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​浸蝕
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「ハァ……ッ、ハァ……ッ、うぁっ、ハァ……ッ」

 薄暗い部屋の重ったるい空気を乱すように、熱っぽい吐息が繰り返された。

「どうした? もう根を上げるのか?」
「ぅう……」

 冷ややかに言う佐伯に御堂は首を振った。その弾みで、額に浮き出た脂汗が散って、剥き出しのコンクリートの床に滴った。御堂と佐伯がいるのは、赤いカーテンで覆われた部屋。ここはクラブRの一室だ。だが、客をもてなす部屋でも、いかがわしいショーを行う舞台でもない。様々な責め具が置かれたその部屋は、折檻を行うための専用の部屋だ。
 御堂は拘束具を兼ねるボンデージ姿で、その両手は首から伸びるベルトと共に天井から伸びる鎖に吊り下げられていた。足は地に着いているが、ほとんど身動きは出来ない状態だ。
 背後で、ひゅん、と空を切る音がした。次の瞬間、臀部に痛みと熱が走る。

「あああっ!」

 喉を反らして悲鳴を上げた。剥き出しの尻を乗馬鞭で打たれたのだ。激しい痛みに悶絶すると同時に、アヌスに埋め込まれたディルドを強く食い締めてしまい、張り詰めたペニスからはとぷりと蜜が溢れた。
 続けざまに数度背中から尻を打ち据えられて、鋭い痛みに御堂は白い裸身を跳ねさせた。

「ぅう……、くあっ、……ああっ」
「相変わらず我慢が効かない身体だな。何をされても感じるのか」

 背後で佐伯が低く嗤う。つう、と鞭の柄で傷痕をなぞられた。その焼けつくような感覚にさえ御堂のペニスは萎えることなく反り返り続けていた。
 どれほど酷い責め苦でも快楽を得るように御堂を躾(しつけ)たのは佐伯だ。御堂は佐伯の奴隷に堕ちて、絶対の服従を誓っている。クラブRの商品としてショーに出され、客に奉仕させられても、佐伯は時折こうして御堂を徹底的に責め抜いた。何か失態を犯せば、たとえ些細なことであっても、それを理由に仕置きをされる。しかし、その仕置きは御堂の失態を責めるというよりは、決して自らの奴隷の立場を忘れないように、その身に教え込んでいるのだと言うことは、御堂も分かっていた。
 今回もそうだ。佐伯の気まぐれでこの部屋に連れてこられてから、もうどれほどの時間、こうして仕置きをされているのかも分からない。吊り下げられた両手の感覚は痺れて無くなる一方で、鞭で打擲された肌は空気の揺らぎでさえも痛みとして感じ取った。また、鞭の合間にディルドでアヌスを犯され、快楽と苦痛の境目が曖昧になってくる。
 佐伯は拷問のような責め苦を与えるのも、快楽で蕩けさせるのも巧みで、まさしく飴と鞭を使い分けながら御堂を奴隷として徹底的に仕込むのだ。

「……ぁ、く……」

 あまりにも激しく責められて意識がもうろうとしてくる。しかし、少しでも膝が崩れようものなら首に巻かれたベルトが締まり窒息してしまうので、御堂はどうにか堪えていた。限界はもうそこまで迫っている。だが、佐伯にそうと問われれば御堂は首を振った。なぜなら、この部屋には御堂と佐伯の二人きりだからだ。
 佐伯は舞台で御堂を折檻することもあったが、今は違う。客に見せるショーとしてではなく、御堂を躾けるためだけに佐伯はこの場にいて、鞭を振りおろしている。つまり、御堂が佐伯を独占しているのだ。だから、この時間がいかに苦しくつらいものであっても、終わらせたいという気持ちはなかった。
 佐伯にもっと自分を見て欲しい、そして触れて欲しいと、奴隷の分を超えた浅ましい欲が御堂をこの場に留まらせている。

