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​32歳エリート部長、魔法少女になりました☆
第八話 世界の中心で愛を叫んだ魔法少女

「こんなところでお一人で晩酌ですか?」

 

 夜の公園。唐突に呼びかけられた声に、佐伯はぬるくなった缶ビールから顔をあげた。そして、目を瞬かせた。

 目の前に立つのは異様な出で立ちの男だった。夜の闇を切り取ったかのような黒衣を纏い、艶やかな金色の長い髪を緩い三つ編みにして垂らしている。そして、髪の色と同じ、金の眸がひとつ、丸眼鏡のレンズの奥から佐伯を見つめていた。

 男は艶やかに微笑み、自らを「Mr.Rとお呼びください」と名乗った。佐伯は呆気にとられて缶ビールに付けていた口を半開きにしたまま、その男をまじまじと見返した。

 自分で自分の名前に「Mr.」と付けるのも変だし、そもそも存在自体が異様だ。

 こんな怪しげな男、相手にするべきでない、と本能が警鐘を鳴らすが、佐伯はMr.Rに話しかけられるままに返事をしていた。それくらい、思考力が鈍っていたのだ。自らに対する強い劣等感と無力感。何もかもが裏目に出てしまう運のなさ。

 そんな佐伯をMr.Rは慰め褒めそやし、言葉巧みに眼鏡を渡してきた。なぜ、眼鏡なのか。疑問には思ったが、鈍麻しきった思考は唆されるまま眼鏡をかけていた。そして、顔を上げた瞬間。世界が一変した。いや、変わったのは自分を取り巻く世界ではない。自分自身だ。

 

「わが王、お待ちしておりました」

 

 Mr.Rは佐伯の前に片膝をついて頭を下げた。

 くく……、と佐伯は肩を震わせて低く笑った。なぜこんなくだらないことに悩んでいたのか。先ほどまでの自分自身があまりに矮小で馬鹿馬鹿しく感じた。

 今の自分なら、何でもできる。なぜなら、選ばれし存在なのだ。

 これから何をすべきか、すべて分かっていた。

 何もない目の前の空間に手を伸ばした。そこに人差し指で何かをなぞる。途端に、空間に裂け目が出来て虚ろな闇が顔を覗かせた。

 佐伯はためらうことなくその闇へと腕を突っ込み、中から一振(ひとふり)の刀を取り出した。鬼畜の刀だ。

 佐伯はひゅんと刀を鋭く振るった。刀身にまとわりつく穢れを払うかのように。途端に佐伯を取り囲む闇が濃度を増した。

 

「行くぞ、R」

「御意」

 

 佐伯が夜の世界へと一歩を踏み出す。Rは頭を垂れたまま佐伯に付き従った。その口元に薄い笑みを湛えながら。

 

 

 

 

 薄い光がカーテンを透かして部屋に差し込んでくる。佐伯はうっすらと瞼を押し上げた。

 昔の夢を見た。

『俺』が『オレ』だった頃の。

 今とは比べものにならないほど、軟弱で脆かった自分。自らの過去とはいえ、忌々しさに吐き気が出てくる。

 その頃の自分の記憶は日に日に薄れてきている。佐伯は夢の余韻を振り払おうと頭を振ったが、胸には微かな痛みが残っていた。

 なぜ、あんな夢を見たのだろうか。

 佐伯はベッドのスプリングに手を突くと上体を起こした。あたりを見渡せば、見慣れぬ天井が視界に飛び込んできた。自分の部屋ではない広い寝室。佐伯の傍らで気配が動いた。隣で寝ていた男が目を覚まし、佐伯に寝ぼけまなこを向けた。

 

「ん……、もう朝か……?」

「まだ寝ていていいですよ、御堂さん」

 

 佐伯は意識して表情を緩め、御堂に微笑んだ。御堂は窓から差し込む朝の光に眩そうに目を細める。そして二、三度瞬きをして、くっきりとした切れ長な二重を佐伯に向けた。どうやら起きることにしたようだ。

 

「君はもう出るのか?」

「ええ、朝一で片づけたい仕事があって」

「営業は大変だな」

「あなたの商品を売るのは楽しいですよ」

「まあ、私が開発した商品だ。売れて当然だ。そもそも今回の商品はコンセプトがターゲットの顧客とマッチしていたからな」

 

 御堂は乱れた前髪をかき上げながら上体を起こした。佐伯より七歳上でありながら、佐伯に引けを取らない締まった身体には昨夜の情交の痕が色濃く残っていた。

 上掛けが辛うじて下半身を隠しているが、お互い裸だ。御堂は親会社の上司で、エリート気質の高慢で嫌味な男という印象しかなかったのに、こうして御堂の部屋の同じベッドで同衾するような関係になってしまうとは想像だにしなかった。

 御堂だってそうだ。毛嫌いしていた相手とふとした弾みでこうなってしまったのだ。激しく後悔していてもよさそうだが、そこはエリートビジネスマンならではの柔軟さを発揮したのか、元々そういう性格なのか、佐伯との行為や関係を愉しんでいる節がある。そして、佐伯はそんな御堂の誘いを断るどころか、むしろこうして日に日に関係を深めている。

 

 ――俺も大概だな。

 

 自分自身に呆れてしまう。そんな佐伯の心の内を知ってか知らずか、御堂は朝から自分の開発した商品自慢に始まり、プロフェッショナルな仕事論へとご高説はとどまるところを知らない。昨夜あれほど激しかったのに、御堂は朝から調子も機嫌もよさそうだった。

 

「……佐伯、営業なら当然、いまいちな商品だって扱うことはあるだろう。だが、一度引き受けた仕事は必ずやり遂げろ。当然、求められた以上の成果を出してだ」

「もちろんです」

「常に最高のパフォーマンスを出すには……」

 

 適当に相槌を打ちつつ、眼鏡のブリッジを押し上げようとして、眼鏡をかけてないことに気が付いた。

 だから、あんな過去の夢を見てしまったのか。

 昨夜、慌ただしく行為になだれ込んだせいでベッドの下には二人の衣類が乱雑に散らばっている。

 

 ――眼鏡はどこだ?

 

 佐伯は素早く周囲に視線を走らせた。寝る直前に眼鏡を外した記憶がある。そして、どこに置いたのだろうか。

 佐伯のほんのわずかな仕草を御堂は察したようで、御堂はとうとうと語っていた言葉を切ると、首をひねって、言った。

 

「ここにあるぞ」

 

 御堂の手が枕の狭間に落ちていた佐伯の眼鏡に伸びる。指先が眼鏡のフレームに触れようとした寸前、佐伯は鋭く叫んだ。

 

「触るな!」

 

 険のある声に御堂がハッと動きを止めた。佐伯はさっと手を伸ばして御堂の手が届くより先に眼鏡をつかみ取った。そして一言、御堂に詫びる。

 

「すまない。大切なものなんだ」

「それは……悪かった」

「いや……」

 

 たかだか眼鏡だ。それなのに厳しく咎められて御堂の顔は明らかに戸惑っていた。

 佐伯は気まずさに目を微かに伏せながら眼鏡をかけた。途端に思考の曇りが消え去り、気分も晴れやかになる。ふ、と小さく笑った。御堂が怪訝な顔をする。

 

「なんだ?」

「いいや、何でもない」

 

 滑るようにしてベッドから降りて立ち上がった。そんな佐伯の背中に御堂が声をかけた。

 

「ああ、そうだ。君をわが社に引き抜きたいという話が出ている」

「俺を?」

 

 驚いて肩越しに振り返る。御堂がコホンと咳払いをした。

 

