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オメガ眼鏡

鬼畜眼鏡、オメガバースパラレルです。

佐伯克哉(オメガ)×御堂孝典(アルファ)となります。通常のオメガバースとは逆設定になりますのでご注意を。

一般的なオメガバース設定に独自の設定を付け加えております。

オメガの克哉は眼鏡をかけることで、『指向性フェロモン』という特定の相手に自在にフェロモンを作用させる能力を使うことが出来ます。

以上、ご留意ください。

prologue
Pro

――どうして、オレはオメガなんかに生まれてしまったのだろう。

 

 人気のない閑散とした公園、濁った水の底にあるような暗闇を街灯が心許ない光で照らしている。

 公園のベンチで克哉は何度繰り返したか分からない問いを胸の内で小さくつぶやいた。

 うつむきながら足元の砂を蹴ると埃が舞い上がって、ズボンの裾にかかった。手には既にぬるくなってしまったビールの缶が握られている。たった一人の晩酌だ。

 寂しさが際立つが、それでもほかの誰かと一緒にいるよりは独りきりの方が気楽だった。他人の存在は自分の惨めさを浮き立たせるだけだからだ。

 この世界には絶対に乗り越えることのできないヒエラルキーがある。

 それは、性別だ。

 男女とはまた違う性。世の中は、アルファ、ベータ、そしてオメガの三つの性別で分断される。

 建前上、この国では性による差別はない。だが、表には出ないだけで、確実に差別は存在する。履歴書にはアルファ、ベータ、オメガの性別を書く欄があるし、そこに記載されたたった一文字のギリシャ文字は就職活動に間違いなく影響を及ぼしている。誰も表立っては認めないが。

 おかげで克哉の就職活動は散々だったが、それでも今の会社であるキクチに引っかかっただけマシだったのかもしれない。オメガ特有の整った見た目を買われたのか、入社してすぐに営業に配属されたが、そこでの営業成績も惨憺たるものだった。

 やることなすことすべて裏目に出てしまう。生まれてからずっと叩き込まれてきた負け犬根性が身についているのかもしれない。強引さもなければ、自社製品さえ上手くアピールできない。これはもう、オメガだからというわけでなく、自分の資質の問題だということは分かっている。

 おかげで、営業成績はずっと最低ランクだ。他の社員からは「オメガなんだからオメガお得意の“営業”をしろよ」と陰口を叩かれていることも知っていた。

 オメガ性の人間はほかの性別にはない特徴がある。発情期があるのだ。発情を起こしたオメガは独特のフェロモンを出す。それは周囲の人間たちに無差別に作用し、誘惑する。それが、オメガが厄介者扱いされている原因でもある。

 この国では法律でオメガの差別を禁じていることもあり、就職や入学であからさまな拒絶を受けることはないが、それでも、社会の底辺で身体を売って生計を立てているオメガは多い。オメガは生まれつき整った容姿を持っている者が多く、そうでなくても、自然と周りの人間を引きつける。といっても、アルファが兼ね備え持つ華やかなオーラとは対照的で、薄幸で儚い美しさだ。それは、オメガが誰かの保護を受けなければ生きていけない弱い立場だから、自然と庇護欲を掻き立てるような容姿を持つように進化したといわれている。つまり、外見はそのまま他者に媚びて生きるオメガの卑屈な立場を現わしている。

 それが嫌で、克哉は猫背で高身長を隠し、いつもうつむき加減で目立たぬように生きてきた。オメガであることを割り切れば、その特徴を最大限に活かして上手く立ち回ることも可能だろう。それこそアルファの愛人にでもなれば、今よりもずっと良い生活を送ることが出来るはずだ。

 だが、それだけはしたくなかった。オメガである自分をずっと忌み嫌ってここまで来たのだ。オメガであるこの呪われた身体を切り売りすることなんて、とても受け入れることはできない。今までも、オメガであるという事実に頼って利益を得たことは一度もなかった。それだけが克哉が大事に抱えているたった一つの矜持だ。オメガなんて恥ずべき性別だ。オメガから別の性別になれるとしたら、魂だって売るだろう。

 それにしても……。

 今日までのいろいろな失敗が積み重なって、克哉は胸の中を一掃するような大きなため息を吐いた。

 今月の営業成績は芳しくないどころか最低だ。それも、お荷物部署と呼ばれるキクチ営業8課の中で最低なのだ。営業代行を行う商社であるキクチは売り上げが伸びていない。リストラを本格的に検討しているという噂もある。同僚の本多や、片桐課長は克哉をかばってくれているが、そろそろクビを言い渡されるかもしれない。

 しかし、今更どうあがいてもどうにもならない。

 諦念とともに、すっかり炭酸の抜けたビールを喉に流し込むとベンチ近くのごみ箱に空き缶を放り捨てた。カランと乾いた金属音が夜の公園の静寂を乱した。

 そろそろ帰ろうか。ここにいつまでいても仕方ない。

 無気力で重くなった体をのっそりと動かしてベンチから立とうとしたその時だった。

 

「ずいぶんと浮かない顔をしてらっしゃいますね」

「え……?」

 

 唐突にかけられた声に振り向き、驚きに息を呑んだ。

 いつの間にいたのだろう。

 克哉が座っているベンチの反対側の端に一人の男が座っていた。その男は異様な出で立ちをしていた。闇がそのまま切り取られたような全身黒づくめの服。夜なのに黒いボルサリーノ帽を被り、そこからこぼれた濃い金色の髪は長く、緩く編み込まれている。どう見ても日本人の風体とは思えないが、その男の口からは流ちょうな日本語が紡がれた。

 

「こんなところでお独りで晩酌ですか?」

 

 その男はよく見るととても整った顔立ちで、長い前髪にから覗く、丸眼鏡の向こうの切れ長の眸は髪と同じ金色だ。薄暗い公園の中で浮き立つその姿は、ある種この世の者とは思えない美しさだ。その顔にまじまじと見惚れていると男はにっこりと克哉に笑いかけた。

 

「あなたほどの素晴らしい方が、どうしてそんな浮かない顔をされていらっしゃるのでしょう?」

「オレのことですか……?」

 

 こんな風に直球で褒められたのは初めてだ。だが、克哉の口からは力ない自嘲の笑みが漏れた。この男はまったく分かっていないのだ、克哉について何もかも。

 本当だったらこんな胡散臭い男、相手にするべきではないのだが、陰鬱な気分も相まって、克哉はポツリポツリと自分のことについて語りだしていた。男は黙ったまま克哉の話を聞いている。

 そうして、芳しくない営業成績について語ったところで、益々自己嫌悪に襲われた。自分のダメさ加減を見知らぬ他人にまでどうして話してしまったのだろう。

 

「余計なことを話してしまってすみません」

 

 もごもごと謝りながら落ち着きなく腕時計に視線を落とすと、もう随分と遅い時間だ。ハッと我に返った。

 

「しまった!」

 

 慌ててポケットからタブレットケースを取り出した。中には発情抑制剤が入っている。

 今日の分はまだ飲んでいなかった。

 この薬は副作用も強く、飲むたびに鈍い頭痛に襲われる。副作用には個人差があるようだが、克哉は特に抑制剤と相性が悪かった。普段陰気な表情をしているのも、副作用の頭痛をずっと堪えているせいも大いにあるのだろう。かといって、これを毎日しっかりと内服しないと発情期を迎えてしまう。そうなれば、大変な事態が起きる。だから飲まないという選択肢はなかった。

 重苦しい手つきでタブレットケースの蓋を開こうとしたところで、横から伸びた手がタブレットケースを奪っていった。

 

「ちょっと……!」

「これは何ですか?」

「薬ですよ、薬。……抑制剤ですよ」

 

 男はしげしげと克哉のタブレットケースを街灯の光にかざして眺めると、克哉に顔を向けた。

 

「あなたは、本当はこれを飲みたくないのでは?」

「それはそうですけど……」

 

 世の中のオメガの誰もがこんなものを内服したくはないのだ。ただ、それが社会に負うべき義務だから内服しているだけで。もし、抑制剤を飲み忘れてひとたび発情期を起こしてしまえば周りに迷惑がかかるし、下手したら自分自身が襲われて大変な目に遭うことだったる。公共設備や店には緊急用の発情抑制剤の注射薬が常備されているが、即効性で強力である分、その薬の副作用は、この内服薬よりもずっと強いと聞いている。

 男は克哉に向けて微笑んだ。

 

「あなたにこんなものは必要ないのでは?」

「言ったでしょう。オレはオメガなんですって」

 

 半ば捨て鉢気味に言った。

 

「あなたは特別なオメガ。オメガの中のオメガなのです」

「それって褒めてないでしょう?」

「とんでもございません。すべてのアルファを跪かせることが出来る、選ばれしオメガなのです」

 

 何を言っているのだろう。オメガはオメガだ。もっとも下の階級に属する卑しむべき性だ。

 

「もう、こんな薬に頼る必要はありません」

「ちょっと……っ」

 

 抑制剤を取り返そうとした手を掴まれて、代わりの何かを渡された。ひんやりとした金属の感触。自分の手に視線を落としてみれば、それは銀のメタルフレームの眼鏡だ。眼鏡のレンズが街灯の心許ない灯りを反射してきらりと光った。

 

「これは……?」

「眼鏡です」

「それは分かりますよ」

 

 憤然として言った。人を馬鹿にするにも程がある。それよりも、抑制剤だ。それを返してくれないと、大変なことが起きる。

 

「薬、返してください!」

「まあまあ、その眼鏡をどうぞお使いください」

「いや、だから、オレは眼鏡じゃなくて薬が必要なんです」

「いいえ、あなたに必要なのはこの眼鏡です」

 

 きっぱりと言い切られる言葉に目を瞠った。

 

「オレ、別に視力は悪くないですけど」

「これは、単なる眼鏡ではありません。あなたの目の曇りを取り除いてくれる、言わばラッキーアイテムのようなものです」

「ラッキーアイテム?」

 

 訝しげに聞き返した。これ以上胡散臭いこの男の相手をすべきではない、理性はそう警鐘を鳴らすのに、なぜかこの男の金の眸から目が離せなくなっていた。

 

「この眼鏡を使った瞬間から、あなたは本来の自分を取り戻し、新しい人生を歩むことが出来るでしょう」

「新しい人生……」

「ええ、オメガである自分がいかに優れた存在であるかお分かりになるでしょう」

「オレをからかうのもいい加減にしてください。それより、その薬、返してください!」

「眼鏡をかけていただければ、この薬をお返ししますよ」

「……分かりましたよ、この眼鏡をかければいいんですね」

 

 渡された眼鏡をかけるくらいで薬を返してくれるなら、大人しくしたがった方が早い。克哉は渋々、眼鏡のツルを開いた。何の変哲もない普通の眼鏡だ。これがなんだって言うのだろう。訝しがりながらも眼鏡をかける。顔を上げて、「これでいいですか?」そう言おうとした瞬間だった。

 電撃に撃たれたようにすべての動きが止まった。

 どこまでも思考が冴えわたり、大気の粒子ひとつひとつの動きが感じ取れるかのように神経が研ぎ澄まされる。

 今まで気づくことのなかったありとあらゆる感覚が無数の情報のストリームとなって、洪水のように自分の中に流れ込んでくる。一瞬、自分を見失いそしてすぐに取り戻した。

 重ったるい水の中から這い出たように心身が軽い。目を凝らせば、すべてのものが鮮烈な色をもって輝いている。公園の濁った闇でさえも今の克哉の目には眩しく感じた。次第に感覚が落ち着いてくると見慣れた光景が目の前に姿を現しだした。しかし、一度知ってしまった世界は、もう知らなかったことにできない。この世界の秘密を透かし見てしまったのだから。今までなんと曇った世界にいたのだろう。

 その濁りや雑音をこの眼鏡がすべて取り払ってくれた。そう、まさしく生まれ変わった気分だった。

 

「これをお返しします」

 

 男が抑制剤のタブレットケースを差し出した。

 それを受け取ると何の感慨もなく公園のゴミ箱に向けて放り投げた。先ほど捨てたビールの空き缶とぶつかって乾いた音が響く。

「こんなものは俺には必要ない」

「ふふふ……。そうでしょうね……」

 目の前には燦然と輝く夜の街が広がっていた。いいや、この街に以上に夜が輝いているのだ。闇は暗いもの、そう信じ込んで疑いもしない愚鈍な人間に、残酷なまでの真実を教えてやるのもいいだろう。克哉は男に背を向けて、歩き出した。

「さあ、あなたのための世界をどうぞご堪能あれ」

 背後で男が何か声をかけたが、もう振り向くことなく、克哉は煌めく闇へと足を踏み出していった。

(1)
(1)

「いかがでしょうか? このワインはお口に合いますか、御堂部長?」

「そうだな……。カベルネ・ソーヴィニヨン主体の深みがある味わい、そして強いインパクトがある。カリフォルニアワインらしい華やかさを併せ持つワインだ」

「さすが、ワインに対する深い見識を持ってらっしゃる。御堂部長こそこのワインを飲むにふさわしい方だと思っておりました」

「ふん」

 

 おもねる言葉を聞き流して、御堂はリビングの本革のソファに深く腰をかけながら、ワイングラスを傾けて濃い暗赤色の液体をもう一口、口に含んだ。一本軽く5万は超える高級なワインだ。本来ならじっくりと味わいたいのに、どうにも居心地が悪くて落ち着かない。

 それは、目の前の男が御堂にレンズ越しの視線をじっと注いでいるからだ。口元には微笑をたたえながらもどこか油断のならない雰囲気をまとうその男は、下請け会社の営業をしているオメガの男、佐伯克哉だ。

 希少な高級ワインに気を取られて、この男を自宅に上げてしまったが、やはり軽々しく自宅に上げるべきではなかったかもしれない。アルファが自宅にオメガを入れたとなれば、あらぬ噂を流されてもおかしくはない。本来ならば御堂が指示したホテルで会うはずだったのだ。それなのに、この男は、ワインを手土産に厚かましくも御堂の自宅に上がり込んできた。

 いや、たかがオメガだ。格下のオメガなどどうにでもなる。御堂は地位も実力も兼ね備えたアルファなのだ。

 御堂はそう思いなおして思考から克哉を締め出すと、口の中でワインを転がした。鮮やかで芳醇な味わいがふわりと広がり、味覚と嗅覚を喜ばせる。評判通りの格式の高いワインだ。自然と口元が綻び、酒が進んだ。一瞬頭をよぎった不安はどこかに霧散し、気分が良くなってくる。すべては順調に進んでいるのだ。あとは、御堂が手掛ける新薬の営業委託先をこの男が所属するキクチ8課から切り替えれば万事解決するのだから。

 

 

 

 

 御堂は医薬品をメインに取り扱う外資系企業であるMGN社、その中で一番の花形部署である医薬品開発第一室の部長職を努めている。

 御堂たちが企画、開発した新薬『プロトスリム』は先月、上市されたばかりだ。新薬といっても処方箋が必要な医薬品とは違ってOTC薬に分類される市販薬であり、客が直接ドラッグストアで買うことが出来る。その営業を担当している部署が克哉が所属しているキクチ営業8課なのだ。

『プロトスリム』は肥満改善薬に分類されるが、今までの同種の薬とは違い、画期的な薬効を持っている。食後すぐに内服すれば自分が食べたもののカロリーを約8割カットできるのだ。食べたものを食べなかったことに出来る、斬新な薬だ。

 値段も相応に高く、一回の薬にかかる値段は数千円となる。当然、富裕層であるアルファをメインターゲットとした薬だ。

 営業は本来なら、キクチの営業一課に任せるのが今までの定石だった。だが、御堂はその決断を迷っていた。というのも、その前に上市した新薬の売れ行きが予想を大幅に下回っていたのだ。その原因は営業一課のプロモーション活動の失敗だと御堂は分析していた。同じ轍は踏みたくない。今回の薬は御堂が企画の段階から関わり満を持して販売する新薬だ。だからこそ、信頼できる営業に委託したい。そこにこの男が現れたのだ。

 半信半疑で営業8課に営業を任せたのだが、販売開始とともに驚くべき売り上げをたたき出した。年間の売り上げ目標もこのペースでいけば、1,2か月後には達成されるだろう。

 御堂のプロジェクトチームのメンバーが薬の売り上げに浮かれる中で、御堂だけは冷静だった。この売り上げの数値が想定以上に高すぎたからだ。

 自分が開発した新薬が画期的であったのは確かだ。だが、それだけではこの著しい売り上げを説明できなかった。だから、御堂は営業8課の営業を徹底的に分析した。そして、知ったのだ。あの男、佐伯克哉がオメガであることに。

 オメガ。生まれつきの最下層の人間。

 そんな卑しい階級の人間にまんまと説き伏せられて、自分が手をかけてきた新薬の開発を託していたという事実に愕然とした。オメガと同じテーブルについて毎週ミーティングをしていたという事実に吐き気さえ催した。

 対する御堂は代々続く生粋のアルファだ。アルファとして厳しい教育を受け、当然のようにこの国の最高学府を卒業し、アルファの中でも選りすぐりのエリートとして将来を嘱望されている。交友関係はもちろん、御堂と同じアルファだけであったし、御堂の視界にオメガが存在したことなどなかった。オメガは卑しい身分の人間で、住む世界がそもそも違う。彼らは社会の陰の部分に息をひそめて生きていくべき階級なのだ。

 オメガの淫蕩さと繁殖能力から、アルファの中にはそんなオメガを愛人として囲っている者もいたが、アルファの血がオメガに混ざることは、純潔を貴ぶ御堂からしたら到底許容することなどできない。オメガはオメガらしく、社会の底辺ではいつくばって生きていればいいのだ。それなのに、この国がオメガの人権政策を推し進めていることもあって、一般社会にオメガが紛れ込んできていた。

 とはいえ、MGNのような超一流企業では、表向きは国の政策に迎合するためにオメガを雇うものの、所詮は一般職どまりで、御堂たちのように社の運営にかかわる基幹業務からはオメガは排除されている。特に、御堂が率いる開発第一室は所属メンバー全員がアルファという厳しい選抜を受けた部署だ。他の中小企業ではオメガも社員として雇用されていることは知っていたが、まさか下請けのキクチもオメガを社員として、それも営業のメンバーとして雇っているとは知らなかった。

 アルファが手掛けたアルファのための薬。それをオメガの人間が所属する営業部門に、これ以上、委託することなどできない。アルファの商品としてのブランドに傷がつく。

 一刻も早く、別の部署に営業を委託しなおさなければならない。

 だが、この国では法律により大っぴらにオメガを差別することは禁じられている。だから、御堂はキクチ8課に対してさらなる売り上げ目標の引き上げを要求した。それに難色を示すようなら、堂々と別の部署に営業の委託を切り替えることが出来るからだ。

 しかし、御堂の一方的な通告に、克哉は執務室まで御堂を追って反論してきた。

 

「御堂部長。あなたは、この売り上げ目標が現実的な数値であるとお考えですか? 生産能力に釣り合う数字とは思えませんが」

 

 冷静さを保ったまま、レンズ越しの鋭い眼差しとともに投げかけられた問いに御堂は言葉を詰まらせた。克哉の指摘は的を射ていた。御堂が指示した売り上げ目標が達成されたとしたら、生産量を超えてあっという間に品切れが起きる。工場の生産余力をうまく隠したつもりだったが、克哉はそれを目ざとく見抜いていた。

 オメガごときの分際で、アルファに偉そうな口を利く。大人しく従っていればこれ以上事を荒立てるつもりはなかったものを。

 御堂はこみ上げる怒りを抑えようと拳を強く握りしめながら克哉をにらみ返した。

 

「君はオメガだろう?」

「そうですが」

 

 それがどうした、と言わんばかりの平然とした態度にさらに憤りがこみあげた。克哉の目の前に、売り上げレポートを叩きつけた。

 

「この売り上げは君の“オメガとしての能力”を最大限に活用して得た数値ではないのか?」

「……」

「大規模受注は全て、君が担当した営業先だということは分かっている。売り上げの大半を君が獲得しているという計算だ。枕営業でもしたか? 私はそんな卑しい営業など真っ平だ。反吐が出る」

「そんなことはしていません」

 

 即座に克哉は言い返した。だが、その眸がほんのわずかに揺らいだのを見逃さなかった。自分の言葉は克哉の急所を突いたのだ。侮蔑に満ちた視線を克哉に向けた。

 

「ほう……。それなら私を接待してみろ。君の営業手腕を見せてもらおうか」

 

 手元のメモ帳にホテルの名前を走り書きした。そのメモを破って床に放る。克哉の視線がメモに落ちた。

 

「拾え」

 

 一言命じれば、克哉がゆっくりと膝をついてメモを手に取った。

 

「今夜、そのホテルに来い」

 

 それが出来なければ売り上げ目標は引き上げる、そう通告すると、克哉は「分かりました」と表情を消して答えた。立ち上がって執務室を出ていく克哉を愉悦に満ちた笑みとともに見送った。

 たかがオメガの分際で、傲慢さにも程がある。オメガは大人しく社会の隅で密やかに生きていればいいものを。アルファに盾突くとは身の程を教えてやらねばならない。

 思いあがったオメガをどんな目に遭わせてやろうか、それを考えると御堂の嗜虐心がずくりと疼いた。

 

 

 

 

 ワインボトルを半分ほど空にして、上機嫌になりながら御堂は意地の悪い視線を克哉に向けた。

 

「それで、君の営業法というのはワイン片手に相手の部屋に押し掛けるというものなのか?」

「まさか」

 

 克哉はワインにほとんど口をつけないまま、肩を軽く竦めて苦笑した。

 

「ですが、御堂部長の指摘は、半分は合っています」

「半分?」

「“オメガとしての能力”を使っているという点ですよ」

「やはり、枕営業をしていたのか」

 

 克哉の言葉に怒りがこみあげてきた。低俗な種ゆえに、上位種に媚を売らなくては生きていけないという点は同情しないでもない。だが、自分が手塩にかけた新薬の営業にそんな下卑た手段を用いられるのは断固として許しがたい。商品ブランドを汚す行為だ。

 みるみる湧き上がる御堂の怒りをよそに、克哉は穏やかな口調で首を振った。

 

「それは違います。俺は枕営業なんてしていません」

「……どういうことだ?」

 

 オメガが他の性別とは違うのは、オメガは発情期がある。発情期になるとフェロモンを分泌し、周りの人間を狂わせる。発情期でなくても、オメガは生まれつき性的関心を持たれるような容姿を兼ね備えている。オメガがそこにいるだけで、周囲の人間にある種の緊張感が生まれるのだ。オメガを巡る色恋沙汰でトラブルが発生するのは珍しくもなんともない。傷害事件さえ簡単に起きる。それこそオメガが軽蔑され、忌避される理由だ。アルファは特に、オメガのフェロモンに弱いという。だからこそ、御堂は慎重にそして確実に自分の周囲からオメガを排除してきたのだ。

 嫌悪をむき出しにする御堂に対して、克哉は落ち着いた口調で言った。

 

「指向性フェロモンですよ」

「指向性フェロモン?」

「そう。俺は特定の相手に対して、自分の思うようにフェロモンを働かせることが出来るんです」

「なんだと?」

「どんなものでも、濃すぎれば毒になるが、適度なレベルで使えば薬にできる。フェロモンを薄く作用させれば、他の人間は俺に好意を持つようになる。そして、俺に気に入られたいと無意識に願うようになる」

 

 アルコールが適度に回った頭でも、克哉が言っている言葉は理解できた。しかし、理解はできても納得が出来ず、胡乱気な口調で聞き返した。

 

「……その“指向性フェロモン”を営業に使ったのか」

「そうです。俺が担当した取引先は、俺に気に入られようと面白いようにこぞってプロトスリムの発注をしてきた。それがこの売上のからくりです」

「だが……、そんなことが出来るオメガなど聞いたことがない」

「信じるも信じないも好きにすればいい。だが、あんたは信じざるを得ないさ」

 

 克哉がレンズ越しの眼差しを御堂に向けた。淡い虹彩と視線が重なったその時だった。

 

「――ッ!!」

 

 心臓が不穏に跳ねた。急激に体温が上昇する。脈が逸りだし呼吸が浅くなると同時に、暴力的な思考が頭の中を支配していった。この状態はなんだかすぐに察しがついた。発情したオメガを目の前にした時の反応だ。口の中がからからに乾き、声を出そうにもかすれた声しか出なかった。震える手から零れ落ちそうになるグラスを克哉が奪って、テーブルの上に置いた。

 

「危ないですよ、御堂さん」

「お前……発情しているな」

「そう見えますか?」

 

 目の前の克哉は涼しい顔をしたまま、じっと御堂に見つめている。まるで御堂の状態を観察する研究者のようだ。克哉の眸から視線が外せなくなった。

 

「抑制剤を飲んでないのか……っ」

「ええ、もう飲むのを止めました」

 

 あっさりと返された言葉に息を呑んだ。オメガが発情を抑えるために抑制剤を内服するのはオメガ性のものが社会に負うべき義務だ。飲み忘れて発情期を発症すれば、周りを問答無用に発情させる。それで襲われたとしても、オメガ側の過失になることを知らないわけではあるまい。

 理性を総動員しているが、これ以上は耐えられそうにない。

 獰猛な欲情が血走った目を克哉に向けた。

 

「佐伯……それなら、私に何をされても文句は言えないな」

「あなたが俺に何をできるというんです?」

 

 挑発する口調で克哉がくちびるの片端を吊り上げた。もう、頭の中はこの男を組み伏せることしか考えられない。

 野獣めいた欲望が唆すままにソファから立ち上がった時だった。ぐらりと視界が傾いた。

 

「く……っ」

 

 たまらずにその場に膝をついた。そして、胸を押さえる。

 心臓が皮膚を突き破りそうな勢いで乱れ打っていた。額に脂汗が浮かぶ。

 

「御堂さん、言ったでしょう。俺は指向性フェロモンを操れるって」

 

 ぐらつく視界の中でゆるりと克哉立ち上がった。御堂に向かってゆっくりと歩みを寄せる。克哉が一歩近づくたびに、眩暈がひどくなり心臓が激しくのたうつ。身体の中に嵐を抱えているかのようだ。

 

「もう一つ、言いましたよね。どんなものでも濃すぎれば毒になると」

「な……っ、これもお前が……っ」

「ええ、フェロモンを特別濃く作用させています。さながら、セックスドラッグを使ったみたいに興奮するでしょう? 俺がその気になれば、覚せい剤中毒みたいにあんたの心臓を破裂させることもできる」

「よせ……っ!」

 

 克哉の言葉は真実味をもって身に迫った。事実、心臓はあり得ないほどに暴れている。これ以上心臓に負荷がかかったら、克哉の言う通り心臓が壊れてしまうだろう。

 

「俺の言っていることを信じる気になりましたか?」

「分かった……から、早くこれを止めないかっ!」

「あんたはいつだって偉そうだな」

 

 かろうじて絞り出した声に、克哉が喉で笑った。次の瞬間、心臓の鼓動が穏やかになった。強張っていた筋肉の緊張が解けて、大きく息を吐いた。全力疾走した後のように、色濃い疲労が全身に染み渡っていた。

 それでも、精いっぱいの気力をかき集めて、克哉を見上げて睨み付けた。

 

「貴様のその能力は然るべき部署に報告するからな。覚悟しろ」

 

 オメガの能力はまだ未解明な部分も多い。それでも、日本は研究が進んでいて、そのため抑制剤もいろいろ開発されているが、克哉のこの力は未知のものだ。MGN社がそのメカニズムを解明すれば、多大なる利益をもたらすに違いない。せいぜい研究室のモルモットになればいいのだ。オメガなど、所詮は人権などないに等しい下賤な存在なのだ。

 だが、克哉は御堂の脅しにもシニカルな表情を崩さなかった。

 

「御堂部長、この接待が終わった後も同じことを言えたなら、尊敬しますよ」

「何……?」

 

 克哉が冷たい笑みを深めた。途端にずくりと下腹部が疼いた。そこに全身の熱と血液が流れ込んでいく。

 

「うあ……っ」

 

 思わず股間を押さえた。ズボンの生地の下にはあり得ないほど勃起した自分の性器がある。布越しに触れただけで、その感触に反応して先走りがとぷりと溢れ出るのが分かった。

 

「あんたを発情させることだって簡単なんですよ。……ほら、こんな風に」

「ぁ……ああああっ!」

 

 レンズの向こうの目が眇められる。そこに妖しい光が宿った。急激に頭の中が真っ白になる。制御できない感覚が全身を貫く。身体を大きく震わせた瞬間、射精していた。大量の精液がべったりとアンダーを濡らした。ねばついた布地が性器に張り付き、その不快な感覚に我を取り戻し、ようやく何が起きたのかを理解した。強制的に絶頂を迎えさせられていたのだ。身体が強張り、そして弛緩していく。「ぅう……」と情けない声が喉から洩れた。

 

「どうしましたか? 失禁でもしちゃいましたか? アルファともあろう方が」

「き……貴様…っ、これ以上私を愚弄するなっ!」

 

 たかがオメガ一人にいいように弄ばれている。その怒りに顔がカッと赤くなった。

 遥か高みから御堂を見下すような態度の克哉に、掴みかかろうと立ち上がったその時だった。

 

「あ……っ?」

 

 床を踏みしめようとした足に力が入らない。身体が不安定に傾いでバランスを崩す。そのまま横倒しに転びそうになったところで克哉が手を伸ばして、御堂をソファの上に転がした。

 

「どうなって……」

「あんたは本当に頭が悪いな。アルファはもっと賢い人種かと思っていたが……これほど俺の力を見せてやったのにまだ分からないとはな。直接身体に教え込んでやろうか?」

「よせ……っ! 触るなっ!」

 

 御堂の拒絶を無視して、克哉は御堂のネクタイを抜き去ると、それで御堂の両手をあっという間に頭上に縛り上げられた。そうして、ワイシャツの裾を引きずり出すとベルトに手を伸ばし、バックルを外すと、下着ごとズボンを取り去った。まったく硬さを失っていない性器が白濁に塗れてぶるりと弾み出てくる。

 

「びしょびしょじゃないか」

「くあ……っ、んああっ」

 

 克哉の長い指がペニスに絡んだ。ぬちゅっと音を立てながら根元から擦り上げられる。それだけでふたたび簡単に達してしまった。おびただしい量の精液が噴き出し、自分の下腹をしとどに濡らした。

 身体が明らかにおかしくなっている。感度がこれ以上なく研ぎ澄まされて、軽く触られるだけで快楽が暴走する。しかも、たっぷりと放っても、まったく萎える気配がない。オメガの発情に伴う濃いフェロモンに当たると、強い媚薬を飲まされたように獰猛な肉欲の衝動に襲われるという。これがまさしくそれなのだろうか。

 克哉は絡めた指を上下に扱き、御堂の快楽を弄びながらどこか冷めた口調で言った。

 

「アルファという階級に生まれ落ちただけで、あんたは誰かに組み伏せられるなんてことは想像したこともないのだろうな」

「やめ…っ、ひ……っ、ぁああっ」

 

