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【サンプル】スキャンダラス・ラバー

 三月に入ると、身を切るような冷たい風が和らぎ、空から降り注ぐ陽射しは日に日に輝きを増すようになった。

 モノトーンの寒々しかった景色が色彩を持ち始め、道行く人々心なしか浮き立っているようだ。淡い青空の下ですべての生き物が息吹をし始め、何か新しいことが始まることを予感させる。春とはそんな季節だ。

 そんな春めいた陽射しが満ちるアクワイヤ・アソシエーションの執務室で、御堂孝典は厳しい顔つきでパソコンを覗き込んでいた。ディスプレイには社員のスケジュール表が展開されていて、業務の進行具合と人員の配置に問題がないか確認しているのだ。

 公私ともに御堂のパートナーである佐伯克哉が代表を務めるAA社(アクワイヤ・アソシエーション)は右肩上がりの業績で、世間の不景気とは無縁だ。これもすべて克哉の卓越した手腕によるところが大きい。その克哉は今、大きな案件を抱えていて、それにかかりきりになっている。

 しかし、AA社が引き受けているコンサルはそのひとつだけではない。複数のコンサルティングをいかに上手く進めていくかは、副社長である御堂の腕の見せ所だろう。

 幸い、藤田を始めとした部下たちは御堂の期待以上に働いてくれている。忙しいのは常だが、安心して仕事を任せられる社員がいるというのは心強い。現在のところ、特に大きなトラブルもなく、コンサルティングもすべて順調に進んでいた。当面は今の体制で問題なさそうだ。

 その日、昼休みに入ると、御堂はパソコンをスリープモードにし、ひと息入れようとデスクを立った。そのタイミングを見計らったかのように、藤田が執務室に顔を出した。

 

「御堂さん、これ読みました?」

「何だ?」

「これですよ、これ」

 

 藤田は片手に持った週刊誌を御堂に差し出した。

 折り目がついたページを開くと、レストランから出てくる男女のモノクロ写真に被さって『園川(そのかわ)さくら、若手コンサル社長と夜の隠密デート!』という煽りが大きく踊っていた。

 

「これは、佐伯……?」

 

 反射的に克哉のプレジデントデスクへちらりと視線を向けるが、克哉は不在だった。ここのところ克哉は出勤してもすぐに外回りに出てしまい、社内で業務を切り盛りしているのはもっぱら御堂だ。

 誌面に視線を戻し、写真と記事の内容をざっと把握する。

 今をときめく女優、園川さくらがコンサルティング会社の若手社長と都内の有名レストランでお忍びデートをし、そのままホテル街へと消えていったというゴシップ記事だ。

 写真のストレートのロングヘアの女性は夜なのにサングラスをかけていて、身体にフィットしたロングドレスは美しい体型を際立たせている。遠目にも芸能人のオーラを醸し出している装いだ。そして、そんな彼女をエスコートするかのように手を取り横に並ぶスーツ姿の男はかろうじて目隠しの線が入っているが、見る人が見れば佐伯克哉だと一目瞭然だ。

 記事を読めば、そのコンサルティング会社社長についても、二十代で都内一等地にオフィスを構える凄腕コンサルタントと書かれていて、克哉のプロフィールと一致している。

 藤田が御堂の横から記事を覗き込みつつ言う。

 

「サクラ・スパークルの件で仲良くなったんですかね」

「そうだろうな」

 

 サクラ・スパークルとは朝比奈飲料の新商品で、桜フレーバーの微炭酸飲料だ。淡いピンクの見た目に爽やかな味わい、そして洒落たパッケージは、普段炭酸飲料を飲まない女性をターゲットとしている。AA社はその販売戦略のコンサルティングを引き受けていて、サクラ・スパークルのCMに園川さくらが出演しているのだ。

 同じ『桜』つながりで朝比奈飲料は、園川さくらをイメージキャラクターとして起用したがっていた。当初、朝比奈飲料が広告代理店を通じて、園川さくらの事務所にオファーを出したが、けんもほろろに断られたという。園川さくらはあちこちの宣伝に出ている売れっ子だ。事務所の条件も厳しく、いつもなら強気の広告代理店も早々にさじを投げた。それをAA社、正確には克哉が介入し、直接事務所に出向いて交渉したことにより、園川さくらの起用が叶ったのだ。

