
Wonderful Tonight 2016
「うわあ、凄いですね」
ビルから出るなり、目に飛び込んできた光に藤田が感嘆の声を上げた。
藤田の後から一歩遅れてビルを出た御堂と克哉も、視界に飛び込む一面の光に目を細めた。
イルミネーションの眩いばかりの光が街路樹に巻き付いて、多くの人が行き交う通りを美しく装飾する。
暖色系ではなく、白と青のLED電球を100万個以上使って輝かせる様は、冬が訪れた街を色鮮やかに彩っていた。
趣向を凝らしたイルミネーションは、規模の差はあれど、いまや都内のあちらこちらで見られる冬の風物詩となっている。
クリスマスの週末ともあって、有名なイルミネーションスポットであるこの通りは大変な賑わいだ。
イルミネーションの光の色が切り替わるたびに、あちらこちらで歓声が上がる。
「そうか、今日はクリスマス・イブか」
流れる音楽もクリスマス仕様だ。今更ながらに気が付いて御堂は呟きつつ、ちらりと腕時計に視線を落とした。
「もう、こんな時間か。随分かかったな」
同じく腕時計を確認した克哉が藤田に声をかける。
「藤田、直帰していいぞ。社の方に行くなら、タクシーに同乗するか?」
「いや、このままメトロで帰ります」
「休日出勤させて済まなかったな」
「いいえ! 俺の仕事ですから!」
元気な声が返ってくる。
ビル内のイベントスペースで行う企画展示会、その会場設営のために克哉たち三人は、このビルを訪れていた。細々とした設営のトラブルがあり、日中に終わるはずだった業務は気付いたらすっかり日が落ちていた。
「それでは、お疲れ様でした!」
「お疲れ様」
「藤田」
御堂たちと別方向に向かおうとする藤田に挨拶をしたところで、克哉が藤田を呼び止めた。
「この道を通るなら、上を向いて歩けよ」
「上を?」
訝しむ藤田に、克哉はニヤリと笑いかけた。
「よりによって今日はイブだからな。前と横を見るな。目が潰れるぞ」
「え?」
前と横、自分を取り巻く人々はほぼ全て恋人同士だ。身体を寄せ合い囁きあう、仲睦まじいカップル姿が溢れかえっている。目に毒なほど。
「佐伯さん、酷いです!」
藤田は克哉の意味するところを悟って、ふくれっ面になった。
「佐伯、藤田に失礼だぞ」
「御堂さん!」
横から克哉を窘める声に、藤田が目を輝かせた。御堂がクスリと笑った。
「藤田だってこの歳まで独り身だったんだ。それくらいの処世術は身に着けている」
「二人とも……! 自分たちのことは棚に上げて!」
藤田への助け舟と見せかけて茶々を入れる御堂に、藤田は抗議の声を上げた。
御堂も佐伯も二人は藤田より年上だ。それでいて、独身ときている。
全くもって納得いかない、と藤田はますます顔を顰めてみせた。
三人で顔を見合わせて笑い合い、今度こそ挨拶を交わす。
足早に歩いて人混みの中に消えていく藤田の背中を見遣って、克哉は御堂に向き直った。
「ここは人が多すぎてタクシーが捕まらないな。大通りの方に出るか」
「佐伯、せっかくだから二人で歩いて帰らないか」
イルミネーションに背を向けて歩き出そうとする克哉を咄嗟に引き留めた。
12月に入ってから、年末年始に向けた追い込みで、文字通り休む間もなく働いていた。クリスマスだからといって例外ではない。現にイブの今日も、現場に出ている。このままだと年明けまでこの調子だろう。
クリスマスのことが頭になかったわけではない。だが、自分から言い出すもの期待しているようで気恥ずかしいし、なによりもAA社は立ち上げて1年と経っていない。そんな大事な時期にプライベートな行事を持ち出すのは憚られた。
頭の隅に追いやっていたクリスマスだが、こうしてクリスマスのお祝いムードを目の当たりにすると、自分も参加したくなる。ほんの少し、だけだが。
肩越しに振り返った克哉は御堂と背景のイルミネーションを見比べて、端正な笑みを口元に刷いた。
「そうですね。たまには歩きますか」
イルミネーションを真っすぐ突っ切って歩いていけば、社でもあり克哉の自宅でもあるビルまで徒歩で20分程度だ。
冷たく鋭いビル風は難敵だが、身体が冷え切る前には帰り着くことが出来るだろう。
しかし、二人で並んで歩きだしたものの、克哉は左右の並木を彩るイルミネーションを愉しむ風でもない。
速足で人混みを縫って歩く克哉を呼び止めた。
「佐伯、ここに寄ろう」
「このビルに?」
通り沿いの複合ビルに克哉を誘う。そのビルの中には高級文房具を専門に取り扱う店があった。
