
The Morning Glow
ふと御堂は目を覚ました。
見慣れぬ天井と照明が目に入ってくる。
――そうだ、昨夜は佐伯の部屋に泊まったんだ。
視線だけ動かして窓を見ると、空が白んできている。
反対側に視線を向けると、隣で寝ている恋人の寝顔が視界に飛び込んできた。
その無防備な素顔にどきりとする。
佐伯の寝顔を目にすることはほとんどない。
夜は行為のせいで先に意識を飛ばしてしまうことがほとんどだ。佐伯はそんな御堂の身体を丁寧に拭って、後始末をしてからベッドに入ってくる。
佐伯の睡眠時間は御堂より短いようで、朝も御堂より早く起きるか、たまに御堂が先に起きてもその気配ですぐに目を覚ます。
眠り自体も浅いのだろう。夜、自分の寝つきが悪かったりして、ベッドの中でもぞもぞと身体を動かしているとすぐに気付かれて、声をかけられる。
佐伯を起こさぬよう、御堂はそっとベッドから出た。
ベッドサイドに立って佐伯の寝顔を改めて眺めた。
眼鏡を外したその素顔は滅多に見ることがない。
端正な顔立ちに長い睫毛。誰から見ても美形と分類される顔立ちだろう。
寝ているその顔は安らかで穏やかな表情だが、ひとたび起きると、その顔は多種多様に変化する。
相手を本能的にひるませるような攻撃的な顔をすることもあれば、無邪気な少年のようにいたずらっぽい顔を向けることもあるし、自分に対して愛を囁くその顔は見る者の平静さを奪うほど甘い表情をする。
昨夜、佐伯に囁かれた愛の言葉と、どこまでも甘い眼差しを思い出し、赤面した。
いつまでも佐伯の寝顔に見惚れている自分に気付いて、慌てて気持ちを切り替え、そっとベッドから離れた。
時計を見るとまだ5時だ。窓の外には朝焼けが広がる。
周囲は高層ビルや高層マンションが建ち並ぶ、都内の一等地にある佐伯のマンションだが、高層階の佐伯の部屋からはどこまでも広い空が見渡せる。
佐伯の部屋から、こんな朝焼けを眺める日が来るなんて、昔の自分は想像もしなかっただろう。
朝焼けをこんなにも平静な気持ちで眺めることが出来るようになったのは、最近になってからだ。
朝焼けは心の奥深くに刻み込まれた記憶を蘇らせる。
佐伯との関係が始まった夜。その始まりは歪んだ忌まわしいものだった。
革張りのソファの上で、自分の部屋の窓から見える朝焼けを放心状態で茫然と眺め続けた。
汗と体液にまみれた素肌が革に張り付く不快感。力が入らない重いだけの身体。身体の奥からは凌辱の残痕が鈍い痛みと重い鉛のような屈辱感を伝えてくる。
その日から朝焼けを見ることが出来なくなった。
御堂は頭を振って、その情景を意識から拭い去った。当時の記憶は瞬時に霧散しその痕跡は跡形もなくなった。
――時間はかかったが、私は当時の記憶は制御(アンダーコントロール)している。
意識しない限り思考の中に浮上してくることはない。
御堂は窓辺から離れてバスルームに向かった。
シャワーを軽く浴びてタオルで拭きながらベッドルームに戻ってきた。
中途半端なこの時間をどう過ごそうか、と思案した。
日が早いこの時期、空はすっかり明るくなってきた。
それでも、佐伯を起こすにはまだまだ早い時間だし、二度寝をする程眠くもない。コーヒーでも淹れながら、朝食を作ろうかとも思ったが、思い直した。
再び佐伯の寝顔を見下ろした。
恋人の寝顔をぼんやりと眺めながら過ごすのもいいかもしれない。
静かにベッドに入って、佐伯の傍からその素顔を眺める。
間近でみるその素顔は飾り気がないのに、驚くほど色気がある。
そっと顔を近づけた。佐伯の静かな寝息が聞き取れる。
そのままキスをしたい衝動に駆られたが、我慢した。キスをしたら佐伯が起きるだろう。
整った眉、きれいに並んだ睫毛、まっすぐな鼻筋、軽く閉じられた口唇のライン、佐伯の顔のパーツを一つ一つ愛でるようにじっくり鑑賞した。
このパーツが合わさって、佐伯克哉という一個の個体を形成していると思うと、その一個のパーツさえ愛おしく感じる。
こんな気持ちを抱いたことは、今までの人生において何度あったのだろう。もしかしたら、初めてなのかもしれない。
30を過ぎてからこんな甘ったるい感情を抱くなんて。
御堂は自分自身に呆れて苦笑した。
その時だった。
「……キスしてくれないんですか?」
佐伯の長い睫毛が小さく震え、その眼が薄く開かれた。すぐに御堂の視線をしっかり捉える。
「なっ…!」
驚いて鼓動が跳ねた。さっと身を離そうとしたら、佐伯に腕をしっかり掴まれて、逆に引き寄せられた。
「起きてたのか」
「そんな熱い視線を向けられたら、誰でも起きますよ」
背中に両手を回された。上半身が密着し、素肌が触れ合う。
そのまま自然と唇を重ねた。起きたばかりの佐伯の口内は乾いていた。それを自分の舌で隈なく潤す。互いの口内をしっかり舐めあった後、ゆっくりと唇を離した。
「俺のためにシャワー浴びてきてくれたんですか」
佐伯の手がゆっくりと優しく背中をなでて、御堂の腰に降りてくる。
既に自分の身体は熱くなっていたが、慌てて身を離そうともがいた。だが、その動きをしっかり腕で封じられる。
「佐伯…!この後、仕事があるから無理だ…!」
「まだたっぷり時間はある」
佐伯がにやりと笑う。御堂の顔を捉えて離さないその眼差しがどこまでも甘く優しくて、抵抗する力が抜ける。
体を起こした佐伯が御堂の体と位置を入れ替えて、覆いかぶさってくる。
しょうがないな、とため息をついて佐伯の髪を掴み再び唇を重ねた。
佐伯の身体の重みとぬくもりに例えようもない幸福感を感じながら。