「そろそろこっちも欲しくなってきたか?」

 佐伯は鞭の手を止めて、御堂のアヌスに咥え込まれたディルドに手をかけた。そのまま中にぐいと押し込み、ディルドを抽送させる。度重なる責め苦で疲労しきった身体でも、ディルドの刺激にはたちまち反応してしまう。弱いところを狙われて、強く抉られて、臍の奥から炙られたように身体が淫靡に火照り出した。痛みを忘れさせるほどの快楽が御堂を翻弄する。

「ひっ、んあっ、は……ああああっ」

 緊張の糸が緩んでしまっていたらしい。数度ディルドを抽送されただけで御堂は自覚なく、腰を前に突き出して射精していた。一度射精が始まると止めようにも止められない。大量の精液が迸り、御堂の下腹からボンデージまで汚していった。御堂は自分の粗相に我に返り、懇願するように振り返れば、佐伯は厳しい表情をしている。

「俺の許しもなくイったのか?」
「も…申し訳ございません」
「まったく、こらえ性のない奴だな。どうして、こんな単純な命令もきけないんだ」
「どうか……私に、お仕置きをしてください…」
「ここまで鞭で打たれても、まだ仕置きをされたいのか? あんたみたいな淫乱は何をしても仕置きにならないんじゃないか」

 呆れきったような佐伯の声に、御堂は冷水を浴びせられたかのように青ざめた。佐伯の機嫌を損ねたのかも知れない。必死に許しを乞う。

「どうか、どうか、お許しを……っ」
「こんな節操のない奴隷に躾けた覚えはないぞ」
「ひっ、ああ…っ!」

 佐伯の指が御堂の乳首を貫くピアスにかかり、乳首をきつく引っ張られた。赤く色づいた乳首はジンジンと腫れて、千切れそうな痛みに悲鳴を上げる。
 ひと目で御堂が奴隷であることを示す装具であるこのピアスもまた、佐伯に付けられたものだった。それも、舞台の上で多くの観客を前に、佐伯に陵辱されながら乳首を針で貫通されたのだ。当時の自分からしたら舌をかみ切ってしまいたいほどの屈辱に満ちた経験だったが、今となっては思い出すたびに妖しい興奮が沸き起こり、肌を熱くする。
 佐伯にピアスを弄られ、乳首は赤く尖りきり、膿むような疼きを孕む。放ったはずの御堂のペニスはふたたびそそり立った。佐伯がもう片方の手でディルドを前後させながら、嗤い含みに言う。

「お前は救いようのない淫乱だな。玩具くらいじゃ、まだまだ足りないのだろう。俺がもっと多くの客をあてがってやろう」
「あ…ありがとう…ございます……」

 多くの男に犯される、それを思い浮かべると淫靡な熱が下腹にうねった。ここクラブRでは複数の客に奉仕させられることも日常茶飯事だし、ショーとしてそういった行為を多くの観客に鑑賞されることも度々あった。全身に白濁を浴びながら、呑み込みきれなかった精液をアヌスから溢れさせる。その惨めさに打ちひしがれるが、そんな御堂に佐伯は恐ろしく冷たい眼差しを向けるのだ。もちろん、手を触れようともしない。それはそうだ。佐伯はこのクラブRの王たる支配者なのだ。他人の精液で汚れている自分など、歯牙にもかけないのは当然だった。
 実のところ、御堂は複数で行う行為を苦手としていた。正確に言えば、佐伯以外を相手にすること自体が好きではなかった。御堂が仕えたいのは佐伯だけだ。だが、佐伯は御堂が嫌がることばかり、あえて命令しているかのようだ。
 しかし、佐伯にひと言命令されれば、どれほど恥ずべき行為でも、それをやらないという選択肢はありえなかった。御堂は佐伯の奴隷なのだ。主人に背くなど許されぬことだ。
 それでも、かつて御堂を支配していた矜持と理性が、御堂を躊躇わせる。その躊躇いはいくら取り繕っても常に佐伯に看破され、激しい折檻をされる。そしてまた、さらなる恥辱に満ちた行為を命じられるのだ。
 佐伯はずるっと粘膜をめくり上げながらディルドを引き抜いた。

