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悪い男

「柔軟性を持たせた計画?…いい加減な計画の間違いではないでしょうか。これが御社のおっしゃる努力の成果というのでしたら、無駄な努力と言わざるを得ませんね」
 克哉が口角を吊り上げて放った一言に、会議室の空気が凍りついた。
 数秒後にはクライアント先の社員が沸騰しだすはずだ。
 クライアント先とのキックオフミーティング、初回の打ち合わせ兼顔合わせとなる会議の最中だ。この光景を何度見ても、未だに冷や汗が背中を伝う。御堂は克哉の隣で平然とした顔を保ちつつも、突き刺さる視線の居心地の悪さに微かに身じろぎをした。

「佐伯。もう少しソフトなやり方はないのか?」
 ミーティングを終えて帰社後、デスクで資料を確認する克哉に近付くと、御堂は声をかけた。
「結果として上手くいったじゃないか」
 顔も向けず端的に克哉は返す。御堂はため息をついた。
 確かに、結果として上手くいった。先方の社員の反論を完膚なきまでに叩きのめし、自ら立案した完成度の高いプランを披露してみせたのだ。相手の社長はそんな克哉を勢いがあっていい、とむしろ好意的に受け止めてくれたし、他の社員も忌憚なき意見を戦わせて最終的には納得し克哉の案を受け容れた。敢えて相手を煽り、遠慮なく意見を斬り込んでいくのは克哉の常套手段だ。
 だが、このやり方は危ういと御堂は危惧していた。あまりにも強引な手段だ。挙句、克哉はこれを愉しんでいる節がある。
 ビジネスは決して実力主義で回っているわけではない。私情、特に負の感情が、時として全てを凌駕するほどの動機になる。
 若さと人目を引く容貌、そして、能力の高さ。妬みや羨望を引き起こす十分な素質を克哉は備えている。このままでは、その傲慢さにいつか足元を掬われるだろう。
 事実、かつての御堂も克哉に対して同様の感情を抱き、売り上げ目標の変更を要求したのだ。今となっては思い出したくもない出来事だが。
 御堂自身、相手の急所を突くような発言であっても遠慮する方ではなかったし、徹底的に議論を交わすことはむしろ好んで行ってきた。それでも、その時と場所について慎重に心砕いてきた。だからこそ、MGNで最年少で部長職に着くことが出来たといえる。
 だが、年若く、自分に絶対の自信を持っている克哉は、加減というものを分かろうとしない。それを教えるのは年長者である御堂の務めだろう。
 御堂はこちらを見ようともしない克哉に更に語りかけた。
「あんな派手な演出をする必要があったとは思えないな。無用な対立を生んだだけだ」
 克哉は資料をめくる手を止め、御堂の顔を見上げた。しばし、じっと御堂の顔に目を向ける。レンズの奥の感情の読めない眼差しを、御堂は逸らさずに受け止めた。
 少しして、ふう、と克哉は吐息を零し、御堂から顔を逸らした。そして、会議の資料から、出席者の席次表を取り出し御堂に渡した。
「なんだ?」
 克哉は席次表の一人の名前を指差した。
「この副主任の女、あんたに気がある」
「はあ?」
「あんたに名刺渡す時も色目を使っていたし、どう見ても好意があるようなしゃべり方をしていただろう。あんたもまんざらでもない顔して受け答えしていた」
「そんなの社交辞令だろう。良くあることじゃないか」
「良くあるだと…?」
 克哉が眉間にしわを寄せ、咎めるような視線を向けた。
 御堂にとってMGN時代から社の内外の女性に好意を寄せられることは往々にしてあることだったし、相手の気分を害さずにスマートに対処することは慣れている。今回も、取り立てて言うほどのことでもなかったし、実際、克哉に指摘されるまで意識に上がることもなかった。
 だが、それを率直に克哉に伝えると、余計に火に油を注ぎそうなので、口をつぐんでおく位の分別は弁えていた。
「あなたは無節操に色気を振りまきすぎるんだ」
「い、色気?これとさっきの会議はどう関係しているんだ?…それに、その女性には君の方が仲良くしていただろう」
 ミーティング後、その女性に話しかけられ親しげに会話をしていたのは克哉の方だった。むしろ、今となっては克哉を取り巻く女性の方が多い。特に、あの手の派手な立ちまわりをした後は尚更だ。
「あの女、あのまま放置するわけにはいかないからな。俺の方に気を持たせた。あれ位のパフォーマンスをした方が、女たちの気を惹きつけられる。容易いものだな。…ああ、もちろん、後は適当にあしらっておくから安心しろ」
 しれっと言ってのける克哉の言葉に耳を疑う。
 何を言っているんだろう、この男は。
 いや、同じ日本語で会話している以上、話している内容は理解できる。
