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サンダー・ストーム

 シカゴは日本同様四季がある。夏は輝きを増した陽射しが降り注ぎ、高層ビルを輝かせる。厳しい寒さに襲われる冬と違い、シカゴの夏は人の心を浮き立たせる季節だ。
 御堂は夏のシカゴの街並みが夕闇に染まりゆくを車の後部座席から眺めていた。御堂が乗るリムジンはシカゴ大へと向かっている。そこでMBAプログラムを学んでいる克哉を迎えに行くためだ。社用の車だが運転手にチップを弾んでシカゴ大に寄るように頼んだのだ。
 まだ早い時間帯だった。克哉を拾ったあとは雰囲気のよいレストランでゆっくりと外食をとって……、と考えていると、ふいに外が暗くなった。
 夕暮れの空に暗雲が立ちこめ、ぱらぱらと雨粒が窓を叩いてきた。雨はあっという間に勢いを増し、けたたましい音の土砂降りとなる。遠くからは激しい雷鳴がとどろき、プロムナードを歩いていた人たちは慌てて雨を防げる場所へと走り出した。
「サンダーストームです」
 運転手がため息と共に呟いた。夏のシカゴの風物詩であるサンダーストームは日本で言う夕立というよりはゲリラ豪雨や南国のスコールのようなもので、激しい雨と稲妻が降り注ぐ。夏の暑さを一掃するかのような豪雨に包まれる街並みは風情があるともいえるが、なめらかに進んでいた車は豪雨に視界を閉ざされて、たちまち速度を落とした。車のワイパーがものすごい勢いで動いて滝のように流れ込む雨を弾いている。
 御堂は静かに嘆息する。これでは克哉の迎えに間に合わないかもしれない。ジャケットの懐からスマートフォンを取り出すと克哉宛に『サンダーストームのせいで遅れる』とメールを打った。ややあって返信がきた。『迎えは不要。自分で帰る』と簡潔な返事だ。
 御堂は携帯画面を見つつ、小さく舌打ちをした。克哉に頼まれて迎えに行っているわけではない。ただ、克哉から目を離したくないだけだ。克哉が通うMBAのクラスには克哉と同年代の男女が多数いる。その中で克哉の存在は人種性別を問わず人目を惹いた。モデルと見紛うかのような端整な顔立ちとバランスの取れた肢体。ただそこに立っているだけで圧倒的な存在感を持っていた。クラスメイトから好意を寄せられている場面も目撃している。だから、御堂が自ら迎えに行くことで周囲を牽制する意味があった。一方の克哉は御堂の行動をお節介だと鬱陶しがっている。それはそうだろう。運転手付のリムジンでこれみよがしに乗り付けるのだから。
 克哉にさらにメールを送りつけようかと思ったが止めた。この嵐だ。克哉も足止めを食らっていることだろう。焦る必要はない。
 しかし、雨でけぶる視界は悪く、当然のように車はまったく進まなかった。苛立ちが嵩(かさ)んでいった次の瞬間、空が眩いほどに光り輝いた。窓の外を見上げれば重ったるい雲に覆われた空を稲妻の光が駆け巡り、轟音と共に照らしている。
 自然が造り出す幻想的な光景に目を奪われた。次々と輝く稲妻の刹那の輝きと鮮烈な衝撃。シカゴの街を覆う嵐の空はまさしく天災といって良いほど暴力的で圧倒的な力を持っている。人間の手の届かないところで繰り広げられる美しい煌めきに息を呑みながら見詰めていると、脳裏に克哉が浮かんだ。
 精緻に整ったマスクと切れすぎる頭脳、突出しすぎたスペックを持った克哉は御堂にとって突然降って湧いた嵐のような存在だった。このサンダーストームのように御堂の生活のすべてを引っかき回し壊滅的な被害を与えた。それでもいま、美しく危険な雷は御堂の手の内にある。御堂はこの荒れ狂う空を切り裂く輝きを手に入れたのだ。
 サンダーストームの雨風は絶え間なく車に叩きつけていた。突如襲われた天災に運転手は焦りを隠さない。ふいに前方にひときわ大きな雷が閃いた。空が一瞬、真昼のように明るくなり、同時に地響きような雷鳴が轟いた。近いところに落ちたのだろう。
