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Secret Kiss
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 十連休という史上まれにみる大型連休を控え、AA社はいつにも増して緊張感と活気がみなぎっていた。

「御堂、いるか?」

 克哉はプリントアウトされた報告書を手に御堂の姿を探して、執務室から出た。オフィス内をざっと見渡すと、打ち合わせスペースから覚えのある声が聞こえてくる。そちらへと足を向けた。

 たった一人で起業を決めたAA社も副社長を迎え、かつての部下だった藤田を引き抜き……と社員を増やし、着実に業績を伸ばしている。この分で行くと、近いうちにこのオフィスも手狭になりそうだ。もちろん、そんな事態を見越して隣のオフィススペースも借り上げている。壁を取っ払えばAA社を倍の広さにできる。

 起業初日はたった二人だけだった。がらんとしたオフィスで、御堂に「よろしく、佐伯社長」と手を握られて硬く握手を交わした時の期待と高揚感は今でも霞むことなく、鮮やかな色彩をもってこの胸の中にある。

 御堂の厳しい声が響いてきた。

「藤田、ここの数字、チェックが甘い。クライアントに提出するレポートなら、内容だけでなく見栄えも気を付けろ」

「すみません、すぐに訂正します!」

「ちょっと待て、この部分の提案だが……」

「そこはですね、最近の流行りであるサブスクを一案として入れてみたのですが」

「この業種でサブスクはリスキーだな」

 スペースを覗くと、テーブルを挟んで御堂と藤田が、頭を突き合わせている。藤田が担当している案件の提案書を御堂が細かくチェックしているようだ。ページには事細かに修正事項が赤字で入れられている。これだけ赤字が多いと、直すのも一苦労だろう。

 御堂は眉間に皺を寄せて報告書を凝視している。先ほどから指摘されてばかりの藤田は、御堂の容赦ない言葉に凹んでいるかと思いきや、御堂の一言一句を聞き漏らすまいと真剣な眼差しで御堂に食いついている。

 藤田はMGN社時代の御堂の直属の部下だった。新人時代から直接指導を受けてきたという。「彼は有能な若手だ。足りないのは経験だけだ」と何かのおりに御堂が言っていた。確かに、競争の激しい就活をくぐり抜けてMGN社に入社を果たしたのだ。優秀であることは間違いないだろう。

 藤田は、歳が近い克哉にはどこか砕けた態度をとることもあったが、御堂には常に尊敬する上司に対するそれだ。御堂に向ける敬愛の眼差しは熱っぽく、もはや崇拝の域に達しているのではないかと心配になる。

 御堂もまた、藤田の能力を高く買っている。だから、指導はいつも厳しく徹底している。その結果、藤田は着実に経験を積み、実力を伸ばしている。

 二人は克哉の存在に気付くこともなく、熱心に意見を交わしている。しばらく黙って見守っていたが、一向に議論が止む気配はなく、克哉は軽く咳払いをして声をかけた。

「御堂、先日契約したオオタ飲料の件だが……」

 御堂が顔を上げて振り返った。端正な顔立ちに切れ長のくっきりとした目鼻立ち。髪の毛は一筋の乱れもなく撫でつけられ、つま先から頭のてっぺんまで一切の隙がない。品格の高さが滲み出ている。御堂はちらりと腕時計に視線を落として、言った。

「ちょっと時間がかかりそうだ。三十分くらい待てそうか?」

「すみません、佐伯さん。僕の力不足で御堂さんの時間を取らせてしまって……」

 克哉を見上げた藤田が申し訳なさそうに頭を下げた。それを御堂が「そう思うなら、もっと完成度の高いレポートを持ってこい」とすぐさま叱咤する。厳しいながらも温かみがある口調に、藤田が頭をかきながら「精一杯、努力します」ともう一度頭を下げた。

「俺の方は問題ない。そっちが終わったら声をかけてくれ」

 その二人のやり取りをどことなく苦々しく感じながら克哉は自分のデスクに戻った。

 気を取り直そうと、デスクに置いてあった飲みかけのコーヒーを口にするが、すっかりぬるくなってまずくなったそれは気分転換の足しにもならなかった。

 今、自分の胸に凝る粘ついた感情は何だか分かっている。嫉妬だ。

 同じ職場で同じ仕事をして、家に帰ればプライベートを共にする仲だ。他人が入り込む隙間などないことは分かっているのに、御堂が他人に向ける視線や言葉が気になって仕方ない。