「言っておくが、言い出したのは私ではないからな。大隈専務が君の働きぶりを高く評価している。早ければ来期にでもわが社にということだ」

「分かっていますよ。あなたは仕事に私情を持ち込むような人ではない」

「それならいい」

 

 御堂は満足げな顔をする。御堂からしたら情に絆(ほだ)されて佐伯の昇進を後押ししたと思われるのは心外なのだ。立場を利用して下の人間へ嫌がらせはしても、自分の仕事の益、不利益は冷徹に判断し、私情を挟まない。それが彼なりのプロフェッショナリズムなのだろう。

 

「なんだ、うれしくないのか?」

「いいや、突然の話でびっくりしただけです」

 

 御堂が佐伯の微妙な表情を見咎めたのを、咄嗟に言い繕う。

 子会社のキクチから親会社のMGN社へ。傍から見れば大抜擢なのだろうが、佐伯にはなんの感慨も湧かなかった。

 完全な仕事人間の御堂と違って、佐伯にとって仕事は単なる遊びだ。それも簡単すぎてつまらないゲームのようなもので、そろそろ飽きてきたところだった。だが、御堂となら、もう少しこの遊びを続けてもいいかもしれない。御堂に向けて微笑んだ。

 

「正式にその話が出たら、ありがたく承りますよ」

「ふん。私の直属の部下になったらこき使ってやる。せいぜい頑張りたまえ」

 

 そう答えると御堂は興味を失ったようにそっぽを向いた。本心は喜んでいるのだろうが、そうと佐伯に悟られたくないのだろう。そんなところがこの男の可愛らしい一面なのだが、それを口にすれば御堂が烈火のごとく怒るのは目に見えている。佐伯は笑いをかみ殺しながら、バスルームへと向かった。

 

 

 

 

 MGN社の執務室、デスクからは絶え間ないタイピング音が響いていた。ディスプレイに展開した資料をくまなくチェックする御堂の表情は、堂々たるエリートビジネスマンの有能さと気迫を感じさせる。

 今の御堂は心身ともに最高潮で、かつてないほどに魔力が漲っている。きっかけは怪人と化した本多と闘ったことだった。

 御堂は明らかに変わった。

 これが成長というものなのだろうか。

 鬼畜妖精は御堂をまばゆく見つめた。

 人間はこんな風に急激な成長を遂げることがあるという。鬼畜妖精からしたら人間は欠点だらけの不完全な存在だ。それでも、窮地からの閃(ひらめき)が、何かを成し遂げようとする強い想いが、その人間に覚醒と呼べるほどの鮮やかな変化をもたらすのだ。

 

『……だから、私は人間が好きなのですよ。脆く狡猾で生き汚い存在でありながらも、我々が決して手にすることのない可能性を秘めている』

 

 この人間界に来る前、鬼畜妖精にそう語り聞かせた存在を思い出した。

 自分たちは最初から最後まで完全な存在として形造(かたちづく)られている。しかし、それはすなわち完全であるがうえ、衰えることもなければ、成長することもないのだ。

 不完全な存在としての人間、それのどこが良いのかさっぱり分からなかった鬼畜妖精だが、今は不完全ゆえの強さを理解しつつある。

 暇を持て余していた鬼畜妖精は、御堂の手が止まった隙を見計らって話しかけた。

 

「最近の旦那、絶好調でやんすね」

「……ちょうど良い魔力の供給源も見つかったからな」

 

 御堂はちらりと鬼畜妖精に視線を向けて返事をすると、何事もなかったかのようにキーボードを叩きだす。

 

「それは良かったでやんす」

 

 あっという間に会話が途切れたことを残念に思いながらも、鬼畜妖精は深追いするのを控えた。鬼畜妖精としては、御堂が四の五の文句を言わずに怪人退治をしてくれるのが何よりありがたい。

 怪人は途切れることなく出現し続けていた。だが、御堂も慣れたもので、変身して一瞬で怪人を片付けている。常に魔力が満タン状態なのだ。まさしく覚醒した、と言っても過言でないほど、今の御堂の魔力は際立っていた。

 常に御堂の魔力は満タン状態だ。それもそのはず、御堂にコンスタントに魔力を供給する相手がいるのだ。それが、御堂の天敵でもあった部下の佐伯だというのはどのような運命のいたずらなのだろうか。

 ワーカーホリックを地でいく御堂だが、ここ最近は仕事を早く切り上げては佐伯と過ごす時間を捻出している。そのため、いつもの倍速の勢いで猛烈に仕事をこなしているのだ。

 こうまで御堂に魔力を搾り取られて佐伯は平気なのか心配になるが、佐伯は相変わらず辣腕営業マンとして仕事をこなしていると聞く。となると、潜在的に魔力に溢れる人間なのだろう。そんな人間が存在していること自体驚きだが。

 手持ち無沙汰な鬼畜妖精がそんなことを考えていると、不意に御堂が動きを止めた。そして、鬼畜妖精に顔を向けて呟いた。

 

「それにしても、今までと傾向が違う気がする」

「何がでやんすか?」

「怪人が雑魚ばかりだ。あの鬼畜王も出てくる気配がない」

「確かに、言われてみればそうでやんすね」

 

 鬼畜妖精も首をひねった。

 御堂が指摘した通り、怪人は出現するものの、大した能力も持たない雑魚タイプの怪人ばかりだ。今の御堂の敵ではないし、戦闘の度に鬼畜王の出現に警戒しているものの、鬼畜王は気配すら掴むことが出来ない。

 

「嵐の前の静けさ……、でなければ良いが」

 

 御堂が眉間にしわを寄せる。そして、視線を鬼畜妖精の向こう、窓の外へと向けた。窓の外はどんよりとした重い雲が垂れこめている。虹彩まで塗りつぶされた黒一色の眸の色が、さらなる深みを増した。見えない何かを見透かそうとしているかのようだ。

 御堂の身体に充溢する魔力はこの世界の変化を敏感に感じ取っているのかもしれない。

 鬼畜妖精もまた、底知れぬ予感を感じてぶるりと身体を震わせた。

 

 

 

 

「そろそろ帰るか」

 

 御堂はパソコン画面の時計表示を見てつぶやいた。退社時間はとうに過ぎている。スマホを取り出してメールを確認するが佐伯からの連絡はない。今日は遠方の小売店も回ると言っていたから、まだ仕事が終わっていないのかもしれない。

 仕事が終わったら連絡をくれるよう佐伯にメールを送ると、パソコンをシャットダウンした。今日は佐伯と会えるだろうか、そんなことを考えながら帰り支度をする。

 その時だった。鬼畜妖精のスマホが着信を告げた。

 

「また怪人か」

 

 御堂の仕事が終わるのを見計らったかのようなタイミングに、うんざりとした顔を鬼畜妖精に向けた。だが、鬼畜妖精はスマホの画面を凝視したまま固まっていた。

 

「どうした?」

 

 声をかけると弾かれたように鬼畜妖精が顔を上げた。御堂を見て慌てたように言う。

 

「旦那、怪人が出たでやんす! 場所はこの近くの公園でやんす」

「またあの公園か。あそこ、怪人の頻出スポットだな。お祓いしてもらった方が良いのではないか?」

「お祓いくらいで怪人がいなくなるなら、エネマキュアは要らないでやんすよ」

「私からしたら、魔法少女が怪人を倒していること自体が荒唐無稽だが」

「今回もさっさとやっつけちゃいましょう、旦那!」

「仕方ない」

 

 ちょうど帰る準備をしていたところだ。帰るついでに怪人を片付けておけばいい。

 御堂はカバンを持って執務室を出ると、エレベーターでビルの裏口へと回った。この時間、正面エントランスは閉鎖されている。薄暗いビルの廊下を歩きながら、周囲に人気(ひとけ)がないことを確認しつつ、傍らで飛んでいる鬼畜妖精に小声で問うた。

