪魔することはできなかった。このままいつまでも眠っていられそうだ、そんなことを頭の片隅で思いながら睡眠を貪っていると、声が聞こえた。

 

「御堂部長」

 

 身体を揺さぶられる。その手を条件反射で除けようとして、違和感にハッと意識が戻った。瞼を押し上げると、まばゆいばかりの陽の光に満ちた見知らぬ部屋が視界に広がった。

 そして、御堂を覗き込む見知った男。佐伯だ。

 

「――ッ!」

 

 驚きにはね起きた。急激に意識が覚醒する。

 自分の身体を確認すれば、一糸まとわぬ姿でベッドに寝ており、腰には気だるい重苦しさが残っている。慌てて周囲を見渡せば、ホテルの一室だった。なぜこんなところにいるのか分からないが、何が起きたのか一目瞭然だった。

 

「な……」

 

 混乱に陥る御堂とは対照的に、佐伯は完璧なスーツ姿でベッドの傍に立っていた。目が合うと澄ました顔をして口を開く。

 

「御堂部長、朝一で行かないといけない卸先があるので、お先に失礼します。朝食はルームサービスで頼んでおきました。三十分後です。それでは」

 

 それだけ言って頭を軽く下げて、部屋から出ていこうとする。慌てて佐伯を呼び止めた。

 

「……待て!」

「はい?」

 

 踏み出しかけた足を戻した佐伯が振り返る。御堂を見つめるレンズの奥の眸がかすかに眇められた。何を訊こうか迷い、言葉を選びながらおそるおそる尋ねた。

 

「私は、昨夜、君と……?」

 

 佐伯はまじまじと御堂を見返して、そして、唇を笑みの形に吊り上げた。

 

「御堂部長がこんなに積極的な方だとは知りませんでした」

「私が君を誘ったのか?」

「ええ、覚えてないんですか?」

「……いや、もういい」

 

 額に手を当てて大きく嘆息すると、佐伯がふ、と吐息で笑う気配がする。そして、「それでは」という言葉と共に今度こそ佐伯は部屋を出て行った。パタンとドアが閉まると同時に、ベッドの上に鬼畜妖精が姿を現した。

 

「御堂の旦那! おかげさまですっかり身体は元通りですよ! 旦那の魔力のみならず、あっしの魔力も完全回復したでやんす!まさか、一晩であれほど魔力をゲットできるなんて。さすが御堂の旦那でやんすね!」

 

 御堂に見せつけるように、鬼畜妖精は御堂の目の前でくるっと回ってみせる。羊の角に、蝙蝠の羽。サングラスをかけた怪しさ極まりないいつもの姿だ。だが、喜びに満ち溢れる鬼畜妖精の姿などすでに御堂の視界にはなかった。シーツを握りしめる手がわなわなと震える。

 

「……魔法スティックを」

「はい?」

「魔法スティックを出せ! あの男の記憶を直ちに消去してやる!」

「はい!?!?」

 

 シーツを乱暴に跳ねのけて御堂はベッドから這い出ようとして、腰の痛みに顔をしかめた。その痛みが昨夜の激しさを物語っていて、御堂はさらなる怒りと羞恥に悶えた。

 

「絶対に許すものか……!」

「落ち着いて、旦那!」

「これが落ち着いていられるか! 私は、あの男に抱かれたんだぞ! こんな屈辱あってたまるか!」

「だけど、おかげで御堂の旦那の魔力もすっかり元通りでやんすし、あっしだって消滅を免れたでやんす。人間の姿でここまで魔力をゲットできるなんて、御堂の旦那、あの方と相性いいでやんすよ!」

「そんなわけあるか! 一刻も早くあの男の記憶を消去しろ」

「む、無理でやんす! エネマキュアの力で消せるのは怪人にかかわる記憶だけでやんす。普通の人間の普通の記憶を消すなんてことはできないでやんす!」

「なんだと?」

「まあまあ、結果良ければすべて良しってことで……」

「どう見ても最悪の結果だろう!」

「そうでやんすか……?」

 

 絶体絶命になりながらも、御堂は昨夜一晩で起死回生するほどの魔力を得た。さらにそのおこぼれに預かって、鬼畜妖精も元通りの姿に戻れたのだ。

 エネマキュアに変身した御堂は、怪人や怪人に影響された男たちに手ひどく犯されている。それに比べれば、昨夜の出来事なんて毛ほどのことでもないだろうと、鬼畜妖精は思うが、それを口にしないだけの分別はあった。そんなことを言えば火に油を注ぐことは自明だったからだ。それに、エネマキュアではなくて御堂自身の身体が抱かれるのは初めてで、それはとても許しがたいことに違いない。そう考えれば多少は同情に値するが……。

