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So Far So Good
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 壁一面の窓からは午後の明るい陽射しが差し込んでいた。春の終わり、輝きが増した光が作る陽だまりの中のソファで、克哉はいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。うっすらと瞼を押し上げると視線の先に御堂がいた。ソファの反対側の端で手元の本に視線を落としている。透き通るような肌にきっちりと整えられた髪が光を弾いて輝いていた。伏せ気味の瞼を縁取るまつ毛は長く、形の良い唇は静かに引き結ばれている。読んでいる本はカタログのようで、先頃、御堂が輸入家具のカタログを取り寄せていたのを思い出した。どうやらダイレクトメールに掲載されていたソファに目が留まったようだ。
 克哉は黙ったまま御堂を見詰める。御堂は克哉を意識することなく熱心にカタログを読んでいた。ひとりきりの世界に浸る御堂を眺めるのは、寝ている状態の御堂を眺めるのとは違う興奮を覚える。克哉がいない世界で御堂はどんなふうに過ごしているのか、それをこっそり覗き見るような興奮だ。
 そんな御堂をずっと見ていたい一方で、自分のことに気がついて欲しい。そんな相反する二つの欲求がせめぎ合う。だから克哉はそっと気配を殺す。克哉がひと声でもかければその世界はあっという間に壊れてしまう、シャボン玉のように美しく繊細な空間だ。
 ぱらり、とページがめくられる。紙一枚の動きで生まれたささやかな風が克哉に届くのと、御堂が克哉に目を向けるのがほぼ同時だった。
 視線が重なり、御堂が、ふ、と笑う。ひとりきりだった御堂の世界が克哉の世界と混ざり合う。この瞬間、世界はふたりのものになった。御堂が言う。
「なんだ、起きたのか」
「いま、目を覚ましたところですよ。というか、起こしてくれれば良いのに」
「随分と気持ちよさそうに寝ていたからな。……コーヒーでも淹れるか」
 御堂はカタログをパタンと閉じて立ち上がる。克哉はソファの隅に置かれたカタログに手を伸ばした。パラパラめくれば先ほどまで御堂が見ていたページが自然と開く。
「イタリア製のソファか」
 カタログに特集されていたのは有名なイタリアンブランドの革製のモダンなソファ。優美な曲線を持つスタイリッシュな形で、最上の仕立てのものだとひと目でわかる。金額は七桁に及ぶが買えない値段ではない。細かく見てていると、御堂がコーヒーのマグを両手に戻ってきた。克哉はカタログから顔を上げて言う。
「このソファが気に入ったのか?」
「見ていただけだ」
 御堂は肯定も否定もせずにちらりと笑って、センターテーブルにマグを置いた。コーヒーの良い香りが漂ってくる。克哉は礼を言いつつ手を伸ばして、コーヒーを一口、口に含んだ。
「このソファを見に行こうか。それで、あなたが気に入ったなら買えばいい」
「気軽に言うが、置く場所がないだろう。このソファは捨てるには惜しいし」
 事もなげに買えと言う克哉に御堂は眉をひそめた。このリビングにソファを二つ置く余裕はない。いま克哉が座っているソファもそれなりの良いものだ。家具選びはインテリアデザイナーに任せきりだったが、シンプルなデザインでこの部屋の雰囲気にマッチしている。それに、質の良い革を使っているので、これから年を経るごとに味わいが出てくるだろう。御堂の惜しむ気持ちもわかる。だが、克哉の心は既に決まっていた。
「このソファは問題ない。捨てずに使うあてはある」
「使うあて? 誰かに譲るのは気が進まない」
「俺たちの思い出が詰まっているから?」
 くすりと笑いながら聞き返せば、御堂は顔を赤らめる。ふたりの重みと熱を散々受け止めてきたソファだ。他の誰かが使うのは抵抗があるのだろう。
 御堂は克哉の部屋に引っ越してきた。克哉は御堂の家具を持ち込んでいいと言ったが、御堂は家具をほとんど持ってこなかった。結果、克哉の部屋はほとんど形を変えていない。
 御堂は克哉の部屋について何の不満も口にしないが、ふたりで暮らす空間にお互いのものが混じり合っていった方が、一緒に生活しているという実感が湧く。だから別にどんなソファでも良いのだ。それが御堂が選んだソファであるならば。
「わかっている。他の奴には渡さないさ」
「じゃあどうする……おいっ」
 御堂の言葉が言い終わる前に、御堂の手を引いてソファへと引き戻した。抱き寄せるように背中に手を回せば、克哉の意図を悟った御堂が、コーヒーがたっぷり注がれたマグに未練がましい視線を送る。
「せっかく淹れたコーヒーが冷める」
