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​宵闇の行方

 ヴヴヴ……、ヴ…ヴヴ……。

 体内を掻き回す器具の振動音が不規則になり、動きが途切れ途切れになる。それは逆に単調な動きを崩して淫猥な振動に変わり、薄らいでいた意識を引き戻させた。

 思い出したようにバイブが動いて、粘膜を抉る。バンドで戒められたペニスは射精を許されず、苦しそうにヒクついた。

 御堂は血の気の失せた唇を、口枷ごと噛みしめた。漏れ出そうな喘ぎ声を喉で殺す。

 克哉は会社に出勤しており、部屋の中には拘束されて繋がれた御堂一人だ。窓枠に両手を鎖でつながれ、床に裸の尻をついて両足を開いた状態で拘束されている。

 声を発しても誰かに聞かれることはないし、だからこそ助けを求めることさえできない。

 それでも、上擦った声を漏らせば、克哉に屈したような惨めな気持ちになる。だから、懸命に堪える。淫蕩に溶かされそうになる思考を、克哉への憎悪で無理やり抑え込む。

 もう少し耐えれば、バイブの電池が切れるはずだ。頭上に吊り上げられた両手を、爪が手のひらに食い込むほど握りこんだところで、バイブが動きと音を完全に止めた。

 身体に漲る緊張を解いて、息を深く吐いた。裸の身体に一枚だけ羽織らされたシャツにはじっとりと汗が滲んで肌に張り付き、不快さが嵩むが、これで少しは身体が楽になる。

 克哉が帰ってくるまでの間、苦しい体勢ではあるが僅かな休息をとることが出来るだろう。

 それにしても、あの男はいつまでこんなことを続ける気なのだろうか。

 克哉の目的も分からぬまま、御堂は自分の部屋に監禁されている。

 俺のところに堕ちてこい、そう克哉は言うが、それがいったい何を求めているのかも分からなかった。

 既に御堂は地位も矜持も生活も、何もかも克哉に奪われている。これ以上、何を克哉は御堂から奪おうとしているのだろう。

 カーテンの隙間から差し込んでいた光は微かなものとなり、部屋には宵闇が迫っている。

 克哉が帰宅するまで、あとどれ程の猶予が残されているのだろう、壁に掛けられた時計を確認しようと顔を上げて、御堂は驚きに呼吸を忘れた。

 目の前に、男が立っていた。

 暗闇が人の形をとったのかと錯覚するくらい、真っ黒なボルサリーノ帽子に、同じく黒のコート。帽子の下からは、濃い金色の長髪がうねり、薄暗い部屋で場違いに輝いている。零れた金髪の間から丸眼鏡の奥の金の眸を煌かせて、御堂を見下ろした。

 あまりにも場違いな存在に瞬きを忘れて見開いた目と、視線が重なる。

 男は、裸同然で玩具を体内に含まされた淫らな格好をしている御堂を目にしても、何の動揺も見せずににっこりと笑って帽子を取り、御堂に向かって深々と腰を折った。

 

「初めまして。御堂さん」

「……んっ!」

 

 お前は誰だ?

 どうやって入ってきた?

 何が目的だ?

 色んな疑問が一斉に頭に渦巻き、質問を浴びせかけようにも、克哉に咥えさせられた口枷がそれを阻んだ。

 敵なのか、味方なのか、それさえも分からない。

 御堂にこんな知り合いはいない。御堂の部屋に勝手に入ってきたということは、克哉の仲間なのだろうか。だとすれば、明らかに本人の意思に反して拘束されている御堂を目にしても、驚くこともなく助けようともしない態度に納得がいく。

 警戒と怒りに、眉根をきつく寄せて目の前の男を睨み付けた。

 だが、男はそれを気にする風もなく、御堂に向けた眼差しに笑いを含んだ。

 

「私はあなたに敵対するような存在ではありません。味方でもありませんが」

 

 落ち着いた声音で語り掛けられる。

 

「単なるメッセンジャーとでも思っていただければ」

 

――メッセンジャー?