 鬼畜妖精はどうにか御堂をなだめようとしたが、御堂の怒りは一向に収まる気配はなかった。

 

「佐伯の記憶が消せないなら、佐伯の存在を消し去るしかない……」

 

 血走った眼で低く唸る御堂に、鬼畜妖精は呆れながら言った。

 

「旦那! それ、正義の味方とは思えない発言でやんす!」

「誰が正義の味方だ! 私は、私の味方だ!」

「あ、旦那、そろそろ朝食が来るんじゃないですかね。早く着替えた方がいいでやんす」

「何……?」

 

 佐伯は三十分後に朝食を頼んだと言っていた。早く支度をしないとルームサービスが来てしまう。

 朝食と聞いて、御堂のお腹がぐうと鳴った。どうやら、空腹だったのを思い出したらしい。よく考えれば昨夜から何も食べていないのだ。御堂の思考が朝食へと逸れていく。

 

「くそっ、佐伯め、覚えていろよ!」

「さっきまで記憶を消すとか言ってなかったでやんすか?」

「うるさい! 黙れ! この害虫が!」

 

 御堂はぶつぶつ悪態を吐きながら、急いでシャワーを浴びにバスルームへと向かったのだった。

 

 

 

 そして、その日の午後、御堂は会議室で佐伯とgrab your luggageのメンバーたちと向かい合っていた。佐伯からバンドの結論が出たので再度面会したいとの連絡があったのだ。今朝あんなことがあったものだから、正直、佐伯と顔を合わせたくはなかったが、致し方なしに御堂は会議室で会うことにした。

 時間通りに佐伯はバンドメンバー全員と共にMGN社を訪れた。

 軽く挨拶した後に、ノブが代表して口を開いた。横では太一が神妙な顔をして立っている。

 

「御堂さん、昨日の提案ですが……お断りいたします」

「断るだと?」

 

 ノブは他のメンバーと視線を交わした。皆、表情は清々しく、ノブが口にした結論に異論はないようだ。ノブが口を開く。

 

「俺たちのバンドに太一は必要不可欠なメンバーです。今回の企画は間違いなく俺たちにとって大きなチャンスだと思います。ですが、俺たちは何よりも、俺たちの音楽を優先している。チャンスと引き換えに俺たちの音楽を失うわけにはいかないんです。だから、今回の話はお断りさせてください」

 

 そう言って、ノブは御堂に頭を下げた。その隣で太一やほかのメンバーも次々に御堂に向かって頭を下げる。

 御堂は、メンバーの横に立って成り行きを見守る佐伯に目を向けた。

 

「君の意見はどうなんだ、佐伯」

「これが彼らの総意なら尊重されるべきでしょう。俺も、太一なしの音楽ではこの企画のインパクトが欠けると考えます。太一抜きのこのバンドとタイアップすることは無意味です」

「このバンドなしで君の企画は成り立つのか?」

「いいえ、無理でしょう。俺の企画は取り下げます」

「ふうん」

 

 御堂はしばしの間、考え込むように沈黙し、おもむろに口を開いた。

 

「君らの意見はよく分かった。そのうえで、改めて、君らのバンドとのタイアップを願いたい。もちろん、メンバーはこのままで結構だ」

「え?」

 

 手のひらを返したかのような突然の提案に太一が目を丸くする。

 

「我々MGN社はイノベーションを目指している。イノベーションとは、新しい価値の創造だ。それはすなわち、既成概念の打破でもある。君たちの音楽もまた、その時代時代の権力や体制を歌や演奏で時に賛美し、時に批判し、変革を促してきた。我々は商品で、君たちは音楽で世界を変えようとしている。すなわち、我々が目指すところは同じだとも言える」

 

 御堂は言葉を切って、太一の眸をまっすぐに射る。

 

「スキャンダルなどもってのほかだ。万一、君の実家が問題となった場合は、それを跳ね飛ばすくらいの、圧倒的な実力を見せてみろ。もちろん、君らの音楽がスキャンダルに負ける程度のものだった場合は我々のパートナーとして力不足として切り捨てる。それで、いいな?」

 

 御堂の覚悟を問う言葉に場が静まり返る。だが、それもほんの一瞬で、すぐに威勢の良い返事が返ってきた。

 

「はい! よろしくお願いします!」

 

 太一やノブ、他のメンバーたちが思わぬ展開に歓声を上げて喜び合う。

 御堂は手元の書類からあらかじめ準備していた契約書を取り出した。もともと、契約をするつもりだったのだ。昨日は言い過ぎたかと多少後悔しているが、反省はしていない。

 メンバーを前に、御堂は契約事項の説明をする。佐伯は淡々とした表情で同席し、契約が締結するのを見届けた。

 こうして、つつがなく契約を終え、御堂はメンバー一人一人と握手をして解散となった。

 

