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Lies and Truth はじめに

 医師佐伯克哉(眼鏡)×御堂(MGN部長)のパラレルメガミド。

 無理やり克哉に惚れさせられた御堂さんと、それを弄ぶ佐伯の偽りの関係から始まるメガミドです。
 克哉は下衆で卑劣ですし、御堂さんは酷い扱いを受けますのでご注意を。

 全8話の予定です。全話にR18描写が入りますので、各話毎の注意喚起は省きます。
 医療道具プレイ(3話)、尿道責め(3話、4話)なども入りますので苦手な方はご注意ください。
 なお、表紙・挿絵を最強マッパ兄貴さんに描いていただきました。
 表紙・挿絵イラストの版権は最強マッパ兄貴さんにございます。無断転載を固く禁じます。

【登場人物】
佐伯克哉:都内有名病院の医師
御堂孝典:MGN社の部長
四柳:克哉と同じ病院で働く同僚医師で御堂の友人。

(1)
Lies and Truth(1)

 都心部にあるブランド病院と評される有名総合病院、隅々まできれいに整えられた待合室のソファで、御堂は苛立たしげに腕時計を一瞥した。既に診察の予約時間は十分ほど過ぎている。それでいて、御堂には何の連絡も詫びもない。
 予約を取った上で、会社を早退までして受診したのに、どういうことだろうか。
 待合には他に待つ患者の姿はない。それもそうだ。普通であれば診察時間でないところに、特別に予約を取ったのだ。
 御堂は立ち上がり、受付に向かった。一言の断りもなく待たされていることについてクレームを付けると、受付の女性は恐縮しながら御堂に謝罪をした。直ちに担当医師に確認するという。
 その言葉に満足して待合室に戻ったものの、御堂の名が呼ばれたのはそれから更に5分以上かかった。
 これだから病院は嫌なのだ。
 よりによって、会社で受けた健康診断に引っかかって二次健診を受ける羽目に陥った御堂は、不承不承ながら、とはいえ、万が一のことも考え、有名病院であるこの病院の診察を受けに来たのだ。
 御堂は腹立ち紛れに足音高く診察室の中に入り、医師の姿を見て驚きの表情を浮かべた。淡い髪色に端正な顔立ち。銀色のメタルフレームの眼鏡の奥から薄い虹彩の眸が真っすぐと御堂を見詰めている。だが、どう見てもベテランとは思えない若い医師だ。不信感を露わにした。

 

 

「御堂孝典さん、初めまして。医師の佐伯克哉です」
「佐伯……? 私はこの病院の部長の予約を取っていたのだが」
 この病院は御堂の家族も通院していたことがある。院長も御堂の親の知己であるし、御堂の友人である医師も勤務している。そのつてを使って名医として名高い部長の予約を、通常ならば受け付けない時間帯に取ったのだ。他の患者と一緒に混雑した待合で待つなんて、とてもではないが耐えられない。
 不満をあからさまに滲ませた御堂の口調にも関わらず、克哉は笑みを保ったまま落ち着いた口調で返した。
「申し訳ございません。部長は急患の対応中でして。代わりに私が診察いたします」
 その言葉に、ふん、と御堂は鼻を鳴らした。散々待たせた挙句に随分とひどい対応だ。値踏みするように侮蔑を混ぜた視線を投げ返した。
「君は随分と若いじゃないか。君に満足な診察ができると思えないな」
「ご心配には及びません。しっかりと診察いたします」
「はっ。君みたいな若造に、期待なんかできるものか。誤診があったら困るからな」
 御堂の攻撃的な態度にも克哉は冷静な対応を崩さなかった。
「失礼ですが、検診結果を拝見しました。この肝機能の異常はアルコールによる一時的ものですね。検査の数日以内に深酒などしませんでしたか」
「……ッ」
 その指摘が的を射ており、御堂は言葉に詰まった。克哉の言う通り、健診の二日前に友人に誘われてワインバーに行っ

たのだ。確かに、普段よりは飲みすぎたかもしれない。だが、だからと言って自分よりも若い医師の診察を受けるなんて矜持が許さない。
 御堂は声を荒げた。
「そんなに自分の腕に自信があるなら、君が急患の診察をすればいいだろう。私は、事前に部長の予約を取っていたんだ。君の診察を受けに来たわけではない」
 克哉は困ったように肩を竦めた。
「それは大変申し訳ございません。それでは、改めて部長の予約を取りますので、いつがよろしいでしょうか」
 克哉の物言いは丁寧だが、その内容は御堂を馬鹿にしている。
「ふざけるのも大概にしろ。出直せと言うのか。今すぐ部長をここに呼べ。君では話にならん」
「そうは言われましても、優先順位がありまして」
「君は、私の優先順位が低いと言うのか」
「ええ。重症な患者が優先です。あなたは何日でも待てる」
 あっさりと克哉に返されて、御堂の針は振り切れた。
 健診に引っかかったことすら矜持が傷ついたというのに、この病院に来てからも不快なことが続いている。そして目の前の若い医者の無礼な態度。振る舞いは下手に出ているが、明らかに御堂を軽んじている。御堂だって好き好んで病院に来ているわけではないのだ。
 視線をきつくして克哉を睨み付けた。
「お前、佐伯と言ったか。その態度、後悔するぞ。ここの院長は私の知り合いだ。今日受けた扱いについて報告させてもらう」
 それまで絶やすことのなかった克哉の笑みが強張った。医者といえども、所詮は勤め人に過ぎない。患者より偉いと思っていたらそれは傲慢な勘違いだ。
 克哉は笑みを消すとあっさりと御堂に頭を下げた。
「院長のお知り合いの方でしたか。それは失礼いたしました。直ちに部長を呼びますので、少々こちらでお待ちいただけますか」
「最初からそうしろ。余計な時間を取らせるな」
 院長の名をちらつかせただけで態度を翻した克哉を鼻で嗤った。克哉の神妙な態度を見て溜飲が下がる。
 克哉は御堂に一礼して診察室を出ていくと、少しして、錠剤と紙コップを片手に戻ってきた。御堂の前に置く。
「何だ?」
「今、部長に連絡を取りました。すぐに診察いたしますが、その前に、肝機能の検査薬を飲んでお待ちくださいとのことです」
「検査薬?」
「肝機能を詳しく調べるための薬です。診察前に内服していただければ、この後の検査がスムーズになりますので、お待たせしません」
「ほう」
 錠剤を手に取った。何の変哲もない白い錠剤だ。紙コップに注がれた水で飲み下した。その動きを克哉が見守る。
 御堂が飲み干した後の紙コップを片付けて、克哉は御堂の前のチェアにゆったりと腰を掛けた。そのまま動こうとせずに、御堂に向けて薄い笑みを浮かべている。その態度にどこか不信さを感じた。
「部長はまだなのか?」
「部長は呼んでいません」
 克哉がニヤリと唇の片端を吊り上げて笑った。先ほどまでの笑みと違って、悪意を感じさせるその笑みに心がざわめいた。
「何だと……?」
「俺があんたをしっかり診察しますよ。まあ、どう見ても俺が診察するまでもないが」
「貴様、話にならん!」
 不遜な克哉の態度に、怒りに任せて立ち上がった。次の瞬間、視界がぐらりと揺れた。慌てて椅子の背もたれを掴んで体を支える。
「な……」
「そろそろ効いてきたんじゃないですか、御堂さん?」
「なんだ……?」
「病院で医師を敵に回すのは愚行の極みですよ。……俺は、特権を振りかざす人間が一番嫌いなんだ」
 体に力が入らない。診察室の椅子から崩れ落ちそうになるところを克哉に支えられて椅子の上に戻された。
「何をした……?」
「あなたが飲んだのは鎮静剤だ。何、安心してください。筋肉が弛緩する程度で、意識は失いません」
「貴様……っ! こんなこと、犯罪だぞ!」
「診療行為の一環です。暴れる方に十分な診察は出来ませんしね。では始めましょうか。くく……っ」
 克哉が肩を揺らして可笑しそうに嗤った。その悪意に満ちた表情にぞっとする。
 身体を掴む克哉の手から逃れようにも体に力が入らない。
 克哉が御堂のベストの鋲を外し、ワイシャツのボタンも外していく。傷一つない滑らかな肌に手を滑らせた。
「手術痕もないきれいな肌だ。虫垂炎になったこともないのかな。もうちょっと下の方まで見ないと」
「やめろっ!」
 御堂のベルトを外し、スラックスを下着ごと引きずり下ろした。抵抗しようと体を捩じるも、克哉の言う通り体の自由が全く効かず、わずかに体を震わせた程度にしかならない。
「危ないなあ。椅子から落ちると怪我しますよ」
「早く元に戻せ……っ」
「時間が経てば元通りになりますよ。椅子から落ちないように固定しておくか」
 克哉は包帯を手に持つと、御堂の両膝を椅子の肘掛にそれぞれ跨がせるようにして、両手と両足首をそれぞれ包帯で結び、さらに肘掛に固定した。克哉の前に下半身を曝け出す体勢をとらされる。
「ところで御堂さん、男性と性行為をした経験はありますか?」
「くそっ! やめないかっ!」
「性行為感染症で肝機能が悪くなる場合もあるんですよ。特に肛門性交で。……それで、経験はありますか」
「貴様、愚弄する気か! そんな経験などあるものか!」
「まあ、言いたくない気持ちは分かりますよ。ですが、嘘をついても診察すれば一目瞭然です」
「やめろ……っ」
 克哉は薄手のグローブを両手にはめると御堂の局所に不躾な視線を落とした。陰嚢を手で持ち上げて、双丘を開いて奥の窄まりを曝け出すと、ペンライトで秘されていた場所を照らした。
 御堂は羞恥に呻いた。
「ぐ……っ」
「きれいな色をしているじゃないか。案外、使ったことないというのも本当かもな」
 克哉は医療用のジェルを取り出すとたっぷりと指にまぶし、御堂のアヌスに触れた。冷たい感触に戦く。克哉は表面の乾いた皺を伸ばすように、丹念にジェルを塗りこんでいく。
「触るなっ!」
「この手順を怠ると辛いのはあんただぞ」
 じゅぷ、と卑猥な音を立てて、克哉の指先が中に潜り込んだ。狭い内腔を抜き差ししながら奥まで指を含ませていく。
「きついな。痛いくらいだ。肛門性交は未経験か」
「もう、十分だろっ! 抜け」
「そう急かさないでください。初めてなら、いいことを教えてあげますよ」
 克哉は笑みを深めて、指をぐっと奥に挿れると、その指をくいっと腹側に折り曲げた。
「く、ぁ……ああっ!!」
 克哉の指が、今まで意識をしたことのない何かに触れた。電流のような刺激が下腹部の奥から脳天を貫き、御堂は身体を反った。椅子が軋んだ音を立てたが、肘掛に両手両足を戒められているせいで、椅子から落ちることはなかった。
「ここが前立腺ですよ。男性の性感帯です。ここを刺激されながら、前を弄られるとたまらないそうですよ」
「触、るな……っ、ああっ!」
 その形を探るように、克哉が前立腺をゆっくりと丁寧に撫でまわす。未知の感覚が全身に逆巻き、悶えることしかできない。
「何だもう感じているのか。あんた、素質があるな」
 視線を落とせば、自分のペニスが天を衝くように硬く勃ち上がっている。
 克哉は片手で先ほど使った医療用のジェルを手に取ると、蓋を指で開いて御堂のペニスにジェルを垂らした。
「……っ」
 ジェルの容器を放って、克哉の指がペニスに絡まった。
 ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てながらペニスを扱かれる。前に気を取られているうちに後ろを弄る指を増やされた。二本の指で前立腺を擦られながら、リズミカルにペニスを扱かれる。
「く、やめっ、ううっ……あ、あああっ!!」
 前と後ろを両方責め立てられる。
 それは、経験したことのない苛烈な感覚で、堪えようにも耐えきれない。
 御堂は四肢を引き攣らせるとビクビクとペニスを震わせて欲情を放った。勢いよく放たれた粘液は克哉のグローブをはめた手に受け止められた。
「初めての割には随分と悦かったようじゃないか」
「貴、様……っ」
 克哉は精液で汚れたペニスをガーゼで事務的に拭うと、両手のグローブを外した。
 自分の身に起きた信じられない出来事と絶頂の余韻で呆然としていると、足の戒めを解かれて、身体を椅子から起こされた。そのまま椅子の脇の診察台へと押し倒される。
「何を……!」
 克哉に膝を深く折られて腰が上がった。克哉の前に、嬲られたアヌスを晒す格好を強いられる。
 先ほど、他人の目の前で射精するという屈辱的な行為を強制されたのだ。これ以上、何をされるというのだろう。悪い予感に胸がざわめく。
 薬のせいで不安定な視界を克哉に向ければ、眼鏡越しに据わった眸が御堂を見詰めていた。肉食獣に屠られる直前の獲物のように、体の芯が凍える。
「それじゃあ、もっと詳しく診てみましょうか」
 克哉は自分のズボンの前を寛げた。そそり立った自分のものにジェルを塗すと御堂の上に伸し掛かった。
 アヌスに重みがかかる。滾る硬い肉塊が御堂の体内に押し入ってきた。メリメリと裂ける音が体の奥から聞こえてくるようだ。なりふり構わず悲鳴を上げた。
「く、あ、痛っ、ああっ!」
「表面麻酔薬入りのジェルを使っている。痛みはすぐに消える」
「ああっ、やめろ、動くな……っ!」
 克哉がゆっくりと律動を開始した。
 奥深いところを無理やり拓かれる苦しみに呻く。下腹部が重苦しい。御堂を組み伏せる克哉を殴りつけたいが、身体は御堂の言うことをきかない。
 しかし、克哉にもたらされる苦痛は次第に熱を持ってきて、じわりと痺れるような感覚に塗り替えられていく。克哉の言っていた麻酔が効いてきたのかもしれない。
 克哉の手が御堂の前に伸びた。萎えていたペニスを扱かれれば、その刺激を待ち焦がれていたかのように、即座に漲りだした。
「あ、あ、やめっ! 抜けっ!」
「あんたの身体はそうは言ってないぞ」
「く、……あ、あああっ!!」
 克哉の手の中で張り詰める性器。
 苦痛だけならまだしも、快楽を与えられて再び恥辱的な姿を晒すのはどうあっても避けたい。やめろ、と必死に首を振った。だが、切羽詰まった姿は凌辱者を悦ばすだけだ。
 克哉に深く腰を挿し込まれ、強く抉られて、気が付いたときはまたもや絶頂を迎えていた。ショックと拒絶に吐き気がこみ上げた。視界が滲む。
 愉しげな声が降ってきた。
「御堂、俺を見ろよ」
 溢れそうになる涙を堪えて克哉を睨み付けた。
 憎しみを籠めれば籠めるほど、克哉の快楽は増すようだ。克哉は酷薄な笑みを浮かべながら腰の動きを激しくする。
「く、あ、ああ」
「いい顔をするじゃないか」
 疲弊して脱力しきった体を克哉はたっぷりと使って、最奥に欲情を流し込んだ。
 ずるりとペニスを引き抜かれて、その異質な感触に御堂は身体を小さく痙攣させた。
 やっと、終わったのだろうか。
 克哉は身体を離すと、診察室のデスクの引き出しからスマートフォンを取りだした。無残に蹂躙された身体にレンズを向ける。
 レンズの表面に御堂の姿が小さく反射し、御堂は青褪めた。
「記念に撮影しておきますね。今のあなたのいやらしい姿を」
「ぐ、あ、やめろっ! 撮るな!」
 連続でシャッター音が鳴った。顔を背けても克哉に顎を捉えられて正面を向かされる。
「写真を消せっ!!」
「満足していただきましたかね、御堂さん。心配しなくともあなたはしっかりと健康体ですよ。初めての肛門性交でイけるなんて淫乱気味ではありますが。写真は診察料として俺が預かります」
 白々しく言ってのける克哉に頭の奥底が煮え立った。
「ふざけるな! 卑劣な脅しに屈するものか。貴様、必ず訴えてやるっ!」
「訴える?」
「医師免許をはく奪してやるからな! 覚悟しろ!」
 怒りに任せて語気を鋭く言い切る。この男が御堂に与えた屈辱を何倍にもして叩き返してやりたい。
 克哉は、困った表情を浮かべてわざとらしく肩を竦め、深くため息をついた。
「訴えられるのは困りますね。仕方ありません」
 その声にはどこか余裕を感じさせる。嫌な予感が背筋を走った。
 克哉は診察室の棚からアンプルを取り出し、御堂の目の前でアンプルから注射器に透明な薬液を吸い取った。
 今度は何をする気なのだ。
 身体はまだ十分に動ける状態ではない。
 この男が先ほど御堂に何をしたのか、そしてこれから何をしようとするのか。血の気が引き、喉がカラカラに乾く。
 御堂の怯える姿に克哉が唇を歪めた。
「何だ、それは……」
「催眠導入薬ですよ。軽いもので1時間もたたずに目が覚める。ただ、面白い作用があるんです」
「面白い、作用だと?」
「この薬は健忘作用がある。そして、意識を催眠状態へと導く。あんたはこの診察室で起きたことを忘れる。そして俺がねつ造した通りの記憶を持つことになる」
「何を、馬鹿なことを」
「催眠術ってあるでしょう? あれは、催眠状態に陥れば誰でも暗示をかけることが出来るんです。催眠術師は人を催眠状態に導く技術を持っている。だが、薬を使えば催眠術師でなくとも人を催眠状態にすることは容易い。今からあんたを催眠状態にする。俺に対する絶対的な信頼だって、植え付けることができる。人間の記憶や感情なんて脆弱なものだ」
「やめろっ!! 貴様! そんな犯罪行為、許されないぞ!」
「本人がそれに気づかなければ、犯罪など存在しなかったことになる」
「近づくな!」
 注射針を煌かせながら近寄る克哉を怒鳴り散らす。克哉はそれに気を留めず、脱力したままの御堂の腕をアルコール綿で拭き、注射針を突き刺した。鋭い痛みが走り、薬液が注入される鈍い痛みがそれを追う。
「くあっ」
「おやすみなさい、御堂さん」
「き、さま……」
 がくりと首が落ちて、目の前が暗くなった。