 

「ええ。こんなところに繋がれて、さぞかし退屈しておいででしょう。そんな、あなたに、面白いものをお見せしましょう」

 

 心の中で復唱した言葉が聞こえたかのように男は頷いた。

 監禁されて日々嬲られて、精神は追い詰められている。ついに自分は幻覚を見るようになったのだろうか。

 男は笑みを保ったまま、言葉を続けた。

 

「あなたはこの先どうなるか不安を感じていらっしゃる。未来とは可能性です。あなたと佐伯さんが行き着く先の世界を二つほど、お教えしましょう」

 

――何を、言っている?

 

 突然現れて、突飛なことを言いだす怪しい男に思考が追いつかない。

 男は御堂の顔の正面に両手を翳した。親指と人差し指を直角に開き、左右の指を触れ合わせて四角を作る。男の指に切り取られた空間が輝きだして、スクリーンのように何かの映像を映し出した。

 それは、どこかの寝室の景色だった。ベッドサイドランプの柔らかな暖色の光が闇を仄かに照らす。

 画面の真ん中、ベッドの上に人影が見える。その輪郭を捉えようと、男の方に頭を突き出して、空間を覗き込んだ。

 その瞬間、視界が暗転した。

 仄暗い闇に包まれる。

 気付けば御堂は、男が映し出した部屋の壁際に立っていた。シャツ一枚羽織ったままの姿だが、拘束も口枷も外されていて、体内に含まされた玩具もない。

 何が起きたのか分からず、それでも、このまたとないチャンスに急いで逃げようと踵を返そうとした寸前、自分以外の人間の気配を感じ取って、緊張に身体が強張った。慌てて視界を凝らす。

 部屋の中央にはキングサイズのベッド。そこに裸の男が二人いた。

 その人物を同定し、驚きに息を詰めた。一人は佐伯克哉。そして、もう一人は、自分自身だ。裸の身体を重ねて、絡み合わせている。同じ部屋に突如として現れた御堂に気付く気配もない。

 先の男の言葉が蘇った。男の言葉通りなら、これは御堂の未来の光景なのだ。

 ということは、目の前にいるのは未来の自分だ。

 またもや克哉に無理強いをされているのかと、痛ましさに顔を背けようとしたが、ベッド上の自分が漏らした艶めいた吐息が、御堂の意識をベッドに戻した。

 

『どういう、ことだ……?』

 

 目の前の光景が信じられずに呆然と呟いた。

 唖然と立ち尽くす御堂を無視して、二人は互いの身体をまさぐりあう。

 克哉に身体を寄せる自分は何の拘束もされていない。鞭の痕も拘束具の痕もなく、白い肌を上気させて熱っぽい視線を克哉に注ぐ。

 御堂の手つきは相手を求めて愛撫するように肌の上を滑らせ、克哉の無駄なく浮き立つ筋肉を撫でる。克哉の手も御堂の身体の輪郭を辿り、胸の粒を摘まんで捏ねる。その度に御堂の喉が甘く鳴った。

 克哉に向ける御堂の表情は淫蕩に染まり、また、御堂に向ける克哉の双眸も欲情が滴っている。

 交わし合う眼差し、触れ合う身体は、相手への愛おしさが溢れているように見えた。

 あまりの衝撃に、思考が止まった。

 これが、御堂の未来だとでもいうのだろうか。

 激しい拒絶に吐き気が込み上げてくる。

 横たわる克哉の顔に跨る形で御堂が左膝をつき、右足の裏でベッドマットを踏みしめた。

 克哉が唇を緩ませて、御堂のペニスに顔を寄せた。大きな舌を出して忙しなく舐め始める。根元から先端まで。絡みつくように舌が往復する。克哉が口づけをするように御堂の性器に唇を押し当て、音を立ててペニスに塗した唾液を啜り舐め上げる

 

「く……、はぁっ、……っ」

 

 克哉が口を大きく開けて御堂を咥えた。「あ」と御堂が小さく声を上げて、腰を震わせた。微かな震えだったそれは、次第に大きな動きとなり、克哉の口内に自らの腰を突き入れる卑猥な腰遣いとなっていた。