「じゃあ、冷める前に終わらせよう」
「配慮の方向性が間違っているし、すぐに終わらせる気もないだろう」
「あなたの協力次第だ」
 そう言って、御堂の反論を塞ぐように唇を押し付けた。角度を変えてキスを繰り返すうちに、触れあいがだんだん深みを増してくる。埋もれていた熱がむき出しになるまで時間はかからなかった。
 服を脱ぐために身体が離れることさえ惜しくて、もつれ合いながら服を脱がせ合う。ソファに坐す克哉の膝の上を跨(また)ぐ形で裸になった御堂を乗せた。
 膝立ちの御堂の会陰部にペニスを擦りつけると御堂の腰が浮いた。その腰を掴んで会陰から尻の狭間までぬるついた先端でなぞると御堂が切なく腰をくねらせた。
「ぅ……」
 焦らすようにして御堂の狭間を行き来させ、先端できわどいところを掠めるのを繰り返していると、堪(こら)えきれなくなった御堂に竿を掴まれた。角度と位置を合わせると、御堂は自ら腰を落としていく。ぐっと先端に圧がかかった。
「我慢できなくなったのか」
「っ、……君だってそうだろう」
「違いない」
 目の縁を赤らめた御堂に睨み付けられて克哉は喉を震わせて笑った。御堂の手の中にある克哉のペニスは期待にビクビク震えている。
 アヌスに押し付けた亀頭がゆっくりと中に呑み込まれていった。解(ほぐ)されていない粘膜をこじ開かれる苦しさに御堂の眉根がきつく寄せられる。だが、それでも御堂は動きを止めようとしなかった。
 ついに根元まで呑み込まれ、克哉の膝の上に御堂の尻肉が密着した。視線を落とせば御堂の硬く反り返ったペニスがひくりと震える。そこに指を絡めて、上下に扱きながら克哉は突き上げる動きを始めた。
「ひ…、ぁ、ああっ」
 揺さぶられる御堂が感じる快楽が繋がったところから伝わってくる。肌が粟立つように気持ちが良い。欲望のままに下から突き上げる動きをすれば、御堂もそれに合わせて腰を動かし始める。情欲はみるみるうちに加速し、理性を削る。極みへと一直線に向かうことしか考えられなくなる。
 ふたり分の体重を受け止めるソファの座面が沈んでは浮かぶ。御堂の手が縋るところを探して、克哉の背後のソファの背を掴んだ。激しく揺れる身体と刺激を耐えるように御堂がソファの革にきつく爪を立てる。食い込んだ爪が革にうっすらとした細い線を刻んだ。それを横目で見て、克哉はうっすらと微笑んだ。こうしてまたひとつ、思い出が刻み込まれる。傷をつけるのも、傷をつけられるのも興奮する。できるなら決して消えることのない傷がいい。いましがたこのソファにつけられた傷のように。
 熱く蠢(うごめ)く内壁にペニスを挟まれて揉みしだかれる。増幅していく快楽に息を詰めると、御堂の両手に頭を包まれて、キスをねだられた。顔を上げて口と口を合わせながら舌を激しく絡める。伝う唾液をコクリと呑み込めば、胸の奥底が情欲で焼けつくように熱くなった。忙しないキスの狭間で、克哉は言う。
「御堂、俺をイかせろ」
「――――ッ」
 返事代わりに粘膜がきゅうとうねって克哉を搦め捕った。鋭い官能がつま先から脳天まで走り抜ける。
「ぁ、あああっ」
 背もたれに預けた身体をきつく抱き締められて、ふたりの身体に挟まれた御堂のペニスから激しい熱が迸(ほとばし)る。胸から腹まで御堂の欲情に染め上げられて、また克哉は御堂の奥深いところを欲情で濡らして恍惚とした。互いを互いで満たし合う幸福感。交わりを解くのが名残惜しくていつまでも身体を重ねてしまう。そして、そうしているうちに新たな熱が沸き起こってくる。
 つながったままくたりと克哉に身体を預けていた御堂が、自分の中で起きる変化に気付いたらしい。呆れたようにため息を吐く。
「まったく、君は……」
 そう言いつつもまんざらでもないようだ。昂(たかぶ)りきった熱がこれくらいでは満足しないことをお互いに知っている。それでも、念のため確認した。
「まだいけるか? ベッドに移って続きをするか?」
「……So far so good, sofa so good」
 ―― いまのところはソファで大丈夫。
 So farとsofaをかけて巧みに切り返してくるあたり、まだまだ余裕がありそうだ。
 顔を見合わせて笑い合い、遠のきかけた熱を呼び戻そうとふたりで動き始めた。


 次の休日に克哉と御堂はショールームまでソファを見に行った。御堂が期待したとおりの洗練された形と質の高い革張りのソファで、座り心地も申し分ない。その場で購入を決断し、配送手続きをする。そして、また克哉の部屋にあったソファは搬入業者に頼んで運び出してもらうよう手配した。部屋に運び込まれた新しいソファはしっくりと馴染んで、満足のいくものだった。一方で、御堂は克哉のソファの行き先を気にしていたが、そのうちわかるさ、と克哉は含みを持たせた。