    ◇◇◇◇


 目の前の男の眸が虚ろになり意思の光が翳る。瞼が落ちて、意識がゆっくりと沈みかけていることが見て取れた。慎重に薬の量を調節しながら、御堂に向かって克哉はゆっくりと話しかけた。
「御堂、俺が分かるか? 分かるなら返事をしろ」
「……ああ」
 声をかければ、瞼が少しだけ上がって、虚ろな黒目が克哉の方を向いた。その漆黒の瞳孔に克哉の顔が映り込む。
 薬の効果はしっかりと作用しているようだ。克哉はほくそ笑みながら、御堂に語り掛けた。
「じゃあ、御堂さん、俺が言う言葉をよく聞くんだ。あんたはこの診察室に入って、俺の診察を受けた。あんたは過労で疲弊していた。診察を受けている最中に、意識が遠のいて倒れたんだ。それがあんたの最後の記憶だ」
「私は、君の診察を受けた……」
「そう。丁寧な診察を受けただけ。俺に好印象を持つくらい丁寧な」
 克哉は御堂のカルテを一瞥した。
 御堂孝典、三十四歳。この歳で大手外資系企業のMGN社の部長であるという。すらりとした長身の体躯に整った容貌。身に着けるものは洗練されていて裕福な生活を送っていることが分かる。
 克哉に対する高慢な態度を見れば、今まで誰にも膝を折ったことがないのだろう。その輝かしい人生を汚したことに暗い悦びが沸いた。この男が屈辱に塗れた姿は克哉の嗜虐心を酷く煽った。
 この催眠によって克哉の行った行為は帳消しになる。
 催眠を終わらせようとして、克哉は思い直した。このまま記憶を消してしまっては、御堂は何の疑問も抱かずにエリート街道を歩み続けるのだろう。
 この男を屈服させて克哉に縋らせてみたい。人の上に立つことを当然と思っている男の恥辱に塗れた姿はさぞかし見ものだろう。
 そのためにはどうしたらいいだろうか。
 克哉に凌辱されて脅迫されても尚、抗う姿を見れば、御堂を力でねじ伏せることは無理であることは一目瞭然だ。この男の矜持を打ち崩すことは困難だ。だとすれば、取る方法は一つ。
 御堂の耳元に克哉は口を寄せた。声を深めて囁く。
「あんたは俺に一目惚れをする。どうしようもなく焦がれるほど俺のことが好きになる。俺を見て欲情して、俺に組み敷かれたいと思うほどな。俺に何をされても、あんたは俺を拒否することが出来ない」
 憎悪も愛も人間が持つ最も強い感情だ。ただ、その作用は真逆で、憎しみは全てを拒絶しようとし、愛は全てを受け入れようとする。
 今まで都合の悪いことは、自分にとって良いように操り闇に葬り去ってきた。しかし、ここまで相手の心を支配するような催眠はかけたことがない。
 実際に効くのかどうか確証は持てなかったが、効果は御堂が起きてから確かめればいい。
「俺の言うことが理解できたか?」
「ああ……。私は君のことが好きになる」
 感情の籠らない返事が返ってくる。催眠はしっかり効いたままだ。
「それなら、このまま寝るんだ。次に起きたときは、このことを、あんたは忘れている。下腹部の違和感も痛みも忘れて、気持ちよく目覚められる。……おやすみ、御堂さん」
 静かに瞼が閉じられる。この整った顔立ちが屈辱に染まったところを思い出して、克哉は唇を吊り上げた。

(2)
Lies and Truth(2)