 御堂が呼吸を乱し始めた。両手の指が克哉の髪に潜り、頭を固定する。

 克哉の目許が苦しそうに歪む。だが、それでも、克哉は御堂の良いようにさせたまま、口内の粘膜で御堂のペニスを扱く。

 御堂は快楽を貪るように、克哉に向かって自ら腰を振り出す。その動きが射精直前の小刻みなものになったとき、克哉が御堂の腰を掴んで、その動きを止めた。

 克哉は口の中から、脈動が分かるほど筋が浮き立った御堂のペニスを引き抜いた。

 

「んんっ、――ぁっ」

 

 絶頂を阻まれて、御堂が切なげな声を上げる。克哉がニヤリと笑いかけた。

 

「あんたは我慢がきかないからな。まだ、駄目だ」

 

 そう言って、御堂の腰を掴んで、自分の腰の上に移動させた。反り返った克哉のペニスを御堂の脚の狭間に押し当てる。克哉が腰を細かく上下させた。

 

「ふっ、……く」

 

 ゆるゆるとペニスを浅く抜き差ししているようだ。

 もどかしさに御堂が呻き、誘い込むように腰を揺らめかせる。だが、克哉が腰を下ろそうとする御堂を焦らすように手で留めた。

 我慢出来なくなった御堂が、眉根を切なく寄せて、真下の克哉に哀願する。

 

「佐、伯……ほしい、もっと」

 

 甘さを滲ませた声音で、懸命に克哉をねだる姿はゾッとするほど淫らだ。

 克哉が御堂を見上げた。レンズ越しの眸が悪戯っぽく微笑む。

 

「俺のが欲しいんですか?」

「早く……!」

 

 確認する声に御堂は何度も頷いて、先を急かす。御堂の腰を押さえていた克哉の手が緩む。御堂の身体が克哉の腰の上にずぶずぶと深く沈んだ。

 太い杭に貫かれて、御堂は背を大きくしならせた。

 

「くぅっ、はあ……ッ、ああっ!」

 

 御堂のペニスの先端から、白い粘液がどろりと溢れて克哉の腹部に滴り落ちた。

 克哉が腰を揺するたびにそれは止まらずに、糸を引いて垂れていく。

 絶頂に攫われ、四肢を突っ張らせいた御堂が、克哉の動きに合わせて腰を前後に振りたて始めた。

 

「っ、そこっ、あ、ああ……、もう、無理、だ」

「まだだ、もっと気持ちよくしてやる」

「か、つや……、ふ、もっと、あ――っ」

 

 克哉に突き上げられて、声と白濁を漏らし続ける。

 二人の身体の動きが激しく忙しないものとなり、下肢が深く密着する。

 ベッドの上の自身の浅ましい行為に目を疑った。

 先ほどから、御堂の行動は、克哉に強制されているものではない。自ら克哉を求めて、ねだっている。そして、克哉はそれに応えている。

 克哉が大きく腰を跳ねあげて動きを止め、呻くような低い声を漏らした。御堂が高い声で悲鳴を上げて、身体が崩れていく。その身体を、克哉が上体を起こして咄嗟に支えた。

 浮き上がった御堂の尻、そこから見える結合部から、流し込まれた克哉の大量の精液が溢れて、動くたびにぐちゅぐちゅと音を立てた。

 身体を繋げたまま、御堂は克哉の腕にぐったりと身体を任せる。

 一体何が起きているというのだろう。

 痺れるような寒気が頭の中に満ちてくる。こんな淫らではしたない自分が、克哉の言う堕ちた姿なのだろうか。

 

――こんなのは、まるで……。

 

 恋人同士ではないか。

 そう、思ってしまった自分を激しく嫌悪した。

 あの男とそんな関係になるはずがない。こんな風に克哉を貪る自分が自分であるはずがない。

 全身の肌がそそけ立ち、心臓が早鐘を打ち出す。

 考えられるとしたら、あの男に狂わされたのだ。

 克哉に屈するように、克哉の元に堕ちるように。延々と克哉に甚振られて、遂に自分は狂ったのだ。かつて御堂だった成れの果てが、今、視線の先にいる御堂だ。

 ずくり、と下腹部が疼いたように感じた。視線を落とせば、自身の性器が淫らな角度で勃ち上がっている。もう一人の自分が味わう淫靡な熱が伝わったのだ。

 ベッドでは激しい絶頂を迎えた二人が、脱力した身体を互いに寄りかからせている。ふたりの頭部のシルエットが深く重なり、唇が噛み合う。

 