「ぁ……」

 御堂の脚の間に入った佐伯に尻を鷲掴みにされる。熱く固いモノが御堂の窄まりにあてがわれる感覚に息を呑んだ。この瞬間をどれほど待ち望んだことだろうか。
 しかし、佐伯はいきなり深くまで挿入しようとはせず、中を探るように浅いところをかき混ぜる。御堂のアヌスは柔らかく綻んで、引き抜かれたディルドの空虚さを埋めて欲しいと肉壁がきゅうっと収斂(しゅうれん)する。焦らされる刺激に御堂は切なげな声を上げて、佐伯を乞うように尻を突き出した。
 そんな御堂の浅ましさに佐伯が喉で低く嗤う。

「お前のどうしようもなく恥知らずな身体を男たちに見て貰え。いや、そうだな。今度は犬の相手でもしてもらおうか。お前にちょうどよい犬を見繕ってやろう」

 佐伯の言葉に御堂は、ふるりと身を震わせた。
 大きな犬が御堂を犯す。御堂のはしたない身体はいくら獣との交わりを嫌悪しても、きっと反応してしまう。そんな御堂を大勢の観客が嘲笑する。客の男だけでなく、犬の相手までさせられるとなれば御堂はもはや奴隷以下の犬として扱われるだろう。四つん這いでしか歩けないように拘束され、言葉を喋ることも許されない。そんな風に犬としていたぶられている他の奴隷を目にしたことがあった。その時、御堂は自分が犬ではなく、奴隷として扱われていることに少なからず安堵を覚えたのだ。
 佐伯の言葉は絶対だ。佐伯が一度決めたことは、御堂は従うことしかできない。それでも、かろうじて残された人間としての矜持が、御堂を逡巡させた。そしてそれをすぐさま見抜かれる。

「どうした、まだちっぽけなプライドが棄てられないのか?」
「お……お許しください…」

 佐伯の手が御堂の身体を覆うエナメルの拘束具を撫でる。きつく食い込む拘束具は御堂の肌に赤い痕を残していた。それを佐伯は惜しむように指先で辿り、御堂の耳朶に唇を近づけた。

「それとも、地上に戻りたいのか? なあ、御堂部長?」
「いいえっ! どうか私をあなたの奴隷としておいてください……っ」

 佐伯は昔の肩書きで御堂を呼んだ。御堂は必死に首を振る。
 かつて御堂は、最上の仕立てのスーツで身を固め、地上はるか高いところにあるオフィスで働いていた。そんな自分を懐かしく思う。だが、その時の自分に戻りたいかと問われれば、否、と答える。むしろ、自らの立場を過信し、佐伯を侮蔑していた自分の浅はかさと無知さ加減に恥じ入るばかりだ。佐伯はそんな御堂を打ちのめし、力尽くで服従させた。御堂自身さえ気付いていなかった被虐的な願望を引きずり出し、それを完璧な形で叶えてくれたのだ。

「佐伯様、この卑しい奴隷の私にお慈悲を……。どうか、私を……」

 語尾が恥じ入るように小さくなる。それを佐伯に咎められた。

「私を、なんだ? おねだりの一つも出来ないのか?」
「わ、私を、犯してください。佐伯様…!」
「どう犯して欲しいんだ?」
「私を無茶苦茶にして、壊してください……っ」
「いいだろう」

 羞恥を振り切り、奴隷としてのおねだりを口にする。佐伯は鼻を鳴らすと、ひと息に御堂の奥深くへと突き入れてきた。

「あ、あああ……」

 待ち望んでいたものを与えられ、肉体が燃え上がる。
 佐伯が腰を遣うたびに津波のように官能が押し寄せ、御堂の思考をかき混ぜていく。もっと佐伯の熱を感じたくて、尻を押し付け、あられもなく佐伯をさらに深く呑み込もうとした。だが、佐伯はそんな御堂をあざ笑うかのように突き入れ、揺さぶり、煽り立てる。