「御堂さん」
 呼びかけられた声に、御堂は重い瞼をうっすら開いた。白い天井が視界に飛び込んでくる。黒目を動かして周りを伺えば、診察室のベッドに寝かされていた。
 慌ててマットに手をついて上半身を起こした。目の前には白衣を纏った医師が心配そうに御堂を伺っていた。
 確か、佐伯克哉という医師だ。何がどうなったのか、困惑したまま口を開いた。
「私は一体……?」
「お疲れだったのでしょう。診察中に倒れてしまって」
「私がですか」
「ええ」
 靄がかかったような記憶を手繰り寄せる。
 言われてみれば、健診の再検査をしにこの病院に来て、診察を受けている最中に気分が悪くなったのだ。体調管理を徹底していたつもりだったのに、健診に引っかかったことといい、診察中に倒れたことといい、自身のふがいなさに肩を落としつつ、克哉に向かって頭を下げた。
「それは、……迷惑をかけて申し訳ない」
「とんでもありません。健診の肝機能については問題ありません。診断書は会社の方に送っておきます」
「お願いします……」
 ベッドから立ち上がろうと足を降ろした。克哉がさりげない仕草で、御堂を支えようと背に手を添わせた。
「っ……!」
 克哉の手に触れられた刹那、電撃が走ったような衝撃を受けた。体温が一瞬でせり上がり、心臓が早鐘を打ち出す。
「どうしました?」
「大丈夫だ……」
 自分の声とは思えないほど上擦った。何が起きたというのだろう。
 顔を上げると、克哉と視線がぶつかった。レンズの向こうの淡い虹彩が自分を捉える。その瞬間、世界が音を失った。
 自分の心臓が皮膚を破りそうなほど大きく高鳴る。時間が止まり、目の前の克哉の存在に思考が全て奪われた。自分と克哉だけを残してこの世界から全て消え失せたようだ。
「御堂さん?」
 訝しげにかけられた声にハッと我に返った。自分が取っていた行動に気付き、含羞に包まれる。克哉にまじまじと見惚れていたのだ。咄嗟に取り繕った。
「佐伯先生、迷惑をかけたお詫びをさせてくれないだろうか」
 克哉はクスリと笑った。
「いいえ、お気遣いなく。これが仕事ですから」
「いや、このままでは私の気が収まらない。そうだ、食事でもどうだろう……?」
 何故こんなに必死に克哉を誘おうとしているのだろう。全くもって、らしくない自分の姿だ。だが、ここで診察室を出てしまっては、克哉と会う機会は二度とないだろう。そうなれば、自分が克哉に抱く異質な感情を探る手立てはなくなってしまう。
 克哉は数秒のあいだ、御堂をじっと伺う視線を向けていたが、唇の端を微かに吊り上げた。
「分かりました。普段は患者さんからのお誘いは全てお断りしているのですが、あなたとならお近づきになってみたいですね」
 克哉の返事に安堵で肩の力が抜けた。
「後で時間と場所を連絡する」
「楽しみにしています」
 地に足がつかないような浮ついた気持ちに表情が緩みそうになるのを堪える。克哉と連絡先を交換して、御堂は意気揚々と診察室を出た。
 もし御堂が診察室のドアが閉まる寸前に、背後を振り返っていれば気が付いただろう。克哉が肩を震わせて、こみ上げる笑いを押し殺していることに。だが御堂はそんな気配を悟ることもなく、克哉と食事を共にする期待で頭の中が占められていた。


 その日の夜、格式高い外資系ホテルのフレンチレストランに克哉を案内した。
 有名シェフがプロデュースするフレンチは、内装にもこだわっておりスタッフのホスピタリティも行き届いている。入口で名乗ると燕尾服を纏ったウェイターが恭しく礼をして、御堂達を窓際のテーブルに案内した。
 御堂が接待やプライベートで使うレストランの中でも最高級の場所を選んだのだが、克哉と会う直前になって、勤務帰りの克哉の私服がどんなものだか不安になった。当然ながらこの手のレストランはドレスコードが要求される。
 逆に克哉に気を遣わせてしまうのではないか、若い克哉にはもう少しくだけた場所の方が良かったのではないかと後悔したが、待ち合わせ場所に現れた克哉の姿は御堂の心配をあっさりと吹き飛ばした。
 白衣姿では分からなかったが、細身の締まった体をスーツで包む克哉は際立って人目を惹く。通った鼻筋や鋭角な顎、同性の目から見てもいい男と言える。そして、レンズ越しの隙の無い眸は自信と気迫に満ちている。
 それでも、この手のレストランは初めてだったのだろう。克哉は好奇に満ちた視線で周囲を伺っていたが、その態度は物怖じしていない。
 着席して、御堂は改めて診察室での一件を詫びた。
「佐伯先生、今日は手間をかけて申し訳なかった」
 御堂を見詰める眸が微笑んだ。それだけで、端正な容貌にきわどい色気が差す。
「佐伯、でいいですよ。プライベートですから。あなたより年下ですし。……代わりに俺もかしこまった口調をやめていいですか。どうも、仕事を思い出して肩が凝る」
「もちろんだ。お詫びの食事だからな。肩肘張らずに楽にしてほしい」
「そうさせてもらいます、御堂さん」
 年齢相応の素顔を目にして、御堂も笑い返した。
 自身もそうだが、若さはそれだけで侮られる理由となる。自分より年上の患者相手に背伸びし続けるのも疲れるだろう。
 胸にソムリエバッジを付けたソムリエがワインリストを御堂に差し出した。克哉に渡すも、こだわりはないようで、リストをちらりと一瞥すると御堂に返す。御堂が代わりにシャンパンを選んだ。
 すぐに、シャンパングラスとシャンパン、そしてアイスクーラーが運ばれて、食事が始まった。
 ただ向かい合って食事をしているだけなのに、克哉を目にして、そして言葉を交わすだけで、自分の胸がせわしなく騒ぎ出す。
 そんな自分を抑えつつ、軽く会話を交わす。
 御堂の専門ではないが、御堂が勤めるMGN社も医薬品を扱っている。医師の友人もいることもあり、医療分野の話題を会話のとっかかりにしたが、克哉はどんな分野でも的確で鋭いコメントを返してくる。
 落ち着いた態度に整った容姿、そして医師ともあればさぞかし女にもてるのだろう。実際のところ、どうなのだろうか。克哉の私生活を知りたい欲求に衝き動かされる。
 今まで、これほど相手に興味を持つことはあり得なかった。
 そして、そんな御堂を誘うかのように、克哉は意味ありげな視線を投げかけ、御堂に見せつけるようにゆっくりと食事を口に運んで咀嚼する。喉仏が上下して食事を飲み込むその動きにさえ、視線が縫い付けられて、ナイフとフォークを持つ手が止まった。
「どうしました?」
「いや……食事が君の口に合うか気になって」
「美味しいです。普段、こういった場所に来る機会はないので緊張しますが」
 と言いつつも緊張の欠片も見られない口調だ。むしろ、克哉を前にして気を張っているのは御堂だ。食事の味などとうに分からなくなっている。御堂のぎこちなさを見抜かれているに違いない。羞恥に顔が紅潮する。
 克哉が小首を傾げて、気遣う口ぶりで言った。
「顔が赤いですね。まだ、体調、良くないんじゃないですか?」
「大丈夫だ。気にしないでくれ」
「仕事柄、他人の体調が気になるんです。お気持ちはもう十分です。食事はこれくらいで切り上げましょうか」
 克哉はナイフとフォークを置いて、ナフキンで口元を拭った。そのナフキンを手元に置き、ウェイターを呼ぼうと片手を上げようとする。
 その克哉の手を御堂は咄嗟に押さえた。

「待ってくれ!」
 衝動的に克哉の手に触れてしまい、心臓が跳ねた。克哉は、御堂の手を払いのけようとせずに、手を重ねたまま御堂に顔を向けた。
「御堂さん?」
 向けられた克哉の眼差しをまともに見返すことが出来ない。
 克哉の肌を、そして体温を直接感じて、胸が大きく高鳴った。そして、自分の感情を悟った。
 信じられないことに、自分はこの男に単なる関心以上の好意を持っている。掻き集めた自制心で逸る胸を抑えつけながら、口を開いた。
「佐伯君……」
「佐伯、でいいですよ。何ですか?」
 混乱する頭で考えあぐねて言葉を紡ぐ。いつだって自分は全てをリードし支配する側だった。何かを欲しがって悩み苦しむのは性に合わない。意思を奮い立たせて、克哉の目を見返した。
「突然こんなことを聞いてすまないが……君は、恋人はいるのか?」
「恋人、というのはいないですね」
 不躾な質問にも関わらず克哉は笑みを保った表情を御堂に向けて答えた。その眼差しは挑発的で、続く御堂の言葉を待っている。思い切って口を開いた。
「もし、君に特定の相手がいないなら、私はどうだろうか」
「御堂さん、ゲイなんですか?」
「いや……同性とは経験がない」
「ふうん」
「だが、君と会って……」
 御堂の言葉に克哉はクスリと笑みを漏らした。
「俺を見て、欲情した?」
「なっ!」
 その露骨な言葉に、面食らった。
 だが、それをきっぱりと否定できない。恋愛感情と情欲を真っ二つにきれいに切り離すことは無理だ。
 鼓動が激しく脈打ちだす。顔は傍からわかるほど紅潮しているだろう。
「佐伯、君は―」
「いいですよ。俺とあなたは体の相性も良さそうだし」
 言葉に詰まる御堂を遮って、あっさりと克哉は肯定した。そのあからさまな物言いに衝撃を受ける。何をもってそう判断しているのか分からないが、御堂が求めているのは克哉の身体だけではない。そこは質さなければならない。
「……それは、身体だけの関係ということか?」
「御堂さんはどうしたい?」
「君が……」
 意地悪く聞いてくるに克哉からついと視線を逸らした。この男は御堂が抱く気持ちを既に知っている。その上でわざと訊ねている。嫌な男だ。それなのに、克哉への欲求に心が焦がれている。克哉が喉を短く鳴らした。
「冗談です。それにしても、驚きましたね。御堂さんの口からそんな言葉が出るなんて」
 そう言いつつも克哉の口調も表情も驚いてはいない。むしろ自分の行動に唖然としているのは自分自身だ。
「私はどうやら君に特別な関心を持って……」
 回りくどく言ったところで、語尾が羞恥にかき消される。
「俺のことが好きなんでしょう? 俺もあなたに興味がある」
 被せるように言い切られ、ハッと顔を上げた。
 克哉の眼差しが御堂の顔からつま先まで、じっくりと検分するように炙っていく。それだけで、身体の奥がずくりと疼いた。喉がカラカラに枯れる。
 克哉が小首を傾げて御堂の眸を覗き込んだ。
「俺は、優しくないですよ。それでもいいですか?」
 御堂がお願いする側で克哉はそれを吟味する側になっている。慣れない立場に困惑するが、既に克哉の眸に魅入られていた。ああ、と頷いた。克哉がゆっくりと唇の端を吊り上げた。声に艶を乗せる。
「大人同士ですから、恋愛の作法もまどろっこしいことは省きましょう」
「佐伯……」
 この後どうします、と耳元で囁かれて、御堂はさらに顔を赤らめた。呼びつけたウェイターに耳打ちをする。すぐに、レジストリカードとホテルの部屋の鍵が用意された。