 克哉の発言を解釈するなら、この男は女性にもてたいがためにあの会議を利用したのだ。しかも、そもそもの動機は女性の視線を御堂から逸らすためだという。
 そう、理解できないのはこの男の思考回路だ。開いた口が塞がらない。
 そんな御堂に構わず、克哉は更に別の名前を指差した。
「後、この男。こいつもあんたに気がある」
「は?……彼は男だぞ?」
「俺も、男だ」
 克哉にじろりと睨み付けられ、その視線の強さにたじろいだ。
 その男性社員は、物流の担当者で歳は御堂より少し若いくらいに見えた。その年齢で社の物流全般を任されているという事は、優秀な人材なのだろうし、実際、自信に溢れた態度で克哉に対しても挑戦的な眼差しを向けていた。
「彼は…確か輸送コストの件で君と激しくやりあっていたな」
「あんたの前で良い恰好をしたかったんだろう。だから俺に食って掛かってきた」
「まさか、考え過ぎだろう」
 流石にここまでくると、克哉は自意識過剰なのではないかと疑ってしまう。
 克哉は呆れたように首を振った。
「あの会議中、あんたは一体何を見ていたんだ」
「君こそ一体何をやっていたんだ」
「何って、あなたに余計な虫がつかないように、リスク因子の洗い出しとその対処ですよ。まあ、あの男も返り討ちにしてやりましたが」
 冗談とも本気ともつかない表情で言うと、くくっと克哉が喉で笑う。その眼に嗜虐の色が走った。
 確かにその男性社員は、ぐうの音も出ない、という言葉を地で行くように、克哉に完璧に叩きのめされていて同情を禁じえなかった。
 そうだ、これも克哉に注意しようと思った事柄の一つだ。あんな風にプライドを傷付けられて、克哉に対して反感を持たないはずがない。もっと別のやり方があるはずだ。
「つまり、君は私情のために、あの会議を引っ掻きまわしたのか」
「私情?見解の相違だな。わが社の円滑な業務遂行のために重要なことだ」
「佐伯、こんな愚にもつかないことはやめろ。まとまる話もまとまらなくなるだろうし、不要な恨みを買うだけだ」
「だが、結果として上手くいったじゃないか」
 振出しに戻った。
 仕方がないので、プランBに移行し、アプローチの方法を変えてみる。
 他の社員の眼が及ばぬことを良いことに、御堂は上体を屈めて顔を克哉にぐっと近づけた。声を深めて、その速度を落とし、耳元で囁きかけた。
「佐伯、私のパートナーは、君だけだ」
 克哉の眼が瞠かれ、その身体に緊張が走ったように見て取れた。その反応に気を良くし、一気に畳みかける。
「だからこそ、君が心配なんだ。他の者たちが君に良い感情を持つならまだしも、君が恨まれたり憎まれたりするのは嫌だ。だから、こんなことはやめてほしい。その男性社員も、きっと君を恨んでいるだろう?」
 克哉はいつになく神妙な面持ちで御堂の言葉を聞いているように思えた。
 だが、漸く話が通じた、と安心したのも束の間、御堂の方を振り向いた克哉はいつもの悪辣な笑みを浮かべていた。
「その点は心配いらない。会議後、フォローのメールを送っておいたし、あの男の意見も反映させたプランも用意した。次のミーティングではそいつを持ち上げておく。あの手の男は、一度叩き落とした後に優しく掬い上げれば、面白いほど俺に懐いてくるぞ」
 愉しげに言う克哉の言葉にゾッと背筋が寒くなる。彼が克哉に心酔する様子が容易に想像できた。
 克哉は人の心を操る術、悪く言えば弄ぶこと、に長けている。この男にとっては新興宗教の教祖こそ天職なのではないだろうか。
 敵に回すと恐ろしい男だとつくづく思う。
 御堂は諦め混じりのため息をついた。
「お前は、悪い男だな」
「俺にこんなことをさせるあなたの方が、悪い男だ」
「そんなこと頼んだ覚えはない」
「だから、余計に性質が悪い」
 克哉は唇の端に笑みを残しながら、鼻先が触れそうなくらい顔を寄せてきた。低い声で囁いてくる。
「それより、今、俺を煽った責任は取ってくれるんでしょう?」
「煽ってなどいない」
「嘘つきですね」
 挑発的な眼差しを向けてくる克哉に、御堂は周囲に素早く視線を走らせ、自ら克哉に唇を押し付けた。そして、克哉に主導権を握られる前に身体ごと唇を離し、克哉の手が伸びる前にデスクから離れた。残念そうなため息が背後から聞こえてきた。
 これは、御堂なりのリスクマネジメントだ。克哉に主導権を握られたら、キスだけでは済まないだろう。日中の明るいオフィスで今まで、何度ふしだらな行為に及ばれたことか。
 プランBは危険だ、そう心に刻んだ。

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