 事実、その数日後、御堂はソファと再会することになる。
 それは、AA社(アクワイヤ・アソシエーション)での勤務中のことだった。コンサルティングの方針について、御堂と意見が対立した。些細(ささい)な諍(いさか)いは互いの妥協点を見いだせず、不穏な成り行きを予感させた。
 ピリピリと執務室の空気が張り詰める。御堂が先に口火を切った。
「佐伯、ミーティングルームで話そうか」
「そうしましょうか」
 執務室と他の社員がいるオフィスはついたてで仕切られているだけだ。言い合いをすればオフィスフロアに筒抜けになってしまう。だから、社員にあまり聞かせたくない会話は執務室に併設してあるミーティングルームに移動していた。
 防音仕様で鍵もついているミーティングルームに入ると、克哉に続いて入ってきた御堂がぎょっと動きを止めた。視線の先には見覚えのあるソファが置かれている。
「佐伯、このソファ……」
「ああ、ここに移動した」
 ミーティングルームに置かれているのは、つい先日まで克哉の部屋にあったソファだ。
「俺とあなたの思い出が詰まっているからな」
 克哉はソファに歩みを寄せて、ソファの背についているうっすらとした白い線を指先でなぞった。御堂が行為の最中に爪を立ててつけた傷だ。そのことに気付いたのか御堂の顔がわかりやすく紅潮する。
「なぜ、ここに置く必要がある」
「なぜって、捨てるにはもったいないと言ったのはあなただ。それに、ここに置いておけば、いつその気になっても平気だろう?」
 職場でことに及んだことは何度もあるが、職場はセックスをするには快適とは言えない環境だ。硬いデスクや壁、窓に手を突いた体勢になってしまい、興奮は得られるが安息からは遠ざかってしまう。上階にある自分たちの部屋に移動しようにも、わずかな距離さえ惜しみたいときだってある。だが、こうして完全防音のミーティングルームにゆったりとしたソファがあれば、わざわざ部屋に戻る必要はない。
 しかし、予想どおりに御堂は怒りの声を上げた。
「平気なものか!」
「まあまあ、落ち着けよ、御堂。ここに座って」
 とソファを叩いて御堂を座らせようとするが、「誰が座るか!」と御堂は吐き捨てて、ミーティングルームを出て行った。そもそもなぜこの部屋に来たのかも忘れてしまったようだ。ひとり取り残された克哉は苦笑しながらソファに座る。
 馴染んだ感触が克哉の身体を柔らかく受け止めた。オフィスの喧噪(けんそう)は隔たれて、静謐(せいひつ)が部屋を満たす。そっと目を瞑れば、ゆるやかな眠気が忍び寄ってくる。その心地よさに身を任せていると、しばらくしてドアが開いた。
「佐伯!」
 御堂の声と共に、外の世界が繋がった。どうやら、御堂がミーティングルームに籠もったまま出てこない克哉にしびれを切らして戻ってきたようだ。
 克哉は御堂に気付かぬふりをして、目を瞑ったまま身じろぎもせずにいると、すぐ傍に御堂の気配を感じた。じっと探るような視線を感じる。
「狸寝入り、バレているぞ」
 耳元で囁かれたかと思ったら、唇にあたたかな重みがかかった。さらに深い熱を求めようと手を伸ばしたところで、さっと御堂に躱(かわ)される。目を開けば克哉の手の届かないところに逃れた御堂が高慢に笑っていた。その完璧な笑みに惚れ惚れと見蕩れた。御堂が告げる。
「さっさと仕事に戻るぞ、佐伯」
「わかりましたよ」
 ソファから立ち上がりふたりで並んで部屋を出ながら御堂に訊く。
「それで、このソファはここに置いていいか?」
 御堂はちらりとソファを見て渋々といった表情をする。
「捨てるには惜しいからな」
 So far so good. ―― いまのところは大丈夫。
 克哉は小さく口ずさみながらクスリと笑う。
 このソファはこれからも幾度となくふたりの熱と重みを受け止めるのだろう。

                                                                                                    END
                                                                                                          
                                                                                (文 みかん猫、絵 青都)

 
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