 何度も何度も強制的にイかされて、克哉に抗う気力はまたたく間に潰えていった。もう出すものがないというところまで放ち、白さを失った粘液が力なく垂れ落ちるまでになってようやく克哉は御堂のペニスから手を離した。やっと解放されて、荒く胸を上下させながらぜえぜえと必死に酸素を取り込んだ。

 克哉は冷徹な眼差しを向けたまま口を開いた。

 

「オメガを性のはけ口ぐらいにしか考えてなかったんだろう? 蹂躙するだけして使い捨てていくような矮小な人間だと」

 

 くくっと低く笑う。その悪意に満ちた笑みにぞっと背筋が寒くなった。克哉は御堂の片足の膝裏を掴み、自分の肩に乗せた。あられもなく脚が開き、恥ずかしい場所が惜しげもなく晒される。嫌な予感に全身の肌が粟立つ。

 

「何を……っ」

 

 克哉は御堂の下腹に溜まる精液を指にたっぷり絡めるとその指を陰嚢の奥へと滑らせた。爪の先が狭い場所に触れた。形を確かめるように周囲をくるっと一撫ですると、くぷりと指をめり込ませてきた。

 

「嫌だ! よせ……っ」

 

 力を込めて閉ざそうにも、どんどんと指が潜り込んできていびつな形に押し広げられていく。誰にも触れられたことのない部位を無遠慮にまさぐられて苦しさと気持ち悪さしかないのに、ふいに体内がカッと燃え立つように疼きが弾けた。腰を跳ねさせて首を左右に振った。

 

「ぁ……っ、んああっ」

「あんたは今日から俺のメスだ。俺にみっともなくヤられるだけの存在なんだよ。アルファは一度、踏みつけられる側の人間になってみるべきなんだ」

「も……十分だろ…っ! やめてくれっ!!」

「今までにない快楽を教えてあげますよ」

 

 二本目の指が潜り込んでくる。粘膜をかき回されて、嬲られた部位が煮え立つように熱くなる。苦痛が快楽と縒り合されて頭の芯がねじ切れそうだ。

 これ以上何かされたら狂うと思ったところで指が引き抜かれた。代わりに腰をぐいっと掴まれて、硬く滾った切っ先が押し当てられた。そこで克哉は動きを止めると、ジャケットのポケットから何かを取り出した。揺れる視界で見上げると、スマートフォンのレンズに自分が移り込んでいる。

 

「な……っ、よせっ!」

「貫通式ですね、御堂さん。記念に撮っておきますか」

「やめろっ! やだ……っ、あああああっ!」

 

 レンズから顔を背ける間もなく凶悪な塊が身体を拓いていった。身体を引き裂かれるような圧倒的な体感に悲鳴を迸らせた。

 

「オメガに犯される気分がどうですか?」

「――ッ、ぐ……、んあ、あああっ」

 

 克哉が腰をゆするたびに身体の深いところを抉られて、眦から熱い液体がこめかみに伝った。しゃくり上げることしかできない。そしてこのみっともない痴態も何もかも、克哉の持つスマートフォンに記録されているのだ。

 

「そんなに泣かないでくださいよ。今、気持ちよくしてあげますから」

 

 克哉が幼子をあやすような優し気な口ぶりで言った。ふわり、と甘い匂いが漂った気がした。次の瞬間、脳内がスパークした。先ほどまでの苦しさは消え去り、おぞましいほどの甘美な感覚が御堂を襲った。克哉が肉の凶器を出し入れするたびに、耐えきれないほどのゆがんだ快楽が掻き立てられる。理性はどこかに吹っ飛んで、拒絶の声を上げようにも、自分の口が紡ぐのは聞くに堪えないほどの物欲しげな喘ぎだ。

 

「や……、ぁんんっ、ぁ、ぅ……、はあっ」

「ほら、御堂さん、メスになるって気持ちいでしょう? あなたにオメガの罪深い快楽をたっぷりと教え込んであげますよ」

 

 笑いながら腰を突き込んでくる男に何も抵抗できない。男を受け容れたことなどない未熟な身体は、男に穿たれて快楽を貪る性器へと化している。勃ちっぱなしの性器からは、もう、精液ともつかない透明な液体が溢れ続けている。

 

「随分といい顔をするじゃないですか」

「も……やめ……ろ…、んああっ」

 

 涙とよだれと絶え間ない極みでぐちゃぐちゃになった顔にスマホのカメラが向けられる。顔を背けるたびに顎を掴まれて正面を向かされた。

 そうしているうちに、克哉の腰の動きが小刻みになった。射精に向けた動きだと気づいて、つながりを解こうとしたが、そんな御堂の抵抗をあざ笑うかのように克哉は腰を深く突き込んできた。

 

「ぐ……ぁ」

「卑しいオメガの種だ、たっぷりと種付けてやる。……こぼすなよ」

 

 体内のペニスが跳ねて、どくりと重たい粘液が注がれていく。最下層のオメガに汚され貶められた悔しさに、涙が次々と溢れた。

 克哉は腰を軽くゆすって最後の一滴まで絞り出すと、ゆっくりと身体を離した。

 そうして、ソファの上で指一本動かせない御堂をよそに、悠然と身だしなみを整えていく。

 

「それでは御堂さん、これからもよろしくお願いします」

「貴様……オメガの分際で、覚えていろよ…っ」

 

 慇懃に挨拶して部屋を出ようとする克哉に、ありったけの憎悪と矜持をかき集めてぶつけた。

 すると克哉は面白いものを見るように、レンズの奥の眸を大きく瞬かせた。

 

「さすがアルファだな、楽しませてくれる」

 

 それだけ言って、ぱたんとリビングの扉が閉まり、静けさが満ちた。

 内腿を生ぬるい粘液が伝い落ちる。その不快感に奥歯を噛みしめながら、御堂は爪が皮膚にめり込むほど拳を握りしめた。

(2)
(2)

 あんなことがあったにも関わらず、克哉は翌日もいつも通りに出勤していた。

 酷い倦怠感に苛まされる身体に鞭打って出勤した御堂は、克哉とMGN社の前で鉢合わせし、大げさなくらい身を強張らせた。キクチ8課の同僚の本多とともに歩いていた克哉は白々しいほどの爽やかな笑顔で挨拶してきた。

 

「おはようございます、御堂部長」

「――ッ」

「御堂部長、今頃出勤ですか? あれ、顔色悪くありませんか」

 

 克哉の横から本多が能天気な声をかけてくる。それをわざとらしく克哉が諫めた。

 

「本多、失礼だぞ。御堂さんは昨夜遅くまで俺の接待を受けていたからな」

「へえ、そんなに遅くまで接待していたのか? ……それにしてもお前は元気そうだな」

「まあな。御堂部長はどうやらお酒に弱かったみたいでな」

「御堂部長が? それは意外だな」

「――失礼する」

 

 あてつけがましい克哉と本多の会話に、ぎらりと剣呑な視線を返すと本多が開きかけた口を慌てて引き結んだ。

 二人を無視して背を向けて社屋のビルに入ろうとしたところで、克哉が御堂の背に声をかけた。

 

「御堂部長、売上目標、据え置きにしていただきありがとうございました。お礼にまたいつでも接待しますので、ご遠慮なくお申し付けください」

「く……っ」

 

 普通に聞けば、下請け会社の社交辞令だろう。だが、御堂は傍から見ても分かるほど、大仰に身体をたじろがせた。慌てて自分を律し、克哉たちを無視したまま速足でビルのエントランスをくぐった。遠くから克哉の低い笑い声がまとわりついてきた。

 

 

 

 自分の執務室に入り、御堂は怒りに肩を震わせた。

 オメガに味あわされた屈辱は倍にして返さねば気が済まない。とはいえ、克哉の能力は危険だ。特に、アルファはオメガのフェロモンに弱いのだ。

 だが、本当にあれが克哉の能力なのだろうか。

 冷静になってくると、克哉の言葉を素直に信じることは出来なかった。フェロモンを自由に操れるオメガなど聞いたことがない。むしろ、『指向性フェロモン』というのは克哉のはったりで、あのワインに何か薬が仕込まれていたのではないだろうか。むしろ、そう考える方が自然ではないか。アルコールで判断力が鈍っていたせいで、まんまと騙されたのではないだろうか。

 御堂は執務室の電話からMGN社の研究室に内線をつないだ。研究主任の川出を呼び出す。川出は新薬『プロトスリム』の研究責任者で、ベータながらに非常に優秀な頭脳を持っていた。それでいて、性格は穏やかで上からの指示に従順だ。御堂が最も信頼しているベータともいえる。

 コール音が鳴りだしてすぐに川出が電話に出た。

 

『御堂部長、いかがされましたか?』

「君の専門はたしか、オメガの発情メカニズムの研究だったな?」

『ええ、そうですが……』

「一つ聞きたいのだが。オメガはフェロモンを特定の相手に自分の思い通りに作用させることなどできるのか?」

『そんなことは聞いたことがありません。ですが……』

 

 唐突な御堂の質問に、川出は少し考えこんで、言葉を続けた。

 

『オメガは一度アルファと番(つがい)になると、番の相手のみに作用するフェロモンを出します。そのメカニズムはいまだに解明されていませんが、オメガ側が特定の相手に作用させる能力を持っていると考えられます。ただし、それは意識的に行えるものではないかと』

「つまり、オメガは潜在的にフェロモンを自在に操る能力を持っているということだな」

 

 ごくりと唾を飲み込んだ。川出の言葉は、指向性フェロモンは存在しうると示唆している。つまりそれを意図的に行えるオメガがいてもおかしくないのではないか。それならば、克哉の言葉は頭ごなしに否定できない。

 

――あの男は、本当に……。

 

 それでも、すんなりとその事実を受け入れることは出来なかった。

 実際のところは自分が信じたくないだけなのだ。オメガは劣等な人種だ。たかだかオメガごときによってアルファが屈辱を味あわされることなど、あってはならないのだから。怪しげな薬を盛られて痴態を晒してしまったという方がよっぽどマシだ。

 川出はしばし黙考し、慎重に口を開いた。

 

『可能性は否定できませんが、先ほど申しました通り、そのようなオメガがいるという報告は聞いたことがありません。……御堂部長、何かあったのでしょうか?』

「いいや、可能性について聞いたまでだ」

 

 聡いベータだ。

 川出は大学の研究室時代からオメガの発情メカニズムについて研究を続けていた。MGN社に入ったのも、本来なら発情抑制剤の研究を続けたかったからだと聞く。

 しかし、川出の優秀さを見抜いた御堂がプロトスリムの研究へと強引に変更させた。今まで御堂がオメガについて興味を持ったことはなかった。だからこそ、質問内容と、御堂の不審な態度に何か感づいたのかもしれない。

 それでも強めの語調で川出を遮れば、それ以上は疑ってはこなかった。

 

「もう一つ、アルファがオメガのフェロモンから身を守る方法はあるか?」

『御堂部長、ご存知の通り、ベータと比較してアルファは特にオメガのフェロモンの作用を受けやすい体質です。発情フェロモンの効果を完璧に防ぐ方法はありません。ただ、フェロモンは空気に乗って伝播することが分かっています』

「空気?」

『ええ、フェロモンが混じった空気を吸い込んだり、肌に触れたりすることで対象相手に作用を及ぼします。同じ空間にいる人間すべてに影響を及ぼします。ですから、近づかないことが一番です』

「もし、近づいてしまったら?」

『可能なら、その場から一刻も早く逃げることです。同じ空間にいるなら、部屋から出る。幸い、フェロモンはすぐに代謝されるので、浴び続けなければ効果がすぐ切れます。ですが、一度オメガの発情フェロモンに当てられたら、そんな冷静な判断さえ難しいかもしれません』

 

 それはその通りだった。身をもって体験している。あれが発情フェロモンだとしたら、暴走した本能の前に理性はなす術がなかった。

 

「どうしようもないということか」

『あとは、発情しているオメガが原因ですので、オメガの発情を抑えることくらいでしょうか』

 

 本来ならば、それはオメガ側が気を付けるべきことなのだ。発情抑制剤を内服して、自身の発情を慎重にコントロールせねばならない。不慮の発情で性被害に遭うのは自分自身であるのだから。

 だが、克哉は発情抑制剤を内服していないと言っていた。つまり、あの男は確信犯的に抑制剤を内服していない。しかし、それを取り締まる法律もなければ抑制剤を内服しているかチェックする方法もない。

 川出に短く礼を言うと御堂は電話を切った。

 下腹部にはまだ昨夜の蹂躙の痕が重苦しい疼きとなって残っている。その疼きが昨夜の屈辱を生々しく呼び起こした。どうすれば、あの男を完膚なきまでに叩きのめすことが出来るだろうか。

 そこまで考えて、自身の恥辱の場面をスマホに撮影されたことを思い出した。オメガに辱められた無様なアルファの記録。あれが万一にでも流出すれば、アルファとして権威は失墜する。

 アルファたちは選別された人間だという自意識は高く、他の性別に対して排他的だが、互いに協力的かというと決してそんなことはない。上昇志向が強い分、足の引っ張り合いは日常茶飯事だし、のし上がるためなら同じアルファ相手に汚い手だって使う。そんな閉鎖された社会で、アルファの中のアルファでありつづけるために、御堂は血のにじむような努力を払ってきたのだ。

 それが、昨夜のたった一晩の出来事で、矜持も立場も何もかも地の底に落ちてしまうのだ。こみあげてくる悔しさと怒りにはらわたが煮えくり返ったが、御堂は歯噛みすることしかできなかった。

 

 

 

 それから一週間、何事もなく経過した。とはいえ、克哉に対する有効な手立ては思いつかず、ただひたすらに御堂が克哉を避けているというのが現実だ。

 克哉に会わない日が続けば気が紛れるかと言えば、決してそんなことはなかった。日に日に強いられた屈辱が深まっていく。

 そんな中、御堂はMGN首脳陣を前にして行うプロトスリムの現状報告のために会議室に入ってぎくりと足を止めた。

 発表者側の席にキクチ代表として克哉が座っていたのだ。

 

「御堂さん、今日はよろしくお願いします」

 

 にこやかに頭を下げる克哉を露骨に無視して着席し、資料を配るために御堂に付いてきた藤田に横目で問い質した。

 

「今日は片桐課長が出席する予定だったはずだ」

「片桐課長の代理で佐伯さんが出席するとキクチから朝一で連絡がありました」

「そんな話、聞いていないぞ」

「ご報告を失念し申し訳ございません!」

 

 御堂の憤りを敏感に察知した藤田が言い訳をせずに謝罪をする。

 すると、横から克哉が口をはさんできた。

 

「御堂部長、問題ありませんよ。俺が完璧にこなしてみせますから」

「君は黙っていろ。君の出番などない」

 

 克哉を睨み付けると、冷ややかに言い切った。

 こんなオメガに気圧されているなんてことは、決して周りに悟られたくない。

 藤田と克哉が手分けをして参加者一人一人に資料を配布した。配り終えると藤田は一礼して部屋を出ていった。

 こうして、克哉を無視したまま会議が始まった。

 御堂は手元のマイクのスイッチをオンにして、落ち着いた口調でしゃべりだした。

 

「それでは資料の5ページをご覧ください。プロトスリムは販売開始後、順調に販売数を伸ばしております。購入者のリピート率も9割以上であり……」

 

 従来の肥満改善薬の概念をひっくり返すほどの薬効を持ったプロトスリムは、美食好きなアルファのみならず一部の裕福なベータにも広まっていた。ターゲットも肥満者だけではなく、健康志向の強い層をマーケティング対象に広げたこともあり、シェアはみるみる拡大し、新たな市場も開拓している。他の追随を許さず爆発的に売れる新薬は『ブロックバスター』と呼ばれる。プロトスリムもこのまま順調にいけば、ブロックバスターの仲間入りは確実だろう。

 御堂のプレゼンテーションに聞き入る首脳陣たちも、御堂が売上を一つ一つ説明するたびに感嘆の声を漏らした。

 このままプレゼンテーションは成功の裡に終わる、そう確信した時だった。

 甘い香りが鼻腔に触れた。

 

「現在、プロトスリムの改良版の開発をしており……んっ!」

 

 次の瞬間、背筋を甘美な疼きが駆け上っていった。声が漏れそうになり、とっさに言葉ごと息を呑み込んだ。

 

「……失礼しました。販売中のプロトスリムはカロリーのカット率は八割であり…その効率をさらに高めるよう研究を重ねております。順調にいけば年内に改良版の発売が可能となるでしょう」

 

 原稿は頭の中に叩き込んであった。余計な感覚を頭から締め出すようにして、かろうじてプレゼンテーションを続ける。

 この身体が燃え立つ感覚には覚えがあった。

 黒目だけを動かして、隣の克哉に視線を向けた。

 克哉もまた、御堂に顔を向けていた。レンズの奥の眸が光り、形の良い唇の端が吊り上がり、いびつな笑みを形作った。

 やはり、この男の仕業だ。

 大切な会議の最中なのだ。

 激しい怒りに眦をキッと吊り上げて、鋭い視線で克哉を睨み付けると、克哉は御堂の牽制に動じないばかりか嫌な笑みを深めた。

 

「販売数がプラトーに達する見込まれる一年後には、改良版の発売を予定し……んぁっ!」

 

 今度は制御できないほどの疼きが電撃のように身体の中心を貫いた。

 咄嗟に顔を背けたが、口から洩れた声はマイクに拾われてしまったかもしれない。

 原稿がしわになるほど握りしめた手が震える。体温が急上昇し、呼吸が浅くなる。

 股間が痛いほどに張りつめて、ズボンの生地を窮屈に押し上げていく。

 強制的に発情させられたのだ。

 不自然に中断したプレゼンテーションに、直属の上司である専務の大隈が声をかけた。

 

「御堂君、大丈夫かね?」

「申し訳…ございません。大丈夫です」

 

 聴衆が怪訝な顔をして、スライドや手元の資料に留めていた視線を御堂に向けだした。

 自分がなす術なく発情していく姿を、よりによって会社の上役たちに見られてしまう。

 その危機感と屈辱が御堂を崖っぷちで踏みとどまらせた。

 ありったけの理性と自制心を総動員して、無理やりにでも説明を続行する。

 幸い、スライドの投影のために室内の照明は落とされており、紅潮した顔や額に浮き出る汗は気付かれていないようだった。

 

「ご存知の通り、一般用医薬品はリスクに応じて薬剤師の管理が…必要とされております。プロトスリムが、必要な方の手に渡りやすくするために、管理区分を……」

 

 手元の書類を読めるほどの余裕はとっくに失っていた。それでも、今まで積み重ねてきたビジネスマンとしての経験とプロトスリムのことならすべて把握しているという自負が、寸でのところで会議の進行を保っていた。

 しかし、意識を逸らそうにも一度火が付いた身体は、とどまることを知らずに内側から劣情を炙ってくる。感度はこれ以上ないほど高められ、ほんの少し動いただけで、肌に擦れる布地の感触さえも耐えがたい刺激となって御堂を苛んだ。

 縋るように会議室の中を見渡した。

 この会議室の出席者のほとんどはアルファだ。だが、他の出席者は平然としている。克哉が発情フェロモンを垂れ流しているとしたら、自分だけでは済まないはずだ。

 これはつまり、克哉は確かに指向性フェロモンでもって、狙った対象者のみにフェロモンを自在に作用させることが出来ることを示している。そして、御堂は狙われた。

 川出は、オメガの発情フェロモンから逃れるためには一刻も早く同じ空間から逃げろと言っていた。

 だが、今は大事な会議中なのだ。この会議を中座することなど考えられなかった。自分の進退がかかっている大切なプレゼンだ。何が何でも乗り切らねばならない。

 

「これからの……、販売戦略についてご説明…いたします」

 

 隣の克哉が吐息だけでくすりと笑った。

 

「――ッ!」

 

 不意に全身を愛撫されたような刺激に襲われて、総毛立った。

 下着を押し上げる性器の先端からぬめる液体が溢れて下着を濡らしいく。体中の血が沸騰し、荒れ狂う欲情がマグマのように出口を求めて全身を駆け巡った。

 暴走しようとする本能に手綱をかけようにも理性はもう風前の灯火だ。

 プレゼンを続けようにも、もう自分が何を口にしているか分からなくなっていた。

 途切れがちの説明に、時折漏れる小さな呻き。参加者はもう、御堂の異変に気が付いているだろう。

 後ひとつ、何かの刺激を与えられれば、あっさりと達してしまう。

 もうこれ以上は限界だ。

 上司や首脳陣の前で、恥辱に塗れた姿を晒してしまう。

 

「くぅ……っ」

 

 呻きが漏れて、絶望に手元から書類がはらりと落ちた。続いてがくりと姿勢が傾いでいった。

 

「御堂さん、大丈夫ですか?」

 

 崩れ落ちそうになった寸前、身体を長い腕が抱え込んで支えた。姿勢を整えられ椅子に深く座らされる。

 途端に呼吸が楽になった。体の中で暴れる欲情がみるみる治まり意識が清明さを取り戻した。ざわめく室内で火照った顔を上げれば、御堂を心配そうに覗き込む克哉と視線が重なった。

 

「体調悪いのに無理をなさらないでください。あとは俺が引き継ぎますから」

「き、貴様……っ」

 

 心身を炙っていた熱が引いてくると頭の芯が焼き切れそうなほどの怒りが込み上げてきた。甲斐甲斐しく上司を介抱する部下の態度で接してくる克哉にありったけの憎悪を込めた視線を叩きつけた。

 そんな御堂の怒りも克哉は毛ほどにも感じないようで御堂の耳元に口を寄せた。御堂にしか聞こえないほどの声で囁く。

 

「大人しくしておいた方がいいですよ。大勢の前でイきたいんですか?」

「ぐ……」

 

 克哉が口にした言葉に思考が固まった。単なる脅しではなく、この男は“それ”が出来るのだ。御堂の様子に克哉が喉で低く笑った。

 

「安心してください。俺が完璧にこなしますから。それに、俺の力も見せてあげますよ」

 

 克哉は御堂から身体を離すと出席者に向き直った。落ち着いた口調で口を開く。

 

「キクチ・マーケティング営業8課の佐伯克哉です。引き続き、私の方から発表いたします」

「君、できるのかね?」

 

 訝しげに大隈が尋ねる。それをにこやかな笑みで「お任せください。内容は全て把握しております」と克哉は切り返すと、手元の資料を確認することもなく、なめらかな口調でプレゼンを再開した。そして、克哉は宣言通りに完璧にプレゼンを行っていく。

 それを歯噛みしながら見守った。

 自分の出番を横から掻っ攫われて、悔しさと怒りで頭がおかしくなりそうだ。

 しかし、克哉のプレゼンが進行するについて、御堂は場の空気の不自然さに気が付いた。参加者の動きが乏しいのだ。忙しなく資料とスクリーンを往復していた視線は発表者の克哉に集中している。そして、克哉の発言にいちいち大げさなほどに頷いている。通常ならばもっと議論が沸騰していいはずの内容でさえも、誰も異論を唱えようとせずに、克哉に対する追従の相槌ばかりが行き交う。

 確かに克哉のプレゼンは申し分ないものだった。上司が体調を崩すというトラブルに咄嗟に対応して引き継いだ点も好感を持たれただろう。だが、それを差し引いても違和感を覚える。この会議室の雰囲気は異常だ。

 

「それでは、以上にてプロトスリムの報告を終了いたします」

 

 克哉が一礼してプレゼンを終えた。

 場が静まり返り、ポツンと一つの拍手が響いた。それをきっかけに次々と拍手の渦が沸く。聴衆の誰もが克哉を讃えているのだ。

 大隈が立ち上がった克哉に向けて口を開いた。

 

「素晴らしいな、君は! 佐伯君と言ったか。君みたいな部下がいるとは御堂君も心強いだろう」

「とんでもございません。何もかも御堂部長にご指導いただいたおかげです」

「ほう、上司を立てる姿勢も立派なものだ」

「これからもキクチ・マーケティング営業八課のお引き立てのほどをよろしくお願いいたします」

「もちろんだ、君たち以外に任せられん」

 

 その様を唖然として見ていた。大隈が手放しで褒めそやすことなどなかった。大隈の周囲では他の専務たちも口々に克哉を褒めたたえる言葉を口にしている。

 彼らの表情を目にして愕然とした。誰も彼もが克哉に心酔しきった顔を向けていた。克哉の盲目的な賛美者と成り果て、誇り高いアルファたちの誰もが克哉に媚びへつらう態度を隠そうともしない。そして、その事態に疑問さえも抱いていない。

 川出の言葉が再び蘇った。

 オメガのフェロモンは同じ空間にいる人間すべてに影響を及ぼす。

 

――まさか……!

 

 背筋が凍えた。瞳孔が開ききる。何が起きたのか、真実を悟った。

 この会議室は、たった一人のオメガ、佐伯克哉に乗っ取られたのだ。そしてその事実に気が付いているのは御堂一人だ。

 これこそが克哉の能力の真髄なのだ。相対するアルファをそうと気が付かぬうちに、自分の支配下に置くことが出来る。アルファは知らぬ間に克哉の下僕と成り果てるのだ。

 アルファたちが克哉に陥落していく様を、力が入らない身体でただただ呆然と見続けるしかなかった。

 

「御堂さん、如何でしたか?」

 

 会議の出席者が全員退席し、会議室にふたりきり取り残されたところで克哉は御堂に声をかけてきた。

 プレゼンの出来を聞いているのか、御堂の体調を聞いているのか、それとも別のことを聞いているのか掴めずに、「何がだ」と憮然と答えた。

 

「俺の力、分かってくれました?」

「……これが指向性フェロモンの力だというのか」

「アルファは本当にオメガのフェロモンに弱いんだな。見たでしょう? あいつらの呆けたような顔。どいつもこいつも俺に取り入ろうと必死になって」

 

 くくっと喉を鳴らして笑う克哉の顔は、邪悪さが滴り落ちるかのようだ。会議に出席したアルファたちの感情と思考を弄ぶことに愉悦を感じているのだろう。

 

「貴様……こんなことをして許されると思っているのか!」

 

 アルファとしての矜持、そして、激しい憤怒に突き動かされて、椅子から立ち上がった。

 だが、克哉は御堂に向ける目を眇めて呆れ混じりに言った。

 

「俺が何をどうしたって、どうやって証明するんですか? オメガのフェロモンにあてられて大勢の前でイきそうになったとでも言うんですか?」

「く……っ」

 

 克哉がつかつかと歩み寄って、御堂の耳元に顔を寄せるとふっと息を吹きかけた。ぞわりと悪寒が御堂を襲う。

 

「それとも、俺が持っている動画をコピーしてあげましょうか? これがあれば証拠になりますよ。正真正銘のアルファである自分がオメガに犯されて、みっともなくイっちゃいましたってね」

「き……貴様っ!!」

 

 御堂を侮蔑する言葉に、渾身の力で克哉に殴りかかった。だがその拳をあっさりと避けられる。克哉が心底呆れた様子で肩を竦めた。

 

「いい加減、学べよ。あんたは俺に歯向かうことなんて出来ないんだ」

 

 克哉がまとう気配をかえた。レンズ越しの鋭い眼差しが御堂を射る。底知れぬ恐怖が這い上がってきた。

 克哉が鷹揚な動作で御堂に向かって手を伸ばした。その手から逃れようと身体をねじったところで、足に力が入らず、膝が折れた。倒れ込もうとする身体を克哉が寸でのところで捕まえて、会議室のテーブルに押し付けた。

 両手でテーブルを押し返して体勢を保とうとするも、克哉のフェロモンに囚われた身体はもう言うことを聞かずに、無様にテーブルに突っ伏した。

 

「よせ……っ!」

「先ほどはイけなくて苦しかったでしょう? 続きをしてあげますよ」

「嫌だっ! 放せっ!!」

 

 喚き散らす御堂に克哉は諭すように言った。

 

「御堂さん、会議室のドアは鍵かかっていないんですよ? オメガに犯されている現場を見られていいんですか?」

「やめ……、ふ……ぁあ…」

 

 また、フェロモンだ。

 頭をくらくらさせるような甘い香りが濃く迫ってくる。同時に下腹部に熱がなだれ込んでいった。甘ったるい疼きが身体の奥に宿り、四肢がしびれたように力が抜けた。

 アルファがオメガに組み伏せられている場面など決して見られてはならない。

 心身共に挫かれて抵抗を止めた御堂の首元に克哉の指が滑り、ネクタイをさっと解かれて引き抜かれた。両手をきつく掴まれて奪われたネクタイで縛り上げられる。

 

「佐伯、やめないか……っ!」

 

 抗議する声は周囲を気にして小声になり、懇願の色さえ帯びた。

 克哉の遠慮のない手が御堂のズボンにかかった。

 ベルトのバックルを外されるとズボンを脱がされた。膝まで落ちたズボンのせいでさらに身動きが取れなくなった。濡れて性器の形をいやらしく浮き立たせるアンダーに克哉の指が伸びる。下着の上からじっくりと御堂の張りつめたペニスの形をなぞっていく。

 

「またお漏らしですか? 下着をこんなに濡らして」

「ぅ――っ」

 

 かろうじて放ってはいなかったが、大量の先走りでアンダーには濃い染みが広がっていた。それを克哉に指摘されて。羞恥に顔が燃える。

 

「多くの人間に、それも自分の上司たちに見られて興奮しちゃいました?」

「そんなわけあるかっ!」

「そんなこと言っても、全く説得力ありませんけどね」

 

 ぬちゅり、とねばついた音を立てて下着を降ろされた。

 窮屈に閉じ込められていたペニスがぶるんと弾み出てくる。先端の小孔からは透明な粘液が下着へと糸を引いていた。

 

「物欲しそうによだれを垂らして。そんなにイきたいんですか?」

「違……っ!」

 

 首を振って否定したが、克哉の言う通りだった。ペニスは解放を求めてもっと強い刺激を欲しがっている。克哉の手によって導かれる絶頂の凄さは記憶に生々しく刻み付けられていた。

 だが、克哉はそれ以上御堂のペニスに触れようとはしなかった。生殺しにされたかのように、滾る熱が出口を求めて体内で凝り、渦巻く。

 

「苦しそうですね」

「く、……ぅ」

「俺に懇願してみますか? イかせてください、って」

「誰が、貴様なんかに……っ」

「あんたは強情だな。素直になればいいものを」

 

 せせら笑いながら克哉が御堂の尻の狭間に指を滑らせた。窄まりに指が触れる。それだけで大げさなほどアヌスがヒクついた。

 

「ひ……っ」

「御堂さん、今日は後ろだけでイってみましょうか」

「何……を、よせっ、やめろっ、……ふ、ああっ」

 

 ぬぷっと周囲を濡らしていた先走りのぬめりを借りて克哉の指が入ってくる。中をくるりとまさぐるとすぐに二本に増やされた。

 

「二回目なのに随分と柔らかいな。もしかして、自分でいじってました?」

「そんなこと……するかぁっ、や……ぁっ」

 

 二本の指でゆっくりと狭い内腔を広げられていく。ひんやりとした感触を深いところに感じた。外気に触れるところのない粘膜が拓かれたのだ。うごめく指に粘膜が反応する。きゅっとうねり、抜き差しされる克哉の指を引き留めるかのように絡みついた。

