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​32歳エリート部長、魔法少女になりました☆
第六話 御堂孝典は黙らない

 新進気鋭のバンド『grab your luggage』を起用した新製品のプロモーション企画は順調に進んでいた。今回の宣伝用に作られた彼らの新曲は、大胆なメロディー構成と刺激的でキャッチ―な歌詞、そして高い演奏力を兼ね備えた曲で、商品イメージとマッチしている。新製品の発売に合わせて、主要都市での屋外ビジョンとSNSを中心にした広告展開を派手に行う計画だった。

 御堂は各方面の打ち合わせに忙殺されていたが、それもようやくひと息ついたところだ。あとは、キクチ八課の営業の面々が卸先などの細かな手はずを整えてくれる予定だ。

 御堂は執務室でキクチ八課が作成したレポートをディスプレイで確認していた。新製品の営業戦略と小売店での広告展開についての提案だが、御堂の意図を汲みつつ、各店舗の現場に合わせたきめ細やかな対応が、説得力のある言葉で記載されている。誰が書いたかは明らかで、御堂は担当者の欄に書かれた『佐伯克哉』の名前を一瞥すると、レポートの画面を閉じた。悔しいが、非の打ち所がない内容だ。キクチ八課宛に、この通り進めるよう端的に書いたメールを返し、御堂はチェアの背もたれに深く背中を預けて、大きくため息を吐いた。こめかみに手を当てて、目を瞑る。

 すると、目の前のデスクに一対の蝙蝠の羽を持つ小さな人影が現れた。鬼畜妖精だ。御堂の顔を覗き込んで心配そうに聞いてくる。

 

「何かあったでやんすか?」

「違う、何もない」

 

 薄く目を開き、返事をした。

 そう、何もないから不満なのだ。付け入る隙がない。完璧と言っても過言ではない佐伯の仕事内容は常人のレベルを超えている。魔力で強化された自分の能力をもってしても文句の付けようがない。気に食わないがあの男の能力は認めざるを得ないだろう。

 だが、御堂が抱える懊悩はそれだけではなかった。

 そんな佐伯に御堂は抱かれてしまったのだ。それも、自ら誘ったという体たらくだ。その時のことを思い出すとみぞおちが煮えくり返るような怒りとともに、形容できない甘苦しい感覚が込み上げてくる。それもこれもすべて魔法少女になってしまったせいだ。

 ずくん、と無いはずの傷が疼いた感覚がして御堂は右肩に手を当てた。

 

「あの刀、一体何なんだ……」

 

 御堂はボソリとつぶやいた。エネマキュアになった御堂の右肩を貫いた漆黒の刀。闇を写しとったかのような刀身はどこまでも暗く、エネマキュアの魔力も何もかも吸い取っていった。

 鬼畜妖精が御堂の独り言に答えた。

 

「あれは『鬼畜の刀』でやんす」

「……どこかで見たことがあるような字面だな」

「そして、あの刀を持つ男は鬼畜王でやんすね」

「鬼畜王だと?」

 

 聞きなれない言葉に御堂は眉をひそめた。

 

「キチク眼鏡の大元締めみたいなものでやんす。あっしも見るのは初めてでやんすけど」

「あの男が怪人を作り出しているのか」

「そうでやんす」

「ということは、エネマキュアとあの男の関係は……」

「一言で言えば宿敵でやんすね」

「宿敵だと……?」

 

 だから、あの男は問答無用で御堂を殺しにかかってきたのだ。あの時に感じた背筋が凍えるような恐怖に続いて、頭が沸騰するような憤怒を覚える。きっ、と眉を吊り上げて、鬼畜妖精をきつく睨みつけた。

 

「なんでそんな大事なことを今まで話さなかったんだ! 危うく死ぬところだったぞ!」

「だって、御堂の旦那がしゃべらせてくれなかったでやんす!」

「そんなこと言い訳になるか! この愚鈍め!」

「ひど……っ」

 

 御堂の容赦ないもの言いに傷つく鬼畜妖精をよそに、御堂はジャケットのポケットからエネマグラ型魔法スティックを取り出すと鬼畜妖精に押し付けた。

 

「これは返す」

「えええ!? なんででやんすか!?」

「当たり前だ。命あっての物種だろう。それどころか、佐伯に抱かれる羽目になったのだからな! あんな目に遭うのは二度とごめんだ!」

「それは……」

 

 鬼畜妖精はうろたえながらも、必死に御堂を説得する言葉を探す。

 御堂の中では死にかけた件と佐伯に抱かれた件は同列にされているらしい。結果的に佐伯のおかげで命拾いしたのだが、それを指摘すると御堂の怒りに油を注ぐことになるので黙っておくくらいの分別は鬼畜妖精も心得ていた。

 

「だけど……だけど、御堂の旦那、ここでエネマキュアをやめたら、仕事の能力、下がってしまうでやんすよ」

 

 鬼畜妖精の言葉を御堂は鼻で笑い飛ばした。

 

「馬鹿馬鹿しい。私はそんな力に頼らずとも、十分に仕事ができる。むしろ、ハンデがあるくらいがちょうどいい」

「うう……」

 

 御堂の自信満々な態度。ともすれば高慢さが鼻につくが、それだけの実力と実績を背負っている気迫が滲み出ている。そもそも、御堂は弁が立つ。鬼畜妖精が御堂と口喧嘩をして勝てるわけもないのだ。破れかぶれになって言った。

 

「御堂の旦那はあっしがいなくなってもいいでやんすか!」

「そもそも、居てくれなんて頼んだことなどないが?」

「っ! 旦那の馬鹿――!!」

 

 冷淡に告げられて、魔法スティックを抱えたまま鬼畜妖精は飛び立った。ドアに向かって飛んでいきながらも、御堂が追いかけてこないかとちらりと背後を振り返ったが、御堂はもう鬼畜妖精のことなど忘れて、パソコン画面に向き合っていた。

 

「旦那の馬鹿……」

 

 もう一度小さく呟いて鬼畜妖精は魔法スティックごと姿をかき消した。

 

 

 

 

 それから少し経って、御堂は大隈の執務室に呼び出されていた。

 大隈は御堂の直属の上司で専務の職についている。政治力に長けた男で御堂を引き立ててくれた恩人でもあった。だから、大隈に呼び出されたとあれば、いくら多忙であっても出向かずにはいられない。そして、大隈は深刻そうな表情であることを御堂に伝えた。

 

「使い込み……つまり、横領ですか?」

 

 大隈が告げた不穏な内容に、御堂は眉をひそめた。

 

「ああ、キクチ八課で不正経理が行われているという疑いがある」

 

 大隈は咳払いをして声を潜めるように言った。

 

「たまたま私の知るところになったが、放ってはおけんのでな。君を呼んだのは他でもない、使い込まれた経費がわが社の商品の広告費という話だ。それも、君の部署の新製品だ」

「私の部署のですか。それは……問題ですね」

 

 キクチ八課と言われた時点で想像はついていた。キクチ八課は営業代行を行うキクチの営業部署で、御堂が開発した商品の営業を委託している。本来だったら主力である一課か二課に委託するのが今までの定石だった。それが御堂の気まぐれでお荷物部署と揶揄されていた八課に委託することになったのだ。そして今となっては、キクチ八課が担当する商品はすべて御堂の部署で開発した商品になっている。つまり、キクチ八課と御堂が部長を務める企画開発部は切っても切れぬ関係になっているのだ。

 大隈が使い込まれたとされる予算の金額を口にした。それを耳にして、御堂は眉間の皺を深くした。決して看過できない金額だ。

 大隈は深々とため息を吐いた。

 

「事が事だけに、公になればいろいろとまずい。君の経歴に泥が付きかねない。だから、大事にせずにことをおさめようと考えている」

「具体的には、どのようにお考えで?」

「キクチ八課をわが社の営業担当から外す。そのうえで、責任を取ってもらおう。社内処分という形で。つまり、キクチ八課の解体とメンバー全員のリストラだ」

「大鉈を振るうおつもりですか」

 

 MGN社の子会社であるキクチは業績が伸びずにリストラを検討していたのは確かだ。そして、そのリストラの候補としてキクチ八課のメンバーがあげられていたのも周知の事実だ。だが、キクチ八課が営業開発部の商品の営業を担当してから、業績は随分と改善しているはずだった。そして、その功労者がキクチ八課の面々といえる。今、このタイミングで八課のリストラを行うのは無理があるのではないか。

