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Tie a Tie

「はい、少しお待ちください。……その日程だと…」

 

 AA社の執務室、御堂のデスクからはクライアントからの電話に応対する声が響いていた。ちらりと黒目だけ動かして御堂を見やれば、御堂は受話器を耳に当てつつパソコン画面を厳しい眼差しで眺めている。

 先ほどから三十分以上にわたる長電話だ。漏れ聞こえる内容からするとクライアントとのスケジュールを詰めているようだった。御堂の視線の先には社で管理する共用スケジュールの画面が展開されているのだろう。

 だが、AA社の社員はすでにフル稼働状態で、新たに降ってわいた仕事を割り当てようにも空きなどない。

 それでもクライアントの窮状に一刻も早く対応しようと、御堂は眉間に深い皺を刻みつつ、どうにかスケジュールを組んだようだった。

 

「それでは、ひとまずこの日程でいきましょう。……ええ、私の方から佐伯には確認を取っておきます。では」

 

 ようやく電話が切れたようだ。

 克哉は素知らぬふりでディスプレイに開いたレポートを確認していると、視界の端で御堂がデスクから立ち上がった。そして、こちらへと向かって来る。克哉が手を止めてパソコン画面から顔を上げるのと、御堂が克哉のデスクの前に辿り着くのはほぼ同時だった。

 

「佐伯」

「はい」

「新規の案件だ。スケジュールを確認して欲しい」

 

 そう言って御堂はクライアントの情報がまとめられたファイルと先ほどの電話で決定した暫定スケジュールのメモを渡してくる。本来ならメールのやりとりでも良いところを克哉に直接交渉に赴いたのは、自分でも厳しいスケジュールだと分かっているからだろう。

 渡されたファイルにざっと目を通し、パソコン画面に社員全員のタスク管理画面を開いて確認する。念のため、御堂に聞いた。

 

「このスケジュールでないと駄目なのか?」

「ああ。これがクライアントにとってのギリギリのラインだ」

「……あちらで話し合おうか」

 

 克哉は立ち上がって、執務室に隣接するミーティングへと向かった。御堂も黙ったまま付いてくる。

 ミーティングには応接セットがあって、ゆったりしたソファが置かれている。奥に御堂を座らせ、克哉はその正面に座った。

 二人の間のセンターテーブルに御堂が持ってきたファイルを広げる。先日、正式な依頼があったばかりのクライアントの企業だ。かつてないパンデミックで業績が悪化し、このままでは早晩資金繰りがショートするだろう。御堂が急いで対応したい気持ちは分かる。だが、そのコンサルをAA社が引き受けられる余地があるかどうかはまた別の話だ。

 ファイルをぱらぱらとめくって確認していると、御堂の視線を感じた。ファイルを閉じて、御堂へと顔を向ければ、御堂はまっすぐに克哉を見ていた。

 御堂が相手に向ける視線は微動だにしない。精緻に整った容貌の中で、切れ長の双眸から強い意志を帯びた眼差しを向けられると、大抵の人間は居心地の悪さに御堂から視線を外してしまう。だが、克哉は御堂の視線を受け止め、言った。

 

「言うまでもないと思うが、このスケジュールは厳しいな。ヒアリングも十分でない状況で一からプランニングするとして、この期日だと担当できる人間がいない」

「私が担当する」

「御堂さん、あなたはもうすでに手一杯のはずだ。引き受けると言うのは簡単だが、AA社の名前で引き受ける以上、中途半端な仕事は許されない」

「そんなことは言われるまでもない」

 

 すぐさま反駁(はんばく)される。御堂は主張を引っ込める気はないようだ。

 互いの切羽詰まった状況は分かりすぎるほどに分かっている。だから、これ以上時間を捻出するとなると、ただでさえ枯渇しているプライベートの時間を削るしかないことも。

 克哉は苦々しく首を振った。

 

「とても許可できない。社員の労務管理に責任を持つ立場からしても、あなたの恋人という立場からしても」

「佐伯っ!!」

 

 御堂が克哉の言葉に被せるようにして慌てた声を上げた。

 

「勤務中にそんなことを口にするなと言っただろう」

「勤務中と言っても、この部屋は防音が聞いているから心配ない」

「そういう問題ではなく、公私の区別を付けろと言っているんだ。大体君はいつも仕事中だろうと…」

「ところで、この件についてが」

 

 御堂のお小言が始まる前に、脱線しかけた話を無理やり戻す。依頼企業についていくつか御堂に確認しながら、克哉は素早く思考を巡らせた。

 

 ――どうしたものか。

 

 御堂が無理なスケジュールをねじ込んでくるのは今に始まったことではない。だが、克哉だってそうだから御堂のことは強く言えない。独断専行で勝手に話を進めて御堂に怒られるのもざらにある。