 

「く……ぁ、あ……、ふ…」

 

 胸を忙しなく上下させながら、克哉の指に耐えていると、ようやく指を引き抜かれた。気配を感じて肩越しに振り返ると、克哉がポケットから何かを出した。銀色の小さなパッケージはゴムだ。

 そのパッケージを歯で噛んで破り、中のゴムを出した。ゴムを摘まみだすと、御堂のペニスに手際よく装着される。

 

「会議室を汚されたら困るからな」

 

 そう言って、自身は自分のスラックスの前を寛げた。雄々しくそそり立ったペニスを御堂の尻の狭間に押し当ててくる。御堂が会議室を汚さぬように気を付けても、自身は御堂を汚すことを厭わないようだ。

 

「も……やめろ…っ、くあ、ああ……っ」

 

 背後から狭い部分に凶暴な圧がかかってくる。限界まで広がったアヌスが克哉の亀頭の張り出しをぐぷぐぷと呑み込まされていった。

 克哉は中を試すように浅く二三度行き来させたあと、一気に最奥まで貫いた。

 

「い、ぁあ―――んっ!」

 

 あまりの苦しさに大きな悲鳴をあげそうになり、両手を結ぶネクタイに噛みついた。

 

「体の力を抜かないと苦しいですよ」

 

 筋肉を浮き立たせて苦痛を堪える御堂に克哉が声をかけてくるが、体の中を遠慮なく抉られてそんな余裕などまったくない。克哉が腰の動きを止めて、ふうと息を吐いた。

 

「さすがにまだ無理か」

 

 そうつぶやくと、つながったまま上体を深く伏せてきた。

 耳元に口を寄せて囁く。

 

「御堂さん、今、気持ちよくしてあげますよ」

「ん! ふっ! んん――っ!!」

 

 甘い香りが濃く迫る。これはフェロモンだ。首を振ってその香りから逃げようとしたが、あっという間に感覚が痺れてきた。痛みが遠のき、結合部から鋭い快楽が突き上げてきた。中の粘膜が勝手に蠢きだす。克哉が軽く腰をゆすっただけで、めくるめく悦楽に包まれた。

 

「ひ……っ、はぁ、あ……あ、ああ」

 

 御堂の変化を感じ取った克哉が、再び大きな律動を始めた。

 

「いい調子だ。さすが、エリートのアルファ、素質があるな」

 

 喉で笑って、深く強く突き入れてきた。

 下腹の裏側を執拗に擦り上げられる。ペニスに触れられてもいないのに一突きごとに絶頂を迎えた。びくびくとペニスが跳ねて、大量の精液をゴムの中に吐き出していった。

 地獄のような絶頂から逃げたくて、必死に首を振って抵抗するが、お構いなしに激しく責め立てられる。

 オメガに犯されて達したくないのに、自分ではどうにもできない。どうにか自制心を取り戻そうともがくたびに、あの甘い匂いが迫り、視界を霞ませた。

 克哉はフェロモンを操って御堂をメスに堕とそうとしている。御堂の快楽を操り、後ろを抉られるごとに強制的に絶頂に導いている。そうして、御堂の身体にアヌスを使う快楽を叩き込んでいるのだ。

 愉悦に満ちた声が降ってきた。

 

「メスになった気分はどうだ?」

「あっ、やっ、んぁ、あ、ああ」

 

 穿たれるたびにそうと気づかずに嬌声を漏らしていた。いつの間にか腰が上がり足を大きく開いていた。オスを悦んで受け入れる浅ましいメスの身体だ。

 嫌なのに、自分の身体は与えられる快楽を貪り、勝手に昇り詰めていく。

 

「……く、ぁ、あ」

 

 克哉が腰を揺らした。中の熱塊が弾けて、深いところにどっと精液が撃ち込まれていく。それをねじくれた快楽と恥辱に震えながら受け止めた。

 ずりゅっと引きずり出されてつながりが解かれた。ぐったりとテーブルに伏せた。

 ようやく解放されて、壮絶な絶頂の余韻にぼうっとしていると、克哉の手が御堂のペニスに触れた。ペニスに被せられていたゴムを外される。

 

「すごい量だな。さすがアルファだ」

「ぅ……」

 

 揶揄する口ぶりでゴムを御堂の目の前にぶら下げてきた。半透明のピンクのゴム、先端にたっぷりと白濁した液が溜まって風船のように膨らんでいる。

 

「こんなのごみ箱には捨てられないなあ」

 

 す、と克哉が目を細めた。ゴムを掴んでいる手とは逆の手が伸びてきて御堂の顎を掴んだ。無理やり顔をあげさせられる。

 

「口を開けろ」

 

 咄嗟に口を引き結ぶと、顎を掴む指にぎりぎりと力を籠められる。

 

「ぐあ……っ」

 

 遂にこらえきれなくなって口を開いた。克哉が低く笑って、御堂の開いた唇にゴムの口を触れさせた。

 自分が放った粘液がどろりとゴムの中を流れて、自分の口の中に伝い落ちていく。

 

「自分が放ったものは自分で始末しろよ。高貴なアルファの種だろ?」

「かは……っ、く…、うぅ……」

 

 室温に冷えた大量の白濁が流れ込み、口内に青臭いえぐみとゴム臭さが充満する。気持ち悪さにえずき、口を閉ざそうにもきつく顎を押さえつけられて、それが出来ない。克哉はゴムを扱いて最後の一滴まで御堂の口の中に注ぎ込むと、今度は手で口を塞いできた。吐き出すことが叶わず無理やり飲まされる。

 ねっとりとした精液が喉にひっかかりながら臓腑へと垂れ落ちていった。自分が放ったものとはいえ、精液を飲まされる屈辱は言葉にならない。

 

「それでは、御堂さん。また今度」

 

 御堂をその場に捨て置いたまま、克哉が笑いながら去っていく。

 フェロモンの効果が去り、頭が冷えてきても御堂は呆然としままその場を動けなかった。

(3)
(3)

 自宅、そして、会議で強いられた恥辱に呻吟し続ける日が続いた。最下層のオメガにいいように虐げられた屈辱に、食事も満足に喉を通らない。

 克哉の嗜虐に満ちた眼差しがレンズ越しに光るのを、愉悦に満ちた声が鼓膜を嬲るのを、ふとした瞬間に思い出しては、頭の芯が焼ききれそうなほどの怒りと悔しさに襲われる。

 御堂を打ちのめしたのは克哉だけではなかった。翌日、社の廊下で大隈とすれ違い際、声をかけられた。「御堂君、ちょっといいか?」と隣接した休憩スペースに誘われた。昨日のプレゼンの失敗を責められるのかと緊張したが、そうではなかった。

 

「プロトスリムの販売が順調でなによりだ。社長や他の役員たちも全員君の働きに満足している。この調子で頑張ってくれたまえ」

「それは……ありがとうございます」

 

 ねぎらいの言葉に頭を下げた。大隈の言う通り、プロトスリムは発売以来爆発的に売れている。その数字だけ見れば御堂の手腕は讃えられて然るべきだ。

 大隈は上機嫌に話を続けた。

 

「それにしても佐伯君は優秀だな。あれほど有能な人材が下請け会社のお荷物部署に配属されているとは全くもって由々しき問題だ。キクチの人事評価はいったいどうなっているんだ」

「……」

 

 克哉を讃える言葉を忌々しく聞き流していると、大隈は本題を切り出した。

 

「御堂君、プロトスリムの営業がひと息ついたら、彼をわが社に引き抜くように推薦状を準備してくれんかね。私が後押ししよう。彼みたいな人材は、キクチにはおいておけん。飼い殺しにされるだけだ」

「佐伯を、ですか……?」

 

 御堂をわざわざ呼び止めたのは、克哉の引き抜きの話をしたかったのだ。しかし、危険なオメガである克哉をMGN社に入れるなどあってはならない。御堂は周囲を気にする素振りを見せて、声を潜めて返した。

 

「……大隈専務、ご存じないかもしれませんが、佐伯克哉はオメガです」

「何? 彼はオメガなのか?」

「そうです。間違いありません。履歴書も確認致しましたし、本人もそれを認めています」

「なんだと……」

 

 大隈の目が驚きに大きく見開かれた。口を開きかけたまま続く言葉を失う。

 期待通りの大隈の反応に御堂は小さく唾を飲み込んだ。大隈こそ生粋の性別主義者だ。御堂が部長を務める医薬品開発第一室の前部長であり、室のメンバーを全員アルファに選別し、アルファ以外が配置されることを拒んだ張本人だ。御堂は大隈が築き上げたルールを忠実に引き継いでいる。

 

「ですので、僭越ながら、あまり佐伯に入れ込むのはいかがと思います」

「ふむ……。彼はオメガだったのか。意外だったな」

 

 考え込むように大隈は腕を組んだ。

 

「だが……あれほど優秀なオメガは見たことがない。アルファに匹敵する。いや、むしろ、平均的なアルファ以上かもしれん」

「な……っ」

 

 今度は御堂が言葉を失った。

 

「御堂君、我々は考え方を改めなければならんな。オメガの中にも彼のような逸材がいる。それをオメガという理由だけで疎んじるのはわが社にとっての損失を招くかもしれん」

「本気でおっしゃっているのですか……?」

 

 とても大隈の言葉とは思えない。まじまじと大隈を見つめると、大隈は大きく頷いた。

 

「わが社は医薬品分野でのリーディングカンパニーであるグローバル企業だ。オメガ向けの発情抑制剤も販売している。オメガを差別することなく、わが社の要職でオメガ性の社員が活躍している姿はわが社の先駆的な姿勢を内外に広くアピールできるだろう」

 

 大隈は克哉を引き抜くだけでなく、MGN社の幹部コースの候補生として克哉を推すことさえも視野に入れているようだ。慌てて大隈の言葉を遮った。

 

「大隈専務! お言葉ですが、今まで、わが社の役員職にオメガ性の者が就任したことはありません」

「今まで就任しなかったからと言って、わが社は役員職からオメガを排除するなんて決まりはなかったはずだが」

「……それはそうですが」

「御堂君、君は法学部の出身だったな。それならば雇用機会均等法はよく知っているはずだろう。オメガ性だからといって差別することは恥ずべき行為だぞ」

「っ……」

 

 大隈が表情を険しくして、御堂に対して不快感を示した。大隈は完全に克哉側に立っている。

 愕然とした。大隈は昨日の会議で克哉の指向性フェロモンによって操られた。もうあれから一日以上経っているにも関わらず、いまだに克哉に対して異常なほどの好意を抱いている。

 発情は克哉から離れれば治まる。だが、大隈を始めとしたあの会議の参加者に行われたのは印象操作なのだろう。一度植えこまれた克哉に対する好印象は、そう簡単に消え去るものではない。克哉がいないところでも、この様に克哉の肩を持つ有様だ。これはまさしく洗脳そのものだ。

 身体の横におろした拳をきつく握りしめた。

 克哉をこれ以上MGN社に近づけてはいけない。

 アルファはオメガのフェロモンに弱い。

 MGN社の首脳陣はほぼすべてアルファが占めている。つまりそれは、たった一人のオメガに狂わされるリスクを抱えているのだ。

 それは決してMGN社だけの特徴ではない。この国、そして他の国でも主要なポストは例外なくアルファが据えられている。つまり、政治も経済もほんの一握りのアルファが掌握しているのだ。それを誰もが当然のことと考えていた。しかし、これは非常に脆弱なシステムではないか。克哉がその気になればこの国を、そして世界を転覆させることさえ出来るだろう。オメガは弱者のふりをしたアルファの天敵なのだ。

 大隈に克哉の危険性を説き伏せたかったが、今の大隈にそれを言っても、聞き入れられないどころが逆効果だろう。克哉の能力を知っているのは自分一人なのだ。

 ここは素直に、大隈の命令に形だけでも従っておいた方が良い。そして、機を見て克哉を上手く排除する必要がある。

 苦々しい気持ちを抱えたまま御堂は自分の執務室に戻ると藤田を呼び出した。そして、キクチの人事部に連絡して、克哉の履歴書、そしてキクチでの人事評価表を取り寄せるように命じた。推薦状を書くために必要な書類一式だ。

 御堂の言葉に藤田は目を輝かせた。

 

「もしかして、佐伯さんを引き抜くのですか?」

「まだ決定したわけではない。だから、本人には内密にしろ」

 

 不機嫌に返事をしたが、藤田は声を弾ませた。

 

「佐伯さんもしMGNに来られるなら、ぜひ、この室に来てほしいですね!」

「……彼はオメガだぞ?」

「はい?」

「佐伯がわが社のポストについたら……そして万一、この室に来たら、君は佐伯の部下になるかもしれないのだぞ」

「それが何か問題なのですか?」

 

 藤田はきょとんとした顔を御堂に向けた。苛立たしげに返した。

 

「君は曲がりなりにもアルファだろう。オメガの下につくなんて恥ずかしくないのか?」

 

 御堂の言葉に藤田は目をぱちくりと瞬かせた。

 

「佐伯さんはすごくデキる方じゃないですか。俺は、御堂さんや佐伯さんといった、尊敬できる人の下で働けることを誇りに思います」

 

 はっきりと言い切られた言葉に御堂は返す言葉を失した。藤田の顔には何の迷いもない。御堂が暗に意味したオメガへの侮蔑さえも気が付いていないかのようだ。

 まさか、藤田まで……。

 着実に克哉の指向性フェロモンはこのMGN社内に浸透している。藤田のように克哉に心酔するアルファも出てきている。特に、若いアルファは柔軟さを兼ね備えている分、克哉が植え付けようとする価値観に抵抗を持たないのかもしれない。

 このままでは、あのオメガ一人にこの社は支配されてしまう。

 一刻も早く手を打たなければならない。だが、どうやって?

 大学を卒業してからずっと勤めてきたMGN社、社内の権力構造も人間関係もすべて把握しうまく立ち回ってきたつもりだった。

 だが、いまやMGN社は御堂の理解できない異質なものへと変化しつつある。

 自分の足元が崩れ落ちていくような恐怖がこみあげてきた。

 

 

 

 

 そして、ようやく迎えた週末の夜。災難は予告なく降りかかってきた。

 自宅のリビングで招かれざる客たちが騒ぐ。その声を壁越しに聞かされながら、御堂は隣接する寝室で歯噛みしながら耐え忍んでいた。

 

「へえ、随分と広い家だな。だけど、いいのか、本当に?」

「ああ、御堂さんが好きにくつろいでくれって」

「本当か!? ……だけど、当の御堂さんはどこにいるんだ?」

「急用で出かけることになってな。お前と俺で先に始めていてくれだとさ」

「主がいないのに、俺たちだけで宴会始めるのもな……」

「すぐに戻ってくるさ。本多、御堂さんの秘蔵ワインだぞ」

「おおっ、すごいな! なんだか高そうだ」

「遠慮せず飲んでくれってさ」

 

 喜色に満ちた声とともに、コルクが抜ける音が響いた。「乾杯」と大きな声があがり、すぐに談笑する声が響いてきた。

 壁越しに響く二人の声を、御堂は口の中に詰められたハンカチを噛みしめて、身悶えながら聞かされていた。こうなる少し前、克哉が自宅に押し掛けてきたのだ。

 あの自宅での接待の時に奪い取った合鍵を使って部屋に入ってきた克哉は、突然の侵入者に抵抗する御堂を易々と組み伏せ、ベッドに拘束した。御堂の両手をベッドヘッドに拘束すると、御堂が動けないように縛り上げた。

 

「何をするっ!!」

 

 怒りを露わに怒鳴りつけたが、克哉は、涼しい顔でとんでもないことを言いだした。

 

「今日、本多にせがまれて、御堂さんの部屋に連れていくって言っちゃったんですよね。今から本多を連れてきますから、ここで大人しくしてもらっていてもいいですか?」

「な……っ、ふざけるなっ! これを解け!」

「それなら、俺たち二人歓迎してくれますか?」

「誰が貴様らなんか歓迎するかっ!!」

「やっぱり、そうなりますよね」

 

 わざとらしく残念そうな顔を作るとにこやかな営業スマイルで御堂に笑いかけた。

 

「では、御堂さんにお手数はおかけしません。あとはこっちで適当に宴会して解散しますから」

「貴様は一体何を言っているんだ!」

「御堂さん、本多に見つからないように静かにしていてくださいね」

 

 克哉が人差し指を立てて御堂の唇に触れさせた。「シーッ!」と唇だけを動かして吐息で囁く。

 

「それとも本多にバレてもいいんですか? アルファであるあなたがオメガの俺に抱かれてみっともなく喘いでいたことが」

「ぐ……」

「あんまり騒ぐなら、先日の御堂さんのハメ撮りの上映会にしてもいいんですよ?」

 

 克哉の脅しの言葉に全身が凍えた。克哉が唇の片端を吊り上げて嫌な笑みを作る。

 

「その調子ですよ、御堂さん。なあに、本多も御堂さんの部屋を見ればすぐに満足しますって」

「ん、ん――ッ!」

 

 そして、御堂の口にハンカチを詰め込むとベッドの上で動けない御堂を放り出して、部屋の電気を消して出ていったのだ。しばらくして本多を連れて戻り、堂々と御堂の部屋に上がり込んできた。

 克哉は御堂のキッチンやワインセラーを勝手に漁り、どうやら秘蔵のワインまで引っ張り出して宴会を始めたらしい。本多の耳障りな大声が響いた。

 

「それにしてもプロトスリムの売上、すごいよな。これもすべて克哉の快挙だ」

「買い被り過ぎだ。プロトスリムは画期的な薬だからな。放っておいても売れただろうが、8課の営業のスキームがプロトスリムのインパクトを上手くアピールできたのだろう。それに、御堂さんに発破をかけられたのもある」

「ああ、確かに。御堂さんのあの言い方ムカついたよなあ。いきなり売上目標上げろって難癖つけてきて」

「だが結局、売上は据え置きになったろう? あれは御堂さんなりの檄の飛ばし方だったんじゃないか」

「本当か? そうは思えなかったけどな。金持ち向けの薬を売るのも骨が折れるな。……だけど、金持ちって大変だな。金をかけて太って、金をかけて痩せるのか」

「俺達には縁遠い話だな」

「違いない。アルファの考えることは俺には分からないぜ」

 

 好き放題に言い合う二人の会話を忌々しく聞き流しながら御堂は口の中のハンカチをぎりぎりと噛みしめた。克哉は本多を早く帰すどころか、リビングで夜を明かしそうな勢いで次から次へとワインを開けている。

 なぜこの身勝手極まりない暴虐を、アルファである自分が耐えなければならないのか。

 ふつふつと怒りが滾ってくる。

 拘束された状態でも壁に力任せに身体を打ち付ければ本多に気付いてもらえるだろう。

 だが、どう言い訳すればいい?

 オメガである克哉に脅迫されたことがバレたなら、御堂が克哉に何をされたかまで暴かれてしまう。アルファの矜持として、オメガに屈辱を味あわされた事実など絶対に表沙汰にはしたくない。

 酔いが程よく回ったのか、本多が上機嫌な声で言った。

 

「克哉の話通りなら、御堂さんて、嫌なアルファだと鼻についていたけど、実はいい奴なのかな」

「ああそうだ。俺たち、ベータやオメガも引き立ててくれる。まあ、実力がない奴には厳しいがな」

「それなら俺とお前は大丈夫だ、なあ、克哉?」

「その自信はどこから来るんだ、本多」

 

 呆れたように克哉が応え、そして二人の笑い声が沸き立った。

 

「あれ、そういえば、御堂さんはまだなのか?」

「御堂さんに連絡してみる。お前はテレビでも見ていてくれ」

 

 ピッと電子音がなってテレビの電源が入れられる。しばらくチャンネルをザッピングして、御堂が契約していた海外のスポーツ番組チャンネルを見つけたようだった。

 

「おおっ、すげえ、イタリアのバレーボール中継じゃねえか!」

「それじゃあ、これでも見て待っていてくれ」

「ああ」

 

 テレビのボリュームをあげたようで騒々しい中継にそれを応援する本多の声が被さった。

 ひたひたと廊下をこっちに向かう足音がする。寝室のドアノブががちゃりと鳴って御堂は身を固くした。

 

「御堂さん、調子はどうですか?」

「んっ!」

 

 ドアを閉めて、白々しい口調で克哉が寝室に入ってくる。電気を消したまま御堂を縛り上げたベッドへと歩みを寄せると、御堂の口の中から唾液で濡れて重くなったハンカチを取り去った。

 唾を飲み込んで何度か口を開閉し、力が入りすぎて硬くなった顎を緩めると、本多に気付かれないように声を潜めて言った。

 

「彼…本多君も……君が操っているのか」

「いいえ。あいつはベータだ。操ろうと思えば出来なくもないが、アルファほどはフェロモンが効かない。特にあいつみたいに頑固な奴は一瞬操ることは出来ても操り続けることは難しいんだ」

「……」

 

 首を振って即答した克哉は御堂に向けて慇懃に頭を下げた。

 

「すみませんね、御堂さん。あいつガサツなところもあるが、根はいい奴なんですよ。御堂さんのフォローはしておきましたので、無礼な物言いは許してやってください」

 

 薄い笑みを保つ克哉を睨み付けた。

 

「……君は一体何を企んでいる? MGNを乗っ取るつもりか?」

 

 御堂の言葉に克哉は一瞬、目を瞠り、そして笑った。

 

「MGNを乗っ取る? 考えたことはなかったがそれも楽しそうだ」

「それなら、何が目的でこんなことをする。金や地位を望んでいるのか?」

 

 MGNの上層部のアルファを操り、御堂を貶める。そんなことをして何の意味があるのか。

 金や地位を望んでいるのなら何かしら交渉の余地があるのかもしれない。オメガと取引をするなど虫唾が走るが、そんなことを言っている状況ではない。この男をこれ以上野放しにはできない。

 だが克哉は御堂に冷ややかな視線を返した。

 

「金? 地位? 随分と俗なことを考えるんだな。アルファのあんたたちも金や地位のために日々生きているのか?」

「違う。常に上を目指して努力するのはアルファとしての責務だからだ」

「責務?」

「アルファとして生まれたからには、この社会をより良いものへと導く責任がある。君たちオメガやベータがより良い生活を送れるように、我々アルファが努力しているのだ」

「なるほど、それはアルファも大変だ」

「分かったならこんな馬鹿げたことを直ちにやめるんだ。今なら大事にせずに、ことを収めてやる」

 

 ふう、と克哉はこれ見よがしにため息を吐いた。

 

「あんたは本当にどこまでも偉そうだな。俺が、そんな社会壊してあげましょうか? あんたをその責務とやらから解放してあげますよ」

「貴様……アルファを憎んでいるのか?」

 

 暗い部屋。カーテンを通して、輝く都市の光が淡く差し込んでくる。御堂を見下ろす男のレンズが暗闇の中で仄暗く光った。

 克哉の真意を掴もうと表情を慎重に探った。レンズの奥の切れ長の眸、すっと通った鼻筋、形の良い薄い唇。克哉の人形のように整った顔立ちは冷ややかで、感情の揺らぎを読み取ることが出来なかった。

 オメガは過去から現在まで絶え間なく虐げられてきた最下級の性別だ。近年になり、かろうじて人権は保障されたが、それまでの扱いは獣同然でアルファを始めとした上流階級の欲望の対象として貪られ、消費されてきた。

 それが当然のことであったし、オメガもアルファを始めとした権力者に媚びて存在意義を保ってきていたのだ。御堂は今の今までその社会構造に疑問を持ったことはなかったが、異端のオメガである克哉がアルファに対して憎悪を募らせていたとしてもおかしくはない。そして、その憎悪が身近なところにいたアルファ、御堂の元へ向いたとしても。

 だが克哉は御堂の言葉にわずかに首を傾げると冷淡な口調で言った。

 

「弱いものが虐げられるのは当然じゃないですか。それを恨んだりするわけないでしょう」

「なんだと?」

 

 克哉は指を伸ばして御堂の頬に触れた。その指先で産毛を逆立てながら頬の輪郭をたどっていく。ぞわぞわとした嫌な感触が克哉が触れたところからさざ波のように広がっていく。

 

「俺が興味があるのはあんただ」

 

 御堂を見詰める眸に底知れぬ闇が宿った。

 

「アルファがピラミッドの頂点に座して当然と思っているあんたが、オメガに貶められて恥辱にあえぐ様は俺を興奮させる」

「な……」

「あんたを操ることは簡単だ。俺がその気になれば、あんた自ら俺に尻を出して抱いてくれと懇願させることが出来る」

「――ッ!」

 

 克哉の指先がつうと滑り、御堂の唇をなぞった。

 

「だが、そんなことをしてもつまらない。あんたみたいな完璧なエリートのアルファが屈辱と苦痛に塗れながら堕ちていく姿を見たいんだよ」

「貴様は……狂っている」

 

 克哉は低く笑った。悪意が滴り落ちるかのような表情に御堂は身じろぎをすることさえもできなかった。

 ふと思いついたように克哉が御堂に視線を留めた。

 

「そうだ、ただ待っているのもつまらないでしょう?」

「く……っ、よせ……っ!」

 

 克哉はにこやかに言い放ち、御堂の下半身を剥き出しにすると、カバンの中から何かを取り出した。

 いくつか取り出したものを御堂の横に並べていく。それを横目で見て、血の気が引いた。

 克哉はその中からサイズの違う球が連なった棒状の玩具を手に取り、それに潤滑剤を垂らした。顔色を変えた御堂に克哉が微笑む。

 

「これが何だかご存知のようですね、御堂部長。そうです、アナルパールです。これ、使ったことあります?」

「あるものかっ」

「それじゃあ、初めてですか。それは楽しみだ」

「よせっ! ……ぁ、んあっ」

 

 尻の間にアナルパールのぬめる先端が入り込んできた。必死に閉ざそうとしたが、アナルパールの先端の小さな球体はさしたる抵抗もなく、くぷりと中に入り込んできた。

 

「や……、ぁ、あ……っ」

 

 球体が潜り込んできては納まり、次のもう一回り大きい球体が御堂の内腔をさらに拡げていく。

 最初は小さなサイズだったのだが、ひときわ大きな球がアヌスにめり込んできた。

 

「は……ぁ、無理…だっ」

「もっと大きい俺のを咥えこんでいたんですから、これくらい大丈夫でしょう」

「ひ、あ……ぁああ」

 

 薄笑いを浮かべながら克哉が力を籠めて押し込んでくる。アヌスがめりめりと大きく引き伸ばされて、球を呑み込んでいった。一番太いところが通過すると、あとはぐぷりと嵌まった。きつい内腔がみっちりと球体の形に拓かれる。硬い淫具に容赦なく犯されて、強すぎる違和感に息を詰めた。

 

「くるし……、抜け……っ」

 

 額からは脂汗が次々と玉のように浮かび上がった。身体を貫く異物を出そうと腹に力を籠めるも、アヌスはきゅっと絞られ、苦しさは余計に増すばかりだ。

 御堂がのたうつ様を見下ろしながら、克哉は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

「これ、動くんですよ。試してみますか?」

「や……、やめ――っ! はぁあああっ」

 

 声を上げたのと同時にアナルパールが蠢きだした。低い振動音と共にぐりっと粘膜を硬い球が抉る。苛烈な刺激から逃れようと身体をのたうたせたが、パールは抜けることもなく御堂の内側を責め続けた。

 

「嫌だ……っ、止めろっ! 抜け……っ!」

「御堂さん、あまり大きな声を上げると本多にバレますよ?」

「や……ぐぅっ」

 

 慌てて口を引き結んだが、拒絶の言葉を吐き続けないとあられもない声をあげてしまいそうだ。壁の向こうからはテレビの音声がけたたましく鳴り響いている。時折、本多の歓声が響き、本多は隣接した部屋の中で何が行われているか全く気が付いていないようだ。

 

「御堂さん、そんなこと言って本当は気持ちいいのでしょう? 嘘はよくないなあ」

 

 克哉の指先が御堂のペニスに絡んだ。つう、と根元から形をたどる。いつの間にか淫らな角度に勃ちあがったペニスを信じられない面持ちで見た。

 

「違うっ! これは、お前がフェロモンで……っ」

「俺は何もしていませんよ。あんたが勝手に感じているんだ」

「馬鹿な……っ!」

「何でもかんでもフェロモンのせいにしないでください。あなたは淫乱なんですよ。後ろに玩具を咥えこんで善がるような、天性の淫乱ですね」

「まて……っ、ひ、ぁ、ああっ」

 

 笑いながら克哉が御堂のペニスを根元から擦り上げた。甘美な感覚がせりあがり、ぬちゅりという音が響いて、先走りが溢れて克哉の指を濡らしていることを思い知らされた。

 

「これじゃあ、あっという間にイっちゃいそうだ」

 

 顔に冷笑を浮かべながら、克哉が御堂の横に並べていた道具の中から、細く黒いベルトを手に取った。

 それを御堂の反り返ったペニスの根元に巻き付けていく。

 

「痛……、ぁ……っ」

 

 ベルトにぎっちりと締め付けられてペニスが苦しそうにひくひくと脈うった。

 

「これで少しは我慢できるでしょう。じゃあ、そろそろ俺は戻ります。本多に怪しまれる」

「待て……っ、これを外せ…っ」

 

 充血したペニスを締め付けられる苦しさに呻いた。だが克哉は身悶える御堂に意に介さずにベッドから離れた。寝室のドアノブに手をかけながら振り返る。

 

「そうだ、御堂さん、くれぐれも気を付けてくださいね。あいつに見られたら誤魔化しが利かない」

 

 パタン、と乾いた音を立てて、寝室のドアが閉まった。

 すぐにリビングへの扉が開いて克哉と本多の会話が聞こえてきた。

 

「おう、克哉! どうだった?」

「御堂さん、会社でトラブルがあって、いったん会社に戻ったらしい」

「なんだって? それじゃあ、俺たちだけここで飲んでいるわけにはいかないだろう」

「いや、もう少ししたら戻れるからここで飲んでいてくれってさ」

「それは悪いなあ」

「御堂さんの厚意をないがしろにするのも申し訳ないだろう。ほら、グラスが空いているぞ」

 

 勝手なことを言う克哉に血が滲むほど唇を噛みしめた。あの男たちはいつまで居座る気なのだろうか。

 

「……くぁっ」

 

 怒りで腹部に力が入ったせいか、アナルパールが腸壁をきつく抉った。不意打ちの衝撃に声をあげてしまい、慌ててくちびるを引き結んだ。

 愉しげな談笑がリビングから響いてくる。

 本来なら主であるはずの御堂は、寝室で無様に縛り上げられて、脚の間にはアナルパールが埋め込まれている。

 

「くそ……っ!」

 

 忌々しく吐き捨てたが、状況は何ら改善しない。

 それどころか時間が経つほどに、アナルパールは単調な振動で御堂を苛んでいった。最初は異物を挿入された嫌悪感しか覚えなかったそれは、身体が一度快楽を拾ってしまうと、もどかしい快楽を与え続ける拷問具と化した。