 御堂は慎重に言った。

 

「キクチ八課を外さなくとも、使い込みを行った張本人だけ処分すればよいのでは?」

 

 大隈は静かに首を振った。

 

「御堂君、犯人捜しをすればそれだけ問題が大きくなる。もともとキクチ八課は社の墓場と呼ばれて、能力が低かったり、問題を起こしたりした社員たちを集めた部署だ。連帯責任で全員まとめてリストラで十分だ。君には、その手配を行ってもらいたい。向こうの人事部の権藤部長には内々に話を通してある」

「承知いたしました。そのように手配いたします」

 

 そう返事をして、御堂は大隈の執務室を辞すると自分の執務室へと帰った。

 大隈は一刻も早い幕引きを望んでいる。事情が事情だ。気持ちは分からなくもない。子会社のキクチでそんな不祥事があれば、親会社のMGN社にも影響が波及する。それも、御堂が委託した商品に関わる話となれば猶更だ。

 キクチ八課が解体されリストラされれば、佐伯も御堂の視界から消えるだろう。それは御堂にとって渡りに船の話ではあったが、どうにも引っかかるものがあった。

 誰がどのように広告費を使い込んだのかもそうだが、なぜ、大隈が動いたのだろうか。大隈はMGN社の専務だ。直接キクチに関わる立場ではない。今回の使い込みの情報は、どこからどのように大隈のもとに届いたのだろうか。大隈に告げられるまで、御堂はこの件について何一つ知らなかった。つまり、御堂を飛び越えて、大隈に情報が流れたということだ。

 自分が把握できてない、何らかの事情がそこに存在している。それこそ御堂にとって見逃すことのできない事態だ。キクチ八課はともかくとして、真実は確認すべきだろう。

 執務室のデスクに着席するなり、御堂は口を開いた。

 

「おい、鬼畜妖精!」

 

 こういう時に重宝するのは鬼畜妖精が持つ端末だった。先日は五十嵐太一の家系もあっという間に調べ上げた。今回の件も早速調べてもらおうかと鬼畜妖精を呼んだが、うんともすんとも返事がない。あたりを見渡したが、どこにも鬼畜妖精の気配はなかった。忌々しげに舌打ちをする。

 

「肝心な時に使えないな、あいつは」

 

 御堂は自分が追い出した事実を棚に上げて文句を言っていたが、いないものは仕方がない。ほかの方法を考えなくてはいけない。

 キクチ八課の内部事情を調べる必要があった。とはいえ、親会社の部長である御堂が子会社の内情を調べるというのは無理がある。誰か内部の者を巻き込まなくてはならないだろう。それも、犯人ではない人間で、秘密裏に動くことが出来る人間だ。

 御堂はキクチ八課のメンバーを思い浮かべた。

 最初に頭に浮かんだのは言わずもがなの佐伯克哉だった。恐ろしく頭の切れる男。大隈から横領の事実を告げられた時、犯人は佐伯ではないかと疑ったくらいだ。だがすぐに思い直した。あの男なら簡単にバレるようなヘマはしない。だから、犯人ではない。しかし、佐伯とこれ以上関わりを持つのは気が引けた。今一番、御堂が会いたくない男、それが佐伯だ。

 ということで、御堂は頭の中から早々に佐伯克哉の名前を消すとほかのキクチ八課のメンバーの検討を始めた。

 片桐課長……、あれはだめだ。思ったことがすぐに顔に出る。あの実直で臆病な性格からして犯人とは思えない。それに、課長という立場は内偵を行うのに便利だ。だが、秘密裏に課内の不祥事を調べるなどという器用なことが出来るとは到底思えない。

 それなら、本多憲二はどうだろうか。本多キクチ八課の有能な営業で、能力は高い。学生時代はバレーで鍛えたとあって体格も良くフットワークも軽い。

 しかし、本多の顔を思い浮かべて御堂は頭を振った。あの男はだめだ。正義感の塊で、不正があったとなれば絶対に許さないだろう。声を大にして不正を追及するに違いない。そして何より、存在自体が暑苦しいし鬱陶しい。……となると、思い浮かぶのは一番最初に頭から消した男だった。

 

 

 

 

「……ということだ。いったい何が起きたのか、その詳細と犯人を調べて私に報告してほしい」

 

 呼び出してからほどなくして佐伯は御堂の執務室に顔を出した。御堂は詳細を省いて、キクチ八課で広告費の横領の事実があった旨を告げる。

 

「同僚を疑うのは気が進まないだろうが、場合によっては君らキクチ八課を守れるかもしれないし、そうでなくても、君の処遇については私が配慮しよう。佐伯、引き受けてくれるか?」

 

 配慮しようというのは方便だ。事情が分かり次第、御堂はキクチ八課に処分をくだすつもりだった。もちろん、佐伯も例外ではないし、むしろ佐伯こそ即刻消えてほしい。

 しかし、そんな本音が透けてしまってはまずいので、深刻そうな顔をしながら、ちらりと佐伯の顔を窺った。

 佐伯は何を考えているか分からない表情で御堂の話を聞いていたが、口を開いて一言、言った。

 

「つまり、あなたは俺を信用しているということですか」

「ああ。もちろんだ。君には期待しているからな」

 

 心にもないことをさらりと口にする御堂に佐伯はくすりと笑った。

 

「分かりました。俺が調べます。ですが、一つ、教えてください」

「なんだ?」

「あなたは、この情報をどこから入手しましたか?」

 

 核心に切り込む質問に御堂は言葉を詰まらせた。

 

「……それは必要か?」

「ええ」

「分かった。口外するなよ……大隈専務だ」

 

 大隈の名前を聞いて、佐伯の表情が微かに変化した。唇をゆがめて薄く笑う。それを見咎めた。

 

「なんだ?」

「いえ、何か分かりましたらお知らせします」

 

 そのまま一礼して佐伯は部屋を出て行った。

 閉まった扉を見て、御堂は詰めていた息を吐き、緊張を解いた。佐伯に抱かれたときのことを変に持ち出されやしないかと、ひやひやしていたのだ。しかし、あれから佐伯は御堂に何も言ってこない。それでも御堂は佐伯を前にすると普段の調子が狂ってしまう。だがこれもあと少しの辛抱だ。キクチ八課ごと佐伯を処分してしまえばいいのだから。

 

 ――あいつと関わるのもあと少しの辛抱だ。

 

 御堂は内心ほくそ笑み、頭の中から佐伯を消し去ると目の前の仕事へと意識を切り替えたのだった。

 

 

 

 

 それから三日後、佐伯が御堂との面会を求めてきた。執務室に顔を出すなり、佐伯は紙の束を御堂に差し出した。それを受け取りつつ、御堂は訝しげに聞いた。

 

「これは……?」

「例の件ですが、これが使い込みの全容です」

「もう、調べ上げたのか?」

 

 驚く御堂に、ええ、と佐伯は事もなげに頷き、言葉を継いだ。

 

「キクチ人事課の権藤部長主導で不正経理を行い、その金の大半がMGN社に流れています」

「わが社に? どういうことだ」

「黒幕はMGN社の大隈専務です」

「なんだと……」

 

 にわかには信じられず報告書をめくりながら確認していくと、佐伯が言葉を添えた。

 

「近いうちにキクチ八課に会計監査が入ります」

「会計監査か……。それを知って慌ててもみ消しに走ったわけか」

 

 報告書の内容に目を通し、絶句する。MGN社がキクチに支払った多額の広告費、その一部が抜き取られ大隈専務にキックバックされていたのだ。だからこそ、大隈は事態の解明よりも収束を優先させようとしたのだ。もし、大隈が広告費を使い込んでいた事実が明らかになれば、大隈は懲戒を免れない。

 御堂は嘆息の息を吐いた。

 

「良く調べてくれた。君はこの件に関して決して口外するな」

「承知しました」

 

 佐伯が持ってきた報告書は完璧と言っていいほどの精度で、どこから入手したのか、大隈の口座へ金が流れたことを示す銀行振込用紙のコピーまで添付している。この報告書は大隈、そして権藤にとって、とんでもない爆弾となるだろう。

 ふと、疑問を覚えて言った。

 