 レストランを辞して別のフロアの部屋に入るまで、克哉も御堂も無言だった。平常心を保っていられない顔を隠すように克哉の前を歩けば、緊張がみなぎる背中に克哉の突き刺さる視線を感じる。
 扉をカードキーで開けてラグジュアリーな内装を施された部屋に入る。
 ジャケットを脱いで部屋の中央に足を踏み入れたところで、御堂は克哉に肩を掴まれ、乱暴にベッドに押し倒された。
「佐伯っ!」
 驚いて非難めいた声を上げるが、克哉は唇に薄い笑みを乗せたまま、御堂に馬乗りになった。衣擦れの音とともに襟元のネクタイを引き抜かれ、頭上で両手首をまとめて拘束される。
 その両手首をベッドに縫い付けられて身動きが取れなくなる。混乱しながら克哉を振り落とそうと身体を捩りつつ、声を荒げた。
「何をする!」
「大人同士だろう? 合意の上なんだから、もう少し静かにしろよ」
 食事をしていた時とは打って変わった低い声にぞっとして動きを止めた。
 克哉の指が御堂のシャツのボタンにかかる。ボタンを全部外して前をはだけると、その手がベルトにかかった。片手で器用にベルトを外すと、下着もまとめて膝までずり降ろされた。
「佐伯! 私は……っ、こんなやり方は、望んでいないっ!」
「悪いな。俺はこういうやり方しか出来ないんだ。優しくないって言っただろう?」
 相手は自分と同じだけの上背があって、体も筋肉で締まっている。本気でやりあったら御堂が勝てる自信はない。
 男同士の経験はなく、ベッドの上では御堂が常に支配権を握っていた。こんな身の危険を感じたことは今までにない。いくら、克哉と関係を結ぶことを自ら望んだとはいえ、これは御堂の期待していた形ではなく、全く別のものだ。
「やめてくれ。こんなのは嫌だ」
「エリートはマゾっ気があるらしいぞ。すぐに自分から望むようになるさ。もっと嬲ってください、もっと乱暴にしてくださいってな」
 嘲るように言われた言葉に驚いて、克哉を見上げれば、その顔には嗜虐の表情が浮かんでいる。少し前までの浮かれていた気持ちは消え失せて、恐怖が足元からぞわぞわと這い上がってくる。
「佐伯っ、お願いだから……」
「うるさいなあ。少し黙っていろ」
 克哉はポケットから出したハンカチを御堂の口に突っ込んだ。息苦しさに首を振る。
「ん、んんっ!」
 克哉は御堂のズボンと下着を足から完全に取り除くと御堂の胸元に顔を埋めた。あ、と思った時には右側の乳首を口に含まれていた。
「……っ」
 弄られたことなどない部位だ。薄い尖りを唇で挟まれて摘ままれる。乳首が硬く勃ち上がるのが分かった。形を主張しだした乳首を克哉が歯で甘噛みして、舌で粒を転がす。
 克哉の指が他方の乳首を摘まんだ。爪を立てて弄られて、両の乳首からじんじんとした痺れが下腹部の奥に熱として凝ってくる。
「ふ、ん、んんっ!」
 噛みしめるハンカチが唾液に染まっていく。
 薄い色合いの乳首が強い刺激を与えられる度に赤く熟れていく。
 執拗な愛撫から逃れようとして、逆に胸をせり出す形になり、克哉は低い笑いを漏らした。
「胸を弄られるのがそんなにいいのか」
 必死に首を振る。克哉が乳首から口を放した。
「嘘をつくな。ここをこんなに勃てておきながら説得力ないな」
「ん、ふ」
 克哉の指が御堂のペニスに絡まった。御堂にその形を分からせるように、根元から先端までをゆっくりと丁寧に輪郭を触れていく。その指先が浮き出た血管を辿った。
 乳首に対しては神経がぐずぐずになるくらい強く弄びながら、ペニスに触れる指は繊細で、もっと強い刺激が欲しくなる。だがそれをねだることが出来ずに、足を震わせながら突っぱねた。
 克哉の唇が体の中心を這いながら下りていく。その動きを視線で追った。
 形の良い唇が御堂のペニスの先端に軽くキスをする。その微かな刺激だけで達しそうになる。
 克哉は真っ赤な舌を尖らせると、御堂のペニスの小孔に舌を差し入れた。眼鏡越しの眸が御堂を眸を見据えてニヤリと笑った。
「ん、ふ、ん――っ!!」
 ぐりっと舌の先端で狭い小孔を抉じ開かれた。ねっとりとした熱い舌が生き物のように御堂の先端の切れ込みに潜り込んで、奥に侵入しようとする。
 鮮烈な痛みと疼きにたまらず声を上げた。腰が跳ねるのを克哉がペニスの根元を掴んで押さえつける。制御できない感覚に必死に歯を食いしばった。
 克哉は尿道の敏感な粘膜を散々舌で嬲った後、やっと舌を引き抜いた。浅いところしか舐められていないのに、ペニス全体が深く犯されたように痺れている。
 克哉の手が伸びて、御堂の口から唾液でぐしょぐしょに濡れたハンカチを取り去った。
 荒い息を吐きながら、肩で呼吸をする。全身の肌は高まる熱と汗で濡れている。
 克哉が御堂を置いて、ベッドを降りた。やっと解放されると安堵したのも束の間、バスルームに向かった克哉はアメニティのローションのボトルを片手に戻ってきた。
「さ、えき……」
 それを何に使うのか。経験はなくとも容易に想像が出来て、ボトルを目にして瞳孔が開く。紅潮していた顔から血の気が引いて蒼白になった。
 克哉はローションのキャップを取ると、勃起しているペニスの真上でボトルを傾けた。
「ひ、あっ」
 透明で粘性がある液体が、熱を持ったペニスに零れ落ちた。そのひんやりとした冷たさがたまらなく気持ちいい。滴り落ちるローションはペニスを濡らしながら陰嚢へ、そして、その奥の窄まりへと流れ伝っていく。ヒクヒクと下肢を震わせた。
 たっぷりと局部を濡らし、克哉の指が窄まりへと伸びた。皮膚の表面に克哉の爪先が触れる。ほんのそれだけの刺激で御堂は身体を固く強張らせた。
「やめ……てくれっ、佐伯っ」
 これから起こることの恐怖に涙混じりに懇願する。克哉が嗤いながら言い含める口調で言った
「大丈夫ですよ。初めてじゃないんだから」
「違う! ……男との、経験はないんだ」
「ああ、そうだった」
 即座に言い返した御堂に、克哉は何が可笑しいのか肩を震わせて笑った。今日はこれで終わりにしてくれるかもしれない。淡い期待を胸に抱いた瞬間、ずくりと指が入り込んだ。
「くっ……あ、あ……!」
 克哉の指が御堂の肉を拓きながら奥に入り込んでいく。深いところの粘膜を探られる感覚に仰け反った。
「一本だともう余裕だな」
「……ッ、は」
 否定したいのに指で身体を貫かれる違和感にガクガクと頷くことしかできない。抜いてくれ、という隙もなく二本目の指が潜り込んだ。二本の指を抜き差ししながら、濡れた音を立ててローションを中まで塗り込んでいく。
 喘いでいるうちに、いつの間にか三本の指に増やされた。見えない部分が押し広げられ、単純作業のように着々と克哉を受け入れる準備が整えられていく。
「もう、十分だろう。いい声を聴かせろよ」
 克哉が指を抜いた。骨盤が軋むほど膝を広げられて、両足を克哉の肩にかけられる。浮き上がった腰骨を克哉ががっちりと掴んだ。そのまま覆いかぶさってくる。
「あ、ふ、……ああっ、あ――っ!」
 硬い灼熱の肉の塊がアヌスにあたり、刺し貫いた。
 逃げようとした身体を、克哉が肌に指を食い込ませるほどぎちぎちと掴んで押さえつけてくる。圧倒的な異物感と身体を引き裂かれるような苦しさに、その間、悲鳴を上げることしかできなかった。
 目尻に涙がこみ上がる。堪えようにも溢れた涙がこめかみを濡らした。
「いい具合に馴染んでいる」
「ぅ、は、や、やめっ」
 根元まで捻じ込まれて内臓を押し上げられ、呼吸の仕方を忘れる。男を受け入れるようには出来ていない未熟な身体に無理やり克哉を受け入れさせられて、その辛さにむせび泣いてしゃくりあげた。
「御堂、あんたを抱いている男をちゃんと見ろ」
 その言葉に、濡れた眸で克哉を見上げた。克哉が唇を歪めて嗤う。その顔は愉しんでいて、御堂を気遣う様子はない。
 克哉に怯えながらも、同時にぞくぞくとした感覚が体の奥底から湧いて四肢の隅々まで伝った。それが克哉がもたらす未知の快楽への期待だと気付くまで、時間はかからなかった。
「俺の形をしっかりと覚えるんだ。あんたはこれから、ここを使って俺を悦ばせるんだからな」
「苦し、いっ……。んっ……抜いて、くれ」
「なあに、すぐに後ろだけでイけるようになるさ。俺が仕込んでやる」
「ふ、あ、……くあっ!」
 克哉に角度を変えて抉られて、強烈な疼きが体の芯を貫いた。
 無理やり暴かれて蹂躙されながらも、御堂の身体は苦痛を悦びに塗り替えていく。
「いや、だ……っ、ああっ、ふ」
 気を抜けばあっという間に、意識を遥かに凌駕する快楽の虜になってしまいそうだ。だが、この男は危険だ、肌で感じる直観が御堂の意識をギリギリの淵に踏みとどまらせた。
 明らかに何かおかしい、わずかに残された理性が遠くで警鐘を鳴らした。ほんの数時間前、克哉に出会う前までは、自分がこんな状態に陥るとは想像さえしてなかった。七歳も年下の男に自ら告白し、ベッドの上で好きに弄ばれている。
 自らのプライドを深く傷つけるような出来事を何故受け入れているのか。
――何があった? どうしたというのだ?
 疑問が膨らむ寸前、克哉が律動を激しくした。大きく突き上げられて、理性が砕け散る。
「く、あ、あああっ!」
 克哉にみっちりと中を埋められ、最奥を抉られて、堪えきれずに迸りを放った。白濁が顎まで散った。
 乱暴な行為で絶頂を迎えさせられて、ぐったりと脱力する。足りなくなった酸素を荒い呼吸で必死に取り込む。胸に飛び散った精液を克哉が掌を当てて、御堂の肌に塗り広げた。
「派手にイったな。次は、俺の番だ。愉しませろよ」
「さ、えき……もう、無理だ」
 御堂の言葉は克哉に届かない。克哉が律動を再開した。
 克哉は自分の欲望の赴くままに、御堂の身体を好きに犯して欲情を中に注ぎ込んでいく。
 とめどない快楽と苦痛の中で一晩中啼かされ続けた。明け方近くに解放されたときは、関節のあちこちが軋み、意識も身体も悲鳴を上げていた。喘ぎ続けた声は掠れきっている。
 朝の光の眩しさに瞼を開いても、ベッドから抜け出る気力もない。バスルームから聞こえていたシャワーの水音が止まり、バスローブを羽織った克哉が出てきた。部屋の中で自らの支度を淡々と整えていくのをベッドの中から横目で見る。
 スーツをきっちりと纏った克哉がベッドに近づいてきた。
 御堂と視線を合わせて微笑む。その顔に昨夜の凶暴さはない。
「御堂さん、病院の朝は早いので、俺はもう行きますね。朝食頼んでおきますか?」
「……いや、いい」
 御堂を置いたまま出勤する気なのだと悟る。
 男同士で一晩過ごして、甘い朝を期待していたわけではないが、朝のコーヒーぐらいは一緒に飲んでも良かった。しかし、それも無理のようだ。
 失望の色が眸に浮かんだのを見られたのだろう。克哉は柔らかく笑って、御堂に顔を寄せた。優しい声音で囁かれる。
「御堂さん、良かったですよ。また連絡します」
「佐伯……」
 克哉は御堂の唇の傍に軽いキスを落とした。
 たったそれだけで、克哉に対する恍惚とした愛しさが込み上がって、昨夜の克哉の行為を許してしまう。これが、恋慕というものなのだろうか、疲弊しきった意識の中でぼんやりと克哉を想った。

(3)
Lies and Truth(3)