 伝え聞いた話では、園川さくら自身が克哉が提示した企画を気に入って、渋る事務所を説得したという。最終的には事務所からもOKサインが出たが、事務所側は克哉を専属の担当者とすることを契約条件にしてきた。そのため、克哉はサクラ・スパークルと園川さくらにかかりきりになってしまったのだ。

 しかし、それだけの効果はあった。清楚なイメージの園川さくらが、ぐっと大人っぽい色気を出しながらサクラ・スパークルを飲むというCMは老若男女を問わず大好評だ。

 御堂もCMを見たが、テレビ画面に大きく映し出される園川さくらの顔は印象的で、視聴者に訴えかけるものがあった。つややかな黒髪に、二重まぶたのくっきりとした眸、まっすぐな鼻筋に細い顎は、誰が見ても美人と言える顔立ちで、御堂の目から見ても魅力的だ。

 CMが流れ始めてすぐさま、サクラ・スパークルは話題になった。朝比奈飲料の営業にも注文や問い合わせがひっきりなしに来て発売直後から品薄状態になるという、上々すぎるスタートを切っている。

 御堂はひととおり記事を読むと、雑誌から顔を上げて、藤田に言った。

 

「これは確かに佐伯だが、事務所との打ち合わせか何かでたまたま二人になったところを撮られたのだろう」

「あ、なるほど……」

 

 藤田は納得半分、落胆半分で返事をする。

 

「佐伯さんてアイドルぽいから、あり得ると思ったんですけど」

「佐伯がアイドル?」

 

 意外な言葉に聞き返すと、藤田は大きく頷く。

 

「ほら、あの超人気アイドルに似ているじゃないですか」

「誰だ?」

 

 藤田は若手男性アイドルグループの一人のメンバーの名前を挙げた。歌とダンスを得意とするグループの中でもとりわけ目立ち、一番人気のメンバーだ。高身長で整った顔立ち、着痩せする身体は筋肉質で、長い手足を使って鮮やかに踊る姿は観客をひと目で魅了する華やかさがある。

 メディアへの露出も多く、御堂もそのメンバーの名前と顔を知っているが、克哉と似ているかと聞かれると、そう言われれば似てなくもない、程度の認識だ。体型や髪型などのシルエットは確かに共通点もある。だが、克哉がアイドルのように爽やかな笑顔を四方八方に振りまく姿は想像しがたい。

 確かに、営業時の克哉は非の打ち所がない笑顔と気遣いをして見せる。しかし、その裏にある計算高さを知っているせいか、その笑みを素直に受け取ることができない。

 克哉のアイドル姿を想像して首を傾げる御堂に、藤田がとぼけた顔をして言う。

 

「佐伯さんと園川さくらならお似合いのカップルなのに」

 

 どうやら、藤田は御堂と克哉の関係に気付いていないらしい。たまたま近くを通りかかった別の社員は、藤田の無邪気なひと言にぎくりと身体を強張らせ、速歩(はやあし)でその場を去って行った。

 御堂は苦笑いしながら、週刊誌を閉じて藤田に返した。

 

「マスコミは曲解して煽り立てるからな。もしかしたら、AA社にもマスコミの人間が来るかも知れない。社員に取材には一切応じるなと伝えておいてくれ」

「分かりました」

 

 藤田は週刊誌を脇に挟んで自分のデスクへと戻る。御堂は藤田の背中を一瞥(いちべつ)すると、デスクへと戻り、プレジデントチェアへと腰を掛けた。

 パソコンのスリープモードを解除して、園川さくらのプロフィールを確認する。

 園川さくらは女優としては駆け出しだが、元々モデルとして活躍していたこともあり、すでにCMをいくつも持っている。それだけではない。女優としての演技力も評価が高く、出演した映画が有名な賞にノミネートされて話題になっている。ストレートの黒髪のロングヘアを持つ清潔感のある美人で、男にも女にもファンが多くいる。芸能人人気ランキングでは上位に食い込む実力の持ち主だ。

 御堂はサクラ・スパークルの件に直接関わっていないから、園川さくらにそれほどの思い入れもない。しかし、園川さくらの起用が決まったとき、AA社内は今までにない盛り上がりを見せていた。あわよくば園川さくらに会えるのでは、と期待していたのだろう。だが、売れっ子の園川さくらは分刻みのスケジュールで動いており、結局、克哉以外は誰も直接目にしたことのない高嶺の花だ。