「佐伯、君はもしかして、このからくりに気付いていたのではないか?」

「俺が、ですか?」

「でなければ、こんなに早く事態を解明することなどできないだろう」

「そうですね」

 

 佐伯は薄く笑った。

 

「広告費が着服されている事実は以前から気付いていました。権藤部長がどうやらそれに関わっていることも」

「知っていたのか?」

「ただ、権藤部長一人でやったとは考えにくい。MGN社側に協力者がいると思ってひそかに調べていました。そこに、あなたからこの話が降ってわいた。そして、その情報の出元は大隈専務だという。こんなことを知っているのは犯人しかありえないですからね」

「それを調べてどうする気だったんだ。告発する気か?」

「まさか」

 

 御堂の言葉に佐伯は笑った。レンズ越しの双眸が眇められ、この男が隠し持つ危険な光が眸に宿る。

 

「いいネタじゃないですか。ここぞという時の切り札として使える」

「ここぞという時?」

「……たとえば、MGN社から不当な圧力を受けた時に」

 

 佐伯が唇の片端を吊り上げた。御堂はぞっと背筋を寒くする。

 もし大隈の思惑通りにキクチ八課を問答無用にリストラしていたら、佐伯はこの内容を公に暴露していたのかもしれないのだ。そうなればMGN社を巻き込んで始末に負えない事態になっていただろう。図らずもそんな惨事を事前に防げたという事実に、御堂はほっと胸を撫でおろしながら言った。

 

「つくづく性格の悪い男だな、君は」

「あなたに言われたくないですね」

「この減らず口が」

「お互い様でしょう」

 

 御堂とやり合う佐伯はどこか楽しそうだ。御堂は、ふう、とひとつ息を吐いて言った。

 

「佐伯、くれぐれも内密にな。このことは君と私だけの話だ。誰にも言うな」

 

 しつこいほどに念を押す御堂に、佐伯は、ふ、と笑い含みの吐息を零し、御堂に目配せをする。

 

「俺の口の堅さはご存じでしょう、御堂さん?」

「――ッ」

「それでは、失礼します」

 

 言葉を失って顔を赤くする御堂が口を開くよりも早く、佐伯は一礼すると、笑いを抑えられないといった風に肩を震わせながら執務室を出て行った。

 

「まったく、あの男は……」

 

 一人きりになった御堂は改めて佐伯が持ってきた報告書を呼んだ。証拠として申し分ない内容だ。これが表に出れば、大隈の権威は失墜する。刑事処分さえありうるだろう。それどころか、大隈の指示に従って、無実のキクチ八課に不当な処分を行った御堂にも非難の矛先が向かう可能性さえある。下手したら巻き込まれて懲戒を受けかねない。大隈のおかげで危ない橋を渡るところだった。次第に大隈に対する憤りがこみあげてくる。

 

「自分が行った悪事の尻ぬぐいを、私にさせようとはな。その報いは受けてもらおう」

 

 御堂の口元に人の悪い笑みが浮かんだ。

 

「私が黙って言いなりになるとでも思ったか……。たっぷり後悔してもらおうか、大隈専務」

 

 

 

 

 その日の夕方、大隈はスマートフォンに届いたメールを何気なしに開いて、顔面蒼白になった。

 

『自分の会社のお金を何に使い込んだんですか?』

 

 差出人名のない、たった一文だけのメール。それだけでも大隈を震え上がらせるには十分だった。

 

「な、なんなんだ一体!」

 

 たちの悪いいたずらだと一蹴しようにも、身に覚えがあるだけに、無視することはできなかった。発信元のメルアドを確認するもフリーアドレスだ。だが、何よりも気になるのは、大隈のプライベートで使っているメールアドレスにこのメールが届いたのだ。このメルアドは社内の人間は誰も知らない。それだけに、大隈をよく知っている人物からの脅迫という可能性を捨てきれなかった。

 心臓が不穏に脈を刻みだす。

 そういえば、キクチ八課の処分はどうなっているのだろうか。

 もしや、キクチ八課の誰かが勘づいて大隈にこのメールを送ったのかもしれない。このメルアドを知っているということは、大隈のすべてを調べ上げているぞ、という警告だろうか。まさかとは思うが、御堂が事情を漏らしたりしたのだろうか。

 それを考えると居てもたってもいられず、大隈は御堂の執務室へと向かった。退社時間はとうにすぎて、アポイントなしの訪問だったが、御堂は幸い在室していた。突然やってきた大隈に驚いたものの、すぐに立ち上がって大隈を部屋へと迎え入れた。

 挨拶もそこそこに口火を切る。

 

「御堂君、あの使い込みの件だが……」

 

 大隈の言葉が言い終わらないうちに御堂が口を開いた。

 

「ご安心ください。着々と処分の手続きは進んでおります」

 

 きっぱりと言い切られる。

 

「そ、そうか……。ところでこの件については誰かに話したりなど」

「まさか。このような不祥事、口が裂けても言えません。わが社のイメージダウンにつながりますからね」

「もちろん、君の言う通りだ」

「私は、このような不正は一切許せません。専務の恩情で犯人捜しや告発は行いませんが、不正を行った者もそれを見逃した者も同罪です。きっちりと責任は取ってもらいますのでご安心を」

 

 御堂は吐き捨てるように言った。不正に対する怒りを抑えられないといった表情だ。大隈が口にした内容を何一つ疑わず、キクチ八課に裏切られたと信じ込んでいるのだろう。

 MGN社の花形部署である企画開発部の部長職を、御堂は三十二歳という若さで務めている。大隈が引き立てたのもあるが、その実力は折り紙つきだ。御堂の活躍は誰しもが認めている。

 完璧主義な御堂はやるとなったらとことんやる。大隈の意向通り、キクチ八課を完全に始末する気に違いない。御堂が手を下した後にはペンペン草も生えないだろう。その結果、大隈の悪事の証拠はキクチ八課と一緒にうやむやになる手はずだった。だが、御堂の手加減のない処罰がこの脅迫メールの犯人を刺激したりはしないだろうか。

 怒りに沸き立つ御堂をなだめるように大隈は言う。

 

「ま、まあ、御堂君。ほどほどに頼む」

「何をおっしゃっているのですか、大隈専務」

 

 御堂はきっと片眉を吊り上げた。

 

「こういう不祥事は甘くすれば付けあがります。彼らに同情の余地などありません」

「う、うむ……」

 

 大隈の顔が引き攣った。

 キクチ八課は無罪だ。何もしていない。

 だが、それを知っているのはこの使い込みの張本人である大隈と権藤だけだ。

 御堂は大隈の命令を忠実に遂行しようとしているだけにすぎない。有能で忠実な部下だ。だから、御堂にこれ以上何も言うことが出来なかった。

 当たり障りのない話だけをして、大隈は御堂の執務室を出た。自分の執務室へと向かうその道すがら、再び携帯が震えてメールの着信を告げた。

 急いでメールを確認する。そこには、一言、こう書かれていた。

 

『ほかの人に責任を押し付けるとは悪い人ですね』

「――ッ」

 

 ざあ、と血の気が引く音が聞こえるようだった。

 やはり、このメールの主は何もかも知っているのではないか。そのうえで、大隈を脅迫してきている。

 この脅迫の主は何を求めているのだろうか。金だろうか、それとも、地位だろうか。だが、メールには何一つ要求が書かれていない。それだけに、このメールの意図が分からず、凍えるような戦慄を大隈は覚えた。

 遊ぶ金欲しさに魔が差したのだ。発端は銀座のクラブ通いだった。クラブのホステスに入れあげて多額の金を散在してしまった。そんなときにキクチの権藤部長から持ち掛けられた話だった。MGN社からキクチ八課に支払われる広告費を横領する。そして、それが露見する前に八課に責任を押し付けるところまで織り込み済みで、何もかも完璧にいくはずだった。それなのに、不幸にもキクチ八課が会計監査の対象になって、予定よりも早く八課を処分する羽目になったのだ。

 ボタンを掛け違えてしまったかのように、どこかに綻びが生じている。それがすべてを崩壊させる引き金となってしまうのではないか。そうなれば、何もかもがおしまいだ。この地位も、名誉も何もかも……。

 どこかから見張られているような面持ちになり、大隈は青ざめた顔であたりを見渡したその時だった。

 

「こんばんは、大隈専務」

 

 背後からかけられた声に、大隈は傍目からみても分かるほど大げさに身体を強張らせた。

 