 しかし、お互いに自分が頑張れば何とか出来るという自負とプライドがある。だから、御堂が引き受けると決めたことは、今更克哉がどうこう言ったところで覆せるわけがないのだ。それでも、こうやって律儀に克哉の承諾を得ようとしてくるのは、御堂なりの社長を立てるという気遣いだろう。

 結局のところ、御堂をどうなだめすかしても、御堂がやると言ったらやることになるだろう。あとは、どう落としどころを付けるかだ。

 御堂がクライアント企業の問題点を簡潔に説明したところで、克哉はひとつ息を吐いて渋々といった表情で言った。

 

「分かった。あなたが責任を持つというならこのスケジュールでフィックスしよう。ただし、条件がある」

「条件?」

「御堂さんが今担当している案件をいくつか俺に回してくれ。そうすれば、この件に集中できるだろう?」

 

 克哉は現在進行中の案件で御堂が統括しているものをいくつか上げた。いずれもヤマ場は超えて、あとは細かな調整だけになっている。主担当は藤田を始めとした他の社員だから、上が替わっても影響はないだろう。

 克哉の提案に御堂は目を丸くする。

 

「しかし、それでは君の仕事こそ回らなくなるだろう」

「見くびるな。これくらいなら問題ない」

 

 そう言って御堂に余裕の笑みを見せる。御堂が何かを言いかけて黙り込み、そして、ひと言、言った。

 

「……恩に着る」

 

 激しい言い合いになることもなくことが収まり、御堂は表情を緩めて克哉への礼を口にした。そして、ソファから立ち上がって、克哉の横を通ってあっさりと部屋を出て行こうとしたので慌てて腕を掴んだ。

 

「待て待て待て、ここはお礼のキスをしていく場面だろう」

「は?」

「何のためにミーティングルームに場所を移したと思っているんだ?」

 

 克哉を見る御堂の目が呆れたように眇められる。

 

「下心ありきか。君に素直に感謝した私が馬鹿だった」

 

 克哉はこれ見よがしにため息を吐いた。

 

「もう何日あなたに触れてないと思っているんだ。あなたも俺の恋人なら、俺の管理に責任を持ってくれないと」

 

 いっそ清々しいほどに開き直った克哉に、御堂は深々とため息を吐いたが、思い直したらしい。

 

「キスだけだぞ」

 

 とソファに座る克哉に上体を被せるようにして唇を押し付けてくる。

 薄く唇を開いて御堂のキスを受け止めた。唇に温かな重さがかかる。御堂のうなじを掴み、背中に手を回してぐっと抱き寄せると、バランスを崩した御堂がしなだれかかってくる。何かを言いかけて開いたくちびるに舌を差し入れ、言葉を封じた。

 

「ん……っ!!」

 

 御堂のネクタイのノットに指を入れて素早く抜き取る。そして自分のネクタイもその場に落とした。

 喉を鳴らして御堂が抗議する。だが、舌をきつく絡めて混ぜ合わせた唾液を啜ると御堂の抵抗が弱まってきた。緩急をつけたキスを繰り返し、回した手で服の上からまっすぐな背中を撫でる。次第に御堂の身体のこわばりが解けて、克哉を責めるかのように睨み付けていた目元も潤みだす。形ばかり抗おうとしていた手は、いつの間にか克哉のジャケットの襟を握りしめていた。

 この瞬間はいつだってたまらない。仕事に臨む御堂の近寄りがたい怜悧な顔と品格が、目の前でぐずぐずに蕩けていく。克哉を求める渇望が御堂の理性を打ち崩した瞬間だ。

 御堂の身体から力が抜けたところで、御堂のジャケットを脱がし、シャツの前を開いた。「佐伯……」と御堂が懇願するような声で言った。困惑と不安と期待が境なく入り混じったかのような声音だ。

 何か言いたげな御堂を無視して、しなやかな筋肉が乗った胸を手でなで回せば、すぐに胸の尖りが腫れて赤く色づいた。そこを狙うかのようにしつこく擦り上げると御堂が声を押し殺して身悶える。

 いつもよりも感じやすくなっているのは、今が勤務中という背徳感だけが原因ではない。

 ここ最近ずっと仕事が忙しく、二人の時間がゆっくりと取れていないのだ。部屋がオフィスの上の階にあるからかろうじて毎日帰っているが、そうでなければ職場に泊まり込んでいただろう。相手の寝顔を目にするだけで我慢する日もざらだ。いくら一緒に暮らしていても、いや、一緒に暮らしているからこそ、触れあうことの出来ない時間が積み重なると不満も溜まる。

 克哉の膝にまたがる形で身体を預けてくる男の、いやらしく尖りきった乳首に唇を寄せて舐めては軽く歯を立てたり、締まった脇腹から腰のラインをいやらしく撫で回す。

 快楽を堪えきれないかのように、御堂から漏れる声が次第に艶めいていく。

 

「ぁ……、ん…っ、さえ……きっ」

「もっと触ってあげましょうか? ほら、ここ、我慢できないでしょ?」

「……んぁっ」

 