『よせっ! やめろっ!』

 

 目の前の光景を、そして自分の身体の反応を否定しようと、目を固く瞑って耳を塞ぐ。それでも聞こえてくる濡れた音を消し去ろうと、大きく叫んだ。

 

 

 

 

 次の瞬間、御堂はまた別の場所にいた。いや、良く見知った場所だ。御堂の部屋のリビングに立っていた。

 視線の先には二人の人間がいる。だが、先の光景とは趣が大きく異なった。

 立っている人物と、その人物の前で車椅子に腰かけている人物。ふたりは窓に向かって外の景色を眺めているようだった。後ろ姿から、立っているのは克哉のようで、だとしたら、車椅子に腰を掛けているのは御堂だろうか。

 克哉が車椅子に腰を掛けている御堂に話しかけた。

 

「御堂さん、今夜は冷え込みそうですね」

 

 その声は今までに聞いたことがないほど、穏やかで落ち着いていた。

 しかし、御堂からの返事はなく、静寂に部屋が沈んでいる。

 季節は冬のようで、高い空から降り注ぐ透明な薄い陽射しが差し込んでいた。

 克哉の陰になってよく分からなかったが、御堂は窓の外に顔を向けたまま、克哉に対して何の反応もしようとしない。そして、克哉もそれを気にする風ではなかった。

 二人は黙ったまま窓の向こうの空を眺め続けた。日が翳り、薄暮の空が広がっていく。

 部屋に入り込んでくる茜色の光に乗せて、克哉の声が届いた。

 

「食事の用意をします」

 

 物言わぬ御堂に克哉は呟いて、車椅子を大きく引いた。ハンドルを操作し、向きを回転させて、部屋の中央へと車椅子を移動させる。

 克哉が部屋の隅に立つ御堂に顔を向けた。だが、視線は御堂を通り過ぎ、再び手元の車椅子に留められる。ここでもまた御堂は透明人間であるようだ。

 御堂は克哉の視線を辿り、車椅子に目を向けた。

 自分の真正面に向けられた車椅子。そこに座る人物を見て、御堂は背筋が凍り付いた。

 それは、まさしく御堂孝典の姿かたちをしていたが、決して、自分自身ではなかった。

 表情を失った青白い顔色、落ちくぼんだ眼窩に収まる昏い眸は、何も映していないガラス玉のようだ。

 上下ともしっかり部屋着を着込んで、膝の上には膝掛けがかけられていたが、手足の緊張はなく、四肢はだらりと緊張がなく垂れている。死体かと見紛うほどの生気のない姿だ。だが、よく見れば薄い胸が規則正しく上下して、呼吸をしていることが分かった。

 

――これは、誰だ?

 

 恐怖が足元に迫りくる。

 まるで、人形のような姿だ。目の前の自分には、意志というものが感じられない。魂が抜けて、身体だけ取り残されてしまったかのようだ。

 何故、こんな事態になったのか、因果が分からず深い混乱に囚われる。

 克哉が車椅子を移動させた弾みにガクンと身体が揺れた。車椅子の肘掛から、御堂の右手が外れて膝の上に落ちる。それに続いて、御堂にかけられていた膝掛けが床に滑り落ちた。

 気付いた克哉がすぐに動きを止めて、車椅子の前に回った。床に膝をついて膝掛けを拾い上げつつ、御堂を見上げた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 無機物のような御堂に、克哉が優しく声をかけた。だが、克哉の視線の先にいる自分は微動だにせず、瞬き一つすることはない。その眸はただ虚空を映すのみ。

 無視を貫く御堂に、それでも克哉は労わる仕草を見せた。

 先ほどのベッド上の克哉とも違って、我が子を慈しむような、それでいて痛みを堪えるような顔をしている。

 この男はこんな表情をすることもあるのか。

 思わず克哉の顔に魅入った。

 長く伸びた影が、克哉の顔に耐え難いほどの沈鬱の陰影を浮かび上がらせた。いたたまれずに、自然とその名を口にした。

 