「君は……」

「キクチ八課の佐伯です」

 

 振り向けばそこに立っているのはキクチ八課の営業社員である若い男だった。ミーティングでちらりと顔を見たことがある。爽やかな笑みを浮かべる端正な顔立ちは、大隈の窮地も何も気づいていないようで、大隈も慌てて表情を取り繕った。

 

「あ、ああ。佐伯君か、どうしたかね」

「実は、弊社で、新しく眼鏡の営業を請け負うことになりまして。ハイクラス層の男性をターゲットとした眼鏡なんですよ。それで、こちらはサンプル品です」

「ほう……」

「鯖江ブランドの高級品で、大隈専務にお似合いかと思いまして。よろしければ差し上げますので、かけ心地など教えていただければ」

 

 佐伯は手元のバッグから眼鏡ケースを取り出した。革張りのケースからして高級品で、中にはビロードの生地の上に恭しく銀のフレームの眼鏡が鎮座している。一目で仕立ての良さがわかる眼鏡だ。

 

「そういうことなら……」

 

 大隈は佐伯に渡されるままに眼鏡ケースを手に取った。

 キクチが手掛ける営業は飲食品メインではなかっただろうか。そんな疑問が浮かんだが、すぐに掻き消えた。佐伯に渡された眼鏡に目を奪われたのだ。この眼鏡は自分に似合う、そんな根拠のない確信が湧いてくる。

 

「それでは失礼いたします」

「ああ……」

 

 佐伯は大隈に一礼すると踵を返して去っていった。大隈は生返事をしながらも、渡された眼鏡から視線が外せなくなっていた。

 

「大隈専務、あなたの悪足掻きを見せてもらいましょうか……くくっ」

 

 佐伯の低い笑いは大隈のもとに届くことはなかった。

 

 

 

 

 その日、御堂は相も変わらず遅くまで残業し、そろそろ帰ろうかと執務室を出たときだった。

 普段と変わらないMGN社のフロア。だが、御堂の人並外れた感覚は異様な気配を察知する。

 

「これは……怪人?」

 

 いつもなら鬼畜妖精がそれを知らせるところだが、あいにくと鬼畜妖精は傍にはいない。それでも、怪人の気配を覚えてしまったのか、魔力で強化された鋭敏な知覚が、怪人がこの社内にいることを御堂に悟らせた。

 

「よりによってMGN社の中か……」

 

 怪人とは一切関わりたくはない。だが、自分のホームであるMGN社内で怪人が発生したとなると放っておけない。

 

 ――とはいえ、変身も出来ないしな。

 

 触らぬ神に祟りなし、ときっぱりと諦めて御堂は気持ちを切り替えて、まっすぐに帰ろうとした時だった。唐突に耳元で羽音が立った。

 

「うわー、怪人になったの、大隈専務でやんすよ!」

「いつの間に……!?」

 

 驚いて振り向けば鬼畜妖精が何事もなかったかのようにパタパタと御堂の傍らで飛んでいた。

 

「そろそろ御堂の旦那が寂しがっているんじゃないかと戻ってきたでやんす」

「今の今まで貴様の存在をすっかり忘れていたところだ」

「相変わらず冷たいでやんすね……」

 

 じとっと恨みがましい眼差しで睨みつけてくる鬼畜妖精を無視して、御堂は口を開いた。

 

「ところで、怪人になったのが大隈専務だというのは本当か?」

「そうでやんす」

 

 鬼畜妖精は手元の極小スマートフォンを操作する。

 

「大隈専務、会社のお金をちゃっかり着服しちゃったんでやんすけど、それがどこからかバレて脅迫メールが届いたみたいでやんす。それで絶望して怪人になってみたいでやんすね。誰ですかねえ、脅迫メールなんて送ったのは……」

 

 ちらちらと横目で御堂に責める眼差しを向けてくるあたり、御堂が脅迫メールの犯人だと分かっているのだろう。御堂は、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「小悪党が。そんなこと程度で動揺するとは、よくぞ専務になったものだな。部下が思い通りに動くと思ったら大間違いだ」

「大隈専務ももうちょっと素直な部下がいたら良かったでやんすね……」

 

 と鬼畜妖精は呆れたようにつぶやいたが、一筋縄ではいかない御堂だからこそ最年少でMGN社部長職のポジションを得たのだ。そんな御堂の実力を見誤ったのは大隈の失態だ。大隈の脇の甘さのおかげで悪事が露見したのは間違いない。

 

「どうするでやんすか?」

「大隈専務か……。一応、確認だけはするか」

 

 自分に関わりのある人間が怪人となったのなら放ってはおけない。致し方なしに鬼畜妖精に案内されるまま大隈の執務室があるフロアまでやってきた。重役たちの執務室がそろうそのフロアは薄暗く、人気はすでになかった。大隈の執務室の扉の隙間からこっそりと中を窺えば、大隈はデスクに向かっている。今までと変わらぬ姿に思えたが、その顔には見慣れぬ眼鏡がかかっていた。あれが、キチク眼鏡なのだろう。御堂の傍で鬼畜妖精が言う。

 

「あれは傀儡師型怪人でやんす」

「傀儡師?」

「人形使いのことでやんすよ。他の人間を自分の人形として思いのままに動かしてしまう能力を持った怪人でやんす」

「それは厄介だな。いかにも大隈専務がなりそうな怪人ではあるが」

「旦那もなりそうな怪人でやんすね」

「何か、言ったか?」

「いいえ、何も!」

 

 怪人とは関わり合いになりたくないし、ましてや戦いたくなどないのだが、このまま傀儡師型怪人となった大隈を放置していたらどうなるのだろうか。

 以前、鬼畜妖精は、怪人のまま放っておくと元の人間に戻れなくなると言っていた。大隈が人間に戻れなくなっても知ったことではないし、自業自得だと思うが、専務の椅子に居座られたまま怪人になってしまうのは、御堂にとって何かと都合が悪い。挙句、MGN社内の他の人間を操りだしたら更に問題だ。

 やむを得ず、と御堂は覚悟を決める。鬼畜妖精がそんな御堂の気配を悟ったのか、気の利く部下のように言った。

 

「魔法スティックはいつもの場所に戻しておいたでやんす」

「何? ……あった」

 

 スーツのジャケット、そのポケットに手を伸ばすと、ちゃんとエネマグラ型魔法スティックが収まっていた。それを取り出して頭上に掲げた。

 

「エネマキュア!」

 

 薄暗いフロアを眩い光が満たした。光に包まれた御堂の身体がふわりと浮き上がり、スーツが消え去ると同時に、長い四肢と引き締まった身体が露になった。次の瞬間には帯状になった光が御堂の身体に巻き付いて、薄い布地の可憐な魔法少女のコスチュームへと変化する。両足には白のブーツ、両手には白いグローブが装着され、伸ばした右手に大きくなった魔法スティックがさっと収まる。可憐で愛らしい衣装が成熟した大人の男の身体を飾り立てた。

 

「魔法少女エネマキュア参上!」

 

 魔法少女エネマキュアとなった御堂は、颯爽と大隈の執務室に降り立った。びしっと魔法スティックを大隈に向ける。

 

「大隈専務! 会社の金を不正に流用した挙句、部下に尻ぬぐいをさえ、あまつさえ怪人になって周囲に迷惑をかけるとは、MGN社専務にあるまじき行為! さっさと辞職して専務の椅子を後進に譲るんだな!」

 

 大隈は驚いた顔をしたものの、すぐにいびつな笑みを浮かべた。眼鏡のレンズ越しに、血に染まったような真っ赤な眸が爛々と輝く。

 

「ふん! どいつもこいつも、私の思い通りにならんやつばかりだ。みんな、私の人形のごとく動いていればいいものを!」

 

 そう言いながらゆったりと椅子から立ち上がる。そして、指を天井に向けた。しまった、と思った時は遅かった。大隈が叫ぶ。

 

「開け<異界の門>、来たれ<クラブR>!」

 

 大隈の指先から血のように赤い魔法陣が解き放たれる。それは執務室の床から天井まであっという間に張り巡らされて御堂を取り囲んだ。

 

「くそっ! またか!!」

 

 御堂の叫びも空しく、御堂は魔法陣の中へと落下していった。

 

 

 

 

