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SKIP

文庫版再録集『SKIP』より同名SSのサンプルです。

初出は『HAREM of GLASSES』(2018年、Free様)のアンソロジーへの寄稿作品です。

ーあらすじー

​ハピエン後、AA社で仕事中に、克哉から「今日は何の日だか覚えていますか?」と問われた御堂。だが、考えても今日という日に覚えはなく……。そんな最中、ふとした弾みで十年後の世界に飛ばされてしまう。そこには3歳年上となった克哉がいた。年齢差逆転メガミド。

第一章 アクワイヤ・アソシエーション

「御堂さん、今日……」

 

 AA社(アクワイヤ・アソシエーション)の執務室。夏の始まりの強い陽射しを避けようとブラインドを下ろしたものの、背中には夏の輝く太陽の気配を感じる。

 社員がランチ休憩に入ったタイミングで、克哉が自分のデスクから御堂に向けて声をかけてきた。

 御堂は書きかけのメールの文章を打つ手を止めず、視線もディスプレイに留め置いたまま返事をした。

 

「なんだ?」

 

 克哉はほんの少しだけ間をおいて、言葉を続けた。

 

「今日は何の日だか覚えています?」

「今日? ……誰かの誕生日か? いや違うな。何かの記念日か」

「……今夜、ディナーとホテルの部屋を予約しています。仕事を早めに切り上げましょう」

 

 御堂の問いに答えぬまま、克哉は予約しているホテルとレストランの名を挙げた。その名を耳にし、驚いて、克哉に顔を向けた。ハレの日に使うにふさわしい、一流レストランとラグジュアリーホテルだ。

 ちらりとパソコン画面の隅にある今日の日付を確認したが、どれほど自分の記憶をひっくり返してみても、今日という日に心当たりがない。

 

「随分と張り切った選択だな。それで、今日は一体何の日だ?」

「いいえ、別に何もありませんよ」

「そんなことはないだろう」

「俺にとっては、御堂さんと過ごせる毎日が記念日です」

「君は……」

 

 探る言葉を誤魔化しで遮られる。咎める視線を向けると、克哉は瞼を落として、言外に答えるのを拒否した。

 今日という日を失念していたことで、克哉の機嫌を損ねたのだろうか。

 しばらくじっと克哉を見詰めていたが埒が明きそうにもなく、御堂はひとつ大きなため息をついて、再び意識を書きかけのメールに戻した。

 メールを書き終えたら克哉をランチに誘おう、機を見て、さりげなく話を切り出そう、と今日の日付を心に留めた。

 

 

 

 どこからか漂う甘酸っぱい果実の香りが鼻腔をくすぐった。この香りは何だっただろうかと思案に耽っていると馴染みのある声が聞こえた。

 

「御堂さん、大丈夫ですか?」

 

 切羽詰まった声音に、うっすらと瞼を開けた。

 じいん、と頭頂部が痺れている。背中に重力を押し返す硬い床の感触が伝わり、自分がどこかに倒れている状況だということがぼんやりと分かってきた。

 視界を左右に振ればオレンジ色の光が飛び込んでくる。その眩さに何度も瞬きをして視界を慣らした。ブラインドが開け放たれた執務室の窓から、高層ビルの一面のガラスが夕陽を受けてキラキラ輝いている。

 徐々に、目に映りこむものの輪郭がはっきりしてくる。頭を軽く振って、意識と視界をすっきりさせた。焦点が定まると視野が広がり、周囲の状況も見えてきた。

 よく見慣れたAA社の執務室の天井。そして、自分の顔を覗き込む心配そうな克哉の顔。

 少し遠巻きに、藤田や他の社員が不安げにこちらを窺っている。

 

「ああ、大丈夫だ。心配ない」

 

 そう言って、御堂はフロアを覆う絨毯に手を突いて起き上がった。すぐに頭が冴えてくる。そして、直前までの記憶も戻ってきた。

 身体のすぐ脇には分厚いファイルが転がっていた。キャビネットの一番上の段にあったそれを、手を伸ばして取ろうとしてバランスを崩し、落ちてきたファイルの角が頭にぶつかりそのまま倒れたのだ。

 御堂を不安げに見守っていた克哉が、表情を緩めた。

 

「心配しましたよ。頭とか、ぶつけたところ大丈夫ですか? 念のため病院に行きますか?」

「大丈夫だ。問題ない」

「ゆっくり起き上がってください」

「ありがとう」

 

 さりげなく差し出された克哉の手を取って起き上がったその時、視界に入り込んだ克哉のスーツの袖、そこに唐突に違和感を覚えた。

 克哉が好むネイビーの生地、だが、克哉が今まで持っていなかったタイプの布地だ。シルクのようなきめ美しい光沢と発色の良さはイタリアブランドのものだろう。袖口のボタンとボタンホールのディテールの繊細なこだわりは、スーツがオーダーメイドであることを示している。視線を袖口から肩、そして襟へと滑らせていく。落ち着いたフォルムに洒落気のある細部、一目でわかる最上の仕立てのスーツだ。

 だが、克哉はこんなスーツを持っていたのだろうか。

 スーツには人一倍気を使っている御堂だ。自分のスーツはもちろん、克哉のクローゼットの中のスーツのバリエーションも自然と覚えていたが、今、目にしているスーツは、御堂の記憶にはない。新しく仕立てたのだろうか。だが、こんな一級品を克哉が着ているという事実に、朝から今のいままで自分が気付かなかったなど、あり得るのだろうか。

 克哉のスーツの襟に視線を留めたまま、黙って考え込みだした御堂に、克哉は怪訝に声をかけた。

 

「どうしました? 頭、痛みます?」

「いや、そうではない……」

 

 心配する口調に、安心させるように速度を落とした口調で返して、顔を上げた。自分をまっすぐに見つめる克哉と視線がつながる。次の瞬間、思わず息を呑んだ。

 目の前の克哉の顔。よく見知っているはずなのに、どこか違う。

 精緻で端正な顔つき。シルバーのアンダーリムの眼鏡が、野性味を感じさせる鋭い双眸を覆う。

 だが、この男は、御堂の知る克哉ではない。

 そして、克哉もまた、訝しがる御堂を見返し、ハッと瞳孔を開いた。

 

「佐伯、お前……」

「御堂さん、あなた……」

 

 相手を疑り、探る声が重なる。

 

 

To Be Continued……

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