 

「で、今回は誰が怪人になったんだ?」

「えっと、それは……」

 

 珍しく鬼畜妖精が言いよどんだ。自らのスマホを確認する様子もない。先ほどからいつもとは違う鬼畜妖精の様子に違和感を覚えたが、御堂が何かを言いかける前に鬼畜妖精が声を上げた。

 

「百聞は一見に如かずでやんすよ、早く行きましょう、旦那!」

「それはそうだが……」

 

 鬼畜妖精に促されるまま、御堂はビルを出ると暗い公園へと歩みを向けた。ビジネス街の真ん中にありながら、夜になれば人の気配は全くなく、静寂に包まれている。暗い雲が夜空を覆い、普段よりも濃い闇が公園を覆っていた。疎らに配置された街灯が心もとない灯りをともしている。

 

「もうすぐでやんすよ」

 

 そう言われて、御堂はジャケットのポケットからエネマグラ型魔法スティックを取り出した。そして叫ぶ。

 

「エネマキュア!」

 

 夜を昼に塗り替えるような光がさく裂し、光が薄れると、スーツ姿の御堂は魔法少女エネマキュアに変身していた。

 さっさと怪人を退治してしまおう。

 魔法スティックを握って公園の奥へと向かうと、目当ての怪人はすぐに見つかった。

 街灯の真下に突っ立って、まるで約束した待ち人を見つけたかのように御堂たちを見つけると、顔を向けて嫣然とほほ笑んだ。

 御堂は鬼畜妖精へと尋ねる。

 

「あれが、怪人か?」

「まあ、そうでやんすね」

 

 相変わらず鬼畜妖精はどこか歯切れが悪かった。

 御堂の前に立つのは長身の男だった。黒いコートに身を包み、夜なのにボルサリーノ帽を被る男は、優美な仕草で帽子を取った。輝くような美しく長い金髪があらわになり、御堂は目を瞠った。男はゆるりと帽子を胸に当てると御堂に頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります、Mr.エネマキュア」

「誰だ?」

「私のことはMr.Rとでもお呼びください」

 

 レンズの奥の眸も髪とおなじ金色で、御堂ににっこりと笑いかける。今まで相対した怪人とは全く違う雰囲気に、御堂は傍らで飛ぶ鬼畜妖精に黒目を向けた。

 

「随分と変わった感じの怪人だな」

「旦那、だます真似をして申し訳ないでやんす。実は、あちらは怪人ではなくてR様でやんす」

「R様?」

「あっしのご主人様でやんす。御堂の旦那をここまで連れてくるように言われたでやんす」

「はあ?」

 

 鬼畜妖精が何を言ったのか理解できず、胡乱な眼差しを鬼畜妖精とMr.Rと名乗る男に行き来させる。Mr.Rが鬼畜妖精へと顔を向けた。

 

「鬼畜妖精、今までご苦労でした」

「R様~!」

 

 Mr.Rにそう声をかけられた途端、鬼畜妖精は満面の笑みを浮かべてパタパタとMr.Rの元へと飛んでいこうとした。目の前を横切るその身体をさっと捕まえた。

 

「は、離すでやんす!」

 

 御堂の手から抜け出ようとじたばたもがく鬼畜妖精に問いただした。

 

「どういうことだ?」

「だから、あちらがあっしのご主人様のR様でやんす」

「ご主人様だと?」

「どうも、私の使い魔がお世話になっております」

 

 二人の会話にMr.Rが割って入る。御堂はMr.Rへと顔を向けた。

 

「使い魔?」

「至らぬところも多かったとは思いますが、何分、人間界に出るのは初めて故、ご容赦いただきたく存じます」

「R様、大変だったでやんすよ~」

 

 鬼畜妖精が哀れっぽい声を出した。掴んだ鬼畜妖精を自分の顔の前に近づけ、睨みつけた。

 

「つまり……あの男の命令でお前は私のところにいたというわけか?」

「そうでやんすよ! R様の命令があったからこそ、横暴な旦那のいじめにもめげずに頑張ってサポートをしたでやんすよ」

「失礼な! だれが横暴だ!」

 

 そもそも、鬼畜妖精さえ現れなければ御堂は魔法少女になることもなかったのだ。そこまで考えてはたと思い当たった。顔を上げてMr.Rに剣呑な視線を向ける。

 

「……ということは、貴様がこの魔法少女の考案者というわけか!」

「ご明察」

 

 あっさりと頷かれて御堂は眉尻を吊り上げた。

 

「ということは、この衣装も必殺技もすべて貴様が考えたことか!」

「やはり、鬼畜王と相対する存在ですからね。こちらの世界で学んだカワイイをいっぱい詰め込んでみましたが、いかがでしょうか?」

 

 平然とした様子でMr.Rは答える。

 

「いかがでしょうか、だと?」

 

 一体全体どういう思考回路をしているのか、眩暈がしてくる。唸るように言った。

 

「ターゲットとコンセプトがまったくかみ合っていない。何もかも間違っている!」

「おや、そうでしょうか。よくお似合いですが」

「貴様、視界も思考も歪んでいるのではないか?」

 

 積もる苦情ならいくらでも言えたが、このとらえどころがない男とは話すだけ無駄のようだ。

 御堂は気持ちを切り替える。鬼畜妖精がこの男に回収されたということは、もう魔法少女も用済みだということだ。やっと魔法少女から解放される。そう思うと、晴れ晴れとした気分になってくる。

 

「だがまあ、これで私の役目も終わりというわけか。さっさとこいつと魔法スティックを持って帰ってくれ」

「扱いが雑でやんす!」

 

 鬼畜妖精をぽいっと放った。鬼畜妖精は御堂をキッと睨みつけながらも、二度と捕まらないように慌ててMr.Rの元へと飛んでいく。Mr.Rは口元に薄い笑みを浮かべながら言った。

 

「いいえ、あなたの役目はまだ終わっていません」

「何?」

「あなたは、鬼畜王と闘い、そして敗れるという大切な役割があるのです」

「鬼畜王だと? 魔法少女が貴様の創作なら、どうせ鬼畜王も貴様のくだらん創作だろう。馬鹿馬鹿しい。そんな茶番に付き合っている暇などない」

 

 魔法スティックをその場に投げ捨てた。変身を解こうと集中する。だが、魔法少女の変身は解けなかった。

 

「どういうことだ? なぜ戻らない?」

「だからあなたには果たさなければならない務めがあるのです」

 

 焦る御堂を前に、Mr.Rが笑みを深めた。

 

「あなたに教えてあげましょう。本物のクラブRというものを」

 

 人差し指を立てて、Mr.Rは金の眸を眇めた。Mr.Rの足元、そこが波打つ。その波がみるみるうちに広がり、公園のアスファルトを異界へと塗り替えていった。Mr.RはクラブRを召喚する呪文を唱えることなどしなかった。だが、そこはもはやクラブRの領域で、御堂はその中に囚われていた。

 

 

 

 

「ようこそ、クラブRへ」

 

 Mr.Rの声が響き、ざわめきが御堂を取り囲む。あたりを見渡せば、御堂はステージの上に立っていた。真上からはスポットライトが御堂を照らしている。そして、御堂の前には観客席のような薄暗い空間が広がり、どうやらそこには多くの人間がひしめき、ステージに立つ御堂へと熱っぽい視線を向けているのが分かった。

 見世物にされているような不快感に御堂は一歩足を退いた。だが、身体が固まったように動かなかった。背後から革手袋に包まれた手が伸びて御堂の下腹からへそ、そして胸の間と身体の中心をなぞっていく。Mr.Rだ。御堂の耳朶を舐めるように口を寄せて囁く。

 

「欲情を煽り立てる美しい身体ですね」

「――ッ」

 

 ――やめろっ!