『佐伯……』

「……御堂?」

 

 不意に、御堂の呟きが聞こえたかのように、克哉が息を止めた。

 夕陽の色が映り込んだ克哉の眸が、驚いたように瞬きを忘れて、正面を向いて動かない虚ろな顔を覗き込んだ。

 じっと数秒の間、御堂を窺い、そして、哀しく微笑んだ。

 

「まさかな……」

 

 慣れた手つきで膝掛けを御堂にかけ直し、肘掛から零れ落ちた手を元の位置に戻す。

 肘掛に置いた御堂の右手に、自分の左手を重ねたまま、克哉は右手で御堂の頬に優しく触れた。

 

「御堂さん、あなたは一体どこにいるんだ」

 

 切実な重みを持った声音に、二人から視線が外せなくなった。

 そっと自分の右手を握りしめた。克哉に重ねられた御堂の右手、暖かな温もりがこの自分の手に直に伝わってくるかのようだ。

 光を失った御堂の眸に、同じ高さで視線を重ねた克哉の顔が歪む。それは、泣き出す寸前の顔に見えた。

 

『私は、ここにいる!』

 

 克哉に向かって叫んでいた。だが、部屋を包む静けさは一筋も乱れることはない。

 静謐に包まれる部屋。空気の重さに押し潰されそうになる。肺の空気をあらん限りに絞り出して叫んだ。

 

『佐伯! “それ”は私ではない! 私はここだ!』

 

 克哉は叫ぶ御堂を一顧だにせず、動かぬ御堂を縋るように見詰め続ける。そこに、御堂がいると願い、そう信じこもうとしているようだ。

 あんな抜け殻のような自分が自分であるはずがない。

 克哉は何故そんなものを大切に扱おうとするのか、そして何故そうまで苦悩に満ちた表情をするのか、克哉のことが理解できない。

 ふたりきりの閉じ込められた世界、沈黙と共に夕闇が迫りくる。その闇は全ての色を失わせていく。

 

『佐伯っ!』

 

 無音の世界を切り裂くようにがなり立てた。だが、二人と御堂の間を阻む、強固な壁は揺らぐことはない。

 再び視界がブラックアウトした。一面の闇。全てが消え去る。

 

 

 

 

「いかがでしたか? あなたの未来は」

 

 かけられた声にハッと目を見開いた。

 御堂は、監禁された部屋に戻っていた。窓枠に繋がれ、拘束され、身体の中に動きを止めた淫具を含まされた状態で。

 御堂の正面には金髪の男が、出会ったそのままの姿で何事もなかったかのように涼やかな顔をして立っている。

 壁の時計を一瞥したが、時間は全く経過していなかった。部屋に少しずつ闇が忍び込んできている。室内の暗さに目を凝らして、男を見上げた。

 今さっき視たものは何だったのだろうか。この男はあれが御堂の未来だという。

 だが、どちらであるにしろ、到底受け入れがたい。

 男は御堂の頭に手を伸ばして、御堂の口枷を取り去った。痺れた顎を必死に動かして、男に向けて怒鳴った。

 

「あんなものが私の未来であるものか!」

「あなたが幻視した未来は、可能性のひとつに過ぎません。つまり、未来とは不定です。あなたの選択、そして、あの方の選択ひとつで、どちらにも成りうるでしょう……ですが」

 

 男がにっこりと微笑みかける。

 

「あの、佐伯さんと陸みあっていたあなたは、この上なく幸せそうだったではありませんか。あなたたち二人にはあんな未来が待っているのかと思うと、こんな囚われの身であっても胸が高鳴りませんか」

「黙れっ!!」

 

 言葉を強くして男の言葉を遮った。先ほどの自分の痴態が生々しく脳裏に蘇り、必死に頭を振ってその情景を拭い去る。

 克哉に洗脳されたかのような、克哉を求める淫らな自分の姿。克哉を殺したいほど憎む自分が、自らあんな痴態を晒すはずがない。

 あの未来の自分は幸せそうな顔をしていた。だが、そんな幸せなんて願い下げだ。

 決して許容なんて出来ない。あんな世界は狂気の沙汰だ。

 嫌悪に歪む御堂の顔を目にして、男は言葉を継いだ。

 