 空を眺めながらじっと耐え忍んでいると、三十分ほどで雨が止んだ。酷いものだと夜中雷鳴が鳴り響くことがあるから、短時間で済んだことに胸を撫で下ろした。
 ゆっくりとだが車の流れも戻ってきたところで、今度はけたたましいサイレンの音が背後から近付いてきた。パトカーだ。ドライバーがルームミラー越しに迫り来る数台のパトカーを眺めて肩を竦めた。
「事故か……」
 パトカーはスピードを出したまま路肩を走り、御堂が乗る車を追い抜いていった。
 サンダーストームの影響で交通事故が起きたのだろう。パトカーの行き先を目で追う。パトカーはすぐ先の交差点を右折した。その先にあるのは克哉の大学のキャンパスで、御堂がこれから向かおうとしていたところだ。
 ドライバーがルームミラー越しに御堂に視線を向けて言う。
「どうやら大学付近で交通事故が起きたようで。渋滞で時間がかかるかもしれません」
 サンダーストームのせいで交通事故が引き起こされたのだろう。
 この先にある大学と言えば克哉が通っている大学だ。嫌な予感が暗雲のように胸に立ちこめた。御堂は上体を乗り出すようにして運転手に告げた。
「それなら、ここで降りる」
「承知しました」
 ドライバーが車を路肩に寄せると運転席から降りて後部座席のドアを開ける。もうほとんど雨は止み雲は消えてきているが、嵐の間に太陽は沈んだようであたりはすっかり暗くなっていた。
 御堂は車から降りる。運転手が渡してくる傘を断り、小走りに大学のキャンバスへと向かった。遠目に事故現場が見えてくる。大学の目の前だ。野次馬の流れに巻き込まれるように現場に向かうと、起きて間もない生々しい事故の喧噪が迫ってきた。複数の車を巻き込んだ派手な事故のようで車体を凹ませた数台の車と人だかりがある。駆けつけたパトカーから降りた警官が交通整理を始めると前後して救急車が派手な音を鳴らしながら到着した。けが人も出ているのだろう。
 事故現場を見てきたらしい人々とすれ違うときに、会話が漏れ聞こえてきた。「学生が巻き込まれたらしい」「アジア人の男だろ?」「サンダーストームのときに外に出るから…」
 背筋に凍えたものが走った。
 ――まさか、克哉が事故に!?
 克哉は自分で帰るとメールにあった。だからこの場にいてもおかしくはない。
 空を見上げた。先ほどまで荒れ狂っていた空は嘘のように静まりかえって、陰鬱な翳りの雲が闇に溶け込んでいる。ふいに、日本の昔話である羽衣伝説を思い出した。
 天からもたらされたものはいずれ天に還る。羽衣を奪い、どれほど強引な手段でつなぎ止めようとしても目を離した隙にあるべき場所に帰ってしまう。克哉もそうではないか。御堂がどれほど檻の中に閉じ込めても、雷を捕まえることなど到底無理なのだ。足元が沈み込むような恐怖に包まれる。
「克哉……っ」
 焦燥と混乱に急かされるようにして、事故現場へと向けて走り出した。ガソリンと焦げ臭い匂いが鼻を突く。事故現場を取り囲む人だかりをかき分けて突進しようとしたそのときだった。
「御堂」
 ふいに右腕を掴まれた。振り向くと、克哉のレンズ越しの双眸が御堂を見詰めていた。
「ぁ……」
 安堵に力が抜けた。克哉は事故現場へと顔を向け、御堂の肩越しに視線を投げる。
「酷い事故だな。幸いスピードは出てなかったから、死者はいないようだが」
 そう言って御堂に視線を戻し、かすかに眉根を寄せた。
「顔色が悪いぞ。大丈夫か? そういえば車はどうした?」
「君が事故にあったのかと……」
 そう言いながら克哉をまじまじと見返した。目の前に立っている克哉は半袖のシャツとデニムというカジュアルな服装だ。朝見たままの姿で、なんら飾ることのない姿なのに、湿り気を帯びた髪や街の光を弾く眼鏡のレンズ、薄闇に浮き立つ端正な輪郭は空間が切り分けられたように、御堂の目には異質に見えた。
「……本当に克哉か?」