 

 嫌悪感に叫んだつもりだった。しかし、開いた口からは何の声も出なかった。Mr.Rの手が御堂の首を掴んでいた。冷たい革の感触、そこから身体の芯を凍えさせるような冷気が沁みこんでくる。Mr.Rが「ふふ……」と笑った。

 

「あなたに呪いをかけました。お分かりの通り、声が出せない呪いです。ですが、甘美な悲鳴が聞けないのは残念ですから、意味をなさない声だけは出せるようにしてあげましょう」

「――ぁッ」

 

 御堂は抗議の声を上げようとした。しかし、いくら叫ぼうにも喉からは掠れきった空気しか出ない。

 Mr.Rはゆったりと笑った。

 

「まるで、あなたたちの世界のおとぎ話にある人魚姫のようですね。人魚姫は声を奪われる代わりに、二本の足を手に入れた。私はあなたの声を奪う代わりに、真実を見抜く眸を与えましょう」

 

 Mr.Rの革に包まれた指が御堂の首を離れ、瞼の上から眼球を順になぞった。眼球を針で刺されるような鋭い痛みが走る。

 

「くあっ!」

 

 革の感触が離れると同時に目を開いた。だが、目にする景色は何も変わりがない。御堂はクラブRと呼ばれる空間のステージに立たされたままだ。だが、薄暗い観客、そこに存在する人間たちの顔ははっきりと識別できる。すべて男たちだ。そして、その客の中に、上司に同僚、見知った顔が多くある。

 

「ご存じの通り、人魚姫は王子の愛を手に入れることが出来なければ、海の泡(あぶく)と化す宿命でした。さて、あなたはどうでしょうか?」

「ぐ……っ」

 

 Mr.Rが何を言っているのか分からないが、目いっぱいの殺気を込めて睨みつけた。だが、Mr.Rは涼しい顔をしたまま、御堂に告げる。

 

「さあ、物語のもう一人の主役が来るまで、彼らの相手でもしてもらいましょうか」

「ッ!!」

 

 拒絶に首を必死に振った。こんな見世物として、それも知っている人間に犯されるなんて真っ平ごめんだ。観客の男たちが御堂に好色な目を向けている。何人かの男が席から立ち上がり、御堂たちのいるステージへと向かってきた。

 

「ここ、クラブRは私たちの世界とあなたたちの世界の狭間に存在する空間。人間たちの欲望がクラブRを作り上げる。このクラブRに君臨する方こそ鬼畜王なのです」

 

 Mr.Rはくすくすと笑った。そして、宣言する。

 

「さあ、ショーの開幕です」

 

 

 

 

「くぁっ、ぁああっ」

 

 じゃらりと鎖の音が鳴って、御堂の身体が揺れる。

 背後から御堂を貫く男が腰を打ち付けるたびに御堂の身体は不安定に揺れた。御堂は両手を背後で括られ、鎖で天井から吊り下げられている。

 

「ふぁあっ、はうっ、あああっ」

 

 よせっ、やめろ、そう叫びたいのに、御堂の口から紡がれるのは苦痛とも快楽のものともとれる悲鳴ばかりだ。

 魔法少女の衣装は無惨に引き裂かれ、白く透けるような肌とその下の無駄のない筋肉が露になっている。

 

「どうだ、気持ちいだろう? 俺のイチモツは」

「じゃあ、俺はこっちの口を使うぜ」

 

 もう一人の男が御堂の喘ぐ口にいきり立ったペニスをねじ込んできた。

 御堂が悲鳴を上げるたびに、男たちは下卑た笑い声を上げながら腰を叩きこんでくる。

 己の性欲を遂げるためだけの容赦ない抽送。御堂の引き締まった身体は男たちに挟まれて不安定に揺れ続ける。それでも、男のペニスが御堂の中を擦り上げるたびに御堂の身体は着実に快楽を生み出し、御堂を激しく翻弄した。

 

「中がきゅうきゅう締まって、搾り取ろうとしてくるぜ」

「本当に好きものだな」

 

 御堂の口にペニスを突っ込んでいた男が手を伸ばして、尖りきった乳首を探り当てた。そこをきつくつねり上げると御堂は苦痛に背筋をのけ反らせた。それでも、乳首を摘まむ指の力が弱まると痛みは心地よい疼きとなって御堂の身体を燃え立たせるのだ。

 犯され続けて時間の感覚はなくなってきている。御堂を犯した男たちの中には見知っている者たちもいた。だが、誰も魔法少女の姿をした男が御堂だと気づくこともない。ただ獣欲をむき出しにして御堂を凌辱する。

 身体を拘束されて犯される苦痛はいつの間にか快楽へと反転していた。身体の感度はどこまでも高められて、エネマキュアの身体は貪欲に魔力を取り込んでいる。それでも、声が出せないせいで必殺技を使うことも出来ず、一方的に犯しつくされているだけだ。

 

 ――必殺技さえ使えれば、こんな奴ら一網打尽にできるのに……っ!

 

 ずりゅっと尻を犯していたペニスが引き抜かれて、新しいペニスが押し入ってくる。数えきれないほど精液を注ぎ込まれたアヌスが恥ずかしい音を鳴らして白濁を弾け飛ばした。

 その感触に身震いしていると、次は喉の奥に粘液を注ぎ込まれる。青臭い精臭が口いっぱいに広がった。

 

「ん、かはぁっ」

 

 口からペニスが引き抜かれた瞬間に、噎せるようにして精液を吐き出した。身体の中も外も精液に汚されている。嫌悪しかないはずなのに、肌は熱く燃え立ち、御堂の身体は更なる凌辱を待ち望んでいた。

 ぐい、と髪の毛を掴まれて顔を上げさせられた。また別の男かと思いきや、Mr.Rだった。金の眸が御堂の顔を覗き込み、にこりと笑う。

 

「……ッ」

「随分と愉しんでいただけているようですね。さあ、前座はこれくらいにして、お待ちかねの方の登場ですよ」

 

 手を拘束していた鎖が巻き上がり、両手を頭上に吊り上げられる。視界が広がり、数多の観客が視界に飛び込んできた。多くの男たちに犯され、それをもっと多くの男たちに鑑賞されていたことを改めて思い知らされる。

 恥辱に唇を噛みしめていると、カツン、カツン、と乾いた足音がステージの袖から響いた。それは、まっすぐに御堂たちの方に向かってきていた。

 視界の端に現れた男。そこに、覚束ない視線を向けた。次の瞬間、御堂の瞳孔は開ききった。

 

「ッ!」

 

 そこに立っているのは紛れもない佐伯だった。普段見るスーツ姿とは違い、黒いマントをはためかせ、その下に纏う衣服も黒一色だ。それはまさしく、御堂の記憶にある鬼畜王の姿と一致していながらも、銀のフレームの眼鏡をかけるその顔は今朝まで一緒にいたはずの佐伯だった。

 Mr.Rが恭しく頭を下げる。

 

「わが王、お待ちしておりました」

 

 ――まさか、佐伯が鬼畜王なのか……?