 克哉にホテルで抱かれた後は散々だった。
 節々が痛む身体に鞭打ってシャワーを浴び、タクシーで自宅に戻って着替えてから出勤したものの、鈍い痛みがずっと下腹部の奥に渦巻き歩くのも辛い。しかも、一晩中、抱かれ続けたせいで集中力も途切れがちで、ミスを頻発してしまう有様だ。
 今日は早めに帰宅して休むしかないだろう。
 そう思った矢先に、携帯にメールが入った。見れば克哉からだ。画面に表示された克哉の名前を見るだけで、どきりと胸が高鳴り、冷静さを失いかける。
 自分の反応が信じられない。
 今まで、何度となく異性と付き合ったが、これほどまでに自分をコントロールできなかったことはなかった。そもそも赤の他人に対してここまで入れ込んだことはない。
 克哉からのメールは病院への呼び出しだった。随分と遅い時間に克哉の勤務先の病院に来いと言う。デートの誘いにしては変だ。昨夜の件もあり今日は体を休めたい。だが、克哉からの初めての誘いを断るのはためらわれた。
 まだ克哉の人となりが掴めない。誘いを断ることで克哉が御堂にどんな感情を持つか計れない。会うだけ会って、さっさと退散した方が変な誤解を招かずに済むかもしれない。
 御堂は深くため息をついた。
 克哉の反応を気にして、たった一言、断りのメールを入れることが出来ない自分に嫌気がさす。何故こんなに臆病になってしまったのだろう。自分が自分でないようだ。
 悩みあぐねて、結局、克哉のメールに従った。
 勤務後、指定された時間に、克哉の病院に向かう。通用口から入り、受付の守衛に克哉への取次ぎを頼む。すぐに白衣姿の克哉が現れた。
 克哉が御堂を見て微笑む。自分に向けられたその笑みを目にするだけで、心臓が早鐘を打ち出した。
「御堂さん、どうぞこちらへ」
 診療をとうに終えて暗くなっている病院の中を案内され、外来診察室へと向かった。
 いくら都心の総合病院とはいえ、克哉に連れられたところは、消灯されていて人気がなく静かだ。夜の病院というのは不気味で落ち着かない。
 克哉は適当な診察室に入ると中の電気をつけて御堂を招き入れた。克哉に勧められて、患者用の椅子に腰を掛けた。
 訝しながら口を開く。
「何故こんなところに」
「病院でも病棟や救急部だと人目がありますからね。外来の診察室ならこの時間は誰もいない」
「そうではない。何故、わざわざ病院で会わなければならないんだ。病院の外で会えばいいだろう」
 克哉がニコリと笑い返した。
「俺なりの気遣いですよ、御堂さん。……尻、辛いんじゃないですか?」
「佐伯……っ!」
「俺が診察してあげますよ」
 唖然とする。
 その通りではあったが、自分の秘された場所の無残な状態を、恋人に、しかもそうした張本人に見られたくはない。
「結構だ。君に気遣われる筋合いはない」
 気遣うというなら、昨夜の時点で御堂に対する暴力的な行為を止めるべきだったのだ。
 克哉にもたらされた嵐のような熱と疼きを思い出しそうになり、強い語調で切り返した。
「そう言うな。俺が直々に診てやるって言っている」
 克哉は剣呑な御堂の態度に怯むことなく、レンズ越しに真っすぐな視線で御堂を見据えた。たちまち堅固な意思が揺らぐ。
「佐伯……しかし、私は……」
「御堂、俺とあんたの仲だろう?」
「……ッ」
 克哉の声がねっとりとした粘つきを帯びて低くなる。
 有無を言わせぬ声の強さに、御堂の意思が揺れて消え入った。その強い眼差しに捕らわれると、抗う気持ちが突き崩される。なぜ、この男の言うことを拒否出来ないのだろう。
 克哉が御堂に近づいて耳元に口を寄せた。一転して甘く柔らかい口調で囁く。
「あなたの身体が心配なんですよ」
「佐伯……」
 体温を感じる距離で、克哉の吐息が耳介を撫でた。それだけで全身が燃え上がりそうになる。
 吐く息が熱っぽくなった。
 克哉に促されるままに御堂は立ち上がり、場所を隣の診察室に変えた。下半身の服を乱して、変わった形の椅子に座らされた。椅子のカバーが裸の尻に直接あたり落ち着かない。
 克哉が正面に回って、フットスイッチを踏んだ。低いモーター音とともに椅子が上がり、両足を置いていた部分が左右に開きだした。
 そこまできてやっと、御堂はこの診察台がどのようなものだか悟り、降りようともがいた。
「これはっ、やめてくれ」
「暴れないでください。落ちたら危険だ」
「こんな姿は……っ!」
「御堂、動くな」
 低く鋭い声が飛ぶ。反射的に動きを止めた。
 診察台は御堂を乗せたまま、克哉の胸の下あたりの高さまで上がって動きを止めた。足は左右に開かされて、腰の下の台が引っ込み、尻をせり出す体勢を取らされる。
 これは、産婦人科の診察台なのだ。御堂は、床から1メートル以上の高さに持ち上げられている。この不安定な体勢で落ちたら怪我をするだろう。
 崩れかけた体を保とうと左右のグリップにしがみついた。
 克哉が呆れたように肩を竦めた。
「仕方ない、固定するか」
「佐伯、降ろしてくれ!」
 御堂の言葉を無視し、克哉はマジックテープのベルトを持ち出して、手際よく診察台に御堂の両足を括りつけると、同じように両手首をグリップに縛り付けた。
 屈辱的な姿勢を取らされて、恥辱に戦慄く。克哉はそんな御堂に笑いながら語り掛けてくる。
「これ、いいでしょう? あそこを診察するのに最適なんですよ」
「嫌だっ! やめろっ!」
「御堂さん、静かにしないと誰かに気付かれますよ。この付近は無人でも、病院内にはまだ人がいるんですから」
「く……っ」
 そう諭されて、口をつぐむ。開かされた下半身が落ち着かない。克哉が足の間に入った。備え付けのライトを操作して、御堂の股間にライトを当てた。
 克哉はグローブを慣れた手つきで両手に装着すると、御堂の双丘に手をかけた。薄い尻肉を割り開く。強烈な光と克哉の視線に奥まった場所がチリチリと灼かれる。眩しさと羞恥に顔を背けた。
「やめてくれ……っ」
「まあ、外側は少し赤く腫れていますが大丈夫でしょう。むしろ、中が傷ついてないか心配だ。詳しく見てみますね」
 克哉は御堂のアヌスに手際よくジェルを塗りこめると、鈍く光る金属製の器具を取り出した。
 カチャカチャと響く硬く冷たい金属音に目を向けると、克哉はペンチのような取っ手と金属製のくちばし状を持つ不思議な形状の器具を手に持っている。これから起こることの予感に神経が不穏にざわめく。克哉から逃げを打とうとしても四肢を拘束されて動けない。
「……ッ、それは、一体……?」
「クスコですよ。女性の膣を観察する道具です」
「そんなもの、やめろ!」
 御堂は唯一自由になる首を必死に振ったが、克哉は加虐の光を目に宿して嗤いかけた。
「心配するな。小さいサイズのものを使ってやるから」
「お願いだから、やめてくれっ! ……ふ、うあっ!」
 克哉は身体をわずかに屈めて、鈍く光るクスコを股間に挿し入れた。
 金属の冷ややかで硬い感触が窄まりに触れる。そのままぐっと押し込まれ、嫌な冷たさが体の奥底から全身に染み渡る。その苦しさに、呻いて背を反らせるが克哉は気にする風でもない。
 克哉が器具の手元を握って、ゆっくりと先を開いた。
 抗おうと力を籠めるが金属には敵わない。外気に触れることのない秘めた場所がぐいぐいと開かれて、奥深いところの粘膜がヒクついた。
「く……、ううっ」
 克哉が中を覗き込む。
「中はきれいですよ。ですが、粘膜が少し充血している。薬を塗っておきますか」
「要らない! 触らないでくれっ!」
 克哉の長い指が冷たい軟膏を塗りこみながら、むき出しの粘膜を蹂躙していく。ねちねちと粘膜の襞を伸ばすように指がうごめく。金属と軟膏の冷感を、克哉の指がグローブ越しに温めて、疼くような熱を呼び起こしていく。
「ひ、あ、ああっ」
「やだなあ。御堂さん、前をギンギンにして。そんなに気持ちいいんですか」
 からかうように言われて恐る恐る視線を向ければ、足の間には自分のペニスが首をもたげて勃ち上がっている。頂が光り、先走りが盛り上がってきているのが見て取れた。
 克哉が喉を鳴らして嗤いながら、指でぴんと御堂のペニスの先端を弾いた。ペニスがぶるりと震えて、先走りが溢れて滴る。
「くあっ」
「こちらも構って欲しそうだ」
「違うっ」
「いいものを使ってあげますよ。せっかく病院にいるんですから。イイ子で待っていてください」
「佐伯、待て!」
「すぐ戻ってきますから」
 アヌスに金属製の器具を咥えこませたまま、克哉が御堂から離れて診察室を出ていった。
 診察室にたった独りで、下半身は無様な状態にされたまま置いていかれる。
 こんな淫らな格好で放置されて、誰かに見られたらどうすればいいのだろう。不安と怯えに冷汗をかきながらも、この椅子の上から逃れる術はない。
 その時、背後の扉の向こうから廊下を向かってくる足音が聞こえた。カツカツと響く足音は真っすぐとこの部屋に向かってきている。
 脈が不安定になり早くなる。
 克哉の足音だろうか、と耳を澄ますが、確信は持てない。
 その足音はこの診察室の前で止まった。扉をノックする音が聞こえる。克哉ならば、診察室をノックしないはずだ。
 嫌な予感が背筋を走り、恐怖に息が止まった。心臓が皮膚を突き破りそうなくらい激しく鼓動を打ちだした。
「さ、えき……」
 縋るように、祈るように口の中で呟いた。
 ガチャリとドアノブが回された。
 背後でドアが開いて誰かが入ってくる気配がする。
 もう、だめだ、と絶望に瞼をきつく閉じた。人の気配が部屋に入り、自分の肩に手がかかった。
「ひっ!」
「御堂さん、驚きました?」
「さえっ……!」
 目を開ければ、克哉がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら御堂の真上から顔を覗き込んでいた。
 緊張に張り詰めていた筋肉が一気に弛緩する。安堵に涙が零れそうになるが、それ以上に怒りがこみ上げた。
「お前、こんな酷いことを……っ! 冗談でも許されないぞ!」
「まあまあ、怒らないでください。必要な物品を取りに行っていたんですよ」
「何だ……?」
 克哉は片手に医療用に滅菌された何かの道具を持っていた。
 手早く御堂のサイドで物品を広げていく。再びゴムのグローブを手に付けると、萎え切った御堂のペニスを指で摘み上げて、先端にひんやりとしたジェルを塗した。亀頭を中心にぬらつく軟膏を塗り広げられながら弄られているうちに、ペニスが芯を持ち出す。硬さを増したところで、克哉は細くて長い透明な管を手に取った。
「い、……あ、何を……?」
「尿道カテーテルですよ。前の孔も開発すれば癖になる」
「佐伯っ、やめろっ! そこは、嫌だっ」
「細いのを選んでいるから大丈夫だ。徐々に太いのにしてやる」
「触るな、やめてくれ!」
 克哉は、人差し指と中指で御堂の亀頭を挟んで固定すると、先端の小さな切れ込みを親指で押し潰すようにして、孔を広げた。
 そこに、すっと、カテーテルの先端を差し込む。
 異物が入り込む違和感とともに鋭い痛みが訪れた。
「痛っ! やめっ!! ああっ!!」
「静かにしてくれませんか。言ったでしょう。誰かに見られてもいいんですか? MGN社の部長がこんな姿を晒して、どう言い訳するんですか」
「あ、や、抜けっ! 佐伯っ!」
 液体以外通ったことのない繊細な粘膜を嬲りながら、細い管が時間をかけて奥へ奥へと進んでいく。
 性器の狭い中枢を内側から犯される苦痛に背を仰け反らせて声にならない悲鳴を上げた。
「全く……。あんたは我慢が効かないな」
 喉で嗤いながら、克哉は近くにあったガーゼを御堂の口に突っ込んだ。
「ん、んぐ」
「痛いという割には勃ちっぱなしじゃないか。好きなんだな。痛くされるのが」
「んんっ!」
 首を振るが、克哉はカテーテルを細かく前後させながら、周囲を探りつつ深く挿し入れていく。シリコン素材の柔らかい先端が敏感な道をジェルを纏って、生き物のようにぬらつきながら進んでいく。
 苛烈な痛みにあられもなく声を上げそうになるが、ぐっとガーゼを噛みしめて声を殺した。抜き挿しされる度に耐えがたい苦痛に不自由な身体を捩らせる。
「ふ、ん……んん、ああっ!」
 カテーテルの先端がある個所に到達した瞬間、今まで感じたことない鋭い電流のような痺れが背筋を走り、背を大きく仰け反った。激しい動きに診察台が軋む。それが目もくらむような快感だということに遅れて気が付いた。
「ここが前立腺か」
「ん、ん―っ!!」
 克哉は先端から出ている管を指で弾いた。
 振動がダイレクトに前立腺に伝わる。首を激しく振って拒絶を伝えようとするが、克哉は意地の悪い笑みを浮かべながら、びくびくと身体を引き攣らせる御堂の反応を愉しみつつ、奥へと進めては引いて戻す。
「あんたは尿道弄られるのも好きなんだな。後ろがすっかり物欲しそうにひくついている」
「んはっ、……は……ふっ」
 克哉はカテーテルの先端を最も苦しい位置に置いたまま、アヌスを貫いている器具に手をかけた。そこは尿道を弄られる最中ずっと開かれたままで、感覚が鈍り痺れたようになっている。
 ずっ、と硬い金属を引き抜かれた。鈍いモーター音がして、克哉の腰の位置まで台の高さが下がった。
「頑張ったご褒美にあんたが欲しいものをあげますよ」
「ふ、ん、う―っ!!」
 克哉が自分の前を寛げると、御堂の腰骨を掴んだ。位置を合わせて、ぐっと腰を入れる。
 冷たい金属とは打って変わって、熱い脈動を感じる生々しい器官がアヌスを穿った。強く根元まで捻じ込まれる。
 中の感触を確かめるように、克哉が腰を前後に細かく揺さぶった。
「いやらしく絡みついてきて、いい具合ですよ、御堂さん。昨日今日に初めて男を受け入れたとは思えない」
「んっ、ん、ふあっ!」
 ペニスには尿道カテーテルの長い管が突き刺さったままだ。
 診察台に磔にされて、ペニスとアヌスを同時に犯されていること自体許しがたいのに、克哉との肉の交わりが狂おしい甘美さでもって頭の芯を痺れさせていく。何も考えられなくなる自分が怖い。
 噛みしめたガーゼから漏れ出る息に物欲しげな喘ぎが混ざった。それに気づいた克哉が御堂の口からガーゼを取り去った。
 克哉は腰を突き入れながら、ペニスの先端から垂れ下がるカテーテルに指をかけ、軽く揺らした。
「分かります? 前を弄ると後ろが締まる」
「や……っ、抜いて、んんっ!」
 克哉は指でカテーテルを摘まんで、抜き差しする。
 その度にぞくりとするほどの違和感がペニスの奥から生じて、中がきゅっと締まる。その絡みつく粘膜を克哉が巧みに深く抉っていった。
 あまりの苦しさと歪んだ悦楽に涙が次々と溢れてこめかみを伝っていく。
「御堂、イけよ」
 克哉が可笑しそうな声で言うや否や、ペニスの先端近くのカテーテルをきつくねじった。
 カテーテルの先端が尿道の奥深くでバウンドし、前立腺を内側から叩きつける。同時に大きく後ろを突き上げられて、圧倒的な快楽に攫われた。
「ん、ふ、くあああっ!!」
 耐えきれずに精を放った。
 白濁した粘液はまどろっこしいほどの速度でカテーテルの透明な管から排出されていく。
 今までに経験したことがない深く堕ちるような絶頂と、それに続く、出したいのに出し切れない苦しさに、次から次へと涙が溢れてすすり泣いた。
 こんな行為は決して恋人同士で行うものではない。単なる一方的な凌辱行為だ。頭の片隅でちらりと危険な炎を認識したが、全身が燃え立つようなどこまでも深い官能の前では、そんなことに気を向ける余裕がない。
 矜持も体裁も忘れて、ドロドロに溶けきった絶頂を迎えた御堂の姿を見届けて、克哉は満足げな笑みを浮かべた。射精間近の小刻みに突き入れる腰の動きに切り替える。
「ふ、あ、ああっ」
「あんたのみっともない泣き顔、そそるな。ほうら、あんたの恋人のザーメンだ。しっかり受け止めろよ」
「いや……あ、佐伯……っ」
 奥深くに熱い粘液を叩きつけられる。深く挿しこんだまま腰の動きを止めた克哉が、指で御堂の眦から溢れる涙をぬぐった。
「御堂さん、愛していますよ」
 克哉の紡ぐ愛の言葉はどこか白々しく響いたが、克哉に投げかけられたその一言だけで、克哉に与えられた屈辱も苦しみも溶け去っていく。
 克哉の冷ややかで侮蔑の眼差しに晒されながらも、克哉に対する愛おしさが募り、心を占めた。
「私も、君を、愛している」
 そう声を絞り出して、そっと目を閉じた。
 閉じられた瞼の裏で新しい涙が溢れた。

