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ニュー・シネマ・パラダイス

 リビングから聞こえてくる情緒豊かな音楽に誘われたのか、克哉が背後から声をかけてきた。

 

「何を見ているんです?」

 

 克哉は二人分のコーヒーを淹れたマグカップをセンターテーブルに置き、画面に見入る御堂の左側に腰を掛けた。ソファの革がもう一人分の重みに沈む。

 薄暗い画面からはシチリアの海を背景にイタリア語が響く。

 

「ゴッドファーザー?」

「違う。ニュー・シネマ・パラダイスだ」

「古い映画だな」

「もう、三十年前の映画だからな。見たことあるか?」

「いや、ない。御堂さんは?」

「昔一度見たのだが、また見直したくなってな」

 

 懐かしい音楽はどこかで耳にしたことがある、哀愁を感じさせる響きだ。

 日曜日のゆったりとした午後。御堂に付き合う義理はないのだが、克哉は自然と隣に腰を落ち着けてソファの背にもたれかかり、御堂の視線の先に眼差しを添えた。

 物語は映画監督として成功したサルヴァトーレがシチリア島の村での少年時代を振り返るところから始まっていた。古びた日々への郷愁と感傷が次第に鮮やかさを取り戻していく。その世界に自然と克哉は引き込まれていった。

「トト」と呼ばれたその少年が青年になり、一人の女性に恋をする。思いつめるトトに友人である視力を失った映画技師のアルフレードがおとぎ話を聞かせ出した。

 

 

昔むかし

王様がパーティーを開いた。国中の美しい貴婦人が集まった。

護衛の兵士が王女が通るのを見た。

王女が一番美しかった。兵士は恋に落ちた。

だが、王女と兵士ではどうしようもない。

ある日ついに兵士は王女に話しかけた。

王女なしでは生きていけぬと言った。

王女は彼の深い思いに驚いた。

そして言った。

「百日の間、昼も夜も私のバルコニーの下で待ってくれたら、あなたのものになります」

兵士はすぐにバルコニーの下に立った。

2日、10日……20日たった。

毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない。

雨の日も 風の日も 雪が降っても

鳥が糞をし、蜂が刺しても 

兵士は動かなかった。

そして

90日が過ぎた。

兵士はひからびて真っ白になった。

目から涙が滴り落ちた。

涙をおさえる力もなかった。

眠る気力もなかった。

王女はずっと見守っていた。

99日目の夜

兵士は立ち上がった。

椅子を持って行ってしまった。

 

その話を聞いたトトが驚いてアルフレードに尋ねる。

『最後の日に?』『最後の日にだ』とアルフレードが答えて立ち上がる。

『話の意味はわからない。わかったら教えてくれ』そう言って締めくくった。

 

「ここだ」

 

 御堂がリモコンを操作して映画を止めた。せっかくいい気分に浸っていたところを邪魔されて、克哉は不満げに鼻を鳴らした。

 御堂の顔が画面から克哉に向けられる。

 

「佐伯、この話、分かるか?」

「この話?」

「なぜ兵士はあと一日で100日を迎えるまさにその日に、立ち去ってしまったのか。この映画では答えは語られない。見る者の心に謎を残すんだ。私はずっと分からなかった」

「そんなの決まっているじゃないですか」

 

 事もなげに言う克哉に御堂が目を丸くした。「なぜだ?」と問う御堂に、克哉が頬杖を突き、レンズ越しの淡い虹彩を御堂に向けた。

 

「兵士はこんなことをしても、王女が自分のものにならないと気付いたからですよ」

「どういうことだ?」

「百日間、兵士がバルコニーの下に立てば、王女は約束を守り兵士のものになる。しかしそれは、約束に強制されたものであって、王女の心までは自分のものにできない。だから、兵士は立ち去ることで、王女を約束から解放したんです」

「……」

 

 克哉の言葉に御堂は、はっと何かに気が付いたようだった。ほんの少しして、「そうか」と小さく呟いた。そして、何事もなかったかのように画面に視線を戻し、映画の続きを再生した。

 青年トトの旅立ちと別れ、映画監督としての成功。年老いてふたたび故郷に戻るトト。初恋の女性との再会、そして、アルフレードの形見のフィルムを受け取る。

 映画も終わり間近になり、御堂は正面を向いたまま、ぽつりと呟いた。

 

「この映画は『叶わぬ願い』が全編を通して描かれているんだ」

 

 いくら成功しても、本当に欲しいものを手に入れられることが出来なかった主人公の悲哀が真に迫る。

 克哉がちらりと御堂に視線を送った。

 

「あの兵士と王女の話、その後どうなったか知っています?」

「いや、……君は知っているのか?」

「ええ」

「本当に?」

 

 映画では結局最後まで明かされなかった話だ。疑う御堂に克哉はにやりと笑いかけて耳元に御堂に口を寄せた。

 

「去っていく兵士を王女が追いかけたんですよ。そして、告白したんです。『好きだ』って」

「……馬鹿」

 

 克哉のレンズ越しの眸が悪戯っぽく輝く。胸が締め付けられるのは映画のストーリーに呑み込まれたせいか、それともあの日の情景が蘇ったせいか。

 ふたりの背後では映画が終わりを迎えて、繋ぎ合わされたモノクロフィルムのキスシーンが次から次へと流れている。

 

「人生は映画とは違う」

「その通りだ、佐伯」

 

 克哉の顔が重なってくる。顔を傾けてくちびるをくちびるで受け止めた。映画の中のキスシーンよりも甘く疼くくちづけがここにある。

 胸をかき乱されるこの映画を、新たな気持ちで受け止めることが出来るのは、こうやって並んで想いを分かち合う相手が出来たからだ。

 明るい光が差し込む日曜の午後のリビングで、映画が終わったことも気付かずに二人はキスを交わし続けた。

 

 

END

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