「それとも、もうひとつの未来を望まれる? 人形のようなあなたに甲斐甲斐しく尽くす悲哀に満ちたあの方もまた、心打たれる姿ではありませんか」

「黙れと言っている! どちらも私の未来なんかであるはずがないっ!!」

「さて、あなた方の選択の向こう側にある世界はどちらでしょうか……」

「妄言を吐くな! 消えろ! 貴様は幻だ!」

 

 男の声が粘ついて御堂に纏わりつくようだ。

 もうひとつの未来もまた、沈鬱が揺蕩う世界だった。

 打ちひしがれる克哉の姿は、何かの罰を受けているようだ。もっと苦しめばいいとさえ思うが、あの世界に、御堂はいない。どこにもいなかった。

 そして、どちらの未来を選んでも、そこには克哉が深く入り込んでいるのだ。

 御堂が望む未来は、克哉のいない未来だ。

 このまま克哉から永遠に逃れられないのだろうか。

 しかし、御堂が目にしたふたりの克哉。どちらの克哉も、御堂が知っている克哉ではなかった。御堂を愛おしみ、大切に触れていた。

 あれは本当に克哉なのだろうか?

 いや、違う。そんな訳がない。

 御堂を貶めることしか考えてない卑劣で残虐な男こそ、克哉の実の姿だ。

 だから、あの世界は虚であるはずだ。

 そうでないと、今、全てを振り絞って克哉に抗う自分が救われないではないか。

 胸の裡が絶望に浸食されていく。目の奥が熱くなり、眼球の表面を液体が濡らす。

 そんな御堂に向けて、男はからかう口調で付け足した。

 

「未来とは、“未だ来たらざる今”です。すなわち、未知である。……しかし、もし、それが定められたものだとしたら?」

「あんな未来、絶対に許すものか! 私は佐伯を決して認めない!」

「定められた未来、それを人は“運命”と呼びます」

「失せろっ! 私は運命なんて信じない」

 

 涙を流しながら狂ったように叫ぶ。鎖を振りほどこうと、激しく手足を振り回した。

 男が肩を震わせて笑いだした。哄笑が辺りに反響し、空間を震わせる。

 御堂の周囲を影が覆う。忍び込んだ夜が御堂の身体を舐める。

 闇が視界を染め上げていく。大きな悲鳴を上げた。

 男の笑い声だけが、残る。

 

 

 

 

「御堂! おい、御堂っ!」

 

 怒鳴り声と共に肩を揺さぶられて我に返った。顔を上げれば焦点の合いきらない位置に克哉の顔があり、御堂を覗き込んでいた。人工の照明の眩しさに、目を瞬かせる。

 あの男は消えて、克哉が目の前に立っていた。男に外された口枷は克哉の片手に握られている。

 あれは、幻覚だったのだろうか。

 だが、激しく暴れて拘束が食い込んだ痕が痛みを伴って御堂の四肢に残っていた。

 今しがたの記憶のように、二つの未来の情景が脳裏に鮮やかに再生される。

 背筋を這う怖気を振り払おうと、憎悪を燃やして克哉を睨み付けた。

 

「貴様なんかに従うものか!」

 

 声を荒げて吐き捨てた。克哉のレンズの奥の双眸がすっと眇められる。

 

「あんたの運命は俺が握っていることを忘れるな」

「あんなものが、運命なんかであるものか! 貴様がいる未来なんか真っ平ごめんだ!」

「なんだと?」

 

 苛立ちに克哉が声を荒げた。

 乱暴に両手首の拘束を掴まれて、それを軸に身体を返された。腰を引き寄せられる。

 克哉は御堂を犯す玩具をずるりと引き抜いた。

 

「くぅ、う、うあっ」

 

 ずるりと粘膜を捲られて引きずり出される感覚に呻く。克哉が片手で自身の前を手早く寛げる気配がした。アヌスの先端に固い亀頭が宛がわれる。

 必死に窄まりを閉じて侵入を拒もうとしたが、長時間淫具に犯された身体は言うことを利こうとしない。

 玩具とは違う、熱と脈動を持った凶器が、ギリギリと身体にめり込んでくる。抑えきれずに声を上げた。

 