 

 鬼畜王と二度遭遇している。だが、お互い魔力で正体を隠していたせいで顔は判別できなかった。それが、Mr.Rによって与えられた呪いによるものか、今の御堂は、鬼畜王の正体を見抜いてしまった。

思い返せばすべてが符合していく。なぜ、鬼畜王に致命傷を負わされて逃げた先で佐伯と出会ったのか。なぜ、怪人の多くが御堂の周りから発生したのか。なぜ、御堂に大量の魔力を供給しても平気だったのか。

 それでも自分が見ているものを信じられなくて、穴が開くほどに佐伯の顔を凝視してしまう。一方で佐伯はエネマキュアが御堂であると分からないのか、ちらりと御堂を見るとすぐにMr.Rへと視線を移した。

 

「Mr.R、エネマキュアを捕らえたのか」

「ええ、この通り」

「うぅ……」

 

 男たちに凌辱されつくした身体、それを佐伯に晒されて、悔しさと恥ずかしさに死にたくなる。だが、佐伯は目の前の無惨な姿となった魔法少女が御堂だとまるで気付いてないようだ。ただただ体温を乗せない冷たい視線を投げかけてくるだけだ。

 佐伯が腰に差していた刀の柄に手をかけた。このまま切り捨てようとでもするのだろうか。恐怖に身を強張らせたが、Mr.Rが間に割って入った。

 

「まあまあ、わが王、エネマキュアのここの具合も良いものですよ。どうですか、ご一緒に」

「……俺にそんな趣味はない」

「誰かに操を立てているのでしょうか」

「……」

「せっかくエネマキュアを捕らえたのです。このクラブRには多くの観客もおります。王たるあなたは彼らを愉しませる役目があることをお忘れで?」

 

 Mr.Rの言葉に佐伯はひとつため息を吐くと、刀の柄にかけていた手を離した。そして、御堂に近づくと顎を手で掬った。真正面から御堂の顔を見据えてくる。レンズの奥の薄い虹彩。そこに自分の顔が映り込む。

 

「く……はっ」

 ――佐伯っ!

 

 そう叫びたいのに言葉が出ない。すべてを仕組んだMr.Rは御堂の背後でくすくすと笑う。

 佐伯はエネマキュアが御堂だと夢にも思わないようで、微かに首を傾げた。

 

「喋れないのか?」

「必殺技を使われてはたまりませんからね。声を奪いました」

「ふうん」

「ですが、良い声で鳴きますよ」

 

 Mr.Rが御堂の片足を抱えた。佐伯に御堂の蹂躙しつくされたアヌスを見せつけるようにして、背後から深々と自身のモノで貫く。

 

「ぁ、ああああっ!」

 

 よりによって目の前には佐伯がいるのだ。そして、Mr.Rに犯されるところを佐伯に視姦されている。その恥辱と苦痛と快楽に御堂は絶叫した。

 佐伯がふいに目を眇めた。御堂と視線が深々と絡む。自分の深いところを見透かされるような鋭い視線に、鳥肌が立つような感覚を御堂は覚えた。

 

 ――私だ! 佐伯! 気づいてくれっ!

「ひぁっ、ぁ、ああ……」

 

 Mr.Rのペニスは御堂の悦いところを的確に抉り、拒絶の悲鳴はすぐに甘苦しい喘ぎへと移り変わった。御堂のペニスは腹につくほどに反り返り、自分が感じている快楽を露骨に佐伯に示していた。

 佐伯が眼鏡のブリッジを押し上げながら冷たく言う。

 

「乱暴に犯されるのが好きなのか」

 

 ――違うっ!

 

 首を必死に振る。だが、佐伯は自分のズボンの前を寛げた。Mr.Rが御堂の足を大きく上げて、つながっている部分を佐伯の前にさらけ出した。

 

 ――まさか……っ!

 

 すがるような、祈るような視線を佐伯に向ける。しかし、佐伯は嗜虐的な笑みを唇に乗せながら、自らの切っ先を結合部にあてがった。そして、拒絶する隙も与えず、怒張をMr.Rのものを咥えこんでいる御堂のアヌスにねじ込んでいった。

 

「ぐぁっ! うああああああっ!」

 

 二本のペニスが御堂のアヌスを限界まで拡げながら、奥へと穿つ。どう考えても許容量を超えた体積を無理やり迎え入れさせられて、身体が引き裂かれるような苦痛が背筋を駆け上った。

 Mr.Rと佐伯に身体を挟まれる。佐伯は自らのモノを御堂の中に収められるだけ収めると、ふっ、と御堂の耳元で笑った。そして鼓膜を嬲るように吐息を吹きかけつつ囁く。

 

「お前のここは見境なく何本でも咥え込むのだな」

「ぅう……」

「動くぞ……」

 

 そう言って、佐伯が抽送を始めた。自分の中で二本のペニスがこすれ合い、御堂の粘膜をかき乱していく。

 

「ぁあっ、あああっ! ああああああっ」

 

 佐伯が動き出した途端に、灼熱のような痛みは官能の炎へと変わった。御堂の神経をじりじりと焼きながら快楽を何倍にも増幅する。結合部から悦楽が弾け、頭の中に火花が弾ける。

 佐伯はたくましく腰を遣い、それに合わせるように背後からMr.Rが御堂を揺さぶる。内臓をかき回されるような激しい交わりに、絶頂に向けて一直線に快楽が高まっていく。

 

「ふぁっ、あっ、あああっ」

「随分と気持ちよさそうな顔をするじゃないか、淫乱め」

 

 悲鳴に甘い声が混じる。顎を掴まれて紅潮した頬と潤んだ眸を真正面から見据えられる。キスする寸前のように、唇が振れそうなところに佐伯の顔がある。

 

 ――佐伯……。

 

 佐伯は目の前の魔法少女が御堂だと分かっていない。憎い敵(かたき)として凌辱しているだけだ。それでも、まるで佐伯が恋人同士のそれのように御堂を抱いている感触に、御堂の官能はどこまでも深く引きずり込まれていった。絶頂が御堂を貫き、びくりと四肢を突っ張らせた。

 

「んあっ、……っ、あああっ!」

「みっともなくイったのか」

 

 ぜえぜえと息を乱す御堂を、佐伯は冷たい眼差しで射る。

 

「最後に気持ちよくなれて良かったな」

 

 そう言って、佐伯は唇の端を禍々しく吊り上げた。

 何かを察したかのように、背後のMr.Rが御堂とのつながりを解いて身体を離した。佐伯と二人きりの交わり。観客たちの歓声が二人を包み、ショーとして鑑賞されているのを分かっていながらも、この瞬間が永遠に続けばよいと願う。

 激しい絶頂に焦点が定まらない眸を佐伯に向けた。佐伯は右手に何かを持っていた。それが何かはっきりと認識して御堂の顔は青ざめた。鬼畜の刀。佐伯は逆手にその刀を握り、肘を大きく引いた。闇より黒い刀身、鋭く尖ったその切っ先は、御堂の胸の真ん中に向けられていた。

 佐伯がにっと笑う。

 

「お前が、この行為で魔力を得ることは分かっている。だが、必殺技は使わせない。これで終わりだ」

 下半身では交わり続けながら、佐伯は肘を上体を大きく反らした。そして、反動を付けて御堂の胸の中心に刀を突き立てる。研ぎ澄まされた刃は、ぐさり、と肉と骨をやすやすと切り裂いて、背中まで貫いた。

 

「ぐああああ……っ」

 

 ――さえ……きっ!