Lies and Truth(4)

 朝の支度を整えようと、御堂は鏡に映る自分の顔を見てため息をついた。
 そこには顔色悪く、やつれた自分がいる。原因は分かっている。恋人の克哉だ。
 七歳も年下の克哉に振り回されている。
 数日おきに克哉の勤務先に呼び出され、怪しげな医療器具を使われながら、硬い診察台の上で犯される。そんなことを繰り返されて、心身ともにすり減っていた。
 嫌なら誘いを断ればいい。
 しかし、それが出来ずに克哉の呼び出しに応じてしまっている。
 克哉は御堂を焦らすのも求めさせるのも巧みで、背徳的で淀んだ快楽を着々と御堂の身体に刻み込んでいる。
 少しずつ自分の身体が異質なものに変わっていく恐怖を感じるが、それ以上に御堂を不安にさせるのは、克哉の御堂に対する態度だ。
 恋人同士であるはずなのに、克哉が御堂に向ける眼差しは、時としてぞっとするほど冷たく、克哉の行為は御堂を貶めることを目的にしているようにさえ感じる。二人の関係の主導権を握っているのは常に克哉で、御堂は決してそれを望んでないはずなのに、抗うことが出来ない。
 どこでこんな風に捻じれてしまったのだろう。
 いや、最初からこの関係は捻じれきっていた。それでも、克哉に愛していると言われれば、その一言で全てを許してしまうし、克哉の淡い虹彩でレンズ越しにじっと見つめられれば、耐えがたいほどの淫靡な炎が体の芯に灯る。毎回酷い目に遭わされながらも、克哉と会えない日は克哉を焦がれてやまない自分がいる。
 克哉との関係を是正できないかと何度も考えたが、克哉の怒りや自分が嫌われることを想像すると怯んでしまう。
 だが、流石にこれ以上この歪んだ関係を看過できない。
 既に御堂の生活に支障が出ている。MGN社で御堂は、今後の業績を左右する大事なプロジェクトを担っている。このままでは、御堂が必死に積み上げてきたものが一瞬で崩れかねない。
 御堂は携帯を持ったまましばらく逡巡していたが、一つ息を吐いて心を決めると、克哉に連絡を取った。
 自分から連絡を取ることはほとんどない。いつも突然、克哉から呼び出しが来てそれに従っているだけだ。
 数コールして、克哉が電話に出た。電話の向こうの克哉の不機嫌な気配に後悔が過るが、心を奮い立たせる。
「佐伯?」
『なんですか?』
「今夜空いてないか? 君と会いたいんだ」
『俺はそんな気分じゃない。そんなに、俺に抱かれたくなったのか』
 電話の向こうの揶揄する声を無視して、続けた。
「ホテルの部屋を取ってある。何時でもいい。君を待っている」
『……』
 黙り込む克哉を無視してホテル名と部屋番号を告げると、一方的に電話が切れて不通音が鳴った。
 御堂は携帯の画面をしばし見詰めて、ふうと力ない息を吐いた。