 御堂のスラックスの前、張り詰めたところを、太ももを押し付けるようにして擦りつけると、御堂が甘苦しく呻いた。御堂があからさまな拒絶をしないのをいいことに(拒絶されてもしただろうが)、克哉の動きはもっと大胆なものになっていく。

 御堂の熱を直接感じたくて、克哉もシャツのボタンを外した。

 御堂の肌はしっとりと汗ばみ、身体を抱き寄せれば御堂もまた克哉の首に両手を回してしがみついてくる。

 すっかり固くなった御堂の股間をスラックスの布地の上から揉み込みつつ、御堂の耳元で「イかせてやろうか?」と低く囁けば、顔を真っ赤にした御堂がこくりと頷く。

 にやりと笑って、御堂のベルトに手をかけたときだった。

 どんどんとミーティングルームをノックする音が響き、克哉と御堂はぎくりと動きを止めた。

 

「佐伯さんっ! いますかっ!?」

 防音仕様のドア越しに、微かに藤田の張り上げた声が響いてきた。快楽に酔いしれていた御堂もまた、一瞬にして青ざめる。克哉は腕時計をちらりと確認した。ハッと思い出した。

 

「しまった。アポイントの時間だ」

「馬鹿っ!! 何やっているんだ! 離れろっ!」

 

 なんと間が悪い、と舌打ちしたところで、御堂が鬼の形相で克哉の胸を押し返す。

 名残惜しさに動きが鈍くなるが、御堂に無理やり身体を引き剥がされた。怒鳴る勢いで御堂の叱責が飛ぶ。

 

「佐伯! 早く、その服を何とかしろ!」

「分かったから」

 

 御堂の迫力に気圧されるままにシャツのボタンを上まで締める。ネクタイを探そうとしたところで、クールビズを推奨している社内ではノーネクタイでもいいかと思い直した。早々にネクタイ探しを諦め、扉に向かおうとした寸前、御堂に腕を鷲掴みされて引き留められる。

 

「ネクタイをしろ!」

 

 反論の隙もなく、首にネクタイを素早く巻かれた。襟元で長い指が素早く動き、あっという間に美しい結び目が出来る。最後にノットをきゅっと絞られて、ネクタイの位置を正される。克哉のネクタイを結ぶ御堂の無駄のない動きと隙のない顔つきに見蕩れながら言う。

 

「こういうのもいいな。甘やかされている感じがする」

「勘違いするな! もう二度と勤務中にこんなことはしないからな! 早く行け!!」

「はいはい、分かりましたよ」

 

 御堂はもう返事もせず、さっさと克哉に背を向けて自分の服を直している。克哉はひとつ息を吐いて、ミーティングルームのドアを開けた。

 突然開いたドアに、藤田が「わっ!」と驚いた声を上げる。藤田に中を覗かれる前に、さっとドアを閉めて、何事もなかったかのように言った。

 

「アポイントの予定だったな。準備は出来ているか?」

「はいっ! 先方はもういらっしゃっています。応接室にご案内しました」

「ああ」

 

 その時、克哉の背後のドアが開き、身だしなみを整えた御堂が静かに出てきた。

 上気した顔を隠すかのように、普段よりも厳しい顔つきで克哉たちには目もくれず自分のデスクへと無言で歩いて行く。

 藤田はそんな御堂と克哉を交互に見て何か言いかける。

 

「あれ、御堂さん……」

「藤田、資料は準備出来ているか?」

「あ、はいっ! 全部そろっています」

「じゃあ、行くぞ」

 

 藤田の言いかけた言葉を無理やり遮って、克哉は藤田を連れてクライアントとの打ち合わせに向かったのだ。

 

 

 

 藤田が担当するクライアントとの打ち合わせは滞りなく終了した。クライアントを見送り、応接室に戻りつつ藤田に声をかけた。

 

「この件は順調そうだな」

「ええ、先方も満足していただいているようですね」

「藤田の頑張りのおかげだ。お疲れ様」

「ありがとうございます!」

 

 テーブルの上の資料を片づける藤田にねぎらいの声をかける。執務室に戻ろうかと席を立ったところで、藤田が小首を傾げるようにして克哉に言った。

 

「佐伯さん、それって何かの験担ぎですか?」

「何がだ?」

 

 訝しげに返すと、藤田が視線を克哉の襟元に留めた。

 

「それ、御堂さんのネクタイですよね。御堂さんも佐伯さんのネクタイをしていましたし。交換したんですか?」

 

 はっと視線を下に落とせば、そこにあるのは、御堂のネクタイがきっちりと結ばれている。ミーティングルームでネクタイを取り違えてしまったらしい。

 しまった、と思ったところで、「佐伯っ!!」と執務室から御堂の焦る声が聞こえた。どうやら御堂も気が付いたようだ。

 この場合、やっぱり俺が怒られるのだろうか?

 そんなことを頭の片隅で考えながら、克哉は執務室へと一目散に向かったのだ。

 

 

END

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