「待て、佐伯」

 

 メンバーを見送り、会議室を出ようとする佐伯を呼び止めた。佐伯は足を止めて、御堂に向き直る。念のため、佐伯に釘を刺しておく。

 

「今回の私の判断は決して君に忖度(そんたく)したわけではないからな。リスクを取り、責任を負う。それが私のポジションに伴う責務だからだ」

「分かっています。正直、御堂部長を見直しました」

 

 佐伯の言葉に御堂は眉を顰(ひそ)めた。

 

「見直した、だと? 君はどこまでも偉そうだな」

「お話は以上でしょうか。……それでは、失礼します」

「待てと言っているだろう!」

 

 さらりと御堂をあしらって帰ろうとする佐伯の腕を掴み、会議室の奥へと引き込んだ。

 

「まだ何かあるんですか?」

 

 迷惑そうな表情を隠そうとしない佐伯に、詰め寄る勢いで言った。

 

「……ホテル代、払わせろ」

 

 その言葉を口にすること自体が屈辱で、頬を紅潮させながら早口で言い捨てる。今朝、結局、佐伯が頼んだルームサービスの朝食を食べて、ホテルをチェックアウトしようとしたところで、財布を出す御堂にフロント係が「代金はすべてお連れの方がお支払いされました」と告げたのだ。

 七歳年下の男、それも部下を自分から誘った挙句に、ホテル代までおごらせたのだ。ありとあらゆる点で御堂の矜持が傷ついているが、せめて是正できるところは是正しておきたい。

 

「ホテル代?」

 

 佐伯は訝しげに御堂を見返した。

 

「とぼけるな! 昨夜泊まったホテルのことだ」

「ああ……、それでしたら結構です」

「これ以上、貴様に借りなど作りたくない」

「それなら……」

 

 佐伯はくすりと笑みを零した。挑発する視線を御堂に向ける。

 

「次のホテル代は御堂さんが持つということでどうですか」

 

 御堂は、ポカンと口を開けて佐伯を見た。そして、次の瞬間、顔を真っ赤にして怒り出した。

 

「ば、馬鹿を言うなっ! 貴様とホテルに行くなど、二度とあってたまるか!」

 思わず声を荒げた御堂に、佐伯は人差し指を口の前に立てて静かにという素振りをする。

「御堂さん、周りに聞こえますよ」

「ぅ……」

 

 周囲を気にして慌てて黙り込む御堂に、佐伯は声を潜めて囁いた。

 

「分かりました。では、こうしましょう。今度一緒に食事をしましょう。その代金を御堂さんが持つということでどうですか?」

「君と二人でか?」

 

 露骨に嫌そうな顔をする御堂に、佐伯は言葉を続けた。

 

「何人でも俺はかまいませんよ。あとで連絡します。それでは」

 

 佐伯は可笑しさを堪えられないといったように肩を震わせながら会議室を出て行った。その後姿を御堂は呆然と見送るしかなかった。

 

 

 

 キクチ八課に戻ると、佐伯はビルの屋上へと出た。天気は良く、一面の青空だ。佐伯は青空を仰ぎ見ながら、シャツの胸ポケットからタバコを取り出すと火を点けた。大きく吸い込み煙を吐き出すと、あっという間に強いビル風にかき消される。

 手すりに寄りかかりながら視線を下ろした。多くの人間が行き交う地上を眺めつつ、タバコを味わっていると、唐突に背後から異質な気配が漂った。振り返らずとも、何が現れたのか分かっている。佐伯の背中に声がかかった。

 

「我が王、昨夜は仕留めそこないましたか」

「ああ」

 

 タバコを咥えながら気のない返事をする。

 

「ですが、それほど落胆されてないご様子」

「まあな。致命傷は与えた。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないし、そうでなくても動くことさえ難しいはずだ」

「……」

 

 昨夜、佐伯はエネマキュアにとどめを刺そうとして逃げられた。それを追う道すがら、御堂と遭遇したのだ。

 その時の御堂の様子は明らかにおかしかった。ふらつく御堂を支えた拍子に、御堂は唐突に佐伯に唇を押し付けてきた。

 驚く一方で、すぐに思い当たった。怪人の遠吠えに影響されたのだ。怪人の影響はすべてエネマキュアの必殺技によって浄化されたはずだった。だが、御堂は運悪く浄化されそこなったのだろう。

 御堂は周囲を気にすることなく、佐伯にしがみついてキスをしてきた。

 