案の定、クリスマスともあって、普段より客の入りが多かったが、迷わず店内に入り、奥のショーケースへと向かう。遅れまいとついてくる克哉に目の前のショーケースを指した。
「プレゼント交換をしないか」
「プレゼント交換?」
「クリスマスプレゼントを用意する暇がなかったからな。万年筆を互いに選んで贈りあうのはどうだ?」
「万年筆を? ボールペンの方が実用性があると思うが」
プレゼント交換という単語よりも、万年筆という単語に克哉は引っ掛かりを感じたようだ。
「契約書のサインは万年筆の方が、風格が出る」
成程、と克哉は頷いて、ショーケースの中に飾られている万年筆に視線を落とした。
「それなら、同じものを選びましょうか」
「目立ちすぎるから駄目だ」
即座に却下する。
同じ万年筆を持っていたところで疑われることはないだろうが、御堂と克哉の関係はあからさまにするようなものではない。些細なことから勘ぐられるのは避けたい。
「気にしすぎな気がしますが、それもそうですね。俺は俺で選びますよ」
克哉は苦笑しつつ、御堂の横からショーケースを覗き込んだ。
万年筆には一家言持つ御堂が、それぞれのブランドの万年筆の特徴を事細かに説明していけば、黒服の店員は話しかけることなく一歩引いて御堂達を見守っている。
手作業で施された装飾のボディやゴールドの繊細なペン先を持つ万年筆は、芸術品のごとく美しく完成された筆記具であり、それに見合うだけの値段がついている。
限定品の瀟洒なデザインの万年筆から実用性に優れたものまで、数多くの万年筆が並ぶ中、御堂は早々と一本の万年筆を選んだ。
店員がショーケースの上に御堂が選んだ万年筆を取り出す。
光沢のあるアイボリーのビロードの生地の上に恭しく置かれたスイス製の万年筆は、無駄のない洗練されたボディでありながら、ペン先のディテールは手作業で研磨された凝った造りだ。美しさも性能も申し分ない。
振り返って、ふらふらと店内を見て回っていた克哉に呼びかける。
「佐伯、ペン先の好みはあるか?」
「ああ、その万年筆を選んだんですか」
克哉がひょいと顔を覗かせた。
「俺と一緒ですね」
「一緒?」
「俺もそれをあなたにプレゼントしようと思っていたんです」
思わぬ言葉を悪びれずに言い放つ克哉に疑いの眼差しを向けた。
「本当か?」
「本当です」
「それなら、君はこれにしろ。私は別のを選び直す。同じものはごめんだ」
自分で選ぶと言っておきながら、御堂に選択を丸投げしたようにしか思えない。眦をきつくして、レンズ越しの克哉の眸を睨みつけると、克哉は肩を竦めてみせた。
「御堂さん、わざわざ選び直す必要なんてありませんよ。俺たちは何もお揃いのものを持って、恋人同士であることをアピールする必要なんてない。だが、結果的にお揃いのものを持つことだってある。……例えば、プレゼント交換で選んだものが、たまたま同じだったときとか」
「たまたま?」
「ええ、偶然です。趣味が合いますね」
滑らかな声で上手く言いくるめられる。
騙されているような気がしないでもないが、克哉は御堂を置いたまま、店員と話を進めていく。
克哉のために選んだ万年筆は、自分が使いたいと思っていた一品でもある。だから、克哉のプレゼントとして選んだ。克哉がそれを見越して、御堂が選んだものを選んだとしたら、選択としては間違っていない。ただ、少々得心がいかないだけで。
まあ、たまにはお揃いのものを持つのも悪くない。
そう思い直すと、気分は高揚してくる。克哉に促されて、御堂もペン先のサイズを選び出した。
こうして同じ万年筆を互いに購入し、店を出たところで御堂は小さくため息を吐いた。
「結局プレゼント交換は出来なかったな」
「仕方ないさ」
取り違えないようにとお互いの名前の刻印をすることにしたのだが、その刻印に日数がかかるので、後日引き渡しになったのだ。
当てが外れたことに肩を落としてビルの外に出れば、克哉もさりげない所作で横に並ぶ。
目の前には多くのカップルが身を寄せ合い、幸せを湛えた表情で歩いている。
光も音も眩いくらいに満ち溢れ、特別な夜を盛り上げている。
歩いていると、二人の間を一陣の怜悧な風がびゅうと駆け抜けて、御堂は首を竦めた。
ちらりと視線を横に送れば、克哉の整った顔立ちが人形のように表情を消して歩いている。
場違いな場所に迷い込んだ男二人といった有様で、恋人同士には見えないだろうし、恋人同士に見せる勇気もない。
御堂と克哉の在り方は世間一般の恋人同士と大きく違う。始まりからそうだった。