「ぐっ、あ、あ……いっ」

 

 捻じ込まれて浮き上がりそうになる身体を、斟酌のない強さで腰を掴まれ押さえ込まれる。同時に、もう片方の手でペニスを掴まれた。拘束されたバンドごと竿を扱かれる。溢れた先走りがヌチュヌチュと音を立てた。

 

「痛いのが、気持ちいいんだろう?」

「ひ……っ!」

 

 濡れそぼった先端の切れ込みに、克哉の爪が突き立てられる。

 鋭い痛みが走り、視界に火花が散った。肉を打つ音が鳴り、克哉の腰の動きに合わせて、身体が激しく前後に揺さぶられる。

 ペニスを握る克哉の指が蠢き、ペニスを戒めるバンドをパチンと外した。深く穿たれ、内壁を乱暴に抉られる。

 

「や、だ……っ! んぁ、あ、あああっ!!」

 

 掠れた悲鳴を上げて、宙へと精液を放った。克哉は腰の動きを止めようとしない。次から次へ、床板に白濁がポタポタと垂れていく。

 涙が滲み、視界が歪む。

 御堂の奥を激しく突きながら、克哉は低い声で呟いた。

 

「俺のところに堕ちてくるんだ。あんたに逃げ場はない。これが運命だ」

 

 ぐっと奥歯を噛みしめる。

 幻視したひとつの未来。ベッドの上で克哉に抱かれる御堂の顔は、至悦に満ちていた。克哉に従えば、あんな未来が待っている。あれはひとつの幸福の形なのだろうか。

 今はどうだろう。自分の惨めさに新しい涙が溢れる。だが、克哉の元に堕ちた自分は、既に自分ではあり得ない。あんな幸せは虚構に過ぎない。

 苦しさと悔しさに、散り散りになりそうになる自分を掻き集めて言い放った。

 

「そんな、運命に屈するぐらいなら、舌を噛みきって死んだほうがマシだ!」

 

 激しい憤りに任せて口を大きく開けた。舌を出して噛み切ろうとした寸でのところで、前髪を掴まれ、後ろに強く引っ張られて喉を大きく反った。

 開ききった口に克哉の手が伸びて固いものを噛まされた。口枷だ。

 逃れようと首を振ったが、手際よく口枷を咥えさせられ、ベルトで固定される。口の端から涎が溢れ、顎を伝って滴り落ちた。

 

「んんっ……、ふっ!」

「あんたは俺に縋るしかないんだ。俺から逃げることなんてできない」

 

 克哉が律動を再開する。浅い呼吸を繰り返しながら、熱に浮かされた身体が克哉を食い締め、果てたはずの性器が、再び芯を持ち出す。

 御堂の精神を置き去りに肉体が狂っていく。暗鬱が胸に立ち込めた。

 この肉体を捨てられたらどれほどいいだろう。

 そう心から願って、唐突に気付いた。

 もうひとつの未来にいた自分、あれは御堂が捨てた空っぽの肉体なのだ。克哉を拒絶し続けた行き着く先があの世界なのだ。

 御堂の肉体は克哉に命運を委ねている。克哉が望んだ通りになったではないか。

 可笑しさが込み上げ、涙を流しながら喉で笑った。身体を笑いに震わせる。克哉が動きを止めた。

 

「何が可笑しい」

 

 きつい口調で詰問してくる。だが、克哉は御堂の口枷を外そうとしない。自死されるのを恐れているのだ。

 克哉に屈しても、拒絶し続けても、御堂が望む未来は存在しない。

 心は奈落の底に突き落とされながら、酩酊したように笑い続ける。克哉の憤りが嵩み、大きく舌打ちをした。

 獣めいた残酷さで、腰を掴まれる。力任せに貫かれた。身体が粉砕される恐怖に意識が白み、深い闇の中に引きずり込まれた。

 その闇の向こうにある世界はどちらなのか、考える間もなく意識が散った。

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