 その夜、キクチの人事部長である権藤は歓楽街に向けて、浮足立ちながら歩いていた。

 臨時収入が入ったのだ。それも結構な額だ。それは決して表には出せないイケナイお金だから、こうしてさっさと使ってしまうに限る。金の出元はMGN社がキクチ八課へ広告費として渡した金だった。

 キクチ八課の片桐課長相手に憂さ晴らしするのが権藤の日課だったのだが、その時に八課に巨額の予算が割り当てられることを知ったのだ。聞けば、MGN社の新商品の営業を任されたという。それで、その金を上手くちょろまかすことを思いついた。うまい具合にMGN社の大隈が食いついてきてくれたのは幸いだった。大隈の高級クラブ通いは界隈では周知の事実だ。きっと金に困っているだろう、とそれとなく共謀を持ち掛けたのだ。そして、権藤と大隈は共犯者になった。

 さて、今夜は高級クラブに行ってキレイなお姉ちゃんたちにチヤホヤされようか、それとも、久々にSMクラブにでも行ってみようか。権藤の頭の中でいろんな欲望が錯綜する。

 普段は人事部の部長として権勢をふるい、各方面に嫌がらせをしては他の同僚から煙たがられるのだが、会社を出たら一転、SMクラブでご主人様にお仕置きされるのが権藤の密やかな楽しみだ。でっぷりと突き出た腹、そして、薄くなった頭髪。世間一般からみれば醜男(ぶおとこ)の部類だが、金さえあればいくらでも美女に傅かれるし、ご主人様に踏みつけてもらえる。

 やっぱり今夜はSMクラブでご主人様に罵ってもらおう。

 そうと決まれば急がねばならない。夜はあっという間に終わってしまう。タクシーを捕まえようかと短い足を道路に向けたときだった。

 

「権藤部長……」

 

 権藤は不意に背後から呼ばれた声に足を止めた。振り向けば薄暗い裏路地の奥から、その声は聞こえてきたようだ。

 権藤は首をひねった。こんな場所にこんな裏路地などあっただろうか。ビルとビルの狭間、異空間のようにぽっかり開いた裏路地の入口、気づけば周囲に人気はなく、怪しさが漂っている。もしやよからぬ連中におやじ狩りの標的にされたのだろうか。おそるおそる裏路地の奥へと顔を突っ込むと、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

「女……? いや、男か!?」

 

 女装した一人の男が路地の奥にいた。女装と言っても単なる女装ではない。子供向けの変身ヒロインアニメのような少女の格好だ。胸元には大きなリボンがついた白を基調とた衣装。腰回りにはフリルがふんだんについたミニスカート、そして足には白い革のブーツ、手には白いグローブを着けている。だが、どうみても、その体格はれっきとした男だった。

 変態に絡まれたのかと権藤は思わず一歩足を退いたその時だった。男が嫣然と笑った。

 

「権藤部長、今から私と遊ばないか?」

「き、君と……? というか、君は誰だね! わ、私に何の用だ!」

 

 決して気圧されていることが分からないように、高飛車に言い返すと、くすりと男は笑みを深めた。

 

「私? 見て分からないのか? 私は魔法少女エネマキュアだ」

「なぬ、魔法少女だと?」

 

 自分よりもさらに偉そうなもの言いに権藤は眉をひそめた。そんな権藤に魔法少女は甘く艶(あで)やかに囁きかける。

 

「さあ、こっちに来ないか? 君といやらしい遊びをしたいんだ……」

 

 そう言って、魔法少女はフリルのついたスカートを手でひらりとまくり上げた。そこには白い女性もののショーツ、その縁から反り返った男のシンボルがはみ出ていた。立派な大きさと形のペニス、色味の強い先端には雫がきらりと光り、みだりがましい姿になっている。男のルージュを塗ったような赤い唇が妖しく開く。

 

「もっと近くで見たくはないか?」

 

 権藤はごくり、と唾を呑み込んだ。どう考えても尋常ない状況なのに、頭が痺れたように惹きつけられてしまう。権藤は鼻の下を伸ばしながら、ふらふらと魔法少女の元へと近づいていく。

 

「ほうら、もっと近く」

 

 権藤は言われるがままに間近へと歩みを寄せる。接近してくる権藤に魔法少女こと御堂は、言葉にならない声を上げた。

 

 ――やめろ! こっちに来るな!

 

 この男を誘う仕草も、言葉も、何もかもが怪人と化した大隈の仕業だった。術にかかり、大隈の傀儡になってしまった御堂は、自分の意思で動くことが出来ない。それどころか、大隈の命令を忠実に実行している。

 

『お前は淫売だ。それも、露出狂の変態だ。街中で男を淫らに誘ってこい』

 

 クラブRの異空間に囚われた御堂は、気づいたら見知らぬ裏路地にいた。そして、大隈にそう命じられたのだ。大隈の命令は御堂の隅々まで浸透し、今や魔法少女エネマキュアは街中で男を誘う淫らな娼婦と化していた。

 

「権藤部長に見られているだけで、ここがこんなに……」

 

 路地に無造作に積まれた箱に腰をかけて、御堂は脚を大きく拡げた。権藤に見せつけるようにショーツから露出させた自分のペニスを擦り上げる。

 

「ん……、ぁ、はぁっ、あ……」

 

 熱っぽい吐息を漏らしながら、ペニスに絡めた指で根元から擦り上げる。裏筋を辿り、亀頭のエラを弾いた。権藤が凝視する視線を感じながら自分自身を昂らせていく。権藤がごくりと唾を呑み込んだ。

 

「エッチな魔法少女だな、君は」

「権藤部長、見ているだけではつまらないだろう? 私の胸をいじってくれたまえ」

 

 そう命令されると、権藤のドMな血が疼いてしまう。

 

「は、はいっ!」

 

 権藤は姿勢を正し、ドギマギしながら権藤は魔法少女の薄っぺらなコスチュームに手をかけた。

 

「乱暴にしてくれて構わない」

「そ、それでは、失礼します!」

 

 びりびりと力任せに胸元の薄い布地を破くと、つんと尖った乳首が現れた。たまらなくなって、舌を乳首になぞらせちゅぱちゅぱと吸い上げる。

 

「んあっ、あ……、いいぞ、権藤部長」

 

 褒められてさらにうれしくなった権藤は唾液まみれの音を立てながらきつく吸い上げる。そんな権藤の薄い頭髪の頭をヨシヨシと撫でながら、御堂は言う。

 

「いい歳した大人が、まるで、赤子みたいだな。そんなに熱心に私のおっぱいを吸って」

「んんんっ! むふぅ♡」

 

 そんな風に羞恥を煽られると、権藤の中のねじくれた快楽が突き上げてしまう。権藤の股間はすっかり固くなっていた。それを御堂は見咎める。白いブーツのつま先で権藤の股間をつついた。権藤がぶるりと身を震わせる。

 

「むはあぁぁぁ♡」

「なんだ? もうここをすっかり固くして。君は変態か?」

「そ、そうです! 私は変態です! エネマキュア様、もっと罵ってください!!」

 

 むしろ変態なのはこんな路地裏で魔法少女のコスプレをして自慰をしている御堂なのだが、そんなことはこの二人には関係なかった。日常の裂け目に張り巡らされたクラブRの異空間で、権藤は自分の欲望をむき出しにする。そして、大隈の傀儡となってしまった御堂は、淫らな娼婦へと変貌し、権藤を煽り立てる。

 

「では、次はここを舐めてもらおうか」

 

 御堂は白いショーツを脱ぎ捨てると権藤に向かって尻を突き出した。露になった薄い尻肉の狭間、御堂の色付いたアヌスが淫らにヒクついて権藤を誘う。

 

「た、直ちに!」

 

 逸る気持ちを抑えきれず前のめりになった権藤の、ごつごつした太い指が尻肉を掴んだ。尻を大きく左右に割り拡げられる。ふん、と権藤の荒い鼻息が尾てい骨に吹きかけられたかと思うと、ざらりとしたぬめる舌が御堂のアヌスに潜り込んできた。

 

 ――う、気色悪い……っ。

 

 貪るようにアヌスを舐められて、あまりの気持ち悪さに吐き気がこみあげるが、御堂の口から洩れたのは艶めいた喘ぎだった。

 

「あんっ、ふ……っ、んんっ。さすが、豚だけに舐めるのは上手いな」

「そうです、豚でございます! ブヒッ」

 