 先ほどからずっと射精感に襲われているがペニスの根元に巻き付いた小さな革製ベルトが達することを許さない。

 

「ぅ……あ……っ」

 

 一度火が点いてしまった身体は内側から御堂をとろ火で炙るように容赦なく追い立ててくる。逃げ場がない快楽が中で暴れ狂う。せき止められた悦楽をどうにか解放したくて腰を卑猥に突き上げた。

 悩ましく腰をうねらせた衝撃に、アナルパールがある場所を抉った。そのまま執拗にそこをこすり続ける。

 

「はぁっ、ひぃっ、あああっ、んあ、あ、ああああっ!」

 

 ついに堪えきれなくなって腰を突き上げながら、喘ぐ声を迸らせた。どうにか絶頂に辿りつきたくて腰がはしたなく前後する。開ききった口から溢れる声の大きさに気付いたが、次々と打ち寄せる快楽の波が大きすぎて止めることが出来ない。

 唐突に部屋の電気が付いた。

 

「御堂さん、リビングまで聞こえていますよ」

「あ……ぁあっ、さ…えき?」

 

 聞こえた声に涙と涎に塗れた顔を寝室の入口に向ける。

 克哉が呆れたように腕を組みながら壁にもたれかかっていた。

 驚きに快楽が遠のき、冷静さを取り戻した。リビングにいる本多の存在が頭を過る。ひやりと血の気が引いて、力ない呻きが漏れた。

 

「ぁ……」

 

 克哉がつかつかと近寄ってくる。

 

「まあ、安心してください。本多は酔いつぶれて寝ています。御堂さんの恥ずかしい声にも気づいていません」

 

 克哉の言葉にどっと安堵が押し寄せた。

 にやりと笑った克哉が手を伸ばし、アナルパールのスイッチを切った。刺激が遠のき、ぜえぜえと呼吸を荒げながら酸素を取り込んだ。

 克哉はアナルパールの柄を持ってゆっくりと引き抜いていく。

 

「や……、よせ……っ、ん…ぅあ」

「そんな物欲しげな顔をしないでください」

 

 大きな球がアヌスの壁を引き延ばしていく。球の一番大きなところが出るか出ないかの寸前で克哉は手を止めて、薄く伸びたアヌスの縁を克哉の指がぐるりとなぞった。ぞわり、とした感触に内腿が震える。

 

「もぅ……よせっ、やめて……くれっ」

「それにしても、相変わらず我慢が利かない身体ですね。少しは我慢というものを覚えたらどうです?」

「違う……っ! 貴様が私をおかしくしているんだ……っ!」

「なんでも人のせいにするのはよくないなあ」

 

 克哉が御堂の顔を真上から覗き込んだ。淡い虹彩が御堂の視線を絡めとる。

 

「そんなに俺のせいにしたいなら、気が狂うほどの快楽を味わってみますか?」

「や……、やめろ…っ、待て……っ、は、ああああっ」

 

 あの甘い香りが鼻腔に触れた瞬間、視界がハレーションを起こした。間髪入れずにずるりとアナルパールが引き抜かれる。大きくペニスが跳ねて、身体がのけ反った。

 全身が性器になったかのように、体のどこもかしこもが鋭敏に快楽をすくい上げてくる。肌に触れる空気の揺らぎさえも、ねっとりと愛撫されているかのように感じてしまう。

 壮絶な絶頂感が奥深いところから噴き出してきて、それでも出せない苦しさにかろうじて意識が繋ぎ止められていた。

 

「御堂さん、胸でイってみますか?」

 

 克哉が御堂のシャツのボタンをひとつひとつ外していった。しっとりと汗を刷く肌が露わになる。そこに克哉は手を這わせた。

 

「うあっ、やめ……っ、あ、ぃあ、んんっ」

 

 克哉の指が這った場所がカッと火を灯されたように熱くなる。ぞわぞわとした感触が波紋のように体の表面に広がり、そのあとにジワリと疼きが宿って強烈な感覚を生み出してきた。

 

「私に…触るな……っ。ひあ……っ!? ああああ」

 

 強制的に発情させられて絶え間ない快楽に翻弄される身体、克哉の指先が胸の尖りを掠めた。それだけで大きく身体跳ねて、声が上がった。

 乳首を指でつままれる。それが針で刺されたような衝撃になって、目の前に火花が散る。赤く熟れて勃ち上がった乳首を小刻みに引っ張られるたびに、とめどない喘ぎが漏れた。

 克哉がベッドの横に置いていた道具から何かを手に取るのが見えた。

 それは鎖につながれた二つのクリップで、快楽に蕩かされた思考の御堂も、それが何に使うものだがすぐに察した。金属製のクリップは、とがった先端はラバーで覆われているものの、バネは如何にも強そうで、これを使われでもしたら残酷に苛まされるであろうことが容易に想像できた。

 慌てて克哉から逃げようと不自由な身体を捩った。

 

「嫌だっ! そんなもの、よせっ」

「これ、使ったことあるんですか?」

「あるものかっ!」

「それなら、試してみないと。今の御堂さんにはきっと、ものすごく気持ちいいですよ」

 

 克哉が嫌な笑みを浮かべて、片方のクリップを摘まんで御堂の乳首に寄せてきた。

 

「やめろ……やめてくれっ」

 

 克哉が本気でそれを御堂に使う気であることを察して、懇願を滲ませた口調で首を振った。今の御堂の神経は剥き出しの状態だ。過敏になりすぎている乳首にこんな器具を付けられたら、どれほどの苦痛を味あわされるのだろう。

 

「御堂さん、人にものを頼むときは頼み方ってものがあるんじゃないですか? それとも、格下のオメガにものを頼むなんてプライドが許しませんか?」

 

 なりふり構わず克哉に哀願しようとしていたのに、克哉の言葉が御堂を崖っぷちにとどまらせた。そうだ、克哉は格下のオメガなのだ。アルファがオメガに懇願するなど、恥知らずもいいとこだ。精いっぱい睨み付けて吐き捨てた。

 

「誰が貴様なんかに……っ!」

 

 声に出した瞬間に、クリップが乳首に噛みついた。

 

「が……、ああああっ!!」

 

 想像を絶する痛みに意識が遠のき、すぐに引き戻された。ジンジンと激しい痛みを伝える乳首に身体が細かく震える。

 どうにか痛みを堪えようとする御堂に、克哉はもう一つのクリップを手に持った。それを目にして信じられない気持ちで克哉を見上げた。

 

「もう片方の乳首が寂しそうだ」

「ひ……っ」

 

 倍加される痛みを予期して、恐怖がせり上がってきた。

 苦痛にのたうつ御堂を嗜虐の目で見つめながら、克哉が言う。

 

「どうします、御堂さん。俺に許しを乞いますか? 生意気なことを言って申し訳ありません、許してくださいって、言えば止めてあげますよ」

「ぅ……っ」

 

 矜持も何もかもかなぐり捨てて、克哉に許しを乞えば楽にしてくれるのだろうか。

 この残酷なオメガはアルファである御堂を甚振ることで愉悦を感じている。御堂が無様に許しを乞えば満足して、御堂に対する興味をなくすかもしれない。

 それでも、アルファがオメガに跪くなどあってはならなかった。アルファが連綿と紡いできた気高い血を自分が汚すわけにはいかない。オメガにひれ伏すなど、死んでも嫌だ。

 御堂は口を引き結んだ。ぐっと歯を食いしばって、次に襲い来る痛みに備えた。

 克哉がほう、と感心の息を吐いた。

 

「あんたの強情っぷりには驚くな。アルファの血のなせる業か?」

 

 克哉は手に持っていたクリップを一度置くと御堂の勃ちきったままのペニスに触れた。

 射精をせき止められたペニスは萎えることも許されず痛々しく腫れて、先端の小孔からは白さが混じった粘液が滲んでいる。

 克哉の指が根元を戒めるベルトをパチンと外した。

 

「楽にしてあげますよ」

「ん……っ」

 

 血流が戻ったペニスがじわりと熱くなる。

 だが、やっと解放されたにもかかわらず、あれほど渇望した絶頂は、乳首を甚振られる恐怖に遠のいてしまっていた。それでも、ほんの少しだけ苦しさが和らぎ、詰めていた息を吐いた。

 

「これで好きなだけイけますね」

 

 克哉が場違いなほどに労わる声を出した。そして、ふたたびクリップを手に持つと、にっこりと完璧な笑みを浮かべた。

 

「御堂さん、あんたの強情さに敬意を表して、しっかりと乳首でイかせてあげますよ」

「や……、やめ……っ、あ、ああああああっ!!」

 

 激烈な痛みが乳首で弾けた。電撃が脳天を一気に貫く。深すぎる痛みに神経が麻痺し、そして突き抜けた。激しすぎる感覚に身体が惑う。苦痛が爆発して快楽へと跳ね返った。呼吸をする余裕すらなく、次の瞬間、そうと知らずに射精をしていた。精路を焼き尽くすような熱さの粘液が噴き出す。

 克哉が御堂の身体を二つ折りにして腰を抱え上げた。自身のいきり勃ったペニスをあてがうと、アナルパールに蹂躙されて綻んだアヌスに真上から突き込んでくる。

 濡れた視界で見上げれば、高く抱えられた下半身の中心にそそり立つ自分のペニスが、自分に向いていた。粘液でぬらめく先端の小孔が、いやらしくヒクついている。

 

「ひ、あ、んああっ」

 

 びゅるっと精液が放たれて御堂の顔を濡らした。自分の精液を自分の顔に浴びている。

 身体を揺さぶられると、両乳首を結ぶ鎖が揺れて御堂の乳首を甚振った。痛いはずなのに、それがぞっとするほどの悦楽に塗り替えられていく。

 克哉に体の内側をこすり上げられるたびに、鎖がじゃらりと音を鳴らし、痛みと快楽が縒り合さった感覚を乳首に宿した。そして、御堂のペニスは脈打ちながら精液を噴き出す。

 克哉によって躾けられた身体は、自分でも正視に耐えないほどに淫らに作り変えられていた。

 

「どれだけ出せば気が済むんです?」

 

 克哉が上から突き込みながら呆れたように笑った。

 

「そんなに乳首を責められるのが気持ちいいんですか? それとも、オメガに犯されるのがクセになりました?」

「違っ、あ、あ、あああっ」

 

 意識が吹き飛びそうなほどの圧倒的な体感に、何を言われているかもわからず首を振って否定し続けた。

 出すものを全て放ち切っても絶頂は収まらず、極みの一番深いところに囚われたまま、苦しさと気持ちよさに涙を流し続けた。

 完全な形を保ったままの克哉のそれが御堂の中を出入りするたびに、じゅぷじゅぷと克哉が放ったものが泡立ちながら結合部からあふれ出した。

 嬌声を上げながら克哉の腰に、唯一自由になる両脚を絡みつかせた。克哉の動きを少しでも止めたいのに、力が入らず、その様は必死に縋りついてねだっているかのようだ。

 

「も……やめて…、ああ……っ」

「俺に懇願しますか? あなたが欲しがるだけ与えてあげますよ。奪う側のあなたがオメガに与えられて堕とされていく気分はどうですか?」

「ひっ、あ、いやだっ、……っ」

 

 克哉の前ではどうあがいても快楽の虜にさせられてしまう。自分の不甲斐なさが悔しくて新たな涙がこめかみを滑り落ちた。

 御堂の身体は克哉に陥落したがっている。媚びへつらって、絶頂の先にある果てのない快楽を心ゆくまで貪ろうと御堂を唆す。

 しかし、御堂を犯す男は深い闇を背負っている。その闇に取り込まれないようになけなしの意地で必死に抗った。

 低い声で克哉が囁く。

 

「御堂、いつまで抗えるかな。せいぜい俺を愉しませろ」

 

 克哉の指が伸びて、御堂の両乳首を結んでいる鎖に絡んだ。くいと引っ張られてクリップに挟まれた乳首に新たな痛みが襲う。

 

「っくあ、……ひあああっ」

「イイ声で鳴いてみせろ」

 

 克哉が鎖をひっかけた指を握り込んだ。そのまま肘をぐいと引く。パチン、と乾いた音がして、乳首が引きちぎられたかと思うような鮮烈の痛みを残して、クリップが外れた。

 御堂はひと際高い声で悲鳴を上げると、ふたたび絶頂に達し、意識が遠のいた。

 

 

 

 

 遠くから聞こえる声にぼんやりと意識が戻った。御堂は暗い寝室のベッドで寝かされていて、拘束は解かれていたが、あまりの疲労に指一本を動かすことさえ叶わなかった。肌にはねばついた不快感が残っている。克哉は御堂を貪るだけ貪った後、そのまま放り出したのだろう。

 玄関の方から男たちの声が響いた。呂律の回らない本多の声に、克哉の窘める声が被さる。

 

「あれ……克哉…御堂さんは…? 戻ってきたのか……?」

「とっくに戻ってきたが、お前が爆睡していたから、さっさと寝てしまったぞ」

「なに……? せめて挨拶を……」

「やめろ。酔っ払いのお前に絡まれても迷惑だ。ほら、帰るぞ」

「みど……さん、おじゃま…しまひた」

「本多、ちゃんと歩けっ!」

 

 何かに躓くような物音と「痛っ!」という悲鳴が玄関から響き、すぐにそれを叱咤する声が重なった。

 思考は鈍麻し何も考えられない。ただ、克哉たちがいなくなることに安堵を覚えた。

 

「それでは、御堂さん、また……」

 

 遠くから呼びかけられた声に続いてドアがばたんと閉まり、濁った闇と静寂だけが残された。

(4)

 日が経つほどに懊悩は深まっていく。

 プロトスリムの販売は順調すぎるほどに順調で、工場をフル稼働してなんとか受注に対応している状態だったが、御堂の頭の中は全く別のことで占められていた。

 MGN社内での佐伯克哉の評判は高まる一方で、完璧に仕事をこなし周囲の人間を蕩かす克哉とは対照的に、御堂は些細なミスを頻発し周囲から心配される始末だ。社内で孤立しつつある状況を肌で感じた。MGN社の要職を占めるアルファたちは次々と克哉の術中に落ちている。御堂が克哉を遠ざけようとすればするほど、克哉を庇護する勢力は強まるばかりで、迂闊なことをすれば自身の進退に関わる。

 御堂だけが克哉の端正なマスクの裏に隠された凶悪さを、そして危険極まりない能力を知っている。もう、これは御堂だけの問題だけでない。この社会の平穏と安寧を保つには、克哉を慎重かつ確実に排除しなくてはならない。しかし、その方法が思いつかない。

 オメガに関する医学書を読み漁ったが、分かったことはオメガを対象とした研究は遅々として進んでいないということだった。人口の大半を占めるマジョリティのベータ、数は少ないが富と権力を握るアルファの健康や病気の研究は進んでいるのに、マイノリティで底辺層のオメガはずっと無視されてきた。発情抑制剤として現在使われている薬も半世紀前に開発されてからなんら改良されていない。副作用の強さは昔から指摘されていたが、弱者のオメガのための薬を開発するメリットなどどこにもないからだ。

 こうして、オメガが社会から虐げられてきた状況は分かったが、克哉の特異な能力に関する手掛かりはどこにも記述がなかった。生まれつきの能力であるのか、何かをきっかけとして獲得した能力であるのかも不明だ。

 克哉の能力の前ではアルファは無力化されてしまう。克哉が放つフェロモンから身を守る術が必要なのだ。だがその端緒が掴めない。このままでは、たった一人のオメガにアルファのすべてが屈することになってしまうのだ。

 克哉の出現に怯えながら悶々とした日々を過ごし、やっと迎えた休日、明るい陽射しが差し込むリビングで御堂は一通のメールを受信した。

 

『いますぐ港の公園まで来てください』

「――なんだこれはっ」

 

 自分のスマートフォンに送られてきたメールには写真が一枚、添付されていた。それを開いて血の気が引いた。それはあの日の写真だった。自宅のソファで無残に蹂躙されたときのものだ。自らが放った白濁に塗れててらてらと光る肌に、快楽を極めた顔はとても正視に耐えない淫蕩さだ。

 どうして克哉が自分のスマホの連絡先を知っているのか。誑かされた同じ部署の誰かが漏らしたのかもしれない。しかし、誰が漏らしたのかそんなことを気にかけている場合ではなかった。スマホを握る手が震える。あまりにひどい写真を削除しようとしたところで、スマホが震えた。新たなメールの着信を告げる。

 写真を消そうとした指がメールの通知を

 タップしてしまう。そして、新しい写真が開いた。

 

「ぐ……」

 

 あまりにも淫らな自分が、男を咥えこむ結合部も含めてしっかり映り込んでいた。ぎりぎりと歯を噛みしめる。

 メールには素っ気ない一文が添えられていた。

 

『あなたが来るまで写真を送ります。間違って他の人に誤送信したら申し訳ありません』

「やめろっ!!」

 

 たまらずにスマホ画面に向かって叫んでいた。

 怒りと動揺で頭の中が真っ白になった。何をすべきか混乱して動きが止まる。忌々しいスマホを叩き壊そうと振り上げた寸前、もう一通、新しいメールを受信した。

 それも克哉からのメールで、御堂の痴態を映した写真が添付されている。

 スマホを粉々に叩き壊して、このまま無視したい。

 だが、そうしたら克哉はどう出るだろうか。きっと、この写真を躊躇なくばら撒くだろう。

 それこそ、MGN社の社員に向けて一斉に送信するかもしれない。それとも、ネット上の掲示板などに名前と所属を書いてアップするかもしれない。

 絶望と恐怖にスマホを掴む指先が色を失って白くなった。

 

「くそ……っ!」

 

 とるものも取りあえず、御堂はジャケットを羽織ると部屋から飛び出した。克哉に指示された公園まで、ここから徒歩圏内だ。

 エレベーターホールでエレベーターが到着するのを苛々しながら待ち、一階に到着するや否や、エントランスへと向かって飛ぶ勢いで走り出す。

 そうしているうちにも次から次にメールを受信したスマホが震えて着信を告げた。

 メールの送信を止めさせるためには直接克哉の元に行くしかない。

 公園に向かって全力で走る御堂のただならぬ雰囲気に、道行く人々が驚き、自ら道を開けた。

 東京湾に臨む公園は防波堤と人工の砂浜があり、天気も良い休日のこの日は憩いの場を楽しむ家族連れやカップルで賑わっている。血走った目であたりを見渡して、遊歩道のベンチに腰を掛けてスマホを操作している克哉を見つけた。

 開襟のシャツにジャケットというカジュアルな服装の克哉は、御堂を見つけるとにこやかに片手をあげた。その手には御堂に卑猥な画像を送り続けていたスマホが握られている。スマホの画面に御堂の写真が大写しになっているのを目にして、息を切らしながら駆け寄った。

 

「佐伯っ!!」

 

 克哉のスマホを奪い取ろうとしたところで、さっと避けられた。

 

「思ったよりも早かったですね。走ってきたんですか?」

「貴様は一体、何を考えているんだ! こんなところに私を呼び出して。しかも、あんな写真を送り付けてっ!」

 

 取り繕う余裕もなく荒げた声に周囲の人間が振り向いた。克哉は周りからの好奇心に満ちた視線を浴びながらも涼しい表情を崩さない。

 

「せっかくの休日ですから御堂さんとデートしたいと思いまして」

 

 白々しく言い放つ克哉に怒りが爆発した。射殺す強さで克哉を睨み付ける。

 

「ふざけるな、誰が貴様とデートなどするかっ!!」

「御堂さん、オメガと揉めている姿、見られていますよ」

 

 克哉が立ち上がり、御堂に向かって囁いた。そこでやっと、自分がオメガを前に取り乱していることに気が付いた。

 オメガ相手に激しい言い合いをしているところを知り合いに見られでもしたら、言い訳が利かない。胸を荒く上下させながらも深く息を吸い込んで、自らを無理やり落ち着けた。

 

「その写真を消せ!」

「そうですねえ。近くのホテルでランチを予約したんですよ。ですけど、俺一人じゃ敷居が高くて。ご一緒してくれたら写真を消してもいいですよ」

「何……?」

 

 克哉が口にしたホテルは、この公園に隣接する五つ星ホテルだ。克哉は御堂を脅して言いなりにさせることを愉しんでいる。克哉の言うことを聞いたからと言って、約束を守るという保証はない。それでも、御堂は克哉の要求を無視することは出来なかった。そうすれば、克哉は御堂の目の前で、御堂の痴態を収めた写真を不特定多数に晒すのだろう。

 この場に来た時点で、御堂に選択肢など残されていなかったのだ。

 克哉の脅しがもたらす絶望を想像した途端、怒りは失望に取って代わられた。

 うなだれながら力なくつぶやいた。

 

「……分かった。昼食を一緒に食べればいいのだな」

「ええ。あのホテルに連れて行ってくださいよ、御堂さん」

 

 甘えた声音で周りに聞かれたら誤解されそうな言葉を口にする克哉に、もはや反論する気力もない。克哉に背を向けて、ホテルに向かって歩き出したその時だった。

 

「その前に……、御堂さん、こちらへ」

「何する!」

 

 克哉に腕を掴まれて、強引に公園の公衆トイレに連れ込まれた。個室へと押し込まれて克哉も入るとドアを閉めた。

 

「ただデートしてもつまらないですからね。これを使いましょうか」

 

 克哉が手に持って御堂の目の前に掲げたのは卵型のローターだった。

 それを目にして顔色を変えた。

 

「こんなもの……誰が使うかっ」

「デートは刺激的な方がいいでしょう? 俺が挿れましょうか、それとも自分で挿れます?」

「何を言っているんだ。食事をするだけの約束だろう」

「あなたは俺の要求を断れない、そうでしょう?」

「ぐ……」

 

 早々に勝利を確信した克哉は唇を嫌な笑みの形に歪めながら、御堂の手にローターを押し付けてくる。

 

「ローションの手持ちがないので、たっぷりと舐めてから挿入してください。でないとつらいのはあなたですよ」

「なぜ私がそんなことを……っ」

「嫌なら俺が舐めましょうか。俺の唾液に塗れたローターがあなたの中に挿っていくのも愉しそうだな」

 

 そう返されて言葉を詰まらせた。半ば自棄になって、ローターを克哉の手から奪い取ると、克哉から顔を背けてローターを口に含んだ。つるんとした感触、これがこの後自分の中に入るのかと考えると吐き気さえ催す。

 克哉が眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、御堂を見る眸を眇めた。

 嫌がる素振りを見せることは、この卑劣な凌辱者を喜ばせるだけだ。だから、覚悟を決めてズボンを下着ごと膝までひと息に下ろした。その潔い御堂の仕草に克哉がにやりと笑う。

 

「俺とあなたの仲ですから。もう恥ずかしがる必要もありませんしね」

「……ッ」

 

 殺意を込めた眸でギラリと克哉を睨み付けながら、唾液に濡れてぬらぬらと光るローターを自分の尻の狭間に滑らせた。閉じた窄まりに押し当て、ぐっと力を籠める。

 

「ん……、ぁっ」

 

 ぬるんとした感触と共に隘路に異物が潜り込んできた。浅いところにあるそれは違和感が強く、指先でさらに奥へと押し込めた。

 

「上手にできましたね」

「……」

 

 御堂を揶揄する克哉を無視して、手を洗って服装の乱れを正すとトイレから出た。速足でホテルへの道を歩く。海岸沿いの遊歩道に沿って行けば、ホテルまで十分もかからない距離だ。

 克哉が後ろから御堂を追いかけてきた。

 

「御堂さん、俺を置いていかないでくださいよ」

 

 克哉は御堂と肩を並べると歩調を合わせた。肩が触れ合う距離に詰められて、自然と緊張が走る。克哉が笑いかけてきた。

 

「デートらしく腕でも組みますか?」

「……黙れ、私に話しかけるな」

 

 克哉から少しでも距離を取ろうと、さらに速足になった。克哉がくすっと笑って、一歩後ろからついてくる。身体に力が入ったせいで後ろに咥えさせられた異物の違和感が一段と強まった。その圧迫感も無視してホテルへの道を急ぐ。なるべく克哉と一緒にいるところを見られたくない。

 アルファがオメガを連れ歩く姿は、好奇の視線を浴びる。

 いい歳をしたアルファが若い愛人のオメガを侍らせて、脂下がった顔をしているのは珍しくもない光景だ。だが、御堂はその光景に醜悪さしか感じなかった。朱に交われば赤くなる。オメガと交わればアルファの血が汚れる。

 淫蕩な血が流れるオメガを性欲の発散相手として扱うのは否定しない。オメガは娼婦同然の存在なのだ。だからこそオメガとの関係は隠すべきで、アルファが表立ってオメガと連れ立って歩くなど嫌悪すべき行為だ。

 しかし、幸い克哉は一見してオメガとは分からない。よく見れば、整い過ぎた顔立ちに色素の薄い眼差しと髪、すらりと伸びた手足といったオメガの特徴である優れた容姿を持っている。しかし、克哉の振る舞いは堂々としたもので、どこか怯えて人目を気にするようなオメガらしい態度が見られないのだ。そんな克哉の不遜さが結果的にオメガであることをカモフラージュしている。

 オメガであることは恥ずべきことだ。

 アルファ、ベータ、オメガの性別は十代の時に受ける検査で判明する。オメガは、オメガと診断されてからずっと自らを否定する価値観を周囲から叩き込まれる。これは呪いとなって、オメガの存在を表社会から消し去っていく。発情期があることを除けば、オメガは他の性別の人間と何ら変わらない。そのような医学研究が発表されて、オメガの人権団体が国際的に圧力をかけてきたのもあり、先進国であると自負する日本も横に倣ってオメガの人権を保護し始めたが、根強い差別というものは一朝一夕では拭い去ることは出来ない。

 しかし克哉はどうだろう。このオメガはオメガであることになんら負い目を感じていないようだ。それどころかオメガへの差別を利用して、アルファの御堂を恥辱のどん底に蹴り落して愉しんでいる。

 克哉の唇の片端を吊り上げる冷ややかな笑い方。そういう笑い方をする人間を御堂は何人も知っていた。全員アルファで、他人を虐げることを至上の喜びとする輩だ。相手に対する格付けは鋭く見極め、自分より格下と判定した相手は徹底的に甚振る。相手を貶めることで自分の尊厳を保っているのだ。そういう面では今の克哉はオメガというよりもアルファらしいともいえる。そして、虐げられるオメガ側にアルファである自分が置かれている。それだけは許しがたい。

 遊歩道の向こうにホテルのエントランスが見えてきた。大理石の床で飾られる瀟洒なエントランスをくぐろうとしたところで、今まで無言を貫いていた体内のローターがブルっと震えた。

 

「ぁあ……っ!?」

 

 予期せぬ振動に腰が砕けそうになる。バランスが崩れてその場に倒れ込みそうになったところを伸びてきた克哉の腕に抱き込まれた。

 

「御堂さん、足元、気を付けてくださいね」

 

 克哉は白々しく心配する口調で御堂を覗き込んでくる。そうしているうちにもローターは振動し続けて、御堂を内側から責め苛んできた。克哉がリモコンでローターを遠隔操作したのだ。

 

「佐伯…これを、止めろっ」

「お客様、大丈夫ですか?」

 

 御堂の身体を支える克哉の腕を振り払おうとしたところに、ドアマンが慌てて駆け寄ってきた。

 

「心配ありません。ちょっと疲れたみたいで」

 

 克哉が素知らぬ顔をして応対した。ポケットの中でこっそりとリモコンを操作したようで、ローターの振動が弱くなる。震える足に力を込めて立ち上がると、克哉がさりげなさを装って御堂の腰に手を回してきた。これはどう見ても親愛な関係を示す素振りで、今すぐにでもこの手を振りほどいて、この場から去りたかったが、これ以上悪目立ちはしたくない。顔を深く伏せながら克哉とともにエントランスをくぐった。

 にこやかに二人を出迎えるホールスタッフに克哉がレストランの名前を告げるとフロントの脇のエレベーターホールへと案内された。レストランはこの高層ホテルの最上階に位置している。ちょうど来たエレベーターにふたりして乗り込んだ。エレベーターの密室にふたりきり。それでも声を潜めて克哉に言った。

 

「佐伯。いい加減、これを止めてくれ……っ」

 

 刺激は弱められたものの、エントランスからずっとローターは振動したままだ。

 

「これって、これですか?」

「んああっ!」

 

 克哉がとぼけた様に言って、ポケットの中のリモコンスイッチを操作した。

 途端に感電したかのように、御堂は大きく身体を震わせてエレベーターの壁にもたれかかった。体内で激しく暴れる異物に息を詰める。

 

「く……ぅっ」

 

 刺激を堪えようとすればするほど、粘膜がローターを喰い絞めて、卵型のローターを浮き上がらせ、振動をはっきり感じ取ってしまう。ゾクゾクと腰が痺れて、か細い喘ぎを漏らした。下腹部が熱くなり、性器が形を持ち始める。

 エレベーターの階数表示はどんどんと目的階へと近づきつつある。このままドアが開いたら、エレベーター内の淫靡な行為に気付かれてしまう。克哉に懇願を帯びた声で言った。

 

「お願いだから……やめてくれっ」

「勿体ないな。御堂さん、すごくいい顔をしているのに」

「なに……?」

 

 残念そうに言った克哉がローターのスイッチを切った。淫らな刺激が遠のいて、乱れた呼吸を必死に整えた。もうすぐレストランのフロアに到着する。異変を悟られないようにもたれかかっていたエレベーターの壁から身体を離して背筋を伸ばした。克哉が言う。

 

「御堂さん、今すぐにでも突っ込んでくれ、って言わんばかりの発情した顔をしていますよ」

「な……っ!?」

 

 顔を手で覆った。頬が熱い。鏡はなかったが、鏡面のように磨かれたエレベーターのドア、そこに映り込む自分の顔は、薄暗いエレベーターの中でも、火照って目が潤んでいる。克哉が言う通り、発情しきった顔だ。

 

「こんなに簡単に発情して。まるで盛りのついたオメガみたいだな」

「――ッ」

 

 くくっと低く笑う克哉に言い返す間もなくベルの音とともにエレベーターのドアが開いた。克哉がエレベーターから降りて御堂に手を差し伸べた。エスコートしようとでも言うのだろうか。その手を無視することもできたが、またローターを使われたらたまらない。悔しさを噛みしめながら克哉の手に手を置いた。

 レストランは創作イタリアンで、巷でも高い評価を受ける味と洒落た内装で多くの客で賑わっていた。

 克哉が予約していた名前を告げると、黒服のスタッフに窓際の席に案内された。陽の光をふんだんに取り入れたレストランは、遮るものがなく見通しが良い作りだ。壁一面の嵌め殺しの窓から東京湾が一望できる。

 だが、これでは人目に付く。眉を顰めて、スタッフに「個室は空いていないのか?」と尋ねたが、予約で満席とのことだった。失望を感じながら渋々席に着いた。多様な性のあり方が肯定されるこの国では、男二人というのも珍しいカップルではない。しかし、御堂が選ばれしマイノリティであるアルファであろうことは、身に着けるものや洗練された仕草から分かるだろうし、そうとなれば連れ合いの克哉も興味を惹くだろう。居心地の悪さを感じながら、景色を見るふりをして克哉から顔を逸らしていると、克哉は勝手にランチのコースを頼み、グラスシャンパンも二人分頼んだ。