「ん……、ふっ」

 

 御堂が甘く呻く。佐伯に対して敵意と侮蔑の視線しか投げつけてこなかった男が、目許を赤く染めて、自らキスを貪ってくる。

 仕立ての良いスーツの襟元から見える白いうなじ、そして頬も紅潮し、潤む眸は発情の彩りに染まっている。

 唇を重ね、唾液を混ぜ合わせながら御堂の舌をきつく吸った。途端に、御堂の喉が甘ぐるしく呻き、御堂の身体が大きく跳ねた。キスひとつで達してしまったらしい。

 だが、今、御堂に構っている暇はない。早くエネマキュアを探してとどめを刺さなくてはならない。

 身体を離そうとしたが、佐伯のスーツをひしと掴む御堂の手が細かく震えていた。つらそうな顔をして快楽を堪えようする御堂を、佐伯は突き放すことはできなかった。

 こうして仕方なしに、快楽に酩酊した御堂を抱えるようにしてタクシーを捕まえ、ホテルに宿を取ったのだ。

 御堂の理性はとっくに溶かされて跡形もなくなってしまったようだった。甘えるように身体を摺り寄せてくる御堂の服を脱がした。部屋にあったアメニティのローションを使い、御堂の引き締まった尻の狭間に指を伸ばす。男を知らない身体だということはすぐに分かった。男を抱いたことはあったとしても、抱かれたことはないのだろう。

 硬く閉ざそうとするアヌスを探り、佐伯の指に慣れさせる。

 

「――ぁ……っ」

 

 御堂が、苦しげで余裕のない声をあげた。顔を見れば、眉根はきつく寄せられ、佐伯の指を必死に耐えるように唇を噛みしめている。

 

「御堂……」

 

 名前を呼んで、御堂の唇をぺろりと舐め上げた。すると誘われるように御堂が唇を押し付けてくる。キスを交わしながらたっぷりと時間をかけて御堂のアヌスを拡げていった。物欲しげに佐伯をねだる御堂が正常な状態でないと知っていながらも、一応、確認する。

 

「このままだと俺に抱かれますよ、いいんですか?」

「ぁ、いいから……早く……っ、く、ああああ」

 

 御堂は一切の抵抗をしなかった。つらそうな声を上げながらも、御堂は佐伯を深く咥え込んでいく。怪人の影響なのだろう。御堂は後ろを使った初めての交わりでも、しっかりと感じることができている。

 

「んあ、は……ぁ、あ、はぁ、あ、あああ」

 

 引き締まった身体が佐伯の愛撫を受けて跳ねる。艶やかな肌と潤んだ眸、発情しきった身体は貪欲に佐伯を求めている。

 佐伯の前は高慢で一分の隙も見せないのに、今や佐伯の上で淫らにくねり、切ない声をあげながら貪欲に男を欲しがってみせる。普段の御堂からは想像もつかない姿だ。

 誰も知らない、本人さえ知らない御堂の淫乱な姿を暴いていく。

 少しでも気を抜けば、この淫蕩な身体に囚われてしまいそうだ。いや、すでに虜にされていたのかもしれない。ほかの人間に対して興味など覚えることのなかった自分が、もっと御堂を鳴かせて乱れさせたいと誘惑に駆られている。

 そうして、佐伯は一晩かけて御堂を抱きつくした。もちろん最後には怪人の遠吠え効果もちゃんと消しておいた。

 そして、今朝、目覚めた御堂が佐伯を見たときの表情は忘れられない。鳩が豆鉄砲を食ったような顔というのはまさしくああいう顔を指すのだろう。そのあとのMGN社での再会した時も御堂は佐伯を相手にした途端にいつもの調子を崩した。その時の御堂とのやり取りを思い出して、佐伯はクスリと笑みを零した。

 御堂にとっては、佐伯に抱かれるなど、決してプライドが許さない事態なのだ。それなのに、自分がしてしまった行動を受け入れられず戸惑っている。怪人のせいだったなど教えてやるつもりもなかった。からかいがいのありそうな男だ。

 知らぬ間に表情が緩んでいたらしい。ふう、とMr.Rが呆れたような息を吐いた。

 

「我が王、人間とのお戯れもほどほどに」

「分かっている。暇つぶしだ」

「あなたは他の人間とは違う、特別な存在なのですから」

「……ああ」

 

 佐伯はタバコを胸いっぱいに吸った。きついニコチンが血管を締め、思考を冴え渡らせる。

 

「さて、次は誰に渡そうか」

 

 佐伯は眼鏡を押し上げると低く嗤った。ジャケットの内ポケットで応えるように新しいキチク眼鏡が震えた。

 

 

END

bottom of page