 権藤が嬉しそうにブヒブヒ言いながら、御堂のアヌスにむしゃぶりつく。気色悪さしか感じないのに、御堂は権藤相手に脚を大きく開き、オスを受け入れる体勢を取った。

 

「次は何をすべきか分かっているだろう?」

「は、はいいいいっ!」

 

 肩越しに振り向き、壮絶な色香を漂わせて誘う御堂に、権藤は奮起する。ガチャガチャとベルトを外し、権藤は自分のペニスを急いで取り出した。だが、ドM奴隷として調教済みの権藤は、そのまま突っ込むようなはしたない真似はしない。ちゃんと礼儀正しく、ご主人様である御堂に自分のイチモツを見せて挨拶をする。

 

「私めの粗チンでございますが……」

「この、短小皮被りが。さっさと突っ込まないか!」

「それでは……んほぉ♡」

 

 犯すように命じられた権藤が勢いよく腰を突き出してくる。むっちりとたるんだ腹の肉が御堂の尻肉に押し付けられた。深まる結合に拒絶の叫びをあげたいが、唇からは権藤を叱咤する声が出る。

 

「この豚が! もっと私を突き上げろ!」

「はいっ! 善処いたします!」

 

 御堂に煽られた権藤が本物の豚のようにぶるりと身を震わせて抽送を加速させていく。権藤の臭い息が首筋にかかった。

 なんでこんな豚みたいな男に犯されなくてはならないのか。情けない気持ちになってくるが、身体は逆にどこまでも昂っていく。

 

「ぁ、あ……ああっ、いいっ、たまらないっ」

「エネマキュア様のきれいなお尻に私めの汚い粗チンが出入りしております!」

「うるさい! 貴様のだみ声など聞くに堪えん! もっと強く突かないか! この無能が!」

「エネマキュア様! 申し訳ございません!」

 

 短いが硬度のある権藤のペニスは、御堂の上下左右の肉壁を抉りながら快楽の源を強烈に突いてくる。あまりに激しい抽送に意識が飛びそうだ。

 

「ああっ! ふぁっ、もっと…っ! 権藤、もっと私を犯すのだ!」

 

 嫌で嫌で仕方ないのに、はしたない声を上げて権藤をねだってしまう。

 

「ぁあっ、エネマキュア様、イってしまいます!」

 

 権藤が腰を震わせた。びゅるっと御堂の奥深くに汚濁が注がれる。その嫌悪感に御堂は身を震わせたが、出た言葉はやはり意に反したものだった。

 

「私の許しもなしにイったのか? この早漏が!」

「も、申し訳ございません! ですが、私めは回数はいくらでもイけますので!」

「ひあっ、あ……っ、すごいっ、んふっ」

 

 そう言う端から、権藤のペニスは硬度を取り戻し、ふたたび御堂の中を突き上げだす。ぐちゅぐちゅと精液と空気が混じり合う淫靡な音が路地に響き渡ったその時だった。

 

「何をやっているのかね、こんなところで」

 

 咎めるような低い声が二人に割って入った。権藤が動きを止めて怪訝な顔をして路地の入口に顔を向けた。そこに、一人のスーツ姿の男が立っていた。

 

「お、大隈専務……!」

 

 驚きに固まる権藤とは裏腹に、御堂は嫣然とした笑みを浮かべて誘いかけた。

 

「大隈専務、お待ちしておりました」

「せ、専務! お見苦しいところを」

 

 泡を吹いたように、慌てて腰を引こうとする権藤を大隈が留めた。

 

「まあまあ権藤部長、私のことは気にせず、どうぞ続けてくれたまえ」

「そうでございますか。それでは、失礼して……」

「んあっ、あ、あああっ」

 

 明らかに尋常ではありえない状況なのに、大隈の言葉に納得したかのように権藤は再び腰を動かしだした。権藤も大隈に操られているのだろう。パンパン、と狭い路地に肉が肉を打つ音が響き渡る。中年男に伸し掛かられて獣のような交尾を大隈に見られているというのに、感度の良くなった身体は羞恥さえ突き抜けるような快楽へと転換させた。鼻にかかったような甘ったるい喘ぎが御堂の唇をついて出る。

 

「ひ、あ……んっ♡、ふぁっ、ああっ♡」

 

 大隈が御堂の元へと歩みを寄せる。ふん、と侮蔑の眼差しで御堂を見下ろした。

 

「それにしても、けしからん淫売だな」

 

 と御堂の顎を掴んで自分の方へと顔を向けさせる。

 

「魔法少女たるものが、こんなところで男を誘って、どれだけ淫乱なんだ?」

「んあっ、専務……♡ どうか、私にもお慈悲を……」

 

 赤らめた頬、物欲しげな眼差しで大隈を見つめる御堂に、大隈は下卑た笑みを浮かべた。

 

「ほう、私のモノが欲しいのか」

「濃いミルク、大好きなので……。夢に見るほど好きなので。専務のも私にくださいませ」

 

 権藤に対してとは打って変わって、媚びる口調と眼差しで御堂は大隈にいやらしくおねだりする。そんなこと微塵たりとも思っていないのに、御堂の唇は卑猥な言葉を次々と淫らな口調で紡いでいた。だれがどう見ても、御堂自ら誘っているようにしか見えないだろう。

 これが怪人と化した大隈の力なのだ。相手の願望に合わせて御堂を操る。

 

「こんな淫売に構っている暇などないのだが」

 

 と言いながらも、大隈はまんざらでもないようで、御堂の前に来ると、自らズボンのベルトを緩めて前を寛げる。

 

「後ろは権藤君が使っているからな。私は口で奉仕してもらおうか」

「専務直々のモノをいただけるなんて、夢見心地でございます。……んふ…ぁあ」

 

 御堂は口を大きく開けて、大隈のペニスを深く咥えた。

「んっ……ふ、んんっ、専務の…、大きくておいしい……っ、幸せです……っ」

 

 御堂は大隈のペニスに舌を積極的に絡める。ジュルッと唾液と先走りを混ぜ合わせたものを、音を立てて啜りあげた。後ろは権藤に犯されながらも、目許を潤ませながら美味しそうな顔をして頬をすぼめる姿は、まるでしゃぶるのが好き好きでたまらないといった風な淫猥さだ。大隈が御堂の頭に手を置き、呆れたように言う。

 

「まったく、魔法少女のくせして節操のない淫乱さだ」

「ん、ふぅっ、……んああっ♡」

 

 背後では権藤が遮二無二腰を動かしている。たるんで出っ張った腹が御堂の尻にぺちぺちあたり、時折、上擦った声を出しながら「エネマキュア様……っ♡」と御堂を呼ぶのがたまらなく気色悪い。

 大隈も昂ってきたのか、御堂の頭を掴むと自ら腰を振り出した。御堂の喉の奥を突いてくる。

 

「んんっ、ふぅっ、んふぁっ、はああっ♡」

 

 前も後ろもくし刺しにされて犯されて、苦しくて仕方ないのに、唇から漏れるのは聞くに堪えない恥ずかしい喘ぎで、御堂自身のペニスも腹に付くほど反り返り先端からは蜜を絶え間なく滴らせている。大隈が感じ入ったように言う。

 

「そろそろイきそうだ」

 

 大隈の腰の動きが小刻みなものになる。射精に向けた動きだ。

 

「君もイっていいぞ、エネマキュア」

「んは……っ♡」

「僭越ながら私めもイかせてもらいます!」

 

 こんな中年男二人に挟まれて達したくないのに、喉奥と下腹の奥深くに熱い迸りを感じた瞬間、御堂も絶頂を迎えた。

 

「んん――ッ♡」

 

 つま先から頭のてっぺんまで痺れるような快楽が突き抜けていく。びゅくびゅくと吐き出される大量の精液を身体で受け止めながら、自らも激しく精液を放つ。あまりにも爛れた絶頂に思考が真っ白く焼き爛れるが、エネマキュアの身体に魔力が充溢したことを御堂は感じ取っていた。溢れんばかりに魔力が滾り、大隈の呪縛を断ち切る。

 満足した大隈は、ずるりとペニスを御堂の口から引き抜いた。

 御堂は、口の中に溜まった精液をその場に吐き出すと、叫んだ。

 

「エネマフラッシュ!」

 