 それが今朝の出来事だった。
 夕方、ホテルにチェックインして部屋で待っていると、夜も更けたころに克哉が訪れた。
 ドアを開けた御堂を一瞥して、ずかずかと中に入ってくる。自分が呼び出されたことに苛立ちを隠さない態度だ。部屋の中央のベッドにどさりと腰を掛けて御堂を見上げた。
「それで、なんですか、一体?」
「佐伯、君と話し合いたいんだ」
「何を、話し合うんですか?」
 感情を排した表情を真っすぐに向けられる。
 それだけで心がざわめき立って落ち着かなくなる。自制心を掻き集めてどうにか平常心を保った。
「君と、普通の付き合いをしたいんだ」
「普通の付き合い?」
「ああ。もう、君の病院で会うのは控えないか。もっと普通の恋人たちみたいに、食事を楽しんで、ホテルで、っていうのは駄目なのか」
「普通? 男と付き合っていて普通はないでしょう」
 馬鹿馬鹿しいと克哉が乾いた笑い声を立てた。
 それを遮って、声に力を込めた。
「確かに同性と付き合うことは初めてだが、それでもこの関係が健全だとは思えない」
 克哉はレンズ越しの眸を眇めた。
「御堂、それは俺と別れたいということか?」
 こんな結論になることを恐れていたのだ。
 御堂は即座に首を振った。
「そうは言っていない! ただ……」
「ただ、なんだ?」
「……ただ、私たちの関係をもう少し良いものにしたいんだ」
「俺に優しくされたいのか?」
 直に訊かれて言葉に詰まる。
 だが、そうだ。その通りなのだ。
 今までの異性との付き合いでは、常に自分が主導権を握ってきた。しかし、克哉との関係ではそれが通用しない。自分の思い通りにならないもどかしさと、克哉に主導権を握られる屈辱と、それを受け入れてしまう自分自身が許せない。それでも、そうまでしても克哉が欲しいのだ。
 それを認めることの悔しさに克哉から視線を外して、「ああ」と頷いた。
 克哉は鼻で嗤った。
「俺は優しくないって言わなかったか? これが俺の愛し方だ」
 克哉がベッドから立ち上がって御堂へと一歩、歩みを寄せた。
 自分が望まないことが起きる。そんな予感が確信をもって理性を責め立てるが、足は竦んでしまって動けない。
 克哉の手が肩にかかった。獰猛な眸で笑いかけられる。
「佐伯……っ! ぐっ」
 ベッドへと突き倒された。身体を素早く返して、ベッドの上を這いずって逃げようとするが、克哉に首元をベッドに押さえつけられる。
「俺が嫌なら別れを告げればいい。『出て行け』って一言だけで俺は出ていくさ」
「佐伯! やめてくれ!」
「言わないのなら、続行だ」
 ベルトに手が伸びて金具を外され、ズボンに手がかかった。
 身体を強張らせて抵抗していると、脱がせにくかったのか、克哉が舌打ちした。
「御堂、腰を上げろ」
「う……っ」
 低い声で命令されて、逆らうことが出来ずに腰を上げた。
 克哉が満足げに喉を鳴らす。下着ごとまとめて脱がされ、下半身を剥き出しにされた。抗う意思を挫かれて、シャツのボタンを外されて裸にされる間も、なす術なく克哉に身を任すことしかできない。
 御堂の衣服を全て脱がして、克哉はポケットから手錠を取り出した。それを右手首と右足首にかけられて、右半身を丸める格好になった。その状態で仰向けにされる。
 克哉が嗤った。
「いい格好だな」
「っ、……く」
 こんな関係を自分は望んでいないことは確かだ。それでも、この爛れた関係に終止符を打つことができない。
 克哉の指が性器に絡んだ。緩く数回扱かれただけで、みるみるうちに硬く張り詰めた。
 羞恥に顔を背ける。
「あっという間だな。本当は俺に嬲られることを望んでいるんだよ。あんたは」
「違う。そんなことはないっ!」
「俺のことが好きなんだろう? そして、俺に手酷く扱われるほど、あんたは嬉しいんだ」
「違うっ!!」
 顎を掴まれて正面を向かされた。
 克哉のレンズ越しの虹彩が全てを見透かす鋭さで覗き込んでくる。首を振って否定しつつも、身体は明らかに克哉に甚振られることを悦んでいる。
 眦にきつく力を込めて克哉を睨み付けると、克哉は薄笑いを浮かべながら御堂の顎を離した。ベッド脇に置いてあった鞄を手繰り寄せると、一転して柔らかい口調で御堂に語り掛けた。
「今日はホテルに呼び出されたもので、いつもの道具がないんですよ。代わりのものを用意しました」
「代わりの……?」
 克哉が鞄から取り出した黒いプラスチックケースに目がひきつけられる。
 克哉はゴムの薄手のグローブも取り出して手に装着した。
 冷たい汗が強張った背中を伝う。
 克哉がケースの中から取り出したのは金属製の棒だった。
 先端が球状で緩やかなカーブかかっている。また、一緒に手に持った医療用のジェルを見て、その金属棒の用途を悟った。
「今日は金属で試してみましょう。硬い分少しつらいかもしれませんが」
「嫌だ……ッ、やめッ! くあッ」
 亀頭にジェルを垂らされて、ペニスを左手で固定される。
 先端の金属球が小孔に触れた。キスをするように狭い入口を舐めまわす。ビリビリとした電気のような痺れが性器を遡って下腹部の奥へと溜まる。
「佐伯、そこは、そこだけはっ……痛っ、ああっ!」
「好きなんだろう、これが」 
 勃ちきった竿の割れ目に冷たい金属が入り込んでくる。
 今まで何度も嬲られたとはいえ、敏感な狭い道を硬い金属球が抉りながら遡る感覚に悶え打った。左手でシーツを掻きむしり、左足を突っぱねる。
「佐伯、やめて、くれっ! 抜け!」
「抜け? ここをこんなに硬くして、もっと奥まで入れてくれ、の間違いじゃないのか? いや、それとも抜き挿ししてほしいのか」
 克哉が嗤いながら金属棒を小刻みに前後に動かして、尿道を蹂躙していく。その度に四肢を引き攣れさせた。
 根元まで金属棒を捻じ込まれて、その苦しさに涙が溢れる。
 だが、その苦痛は次第に別種の燃え上がるような感覚に塗り替えられていく。克哉に徹底的に躾けられて教え込まれた快楽だ。それでも、苦しいものは苦しい。肩で荒く息をして必死に痛みを逃す。
 克哉がグローブを外して、再び鞄から何かを取り出した。白いいびつなT字状の道具だ。
 それを目にして息を呑んだ。たしか、エネマグラというアヌスを開発する道具だ。知識はあったが実際に目にするのは初めてだ。
「それは……」
「へえ、ご存知ですか。流石、外資系大手の部長は違いますね」
「……どうする、つもりだ」
「聞くまでもないでしょう」
「いやっ、やめ……っ」
 喉が干上がって舌が絡まる。
 克哉から逃げようと、左手足だけでベッドの上をずり上がって距離を取ろうとしたが、腰を掴まれて動けなくなる。
 身体を返されて今度はうつ伏せにされた。
 腰を突き出す体勢にされ、尻の狭間に、ペニスにまぶされたものと同じジェルを垂らされた。
 ぐっ、と中にエネマグラを捻じ込まれる。強引にアヌスを乱されて、異物を含まされた粘膜が悲鳴を上げた。
「ひっ、あ、ああっ!」
「ドライでイくところを見せてくださいよ」
「や、いやっ、く、……は、ああ」
「ここはホテルだし、防音もしっかりしているから、存分に哭いてくれて構いませんよ」
 無理やり捻じ込まれた圧迫感に呼吸を浅くした。
 ペニスを穿つ金属棒の先端とエネマグラに前立腺が挟まれている。
 これから起きることの恐怖に悪寒が背筋を這い上がり、全身を小刻みに震わせた。
 ベッド上の御堂をそのままに克哉はベッドから降りた。
 部屋に備え付けられたミニバーを眺め、冷蔵庫を開けて中からビールを取り出すと、ベッドサイドの椅子に鷹揚な仕草で腰をかけた。缶を開けて一息に半分ほどを飲み干す。
 どうやらそこで御堂の痴態を見物する気のようだ。
「佐伯、頼むから、やめてくれ」
 肩越しに佐伯を見遣り、悲痛な声を上げた。
 哀願するのは屈辱だったが、なりふり構ってはいられない。
 克哉は脇のテーブルに缶を置いて、御堂に冷ややかな眼差しを向けた。
「見苦しいぞ、御堂。俺の恋人なら俺を悦ばせろ。それが嫌なら俺と別れるんだな」
「佐伯……っ!」
 にべもない返事に奥歯を噛みしめた。
 克哉は御堂に服従することを迫っている。それは決して、恋人関係ではない。いびつなあり方だ。それでも、克哉と別れることは考えられない。
 克哉が御堂に満足して早々に解放してくれることに一縷の望みにかけつつ、御堂は覚悟を決めて押し黙った。
 残された矜持で、せめて無様な姿は見せたくないと顔を克哉から背ける。
 静かなホテルの部屋に、御堂の乱れかけた浅い呼吸だけが大きく響いた。
 そして、その兆候は突然来た。
 ひくり、と後ろに埋められたエネマグラが動いた気がした。
「ひ、あ!」
 動いたエネマグラが、前立腺を圧迫する。
 その振動が尿道を貫く金属棒に響いた。瞬間、苛烈な感覚が背筋を貫き、反射で中の粘膜が収斂(しゅうれん)した。
 それが契機となって、反射で締まる括約筋がエネマグラを動かし、再び前立腺を深く抉る。続いて、前立腺の中を貫く金属棒を激しく振動させた。想像を絶する愉悦を生み出す無限ループに陥る。
「は、いや、やだああ、あああっっ!」
 噛み殺そうとした悲鳴が溢れかえって、口から迸る。
 自分で自分が抑えきれない。がくがくと全身が痙攣して目を剥いた。
 底なしの沼に溺れていく感覚に、何かに縋りつこうと、左手でシーツに爪を立てて掻きむしった。
「あ、さ、えきっ!! 助けて! ひあっ、許して、くれ!!」
 視界の焦点が合わなくなって、真っ白く焼けただれる。
 傍で御堂を見届けているはずの男に許しと助けを乞い、叫んだが、その声は自分の頭の中で反響するばかりで、正しく発音できているかも定かではない。
 暴れ狂う感覚に揉みくちゃにされて、身体を波打たせる。
 激烈な快楽を逃す術を知らずに、獣のように叫びながら悶え打った。
 既に快楽の範疇を超えている。射精を伴わない絶頂を絶え間なく迎えて、思考さえもぐずぐずに溶かされ掻き回される。
「あああっ! さえっ! 佐、伯っ!!」
「御堂」
 突如、低い声が耳元に響き、声の方向に必死に頭を向けた。
 克哉の視線とぶつかる。
 克哉が嗤ったように見えた。
「良い声で哭くじゃないか」
「佐伯、許し、てくれ……」
「高慢なエリートのくせして随分と愉しませてくれる」
 切実な懇願はみっともない涙声で掠れていた。
 だらしなく開きっぱなしの口からは涎が伝って、顔は涙でしとどに濡れている。それでも、克哉に縋ろうと、必死の声を上げた。
「ひっ、あ、抜いてっ!!」
「抜く? 前と後ろ、どちらを抜いてほしいんだ?」
「くっ、両方……!」
「どうしようかなあ」
 克哉が口の中で呟きながら、手を伸ばした。
 克哉はもったいぶったように手を彷徨わせると、御堂のペニスに触れた。
 これでこの責め苦から解放されると、期待に打ち震えた。
 そんな御堂を見て克哉がニヤリと唇の端を吊り上げた。
「やっぱり、やめた」
「佐伯!? い、あ、あああっっ!!」
 克哉の指先が、ペニスの先端から出ている金属棒を爪弾いた。
 破裂しそうなほど漲っていたペニスが、ぶるんと大きく弾かれる。ペニスを貫く凶器が快楽の凝りを強く深く抉った。
 熱した鋭い針でペニスを貫かれたような衝撃が走る。それは脳まで達した。絶叫を上げ、身体を大きく仰け反らせた。
 快楽と苦痛が心と体の許容限界を超えたとき、張り詰めた意識が砕け散った。


「い、あ、……あ」
 遠くで誰かの呻き声が聞こえる。
 誰の声だろう、と朧げに考えていると、その声はどうやら身の内から聞こえてくるようだ。
 ハッと我に返った。ドロドロの思考のまま、何とか周りを把握しようと全身の感覚を取り戻す。重い瞼を開けば自分に伸し掛かっている男がいた。
 男が腰を突き入れる度に、肺から押し出された空気が声帯を震わせて、意味をなさない壊れた音を自らの口から発していた。
 信じられない面持ちで、覆いかぶさる男の顔に揺らめく焦点を合わせた。
「さ、えき……?」
「ああ、御堂さん、気付いたんですか」
 克哉は腰を使いながら涼しい顔で返事をした。
「く、あ、ああっ!」
 克哉が大きく腰を入れた。
 その瞬間、達していた。ペニスの先端から白濁が散る。
 下腹部に目を落とせば、金属棒は抜かれ、手足の拘束も外されている。そして、身体を折るように足を持ち上げられて、克哉が深々と自分のアヌスを貫いている。
「人間、意識を失っていても、イくことができるんだな。見ろよ、ベタベタだ」
「ふ……、あ、やめっ」
 意識を失っている間に放ったらしい大量の精液で下腹部が濡れていた。
 克哉に中を抉られる度に、ペニスの先端から白濁が溢れて滴る。
 気絶した御堂を克哉は犯していたのだ。
 絶望に心が暗く、重くなる。
「佐伯……」
 両手を克哉の首に回した。
 指先にドクドクと脈打つ頸動脈の拍動を感じる。
 そのまま力を籠めようとしたが、それが出来ずに、克哉を引き寄せるだけにとどまった。
 叫びすぎて喉が潰れていたが、掠れた声で呟いた。
「……君が、好きだ」
 その言葉に、克哉の目が驚いたように見開かれたが、すぐに眇められた。
 粘ついた甘さを滲ませた言葉が降ってくる。
「俺もあなたのことが好きですよ」
「佐伯……ふ……、あ、くぅ」
 克哉に向かって言った言葉は、誰でもない自分に向かって発した言葉だった。
 自分はこの男を愛しているのだと、言い聞かせる。この忌まわしい出来事を別種の記憶へと上書きしようと試みる。そうしないと、自分の心がぐちゃぐちゃに押し潰されてしまいそうだ。
 もう一度、克哉への愛を口にしようとしたところで、克哉の顔が落ちてきた。
 唇が唇に押し当てられる。熱く濡れた舌がぬめる感触で、口内に入ってきた。重ねられた唇の隙間から細く吐息を漏らす。
「ん、……ふ、さ、えき」
 舌を舐められて、粘膜を捏ねられる。
 口を激しく吸い上げられて、克哉を咥えこんでいる腰の奥が熱く痺れた。
 唇が深く重なってくる。貪るようなキスに思考の全てを奪われる。
 頭の中に濡れた音が響いた。
 こみ上げてくるどうしようもなく狂おしい官能に意識の隅々まで侵される。このまま自分を失くしてしまって、克哉に溺れて縋りついて生きていくのもいいかもしれない。
 ヒクヒクと震わせていた下肢を克哉の腰にしっかりと絡めた。唇を触れ合わせながら克哉をねだる。
「あ、ああっ、もっと、佐伯っ!」
 克哉を貪欲に求める声に、克哉は喉で嗤いながら律動を激しくした。
 強く揺さぶられながらも、キスを解きたくなくて、御堂は克哉の後頭部に回した指に力を込めた。