「なにを言っているんだ」
 ぽつりとつぶやいた声に怪訝な一瞥を返される。
 何故だろう。どう見ても目の前にいるのは克哉に間違いないのに、サンダーストームの荒々しくも幻想的な空、そして凄惨な事故を目にしたせいか、見慣れたはずの克哉の姿がどこか儚げに思えてしまう。
 御堂は黙ったまま克哉の腕を掴み、道沿いのビルとビルの間へと歩き出した。克哉が抗議の声を上げる。
「どこへ行く気だ」
 ビルの狭間の薄暗い狭い空間に克哉を連れ込み壁に押し付けると問答無用で克哉のベルトを外し、ジーンズの前を開いた。
「おいっ」
「黙っていろ」
 咎める声を低い声で塞ぐ。夜の街で、目と鼻と先ではいままさに救助活動が行われている事故現場と人だかりがある。そのざわめきを無視して、御堂は克哉のペニスをアンダーから掴み出した。克哉が鋭く息を呑む。
「私に心配をかけたのだ。責任は取ってもらう」
「勝手なことを」
「私の目の前ではしたなくイってもらおうか」
「馬鹿なこと言うなっ」
 克哉は抗おうとするが、性器を掴まれていては動けない。御堂は身体を押し付けるようにして、克哉の動きを封じたまま、ペニスを握った手を荒々しく上下に動かす。
「っ……、よせ……っ」
 風が吹き、どこからか落ちてきた水滴が克哉のペニスを濡らした。そのぬめりを借りながら滑らかに扱くと、手の中のそれは一往復するたびに大きさを増した。その熱と質量に克哉が確かにこの場に存在していることを実感する。
 ほんの少し先では人々の喧噪があり、救急車やパトカーのサイレンと赤い光がせわしなく行き交っている。暗がりの中で淫猥なことに耽るスリルと興奮に自然と御堂の鼓動も速くなる。
 御堂の手淫に反応し反り返って張り詰めるペニスを根元からなで上げると、克哉の腹筋に力が入った。
「いつもより興奮しているな。露出狂の癖(へき)でもあるのか」
 そう揶揄すると克哉は御堂を強い眼差しで射貫いてきた。そして、御堂の襟を掴んでぐっと引き寄せた。唇を唇で塞がれる。
「ん……」
 くぐもった音が喉奥で鳴った。不意打ちのキスで御堂の身体がカッと熱くなる。自分のものも窮屈な場所から取り出して克哉のものと重ねて扱きたくなるが、ぐっと堪えて克哉の快楽を導くことだけに専念した。
 克哉の手が背中に回される。縋るように身体を押し付けられ、御堂の手に擦りつけるように腰を揺らす。
 手の中にある克哉のペニスが熱を持つ。絶頂が弾けるタイミングに合わせて、ハンカチでペニスの先端を包んだ。
「――っ、ぅ」
 布越しに勢いよく迸る重ったるい粘液を受け止める。ようやく放出が終わると、さっと粘液ごとペニスを拭ってハンカチを折りたたんだ。御堂はポケットからとりだした小箱の中身を取り出しつつ、代わりに濡れたハンカチを箱に押し込んだ。
 克哉が薄く目を開いて御堂が手にした小さなチップを見る。ステンレス製の数センチのチップは凹凸を持ちながらカーブする独特の形状をしていて、片側には糸が取り付けられている。克哉は訝しげな口調で問う。
「なんだそれは」
「君でも知らないのか。だが、想像はつくんじゃないか」
 含み笑いをしながら、形を保ったままの克哉のペニスを掴みしっかりと固定する。先端の小孔が開くように指を添えてチップを近づけると克哉の顔色が変わった。
「まさか……」
「そうだ、君のこの孔に挿れるための道具だ」
「そんなものを持ち歩いているのか、変態め」
「今夜ゆっくりと君で試すつもりだったが、気が変わった。いま使う」
「よせっ、ぁ……っ」
 放って間もない小孔はてらてらと濡れていて、金属製のチップを滑らかに呑み込んでいった。全長が見えなくなると竿を扱くようにしてさらに奥へと進ませていく。
 敏感な粘膜を硬い金属が通っていく感触がつらいのか、克哉は短く太い息を吐いて御堂の服の袖を強く握りしめた。
「もっと太くて長いものも呑み込んだんだ。これくらい平気だろう」