 魔法スティックが御堂の呼ぶ声に応える。クラブRの異空間を突き破って、御堂の前に現れた魔法スティックは燦然と輝きだした。

 

「なんだこれは!」

 

 大隈と権藤が眩いばかりの光から顔を背けようとした。だがエネマフラッシュの圧倒的な光は何もかもを呑み込んで浄化していく。圧倒的な光の奔流がクラブRの異空間を内側から破壊する。

 パリィィンとひびが入る音がした。異空間に亀裂が入り、クラブRが消え去る。すべてを浄化しきった光が薄れると、そこは、街はずれの薄汚い路地だった。

 御堂の少し離れた先に大隈が倒れていた。そして顔にかかっている眼鏡、そのレンズに一筋のヒビが入る。そのヒビはみるみるうちにクモの巣状に広がって、次の瞬間には眼鏡全体が粉々に砕け散っていた。

 御堂の肩の上に鬼畜妖精が姿を現す。

 

「やったでやんすね」

「ああ」

 

 そして、もう一人、御堂の足元には権藤が転がっていた。エネマフラッシュを浴びて意識を失い、のさばる権藤を御堂は憎々しげに踏みつける。

 

「くそっ! 汚らわしい! この肉だるまの分際で!!」

「旦那! 怪人のせいで狂っていた一般人ですから!」

 

 鬼畜妖精が止めようとするのも構わず、ブーツの踵に体重をかけて権藤を踏みつけると権藤が呻いた。

 

「う、う~ん♡ ……この豚をもっと踏んでくださいませ、ご主人様……」

 

 と無意識ながらに呟くので、御堂はぞっとして足を退いた。鬼畜妖精に黒目を向ける。

 

「これは、怪人の影響が残っているのか?」

「いや、これがこの人の地なんでやんすね、きっと」

「こんな変態だったとは……」

 

 もう二度と権藤には近づかないでおこう、そう決意したその時だった。まったく異質の気配を御堂は感じ取る。同時に、低い声が闇を震わせた。

 

「エネマキュア、まさか、生きていたとはな」

 

 カツカツと乾いた足音と共に、路地裏の入り口に人影が現れた。

 黒いコートの襟を立てた長身の男。そこに視線が縫い付けられる。

 

「鬼畜王……」

 

 掠れた声が出た。近づくにつれて、男の顔がはっきりとする。明るい髪色、整った鼻筋と鋭い眼差し。そして、表情を冷たく引き締める銀の眼鏡。ひとつひとつのパーツははっきりとわかるのに、その男の相貌はなぜか、はっきりとした像を結ばない。顔と認識することが出来ないのだ。自分も同じ状態なのだろう。魔力が自身の正体を周囲から隠している。そこにいることは認識できても、誰がいるのか分からないのだ。

 夜の闇を切り取って出てきたような姿の男は、はためかせたマントの内側から無造作に右手を出した。黒い革手袋の包まれた手の先には漆黒の刀が握られている。剥き出しの刀身、その切っ先が御堂に向けられる。男はにやりと笑った。

 

「さあ、この前の決着を付けようか」

 

 研ぎ澄まされた殺気が肌に突き刺さる。間髪入れず、御堂は叫んだ。

 

「エネマ銃(ガン)!」

 

 御堂が手にした魔法スティックが銃へと形状を変える。鬼畜妖精に「弾を」と命じると、鬼畜妖精が素早く銀の弾丸を手渡してきた。

 

「この弾丸、狼男専用でやんすけど」

「つべこべ言うな。もっと出せ」

 

 弾丸が次々に銃身へと吸い込まれる。エネマ銃を男へと向けた。男が刀を構え、姿勢を低くする。

 

「エネマショット!」

 

 ためらいなく男に向けて撃った。男が素早く刀を一閃させた。その瞬間、破裂音が響き弾丸が刀によって弾かれ、破壊される。だが、御堂は二発、三発と男に向けて、銀の弾丸を撃ちこんでいった。刀と弾丸がぶつかり合う金属音が響き渡る。

 

「貴様の傾向と対策を考えずにエネマキュアに変身したと思ったか? 受験戦争勝ち組を舐めるなよ」

「く……っ!」

 

 続けざまに撃ち込まれた銀の弾丸を男は次々に刀で切りつける。切りつけられた弾丸はその場で弾けて四散し、一発も男に当たらない。恐ろしい反射速度だ。だが、男は防戦一方で攻撃に回る余裕はないようだ。となれば、刀を振るう男の体力が尽きるのは時間の問題だろう。御堂はたからかに宣言した。

 

「エネマキュアに同じ技は二度通用しない。覚えておけ!」

 

 高慢な笑みとともにそう言い切った直後、鬼畜妖精が声を上げた。

 

「あ、旦那、弾切れでやんす」

「何!?」

 

 弾切れを起こしたエネマ銃が沈黙する。周囲に静けさが戻り、男は冷たい笑みを深めた。

 

「次はようやく俺の番か?」

 

 御堂が考えていたのは、男に攻撃をさせない戦法だった。攻撃さえさえなければ、負けることもない。そのためには御堂から攻撃し続けるしかない。すぐさま攻撃方法を切り替える。

 

「それなら、これはどうだ? エネマフラッシュ!!」

 

 必殺技を繰り出す。エネマ銃が瞬時に魔法スティックへと姿を変え、圧倒的な光を男に向けて放った。しかし、男は一歩も退かなかった。

 

「ハア――――ッ!!」

 

 男は刀を真正面に構え、声を上げるとともに刀を振り下ろした。一刀のもとにエネマフラッシュを真っ二つに一刀両断する。二つに分かたれた光が散り散りになって薄暗い路地の空気へとかき消える。御堂は慄然として言った。

 

「エネマフラッシュを切っただと?」

「覚悟はいいか? エネマキュア」

 

 男がふたたび御堂に向けて刀を構える。闇と同化したような漆黒の刀はまっすぐに御堂を狙っていた。途端に、場の空気が一変した。男の背後にある薄暗い闇がどこまでも深くなる。空間が歪められたかのような、そんな錯覚に陥った。

 引き絞られる弓のように男の身体に力が漲るのが分かる。男は躊躇いもなく、御堂を、魔法少女を殺そうとしている。次に何をすべきか、一瞬にして計算した御堂は鬼畜妖精に言った。

 

「逃げるぞ! 戦略的撤退だ!」

「は、はいでやんす!」

 

 固まっていた鬼畜妖精が御堂の言葉に弾かれたかのように、大きく羽をはためかせた。光る鱗粉が舞い、一瞬にして御堂と鬼畜妖精を覆いつくした。

 そして、次の瞬間、御堂はMGN社の自身の執務室に立っていた。魔法少女のコスチュームは消え去り、元のスーツ姿に戻っている。

 

「あ、危なかったでやんす~!」

 

 ぜーはーと荒く肩を上下させながら鬼畜妖精が息を切らせている。

 

「あの男は?」

「撒いたでやんす。エネマキュアの魔力の痕跡も完全に消したでやんすから、ここまでたどり着けないでやんすよ」

 

 鬼畜妖精の言葉に安堵の息を吐いた。前回ほどではなかったが、今回も十分に危なかった。

 

「……それにしても、あの男、人気のない路地裏とはいえ刀を振り回すとは危ない奴だな。頭おかしいのではないか」

 

 そう言う御堂も、路地裏で銃を何発もぶっ放したのだが、自分のことについては棚上げされているらしい。

 

「旦那、これからはもう、鬼畜王に遭遇したら即刻逃げるでやんすよ!」

「そうするか。正面切って戦うばかりが能ではないしな……」

 

 と言いながら、魔法少女になることを前提に話をしている自分に気付き、御堂は怒りながらエネマグラ型魔法スティックを鬼畜妖精に押し付けた。

 

「もう二度と魔法少女なぞならないぞ!」

「またまた~」

 

 鬼畜妖精は押し付けられるエネマグラを上手く躱しながら、御堂の周りをパタパタと飛び回るのだった。

 

 

 

 

 薄暗い路地、エネマキュアが光り輝いた次の刹那、その場には跡形もなくなっていた。

 

「チッ、また逃げられたか……」

 

 佐伯は構えていた刀を降ろした。感覚を研ぎ澄ましてどこに逃げたのか気配を探るが、今回ばかりはどこにもエネマキュアの痕跡はなかった。

 

「戦えば戦うほど強くなるか……。どうやらその通りだな」

 