 ほどなくシャンパンが運ばれてきた。細長いシャンパングラスを掲げて克哉が乾杯する。嫌々それに合わせて乾杯をした。

 一刻も早く、この不愉快極まりないランチをこなして、この場から立ち去りたい。

 スクエアプレートのガラス皿に美しく飾られた前菜が運ばれてくる。食欲は全くなかったし、ともすれば吐き気さえあったが、それを無理やり口に詰め込んだ。

 対する克哉は上機嫌に健啖家ぶりを発揮している。このレストランの名物である生パスタのラグーソースが運ばれてきたところで、我慢できずに席を立った。

 克哉がレンズ越しに御堂を見上げた。

 

「どちらへ?」

「……トイレだ。すぐに戻ってくる」

 

 それだけ言い捨てて、レストランの中を大股で横切るとホテル内のトイレの個室に入った。こんな息が詰まるような食事から一秒でも早く退散したい。しかし、克哉にあの写真を握られている限りはそれが叶わない。

 それでもせめてもの抵抗に、御堂は下着を降ろすと自分のアヌスに指を挿し入れた。

 

「く……、んんっ」

 

 指先にこつんと硬いものがあたる。ローターだ。ゆっくりと息を吐いて意識して筋肉を緩める。奥へと逃げ込もうとするローターを慎重に掴んで引きずり出した。

 

「――んあっ」

 

 ぬるりとした感触と共にローターを引き抜いた。そのローターをトイレのごみ箱に捨てた。克哉が怒るかもしれない、と不安が頭を過ったが、知ったことかと思いなおした。

 一緒に食事をするという約束は守っているのだ。これ以上こんな玩具で弄ばれてたまるか。

 服の乱れを慎重に整え、自分の顔が変に火照っていないことを鏡で確認すると、重い足取りで克哉のテーブルへと戻った。不快感を示すために乱雑な所作で椅子を引いて腰をかけた。

 

「随分と時間がかかりましたね」

 

 探る眼差しを眼鏡越しに投げかけられる。その視線を、食事に集中するふりをすることで遮った。

 さっさと食事を終えるために、メインディッシュの魚料理を片付けようとナイフとフォークを握った時だった。

 

「御堂か? 久しぶりだな!」

 

 御堂たちのテーブルに近寄ってきた男二人組に唐突に声をかけられた。

 

「……田之倉、内河?」

「さっき、お前がレストランの中を歩いているのを見かけてもしやと思ったけど、やっぱりそうか」

「ここに来ていたのか……?」

「ああ、たまたまな」

 

 克哉が御堂に馴れ馴れしく話しかける二人組に興味に満ちた眼差しを向けた。

 自分の顔色が青ざめていくのが分かる。先ほど無警戒にトイレに行ったことを激しく後悔した。

 この二人は田之倉に内河、御堂の大学時代の友人だ。もちろん代々続く純粋なアルファの血筋で、御堂とは大学時代から今に至るまでずっと交友関係を保っている。互いのワイン好きが高じて、月に一度、ワインバーで同窓会を開いているくらいだ。

 田之倉たちが克哉をちらりと見て会釈すると、御堂に意味ありげな視線を向ける。御堂が克哉を紹介するのを待っているのだ。そして克哉もまた口元に微笑を浮かべ、人好きのする表情で黙って待っている。

 仕方なしに口を開いた。

 

「紹介する。私の部下の佐伯だ。……佐伯、私の大学時代の同期の田之倉に内河だ。それぞれ、弁護士と外務省の官僚だ」

「はじめまして、佐伯克哉です」

「よろしく、佐伯君」

「内河だ、よろしく」

 

 次々と挨拶を交わす。

 幸い、克哉がオメガだということは二人にはバレていないようだ。このまま露見しないうちに会話を終えたい。だが、御堂の思惑とは裏腹に、克哉は営業で鍛えたトークで二人とすぐに打ち解けていった。

 三人の会話が弾むのを、内心気が気でない状態で黙り込んだまま見守った。会話を打ち切るタイミングを計っていたが、その前に内河が克哉の素性に切り込んできた。

 

「ところで、君の出身学部はどこ?」

「経済学部です」

「じゃあ、あの名物教授の講義受けたんだ?」

「懐かしいな。あの教授、まだ現役か?」

 

 まずい、と直感した。御堂も含めてここにいるアルファは全員、この国の最高学府である東慶大出身だ。エリート教育を受ける生粋のアルファは当然のごとく東慶大を目指し、厳しい試験をくぐり抜けてそこで学位を取得する。内河たちは御堂と一緒にいる克哉は当然、自分たちと同じ血筋の確かなアルファだろうと思い込んでいるのだ。

 焦って「内河、いい加減にしろ」と無理やり口を挟んだ時だった。克哉があっさりと内河の勘違いを否定した。

 

「それは東慶大の話ですか? 俺は明応大学出身なので」

「明応大学?」

 

 田之倉と内河があからさまに驚いた顔をして、互いに顔を見合わせた。

 明応大学は都内の私立大だ。だが、アルファにはふさわしくないベータ以下のランクの私大なのだ。田之倉がフォローを入れる。

 

「何か事情があったのか? 君はアルファだよね?」

「いいえ、俺はオメガですよ」

「佐伯……っ!」

「なんだって?」

 

 声を潜めて注意する前に、克哉は自らオメガであることを告白した。

 二人は克哉の予想だにしなかった言葉に狼狽え、戸惑った顔を御堂に向けた。

 

「御堂、彼は僕らをからかっているのか?」

「からかっていませんよ、俺は正真正銘のオメガです」

 

 横から口を挟む克哉んだ克哉を視線で黙れと促したが、克哉の顔はオメガだと告白することになんのためらいもなく、むしろ驚く二人の様子を楽しんでいるかのようだ。

 こうなったらもう言い逃れは出来ないだろう。からからに乾いた声で言った。

 

「佐伯の言うことは本当だ。彼はオメガだ」

「……御堂、君がオメガと付き合うとは意外だな」

「君はアルファとしての格式を重んじる人間だと思っていたよ」

 

 田之倉と内河はオメガの克哉を前にして、克哉など存在しないがごとく、御堂に対して口々に失望したと伝えてくる。

 オメガと付き合うアルファは恥知らずだ、アルファの血はアルファだけで守られるべきだ。オメガは種族としては保護されるべきだが、アルファとは一線を引いて決して混じり合ってはならない。大学時代、真のアルファはどうあるべきか、彼らと激しい論議をしながら夜を明かしたのだ。大学を卒業し、それぞれが歩んだ道は違えども、その時の気概は何ら変わっていない。

 はっきりと口にされたわけではないが、親友二人から恥知らずと暗に罵られているようで、悔しさに顔を赤くした。自分だって、オメガなどと一秒たりとも一緒にいたくないのだ。だが、オメガに脅されているなどということを訴えることは恥の上塗りをするだけだ。

 

「田之倉さんに内河さんでしたっけ?」

 

 克哉が口を開いた。二人がそこで初めて克哉の存在を思い出したかのように克哉に視線を向けた。その顔には先ほどまで克哉に見せていた親近感はすっかり消え失せて、汚らわしいものを目にするかのように眉を顰めている。

 克哉は二人の刺すような視線を前に、鷹揚な仕草でレンズのブリッジを指で押し上げた。

 

「アルファというのは随分と驕り高ぶった人種なんですね。まあ、御堂さんのご学友ですからさもありなんか」

「なんだと? オメガのくせに随分と生意気な口をきくんだな」

「お前、御堂の番なのか? それとも、権力者のアルファでも誑かしているのか?」

「そのどちらでもありませんよ」

 

 克哉がレンズ越しの冷ややかな眼差しで二人を見上げた。ふわり、と空気が揺らぐ。

 この感覚は何だかすぐに察しがついた。克哉が指向性フェロモンを使おうとしているのだ。

 田之倉と内河の動きが不自然に止まる。二人の眸の焦点が霞み表情を失った。克哉に見惚れているかのように、無防備な顔を克哉に向ける。

 

「佐伯、やめろっ!」

 

 咄嗟に克哉の手を押さえた。低く鋭い声で克哉を咎める。克哉が二人に留めていた視線を御堂に戻した。次の瞬間、凍っていた時間が動き出す。呆けた顔をしていた二人がはっと我を取り戻した。夢から覚めたばかりのように、首を振って意識を清明にしようとする。

 

「あれ……? なんだ…?」

「……あ、ああ。そうだ、御堂と」

「田之倉、内河。私は佐伯と二人で食事をしているんだ。邪魔をしないでくれ」

 

 厳しい口調と眼差しで二人に言い放った。御堂の剣幕に怯んだものの、すぐに内河が噛みついてきた。

 

「随分な言い草だな、御堂。君が我々アルファよりもオメガを優先するような人間だったとはな」

「内河、よせ。もう行こう」

 

 なおも言いつのろうとする内河を田之倉が制した。内河の腕を掴んで引っ張っていく。その田之倉がちらりと御堂を見た。その眸には御堂に対する失望と侮蔑がありありと浮かんでいる。

 

「いいんですか、御堂さん。お二人とも行ってしまいますよ?」

「黙れ」

 

 友人たちの誤解を解くことも叶わない。怒りも悔しさも無理やり呑み込んで抑えつけた。臓腑が焼け爛れるかのように苦しい。だが、これ以上、克哉がアルファを翻弄して、意のままに操ることを見逃すわけにはいかない。

 

「残念だな……」

 

 克哉もまた失望に満ちた声音で言った。

 

「奴らを発情させてこの場で痴態を晒してやろうかと思ったのに」

「貴様……、これ以上、アルファを弄ぶことは許さない」

「ふうん」

 

 御堂の怒りなどそよ風にも感じないような顔で、克哉は気圧された様子もなく、御堂を見ている。滾る怒りのまま、力任せにテーブルを叩きつけようとしたところで克哉が静かに口を開いた。

 

「アルファはオメガを弄んではいないのか?」

「なんだと……?」

「アルファは金や権力に任せて、オメガを蹂躙してきたんじゃないのか?」

 

克哉は平然としている。その克哉の顔を穴が開くほど見つめた。

 

「そんなことは関係ないだろう!」

「あんたは、アルファが屈辱を味わうことには敏感でも、オメガが味あわされてきた屈辱は一度も考えたことがないのだな?」

「話をすり替えるな。今はそんな話をしているのではないっ」

「そうだな、話をしても無駄だ」

 

 克哉は興味を失ったように肩を竦めると席を立った。

 

「じゃあ、メインディッシュにしましょうか、御堂さん」

「メインディッシュ?」

 

 メインディッシュは、今、口にしたばかりだ。怪訝な顔をして克哉を見上げた瞬間、下腹部がずくりと疼いた。ローターは取り去ったはずなのに、そこに何かを咥えこんでいるかのように、粘膜が狂おしくうねりだす。

 

「うぁ……、貴様、…フェロモン、を使ったな……っ」

「ほんのりと、ね。あんたはもう敏感過ぎて、気を付けないとあっという間にイっちゃうからな」

 

 くくっと克哉が喉で短く笑った。そうこうしているうちにも体温が上昇し、肌がうっすらと汗をかく。

 

「話が違うっ! ランチを食べるだけだと……!」

「御堂、ローターを勝手に取ったな。お仕置きだ」

「それは……お前が…っ」

 

 必死の抗議を遮られて、克哉に腕を掴まれて立たされた。御堂が席を外している間に会計は済ませていたようで、克哉は店員に一言二言声をかけると、御堂を引っ張ってレストランを出た。

 抵抗という抵抗もできず、克哉に連れて行かれるままに、よろめく足を動かす。克哉が苦笑した。

 

「発情したオメガじゃないんですから、もっとちゃんと歩いてくださいよ」

「佐伯……、もう…無理だ……っ」

 

 発情は一刻一刻深まっている。視界が揺れ、呼吸が浅くなる。このままでは発情していることは傍目でも明らかだ。

 

「仕方ないな。部屋を取ろうと思ったが……」

 

 近くにあったトイレの個室に連れ込まれた。ラグジュアリークラスのホテルのトイレは広く、男二人入っても十分に余裕がある。

 

「ここでしましょうか」

 

 克哉の言葉にゾッとした。

 

「本気で言っているのか……っ!?」

「だって、御堂さん、このままじゃ収まりつかないでしょう?」

「違う、フェロモンを止めろっ、よせ……ふぁっ!」

 

 克哉に張りつめた股間をズボンの上から撫でられた。それだけでおぞましいほどの甘美な刺激が駆け巡り、腰が砕けそうになる。

 それでも、こんな誰に見つかるかもわからないトイレでことに及ぶのは是が非でも避けたかった。覚悟を決めて克哉に言った。

 

「私が……君を満足させるから、それで許してくれ……」

「あなたが、俺を?」

 

 克哉の目が驚きに見開かれる。克哉を信用させるために、ゆっくりと跪いた。

 

「私が、君のをしゃぶるから……」

「アルファのあんたがオメガに奉仕をすると?」

「ああ……、だから、ここでは…許してくれ」

 

 必死に懇願しながら克哉のベルトに指をかけた。震える指でバックルを外してシャツを引き出すと、ファスナーの金具を降ろしていく。

 スラックスのフライから克哉のボクサーブリーフが覗いた。グレイの布地は窮屈にせり出している。下着を押し下げると、興奮した性器がぶるんと弾み出てきた。

 ここにきて、吐き気と嫌悪がないまぜになって込みあげてきた。この凶器で何度貫かれたことだろう。こんなものに自ら奉仕しなくてはいけないとは。しかも、卑しいオメガに、アルファの自分が。

 御堂の動揺が伝わったのだろう。克哉がクスリと吐息で笑った。

 

「御堂さん、無理しなくていいんですよ。下の口を使いますから」

「――ッ! 待てっ! 今、やるから……っ!」

 

 男のものを咥えるなんてことは、したことがない。だが、今度こそ覚悟を決めて、克哉のペニスを両手でつかんだ。手のひらに克哉の熱と脈動が伝わる。色味が濃い先端に雫が盛り上がっている。

 気持ち悪さをどうにか押し殺して、戦慄く唇の中に迎え入れた。舌先に弾力のある肉塊が触れる。潮気のある味、そして匂い。克哉の太く硬いそれは口の中いっぱい占めてもまだ収まりきらない。吐き出したい本能と思い切り噛みついてやりたい衝動と闘いながら動けないでいると、じれったさに克哉が御堂の頭を掴んでゆるく腰を遣いだした。

 

「そんなんじゃ、いつまで経っても俺を満足させられませんよ」

「んぐ……っ、くはぁっ」

「御堂、もっと喉を拓け」

 

 喉の奥を突かれてえづきそうになり、苦しさに涙が滲んだ。頬の粘膜や喉の締め付けを愉しむかのように、克哉の腰遣いは大胆になってくる。克哉の性器が口を出入りするたびに、じゅぽじゅぽと淫らな水音が立ち、口の端から涎が滴り落ちる。口を性器のように扱われる屈辱は御堂をさらに惨めな気分にさせた。

 

「本当に下手くそだな。ぼうっと口を開けているだけじゃなくて、舌を使うとかしてくれませんかね?」

「ん……、ぐふっ」

 

 おずおずと口の中を蹂躙するペニスに舌を絡めた。舌先の神経が克哉のペニスの突っ張る皮膚の感触を、溢れる先走りのえぐみを伝えてくる。

 

「そうそう。やればできるじゃないですか。さすが、アルファ物覚えがいいな」

 

 克哉が幼子を褒めるように、御堂の頭を撫でた。脈打つペニスからとろとろと先走りが滴り、それを自分の唾液と混ぜ合わせて啜る。口内を蹂躙するペニスに気持ち悪さしか感じないはずなのに、次第に腰の深いところがズキズキと疼いてきた。

 

「俺のをしゃぶって感じているんですか?」

「――ッ!」

 

 克哉の足先が御堂の股間を踏みつけた。硬い靴底を通しても、御堂の股間が硬く張りつめていることははっきりと分かるのだろう。トイレの個室の壁にもたれかかりながら、克哉は御堂のペニスを靴底で擦り上げてくる。屈辱に屈辱の上塗りをされているのに、その甘美な刺激に自然と両ひざが開き、踏みつける克哉の靴底に自らの股間を押し付けてしまう。

 

「はしたないアルファだな」

「はぁ……、ん、ふぁ……」

 

 呼吸もままならず、肉の塊を口いっぱいに頬張って苦しいはずなのに、頭の中が気持ちよさに白み、身体の力が抜けていく。フェロモンを使われているのだ。

 御堂は、遠のく理性を必死に手繰り寄せた。ここで快楽に屈するわけにはいかない。早く克哉をイかせたい。

 フェロモンに操られ口淫に耽るふりをした。口をすぼめて頭を前後させて克哉のペニスを口と喉で締め付ける。

 克哉の呼吸が浅く早くなっていく。御堂の口淫に感じ入っているのだ。

 頭に置かれた手に力がこもる。口の中のペニスはこれ以上なく硬く張りつめ、絶頂が間近にあることを教えてくれた。

 御堂は克哉に気付かれないよう、ゆっくりと片手をジャケットのポケットに伸ばした。指先が硬く細長い器具に触れる。注射キットだ。克哉の熱っぽい吐息を髪の毛に感じながら、指先の感覚をたどり、慎重に注射器の安全装置のピンを抜いた。

 手の動きを決して気取られぬよう、克哉のペニスを深く咥えこんで舌と粘膜で擦り上げる。

 

「いいぞ、御堂」

 

 克哉が御堂の頭を掴んでぐっと引き寄せた。喉の奥深いところに突き込まれた。苦しさに喘いだが、吐き出そうとする反射を抑え込む。克哉が息を詰めた。

 来る。

 口内のペニスがドクンと跳ねた。熱い粘液が喉の奥に注ぎ込まれていく。何回かに分けて精液が吐き出されていく。汚濁を呑まされる恥辱に頭の芯が焼ききれそうになるが、黒目だけ動かして克哉の様子を窺えば、克哉の眦に朱が差し込み、絶頂の快楽に囚われた顔は油断しきっている。

 男が最も無防備になる瞬間。それは絶頂を迎えた時だ。

 御堂は克哉が逃げないように片手を克哉の腰に手を回し、他方の手でポケットから注射器を掴みだすと、叩きつけるように克哉の太ももに注射器を押し付けた。医療に疎い初心者でも簡単に扱えるように開発された注射キットは安全装置を取り外して押し付けると先端から針が飛び出し、薬液を自動で注入する。そう。これは、緊急用の発情抑制剤の注射だ。

 レストランでトイレに立った際に、ホテルに常備してあった発情抑制剤を入手したのだ。使い方はその場で頭の中に叩き込んだ。

 

「ぐあ……っ!」

 

 予期せぬ激痛に克哉の身体が強直する。克哉は膝をついてその場にしゃがみこんだ。

 使用済みの注射器をその場に放って、這って克哉から距離をとった。口の中に溜まっていた精液をその場に吐き出す。拳で口の中の気持ち悪さをぬぐった。

 低い呻き声と荒い呼吸が個室内に響き渡る。

 少しして呼吸が楽になった。四肢に力が戻ってくる。

 みるみるうちにフェロモンの効果が薄まっていくのを実感した。

 目の前で克哉は頭を押さえたまま呻き声を上げて、もだえ苦しんでいる。

 緊急用の発情抑制剤の注射は、即効性があるがその分副作用もきついという。

 震える膝を奮い立たせながら、ゆっくりと立ち上がった。服に付いた埃を払う。

 克哉が反撃してこないのを確認して、克哉のジャケットのポケットからスマホを取り出した。その場で床に捨てると足で踏みつける。

 足底からバリンと液晶が割れて潰れる乾いた衝撃が響いた。

 克哉が地面に伏せながら苦痛に苛まされる眼差しで御堂を見上げた。

 

「貴様みたいな下賤なオメガにアルファが汚されてたまるか!」

 

 そう吐き捨ててトイレから出た。振り向いたが克哉が追ってくる気配はない。

 川出が言っていたではないか。

 フェロモンはオメガが持つ特殊な性質で、オメガのフェロモンから逃れるためには、オメガの発情を抑えることだと。それが克哉の能力を封じる突破口だったのだ。

 克哉は発情期のようには見えないが、指向性フェロモンというフェロモンを放出している。通常、オメガは発情期にしかフェロモンを周囲にばら撒かない。オメガは体内では常にフェロモンを産生し続け、それをため込む。そのフェロモンが一定量を超えた時に、発情期となり、溜めていたフェロモンを一斉に放出するのだ。

 克哉の特殊な能力の一端は、発情期でなくてもフェロモンを放出することが出来るところにある。その結果、体内のフェロモン量をコントロールすることでオメガ特有の発情期を迎えることがない。

 発情抑制剤は体内のフェロモン産生を抑え込む薬だ。克哉が発情抑制剤を服用しないのは、能力を使うためにフェロモンを産生し続ける必要があるのだ。そして緊急用の発情抑制剤を使われた克哉はフェロモンを使うことが出来なくなる。

 克哉への対抗策、その光明が見えた。

 オメガの前にアルファが屈するなどあってはならないのだ。

 この世界の秩序を破壊させるわけにはいかない。

(4)
(5)

 月曜日の朝の定例ミーティングは克哉不在で始まった。キクチ八課の片桐課長が申し訳なさそうに、克哉が体調不良で病欠したことを報告した。

 緊急用の発情抑制剤の効果は数日間続くという。薬の効果が身体から抜けるためには休まざるを得ないのだろう。

 久々に克哉の脅威から解き放たれて、自分のペースで会議を進行した。キクチが提出した資料によると、プロトスリムの販売は初動の爆発的な売上が失速することなく軌道に乗っている。多少のことでは揺らぐことはないはずだ。

 ミーティング後、キクチ八課の片桐課長を執務室に呼びつけ、冷たく言った。

 

「片桐課長、そちらでは大事な会議をすっぽかすような社員を抱えているのか」

「申し訳ございません。……ですが、佐伯君は急病でして」

「いくら営業成績が良くても、自分の健康管理さえも出来ない人間に重要なプロジェクトを任せることが出来ると思うか?」

 

 棘のある口調で言えば片桐課長は何かを言いかけた口を閉じてうつむいた。

 

「まあ、オメガにはオメガの事情があるのだろうがな」

「御堂部長、それは……」

 

 克哉の病欠をオメガ特有の事情と決めつけてかかる御堂の言葉に、片桐が表情を曇らせた。ふん、と鼻を鳴らす。

 

「プロジェクトのメンバーを厳選してくれたまえ。今はプロトスリムの大事な局面だ。もう、必要な売上は達成されている。これからは優秀な営業マンよりも、仕事に穴を開けずに着実に実行する社員が必要だ。そうは思わないか」

 

 案に克哉をプロトスリムのプロジェクトから外すように片桐課長に迫る。反論を許さぬ威圧感でもって片桐課長を見据えると、片桐課長は御堂の剣幕に気圧されたのか縮こまっている。それでも、片桐は勇気を振り絞って口を開いた。

 

「それは、佐伯君を外せとおっしゃっているのですか?」

 

 わざわざ御堂の言質を取ろうとする愚直さに片眉を吊り上げて睨み付けた。あくまでも、キクチ側が自発的に克哉を外したという体裁が必要なのだ。

 

「誰が適任であるかについては、君が判断することだ、片桐課長」

「ですが、御堂部長……っ」

 

 なおも食らいついてくる片桐を更なる威圧でもって抑えつけることもできたが、御堂は片桐に向けた表情を緩めて見せた。

 

「佐伯が優秀な営業マンだということは分かっている。彼は商品の売上の起爆剤となれる。それならば、軌道に乗ったプロトスリムよりも、現在売上が低迷しているわが社の他の商品のテコ入れに回ってくれた方が、わが社、ひいてはキクチ全体の利益になるはずだ」

「それはそうですが……」

「君たちキクチ八課の存続については、そちらの権藤人事部長によく言っておこう。キクチ八課には引き続き活躍してもらいたい」

「……ありがとうございます」

「話は以上だ」

 

 視線だけで片桐課長に退室を促した。片桐は複雑な表情のまま一礼して執務室を辞した。脅しと懐柔を上手く使って、相手を抱き込む。御堂の得意技だ。

 部屋を出る片桐の後ろ姿を確認すると、御堂はMGNの研究所に直ちに向かった。

 研究主任の川出の元へと向かう。現れた御堂に驚きながらも、川出は白衣を羽織ったまま研究室から顔を出した。

 

「御堂部長、何か御用でしょうか」

「川出、君は前に発情抑制剤の研究をしていただろう」

「はい」

「たしか、短時間しか効果が持続しない抑制剤の効果持続時間を長くする研究だったか」

「そうです。現在、内服薬の効果はわずか一日、注射薬でも二三日の効果がせいぜいです。現在の薬剤は、ご存知の通り半世紀前の化学成分がそのまま使われています。これは、投与すると急激に薬物の血中濃度が上がるため強い副作用をもたらし、そしてすぐさま分解されるから効果が長続きしません。しかし、私の研究では抑制剤の化学成分に修飾を加えることで分解されにくくし……」

「その話はで後でいい」

 

 自分の研究について、専門的な内容を滔々と語りだし始めた川出を無理やり遮った。

 

「君は、その薬剤の開発に直ちに取り掛かってくれ」

「はい?」

「即効性があり有効性が高く、それでいて持続性がある発情抑制剤を直ちに開発してほしいんだ。一刻も早くだ」

 

 御堂の言葉に川出は目を瞠った。

 

「しかし、この研究は、確か予算が下りずに棚上げになったはずです。それに今はプロトスリムの改良型の開発に手いっぱいでして…」

 

 川出は御堂の顔色を窺いながら恐る恐る口を開いた。

 その事実は当然知っていた。なぜなら研究中止の判断を下したのは何を隠そうこの自分だからだ。そして、新しい薬、プロトスリムの開発へと舵を切った。

 

「プロトスリムの研究は一旦中止だ。プロトスリムに割いていた人員と予算をすべて発情抑制剤に回す」

「本気でおっしゃっているのですか?」

「責任は私が持つ。予算も優先的に割く。だから君は今日からオメガの発情抑制剤の開発に取り掛かってくれ」

「……それは願ってもないことですが、何故、方針が変わったのでしょうか?」

「詮索無用だ」

「しかし……」

 

 川出は素直に首を縦に振らなかった。川出の心配もわかる。発情抑制剤の開発研究の打ち切りは御堂が判断したが、MGNの上層部も御堂の判断を支持し、開発中止を決定した。御堂はそれを無視して独断で川出に指示を出していることに気が付いている。現在、研究所はプロトスリムの改良型の開発に総力をあげているのだ。

 今、プロトスリムの研究を打ち切って、開発中止になった発情抑制剤を優先する理由などどこにもない。この指示を受けたことで問題が生じたら、研究主任である川出自身の立場も危ういことになるだろう。

 安心させるように、肩に手を置いて力強い口調で語りかけた。

 

「心配するな。君の研究は是が非でも必要な研究だ。私が死守するし全責任を持つ。だから、最優先で進めてくれ」

 

 川出はうつむいてしばし黙り込み、そして、思い切ったように顔を上げると御堂の目を真正面から見返した。

 

「……分かりました、御堂部長。この研究は私の悲願でもあります。全力を尽くします」

「よろしく頼む。どうしてもこの薬が必要なのだ」

 

 川出に向かって頭を下げた。いつにない御堂の殊勝な態度に川出が慌てて姿勢を正した。アルファに頭を下げられたことなどないのだろう。だが、御堂の本気は伝わったはずだ。

 これで新しいオメガ向けの発情抑制剤の開発を進められる。とはいえ、あたらしい抑制薬の開発はそう簡単にはいかないだろう。いったん中断した研究だ。横やりが入る可能性も十分にある。

 それでも、あの男に対する対抗策はひとつでも増やしておいた方がいい。強力な発情抑制剤は克哉の能力を無効化するのに役に立つ。

 自分の執務室に戻ると、用意していた書類をすべて決済し、研究用の人員と予算と最優先で発情抑制剤の開発に回すように正式な命令をくだす。

 御堂の決定はほどなく上司である専務の大隈に伝わり、御堂は大隈の執務室に呼び出された。

 ノックを三回し、一礼して大隈の執務室のドアを開けると、大隈が手に持っていた書類をデスクに置いて御堂に顔を向けた。眉間にしわを寄せ、いかつい顔をさらに険しくする。

 

「御堂君、どういうことだ?」

「如何いたしましたか?」

 

 素知らぬ口調で返したが、それが大隈の怒りに火をつけた。

 

「プロトスリムの研究を中止したと聞いたぞ! どういうつもりだ!」

「確かに中止の指示を出しましたが、一時的な中止指示です。それよりも優先順位の高い薬剤の開発を急がせています」

「それがオメガの発情抑制剤だというのか」

「ええそうです」

 

 言い切った一言に大隈は憤懣やるかたない表情で声を荒げた。

 

「君は一体何を考えているんだ! わが社がどれほどプロトスリムに期待しているか知っているだろう!! その改良型の開発を止めるなど、君は正気なのか!?」

「大隈専務、あなたはキクチ8課の佐伯克哉の引き抜きを考えてらっしゃるのですよね」

「ああ、そうだ。……彼は優秀な逸材だからな」

 

 佐伯克哉の名前を出した途端に大隈の顔がだらしなく緩む。それを苦々しく思いながらも、大隈に向かって頷いて見せた。

 

「その通りです。……ですが、ご存知の通り、彼がいくら優秀とはいえ、わが社にはオメガの昇進を阻む慣習があります。だからこそ、彼を必要とする強力な理由が不可欠です」

「それが、この発情抑制剤の開発だと?」

「はい。今まではアルファやベータが発情抑制剤を開発してきました。ですが、本来なら発情抑制剤はオメガの手によって開発されるべきです」

 

 あくまでも、克哉のため、そしてしいては大隈の希望を叶えるため、と説得力を持たせた言葉で語りかける。

 

「つまり、この判断は佐伯克哉をわが社に迎え入れるための地ならしです。彼を引き抜いてすぐに成果を出さなければ、引き抜いた側の責任も問われる。特に今の社会においてはオメガに対する風当たりは強い」

「うむ……。つまり、これは佐伯君のためだというのだな」

「ええ、そうです」

 

 大隈はしばし考えこんで言った。

 

「君の言いたいことは分かった。だが、今プロトスリムの改良型の開発を止めることは賛成しない」

 

 それはそうだ。御堂だって大隈の立場なら同じ判断をくだす。だが、御堂は畳みかけた。

 

「プロトスリムは今現在爆発的な売れ行きを維持しています。競合する薬を他社が発売するという情報もありません。現行の薬剤でまだ引っ張ることが出来ますし、市場が飽和する時期を見計らって改良型を投入します。それまでのスケジュールは調整済みです。……本件に関して、私が全責任を負います。私に任せてください」

 