 御堂が藤田に向ける表情、それは、まさしく部下に対するそれで、部下と上司という克哉が作ることができなかった関係を築き上げている。

 克哉と御堂は恋人関係で、比較する必要もないくらいの深い関係を結んでいるというのに、何故これほどまでに胸が掻き乱されるのだろう。

 知らず知らずのうちに厳しい表情をしていると、「佐伯」と声が降ってきた。声がした方向に顔をあげると、御堂が立っていた。その手には藤田のレポートを持ったままだ。

「すまない、まだ時間がかかりそうだ。もう少し待てるか?」

 藤田の指導をしながらも、過密なスケジュールで動く克哉を気遣う態度に、言葉にならない感情が衝き上げてきた。

「待てない。ちょっと俺に付き合え」

「な……っ、なんだ、佐伯っ!」

 デスクから立ち上がると、無言で御堂の手を掴み、執務室に隣接するミーティングルームに押し込んだ。扉を閉め、片手で鍵を閉めると、防音がしっかり施された部屋のなかに静けさが満ちる。

「どういうつもりだ!」

 御堂が克哉の手を振り払った。突然の克哉の行動に面食らう御堂の顎を掴んで、有無を言わさずに唇を押し付けた。

「ん……っ、んんっ!」

 逃げようとする御堂の身体を壁に押し付け、胸を押し返す手も、ものともしない。もみ合っているうちに、パサリとレポートが足元に落ちた。それを無視し、きつく唇を重ねて、わずかに開いた歯の隙間から舌を差し入れる。

 舌を絡めながら唾液を伝わせ、無理やり呑み込ませる。御堂の喉がこくりと上下に動くのを確認すると、今度は角度を変えながら熱っぽいキスを交わした。御堂の手が背後に回り、克哉の頭を掴んでくる。御堂の背中を腕で強く絡めとって、スーツの布地を通して体温を感じ取るほどに身体を密着させていると、少しずつ御堂の身体の強張りが解けてきた。御堂の頬が上気し、双眸が潤んだように蕩けていく。そんな御堂の顔を見ることができるのは自分だけだ。そう思うと、自分の底なしの独占欲がほんの少し満たされていく。

 克哉を諫めようとしていた手が次第に克哉を抱きしめるような形になったところで、克哉はゆっくりと顔と身体を離した。御堂が荒げた息をひとつ、吐く。

「御堂……」

 そうかすれた声で呟いたところで、足先を渾身の力の踵で踏みつけられた。

「――痛ッ!」

「いきなり何をするんだ! 時と場所を弁えろと言っているだろう!」

「時と場所を弁えたから、今の今まで我慢して、ここまで連れてきたんじゃないか」

「お前は一体何を言っているんだ。社内で、しかも勤務中はやめろと言っただろう」

 肩で呼吸しながらも、克哉に本気の怒りをぶつけてくる。そんな、御堂からぷいと顔を背けた。腹立ちまぎれに、チッ、と舌打ちをする。

「あんたは俺のものだ」

「はあ?」

「それを忘れるな」

「まさか、佐伯……」

 克哉の不貞腐れた態度と言葉に、御堂は合点がいったようで、大きなため息を吐いた。

「藤田に嫉妬したのか」

「……」

 その通りだったが、そんな身も蓋もない言い方をされると返す言葉がない。御堂と藤田の間柄は克哉が疑うようなものは何一つないことは分かっている。この後、御堂に盛大に怒られるのか呆れられるのか。どちらに転ぼうと、素直に謝る気などないくらいにはねじくれている。

 沈黙が充満し、息苦しくなってきたころに、御堂が克哉の両頬を挟んで正面を向かせた。真正面、それも鼻が触れ合うほどの近さに御堂の顔がある。まっすぐに自分を射てくる御堂の視線の強さにたじろいだ。