「あ、あ…、とても…気持ちいいです……っ、もっと、いっぱいください……っ」

 腰が砕けそうなほどの快楽に呑み込まれ、御堂は必死に両手を吊り下げるベルトにしがみついた。そのベルトは御堂の両手を拘束し、さらには御堂の首に巻き付いている。だから、ベルトにすがりつくほど自分の首がきつく締まる。だが、佐伯はそんな御堂を斟酌することなく、背後から荒々しく腰を打ち付けて揺さぶってきた。
 御堂のペニスの頂からは蜜が溢れ続ける。逃れようのない悦楽に嬌声を上げ続けた。容易に高みに昇り詰めようとする身体を必死に抑えつけながら佐伯に乞う。

「イきたいっ、どうか、イかせて…ください…っ」
「まだだ」

 佐伯は無慈悲に言った。だが、与えられる刺激は限界を超えて押し寄せてくる。

「も……我慢…きない…す、どうか……イかせ…」
「ダメだと言っているだろう」
「お願い…ますっ、どうかっ」

 切れ切れの声を上げて、切羽詰まった快楽に耐え続ける。全身が性感帯になってしまったのかのように、耳朶に息を吹きかけられるだけで、乳首のピアスに触れられるだけで、煮えたぎるような疼きが身体の奥から込み上げてくる。
 もう無理だ、堪えられないと思うのに、佐伯の許しがない。それだけで御堂はぎりぎりのところに踏みとどまっていた。両手を戒めるベルトをきつく握りしめ、歯を食いしばる。
 それでも、佐伯が腰を遣うたびに身体の奥深いところで何かがどろりと蠢き、狂おしい興奮に包まれる。もうこれ以上は堪えられない。決壊する寸前、佐伯が言った。

「良いだろう。射精をせずにイけ」
「ひっ、……ぁあああああっ!!」

 佐伯の手が御堂のペニスの根元をきつく戒めた。
 奔流のように駆け上る熱を佐伯によって堰き止められて、御堂は気が狂うほどの圧迫感に悶絶する。見開かれた目の眦からは涙がこぼれ、悲鳴を迸らせる口の端から涎が溢れた。汗と涙と涎が混ざり合いながら顎を伝い、したたり落ちる。出口を失った淫らな熱が身体の中にあふれかえった。神経が剥き出しになったような敏感な身体を佐伯に強く、深く、穿たれる。

「は、は……っ、ぁあっ、――――ッ」

 射精を封じられた状態で強烈な極みに呑み込まれる。渦を巻くような絶え間ない絶頂の波に揉まれた。終わりのない極みに苦しめられ、ようやく波が引きかけたところで佐伯は戒めを解いて、御堂のペニスを扱き上げる。

「出る…っ、ぁあっ、もう、出ちゃう……っ」

 許しを乞う間もなく、たまらずに射精した。遠のきかけた悦楽が爆ぜる。先ほどの泥沼に引きずり込まれるような快楽とは違う、稲妻のような快楽が御堂を駆け抜けた。
 御堂の粗相を叱るように佐伯が乳首のリングをきつくねじり、白濁を溢れさせてひくつく尿道に爪を立てた。だが、そんな痛みさえも、被虐の炎となって御堂の快感へとすり替わる。