 そうきっぱりと言い切れば大隈は言いかけた言葉を飲み込んだ。頭の中で複雑な計算をしているのだろう。会社の利益よりも自身の利益を冷徹に判断する普段の大隈なら、この御堂の判断など即座に切り捨てるだろう。しかし、今の大隈は克哉に篭絡されている。克哉をダシに使えば、大隈の冷静な判断が狂う可能性が高い。そこに賭けた。たっぷりとした沈黙の後、ようやく重い口を開いた。

 

「君が責任を取るというなら、これ以上は口を挟まん。だが、オメガの抑制剤など、儲けにならんぞ」

「承知しております」

 

 それは分かっていた。オメガのほとんどは貧困層に属する。だから富裕層向けの薬とは違って、彼らの薬は値段を下げざるを得ない。つまり利益が薄いのだ。だからといって、薬を生産しないわけにはいかない。そのため、国が補助金を出して発情抑制剤の製造販売を奨励しているが、ほとんどの製薬企業が社会的奉仕活動の一環として、採算を度外視して販売している状況だった。だから、いくら抑制剤の新薬を開発したとしても、プロトスリムのような莫大な利益は見込めないだろう。

 現行の抑制剤は副作用が強く、効果は長続きしないため毎日抑制剤を内服しなくてはいけない。負担はオメガ側にしいているし、突発的な発情といった事故もなくならない。だから発情抑制剤の新薬の需要はあるのに、それを見て見ぬふりをしているのはこういう事情があるからだ。

 それでも、御堂はそれでも抑制剤の開発をしなければならない理由があるのだ。アルファが盤石である社会のためには、克哉は危険な存在だ。最早、なりふり構っている場合ではない。

 ここが勝負どころと踏む御堂の固い決意に触れて、大隈は大きく息を吐くと「君の好きにしたまえ」と話を退いた。

 

「ありがとうございます、大隈専務」

 

 一礼して大隈の執務室を出た。

 これで下地は整った。だが、克哉の妨害がいつどこから入るかもわからない。すべての仕事を差し置いて、発情抑制剤開発プロジェクトに関する指示と決済を最優先で実行した。

 御堂の型破りの方針転換にMGNの上層部から懐疑の声が上がったが、克哉が上層部の大半を手懐けていたことが逆に功を奏し、大隈同様、反感や反発はあっという間に鎮静化された。これに関しては克哉の能力に感謝せざるをえない。

 午後には、キクチの片桐課長からメールが来た。プロトスリムのプロジェクトのメンバー再考の報告だ。付属されていたファイルに記載されていたリストを見て、安堵に胸を降ろした。そこに克哉の名前はなかった。御堂が提案した通り、販売低迷している商品のテコ入れへと回されるのであろう。

 精力的に仕事をこなした。克哉がいないだけで、これほど心身が軽くなるとは思わなかった。滞っていた書類をあらかた片付け、社を出たのは夜もだいぶ遅くなってからだった。

 しかし、久々に得た充実感と達成感で油断していたのだろう。

 御堂は自分の部屋に帰り、リビングの電気を付けたところでぎくりと身体を強張らせた。

 

「遅くまでお疲れ様です」

 

 招かれざる客が御堂のリビングのソファに座っていた。悠然と足を組んで我が物顔でふんぞり返る男は佐伯克哉だ。御堂と視線を合わすとにやりと笑って片手を上げる。

 

「佐伯……」

 

 口の中がからからに乾いた。迂闊にも自宅に戻ったことを激しく後悔した。この男は御堂の自宅のカギを持っているのだ。自宅に帰るべきではなかった。

 克哉が組んでいた足をゆっくりと解いた。

 

「病欠して申し訳ありません、御堂部長」

 

 口先では謝罪をしながらも、レンズの奥の眸には剣呑な光が宿っている。

 

「おかげさまで、ひどい頭痛で丸一日、動けませんでしたよ。俺は抑制剤との相性が悪いんです」

「……」

「それに、聞きましたよ。オメガの発情抑制剤の開発に手を付けたとか。しかも、俺のためだとか言ったそうですね」

 

 くくっと克哉が喉を震わせて嗤った。

 

「しかも、片桐課長にプロトスリムの営業から俺を外すように迫ったとか」

「……これ以上、貴様の好きにさせてたまるか! 貴様の能力の封じ方はもう分かっている!」

 

 御堂の部屋に勝手に上がりこんで不遜な物言いをする克哉に吐き捨てた。

 

「だから、新型の抑制剤の開発を指示したわけか」

「直ちに私の部屋から出ていけ!」

 

 目の前でゆるりと克哉が立ち上がった。薄い笑みを保ったままの顔から悪意がにじみ出ている。無意識に一歩退こうとして、リビングの壁に背を阻まれた。

 

「それで、御堂部長。その薬が実際に使えるようになるのはいつだ? 半年先か? それとも一年後か? ……それまであんたは俺から逃げ切れると思っているのか?」

 

 御堂に向けて、克哉が一歩足を踏み出した。たまらずに叫んだ。

 

「私に近寄るなっ!!」

 

 ポケットに忍ばせた緊急用発情抑制剤の注射キットを握りしめた。あれから常に肌身離さず持っているのだ。

 その姿は脅しとして伝わっているはずだが、克哉は唇の片端を冷ややかに吊り上げた。

 

「それがあんたの切り札というわけか」

「これ以上私に近寄るな……っ、さもなくば……」

 

 ポケットから取り出した注射キットの安全装置のピンを外し、それを握りなおした。克哉が肩を竦める。

 

「あんたと違って、俺はちゃんと学ぶんでね。二度と同じ手は食らいませんよ」

「来るなっ!!」

 

 克哉がまとう雰囲気を変えた。眼鏡のブリッジを押し上げ、御堂に向けて鋭い視線を射る。しまった、と思った瞬間には足に力が入らずにその場に膝をついていた。

 

「ぐ……」

「俺が本気を出せばどうなるかなんてこと、分かっていたんじゃないのか?」

 

 立ち上がることさえ叶わず、上体が崩れ落ちた。無様に地面に這う。

 克哉がゆっくりと近寄ってきた。御堂の伏せた視界に克哉の足が見えた。

 

「注射器を捨てろ」

「嫌だ……っ!」

 

 克哉の脅しも無視して注射器を離さずにいると、克哉に手首を踏まれた。そのままぐっと体重をかけられる。

 

「く……ぅあっ」

 

 指先がしびれて力が抜ける。注射器が手から零れ落ちた。それを克哉が遠くへと蹴り飛ばした。

 遠くに転がっていく注射器を絶望と共に目で追った。

 

「あんたは俺を怒らせた。躾が必要だな」

 

 どこまでも冷たく、地を這うような声が頭上から降ってきた。

 

「放せっ……!」

 

 力の入らない身体からあっという間に服を剥がされた。手際よく両手を後ろ手に括られて、足は閉じることが出来ないように足首は金属のバーの両端に括り付けられる。

 

「そんなに俺のことを期待しているたんですか?」

「これは……違うっ」

 

 克哉の視線が隠しようのない股間に留まる。そこにはまだ触れられてもないのに淫らな角度に勃ち上がった性器があった。先端には透明な滴が珠のように盛り上がっている。

 

「何が違うんです? 俺に嬲られることを期待して興奮しているんじゃないですか?」

「誰が……っ!」

「そうじゃないとしたら、御堂さんはところかまわず発情する淫乱なアルファ、ということになりますねえ」

「――ひぁっ」

 

 にやついた表情で克哉は御堂のペニスを指で弾いた。ぶるんと重たく揺れて先端の雫が弾け、幹に伝う。

 

「だらしのない口は塞がないとな。……今日は、新しい道具を用意したんですよ」

 

 克哉は持ってきた鞄を引き寄せ、中から何かを取り出した。目の前に金属の細い棒をかざす。先端に球体が付いていて、他方は金属のリングが取り付けられている。何に使うものか否応にも想像できて目を見開いた。金属棒がペニスへと近づいていく。

 

「きっと気に入ると思いますよ」

「よせ……っ! 嫌だ……ぁ、あっ、あああっ」

 

 克哉が御堂のペニスを掴んだ。亀頭を指で固定する。金属棒の先端の球が小さな口に触れる。まるでキスするように優しく押し付けられたそれは、ぬちっとねばついた音を立てながら小孔をこじ開けた。小孔から覗くピンクの粘膜を舐めるかのように、くるくると球が回された。

 

「や、ぁ……っ、痛っ、や、やめろ……っ」

 

 拒絶の声を上げる御堂の前で、金属の棒がペニスの中に挿しこまれていった。

 液体しか通ったことのない繊細な粘膜を、硬く太い金属が蹂躙する。剥き出しの神経を犯されて、粘膜が焼け爛れるかのようだ。おぞましいほどの違和感を呼び起こしていく。

 

「ひっ……や、め…、や、んああっ!」

 

 茎の半ばまで入ったそれをするすると引き抜かれ、また押し込まれていく。そのたびに悲鳴がたなびいた。克哉はその悲鳴を楽しむかのように目を細める。楽器でも演奏するかのように、金属棒をペニスに出し入れして、自在に御堂を鳴かせている。

 あまりの痛みに涙が流れっぱなしになる。身体を強直させて固まっている御堂に、克哉が優しい声をかける。

 

「御堂、気持ちよくなりたいか? 俺に懇願してみろ。すぐに気持ちよくしてやるよ」

「嫌だっ、誰が、貴様なんかにっ」

 

 痛みをこらえながらも首を必死に振った。この男が御堂に与えるもので、本当に怖いのは苦痛よりも快楽だ。苦しみは耐えることができる。だが、快楽は耐えることが出来ない。溺れてしまう。

 

「相変わらずの強情っぷりだな。まあ、あんたは淫乱の素質があるから、俺が何かしなくてもすぐに気持ちよくなりそうだが」

 

 言葉と同時に、ずぶりと金属棒が深いところに挿入された。途端に、御堂は電撃に撃たれたように身体を引き攣らせた。

 

「ひ、――はぁ、あああっ」

 

 克哉によって快楽を得ることを教えられた場所。その膨らみを金属棒によって内側から抉られる。克哉がくりっと指先で金属棒を回した。それだけであっという間に苛烈な絶頂に襲われた。

 

「や、ぁ……っ、あ、ああああっ」

 

 昇り詰めてしまいたいのに栓をされているせいでそれが叶わない。敏感なところを金属棒で串刺しにされているという恐怖も忘れて、腰をいやらしく蠢かした。痛みが快楽と縒り合さり、御堂を貫く。

 

「随分と悦さそうですね」

 

 克哉が笑いながら一番敏感なところに棒の先端を留め置いたまま、御堂の身体をひっくり返した。両肩を床について腰を掲げた交尾の体勢にさせられる。いつの間にか足を固定していたバーは外されていたが、もう膝を閉じる力もない。

 背後で克哉が鞄から何かを取り出した。それがローションであることは、とろみのある液体が空気を潰しながら絞り出される音で分かった。

 

「ぅ……や、め……」

 

 尻の浅い切れ込みをローションに塗れた手がたどっていく。指先が窄まりへとたどり着くと、克哉は御堂のアヌスに長い指を無造作に沈ませてきた。身体の中をぐりぐりとかき回される。屈辱で頭の芯が焼ききれそうなのに、口から洩れたのは物欲しげな喘ぎ声だった。

 克哉が御堂のアヌスを嬲りながら上体を屈め、御堂の顔に口を寄せた。

 

「御堂さん、どうして欲しいんですか?」

 

 克哉が御堂の耳朶を舐め上げながら耳元で囁く。低い声を耳に注ぎ込まれると、鼓膜まで性感帯になったかのように、ぞわりと鳥肌が立つ。

 

「あなたが一言欲しいと言えば、欲しがるだけ与えてあげますよ」

「いや、だ……っ、離せ……、ん、ぁあああっ!」

 

 拒絶の言葉を口にした途端、目の前が真っ白くなった。フェロモンを使われたのだ。

 至近距離で使われたフェロモンは拒否する間もなく御堂を絶頂のどん底に叩き落した。

 内腿を引き攣らせて、克哉の指を欲しがるように腰を前後させてもっと奥へと引き込もうとしてしまう。

 

「あんたの身体はこんなに正直なのにな」

「あっ、や……っ、はぁ、あ、や……んっ、ぁ、あああっ」

 

 頭の中が真っ白になり、掠れた声を口から溢れさせるも言葉にならない。反り返ったペニスを突き刺す金属棒の脇から蜜が染みだし、涙のように滴り落ちた。克哉が戯れに胸の尖りを摘まむ。それだけの刺激でさえ達してしまって、放つことのできない苦しみに悶え打つ。乳首を爪が食い込むほどにきつく捩じられると、下腹の奥がきゅっと締まり、克哉の指に絡みつく。

 克哉が膝立ちになり、自分のベルトのバックルを外して、前を寛げた。

 硬いモノで貫かれる予感に身震いをする。すでにそれは、恐怖よりも期待が上回っていて、指を抜かれたアヌスが空虚さを埋めようとヒクつきながら克哉を待ち望んでいた。

 腰骨をがっちりと掴まれて引き寄せられる。アヌスに熱い肉塊の切っ先が押し当てられた。

 

「ぁ、ふぁ……、あ、あああ……」

 

 張り出したエラがアヌスを大きく拡げながら押し入ってくる。無理やり押し広げられる苦しさが凄まじい甘美な刺激となって背筋を反らした。

 

「いや…だ、ぁ、あ……っ、く、んぁっ」

 

 下腹の奥をずんっ、と突き入れられる。長大なモノに身体の中心を抉りぬかれて息つくことさえ出来ない。穿たれた尻だけを高く掲げる浅ましい姿で、額に浮き出る汗を散らし、喉を反らしながら締まった腰をくねらせた。

 

「まるで発情したオメガそのままだな」

「ちが、あ、あああ、や、ああああっ」

 

 甚振る言葉に反論する余裕もない。克哉の手が御堂のペニスに絡んで金属棒を出し入れする。

 快楽の凝りを金属棒とペニスに挟んで擦り上げられる感覚に、壮絶な射精感が噴き出してきた。身体の中に渦巻く熱を介抱したくて身体を揺らし続けるが、出すことのできない苦しさに、開きっぱなしの目の口から涙とよだれが垂れ続ける。

 いっそ気を失ってしまえば楽なのに、味合わされる快楽が針のように鋭く突き刺さり、御堂の意識をこの場に縫い留めている。

 

「だめ……っ、もぅ、イかせ……っ」

 

 次の刹那、金属棒が引き抜かれた。

 

「ひっ、は、ぁあああああっ」

 

 尿道をこすり上げられて、同時に後ろを最奥まで穿たれる。今まで堪えていた絶頂が爆ぜた。一瞬硬直し、全身を引き攣らせた。大きく反ってビクビクと跳ねながら大量の精液を噴き出した。

 びゅるびゅると大量の精液が飛沫(しぶき)を散らす。失禁したかのような勢いで、聞くに堪えない音を立てながら床に溜まりを作っていく。ようやく勢いを失ってきたところで克哉が笑いながら腰を引いて再び突き入れた。

 

「まだもっと出せるでしょう?」

「や……っ、んあ、止まら……な…いっ」

 

 克哉に突き入れられるたびに精液がペニスの先端から飛び出る。まるで壊れてしまったかのように、出しても出しても射精感が治まらない。快楽がマグマのように渦巻き続ける。

 

「あんたはもう、堕ちてくるしかないんだよ」

 

 声にならない声をあげて、地獄のような快楽に悶え打つ様を克哉が愉しげに見下ろしていた。

 

 

 

 

 朝陽が部屋に満ちている。

 瞼を透かして感じる陽の光に意識をより戻された。重たい瞼を押し開き、無意識にきしむ関節を伸ばそうとした。だが、不自然に動きを阻まれてハッと意識がクリアになった。すぐに状況を把握した。両手がベッドヘッドにつながれたままなのだ。昨夜の記憶を手繰り寄せた。家に待ち構えていた克哉に犯されて、そして……。

 その時、部屋のドアのところに人の気配がした。びくりと身体を強張らせてそちらに目を向ければ、スーツ姿の克哉が場違いなほど爽やかな笑顔を御堂に向けた。

 

「御堂さん、やっと起きたんですか。俺はもう出社します」

「佐伯っ! これはどういうことだ! 放せっ!!」

「心配しないでいいですよ。御堂さんは急病で病欠ということにしておきますから」

「なんだと……?」

「俺も御堂さんのせいで、大事なプロジェクトの最中に穴をあける無責任な社員の汚名を負ったんですから、御堂さんも同じ目に遭うべきだと思うんですよね」

 

 勝手な持論を振りかざす克哉に理解が追い付かない。

 

「ふざけるなっ! 貴様、一体なんの権利があってこんな真似を!」

「なんの権利? そうですねえ、オメガの権利ですかね」

 

 とぼけた様に返す克哉に、拘束されている状況も忘れて怒りを爆発させた。

 

「オメガの権利だと? 貴様のような虫けらのオメガがアルファに盾突くとは虫唾が走る! 」

「まだそんなことを言っているのか」

「――ッ!」

 

 自分を見遣るレンズ越しの眸が冷徹な光を増した。

 克哉がつかつかとベッドまで歩みを寄せて真上から御堂を覗き込んだ。口元が傲慢な笑みを浮かべる。克哉の手が伸びて御堂の頬をすうっと撫でた。その指先の冷たさに背筋が凍えた。

 

「言っただろう? あんたは一度、自分が忌み嫌うオメガのところまで堕ちてみるべきなんだ」

「誰が、そんなこと……」

 

 続く言葉が掠れて消えた。

 闇が、迫る。

 足元から這いあがってくる恐怖に、必死に堪えていないと歯がカチカチと鳴ってしまう。

 克哉が、優しく、低く、囁いた。

 

「堕ちていくのは、気持ちいいものですよ。御堂さん」

 

 嫌だ、嫌だ!

 抗う声は、一筋の光も見えぬ闇に呑み込まれていった。

(5)
(6)

 克哉に監禁されて嬲られる日が続いた。

 克哉が放つフェロモンで狂わされると、理性が吹っ飛んで何も考えられなくなる。克哉に組み伏せられながらも、自ら卑猥に腰を振ってイき続ける。地獄のような快楽の拷問が毎晩繰り返された。

 それでも、朝、克哉がいなくなるとフェロモンが抜けて一時の休息が戻ってくる。身体の中には淫具が含まされていたが、フェロモンの作用がなくなるだけよっぽど楽だ。それでも、自分の痴態を思い出しては恥辱に煩悶した。

 両手は束ねられて手錠をかけられ、ベッドヘッドにつながれたままだ。排泄も食事も克哉に頼らざるを得ない。トイレに行くのでさえ、克哉はいちいち屈辱的な要求をしてきて、アルファとしての尊厳を踏みにじられている。

 世の中ではオメガを飼うアルファもいる。オメガは愛人という立場だが、中にはペット同然に扱って、発情抑制剤を与えずに閉じ込めて、オメガが発情して苦しむ様を愉しみ、そしてオメガのフェロモンに誘惑されるままにオメガを蹂躙するという。そういう惨い扱いを受けて寿命を縮めるオメガも未だに存在しているという。克哉が御堂を飼う様はそれに倣ったものか分からないが、オメガに飼われるアルファなど生き恥を晒しているようなものだ。

 悪夢のような日々が繰り返される。アルファの沽券を守るため必死に抗ったが、克哉の責め苦には終わりが見えず、克哉も日に日にいらだつ様子が見て取れた。

 その日、克哉は御堂の部屋に戻ってくると、取り上げていた御堂のスマホを自分のジャケットのポケットから取り出した。

 

「御堂さん宛の留守録入っていますよ」

 

 克哉は御堂のスマートフォンを操作して、スピーカーモードにすると御堂の前に掲げた。

 すぐに大隈の腹立ちが滲む声が響いてきた。度重なる酷い責めに意識が遠のいた状態だったが、ハッと顔を上げてスマホを見た。体を起こそうとしたところで、両手の拘束に阻まれる。

 

『御堂君、一体どうなっているんだ? 大事なプロジェクトに穴を開ける気なのかね? 直ちに私にコールバックしたまえ。これ以上は待てん。君がプロジェクトを継続できないのなら代わりの人間をプロジェクトリーダーに据える。いいかね、これが最後の通告だ』

 

 咳払いと共に、ぶつりと留守録が途切れた。

 

「大隈専務も随分とご立腹ですよ」

「貴様のせいだろうが……っ!」

 

 克哉に向かって口の中に溜めた唾を吐いた。それを克哉は悠々と躱すと、またスマホを操作してもう一件の留守録を再生した。今度は焦る声音が流れ出した。

 

『御堂部長、川出です。今、どこにいらっしゃいますか? 発情抑制剤の研究を再開しましたが、役員の方たちからプロトスリムの研究中止の説明を求められて困っています。今のところは何とか対応していますが、風当たりは強いです。このままでは研究が続けられないかもしれません』

 

 川出の悲痛な訴えに胸が掻きむしられた。本当なら、御堂が川出と発情抑制剤の研究を守るはずだったのだ。

 克哉は御堂に二件の留守録を聞かせると、スマホの電源を切ってジャケットのポケットにしまった。口元に薄い笑みを浮かべる。

 

「御堂さん、知っていますか? あなたの後任として俺の名前が挙がっているんですよ」

「馬鹿な……っ! 子会社の社員が私の後任になるはずがない」

「あなたのおかげでプロトスリムの営業メンバーから外されましたからね。プロトスリムの販売戦略を理解し、尚且つ、手が空いていて、リーダー代理を務めるにふさわしい人間が俺しかいないんですよ。幸い大隈専務も乗り気でしてね。この代理業務を期待通りにこなせば、晴れてMGN社に栄転できるという道筋ですよ」

「そんなわけが……」

 

 克哉の言葉に愕然とした。まさか、嘘だ、と口の中でつぶやいた。そんなことはあり得ないと頭ごなしに否定したかったが、克哉に操られている大隈なら、克哉を引き立てるために手段を選ばない可能性も十分にあった。

 克哉がくくっと喉を短く鳴らして笑った。

 

「俺があんたの後任になったら、発情抑制剤の開発など直ちに潰しますよ。そんなものは必要ない」

「なんだと……」

「上司や同僚の信頼を失い、友人を失い、そして仕事まで失って、御堂さんは可哀想ですね。由緒あるアルファなのに」

 

 憐れむ口調が克哉の冷ややかな眼差しに添えられる。顔がカッと熱くなった。

 

「貴様、オメガの分際でこんなことをして許されると思うなっ! これを外せっ! 直ちに私を解放しろ」

 

 あらんばかりの意地と力を振り絞って拘束を外そうと暴れた。だが、きつく戒められた両手に手錠が食い込み、痛々しい痕をつけるばかりでびくともしない。

 克哉は暴れる御堂を前にして肩を竦めると、もう一歩ベッドに近づいて真上から御堂を覗き込んだ。嬲られる恐怖に、ヒッと狭まった喉から息が漏れた。怯える御堂を前にして、克哉の口元が残忍に歪む。

 

「このままだと、あんた、オメガ以下になるぞ」

「な……」

「そこまでして、あんたは何を守っているんだ? もうあんたには何も残っていないだろう? 毎晩オメガに抱かれて善がり狂っているはしたないアルファがあんただ。……俺に縋って許しを乞えよ。跪いて慈悲を求めてみろよ」

 

 自分には何も残されていない。克哉の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。

 プロジェクトを失い、職場での立場を失い、友人たちさえも失った。アルファとしての矜持も今や風前の灯火だ。

 それもこれも、全てはこの男のせいなのだ。この男が、御堂が必死に積み上げてきたものを何の罪悪感もなく奪い取っていったのだ。崩れ落ちそうになる自分自身をどうにか繋ぎとめようと、怒りを燃やして吐き捨てた。

 

「貴様に屈するぐらいなら死んだ方がましだっ!」

「ほう……?」

「私を好きに狂わせればいい。所詮一時だけだ。私がオメガなんかに跪くと思うなっ! この外道が!」

 

 克哉の言う通り、克哉のフェロモンに当たれば、我も忘れて発情し、与えられる快楽に溺れてしまう。だが、それは克哉がいるときだけだ。仕事を持つ克哉が二十四時間御堂の傍にいることは難しい。克哉がいなくなった途端、理性が戻ってくる。それまでの自分のあさましい記憶に血を吐きたくなるが、それでも克哉に心身ともに委ねてしまうことに比べれば断然マシだ。

 

「あんた、俺がいなくなれば発情が治まると思っているんだろう」

 

 御堂の心の中を読んだかのように克哉が言った。

 

「……オメガのフェロモンに持続性はない」

「なるほどな。だから、あんたはまだ余裕があるわけだ。だが、それは空気で伝播するフェロモンだけだ」

「何……?」

 

 平然とした克哉の態度に曖昧模糊とした不安がこみあげてきた。

 

「もう一つ、俺の秘密を教えてあげましょう」

 

 克哉が人差し指を口の前で立てた。内緒話をするかのように御堂に顔を近づけてそっと囁く。

 

「普通のオメガは空気を媒介にしてフェロモンを作用させる。だが、俺は体液を介してもフェロモンを作用させることが出来る。例えば、唾液でも」

「唾液……?」

 

 克哉は赤い舌を出して自分の指をぺろりと舐め上げた。てらてらと克哉の長い指が唾液に濡れて妖しく光る。

 

「空気と違って、唾液は一度体内に入ると、吸収されて分解されるまで、そこにとどまり続ける。つまり、あんたは俺がその気になれば、俺がいなくなっても発情し続けるんだ。それだけじゃない。吸収されたフェロモンは皮膚から揮発して、周りの人間に作用する。そう、まるで発情したオメガのように」

 

 御堂の乾いてひび割れた唇に、克哉の濡れた指が触れた。まるで紅をさすように、御堂の唇の輪郭をたどって唾液で潤していく。克哉が触れたところからぞわりとした悪寒が立ち上った。

 

「俺とキスしてみますか? とびきり濃いフェロモンを与えてあげますよ」

「――ッ」

 

 克哉がぐっと顔を寄せてきた。薄い唇が克哉の指一本挟んで、目と鼻の先まで近づく。艶めいた低い声がその唇から紡がれる。

 

「御堂、フェロモンを垂れ流す発情したオメガを体験してみろ」

「よせ……っ」

「口を開けろ」

 

 咄嗟に顔を背けたが、顎を克哉にきつく掴まれた。真正面を向かされる。口を一文字に結んで固く閉ざそうとしたが、ぎりぎりと克哉の指が皮膚に食い込んできた。

 痛みと息苦しさについ唇が開いてしまったところに、克哉の唇が押し付けられた。最初から深く唇を噛み合わせ、縮こまった舌を熱く濡れた舌で絡めとられた。

 

「ん――ッ! んんっ!」

 

 喉で抗議の声をあげて、キスを拒絶しようとする。だが克哉は構わずに淫猥に舌を蠢かし、唾液を伝わせてきた。口の中が灼けつくように熱くなる。克哉は御堂の口内に自分の唾液を注ぎ込むと、今度は舌先で柔らかく舐めて、キスの角度と深度を変えながら熱っぽい口づけをしてきた。直接口移しされるフェロモンに頭がくらくらしてくる。どうしようもない快感がこみあげて、思わずこくりと克哉の唾液を飲み込んでしまった。

 

「んぁ――ッ」

 

 途端、御堂はビクンと身体を跳ねさせた。強いアルコールが胸を焼きながら臓腑へと落ちていく感覚。心臓が鷲掴みされたかのような衝撃が襲う。すぐに濃密で狂おしい感覚がこみあげてきた。

 御堂の反応を見て克哉が合わせていた唇をゆっくりと離した。身体を離して、御堂の拘束を解いた。自由になった手でシーツを掻きむしる。呼吸が早く、浅くなり、身体の感覚が恐ろしいほど鋭敏になる。自分が一瞬で発情してしまったことを、身をもって知らされた。

 

「御堂さん、そんなにここが嫌なら解放してあげますよ。好きなところに逃げればいい」

「く……っ、は……ぁっ」

 

 手が自由になったら克哉を殴りつけたいとあれほど願っていたのに、ろくな抵抗もできない。暴走しだした身体に身悶えるだけだ。

 

「だが、あんたは今や発情したオメガ同然だ。くれぐれも気を付けることだな」

 

 克哉は眸に闇を宿しながら笑うと、わざとらしくジャケットのポケットに手を入れた。

 

「ああ、タバコが切れたな。ちょっとタバコを買いに行ってきます。御堂さんはお好きにどうぞ」

 

 それだけ言うと、克哉は御堂に興味を失ったかのように背を向けて部屋を出ていった。

 玄関からドアが開閉する鈍い音が響いた。

 克哉がいなくなった途端に、部屋の空気が清浄さを取り戻した。必死に自制心をかき集めて、自分自身を抑えつける。少しの間、息を潜め、耳をそばだてたが、誰の気配もない。

 克哉は言葉通りに部屋から出ていったのだろう。まだ身体の奥に鈍い熱が残っているが、これくらいならどうにかできる。

 ゆっくりと深い呼吸をして、興奮しだした神経を落ち着けた。長い間拘束されて、痺れた手足をほぐしつつ、どうにかベッドから立ち上がった。いつ気が変わって克哉が戻ってくるかもしれない。焦りに手足がもつれそうになるが、クローゼットから服を取り出した。急いで着替えてジャケットを羽織る。身だしなみなど気にしている暇はなかった。一刻も早くこの部屋から逃げ出さなければならない。

 マンションのエントランスを抜ければ、秋の夜風が御堂の肌から熱を奪っていく。火照った頬を覚ましながら、マンションから駆け足で遠ざかった。

 夜の街に出たものの行き先の当てはなかった。とりあえず、繁華街へと向かう。人混みの中に紛れれば克哉からそう簡単に見つからないだろう。

 速足で歩いているうちに、下腹の奥がずきずきと疼きだした。まるで、ローターを含まされた時のように、身体の奥底に熱が凝っているようだ。そしてそれは次第に嵩を増していく。

 頬が熱い。熱っぽい吐息が漏れる。額にうっすらと汗をかく。立ち止まって息を整えつつ、額の汗をぬぐった。いつの間にか身体の中に火傷しそうなほどの重い熱を抱えていた。多くの人が行き交う街中だというのに、淫らな衝動が突き上げてくる。

 これが、オメガの発情の状態なのか。

 再び歩き出そうとしたその時だった。足がよろめいて何かに躓き、すれ違う女性に肩をぶつけた。謝罪しようとしたところで、御堂に迷惑そうな顔を向けた女性がハッと目を見開いた。

 

「っ! あなた……!」

 

 女性は何かを言いかけて絶句し、慌てて足早にその場から去った。

 その女性の不審な態度に、何が起きたのか分からず戸惑っていると、御堂の脇を通りすぎる人間が必ず振り返って自分を見ることに気が付いた。その顔が驚愕と恐怖に染まり、慌てたように御堂から距離を取る。

 あっという間に自分を避けるように人の流れが出来た。

 何が起きているのか理解できず、周囲を見渡した。

 御堂を遠巻きに見ながら避けていく人間たち。その多くはベータなのだろう。遠くから御堂を指さしながら眉を顰めている。

 

「あのオメガ、発情しているぞ……っ!」

 

 誰かが叫んだ声が届いた。「違う!」と声を上げる前に、周りが騒然とした。「救急車を呼べ!」「パトカーも!」と焦る声が飛び交う。どの人間も御堂に向ける顔は、忌み嫌う表情だ。

 

「私はオメガではないっ!」

 

 そう叫んだが、御堂の声は人々の騒ぎ立てる声にかき消された。何が起きたのか野次馬根性で集まってくる者、オメガのフェロモンに巻き込まれないように逃げようとする者、人の多い繁華街の路上でパニックが起きる。

 遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いた。こちらへと近づいてくる。誰かが通報したのかもしれない。

 このままでは捕まってしまう。

 重たい身体を奮い立たせて、人だかりへと向けて走り出した。人々の悲鳴があがり、あっという間に御堂の前から散り散りに逃げていく。わき目も振らずに突っ走った。人のいないところを選んで駆け抜けていく。

 そして、息も切れたころ、繁華街の雑居ビルの狭間、人気のない裏道へと逃げ込んだ。雑踏のざわめきが遠のく。ここまで来れば誰かに見つかるということもないだろう。

 上がった呼吸を落ち着けようとするも、身体が恐怖に震えあがっていた。

 人々が御堂に向けた厄介者を忌む視線。あれが、オメガへの差別が剥き出しとなった眼差しなのだ。自分も同じような視線をオメガに向けていた。だがそれを受ける側の立場など考えたこともなかった。無言の裡に目の前から消えろと囃し立てられる恐怖は言葉にならない。

 本当に、自分は発情したオメガになってしまったのだろうか。だとすれば、どうすればいい?