 

 自分の胸に突き刺さる漆黒の刀。信じられない面持ちで佐伯を見返した。開いた口からは絶叫に続いて、ごぷりと血液が溢れた。魔力が充溢した身体、刀の一突きであっという間に魔力が消えうせていく。いや、この刀が何もかも吸い取っているのだ。だから、御堂の胸からは血が噴き出すこともない。魔力も血液も、生命の灯まで鬼畜の刀が吸い取っていく。

 不思議と想像していたような苦痛はなかった。むしろ、エクスタシーと言っても良いほどの恍惚が身を包む。たぶん、恐怖も苦しみも快楽も、突き詰めれば同じところに行きつくのではないか。そんなことを他人事のように考えながら、御堂は身体をけいれんのごとく震わせた。どこまでも深い極みに呑み込まれ、激しく射精する。咥え込んだ佐伯の雄をきつく食い締めた。

 

「――っ」

 

 佐伯が甘く唸った。どくり、と体内で佐伯のペニスが跳ねて御堂の最奥に精液を撃ち込んでくる。その感触にさえ御堂はこの上ない快楽を感じて、目を恍惚と細めた。

 佐伯に何かを伝えようと思った。だが、何の言葉も出てこないうちに、意識が闇にどぷりと呑み込まれた。

 

 

 

 

 ずりゅっと佐伯は、力を失った身体から自身を引き抜いた。その後を追うように、佐伯が注ぎ込んだ精液がとぷりと溢れて伝い落ちた。

 佐伯は刀で天井から吊り下がる鎖を無造作に払うと、ずさっと鈍い音を立てて、エネマキュアは地面に崩れ落ちた。目の前の肉体はもはや何の反応も示さなかった。クラブRの観客席は水を打ったように静まり返り、そして、興奮に沸き立った。このクラブRの観客は目の前で繰り広げられた行為をショーとして楽しんでいるのだ。

 

「……」

「わが王、お見事です」

 

 冷たくエネマキュアを見下ろした。

 犯しつくされて敵に殺される。無惨な最期だ。

 エネマキュアの身体から魔力がみるみるうちにこぼれ落ちていく。魔力を失ったエネマキュアは単なる肉の器に過ぎない。魔力が尽きればこの本体の人間もまた、じきに命を失うだろう。

 エネマキュアの身体が淡い光で包まれた。変身が解けていく。コスチュームが細かな光の粒子となって、散っていった。魔力に覆い隠されたその正体があらわになっていく。

 佐伯が鬼畜王であるように、エネマキュアもその正体は他の人間だ。

 どんな人間がエネマキュアだったのか、せめてその最期を見届けようと髪を掴んで上を向かせた。愉悦に満ちた顔で覗き込む。そして、言葉を失った。

 

「御堂……?」

 

 そこにあるのは、紛れもない御堂の顔だった。変身が解けて現れた身体には、見慣れた上質なスーツをまとっている。佐伯は膝をつくと御堂の上体を抱え起こした。ぐったりと力を失った肢体は重く、その顔色は血の気を失い、蒼白だった。

 御堂の胸に刺さったままの刀を引き抜いて投げ捨てた。だが御堂はピクリとも動かない。

 

「御堂、どうしてあんたが……」

 

 言葉が続かない。目の前にある光景を信じることが出来ない。だが、自分が何をしたのか、その事実を理解するにつれて、身震いするような恐怖が足元から這い上がっていく。

 乾いた足音が佐伯の背後に近寄った。

 

「おやおや、愛する方を手にかけてしまいましたか?」

 

 場違いなほどにこやかな声が頭上から降ってくる。震える声で言った。

 

「Mr.R、御堂が……御堂が、エネマキュアだと知っていたのか……?」

「もちろんでございます。このエネマキュアをつくりだしたのは私なのですから」

「なんだと……?」

 

 御堂を抱えたまま振り仰ぎ、Mr.Rを見返した。艶やかな金髪を持つ整いすぎる顔を持つ男。丸眼鏡の奥の金の眸が妖しく光り、佐伯に微笑み返す。

 

「あなたがたの世界は干渉を嫌います。……作用に反作用、粒子に反粒子。何かの力が生まれる時は、必ずそれを消滅させるだけの力が生まれる。それがあなたがたの世界の理(ことわり)です。我々みたいな異世界に属するものは、あなたがたの世界に直接触れることさえ叶わない。だからこそ、鬼畜王という偉大で純粋な力が必要なのです。しかし、鬼畜王を生みだそうとすれば、それを抑止しようとする力も同時に具現化します。私はあなたという鬼畜王を誕生させるために、相反する力を制御する必要があった」

 

 エネマキュアだけでなく、鬼畜王でさえ、この男が創り出した存在だったのだ。それを知らされて愕然とする。Mr.Rは続けた。

 

「エネマキュアは戦うたびに強くなる。それと同時に、あなたも強くなった。それもそのはず、あなた方は表裏一体の関係でしたから。惹かれあうのも当然の帰結」

「すべてお前の手の内だったというわけか……」

 

 ふふ、とMr.Rは笑った。

 

「随分と手間暇がかかりました。ですが、それだけの価値がありました。おかげで偉大なる鬼畜王の誕生を目にすることができるのですから」

「こんなことになると知っていたら、俺は鬼畜王なんかにならない!」

 

 怒気を込めて吐き捨てた。Mr.Rを殺さんばかりに睨みつける。だが、Mr.Rはその眼差しを悠然と受け止めた。薄い唇が優美な弧を描く。

 

「あなたはもう鬼畜王になるのですよ」

「なんだと? ……ぐぁっ!」

 

 どくん、と心臓が跳ねた。心臓が破裂しそうなほど暴れだし、全身の血液が沸騰したかのように熱くなった。何かが身体を侵食してくる。すぐに何が起きたか分かった。眼鏡だ。この眼鏡が自分の身体を乗っ取ろうとしている。咄嗟に眼鏡を外そうとしたが、顔に張り付いたように眼鏡は動かなかった。

 

「くそっ!」

「無駄ですよ、わが王」

 

 Mr.Rが笑う。

 

「キチク眼鏡は心の絶望に掬い、そこに根を張り、支配する。よくご存じのはず。完全なる鬼畜王が降臨するためには、あなたの絶望が必要なのですよ。愛する人を手にかけたというあなたの深い絶望が」

「誰が、させるか……っ」

 

 これ以上キチク眼鏡に身体を侵食されないように、魔力を集中する。だかそんな佐伯のなけなしの抵抗をMr.Rは笑みを浮かべながら鑑賞していた。

 このままでは、キチク眼鏡に支配される。そして、Mr.Rが望む鬼畜王になってしまう。

 それよりも何よりも、この腕の中にいる御堂。彼をこのまま死なせるわけにはいかない。

 御堂は死に瀕し、佐伯自身は意識も身体もキチク眼鏡に乗っ取られつつある。御堂へと顔を向けた。

 

「御堂……っ!」

 

 御堂は血の気を失った顔をしたまま、ぴくりとも動かない。だが、よく見れば唇はか細い息を紡ぎ、心臓は辛うじて微かな鼓動を刻んでいた。

 変身した身体と生身の身体は別ものだ。だが、魔力やダメージは共有される。それでも、同期されるまでは僅かながら時間差が生じるはずだった。

 つまり、一刻一刻死の淵に引きずり込まれつつある御堂だが、まだ完全に死んではいない。そのほんのわずかな可能性にかけるしか、もはや佐伯の道は残されていなかった。

 

「御堂、受け取れ」

 

 御堂の薄く開いた唇に自分の唇を押し付けた。体温を失い冷たくなった御堂の唇を深くかみ合わせ、ありったけの魔力を注ぎ込む。自分が自由にできる魔力、その最後の一滴(ひとしずく)まで。

 イチかバチかの賭けだった。御堂に魔力を与えれば、自分はキチク眼鏡に対抗できる力を失う。完全にこの身をキチク眼鏡に与えることになるだろう。

 

 ――御堂、目を覚ませっ!