「佐伯、君こそ私のものであることを忘れるな」

「――ッ!」

 言葉が終わるか終わらないかのうちに熱い唇が力強く押し付けられた。最初から滾る熱をぶつけてくるような激しいキスだ。驚いて一瞬反応が送れたが、克哉もすぐにそのキスに応えた。唇を深く噛み合わせ、唾液をくちゅくちゅと混ぜ合わせながら、互いの口内を舌で探る。レンズがうっすらと曇るほど熱烈なキスを交わし、このままだとその先の行為まで及んでしまうという頃合いでようやく互いに身体を離した。

 御堂が胸を上下に荒げながら、床に落ちたレポートを拾い上げた。

「この程度でいいんですか、御堂さん」

 揶揄した口調で言うと、御堂にギラリと睨まれた。

「これくらいで済むと思うなよ、佐伯。この続きはGWに入ったらたっぷり返すからな」

「それは怖いですね」

「倍返しだ。覚えていろ」

 宣戦布告のように言われて、思わずくすりと笑ってしまう。御堂も克哉につられて笑いだした。怜悧な顔立ちが崩れて素の笑顔が覗く。この顔だって、克哉だけが独占している顔だ。

 乱れた衣服を直して、お互いにチェックし合って、ミーティングルームから出る。

 ドアを開いた途端、御堂を探しに来たのか執務室に入ってきた藤田と目が合った。咄嗟の言い訳が口を衝く前に、「待たせたな」と御堂が克哉を押しのけて、藤田の元にすたすたと歩いて行った。その横顔はすでに、いつもの凛然としたポーカーフェイスだ。そんな御堂を余裕めいた眼差しで見送った。

 いつの間にか先ほどまでの焦れた気持ちが跡形もなく霧散していることに気が付いた。この仕事が終わった後、十連休を御堂と共に過ごす期待が今や胸を疼かせている。

 単純なものだ、と自分自身、苦笑してしまう。

 こうして、四月の最後の勤務日、仕事の片が付くまで全力で取り組み、二人で部屋に戻るなり待ちきれずにベッドへとなだれ込んだのだった。

 

 

 

「ん……っ、ぁ、あ、あああっ」

 薄暗い室内で、汗を刷いた白い背中が悩ましげにうねる。

 御堂は両肘をついて克哉に向けて尻を掲げる体勢で、突き込むたびに、肌と肌がぶつかり合うなまめかしい音が響いた。

「ふっ、……ぁ、あ――ッ」

 ひと際甲高い喘ぎが響き、きゅうっと中が締まった。腰の下に手を伸ばして御堂のペニスの先端を確かめると、敏感なところをまさぐられた御堂が「ああっ」と小さく悲鳴をあげて身悶えた。

「ドライでイったのか」

「も……少しは手加減しろ…佐伯……っ」

「ここからが気持ちいことを知っているくせに」

 いったんつながりを解くと、御堂を仰向けにした。綻んでひくつくアヌスは、熟れきった粘膜を覗かせている。御堂の力が抜けた脚を左右の肩に担ぐと、御堂の身体の奥までひと息に貫いた。白い喉がのけ反る。怜悧な相貌が快楽に蕩けて、無防備な表情を晒す。いつまでもその顔を見ていたいし、もっと乱れさせたいと思う。克哉は猛然と腰を遣い始めた。

「あ、あ、ひっ、ぁあっ、か……つや…っ」

 穿つたびに御堂の激しく揺れるペニスの先端から精液とも先走りともつかない液体が溢れ、散らされる。

 潤みきった中の襞をぬちゅっと強く擦りあげて抜き挿しすると、淫靡な液体が結合部から泡立ちつつ滴り落ちて、ぬらぬらと二人の下腹を濡らしていく。

 激しい感覚に惑乱したのか、御堂の手が何もない空間を掴むように伸ばされた。縋りつく場所を探しているように彷徨う。その手を掴んだ。指と指をきつく絡め合わせて手のひらを合わせる。御堂の濡れた眼差しが克哉に向けられた。