 

「……ぅ」

 

 乱れた呼吸がようやく落ち着いてくると、忘れかけた淫らな熱が引き戻されてきた。

 

「――なあ、お前……」

 

 突然、背後からかけられた声に怯んだ。身体を強張らせる。

 振り向いた先には男が三人立っていた。いずれも上質なスーツをまとった若い男たちだ。育ちの良さを感じさせ、しっかりと撫でつけられた髪から磨かれた靴まで隙がない。ジャケットに付けられた社章は彼らが有名企業の社員であることを示している。ひと目でアルファと分かる裕福な出で立ちだ。

 同じアルファ。だが、彼らの目が血走っているのを見て、背筋に氷を差し込まれたように息を詰めた。

 

「あんた、オメガだろう」

 

 男たちがにじり寄ってくる。すぐに取り囲まれた。逃げ場をなくして、ビルの壁に背を阻まれながら必死の声を上げた。

 

「違うっ! 私はアルファだ……っ!」

「嘘をつけ。どうみても発情しているじゃないか」

 

 御堂の言葉に男たちが笑った。

 

「歳はいくつだ? ……ちょっととうが立っているが、遊んでやるよ、いくら払えばいい?」

 

 下卑た表情でにやつきながら御堂に手を伸ばした。その手を渾身の力で振り払った。

 

「私に触るなっ!」

 

 途端に男たちが気配を変えた。怒りを露わにする。

 

「オメガの分際でアルファに盾突く気か?」

「何を偉そうに。オメガなんてアルファにヤられるだけの存在だろ?」

「ひどい目に遭わされたくなければ言うことを聞くんだ」

 

 かつて克哉に言い放った言葉がそのまま自分に叩きつけられる。自分もこんな獣のような卑しい顔をしていたのだろうか。男たちが御堂に掴みかかってきた。

 

「よせっ! 私に触るな……っ!!」

 

 抵抗むなしく、あっという間に男たちに手を掴まれて後ろ手にねじり上げられた。頭を掴まれて、ビルの壁に押さえつけられた。

 

「ぐ……」

「オメガは素直に尻を出して、アルファに媚びていればいいんだよ」

「よせ……っ! や、あ……っ!」

 

 男たちの手が御堂の身体に這いまわった。ズボンの上から股間を撫でられただけで、腰が砕けそうなほどの甘美な刺激に打たれた。思わず「んぁっ」と鼻にかかったような艶めいた声が漏れてしまう。

 

「やっぱり発情しているじゃないか」

 

 低い笑い声と欲情を剥き出しにした熱い息が首筋にかけられる。御堂のペニスを布地の上からきつく揉みこまれた。

 

「放せっ、ふ、ああ、く……っ」

「どうする? 大人しく俺たちについてくるなら、優しく抱いてやる。それともこの場で犯されたいか?」

「発情したオメガだ。どんな扱いをされても文句は言えないぞ」

 

 普段は一流企業でそれなりのポジションについている男たちなのであろう。それが欲情を露わに獰猛な表情を剥き出しにする。御堂が垂れ流すオメガのフェロモンに狂わされているのだ。理性を失い、目の前の御堂を蹂躙することしか考えていない。

 男の一人が唸った。

 

「……俺はもう我慢できない。ここで一発ヤらせろ」

「馬鹿な……っ、やめろっ!」

「そうだな……。さっさとヤれよ。次は俺の番だ」

「待てよ。そこは公平にじゃんけんで決めようぜ」

 

 一人の男がガチャガチャとベルトのバックルを外しだした。周りの男はそれを止める風でもない。この路地裏で御堂を犯そうとしていることに何の疑問も抱いていないかのようだ。

 嫌だ、よせ、と叫ぼうとしたところで、男の大きな手に鼻と口を塞がれた。別の手が御堂のベルトを外し、下着ごとズボンを下ろそうとしている。

 暴れようとしたが、身体をしっかりと押さえつけられて、動くことさえ叶わない。

 このまま同胞であるアルファにオメガとして犯されるのか、悔しさに涙が溢れたその時だった。

 

「おい、そこで何している?」

 

 今や御堂を犯そうとする男たちの向こうから声が響いた。男たちは動きを止めて訝しげに振り向いた。御堂もまた、黒目だけを動かして見遣れば、克哉が立っていた。男たちに冷ややかな視線を投げかけている。

 

「あんたたち四菱商事の社員だろう? 社章を付けたまま、ここで何をしようとしているんだ?」

「誰だ、お前は?」

「なんだぁ? 邪魔する気か?」

 

 殺気立つ男たちが克哉を威嚇する。だが、克哉は平然としたものだった。スマホを取り出して、どこかに電話をかける仕草をする。

 

「通報する。四菱商事の社員たちが不祥事を起こしたとなったら、マスコミも放ってはおかないだろうな」

 

 克哉の言葉に男たちの表情が変わった。思わぬ第三者の登場に、理性が引き戻されたのだろうか。慌てた様子で御堂から手を離した。

 

「おい、行くぞっ」

「くそ……っ」

 

 脱ぎかけたズボンを引き上げながら、克哉とは反対方向に足早に去っていった。

 男たちがいなくなり、ずるずるとその場に尻もちをついた。冷たいコンクリートがズボンの布地を通して冷気を浸み込ませていく。

 足音が傍まで近寄ってきた。力なく顔を上げた。克哉がレンズ越しに無表情に見下ろしてきた。

 

「どうだ、分かっただろう? オメガがこの社会でどのような扱いを受けているかを」

「……」

 

 蔑みの視線に晒され、人を人とも思わぬ扱いを受ける。華やかな都会に生きる人々の根底に流れるオメガへの粘ついた差別。それをまざまざと思い知らされた。

 こちらを見つめる克哉の顔に愉悦の笑みが浮かんだ。

 

「もう満足したでしょう、御堂さん。そろそろ戻りましょうか。他の誰かに犯されないうちに」

「私に触るな……っ!」

「――ッ」

 

 伸ばされた手を鋭く叩き落とした。

 

「ふざけるなっ! こんなことでオメガに同情しろと? 冗談じゃないっ! 貴様に犯されるくらいならアルファの慰み者になった方がいい」

「本気で言っているのか?」

「……ぐ」

 

 克哉が御堂に打たれた手を擦りながら言った。凄みを増した気配に気圧される。それでも、ありったけの意地をかき集めて吐き捨てた。

 

「私は絶対にお前の思いどおりになどならない。オメガのような扱いをされるくらいなら死んだ方がマシだ」

「あんた、まだ自分がアルファだと思っているのか」

 

 克哉がせせら笑う。

 

「もう、誰もあんたのことをアルファだなんて認めないさ。いい加減気づけよ」

「っ……」

 

 血が滲むほど唇を噛みしめた。

 この男が憎い。アルファの中のアルファであり続けるために、どれだけの犠牲を払ってきたのか。自身の立場に甘んじることなく更なる高みを目指して尽力し続けてきたのだ。

 オメガがオメガであるという理由だけで蔑まれるように、アルファはアルファであるという理由だけで卓越していることを要求される。アルファとして生まれ落ちても、アルファであり続けるためには相応の努力が必要なのだ。周囲の期待に応えることが出来るアルファだけが真のアルファなのだ。

 それが佐伯克哉というたった一人のオメガのためにすべてを失い、窮地に立たされている。

 自分にどれだけの絶望を叩き込めば気が済むのであろう。オメガが味わってきたものと同じ痛みを味合わせたいのか。

 なぜ、それが自分なのか。他にもアルファはたくさんいるのに、なぜ自分がこの男の標的となってしまったのか。

 アルファが君臨するこの世界を、そして自分自身を守ろうと、たった一人で抗い続けて、もう限界だった。

 怒りを燃やし尽くしてしまうと、あとには虚しさしか残らない。

 こうまでして、自分に何が残っているのだろう。

 アルファの同胞でさえ、御堂をオメガとみなした。

 この男が言う通り、自分はアルファだと思っているのは御堂だけで、誰しもが御堂をオメガとみなしているのかもしれない。

 今この瞬間にも発情した身体は淫らな熱に炙られている。浅ましい痴態を晒すことも厭わずに切羽詰まって快楽を求めている。身体はいとも簡単に心を裏切る。

 ぷつんと張りつめていたものが切れた。目が熱くなる。自分が何をどうやっても、このオメガに勝つことは出来ないのだ。「はは……ッ」と乾いた笑いが漏れた。

 

「貴様は私が落ちぶれて這いつくばる姿を見て、さぞや満足なのだろうな」

「……あんた、どれだけアルファであることにこだわっているんだ? それに、どれだけオメガを蔑んでいるんだ?」

 

 呆れた口調が降ってきた。その口ぶりに悟った。

 この男にとっては御堂がアルファであろうがなかろうが、どうでもいいことなのだ。ただ、御堂がアルファにしがみついているから、戯れに御堂をアルファから引きずり落そうとしているだけなのだ。

 視界が霞み、揺れた。

 

「……私はアルファとして生まれ、アルファとして生きてきた。それが、私だ。他の生き方など出来ないし、理解しようとも思わない」

 

 アルファでなければ生きる価値などない。こんな惨めな自分、自分だって要らない。

 蔑みと同情、そんな目で見られるくらいなら、いっそ。

 

「殺してくれ……」

「……御堂?」

 

 無意識にそう呟いていた。

 目の奥にこみあげてきた熱が、堰を切ったように涙になって溢れた。

 視界がどんどん歪んでいく。目の前に立つ男の姿が陽炎のように揺らめいた。目から溢れる雫で顔が濡れる。その雫は、次から次へと溢れて顎を伝って滴り落ちた。あとどれだけ涙を流せばこの世界が消えてなくなるのだろう。それが無理なら自分が消えるしかない。

 顔をしっかりと上げて、克哉を見上げた。最後の気力を振り絞って、懇願した。

 

「私を殺せ」

 

 克哉の目が見開かれ、そして顔が大きく歪んだ。身体の横に降ろしていた拳が硬く握りしめられる。

 私を殴るのか、そう思った。

 それでも、何の感情も動かなくなっていた。流れ続ける涙も、熱を倦ませている身体もどこか別次元の遠い出来事のように感じた。

 これほどまでに自分に快楽と屈辱を、絶望と憎悪を刻み付けた男は、それだけでは飽き足らず、御堂の中心を大きくえぐり取っていった。

 心があった場所に大きな穴が開いている。この空虚な輪郭をかたどる気持ちは何なのだろう。かつて痛みと呼んだ感情だろうか。意識も記憶も感情も、すべてが混濁して何もかも放り出してしまいたかった。

 身体は快楽を渇望している。今この瞬間でさえ、性器は張りつめて、肉の交わりを欲している。オメガに堕ちた浅ましい身体。こんなものが欲しければいくらでもくれてやる。

 私の負けだ。後はもう好きにしろ。もしお前に慈悲があるのなら、せめて一思いにとどめを刺してくれ。

 

「――殺せ、私を、殺せ。頼むから、私を殺してくれ」

 

 殺せ、と壊れたように繰り返していると、目の前の男は力なく拳を下ろし、項垂れた。

 

「俺の、負けです」

 

 そう、聞こえた。

 

 

 

 

 力の入らない身体を抱え上げられて、連れ込まれた先は自分の部屋だった。

 この部屋からやっと逃げ出したのに、またこの部屋に連れ戻されたのか、と諦めと共に力なく項垂れた。

 寝室のベッドに転がされた。もう、抗う気力もない。

 だが、克哉は思い詰めたようにベッドの脇に突っ立っていた。何をするわけでもない。迷う表情で御堂を見詰めている。

 

「くぅ……っ」

 

 ずくりと下腹が疼いて身体を折った。身体の奥に孕んでいる熱は嵐のように渦巻いて、御堂を炙り続けている。あと、ほんの少しの刺激で昇り詰めることが出来るのは分かっている。だが、力を使い果たし、激しい発情に惑乱した手足はまともに動かない。爆発しそうな熱を抱えて、苦しさに呻くことしかできない。

 その時、身体の脇のスプリングが沈んだ。克哉がジャケットを脱いで、ベッドに乗り上がってくる。

 また、飽きるまで犯されるのだろう。

 それは恐怖であるはずなのに、その先にある快楽を期待して熱がさらに激しく暴れだした。

 行為の最中は快楽に溺れ切り、それが終わると嫌悪と屈辱に苛まされる。そんなことを繰り返して、心と身体はもうすっかり乖離してしまっていた。それでも、形ばかりの抵抗を口にした。

 

「よせ……っ」

「このままじゃ苦しいはずだ」

「っ……」

 

 その通りだった。自分で欲望を処理しようにも、手は細かく痙攣したままだ。克哉は御堂に毛布をかけると体を覆った。肌が見えないように隠し、そして毛布の隙間から手を入れた。

 克哉の手が御堂のベルトにかかり、はちきれんばかりに育ったペニスを掴みだす。

 

「――ッ!」

 

 たったそれだけのことで、身体が大げさなほどに跳ねた。

 これからどんな屈辱と快楽を与えられるのか。身体が恐怖に震えだす。もう、全てを諦めたはずなのに、新しい雫が目じりから零れた。

 

「チッ……」

 

 その涙を見た克哉が舌打ちして手を引いた。途端に行き場を失った熱が体内で狂おしくうねる。出したいのにあと一歩の刺激がない。その苦しさに悶えた。

 マグマのような熱は時間が経っても引く気配はなく、嵩を増すばかりだ。呻きながら言った。

 

「くるし……、どうにかして……くれ」

「……時間が経たないと、俺もどうしようもない」

 

 眉間に皺を寄せて答える克哉が、何かを思いついたように御堂の手の上に手を重ねた。そうして、御堂のペニスへと導き、強張る指を解いて優しく握らせた。

 

「これならいいだろう? 俺が触るのはあんたの手だけだ」

 

 克哉は御堂の手を上下に動かしてペニスを根元から擦り上げた。

 

「くぅ……っ、あ、あああっ」

 

 触れる自分の手が一度往復しただけで、快楽が弾けた。手の中でペニスが跳ねて、自分と克哉の手をしとどに濡らしていく。だが、一度出してもペニスは硬さを保ったままで、深いところの熱は凝ったままだ。

 

「ん……くっ」

 

 克哉の手が御堂の手を覆うと、また上下に動き出した。

 自分が放った精液をペニスにこすり付ける様にして、熱を高ぶらせていく。掻き立てられた快楽が奔流のように張りつめた器官に流れ込んできた。

 

「こんなの、やだ……。よせ……っ」

「何回か出せば落ち着く。それ以上、何もしない。俺を信じろ」

 

 今更、何を信じろというのか。だが、もう、克哉に縋るしか選択肢は残されていなかった。

 

「んぅ……、ぁ、ああっ」

 

 克哉の手に導かれて何度も絶頂を迎えた。それでも熱は中々引かなかった。

 激しすぎる感覚が堪えられなくて、途中からは手を離し、克哉の背中に両手を回してしがみついていた。克哉が御堂の代わりに、ペニスに直接触れた。感じるところを正確に愛撫される。奥深いところがきゅうっと疼いた。快楽を得ることを覚えさせられた粘膜が貫かれることを切望している。

 抱えきれないほどの熱を満足させるには、克哉に深々と穿たれることが手っ取り早いということは分かっていた。克哉の横顔を窺えば、目元に朱が差し、唇を噛みしめて何かを耐えている。克哉も御堂が放つフェロモンにあてられているのだ。だが必死に自分自身を抑えている。たぶん、御堂が一言欲しがれば、思う存分、快楽を与えられるのだろう。それでも、克哉を欲しがることは崖っぷちで踏みとどまった。まだ、自分の中にひとかけらの矜持が残されていたことに驚いた。

 そして、克哉も踏みとどまっていた。御堂のペニスには触れても、最後までそれより深いところには触れようとはしなかった。

 扱き上げられるたびに克哉の手の中に迸らせる。たっぷりと克哉の手を濡らし、出すものもなくなったところで、ようやく淫らな熱が落ち着いてきた。

 

「もう、いいだろう」

 

 克哉はゆっくりと身体を離した。遠のく体温が、なぜだか切なさを呼び起こした。

 立て続けの絶頂に息を乱していると、手を洗ってきた克哉が背中を擦ってきた。息が整うまで背中を撫でると、汚れた下半身を、御堂が戸惑うほどに丁寧に拭って後始末をした。

 御堂を拘束しようともしない。簡単に逃げられるくらい隙だらけだ。今までにない克哉の様子に黒目だけで慎重に克哉の動きを追っていると、その視線に気づいた克哉が御堂に顔を向けた。目を合わさないように視線を伏せると、克哉が、ふうと大きく息を吐いた。

 

「もう、何もしませんよ」

「何……?」

「言ったでしょう、俺の負けだと」

 

 そう言いながら克哉は脱いでいたジャケットを着こんだ。

 

「あんたはどうあっても俺を拒絶する。たとえ、他のアルファに犯されそうになったとしても」

 

 克哉は力なく笑った。

 

「あんたは、オメガに屈するくらいなら死んだ方がマシだと本気で考えていることがよく分かった」

「……」

「俺の負けだ。オメガはどうあっても、アルファには、いや、あんたには勝てない」

 

 そう言う克哉の顔は深い痛みを堪えるように微かに歪んでいた。

 

「御堂、明日一日この部屋に閉じこもっていろ。明後日には、もうフェロモンは抜けている。あんたは正真正銘のアルファに戻れる」

 

 ひとつ息を吐いて、克哉「……俺は……」と言いかけて黙り込んだ。そして、御堂に背を向けた。長い沈黙のあと、低いつぶやきが聞こえた。

 

「さようなら、御堂さん」

 

 きしんだ音を立てて、部屋のドアが開いて閉じた。

 

 

 

 

 次の日一日、克哉に言われたとおりにじっと室内で過ごした。その翌朝、熱いシャワーを浴びて、恐る恐る部屋を出た。マンションを出て、タクシーを捕まえるまでの間、周囲の目を気にしたがもう、すでに周りの人間たちは御堂に無関心だった。欲情めいた眼差しや侮蔑の視線に晒されないことに、どれほどの安堵を覚えたことだろう。

 無断欠勤後の出勤に、なんと釈明すべきか迷ったが、御堂は驚くほどあっさりと迎え入れられた。

 大隈に「意識不明で入院していたそうだな。大変だったな、御堂君」と労わられ、部下たちからも次々と慮る声をかけられた。

 どうやら、昨日一日で克哉がMGN社内の地ならしをしたようだった。御堂の無断欠勤は急病で入院していたことになっていた。そんな言い訳があっさり通ったのも、克哉が自らの能力を使って大隈たちに吹き込んだのだろう。

 そして、克哉は昨日付けでキクチを退職していた。たった一日で引き継ぎも完璧にこなし、立つ鳥跡を濁さずの退職だったらしい。大隈は克哉の突然の退職を惜しんでいたが、御堂が復帰したことで、御堂がプロジェクトリーダーを続けることに誰も異存はなかった。

 この数カ月の出来事は夢だったかのように、以前の日常が戻ってきた。

 克哉はいなくなったが、プロトスリムの売上は落ちることはなかった。大口の顧客を確保していたことで、そこから芋づる式に自然と販売網が伸びていった。

 こうして、プロトスリムは、一切の追随を許さぬ爆発的な売り上げを誇るブロックバスターと呼ばれる新薬にのし上がった。

 同時に、御堂の社内の名声は揺るぎないものとなった。

 役員たちは御堂と顔を合わせば、口々に御堂を褒め称える。あの出来事などなかったかのように、すべてが順調に進んでいる。克哉の存在は忘れ去られたかのように、話題に上ることもなかった。

 そして、しばらく経ったある日。

 いつものように執務室で仕事をこなしているとデスクの電話がなった。内線のランプが光る。受話器を取ると、川出が幾分興奮気味に御堂に報告してきた。

 

「御堂部長、発情抑制剤の新薬の試験品が完成しました!」

「おめでとう」

 

 川出の報告を聞きながらゆっくりと目を閉じた。川出の報告では、動物実験レベルだが既存薬を大幅に上回る効果を確認したという。川出が、らしくなく「大きな進歩となりますよ、これは」と早口にまくし立てている。よっぽど嬉しいのだろう。

 ようやく、オメガの脅威は去ったのだ。それを実感した。

 たった一人の異能のオメガ。そのオメガに、御堂、そして、MGN社が引っ掻き回された。

 だが、今やその傷跡はどこにも見当たらない。御堂の胸の中だけに秘められた過去となった。

 そして、新型の発情抑制剤の開発も軌道に乗った。これがあれば、たとえ第二第三の克哉が現れたとしても、オメガの能力を抑えつけることが可能だろう。我々アルファはオメガに対する強力な武器を手にすることになる。

 佐伯克哉……。

 その顔が脳裏に浮かび上がった。

 なぜか思い浮かんだ表情は、御堂がさんざん目にした嗜虐に満ちた怜悧な顔ではなく、去り際に一瞬見せた、どこか寂しげな笑みだった。

 

 

 

                 ◇◇◇◇

 

 

 克哉は御堂のマンションのエントランスを力ない足取りでくぐった。

 ポケットの中に部屋の合鍵を入れたままだったことに気が付いて、御堂の部屋番号のポストに放り込んだ。

 

「俺は何をしていたんだろうな」

 

 自嘲の笑みが零れた。あの夜に感じた高揚はすっかり消え去り、心にはどこか空虚な、ざらついた感覚だけが残っている。

 吹き付ける夜の風が冷気を孕んでいる。もう、秋も終わりなのだろう。

 自然と、あの夜の公園に足が向いていた。心の裡に予感があった。全ての始まりとなったあの場所。あそこに行けばあの男に遭える。

 薄暗い公園に入り、何かが潜んでいそうな不気味な気配を無視して、公園の中心へと歩いていくと、突然背後から声をかけられた。

 

「こんばんは、佐伯さん」

 

 振り返れば濃い闇の中に輪郭が浮き上がる。黒衣の男が帽子を取った。編み込まれた長い金髪が仄かな光を放つように輝く。

 どう見ても尋常ならざる出で立ちなのに、克哉はその男の元へと迷わず歩みを寄せた。

 

「この眼鏡は返す。俺に、この力は不要だ」

 

 挨拶も省いて、それだけ言うと、眼鏡を外してMr.Rに差し出した。

 Mr.Rは眼鏡をちらりと見たものの、それを受取ろうとはしなかった。口元に静かな微笑を浮かべる。

 

「この眼鏡は単なるトリガー。今や何の効力もありません」

「何?」

「一度言葉を覚えると、ただの音の羅列だったものがすべて意味を伴って聞こえてしまうように、一度会得した力は常にあなたと共にあります」

「なんだと……」

 

 この能力を捨てることはもう出来ないと告げられて、愕然とした。

 

「俺はこんな力が欲しかったんじゃない」

 

――俺が欲しかったのは……

 

 Mr.Rはレンズの奥の眸をすっと細めた。金の眸が冷ややかな輝きを増す。

 

「あなたは結局何も変わらないのですね」

「変わらない?」

「自分の置かれた境遇を恨み、嘆くだけ。誰かが何かをしてくれることだけを期待している」

 

 そう言って、Mr.Rは帽子を再び被りなおした。

 

「私の見込み違いでした。残念です」

 

 Mr.Rが克哉に向ける視線は、冷徹というよりも、もはや、無関心なそれだった。ひんやりとした夜気が克哉を取り囲み、そこで初めてこの男に対して怖気を感じた。

 Mr.Rは軽く目を伏せて克哉に会釈をすると、背を向けて闇に溶け込み消えていった。最初からそこに何もなかったかのように、全ての気配が消え去った。

 ただ一人、夜の真ん中に取り残される。

 手に入れたと思ったものが指の間からすり抜けて消えていく。

 大事なものを失っていくだけの生き方。それを変えたかったのに、結局は何も変わっていないのだ。

 ぼんやりと空を見上げた。

 夜の空の真ん中で煌々と輝く月が克哉を冷たく見下ろしていた。

(6)
(7)

 あれから一年経った。御堂は書類を一通りチェックし終えると執務室の窓へと視線を向けた。

 窓の外には重たい雲が立ち込めている。きっと月も星も見えない冬の暗い夜が降りてくるのだろう。

 オメガに対する新しい発情抑制剤は、国の厳しい審査を通って無事に販売された。一回の投与で効果が最大三カ月持続する。

 剤型も飲み薬だけでなく、貼り薬や注射薬などが販売され、個人のライフスタイルによって自由に選べるようになった。そして、その新薬は、御堂に想定外の結果をもたらした。

 効果が強く、それでいて副作用が少ない。新型の発情抑制剤は発売と同時に爆発的な勢いで全世界に普及したのだ。各国の政府も補助金を出して、新薬の普及を国策として後押ししたこともあり、プロトスリム以上のブロックバスターとして、文字通り発情抑制剤の市場を塗り替えた。いくら薄利な薬でも、ここまで売れれば利益も無視できないものとなる。MGN社内で発情抑制剤の開発に異を唱える者は誰もいなくなった。

 また、新薬が一斉に広まったことにより、薬の効果不足や飲み忘れによる不慮の発情のリスクが格段に減った。その結果、オメガを厄介者扱いする理由がなくなり、オメガ性の者たちの社会進出が加速された。MGN社でもこの抑制剤のおかげで世界第一位の売上高を誇る製薬企業へとのし上がったこともあり、オメガ性の社員を積極的に登用しはじめた。オメガを差別せずに、彼らの能力を最大限に活用する先駆的な企業として評価も高まった。

 世界的なオメガの人権団体から、オメガの社会的地位の向上へ貢献したという名誉ある賞がMGN社と抑制剤の開発者に贈られた。川出が代表者として授賞式に出席した。御堂もプロジェクトリーダーとして声がかかったが、出席は丁重に断った。

 自分は決してオメガの社会的地位の向上のために動いたわけではない。むしろ、たった一人の異能のオメガと闘うために抑制剤の開発に心血を注いだのだ。

 御堂が行ったことは新薬の開発だけではなかった。

 MGN社の首脳陣のポストもアルファだけでなく、ベータ、そしてオメガを登用する道が開かれた。御堂がそれを後押ししたのだ。アルファだけで権力の座を占めることはリスクを伴う。たった一人のオメガに狂わされる可能性があるからだ。多様性を持たせることこそ、思わぬ外敵に対して抵抗力を持つことが出来る。それが結果としてアルファが権力を占める社会の安定化につながるはずだ。そのことが分からない他のアルファからは奇異と嫌悪の目を向けられたが、御堂は社内取締役の一定数をアルファ以外の性別の者を採用することを明文化させた。

 オメガとは最も卑しい階級だ。心身ともにアルファに劣る存在で、アルファと肩を並べるなどということはあってはならない。

 そう思っていたはずなのに、御堂は思わぬ立場に立たされた。御堂はオメガに対する深い理解者であり強力な支援者として社の内外から評価されてしまったのだ。先日は、世界を変えた日本人として、著名なニュース誌から取材を受けた。オメガに対する根強い差別はいまだに残ってはいるが、御堂の一連の行為がオメガに対する社会の風潮を変えたのは確かだ。

 いまだ御堂は、開発第一室の室長である部長職についているが、次の人事異動では専務へと昇進することが確実視されている。むしろ、アメリカ本社の役員ポストも噂されているくらいだ。

 執務室を出てオフィスを見渡すと、アルファに混ざって、ベータ、そしてオメガの社員たちがデスクを並べ、熱心に仕事をこなしている。MGN社の花形部署であるこの室は、選りすぐりのアルファだけのエリート部署だった。それが今では性別を超えて社員同士が活発に意見を交わし、協力してプロジェクトに取り組んでいる。藤田を始めとした若いアルファは、すぐに馴染み、不平不満もなくこの状況を受け入れている。

 だが、こんな環境を自分は決して望んではないなかった。

 自分が推し進めた会社の方針である以上、露骨な反対もできず、渋々この状況を受け入れていたが、部下である以上、ベータやオメガの社員の評価や指導を行わざるを得ない。そして、彼らの無視できないレベルの有能さを目の当たりにした。アルファに匹敵、もしくはそれ以上に優れた資質を持つオメガやベータもいる。その事実は認めざるを得ない。

 そしてまた、内河、田之倉とも和解を果たした。

 

『御堂がそこまでオメガの問題について真剣に取り組んでいるとは知らなかった。お前の考え方に全面的に賛同はしない。だが、お前がそこまで熱意をかけているなら、俺たちも友人として協力する』

 

 と、誤解で去っていた友人たちは誤解を拗らせて戻ってきた。

 オメガを排除するはずだったのに、いつの間にかオメガとの共生が進んでいる。しかも、自身がそのフロンティアとなってしまっている。どうしてこうなってしまったのだろうか。

 全てが予想以上に順調に進んでいるのに、どこか割り切れない気持ちが胸にわだかまっている。

 すべてのきっかけは、たった一人のオメガの男だ。

 その男のことを思い浮かべた。過去の痛みは少しずつ遠のいてきている。代わりに胸に棲むのは、何故、という問いだ。何故、あの男はあんなことをしたのだろう。そして、何故、その対象が自分だったのであろうか。

 彼は今、どこで何をしているのだろうか。

 いつの間にか、過去の感傷に囚われていたらしい。内線電話が鳴りだして、御堂は我を取り戻した。電話を取れば社の受付からだった。

 

『御堂部長、お約束の方がいらっしゃいました』

「ありがとう。応接室に案内してくれ」

 