 

 必死の願いが通じたのか、御堂の空っぽになった身体に佐伯の魔力が行きわたり、御堂のまつ毛が震えた。うっすらと瞼が開き、焦点の定まらない眸が佐伯の顔を捕らえた。

 

「さ、えき……」

 

 戦慄く唇が佐伯の名を呼んだ。

 

 

 

 

「さ、えき……」

 

 ぼやけた視界の真ん中に佐伯の顔があった。死んだと思ったが、どうやらまだ生きているらしい。しかも、言葉が出る。Mr.Rの呪いはエネマキュアの変身が解けたのと同時に消えたのだろう。

 御堂を抱きかかえる佐伯の片眼が赤く染まっていた。それは、キチク眼鏡をかけたときの怪人の眸とよく似ていた。それだけではなかった。佐伯の顔が苦痛を堪えるように歪んでいる。まるで、御堂同様死にかけているかのようだ。

 何から声をかければ分からなくて、見たままを言った。

 

「……佐伯、顔色が悪いぞ。それに、片目が充血している」

「そんなことはどうでもいい」

 

 佐伯は小さく首を振ると、レンズの奥の眸をまっすぐに御堂に向けた。

 

「御堂、早く変身しろ」

「そんなの……無理だ」

「俺の魔力をすべてあんたに与えた。あんたが変身して戦うしか、道は残されていない」

 

 何が起きているのか分からないが、佐伯の必死さからすると、どうやら佐伯はピンチのようだ。だがそれよりも何よりも佐伯の自分に対する言い様にカチンときた。

 

「佐伯、私に命令するな。私は君の上司だぞ。それに、客観的に考えて不可能だ」

 

 極度の疲労に襲われたように全身は重く、指一本動かすのも億劫だ。とてもこんな状態で変身など出来るわけがない。

 霞んだ視界と意識であたりを見渡して、どうにか今の事態を理解した。エネマキュアは死ぬほどのダメージを受けた。そして、それに引きずられるようにして死にかけた御堂に佐伯が魔力を与えてダメージを一時的に回復したのだろう。

 だが、佐伯に与えられた魔力は受けたダメージに比べればささやかすぎて、焼け石に水だ。ほんのわずかに結果を先送りしたに過ぎない。

それにしても、佐伯が怪人のような眸をして、そして、苦しそうなのはどういうことだろう。鬼畜王の正体は佐伯だった。エネマキュアにトドメを刺したのも佐伯だ。それでも、こうして御堂を助けようとしている。やっぱり訳が分からない。だが、もう疲れた。全てを放棄して眠ってしまいたい。

 佐伯は声を絞り出すように言った。

 

「御堂、戦いは終わっていない。このままでは、負けるぞ。無様に負けていいのか」

「私が、負ける……?」

 

 電撃が打たれたかのように御堂の意識が急激に覚醒した。佐伯の言葉を繰り返す。負ける、御堂が最も嫌いな言葉だ。

 

「勝つんだ、御堂。勝ち続ける、それがあんたの生き方だろう」

「佐伯……」

 

 ――勝ち続けねば。それが私の生き方だ……!

 

 頭のてっぺんから指先まで力が漲る。魔力は枯渇している。それでも、悪あがきと言っても過言ではない最後の気力を振り絞って自身を奮い立たせる。スーツのポケットに手を突っ込めば、ちゃんとそこに目的のものはあった。エネマグラ型魔法スティックを取り出して叫んだ。

 

「エネマキュア!」

 

 御堂の呼びかけに呼応して魔法スティックが激しく輝く。そして眩い光が御堂を包み込んだ。ふわりと御堂の身体が浮き上がる。

 輝きの中に身にまとうスーツが瞬時に消え去る。露になる引き締まった体幹と長い四肢。だがそれも一瞬で、光の粒子が帯となって御堂の全身に巻き付く。光は薄手の可憐なコスチュームとなり艶やかに御堂を飾り立てた。

 

「魔法少女、エネマキュア参上!」

 

 魔法少女エネマキュアへと変身を完了した御堂は、スタッと軽やかに降り立った。

 

「受験戦争、就活戦線、出世競争……戦いと名がつくものはことごとく勝利してきた。この私が負けてたまるか――っ!!」

 

 散逸した御堂の魔力、それが時間を巻き戻したかのように御堂へと流れ込んできた。それだけではない。クラブRの空間に漂うすべての魔力が御堂へと一極集中する。自らがため込んだ魔力だけでなく、佐伯の魔力も合わさった御堂の魔力は、エネマキュアの身体の中で極限まで高まり渦巻いている。

 その魔力の激しさは燃え盛る地獄の業火のごとく、そしてその一途さはぎりぎりまで絞られた弓から放たれた矢のように鋭かった。そんな御堂を目にしてMr.Rは眉をひそめた。

 

「まだ変身できるとは。往生際が悪いですね」

 

 御堂の双眸がMr.Rを射た。今にも飛び掛からんばかりの猛獣のように研ぎ澄まされた殺気がMr.Rを貫く。

 

「Mr.R、人の恋路を邪魔した挙句、私を奸計に陥れるとは甚だ許し難い。危うく死にかけたぞ。千倍返しだ、覚悟しろ」

 

 魔法スティックをMr.Rにビシッと振り上げた。だが、必殺技を放つ寸前に、佐伯が御堂を押しとどめた。

 

「御堂、間違えるな。あんたの敵は俺だ」

「佐伯……?」

 

 息も絶え絶えな様子の佐伯に動揺するが、佐伯は構わず言葉を続けた。

 

「俺を攻撃しろ。そうすれば、俺の怪人化が解ける」

「……分かった」

 

 やはり、佐伯の赤い眸は怪人化しかけていたからなのだ。佐伯の怪人化を一刻も早く解かなければならない。魔法スティックを佐伯に向けたところで、今度はMr.Rの声が御堂を止めた。

 

「良いのですか、エネマキュア? あなたが倒そうとしているのは、あなたの愛しい方」

「佐伯を怪人にしてたまるか!」

 

 吐き捨てる言葉にMr.Rは涼やかに笑った。そして言う。

 

「ふふふ……、あなたは勘違いしています。この方は、もはやとっくに怪人なのですよ。あなたが必殺技を使えば、この怪人『佐伯克哉』は消失します。それでもいいのですか?」

「怪人『佐伯克哉』だと……?」

 

 何を言われているのか理解できず、佐伯の顔を見た。佐伯は黙りこくったまま、赤く染まりつつある眸を御堂に向ける。

 

「本体である人間『佐伯克哉』の絶望に巣食って生まれたのが、この怪人『佐伯克哉』。それは私が生まれさせた、完璧な形の怪人。そして、最終段階の進化を迎え、鬼畜王へと羽化しつつある」

「そんな、まさか……。佐伯が怪人だった、だと……?」

「その眼鏡こそオリジナルのキチク眼鏡。すべての魔力の源であり、怪人『佐伯克哉』の本体、そして、鬼畜王へと導くアイテムなのです」

 

 今の佐伯はすでに怪人だったというのか。確かに、佐伯は魔力で強化された自分自身と対等に渡り合えるほどの能力を持っていた。それはすでに怪人と化していたからなのか。

そして佐伯は更なる進化を迎え鬼畜王になりつつあるという。それならば、御堂が必殺技を使えばどうなる?

 迷いが御堂の動きを止めた。だが、そんな御堂を佐伯が叱咤した。

 

「御堂、いや、エネマキュア。俺を倒せ。このままでは俺は鬼畜王になる」

「しかし、それでは……」

 

 君はどうなる?

