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​【サンプル】接待の定理(御堂×眼鏡)

 そもそもの始まりは克哉のひと言からだった。

 休日の朝というには遅い時間。先に起きてシャワーを浴びた克哉が、御堂の分までコーヒーを淹れていた。遅れてシャワールームから出てきた御堂が、まだ乾ききっていない髪をかき上げつつダイニングテーブルにつく。

 御堂の正面に座った克哉はマグを片手に、唐突に口火を切った。

 

「御堂さん、一つ聞いていいか?」

「何をだ」

 

 こんな風に克哉が前置きを口にした時点で御堂は警戒心を持つべきだったが、寝起きの頭ではそこまで思考が回らず、御堂はコーヒーを口に含みながら眠たげな顔を克哉へと向けた。

 

「MGN社であんたが俺に接待を求めたとき、本心は何を考えていたんだ?」

「なんだ、いきなり」

 

 あまりにも不意打ちの質問に、あやうくコーヒーを吹き出しかけて御堂は噎(む)せた。口元を手の甲で覆って呼吸を整えながら、無関心を装って返事をする。

 

「昔のことだ。忘れた」

「本当に?」

「ああ」

 

 克哉が探るような眼差しを向けてくる。その眸を正面から見返すことが出来なくて、御堂はわずかに目を伏せた。

 昔、というほど昔ではないが、あの日から今までに色々ありすぎた。忘れた、というよりは、忘れたい、というのが御堂の本音だった。

 あの日、売上目標を引き上げた御堂を追いかけて克哉は執務室までやってきた。そして、御堂に売上目標の上方修正を見直せと迫ったのだ。

 たかだか営業を委託した子会社のヒラ社員でありながら、克哉の態度はあまりにも傲慢不遜だった。御堂と対峙した克哉のレンズ越しの双眸は、ぶれることなく御堂を真正面から射貫く。そんな克哉を前にして、理由の分からぬ焦燥感と苛立ちが込み上げてきたのは今でも覚えている。

 克哉は一口、コーヒーを飲んで口を開いた。

 

「接待の場所にホテルの部屋を指定していたな。それに、ただ酒の席を用意するという意味ではない、とも言っていた。要はセックスの相手をしろという意味でしょう?」

 

「そうだったか……?」

 

 しらを切り通そうとしたところで、克哉はふてぶてしい口調で言う。

 

「つまり、あの時の御堂さんは、俺に抱かれたかったということか?」

「は?」

 

 あんぐりと口を開ける。

 

「ば……馬鹿を言うな! あんな生意気な態度の君に私が抱かれたいだと!? どういう思考回路をしているんだ!」

「なんだ、ちゃあんと覚えているじゃないか」

「っ……」

 

 思わず一気(いっき)呵成(かせい)にまくし立てた御堂に、克哉はにやりと笑う。

 克哉の誘導尋問に引っかかってしまったのだ。

 返す言葉に詰まるが、それでも、場の流れを断ち切るように、御堂はぷいと顔を背けて言った。

 

「もう良いではないか。しつこいぞ。あのときのことは忘れた」

 

 突き放す強さで返すが、克哉は追及の手を緩めなかった。

 

「あんたは、そうやっていつも、下の立場の人間に性的な接待を要求してきたのか?」

「違う!」

 

 そこはさすがに否定せねば気が済まなかった。

 確かに、御堂は克哉に出会うまでは女でも男でも性的な欲求を感じたら抱いた。恋人と言える関係にあった人間も何人もいた。だが、大抵、短期間で関係は終了してしまっていた。それは、相手に要求するものが互いにかけ離れていたのだからだろう。当時の御堂にとって、恋人は鬱陶しく感じたらすぐさま別れる。それくらいの軽い存在だった。

 御堂が性的に慎ましやかであったとは言えないが、あんな風に自分の立場を利用して無理強いをしたことはなかったと断言できる。そもそも、そんなことをする必要はまったくなかったのだ。御堂が誘えば、誰も彼も誘いに乗った。それくらい、御堂は同性異性を問わず、周囲から特別な関心を向けられていたし、それを自覚していた。

 だが、そんなことを口にすれば克哉の余計な嫉妬を煽ることは火を見るよりも明らかなので、黙っておく。

 御堂は、ふう、とこれみよがしにため息を吐いた。

 

「どうしてそんなことばかり聞くのだ。今となっては反省しているし、もう二度とああいうパワハラはしない」

「セクハラではなくて?」

「君がそれを言うか?」

 

 むしろ、克哉こそハラスメントに収まらない犯罪行為を御堂にしたのだ。それを暗に含むようにして非難めいた視線を克哉に向けるが、当の克哉はどこ吹く風で言葉を続ける。

 

「それで、御堂さんは俺がのこのことホテルの部屋にやってきたら、どうするつもりだったんです?」

「……まだ言うか」

 

 克哉はどうあっても御堂の真意を問いただしたいらしい。まっすぐな眼差しは御堂を見据えて離さない。

 言い逃れしようにも、克哉は自分を納得させる答えがない限りは、どこまでも執拗に追い詰めてきそうだ。克哉のしつこさは嫌という程知っている。うんざりしつつも煤(すす)けたような記憶を掘り起こした。

 あの日、克哉に性的な接待を要求した自分は、克哉をどうしてやろうと考えていたのだろうか。

 この鼻持ちならない子会社の若手に、御堂との立場の違いを屈辱的な方法で分からせてやろうと思ったのは確かだ。だが、本当にそれだけの理由なのだろうか。

 克哉は態度こそ厚かましかったが、容姿は悪くなかった。むしろ、御堂の好みのタイプだった。あんな風に対立さえしなければ、別の可能性もあったのかもしれない。

 しかし、どれほど考えようにも、所詮は過ぎ去りし日の話だ。今更どうこう言ったところで、何かが変わる訳ではない。つまり、今、求められる答えは真実よりも、克哉を満足させる解答だろう。

 寝起きの頭を一生懸命働かせているうちに、何故自分がこんな風に追い詰められなければいけないのかと反感が沸いてくる。御堂は、ふん、と鼻を鳴らして言った。

 

「佐伯、そんなにあの日のことが知りたいのか?」

「ああ」

「君にその覚悟があるなら、たっぷり教えてやる」

「覚悟?」

 

 首を傾げる克哉に意地が悪い視線を向ける。

 

「あの日、私は言っただろう? 本当に何でもするのかと」

「やっぱりそう言っていただろう」

「……今、思い出したのだ」

「ふうん」

 

 またもやうまく自白させられた気がしないでもないが、片眉を吊り上げて克哉のレンズ越しの双眸を睨み付ける。

 

「私に何をされても良いというなら、あの日、私が何をする気だったか再現してやる」

「その程度の覚悟ならいつでもありますよ」

 

 平然と返す克哉に御堂は眉根を寄せた。

 

「私に抱かれることになるかも知れないぞ?」

「まったく問題ない」

「ほう……。では、再現しようではないか」

「それは楽しみだ」

 

 売り言葉に買い言葉だ。克哉の本気がどの程度のものか試してみるのも悪くない。

 克哉にはしっかりと釘を刺しておく。

 

「君は子会社のヒラ社員で私は親会社の上司だ。それを忘れるな」

「もちろんです、御堂部長」

 

 御堂部長、と強調して、克哉が口元に薄い笑みを刷く。

 御堂は手元にあるメモ帳にさっとホテル名と時間を書いて克哉に渡した。

 

「ここに来い」

「承知しました」

 

 克哉は深々と御堂に頭を下げてみせた。

 

 

 

To Be Continued...

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