 かつて克哉の狭い孔を尿道ブジーで無理やり拡張したときのことを口にすれば、克哉に潤んだ眼差しで睨み付ける。罵詈雑言のひとつやふたつ吐かれるかと思いきやそんな余裕はないらしい。腰が砕けそうになるのを御堂の服を掴むことでひたすらに耐えている。御堂は克哉の反応に気を良くしながら言った。
「足を開け。入れづらい」
「――っ」
 克哉のズボンを下着ごと腿の半ばまで下ろし会陰に指を伸ばした。下半身を丸出しにした心許ない姿にすると、指先の感覚を辿ってチップの位置を確かめる。奥まで来ている。あともう少しだ。ぐっと指に力を込めて会陰越しにチップを押し込んだ瞬間、克哉の身体がびくりと震えた。
「ぁ、……ぁああっ」
 反射的に上がる声を克哉は自分の手の甲で口を塞いだ。御堂は口角を吊り上げる。
「悦い場所にハマったようだな」
 最後の仕上げにペニスの根元にリングを嵌める。勝手に極めてしまわないようにするための戒めだ。精を放ってしまえばチップも外れてしまう。そして、動けない克哉の代わりに服の乱れを正すと、克哉から身体を離した。
「さあ、帰るぞ。リムジンは返してしまったからタクシーを拾う」
「この…状態で……、無理だ」
 呻くように克哉が言う。普通ならば決して触れられることのない鋭敏な場所をチップで嬲られて苦しいのだろう。克哉は壁に背をもたれさせてどうにか立っている状態だった。御堂は冷淡な声で告げる。
「それならこの場で最後までしてほしいのか? ああ、君は見られると興奮する性質(たち)か」
「――っ」
 克哉が唇を噛みしめる。御堂になにを言っても無駄だと悟ったらしい。よろめくようにして一歩踏み出した。危なっかしい動きに克哉の腰を抱き寄せるようにして並んで歩く。
「ん、ぅ……」
「ほら、ちゃんと歩け」
 歩いたときの振動さえも克哉を苛むようで、克哉は俯いたまま浅い呼吸を繰り返している。そんな克哉を御堂は甲斐甲斐しく労るようにして身を沿わせて歩かせる。端(はた)から見れば具合の悪い人間を支えて歩いているように見えるだろう。御堂は事故で封鎖された道路を避けて大通りへと克哉を連れて行った。
 黄色い車体のタクシーを捕まえると後部座席のドアを開けて克哉を押し込み、自分も続いて乗り込んだ。自宅の住所を告げる。
 克哉は反対側のドアにもたれかかっていた。その顔は紅潮しうっすらと汗をかいていることが暗い車内でもわかった。
「大丈夫か?」
「――ッ」
 気遣う振りをして克哉の膝に手を置いた。それだけで克哉はぎくっと身を強張らせた。克哉は黒目だけ動かして御堂を睨み付けてくる。余計なことをするなと言いたいのだろう。普段の克哉ならそんなことはしない。余計に御堂を煽るだけだとわかっているからだ。すなわち、それだけ克哉は追い詰められている。
「おっと」
「っ、ん――っ、く」
 タクシーがカーブした弾みを利用して克哉の股間を揉み込むと、克哉はびくりと激しく身体を震わせた。漏れそうになる声を咄嗟に自分の手で塞ぐ。身の内からも外からも欲情に炙られて必死に耐える克哉は美しく、扇情的だった。耳元に口を寄せる。
「もうすぐ家に着く。あと少しの辛抱だ」
 自分で追い詰めておきながらどこまでも優しげな口調で囁きつつ、ペニスの膨らみを布越しに擦る。じっとりと熱を持ったそこを愛おしげに撫でると克哉の呼吸が跳ね上がった。
 タクシーが停まり、運転手に多めのチップを上乗せした代金を払うと、緩慢な動きの克哉を強引に引きずるようにして歩き出した。ようやく玄関に入った瞬間、緊張の糸が切れたのか克哉は崩れ落ちるようにして廊下に這いつくばった。足腰に力が入らないのだろう。
「もう限界か」
 そう言って御堂は玄関に倒れる克哉のズボンと下着を引きずり降ろすと無理やり腰を掲げさせた。興奮したままのペニスは先走りでぐっしょりと濡れている。指を這わせてチップが嵌められたままの状態であることを確認しつつ、絡めた指で軽く擦れば、克哉が切なげな吐息を吐いた。発情しきった克哉の体温は上昇し、うっすらと汗をかいた肌はしっとりと手に吸いつくようだ。克哉が声を上げる。