克哉が言う通り、自分たち二人がお互いを分かっていればそれでいいのだ。
恋人同士だと見せつける意味はなく、周りに合わせてイベントを祝う必要はない。そんな、子供じみた見栄など軽蔑していたはずなのに。
一人浮かれていた自分が急に恥ずかしくなって、俯き加減になる。
克哉には自分の浅はかで浮ついた感情などとうに見抜かれているに違いない。その上で尚、御堂に付き合っているのだろう。
一年前までは、共に並んで歩く相手はいなかった。突然歪んでしまった日常の中で、孤独を身の内に抱えて過ごしてきた。
周囲から自分を切り離し、誰にも傷つけられないように、自分で自分を必死に守ってきた。
空を見上げれば、地上の明るさとは対照的に、星一つ見えない物寂しい夜空だ。
地上が眩い喧噪で賑わうほど、夜空はくすみ、誰にも見向きはされない。
かつての自分がそこにいた。そこが自分の在るべき場所だと思い込んだ。
だが、本当は、この場所に帰りたかった。
暖かな光に包まれ、他愛のないことで笑ったり泣いたりできる安心に満ちた居場所。
克哉と再会し、帰るべき路を見つけて帰ってきたはずだった。光溢れるこの世界へと。
それでも時折、この場に立つ自分が異質な存在のように感じ、不安になるのは何故だろう。
歩いていくと目の前にひと際大きなイルミネーションツリーが現れた。この界隈のイルミネーションの一番の目玉だ。頂に置かれた大きな星から枝に沿って、流れ落ちるように光が煌く。
避けて通り過ぎようとした矢先に、人の流れに巻き込まれて、ツリーの正面に押し込まれた。
人混みに潰されて、克哉との距離が自然と近くなる。
克哉が一歩後ろに足を退いて、押し合いへし合いの人の波を背でかばい、御堂のための空間を作った。
その時だった。
音楽が消えると同時に全てのイルミネーションの明かりが一斉に落ちて、静寂と闇が辺りを覆った。
不意に降りてきた都会の仮初の闇に、人々が息を詰める。
次の瞬間、ふわりと長い腕が背後から巻きついた。肩口に重みのある温もりが触れて、耳元を吐息が撫でる。
人混みの中で一体何を。
身体を固くして腕を振り払おうとした寸前、一面の歓声が上がった。周囲の興奮が最高潮にせり上がる。
音楽と共にツリーの星が七色に輝きだす。その一点から宝石を散りばめたような輝きが、煌きながら空を放射状に伝っては、周囲の木々に広がっていく。
温もりが背中から伝わってきた。
人々の目は頭上で舞い散って踊る華やかな光の繚乱に釘付けになっている。
再び光が明滅し、一面白い光に切り替わる。無数の光はまるで雪のように舞い落ちて、輝くホワイトクリスマスを演出し、歓声が上がった。
頭上を見上げる人々の塊が、御堂をぐいと背後に押した。
脚を踏ん張ろうとして思い直した。よろめいたふりをして身体の前に回された手に手を重ね、ぐっと背後の克哉にもたれかかる。首を捩じり、克哉に眼差しを合わせた。
「佐伯」
かすかな声で名前を呼べば、それに応じて気配が迫る。軽く目を閉じた。
ほんの一瞬、唇に克哉の熱が掠めた。それはごく自然な所作で、後ろに倒れかけた御堂を克哉が咄嗟に支えたように見えただろう。
「メリー・クリスマス」
吐息が触れ合う距離で克哉の唇が震えて、祝福の言葉を紡ぐ。御堂もまた、同じ言葉を同じ熱量で返した。
小さく瞼を上げて視線を交わらせれば、自分を見つめるレンズの奥の眸が綻んで優しく笑った。その柔らかな笑みに御堂も釣られて笑いあう。
僅かな間、身体を重ねていたが、克哉が支えていた御堂の身体をぐっと起こして、身体を放した。腕時計を一瞥する。
「御堂さん、そろそろ急ぎましょう。時間だ」
「急ぐ?」
「ディナーとホテルを予約してある」
「いつの間に」
驚いて聞き返した。そんな話は初耳だ。
「だって、クリスマスでしょう? 俺一人だけ浮かれているんじゃないかと、不安でしたよ」
悪戯っぽく笑って克哉が御堂の手を取った。人混みをかき分けて、車の行き交う大通りへと引っ張っていく。
振り返ればイルミネーションとビルの灯りが都会の闇を散らして、街の姿を輝かせる。
身体に突き刺す冬のビル風も、ちっとも気にならなかった。
何故なら、隣には温もりを分かち合う相手がいる。
ちゃんと帰る場所に辿り着いているのだ。克哉と共に。
天を見上げれば、見えないはずの無数の星が瞬いて、御堂達を祝福していた。
前を向けば、特別な夜が二人を歓迎して待っている。
心から微笑んで、触れ合う克哉の手をそっと握り返した。
――Merry X’mas, Katsuya and Takanori !!