 Mr.Rが口にした言葉。それを実感する。佐伯と対峙するのは二回目にして、エネマキュアは柔軟に戦法を変えてきた。そして、勝ち目がないと判断するやすぐさま逃げた。冷静な判断力と即座の実行力はエネマキュアの魔力の効果というより、元の人間の能力が高いのだろう。

 だが、まだこちらに分がある。これからどのように追い詰め、狩っていこうか。佐伯は冷たい微笑を浮かべた。

 

「次に会うのを楽しみにしているぞ、エネマキュア」

 

 刀を鞘に収めると、佐伯はマントを翻して歩き出した。そして、闇の中へと溶け込んでいく。

 

 

 

 

 翌朝、御堂は普段通りに出勤し執務室で仕事についた。いつもと変わらぬ日常、山積みになった仕事を次々とこなしていく。

 退社時間も迫ったころ、メールボックスを覗くと、総務部から社員宛の一斉メールが届いていた。不審なメールへの注意喚起の内容だ。

 

「あれ、これって……」

 

 パソコン画面を覗き込んだ鬼畜妖精がメールを見てつぶやいた。御堂は、ふ、と笑う。

 

「ああ。今回は見逃してやることにした」

 

 昨夜、御堂は大隈に送ったのとまったく同じ文面を複数のMGN社の役員に送り付けた。まったく心当たりのない役員が変なメールが届いたと報告したため、悪質ないたずらメールとして片付けられた。そして、社員全員宛に不審メールへの注意喚起が回ってきたのだ。

 あのメールが大隈個人を狙ったものでなく無作為にMGN社の役員を狙ったもので、文面も根拠のない脅迫だったことにしたのだ。だが、大隈はこれが単なるブラフでないことにちゃんと気付いている。ほかの役員に届いたメールが公表されている社内アドレスだったのに対して、大隈宛のメールはプライベートアドレスに送った。大隈はその差異に気付かぬほどの愚鈍な男ではない。

 だから、大隈は日中にいそいそと御堂の執務室にやってきて言った。 

 

「御堂君、この前の着服の話、あれのことなんだが……」

「ええ、キクチ八課が使い込んだという」

 

 御堂は素知らぬ顔をして大隈に話を合わせると、大隈もまた真面目な顔をして言葉を続けた。

 

「それが、どうやら会計処理の間違いで、そんな使途不明金はなかったらしい」

「は? どういうことでしょうか」

「まったくもってお粗末な話だが、伝票の処理漏れがあったようで、計算しなおしたら問題なかったということだ」

 

 思った通りの展開に御堂は内心噴き出しそうになりながらも、困惑した表情をつくる。

 

「……そうですか。それでは、キクチ八課の処分は」

「不要だ。このまま担当してもらって問題ない」

「承知いたしました」

「では、よろしく頼むぞ。御堂君」

「はい」

 

 それだけ言って大隈は御堂の執務室から出て行った。

 MGN社の専務まで上り詰めた大隈の嗅覚は、この一連のメールの意図するところを正しく読み取った。大隈が事を荒立てなければ、脅迫者もことも荒立てるつもりはないと。

 だから、大隈はキクチ八課の処分を取り消し、着服した金を補填し横領をなかったことにした。返した金はどこから調達したのか、御堂の知ったところではない。これ以上、御堂が手掛ける業務の邪魔をしなければそれでいい。

 大隈としては誰から脅迫されたのか分からない後味の悪さがあるだろうが、それくらい釘を刺しておいた方が良いだろう。大隈のプライベートアドレスは、大学の同窓会名簿から手に入れた。たまたま知人が大隈と同じゼミの後輩だったのだ。その事実を大隈は知らない。だから、御堂が脅迫者だと気づくこともない。

 権藤に対しても、佐伯の報告書にあった別件の不正経理をそれとなくキクチの経理部に伝えておいた。今頃こってりと絞られているだろう。

 すべての片はついた。これでまた普段の業務に戻れる。

 

「……あいつにも一応、報告しておくか」

 

 御堂はデスクの電話に手を伸ばした。

 

 

 

 

「ということだ、佐伯」

 

 その日の夜遅く、呼び出された佐伯は御堂の執務室に顔を出した。御堂が大隈を脅迫した事実は伏せて、横領の件はなかったことにされたこと、そしてキクチ八課の処分は行わないことを伝える。御堂のデスクの前に立つ佐伯は微かに眉を吊り上げた。

 

「それで御堂さんはいいのですか。このネタを使えば専務を引きずり落とせるでしょうに」

 

 痛いところを突いてくる佐伯に御堂は苦笑した。出来ることならそうしていたが、空いた専務の椅子に自分が座れるという保証がないのだ。他人に取られるくらいなら、大隈を置いておいた方が何かと都合がいい。

 

「何事にもタイミングというものがある。必要な時にはこのネタを遠慮なく使わせてもらおう」

 

 一応、佐伯に感謝の気持ちを伝えておく。

 

「君がこのネタを私に渡してくれて感謝している。君が騒ぎ出したら隠しようがなかったからな」

「どういたしまして」

 

 涼しい顔をして佐伯は返事をする。御堂はコホンと咳ばらいをして言った。

 

「キクチ八課については、今まで通りにわが部署の商品を担当してもらうから安心してくれたまえ」

「ふうん」

 

 佐伯は大してうれしくもなさそうで、御堂は肩透かしを食らった気分で言った。

 

「気のない返事だな」

「別に、キクチ八課がどうなろうと知ったことではありませんからね」

 

 自分の所属部署を突き放すような冷淡な佐伯の言葉に御堂は眉をひそめた。

 

「随分な言い草ではないか。それならなぜ、私の依頼を受けた? 本当なら、君の切り札として使うつもりだったのだろう? てっきり、キクチ八課のメンバーを守りたいからかと思っていたが」

「そんなの決まっているじゃないですか」

 

 佐伯は眼鏡のブリッジを押し上げた。そして、まっすぐに御堂を見つめてくる。

 

「あなたの依頼だからですよ」

「私だから引き受けたと?」

「ええ」

 

 御堂を見据えたまま、はっきりと言い切られる言葉に居心地の悪さを覚え、御堂はわずかに佐伯から視線を外した。

 

「……私に何を期待しているんだ」

「ご褒美ですよ、俺への」

「随分と馴れ馴れしいな」

 

 佐伯の言葉にため息をつく。眉間にしわを寄せて佐伯をじろりと睨みつける。

 

「私を一回抱いたくらいで恋人気取りか? 勘違いも甚だしいぞ、佐伯」

 

 あれは不慮の事故だ。貴様と慣れあうつもりなど毛頭ない。そういう強い語調で言葉を返したが、佐伯の返事は御堂の予想を超えたものだった。

 

「では、あと何回抱けば、あなたと特別な関係になれますか?」

「馬鹿……っ! そういうつもりで言ったのではない!」

「それなら、どういうつもりですか?」

 

 佐伯が御堂を見つめるレンズの奥の目を眇めた。それだけで、危ういほどの色香を纏う。

 御堂は唐突に、渇きを覚えた。これは、あの時と一緒だ。瀕死になって、一刻も早く魔力を求めていた時だ。

 今の自分は魔力を欲しているのだろうか。……否。確かに必殺技は使い過ぎたが、魔力が枯渇するほどではない。それなら、自分はこの男を欲しているのだろうか。

 この男は何か、抗いがたい力を持っている。それは、御堂を惹きつけて離さない。

 佐伯が御堂のデスクを周りこんで御堂へと近づいてくる。御堂は、咄嗟に椅子から立ち上がった。佐伯から逃げようとして、手を掴まれる。そして、ぐいと引き寄せられた。

 

「よせ……っ」

 

 佐伯の手が御堂の背に回された。抗うよりも早く、強く、深く抱き寄せられる。佐伯の首元、フレグランスと汗とタバコの匂いが混ざり合った官能の香りを吸い込んだ。胸がきわどく疼く。

 自分の中に形作られていく感情、それを御堂は自覚しながらも黙殺する。自分に言い聞かせるように、言った。

 

「……今回限りだぞ」

「その言葉、これからも聞かせてください」

 

 佐伯はそう言って、唇を押し付けてきた。やわらかで温かな重みが唇にかかる。

 それは自分が期待していたものよりも、ずっと甘美で狂おしいものだった。

 

 

END

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