「も……っ、いい加減取れ…っ」
「玄関先でおねだりとは我慢が効かないな」
 と言いつつも限界なのは御堂も同じだ。克哉を四つん這いにしたまま、自分の勃起を取り出すと克哉のアヌスに押し当てた。克哉がぎくりと身を強張らせる。
「待て……っ、ぁ、あああっ」
 克哉の制止の声も待たずに腰を掴み、自身をぐっと差し入れた。窮屈な場所を強引に押し拡げられる苦痛に克哉が喉を反った。爪が床板を引っ掻く。御堂は軽い抽送を数度繰り返し中の感触を確かめると、大きく動き始めた。
「ぁ、あ、あ、あ……っ」
 プロステチップに嬲られてすっかり蕩けた身体は、体内を抉る律動に合わせて粘膜が収縮し御堂を搦め捕ろうとしてくる。チップを咥え込まされたままのペニスからはポタポタと粘液が溢れて床にたまりを作った。
 玄関先で獣のようにまぐわい、欲情に唆されるまま激しく腰を遣う。屈服するような体勢で御堂を受け容れさせられた克哉は苦痛と快楽に揉みくちゃにされて這いつくばったまま動けない。
 かつて、こうして克哉をいたぶり抜いたことを思い出した。それは昏い興奮となって克哉を犯す動きを加速させる。
「っ……」
 最短で自らの快楽を辿り、息を詰めて克哉の中に放った。腰を引いてずるずると自身を引き抜くと、その場に突っ伏そうとする克哉を強引に起こしてベッドルームまで引きずった。ベッドへ克哉を放る。
「ぐ……」
 御堂もベッドに乗り上がり、克哉の服を全部剥ぎ取って裸を眺めた。
 均整のとれた体格に長い四肢。精巧に彫られた彫像のように美しい身体なのに脇腹に残されている醜い傷痕。これは御堂が付けたものだ。背後からナイフを突き立てたときの肉を切り裂く感触はいまでもありありと思い出せる。衝撃と痛みに驚いた克哉が振り向き、自分に刺さっているナイフとその柄を掴んでいる御堂を目にしたときの目を見開いた表情も。
 克哉の傷痕をそっと指先で辿った。不規則に癒合した肉の凹凸の感触。びくりと克哉の腹筋が波打つ。この傷痕を目にするたびに、御堂の胸には言葉では形容できない感情が込み上げる。痛みと高揚が混じりあったような感覚だ。この傷痕は御堂の所有の印だからだ。
「やめろ……」
 克哉の傷を執拗になぞる御堂の手から逃れようと克哉が身体をねじった。その弾みで克哉の脚の間からどろりと御堂が放ったものがしたたり落ちた。その感触の不快さに克哉が眉根を寄せる。
 戒められたままのペニスは放つことを許されず、プロステチップを埋め込まれたままだ。克哉は熱におかされたように火照った顔でプロステチップから伸びる糸に手を伸ばそうとした。いい加減この責め苦から逃れたいのだろう。
「まだダメだ」
「くそ……、離せ…っ」
 克哉の両手をまとめてベッドに縫い付けると御堂は克哉に覆い被さった。克哉は悪態を吐くが本気で御堂を押し退けようとはしない。チップのせいで動けないのか、それとも半ば諦めているのか。
 克哉が大した抵抗をしないのを良いことに、御堂は克哉の腰を抱えた。両脚を開かせて御堂を受け容れる体勢を取らせる。ふたたび御堂に犯されることを察して、克哉はこくりと唾を呑む。
「やめろ……」
 弱々しい懇願に冷たい笑みを返すと、御堂は自身をぬかるんだ場所に押し当て、ひと息に貫いた。
「っ、ぁ、あ――」
 克哉が喉を反った。尖った喉仏に噛みつくようにしてキスを落としながら腰を進めた。
 先ほど御堂に蹂躙されたそこは柔らかく御堂を呑み込んでいく。御堂もまた一度極めたことでじっくりと愉しむ余裕があった。克哉の浅いところから奥までゆっくりと堪能するように抽送を始める。
「ひっ、ぁ、ああっ」