「俺の手を汚したな?」
「許して…くだ……だめ、ぁ、ああっ、止まらない……っ」

 びしゃびしゃと恥ずかしい水音とともに御堂は潮を噴いた。その狂おしい感触に体躯を痙攣させ、のたうたせていると臍の裏、深いところにびゅくりと熱を注がれる。その感触に、御堂は恍惚と目を細めた。
 本当は、こうしてずっと佐伯に犯して欲しかった。だが、それは奴隷の身分である御堂が自ら望んではならないことだ。
 御堂にとっての佐伯は唯一無二の存在だが、佐伯にとっての御堂は数多くいる奴隷の一人に過ぎない。それでも、こうして二人きりでいるときは佐伯の関心を自分が一身に受けることに例えようもない幸せを感じてしまう。だから、どれほど苦しくても、この時間が終わってしまうことに、どうしようもない寂しさを感じるのだ。もし、わざと客の機嫌を損ねるような真似をすれば、今よりももっと酷い、苛烈な仕置きが待っているだろう。それを想像すると胸の奥にいびつな興奮が沸き起こる。だが、その代償として、使えない奴隷として放り出されるかもしれない。佐伯から見捨てられる、その恐怖にぞっとする。
 今から思えば、佐伯に最も手をかけてもらったのは、奴隷として引きずり落とされた時だろう。
 佐伯は御堂を徹底的にいたぶることで、御堂を奴隷に堕とした。そして、今も調教は続いている。佐伯は、御堂を容赦なく折檻し、歪んだ悦楽をその身体に深く刻みつけている。
 このクラブRで奴隷として躾けられるうちに、御堂は自身の核となる部分が徐々に削り取られているのを感じた。御堂の自我は徐々に佐伯に浸食されつつある。そうして御堂の核が完膚なきまでに破壊されたとき、御堂は自分で考えることをやめ、完璧な奴隷となるのだろう。それが佐伯の望むことならば、御堂に異存はない。むしろ自ら喜んで佐伯への贄となるつもりだ。だが、そうなったとき、佐伯は御堂への関心を失うだろうとも予感していた。出来上がった作品から次の奴隷へと興味を移すのだ。それを思うと胸が痛むが、奴隷の分際で佐伯の傍にずっと置いて欲しいなどと願うことは許されない。
 こうしてクラブRに君臨し、多くの奴隷を抱える佐伯は、一体何を目指しているのだろうか。ふと疑問を覚える。
 しかし、崇高で深遠な佐伯の考えは御堂の浅慮が及ぶところではない。ただ、主人である佐伯に従順に付き従うだけのことだ。
 そして、佐伯の進むべき道に御堂が必要とされなくなったとき、佐伯は何の感慨もなくあっさりと御堂を棄てるのだろう。それでも、御堂に奴隷としての価値がある限りはこのクラブRに置かれるのだろうか、いつかはここから追放される。それを思うと胸が切り裂かれるような気持ちになるが、致し方ないことだとも思うし、その時にはこうした人間らしい感情さえも消え失せて悲しさなど感じないのだろう。
 それでも、御堂は願わずにはいられない。
 もし、出来ることなら、佐伯が御堂を見限るときは、その手で御堂の命を絶ってはくれないだろうか。そうすれば、御堂は生涯を佐伯に捧げることになる。至上の悦楽に身を浸しながら最期の時を迎えることができるのだ。

「……ぅう」

 ようやく泥沼のような絶頂から解放される。佐伯が腰を引いて自身を抜いた。支えとなっていたつながりが解けて、腰が落ちる。もはや自らの足で立つことも出来なかった。上体が倒れ、吊り下げられた首のベルトが締まる。気道が狭まる寸前に、佐伯の手が天井からの鎖を外した。
 御堂はどさりと冷たい床に崩れ落ちた。

「ありが…う……いま…す」

 奴隷としての礼を述べたが、口から漏れたのは不明瞭な掠れた声で、佐伯に伝わったかどうかも怪しかった。佐伯の磨かれた革靴が視線の高さにあった。そこに口づけしたい衝動に駆られたが、もはや指一本も動かせず、瞼が落ちる。
 薄れゆく意識の中で脳裏にまばゆい光景が広がった。そこは光が溢れ、かつて御堂が生きていた地上の世界のようだった。
 御堂は見知らぬオフィスに立っていた。隣に立つのは佐伯だった。御堂と同じようにスーツをまとい、同じ高さから愛しげに御堂を見つめてくる。レンズの奥の目には今まで見たことがないような優しい色を浮かべていた。それは御堂も同様で、互いの口元には淡い笑みが浮かぶ。
 佐伯が御堂の腰を引き寄せた。御堂は抗うことなく佐伯に身を寄せ、自然な仕草で佐伯の背中に手を回す。唇が、当然そうなるべきであるように重なり合った。二人は奴隷と主人の関係ではなく、まるで対等な恋人同士であるかのようだ。
 淡く崩れゆく意識で思う。
 この光景は一体何なのだろうか。
 もしや、存在しえた未来の姿なのだろうか。
 御堂は佐伯に服従し支配される今の自分に満足している。だから、そんな未来は望んではいないはずなのに、それでも、御堂の胸に切なさに似た痛みが走った。
 その痛みに戸惑いながら、御堂は意識を手放した。


END
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