top of page
​【サンプル】奈落ノ華(R&眼鏡×眼鏡)

 克哉が瞼を押し上げると、視界一面に血のような赤さが滲んでいた。

 何度かまばたきを繰り返したが、見える光景は変わらなかった。

 赤いカーテンが四方を取り囲む部屋。その真ん中のベッドに克哉は裸で寝かされていた。裸と言っても眼鏡は付けたままだ。また、首には金属の首輪が巻かれて、頑丈な鎖が克哉の逃亡を阻んでいる。

 克哉は自分の身体と自分を取り巻く状況を確認し、気を失う前と何ら変わっていないことに深く嘆息した。窓がないこの部屋では今が昼か夜かも分からない。そもそも時間の感覚さえもとうの昔に失っていた。ここに連れてこられたのはほんの数日前のような気もするし、もう数ヶ月以上ここに閉じ込められている気もする。

 ここはクラブRと呼ばれる場所だった。だが、このクラブRとは一体何なのか、克哉はその実体をまったくと言って良いほど知らなかった。分かるのは、いかがわしいことを行っている場であること。そして、ここは現実世界からかけ離れたところにあり、一切の常識が通用しないということだけだ。

 克哉がどれほど責め苛まれようと、たとえ鞭で打たれ、激しい痛みで気を失っても、目を覚ました時には傷は跡形もなくなっていた。しかし、傷がなくなったからといって、記憶が消えることはない。身体に刻み込まれた苦痛と悦楽は、ひとときも離れることなく克哉の心身を苛(さいな)んでいる。

 

「お目覚めですか?」

 

 唐突に背後からかけられた声に、びくりと身体を震わせて振り向けば、黒衣の男がベッドサイドに立っていた。優美な笑みを口元に刷き、丸眼鏡の奥にある金の眸を克哉に向ける男はMr.Rという。この男こそ、克哉をこのクラブRに連れ去り、監禁している張本人だ。

 憤りに満ちた眼差しで睨み付けた。だが、Mr.Rはそんな克哉の怒りもそよ風ほどにも感じないようだ。にこやかな面持ちで言う。

 

「さて、今回は少し違った趣向を試しましょうか。同じようなことを繰り返していては退屈でしょうし」

「何をやっても同じだ。俺はお前に服従する気はない」

 

 怒りとともに吐き捨てた言葉を、Mr.Rは艶然とした笑みで受け止めた。

 

「あなたはそれで良いのですよ」

「何だと?」

「あなたみたいに気が強く、プライドが高いほど、それを貶めて堕落させる悦びは大きくなるというもの」

「っ……」

「私が今まで行ってきたことなど所詮は前座に過ぎません。これからが本番なのです」

 

 Mr.Rはさらりと恐ろしいことを口にした。克哉を見つめる金の眸が妖しい光を宿す。

 

「さて、参りましょうか。あなたに会わせたい方がおります」

「誰だ……?」

「それはお目にかかれば分かります」

 

 警戒心を露わにする克哉に、Mr.Rは笑みを深めた。

 

 

 

 

 連れて行かれたのは、やはりクラブRの部屋だった。だが、克哉が知っている他の部屋とは、趣(おもむき)が違った。深い真紅のビロードの絨毯が敷かれたその部屋は広く、部屋の奥、床から数段高く設えられた場所に、豪奢な椅子が置かれていた。そして、その椅子には一人の男が座っていた。

 椅子の前まで連れてこられ、克哉は膝を付かされた。相変わらず裸に首輪を付けられ、両手を身体の前に拘束された姿だ。屈辱に満ちた格好だったが、克哉は顔を上げ、言葉を失う。

 

「な……」

 

 玉座と呼ぶに相応しい重厚で凝った造りの椅子には、自分と同じ顔形をした男が腰をかけていた。

 脚を組み、気怠げに克哉を見下ろすその姿は、記憶にあるとおりの克哉自身の姿そのままだ。克哉たちを取り囲む空間は、中世の城にあるような玉座の間だったが、その男の出で立ちは、この部屋や腰掛ける玉座に相応しくない姿だった。黒のジャケットを羽織り、その下に着るシャツは胸元あたりまではだけているラフな格好だ。それこそ普段の克哉が好むような服装だったが、それ以上に、自分と瓜二つの男、いや、同一人物そのものの男に目が奪われる。

 その男は、克哉を見下ろしてひと言、言った。

 

「なんだ、俺か」

「俺、だと……?」

 

 男が口にした言葉に克哉は耳を疑った。その男は、自分と同じ顔を持つ克哉を目の前にしても何ら動揺する素振りもない。克哉の傍らに立つMr.Rは、玉座に座る男に向けて、深々と頭を下げた。

 

「我が王、最近は他の奴隷にも飽きていらっしゃるご様子。それならば、ご自身を相手にしてみるのも一興かと」

 

 Mr.Rはもう一人の自分を『我が王』と呼び、うやうやしい態度で接する。

 もう一人の自分はレンズ越しに冷ややかに克哉を見遣る。克哉もまた、まじまじと玉座に座る自分を見返した。視線がぶつかり合う。玉座に坐す男の、鋭い冷たさが漂う顔つきを、銀のフレームの眼鏡がさらに際立たせている。

 どれほどつぶさに観察しても、やはり、自分自身にしか見えなかった。克哉の喉から掠れた声が漏れた。

 

「誰だ、お前は……」

「俺が誰かだって?」

 

 克哉の言葉に、もう一人の自分は馬鹿にしたような顔を向ける。

 

「見れば分かるだろう、俺は佐伯克哉だ。お前自身だよ」

「俺自身だと?」

 

 佐伯克哉と名乗ったもう一人の自分は玉座から立ち上がると段を降りて、克哉へと歩みを寄せた。そして屈み込むと、膝を付かされている克哉と顔の高さを合わせ、凍えた笑みを浮かべた。

 

「ずいぶんと落ちぶれたものだな」

 

 侮蔑を含んだ声が投げかけられる。

 両手を身体の前に拘束された克哉の首には金属製の首輪が付けられ、首輪から伸びた鎖はMr.Rの手にある。犬のようにつながれ、裸に拘束具しか身に付けていない状態で、身に纏うものの差がそのまま、もう一人の自分との立場の差を如実に表していた。

 本能的に敵愾心(てきがいしん)の炎を燃やしてギラリと睨み付けるが、もう一人の自分はそんな克哉の敵意を不敵な笑みで受け止める。

 

「ふうん、まだ心は折れていないのか」

「いかがでしょう。躾がいがあると存じますが」

 

 Mr.Rの言葉に、もう一人の自分は喉を鳴らした。レンズ越しの双眸を細める。

 

「良いだろう。俺を愉しませてみせろ」

 

 もう一人の自分は低く嗤った。

 

 

 

To Be Continued...

bottom of page