 チップがある場所に先端が当たったらしい。克哉が短い悲鳴を上げて身体が浮き上がらんばかりに仰け反る。そこを擦るように丹念に何度も突き上げると克哉が髪を振り乱すように頭を振った。
「そこは、よせ……っ」
「ここがそんなに悦いのか」
「く、……ふ、ぁ、あ、あ、ぐ…、あ、ああっ」
「イきっぱなしだな」
 克哉のペニスはプロステチップを埋め込まれて、根元を戒められたまま、いまだに精を吐き出していない。それでも、突っ張った四肢と痙攣する身体から克哉がドライオーガズムの絶頂の渦に巻き込まれたことがわかる。快楽の源泉である前立腺を中と外から苛まされて強制的に絶頂に呑み込まれたのだ。そして、極みの天辺につなぎ止められたまま降りてこられない。
 しかし、最初こそ苦痛に歯を食いしばるようにして堪えていた克哉も、喉奥からは違う色の声が漏れ続けている。
 組み敷いた克哉の切なげに寄せられた眉、薄く開かれた唇、淫らに発情した顔のなにもかもが御堂の欲情をかき立てた。痙攣したようにひくつく肉の感触を味わいつつ克哉の身体を存分に蹂躙する。
 残虐な愉悦と興奮に包まれながら、天女を抱いた男はこんな気分だっただろうと頭の片隅で思った。決して手の届かない天上の美しい存在を自らの手で汚す悦び。一度その肉を味わってしまったら離れがたくなる。決して手放したくはない。逃がすくらいならいっそ……。
 克哉の首に手が伸びた。鎖骨までのきれいな筋が浮き立つ首に手をかけた瞬間、克哉と視線が重なった。レンズ奥の濡れた眸は切実な色を帯びていた。克哉は切羽詰まった表情で御堂に懇願する。
「っ、御堂…っ、も……っ、イきたいっ」
「克哉……」
 克哉に乞われてハッと我に返った。御堂は首にかけていた手を下ろし、克哉のペニスを戒めるリングを抜き取った。
 上体を深く屈め、克哉の唇に唇を押し当てて深くキスを噛み合わせる。
 ぐうっと腰を押しこんでどこまでも深くつながりながら、上体を倒して唇を重ねた。舌を絡めねっとりとしたキスを交わしながら、克哉の最奥に熱を注ぎ込んでいく。ふたりの腹に挟まれた克哉のペニスがびゅくりと跳ねて精液を迸らせた。同時にチップも吐き出される。克哉はようやく絶え間ない絶頂から解放されて、身を小さく震わせた。
 頭の天辺から爪先まで全身が溶け合うかのような陶酔に包まれながらも、頭の片隅で厳然たる事実を噛みしめる。
 囚われているのは自分なのだ。
 天女を捕らえた男が天女に囚(とら)われたように、御堂の魂は克哉によって根こそぎ奪われ、囚われた。
 克哉を目にするたびに、この美しい存在が自分のものであるという悦びを感じる一方で、克哉を喪うかもしれない焦燥と不安の板挟みになる。
 そして克哉を汚し、傷つければ傷つけるほど、場違いな安堵が胸を満たす。そうすることでこの男を地上につなぎ止め、自分自身のものにできるように感じるからだ。
 意識を失い弛緩しきった克哉からゆっくりと交わりを解いた。四肢をベッドに投げ出す克哉の裸体を見下ろす。
 二人分の体液で汚されながらも克哉は依然として何者も寄せ付けない凜とした美しさを誇っていた。御堂に抱かれようがなにをされようがこの男はなにも変わらない、そう思わせる潔癖な美しさだ。
 胸をかきむしるような苦しさに襲われる。ぐっと拳を握りしめて声を絞り出す。
「…………あのとき君を殺しておけばよかった」
 そうすれば、克哉を喪うことを怖れなくてすんだのだ。


 サンダーストームの雲はすっかり影も形もなくなっていた。シカゴの街に照らされた夜空はぼんやりと明るく、天上の星は地上に落ちてしまったかのように眩い街明かりが夜を彩っている。
 御堂はリビングの窓辺に立って物思いに沈みながらシカゴの夜景を眺めていると、ドアが開閉する音が響いた。振り向けばシャワーを浴びてきた克哉がバスローブを羽織って部屋に入ってきたところだ。髪から滴る水滴を無造作に拭いつつ、御堂に顔を向ける。御堂は窓辺から足を退くと、克哉に向き直り、言った。