 そう聞きたいのに、聞けば残酷な事実が現実になりそうで聞くことが出来ない。他に方法はないのか、必死に思考を巡らせる。佐伯が絞り出す声で言った。

 

「いいから、やるんだ、御堂。俺がいなければMr.Rは俺たちの世界に手出しができない。俺たちの世界を守れ」

 

 守りたいのは自分たちの世界ではない。目の前にいる男だけだ。

 逡巡と懊悩に翻弄される御堂に、佐伯が、覚悟を決めた深い声で言った。

 

「あんたはエリートの中のエリートだろう? 仕事に私情は交えない。一度引き受けた仕事は必ずやり遂げる、あんたが言った言葉だ。忘れたか?」

「魔法少女なんか……私の仕事ではない」

 

 声がみっともなく震える。佐伯が弱々しく微笑んだ。

 

「孝典……もう時間がない。俺に力を貸してくれ」

 

 自分の名前を呼んだ佐伯の口調が懇願を帯びる。一刻一刻、佐伯は怪人『鬼畜王』と化しているのだ。もはや、選択の余地はなかった。

 

「……本当に、それでいいのか?」

 

 佐伯は深くうなずいた。そして鬼畜の刀を手に取ると御堂に向けて構えた。佐伯の足元はふらつき、荒い呼吸を刻んでいる。魔力を失い、体力が尽きかけているのだ。だが、この機を逃せば佐伯は鬼畜王として生まれ変わり、この世界に君臨してしまう。

 やるしかない。それが恋人の願いでもあり、自分の使命なのだ。佐伯を信じるしかない。自分が愛した男を信じるのだ。

 御堂は、ひとつ息を吐いて覚悟を決める。

 佐伯に向けて魔法スティックを強く握りしめる。そして叫んだ。

 

「エネマフラッシュ!!」

 

 選択はなされた。御堂の元に集うすべての魔力が光へと転化され、さく裂した。圧倒的な光がすべてを呑み込んでいく。すべてを浄化する光はクラブRの空間に満ちて内部から異空間を圧壊させる。ぴしり、と空間に亀裂が入った。

 

「まさか、本気で……?」

 

 Mr.Rが丸眼鏡の奥の眸を見開いた。口元の笑みは消え去り、信じられないといった面持ちで御堂たちを見る。そのMr.Rも一瞬で光の激流に包まれた。

 

「佐伯ッ!!」

 

 視界を真っ白に灼いていく光に御堂たちもまた、呑み込まれていった。必殺技を放った瞬間に御堂は佐伯へと駆け寄っていた。離すまいと強く抱きしめた身体は、光の渦に攫われようとしている。

「私の手を掴めっ!」

 圧倒的な力で御堂から佐伯を奪おうとする光。どうにか抗おうと、佐伯の手を強く掴んだ。佐伯の身体は激流に翻弄される木の葉のように頼りなく、光の大渦に今にも巻きこまれんとしていた。御堂はあらんばかりの声を張り上げた。

 

「佐伯! 早く!!」

 

 佐伯が顔をあげた。レンズ越しの眼差しが重なる。佐伯は微かに笑った。そう見えた。

 そして、佐伯は自ら御堂の手を振りほどいた。

 

「佐伯――ッ!!」

 

 叫ぶ声も何もかも、すべての輪郭が光に溶かされて消えていった。

 

 

 

 

 エネマキュアから放たれた光の洪水が俺を包む。

 すべてを問答無用に浄化し、消し去る光だ。

 ぴしり、と顔にかけた眼鏡に亀裂が入った。

 細胞の隅々まで浸透する光は、キチク眼鏡の魔力を根こそぎ消滅させていく。

 どうやら、消える時がきたようだ。だが、これでいいのだ。これが正解だ。

 御堂が崩壊しつつある俺を掴んだ。何かを必死に叫んでいる。

 繋ぎとめようとする手を自ら離した。そんな顔で俺を見るな。

 最後に一言、御堂に伝えておきたい言葉があった。

 しかし、もう間に合わない。

 せめて、微笑んで。

 意識が薄れゆく。

 だけど……。

 俺は。

 あんたを。

 ……あいしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたり一帯を包み込んだ眩いばかりの光が薄れると、元の公園が現れた。クラブRは影も形もなくなり、多くの観客たちの姿も消え去っていた。

 御堂もまた変身が解けて、元のスーツ姿に戻る。慌ててあたりを見渡し、見つけた。

 目の前に倒れる一人のスーツ姿の男。

 

「佐伯!」

 

 名前を呼びながら急いで駆け寄った。佐伯を抱え起こす。その顔には辛うじて、眼鏡がかかっていた。その眼鏡に触れようとした寸前、レンズにぴしりとひびが入った。みるみるうちにひびが広がる。そして、次の瞬間には粉々に砕け散っていた。

 

「おいっ!!」

 

 キチク眼鏡、これが佐伯の本体だとは信じられない。それでも、眼鏡の破片をどうにか掴もうと手を伸ばした。しかし、透明な欠片は御堂の指先を掠めるようにして、あっという間に塵と化していく。

 

「どうして……」

 

 その時、腕の中の佐伯がぴくりと身体を動かした。驚いて佐伯の顔をまじまじと見詰める。佐伯の瞼が震え、そしてゆっくりと目を開く。

 

「あれ……オレ……」

「佐伯?」

 

 眼鏡の下にあったのは、どこか気弱な青年の顔だった。御堂の知る佐伯と同じ顔をしているが、受ける印象は別人のように真反対だった。頼りない視線がさまよい、御堂の顔に固定される。青白い唇が震えた。

 

「どなた……ですか?」

「君は……」

 

 ごくりとつばを呑み込んだ。何か声をかけようと思えども、言葉が続かない。

 唇を引き結んで俯いた。

 静かな混乱に叩き落されながらも、すべてを理解した。

 御堂の知る佐伯はいなくなってしまった。キチク眼鏡と共に。エネマキュアの光によって消し去られた。残されたのは、人間の佐伯克哉。彼こそが本当の佐伯克哉だという。そして、怪人化が解けた人間は怪人だった時のすべての記憶を失う。

 こうなることを佐伯は分かっていて、御堂に自分を消させたのだ。御堂だって分かっていた。

 自分はやり遂げたのだ。怪人は消え去り、世界に平和が戻った。

 それでも、喜びなどどこにもなかった。得るものよりも失ったものの方があまりにも大きすぎた。

 堪えようにも身体が細かく震えた。少しでも声を発しようものなら、あられもなく慟哭してしまいそうで。

 すべて終わったのだ。何もかも。

 だが、その結末はあまりにも哀しかった。

 

 

 

 

 夜に包まれた公園。御堂たちから少し離れたところに闇色の大きな球体が音もなく現れた。シャボン玉が弾けるように、闇の膜は瞬時に消え去り、中から長身の男とその肩の上に羽ばたく小さな人型の生き物が現れた。Mr.Rと鬼畜妖精だ。

 

「誠に残念です」

 

 ふう、とMr.Rは大きく嘆息をした。金色に輝く眸。その眼差しの先には御堂と佐伯、二人の姿があった。

 

「今度こそ、完全体の鬼畜王が誕生すると思ったのですが。まだ、その時ではないということでしょうか。もう一度、やり直しですね」

 

 Mr.Rは踵を返し、御堂たちに背を向けた。緩く編み込まれた金髪が波打ち、微かな光子を放つ。

 

「行きますよ、鬼畜妖精」

「R様……」

 

 夜の公園の真ん中でキチク眼鏡の魔力が解けた青年をかき抱いて嗚咽を漏らす御堂。その姿をいたたまれない気持ちでずっと見つめていた鬼畜妖精は、Mr.Rの声に弾かれたように翼を羽ばたかせた。

 

「……はいでやんす」

 

 名残惜しい視線を振り切って、鬼畜妖精もまた、Mr.Rを追うように闇へと輪郭を溶け込ませていった。

 あとにはただ、濁った闇が取り残されるばかりだった。

 

 

END

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