「か…つや……」

 壮絶な色香を刷く双眸に深々と搦めとられながら、激しく腰を打ち付けた。

「……んぁっ、イく……っ」

「く……っ」

 背をしならせて深い極みに囚われる御堂の奥に、熱い奔流を撃ち込んでいく。

 御堂が恍惚とした顔で、どくどくと放たれる粘液を受け止める。呑みきれなかった精液が淫らな滴となって溢れ出してきた。その淫らな感覚に御堂が身体を震わせた。

 GWに入ってから、これで何度目の交わりだろう。年末年始の休みよりも長い大型連休、ためしにドライブに出てみたもののすぐに渋滞に巻き込まれ、人混みに早々に飽いた二人は結局、部屋にこもって飽きることなく身体を重ねている。明日のことを気にせずに、思う存分貪り合いつづけ、身体の隅々まで熱く濡らしていく。そして、全てを灼きつくすような極みに身をゆだねた後、気絶するように眠りにつく。貪欲に身体を重ね続けて、日時の感覚をすっかり失ってしまいそうだ。

 何度目かの絶頂を迎えて、克哉は御堂の中に自身を収めたまま御堂を背後からかき抱いて横たわった。ふいに、ベッドサイドテーブルに置いてあったデジタル時計が目に入った。いつの間にか、日付が切り替わっている。

「御堂さん、令和になりましたよ」

「なに……」

 気だるそうに返す御堂がうっすらと目を開けて、克哉の視線の先にある時計に顔を向けた。時計の液晶には五月一日と、日付が表示されている。

「平成も終わったのか」

 どこか感慨深げにつぶやく御堂に

「これで御堂さんは、昭和、平成、令和と三つ目の元号ですか」

 と茶々を入れると

「黙れ、平成ベイビーが」

 すぐさま掠れた声で言い返された。

 肩越しに睨み付けてくる男の眼差しが心地よい。その視線を受け止めながらにやりと笑った。

「これで俺は御堂さんの平成最後の男で、令和最初の男になったわけだな」

「馬鹿」

 頭をぐっと掴まれて、引き寄せられる。

「何が、平成最後だ。君はそんなことで満足しているのか?」

「なんだ……?」

「私の人生の最後の男になれ、克哉」

「……っ、もちろんそのつもりですよ、孝典さん」

 高慢に命令してくる愛しい男に、見惚れてしまう。その顔は余裕と自信に満ちている。

 克哉に愛されることで、御堂は強さと美しさを増した。そんな御堂と常に肩を並べられる男でありたいと思う。

 力強く返事をしながら、御堂に身体を覆いかぶせた。肌と肌とを触れ合わせ、優しいキスを唇に落とす。御堂がそっと目を閉じた。その口元は薄く開いて、さらに深いキスを待っている。迷わずに、その唇を強く塞いだ。遠のきかけた快感が再び色を濃くしていく

 こんな風に愛を確かめ合うたびに、より深い愛に溺れていく。きっと一生、自分はこの男に惚れ続けるのだろう。

「愛していますよ、孝典さん。今までもこれからも」

 克哉の素直な告白に御堂が目を瞬かせた。

「先に言うな、と言っているだろう……! 令和最初の告白くらい私にさせろ」

「……それなら、今のはなしにしますから。さあ、どうぞ」

「馬鹿っ! 益々、言いづらくなるじゃないか」

 二人で顔を見合わせて噴き出した。

 笑い過ぎて御堂の眦に滲んだ涙をそっと口づけして拭うと、御堂が吐息に紛れて「克哉、愛している」と囁いた。恋人の可愛らしい姿に、御堂の中に含ませたままの自身が、ふたたび熱をもって大きくなっていく。

 御堂が慌てた声で言った。

「お前また……っ」

「この十連休にどれだけヤれるか、挑戦するか」

「そんな無謀な挑戦に付き合っていられるか」

「倍返しするんでしょう、俺に?」

「……当たり前だ。覚悟しろ」

 御堂は克哉のうなじに腕を巻き付かせて、きつく身体を引き寄せてきた。噛みつくようなキスをしてくる。御堂がこんな野獣めいたキスをしてくることなんて、二人以外の誰も知らない。そして、不敵に笑った克哉が、そのキスを受け止めてそれ以上の熱を返すことも。

 この腕の中にあるぬくもりは、これからのどの時代においても自分だけのものだ。

 一日が過ぎさり、新しい一日を共に過ごす。そんなさりげない日々の繰り返しをいくら積み重ねても、御堂を求める気持ちは常に新鮮で、すり減ることはない。

 そんなふうにして、令和の新しい朝を迎えていくのだ。

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