「夕食はどうする? 簡単なデリならあるが。なにか頼むか?」
 いまから外に出るには遅い時間帯だ。克哉をベッドに寝かせている間にデリバリーで頼んだ食事はテーブルに並べてある。克哉はそれらを一瞥し視線を戻すと御堂の前に歩みを寄せた。じっと御堂を見詰める。克哉のレンズ越しの眸は情交の名残を留めるようにしっとり濡れていた。
 克哉の薄い色味の虹彩は周囲の光を集め、複雑な色合いをなす。その虹彩の中央に自分を捕らえられて、たちまち落ち着かなくなってくる。
 御堂と視線を繋ぎながら克哉の形の良い唇が動く。
「御堂、どうした?」
 なにが、とは訊かない。ただ、端的に問うてくる。すべてを見透かすような眼差しで御堂を見据えながら。
 しばしの沈黙を挟み、御堂は観念したように深く息を吐いて言った。
「君を大切に扱いたいと思っている。君をあいしているから。だが、ときたま無性に君を壊したくなるのだ。君が自分のものだと証明するために」
 克哉の身体に傷を刻みつけることで、罪悪感と愉悦が混ざったような倒錯的な感情が込み上げる。この男を苦しませるのも悦ばせるのも自分しかいなのだと実感したいのだ。
 MGN社の執務室で、克哉をひと目見たときから御堂の心は不穏なざわめきを覚えた。克哉がなにか異質で脅威もたらす存在に思えたのだ。御堂の予感は正しかった。克哉ははるか高みから侮蔑するかのごとく、御堂に底知れぬ快楽と憎悪を植え付けた。だから御堂は決死の反撃をした。自分自身を守るために。
 それがいま、自らの手で克哉の身体に快楽と痛みを刻み込むことに愉悦を覚え、克哉を地の底へと引きずり堕とそうとしている。それは克哉がかつて御堂にしたことと変わらない。
 しかし、どれほど克哉を抱いても、むしろ抱けば抱くほど、克哉を喪うことを想像したときの恐怖は嵩を増していく。そしてその恐怖から逃れたくて、無性に克哉を手にかけたくなる衝動に襲われるのだ。
 御堂の告白を聞いて、克哉はうっすらと微笑んだ。
「俺はあんたに壊されるほど柔じゃないさ。試してみればいい」
「君は私の煽り方に長けているな」
 ふ、と笑い、克哉はそっと御堂の背中に手を回して身体を密着させた。いやらしさも高揚もない、ただ愛情を伝え慈しむためだけの抱擁。克哉のぬくもりを感じながら、御堂は自分の中で張り詰めていたものが徐々にほどけていくのを感じた。
「安心しろ、俺は死なないし、あんたを置いていかない」
「まったく……君には敵わない」
 御堂はふかぶかとため息を吐いて苦笑する。自然と身体の強張りが緩み、克哉の抱擁を柔らかく受け入れた。
 言葉に形容できない不安もなにもかも克哉は受け止めて、御堂が一番欲しい言葉を与えてくれる。
 克哉は薄い笑みを刷いたまま、「だが」と御堂の耳元に唇を寄せて囁く。
「あんたにならいつでも殺されてやる」
「克哉……」
「何度だって言ってやる。……あなたをあいしている」
 間近で覗き込む克哉の眸は蠱惑的で危険な色を湛えている。御堂は無意識に唾を呑み込んでいた。ゆっくりと克哉の顔の角度が傾き、鼻と鼻がぶつからないようにして、温かな重みが唇にかかった。御堂は克哉の背中と後頭部に手を回し、時間をかけてキスを深める。腕の力を込めて、身体を密着させてするキスに胸の奥がじわりと熱くなる。
 自分はどうしようもなく克哉をあいしていると思い知らされる。
 そしてまた殺す寸前まで憎んだ相手に深くあいされたいと願っている。
 克哉を引きずり堕としたつもりで、御堂こそ地の底に引きずり堕とされたのだ。
 いや、もしかしたら天上へと引きずり上げられているのだろうか。
 そうでなければ、このふわりと浮き上がるような感覚はなんなのだろう。
 このうえない熱と幸福を、抱擁の中、味わい続けている。

END

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