 それだけ言って電話を切った。

 時計をちらりと確認すると約束の時間の五分前になっていた。

 今年最後の仕事は、今、受付から連絡を受けた会社と契約を締結することだ。

 現在御堂が手掛けているのは、トータルヘルスケアセンター、というコンセプトセンターの企画だ。一人一人を、食事や、運動、そして医療といった多方面からケアすることで健康的な生活をサポートするサービス。そのプランナーとして厳しいコンペティションを勝ち抜いた会社は驚くべきことに、企業して一年足らずのベンチャー企業だった。

 秘書から契約書一式を渡される。それを掴んで応接室に向かう途中、大隈が合流してきた。

 

「御堂君、今から契約か?」

「ええ。大隈専務は?」

「私も、新進気鋭のコンサルティング会社に一言挨拶しておこうと思ってな」

 

 大隈がいちベンチャー企業に興味を示すとは珍しい。どんな思惑があるのだろうか、と考えながら応接室へと連れ立っていく。大隈が上機嫌に口を開いた。

 

「御堂君、知っているか? このアクワイヤ・アソシエーションという会社……」

「よくは知りませんが、起業して一年足らずで手掛けた案件を全て成功させているという話ですね」

「それがな、この会社の代表は、驚くべき人物でね」

 

 もったいぶって本代を中々切り出さない大隈の態度に軽い苛立ちを感じつつ、相槌を打っていると、あっという間に応接室に着いた。大隈の話に付き合うよりも、さっさと契約を済まそうと、応接室のドアをノックした。

 

「お待たせしました。開発第一室の御堂です」

 

 扉を開くと、中で待っていた人物がソファから立ち上がって、御堂たちへと顔を向けた。

 その姿を見て、衝撃にすべての動きが止まった。

 

「佐伯君、久しぶりだな!」

「大隈専務もお変わりなく」

 

 なぜここに克哉がいるのか。理解できずに思考がフリーズする。だが、大隈は驚きもせずに、御堂を押しのけて応接室に入ると克哉とにこやかに挨拶を交わしている。

 

「君がアクワイヤ・アソシエーションの代表だと知って驚いたよ」

「起業のご挨拶もせずに大変失礼いたしました」

 

 まさか、これから御堂が契約する相手、アクワイヤ・アソシエーションの代表が克哉だというのだろうか。

 克哉は御堂をちらりと見たものの、完璧な営業スマイルを崩すことはない。大隈に頭を下げた。

 

「あの時は、急な退職で大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

「それは御堂君に言うべきだな。君の穴埋めに奔走したんだ。なあ、御堂君」

「え、ええ……」

 

 突然話を振られて緊張が走る。克哉は御堂の正面を向くと体を二つに折った。

 

「御堂部長、その節は本当に申し訳ございませんでした」

「……」

 

 どう返したものか戸惑っていると、大隈が口を挟んで場の空気を動かした。

 

「まさか、また君と仕事をすることになるとはな。私は、今日は挨拶だけだ。後は、御堂君、よろしく頼む」

 

 それだけ言うと大隈専務は応接室を出ていった。パタンと閉まるドアと共に、二人で部屋に取り残される。すぐに張りつめた緊張と重苦しい沈黙が充満した。

 閉まった扉の前で動けなくなる。今すぐにでもこの場から逃げ出したい。

 だが、そんな御堂の態度を見て、克哉がちらりと笑った。

 

「御堂さん、安心してください。今の俺はあなたの脅威にはなりませんよ」

「……どういうことだ?」

「あなたが開発した発情抑制剤を内服している。前みたいな力は使えない」

 

 そう言って、克哉はジャケットの内ポケットからタブレットケースを出して御堂に見せた。その中には御堂たちが開発した発情抑制剤のタブレットがあった。

 

「……」

「俺が信用できませんか?」

 

 克哉は軽く笑って、御堂に向けてタブレットケースを掲げて、中身を確認させると目の前でそれを一錠口の中に放り込んだ。ソファに座って、手元にあった水で流し込む。軽く反った喉の、形の良い喉仏が上下した。

 

「これで安心できましたか? 幸い、この錠剤は過剰摂取(オーバードース)しても副作用が問題にならないほど安全性が高い。いい薬だと思いますよ」

 

 克哉は目線で御堂にソファに座れと促す。

 

「今回、契約のために俺が出向いたが、契約さえ終われば、これ以上、俺は関わらない。だから心配しなくていい。あんたの視界にはもう現れない」

 

 そう言われて、何のためにこの部屋に出向いたのか思い出した。恐る恐るテーブルを挟んで克哉の向かいのソファに座った。

 黙ったまま封筒から契約書を取り出して手渡した。書類を掴む指先が細かく震える。

 克哉はそれに見て見ぬふりをして御堂から書類を受け取った。中身をざっと確認して、二通の契約書に続けてサインをして御堂に渡した。御堂もその書類にサインし、全く同じ内容の契約書が二通出来上がっていることを確認するとそのうちの一通を克哉に手渡した。パサリと乾いた紙の感触。克哉がそれを受け取るほんの一瞬、紙を通して克哉に触れる。

 契約を交わすのに要した時間はものの十分もかからなかった。粛々と契約を終えて、克哉は契約書を自分のバッグにしまった。その間、御堂とはほとんど目も合わさなければ会話も交わさない。二人の間にピンと張った緊張の糸を乱すのを恐れているかのようだ。克哉は、「それでは」と小さく一言告げてソファから立ち上がった。

 このまま克哉は部屋を出て行ってしまう。何故だか分からない焦りが突き上げて、御堂は咄嗟に口を開いた。会話の糸口を必死に探す。

 

「……なぜ、このコンペに出したんだ?」

「それは……」

 

 克哉はしばし答えをためらい、そして、深く息を吐いて視線を御堂に向けた。

 

「あなたに認めてほしかったんですよ。俺自身を」

 

 レンズ越しの淡い虹彩が御堂を捉えた。今までの嗜虐に満ちた冷ややかな眸とは違う。そこにあるのは生々しいまでの強い意志の光だ。

 

「アルファではない俺を、オメガの能力を使わない俺を。本当の自分の実力だけでどこまで這い上がれるのか試してみたかった。あなたの目に留めてもらうことが出来るのか」

「私に?」

「アルファのあなたにオメガの俺を見てもらうためには、あなたをオメガのところまで引きずりおろせばいいと思っていた。だが、俺は間違っていた。俺が、あなたのところまで這い上がらなければいけなかったんだ」

「……」

「馬鹿ですね、俺は。そんな当たり前のことに気が付かなかったなんて」

 

 そう言って、克哉は小さく笑った。そこにあるのは自嘲の笑みで、御堂からわずかに伏せられた眸は、あの日克哉が去り際に見せた複雑な光を宿している。それはきっと深い後悔を堪えているからなのだろう。

 あの時のことを許せるかと言ったら、それはノーだ。克哉が、御堂に許しを乞おうとしないのは、許されないことが分かっているからなのだろう。だが、それでもなお、克哉は御堂の前に現れた。その決意にだけは応えたいと思った。

 

「……君の企画はずば抜けて優れていた。だから、私は迷わずこの企画を選んだ」

 

 部屋から出ようとした克哉が足を止めた。御堂に顔を向ける。

 克哉の視線を感じながら、資料として持ってきていたアクワイヤ・アソシエーションの企画書を取り出した。

 御堂が審査したコンペの企画書は先入観をなくすため、作成した企業の名前は一切伏せられていた。だから御堂は純粋に企画内容で選別し、応募された企画の中から一番優れていたものを採用した。

 この企画をひと目見た時、感じたのは底知れぬ気迫だった。コンペ常連の大手にはない型にはまらぬ大胆な発想。それでいて細部まで綿密に編み込まれた内容。企画を裏打ちするデータは正確無比で相当の事前調査をしていることも分かった。

 採用されるかどうかも分からないコンペだ。不採用になれば、何の見返りもなく、この企画にかけた手間と情熱はすべて無駄になる。それでも全力をかけたという熱意が伝わってきた。最終選考まで残ったが、そこで、この企画が起業僅か一年足らずのベンチャーによるものだということが開示された。審査員の中には、実績のないベンチャーの企画であるということに難色を示す者もいた。ベンチャー企業の企画を採用し、失敗したときに責任を負えないというのだ。だが、御堂は迷わずこの企画を推した。それくらい、圧巻の完成度を誇っていたのだ。そして、最終的には満場一致で採択された。

 

「この企画が君によるものだと知っていても、私はこの企画を採用したと思う」

 

 正直な感想を口にした。克哉の眸がわずかに見開かれ、そして、表情がかすかに緩む。口元が満足げな笑みを形作った。

 

「その言葉だけで十分です。ありがとうございます、御堂さん」

 

 克哉は御堂に対して、もう一度深々と頭を下げて挨拶すると、今度こそ振り返ることもなく部屋を出ていった。

 たった一人取り残される。手に持った契約書を掴む手が細かく震えた。

 何かに絡めとられたような胸の苦しさがこみあげてきた。克哉と会ってからずっと、心臓が激しく打ち鳴らされている。胸が張り裂けそうな苦しさに、思わず胸元のシャツを掴んだ。

 克哉はもうあの能力を使えないと言った。それだけでなく、目の前で発情抑制剤を飲んで見せた。

 それならば、今、この胸に渦巻く気持ちは何なのだ?

 克哉によって操られたものではないとしたら、この感情は自分の身の裡から出たものなのだろうか。

 書類をひっつかんで部屋を飛び出した。

 自分の執務室に駆け込み、契約書を引き出しに仕舞うと、コートとマフラーを掴んで飛び出した。御堂に声をかけようとする部下たちを気迫で黙らせ、エレベーターホールでエレベーターが到着するなり駆け込む。

 ビルのエントランスから飛び出して克哉の影を探して周囲を見渡した。

 

「――ッ」

 

 克哉はすぐに見つかった。

 暗い冬の夜に包まれた街、オフィス街の道を行く人たちは少なく、速足で歩いている。その中で、時が止まったように道端にポツンと立ち尽くす人影。顔を上げている彼の眼差しは夜の空の下、MGN社のビルを見詰めていた。

 克哉を追いかけてきたのに、いざ見つけると、どう声をかけていいか分からずためらう。

 御堂もまた、克哉から距離を取って立ち尽くした。

 自分の存在に克哉が気が付いてくれるのを期待したが、克哉はしばらくの間、MGN社を眺めると振り向くこともせずに視線を前に戻した。そのまま歩き出す。

 慌てて追いかけた。

 

「待て! 佐伯!!」

「御堂さん?」

 

 克哉が驚いて振り返った。克哉までほんの数歩のところの距離で足を止めた。

 窺う眼差しを向けられた。何故、自分を追ってきたのかいぶかしんでいるようだ。

 何を言えばいいのか。何と言えばいいのか。

 ここまで来て一向に口を開こうとしない御堂に、克哉がしびれを切らした。

 

「どうかしましたか?」

 

 かき回された感情は自分でさえも整理できない。克哉に問われて、ありのままの気持ちを言葉に置き換えた。

 

「……私はオメガなんか嫌いだ。君だって憎くて仕方がない」

「知っていますよ」

 

 淡々と克哉は答えた。今や、その顔からは全ての表情が拭われて、何を考えているのか読めなかった。御堂の言葉に悲しんでいるようにも、諦念とともに達観しているようにも思えた。

 凍えるような夜が降りている。都会の騒音は消え去り、この東京にたった二人きり取り残された面持ちになった。

 静謐な湖面のような眸がレンズ越しに御堂を捉えた。じっと御堂を見詰める。

 その顔には傲慢さも冷笑もない。人形のように整った顔はただじっと御堂を見詰めている。

 目の前に立つ克哉を美しいと思った。

 雲の合間から一筋差し込む月の光のように、克哉の存在は薄暗い夜に潜む闇を静かに際立たせた。

 沈黙が凍てつく中、言葉が見つからなくて黙り込んで俯いた御堂に、克哉は何かを察したようだった。穏やかな声が響いた。

 

「契約を破棄しますか? それなら、俺の方から契約破棄を申し出たということで構いません。後程、俺から申し入れをします」

 

 克哉はそれだけ言って、御堂に背を向けた。その場から去ろうとする気配がする。

 違う、違うのだ。

 遠のこうとする克哉の距離に焦りが突き上げる。

 

「そうではない!!」

 

 克哉の行きかけた足が止まった。

 

「教えて欲しいんだ。……君は、あの日、去り際に何を言おうとしたのか」

「ッ……」

 

 克哉は息を鋭く吸い込んだ。

「ずっと理由を探しているんだ。何故、『私』だったのだろうかと」

 

 今度は克哉が沈黙する番だった。その顔に躊躇いが生まれている。静けさに窒息しそうになった時、ようやく克哉は口を開いた。ぽつりとつぶやく。

 

「……あなたのことが好きだったから」

「何だって……?」

 

 告げられた言葉が理解できず聞き返したが、克哉は御堂から顔を背けた。

 

「もう、いいだろう? さよなら、御堂さん」

 

 その場からすぐさま立ち去りたい素振りで克哉は御堂に背を向けると大股で歩き出した。背中にはこれ以上話しかけるな、と拒絶の意思を漂わせている。自分自身を恥じて、この暗い灰色の夜に溶け込もうとしているかのようだ。

 その背を見ながら、火傷しそうな感情がこみあげて唇をきつく噛みしめた。

 克哉は自分のことが好きだからあんなことをしたのか?

 唖然としながら、克哉の言葉を反芻した。

 強引に奪われて、踏みつけられて、あれほどひどい目に遭ったのだ。

 あの時の出来事を正当化できる理由などない。

 それなのに。今、自分の胸を焦がす感情は何だというのだ。目の前の克哉が自分から遠ざかることに何故これほどまで動揺しているのか。

 まるで克哉のことが好きみたいではないか。

 そうか、好きなのだ。

 

――私は克哉が好きなのだ。

 

 電撃に打たれたような衝撃だった。

 やっと見つけた自分の気持ち。たった一言の言葉に置き換えると、もう、そうとしか考えられなくなった。

 視界の中の克哉はどんどん小さくなっていく。

 このまま行かせてはいけない。

 自分が、命まで賭したアルファの矜持を捨て去るときは、今この時だ。この機を逃したらきっと後悔する。

 克哉に向かって全力で駆け出した。必死に手を伸ばして、克哉の手を掴んだ。ぐいと引っ張って克哉の動きを止める。振り向きざまの克哉に告白した。

 

「私だって、君が好きだ」

 

 克哉のレンズ越しの眸が大きく見開かれる。その淡い瞳孔には自分の顔が大きく映り込んでいた。

 

「……本気で言っているのか?」

「冗談でこんなことを言うと思うのか」

「俺がオメガだからか?」

 

 克哉の唇が冷ややかに歪んだ。御堂の言葉を頭ごなしに信じてなどいないのだ。自分だってそうだ。何故、克哉に告白しているのか自分が自分を信じられない。それでも、胸を焦がす感情を克哉に伝えたかった。克哉を掴む指先が熱い。

 オメガだから憎いのか。オメガだから好きなのか。

 どちらも違う。

 佐伯克哉という一人の人間を憎み、そして、好きになったのだ。

 

「私が好きなのは、佐伯克哉、君だ……っ」

 

 これ以上先を言わすな、と半ば自棄になって言った。

 克哉の肩越しにどこまでも暗い夜空が見えた。重たくて今にも落ちてきそうなのに、はるか遠い空。あの空の向こうにはアルファもオメガもなくて自由に愛し合える世界があるのかもしれない。この世界で性別を超えて愛を叶えるのは困難を伴う。それでも今、自分が抱く気持ちを見過ごすことは出来ない。

 

「御堂……」

 

 力が入りすぎて痺れたようになった指先。不意にそこにあたたかな体温を感じた。克哉が指をそっと絡めて手を握り合う形にする。はっと克哉に顔を向けた。

 克哉の顔が近づいた。唇の脇に唇をそっと触れさせて、御堂の告白への返事をする。あまりにもささやかなキスに肩の力が抜けた。

 

「それだけか?」

 

 鼻先が触れ合う距離にある克哉の眸が煌めいた。

 

「本当は、もっとちゃんとしたキスをしたい」

「すればいいじゃないか」

「してもいいんですか?」

「……ああ」

 

 確認してくる克哉に、たった一度だけのキスを思い出した。口移しに与えられたフェロモン、いくら抑制剤を飲んでいるとはいえ、克哉とのキスに恐怖がないと言えば嘘になる。それでも、もっと強い熱が欲しかった。だから、御堂を気遣う声に強く頷いた。

 背中に手を回されて強く抱き寄せられる。唇が深くかみ合わされた。濡れた舌が薄く開いた唇の中へと挿ってくる。くちゅりと淫靡な音が合わさった唇の間で立った。

 口内を熱い舌が這いまわる。口蓋をくすぐられ、舌を絡ませる。混ぜられた唾液を抵抗なくこくりと呑み込んだ。こんなにも深いキスを交わしているのに、渇望は深まるばかりだ。じわりと身体の奥で熱が疼いた。街中でキスに夢中になっている自分に気が付いて、ハッと顔を離した。

 触れ合う唇が離れた瞬間、凍えた冬の大気が熱くなった頬を撫でた。それでも一度火が点いた身体は治まりそうにない。

 物欲しげな顔をしていたのだろう。克哉がクスリと笑った。

 

「この続きをしましょうか?」

 

 羞恥に顔を逸らしながらも、こくんと小さく頷いた。

 

 

 

 

 流しのタクシーを捕まえ、ホテルへと向かう。部屋に入るになりもつれあうように互いの服を剥ぎ取った。しなやかな筋肉が流れる身体。それを目にして、否応にも熱が高まっていく。

 

「く……、ん、ぁ」

 

 克哉が触れたところから神経が研ぎ澄まされて、空気の揺らぎさえ感じ取ってしまうようだ。この一年、誰かと肌を重ねることさえなかった。

 克哉には何度も抱かれたはずなのに、克哉の指先の動き一つに過剰に反応し、艶めいた息が漏れた。こんな状態はおかしい。たまらずに声を上げた。

 

「お前、フェロモン使っているだろ……っ」

「使っていませんて。使えないこと分かっているでしょう」

「それならなんでこんなに……っ」

「こんなに、どうしたんですか?」

 

 その先を答えかけて慌てて口を噤んだ。これがフェロモンのせいでないとしたら、自分が克哉に対して自然と発情していることを認めることになる。

 克哉に意地悪く笑った。首筋にねっとりと熱い舌を這わせてくる。

 

「教えてくださいよ、どうしたんですか?」

「……っ、んあっ」

 

 御堂の尖りきった乳首を軽く摘ままれる。それだけで身体をひくんと震わせた。克哉に向けて胸を反らしてしまい、乳首をいじられることをねだっているかのようだ。

 

「どうしたのか言えよ、御堂」

「や……ぁっ、君は、意地が悪いな……っ」

「今更だろう?」

 

 笑いながらぺろりと乳首を舐められる。とがらせて舌先で舐られ、軽く歯を立てられ、硬く勃ちあがったペニスの先端から熱い蜜が滲みだしていく。

 克哉の勃起が自身のそれに触れた。先端をこすり合わせるように腰を押し付けられて、それだけで頭の中が白んでいく。克哉の愛撫に促されるままに正直に答えた。

 

「体が、感じ過ぎて…おかしい……ん、ああっ」

「奇遇だな。俺もだ……。あんたの色気にあてられたのかも」

「え……あ、く……んんっ」

 

 克哉の眸が獰猛な光を宿した。大きな手がペニスを二本まとめて握り込む。裏と裏の筋が押し合いきつく擦れあった。直に感じる硬さと熱さから、克哉の自分に対する猛々しい欲情を感じ取る。指が絡まり、根元からひとまとめに擦り上げられるたびに、大量の先走りが溢れて、二人の性器をしとどに濡らしていった。

 濡れそぼった指が性器から離れてその尻の狭間の奥へと伸ばされた。密やかな窄まりを優しく撫でで、そこに指を含ませていく。

 

「ん、……っ」

「きついな……」

 

 そう呟く克哉が熱っぽい吐息を漏らした。生娘のように硬く閉ざそうとする襞から、克哉以外の誰もそこに触れることがなかったという事実を読み取ったのだろう。

 ゆっくりと、だが着実に克哉の指に手懐けられたアヌスが、二本目三本目と指を含まされて、拡げられていく

 それでも次に待ち受けている行為に緊張して身体を強張らせていると、克哉が唇を合わせてきた。唇を擦りあうようにして、くすぐり、ほどけた唇から舌が差し込まれた。舌を絡ませているうちに身体の力が抜けた。

 

「御堂、挿れるぞ……」

 

 上体を起こした克哉の膝の上に導かれた。窄まりに濡れた切っ先があてがわれ、ずくりと中に沈めていく。

 

「く……、ぁ、ああっ」

 

 克哉の硬く大きなペニスに貫かれる。直接粘膜を触れ合わせる生々しい感覚。克哉のペニスの形に身体を拡げられていく。

 苦しさが先行し、すぐに熱い疼きがすべてを塗り替えていった。息をするも難しいくらい背をしならせて堪えていると力強い腕に抱きしめられた。

 

「つらくないか?」

「もっと、きて……くれ」

 

 本当は平気ではなかった。お互いの愛を確かめ合って抱き合う初めての経験に、身体は恐ろしいまでに感じてしまっていた。

 克哉が試すように腰を軽くゆすった。そして、感じ入ったような息を吐く。次第に強く突き上げ、御堂の中を淫らにかき回していく。

 

「あ、あ、あああっ」

 

 目を閉じても開いても眩いばかりの光が広がる。

 官能の波に呑み込まれていく。苦しいほどの快楽に包まれるのに、もっと克哉が欲しくてたまらない。

 克哉の肩を掴み腰に両脚を絡みつけてつながりをこれ以上なく深めた。

 自分で自分の身体をコントロールできない。絶頂の波が次から次へと押し寄せて息つく間もない。

 

「感じ過ぎじゃないか?」

「君が私をこうしたんだ……!」

 

 克哉が苦笑しながら突き上げてきた。そんな克哉を涙目で睨み付けた。

 

「私をこうした責任を取れ……っ」

「俺でよければ、いくらでも責任を取りますよ」

 

 そう言って克哉は首を傾げた。長い首から肩にかけてのなめらかな曲線が露わになる。眼差しで御堂を促す。こくりと小さく唾を飲み込んだ。

 

「本気か……?」

「ええ、あなたにその気があれば」

 

 克哉が御堂を誘うようにうなじにかかる髪を無造作にかき上げた。

 アルファがオメガのうなじを噛めば、二人は番になる。一度番になるとオメガのフェロモンは番相手のアルファにしか作用しなくなる。フェロモンが指向性を持つのだ。その結果お互いにしか発情することはなくなるという。

 

「俺の能力を封じたいんでしょう? 俺に噛みつけば、俺はあなたにしか能力が使えなくなる」

「本当か?」

「さあ? 試したことないから、わからないが」

 

 番になってしまえば、オメガ側から番を解消することは出来ない。その一生を番相手のアルファに捧げることになる。克哉は異能のオメガだ。もしかしたら、番を解消できる能力もあるのかもしれないが、生半可な気持ちで言っているわけではないだろう。

 

「後悔するなよ」

「しませんよ」

 

 軽い口調で返される。それでも御堂に向けた眼差しは強い意志の光が灯っている。

 迷いはなかった。自分が欲しいものが、差し出されているのだから。

 克哉の首の付け根に顔を寄せて、歯を立てた。皮膚がぶつりと破れた。

 克哉が痛みを堪えて眉根を寄せた。それでも克哉のペニスは萎える気配はない。御堂の深いところまで穿っている。ならば自分も克哉に決して消えない傷跡をつけてやる。克哉の締まった筋肉に歯を突き立てる愉悦に自然と口元が笑みを形作った。

 名残惜しく口を離した。克哉と視線が合い、充足の笑みが交わされた。

 

「次は……君の番だ」

「俺の?」

「私だって君の噛み痕が欲しい」

 

 そう言って、自分の頭を横に傾げた。克哉がくすりと笑った。

 

「それなら遠慮なく」

「しっかりと痕を付けろよ」

 

 克哉の癖の強い髪が頬に触れた。そして濡れた口に肌が含まれる。尖った犬歯が柔らかな薄い皮膚に突き立てられた。

 

「んっ、ぁああっ」

 

 鋭い痛みが走った瞬間、あっという間に昇り詰めた。きゅうっと体内が締まり、しっかりと奥まで咥えこんだ克哉の雄をきつく食い絞める。

 御堂が感じた絶頂が噛んだところから伝わったのだろう。克哉もまた御堂の中にだくだくと放った。熱くドロリとしたものが、自分の性器だけでなく克哉のそれと混ざって、結合部をぐっしょりと濡らしていく。俯いてみれば、克哉が恍惚とした顔で御堂の肩に深く歯を突き立てている。まるで、喰らおうとしているかのようだ。

 満たされる幸せに目を細めた。

 アルファとオメガは惹かれ合う運命だという。

 そんな運命など信じてたまるか。

 自分がアルファでなくても、克哉がオメガでなくても、この気持ちは揺るがない。自分が好きなのは佐伯克哉という一人の人間だ。

 遺伝子によって刻まれる本能という名のプログラム。求めあう気持ちは本能に根差したものだとしても、この瞬間、魂まで通じ合うこの気持ちは本能を超えたところにある互いへの愛だと信じたい。

 ぬちゅっと空気がつぶれる音が立った。放ってもなお硬いものが再び御堂の中を擦り上げた。克哉が御堂の腰を掴みなおした。

 

「まだまだ足りない」

「あ、あああっ」

 

 激しく突き上げられる。新しく生まれた快楽が弾けた。

 眩しそうに御堂を見詰める克哉の眸の中に光が散っている。揺さぶられながらも求めると、後頭部に手を回されて引き寄せられ、唇を塞がれた。

 満たされながら、克哉のキスを受け止めて、それ以上のものを返した。

 

 

 

 

 

 明るく透明な日差しが満ちたMGNの室内。御堂は同僚たちを前に退職の挨拶を終えると、大隈が前に進み出た。

 

「御堂君、今までありがとう」

 

 と大隈が代表して御堂に大きな花束を渡した。一斉に拍手が響き渡る。開発第一室のメンバーすべてが立ち上がって、御堂に向けた惜しみない拍手を送った。

 

「今までお世話になりました」

 

 大輪の百合が甘い匂いを漂わせた。咲き乱れる花々で視界が隠れてしまい、花束を抱え直すと大隈と握手を交わした。

 

「君の決断にはいつも驚かされるよ。まさか、昇進を断って転職するとはな」

「ご期待に沿えず申し訳ございません」

 

 頭を下げようとする御堂を大隈が押しとどめた。

 

「君ならどこに行っても活躍できるだろう。私も応援しているぞ」

「ありがとうございます、大隈専務」

 

 この時ばかりは大隈の言葉を素直に受け取って、感謝した。最後の出社日であるこの日、朝からずっと上級職の役員たちに挨拶回りをしていたが、皆、御堂の退職を惜しみ、そして、御堂の新しい挑戦を祝福した。

 鳴りやまない拍手に送られなが一階に降りた。社のエントランスをくぐってMGN社を振り返った。社会に出てからずっとこのビルで働いてきたのだ。上司、同僚、そして、部下、多くの出会いや出来事が次から次に思い起こされていく。

 そのMGN社を辞めるという事実に今更ながら胸が熱くなった。

 

「御堂さん」

 

 かけられた声に振り向けば、正面の道路にシルバーのアルファブレラが停車し、克哉が降りてきた。

 克哉に歩みを寄せた。克哉は御堂から花束を受け取ると車の後ろに押し込んだ。

 

「本当にいいんですか? こんな大きな会社を辞めちゃって」

 

 勿体なさそうに言う克哉に、鼻をふんと鳴らした。

 

「AA社をMGNより大きくするんだろう?」

「もちろん」

「君ならできるさ」

「俺とあなたなら、ですよ。なんたって、『世界を変えた男』が来てくれますからね」

「それもこれも、君のせいだからな」

「あんたが変えた世界を俺が手に入れてやる」

 

 不敵に笑う男、上質なシャツの襟もとがスーツから覗く。その下には御堂が付けた噛み痕がある。そして、御堂もまた、同じ噛み痕を首元に持っている。

 克哉が運転席に乗り込み、御堂も助手席に回ると車に乗り込んだ。

 自然と顔を寄せ合い、キスを交わす。たっぷりとキスを味わって、克哉は顔を前に向けた。エンジンがかかり、車が低い振動に揺れた。アクセルを踏み込まれ、ハンドルがなめらかに回る。

 大都会への真ん中へと向けて、二人を乗せた車が走り出していった。

 

 

 

END

(7)
あとがき

お読みいただきありがとうございます。

こちら、メガミドのオメガバースパラレルですが、眼鏡克哉(Ω)×御堂(α)の特殊設定です。

設定の背景をこちらに書きます。

元々下克上シチュが好きなので、オメガバースは通常のアルファ×オメガよりもオメガ×アルファの方が性癖にマッチしていました。

オメガバースパラレルを考えると佐伯克哉(ノマ)はオメガかなあ、と思うと、自然と眼鏡もオメガになりました。御堂さんはまず間違いなくアルファですし、アルファであってほしいなあ、とw それなら、オメガにどんな能力があればアルファより強くなれるのか、設定を考えるのは楽しかったです。

オメガバースを読んだときに面白いな、と思ったのが、一度番になると番相手のアルファにしかフェロモンが効かないという点だったんですよね。これってフェロモンが指向性を持っているんじゃないかと。しかも、これはオメガ側が操作しているよなあ、と思い、眼鏡をかければ指向性フェロモンを操れるという設定に。

ばりばりの差別主義者のアルファ御堂さんとそれを追い詰めていくオメガ眼鏡、書くのは楽しかったです。御堂さんはアルファの中のアルファとして、ただヤられるだけでなくて、克哉に対する反撃法を模索していく過程も、御堂さんいいぞもっとやり返してやれ、と心の中で応援していました(作者ですけど)。

抑制剤の開発の話が文中に出てきますが、貧困層に対する薬の開発遅れは本当の話で、そのような薬はオーファンドラッグ(孤児の薬)と呼ばれて需要があるのに中々開発されないと問題になっているそうです。具体的には発展途上国に多いマラリアなどの薬がそれにあたるそうです。確かに、私も以前アフリカに旅行に行ったときに、マラリア予防にキニーネの内服をして、キニーネって昔の薬だよね?と驚いた覚えがあります。

今回の話、一番書きたかった場面は、最後の御堂さんがMGNを円満退職するところです。

本編であの酷い状況でMGNを退職した御堂さんが可哀想で可哀想で胸が痛かったです(詳細は描かれていませんでしたけど)。

今回、最後に眼鏡と御堂さんが番になる場面がありましたが、このままパラレルが続いたら、ふたたびMr.Rが現れて、番を解消する能力を与えたり、ふたたび、アルファたちを服従させるように眼鏡を唆したりするのも面白いな、と妄想しています(妄想だけですw)。

最後までお読みいただきありがとうございました!

(8)
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