 そんな園川さくらと克哉が並び立つ姿を想像してみれば、確かに、美男美女のお似合いのカップルではある。

 だがそれを想像した途端、名状しがたい不快感が込み上げて、御堂はパソコン画面を消すと、手元にある冷めきったコーヒーを飲み干した。

 

 

 

 

 ようやく仕事が終わり、御堂は社員全員が帰宅したオフィスの点検と戸締まりをして、自宅へと戻った。

 自宅と言っても正確には克哉の部屋だ。克哉の部屋に引っ越す形で同棲生活をしているが、克哉の部屋はAA社のオフィスの上の階にあり、通勤にかかる時間はほんの数分だ。便利と言えば便利だが、外に出る用事がなければずっと屋内に籠もりきりになってしまうのは少々不健康な気もしている。

 御堂は誰もいない部屋に戻り、スーツのジャケットを脱いでネクタイを解きながら、食事をどうしようとかと思案した。克哉からは遅くなるから食事は別で、とだけ聞いていた。デリバリーで何か頼むか、気分転換に外に食べに行ってもいい。

 室内に一日中いたことを考えると外出して適当なところで食事をしよう、そう考えたところで、玄関からドアが開く音がした。どうやら克哉が帰ってきたらしい。

 

「おかえり」

 

 そう声をかけながら玄関に向かうと、御堂を見つけた克哉が口元を綻ばせる。

 

「ただいま、御堂。もう帰っていたのか?」

「ああ、さっきだ」

 

 克哉はネクタイの結び目に指を入れて緩めた。窮屈さから解放されて、ふう、と大きな息を吐く。

 

「お疲れさま」

 

 御堂は労る声をかけながら、克哉のネクタイとジャケットを受け取ってやる。ついでに、素っ気ない口調で言った。

 

「週刊誌に載ったそうだな。藤田が早速見つけて騒いでいた」

 

 さりげない態度で指摘すると、克哉は眼鏡のブリッジを押し上げながら、「ああ」と眉を顰(ひそ)める。その顔からするとすでに知っているようだ。

 

「まったく……。あれは関係者も含めた会食だ。映画祭で行うイベントの打ち合わせをしていた。ちょうど二人で並んで店から出たところを撮影されたようだ」

「なるほどな」

 

 苦々しい口調で言う克哉にどこか安堵していた。写真では克哉が園川さくらの手を恭(うやうや)しい手つきでとっていたが、それもたまたまそう見えるタイミングで撮影されたものなのだろう。

 不意に、克哉がワイシャツの襟元のボタンを外していた手を止めて、御堂を見た。

 

「まさか、妬いてくれているのか?」

「馬鹿を言うな。AA社にマスコミの取材が来ても相手をしないように、社員に伝えておいた」

 

 克哉がどことなく嬉しそうな顔をするのが腹立たしいので、表情を引き締めたまま迷惑そうな口調で返せば、「なんだ、そういうことか」と克哉はつまらなそうに呟いた。だが、すぐに口元ににやついた笑みを浮かべて言う。

 

「もしマスコミが来たら社員に好きに取材を受けさせればいい。そうすれば、俺の恋人が誰なのか誤解が解けるだろう?」

「は?」

「それとも、公式に否定の声明でも出すか? 佐伯克哉の恋人は副社長の御堂孝典です、って」

「な……っ」

 

 克哉の言葉に思考が一瞬停止する。口を開くも言葉が出てこずにパクパクと魚のように口を開閉させた。

 

「冗談だ。そんな馬鹿げた記事のために、あなたを表に出すわけがない」

 

 慌てふためく御堂を前に克哉は肩を震わせて笑う。からかわれたのだと分かり、抗議の声を上げようとしたところで、克哉が御堂の顔に顔を寄せた。

 

「俺の恋人はあなただけだ。分かっているだろう?」

「佐伯……」

 

 声のトーンを変えて克哉が言う。艶のある低い声が鼓膜を舐めた。レンズ越しに御堂を見詰める眼差しの強さに動けなくなる。

 克哉の手が御堂の顎を掴み、正面を向かせて固定した。唇を押し付けられる。

 

「ん……っ」

 

 薄く開いた唇の隙間から舌をねじ込まれた。ニコチンの苦みを滲ませる舌に口の中をざらりと舐め上げられ、無意識に克哉のシャツを強く握りしめる。

 克哉は遠慮なく激しいキスを仕掛けてくる。角度を変えて、唇をより深く噛み合わせ、御堂の舌を搦(から)め捕った。

​To be continued......

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