(4)
Lies and Truth(5)

「佐伯先生!」
 日も暮れかけた病棟の廊下、かけられた声に肩越しに振り向けば、入院患者が一人小走りに駆け寄ってくる。
 克哉は足を止めて振り返り、にこやかな笑みを浮かべた。
「どうしました?」
「先生、私はいつ頃退院できますか?」
 初老の男性患者は克哉に期待を込めた眼差しを向けた。
「そうですね。今日の採血検査の結果は大分良くなっていますし、血圧も落ち着いてきています。この分だと、来週には退院できますよ」
「ありがとうございます! 佐伯先生の予想はいつも正しいって、病室で評判ですよ」
 患者は克哉をひとしきり褒めちぎると満足そうに病室に戻っていく。その姿を見送っていると後ろから声をかけられた。
「いつもながらに君の読みは的確だな」
「四柳先生」

(5)

 

 

 同僚で先輩医師の四柳だ。克哉は挨拶代わりに軽く会釈をした。
「採血結果から臓器機能の推移を見れば、造作もないことです」
「簡単そうに言うが、ベテランの医師でもそうはいかない」
 事もなげに言う克哉に四柳は感心したように返す。
「そう言えば、ICU(集中治療室)にいる君の患者、明日の点滴指示がないと看護師が言っていたぞ」
「必要ありません」
「必要ない?」
 四柳が訝しげに聞き返した。
「ええ。あの患者はもう助かりません。もって数時間でしょう」
 克哉の言葉に四柳は眉間にしわを寄せて、声を潜めた。
「佐伯君、そんなことは口にしてはいけない」
「どうしてです? 四柳先生もそう予測しているのでしょう?」
「君は……」
 含みのある眼差しを向ければ、四柳は言葉を失った。
「ああそうだ、今夜は四柳先生と救急当番でしたね。よろしくお願いします」
「……ああ、こちらこそ、よろしく」
 にこやかな笑みを浮かべて四柳に頭を下げる。四柳は幾分固い口調で返事をした。
 ICUの患者は克哉の予告通り数時間も持たずに亡くなった。


 克哉が務める総合病院は、都内でブランド病院の一つとして数えられ、医療の質が高いことで名を馳せている。また地域一帯の救急を担っていた。
 克哉と四柳が救急当番となったこの日も、ひっきりなしに急患が訪れていた。
 深夜に訪れる患者を素早く診断し、適切に診療していく。
 不眠不休で働く克哉と四柳のもとに一台の救急車が搬送されたのは、勤務も終わりが見えた明け方のことだった。
 救急隊からの連絡を受けた四柳が克哉に声をかけた。
「重症の交通外傷が来る。佐伯君、準備を」
「交通外傷ですか」
「追突事故で車は大破。一番の重症患者が搬送されてくる。忙しくなるぞ」
「承知しました」
「この患者の処置が終われば、今日は勤務終了だ。気合を入れていこう」
 一晩中、徹夜で働き詰めだった疲労を滲ませながらも、四柳は克哉に笑いかけた。だが、その顔には未だやる気が漲っている。
 自分の職務には最後の最後まで気を緩ませることなく、責任を持ってあたる四柳の態度は、医師としてあるべき姿だ。
 それでいて、常に柔らかい笑みを浮かべて感情を荒立てることのない四柳は、患者だけでなく同僚の評判も高い。実際に診療の腕も確かで有能な医師だ。どこか醒めた目で一歩引いて物事を見る克哉とは対照的である。
 克哉は医師としては駆け出しではあるが、この病院に勤務してから優秀な医師であるという評判が瞬く間に広がった。しかし、その内実は四柳とは正反対であることは自覚している。患者一人一人のどんな些細な訴えでも真摯に向き合おうとする四柳とは違い、克哉は患者を選別している。助けられる患者こそ助けるべきで、助けようのないほど重症の患者、そして助ける必要もない軽症の患者に手をかけることは無駄だ。自分の能力を最も有効に活かすことが出来る医師が診療能力が高い医師で、それこそが求められる医師の姿なのだ。
 一勤務医として終わるつもりはない。この病院のブランド力を足掛かりに、さらに上へと昇り詰める野心は持っている。そのためには、7歳上の四柳の存在は目障りだ。四柳は先輩であり上司であると同時にライバルでもある。
 四柳が隙を見せた瞬間に引きずり落としてやるつもりではあったが、今はまだその時ではない。まずは四柳に自分を認めさせることが先だ。
 克哉は笑みを深めながら、四柳とともに救急車の出迎えに向かった。
 重症の交通外傷という触れ込みで運ばれてきたのは一人の若い女性だった。凄惨な状態を予想していたが、見た目は出血もしていない。だが、緊迫した声が救急外来に飛び交った。
 四柳が救急隊員に鋭く問う。
「バイタルサインは?」
「意識はありません。血圧と脈、測定不能です」
 患者の蒼白な顔色が痛々しい。
 手慣れた手つきで克哉たちは採血を行いつつ点滴ラインを取っていく。
 採血結果と医療用エコーの画像を見て、四柳は厳しい顔つきになった。
「内臓破裂による腹腔内出血だ。至急、輸血の用意を!」
 目立つ外傷がないのに患者の状態が悪いのは、腹の中に大量の出血が隠れていたのだ。
 振り返って看護師に素早く指示を出す四柳を克哉が遮った。
「無駄ですよ。必要ない」
 克哉が冷たく発した一言に、救急外来の空気が凍てついた。
 スタッフたちの視線が集まるのを肌で感じながら、克哉はレンズ越しの目を眇めた。
「この患者は助からない。これ以上の処置は無駄だ」
 患者の見た目も、データが意味する状態も、全てが取り返しのつかない事態であることを指し示している。後は時間の問題だ。四柳の行おうとしていることは対応としては間違っていない。だが、患者の命をわずかにつなぐだけで、結果を変えるものではない。
「何をぼやっとしている! 早く輸血を準備しろ!」
 しんと静まり返った救急外来に四柳の叱咤が響き渡った。スタッフが我に返り、克哉によって止まりかけた時間が再び動き出す。
 克哉は四柳に噛みついた。
「この患者に輸血するんですか? 医療資源の浪費ですよ、四柳先生」
「佐伯、話はあとだ。この場のリーダーは僕だ。僕の指示に従ってもらう」
「……分かりました」
 反論を許さぬ強さで告げられた言葉に、克哉は渋々引き下がった。
 運ばれてきた輸血バッグを点滴につなぐ。救急スタッフによる懸命の救命処置が行われる。だが、その甲斐もむなしく目の前でみるみるうちに患者の命は零れ落ちていった。患者の夫が救急外来にたどり着くとほぼ同時に、患者の心拍は停止した。
 モニターの電子音が心停止を告げる単調なアラーム音を響かせる中で、状況が把握できないまま呆然としている男性が患者の元へと案内された。ふらつく足取りで患者のベッドの傍らに倒れこむように崩れ落ちた。
「手を尽くしましたが、力及びませんでした。……残念です」
 四柳が患者の夫に頭を下げた。その横で克哉も倣う。
「そんな! 嘘だ!」
 患者の夫の悲痛な叫びが響き渡った。生命活動を停止した患者を掻き抱いて嗚咽を漏らす。
 悲嘆にくれる救急外来で、患者とその夫をその場に残して、四柳と克哉は静かにその場を辞した。心なしか前を歩く四柳の背中も気落ちしている。
 克哉は四柳の背に向かって呟いた。
「この患者は、誰が何をしても助からなかった。輸血以降の処置は必要なかったと思いますが」
 克哉の言葉に四柳が足を止めた。肩越しに振り返る。
「……君は本気でそう言っているのか?」
「ええ。何か間違っていますか? あの患者はこの病院に来た時点で死んでいたも同然でした」
「佐伯君!……口を慎みなさい」
 四柳が鋭い声で克哉を咎めた。素早く周囲を伺う。救急外来に隣接した廊下だ。患者やその家族に聞こえたらまずい。その場から立ち去ろうとする四柳に、克哉は声を潜めつつもなおも食い下がった。
「四柳先生は、自分ならあの患者を助けられると踏んだのですか?」
「……」
 四柳が立ち止まり克哉に向かい合った。その顔からいつもの柔和な笑みが消えている。
 ついに、克哉の無礼な物言いに針が振り切れたのだろうか。この男が感情を乱すところを見てみたい。意地が悪い期待を寄せながら克哉は四柳と視線を合わせた。
 しかし、四柳は表情を崩すことなく、静かに口を開いた。
「佐伯君、我々は物を相手にしているんじゃない。人間を相手にしているんだ。……君は傲慢だな。患者の命は我々のものではない。患者とその家族のものだ。それが分からなければ、君は医師として使い物にならない」
「っ……!」
 穏やかに、だがはっきりと告げられた言葉に、返す言葉を失った。
 二人の間に数秒の緊迫した沈黙が落ちたが、四柳は、笑みを浮かべて克哉ににっこりと笑いかけた。
「勤務時間終了だ。佐伯君、お疲れ様。家に帰っていいよ。しっかりと休みなさい」
「……俺はまだ仕事がありますから」
「休むのも仕事のうちだ。帰りなさい。業務命令だ」
 それだけ言って踵を返す四柳を、その場に立ち尽くしたまま見送った。
 徐々に怒りが沸いてくる。
 克哉の判断は間違っていない。実際にあの患者は助からなかった。だが、四柳は克哉を認めようとしない。胸の奥が煮え立ち、克哉は低く舌打ちをした。
 このまま帰っても、とても休めそうにない。この鬱屈した感情をどこかに吐き出したい。
 不意に、頭の中に一人の男が浮かんだ。克哉は唇の端を吊り上げると、白衣を脱ぎ去り病院の外へ出た。


 MGN本社に向かった克哉は、受付で自分の名を名乗り、御堂への取次ぎを頼んだ。程なくして御堂の執務室へと通される。
 一分の隙なくかちりとスーツを着こなした御堂に硬い表情で迎えられる。挨拶をしつつ口だけで笑いながら、執務室に入った。御堂は克哉を招き入れると、扉を閉めながら後ろ手で、しっかりと鍵を閉めた。
 完全に扉が閉まっていることを確認し、御堂が口を開いた。
「佐伯、ここは会社だ。何を考えている」
「あなたに会いたくなったんですよ」
「勤務先に現れるなんて非常識だろう。弁えろ」
「つれない態度ですね。俺の勤務先にはよく来るのに」
「それはお前が……っ!」
 御堂の言葉を無視して、応接ソファにどさりと座った。挑発的な視線を向ければ、御堂の顔に怯えが一瞬、走ったのが見て取れた。その反応に気を良くしながら、ジャケットの内ポケットからタバコを取り出した。
 御堂が不愉快そうに眉根を寄せた。
「佐伯、ここは禁煙だ」
「それは失礼」
 肩を竦めてタバコをしまう。御堂は一つ息を吐いて腹を括ると、克哉の向かい合わせのソファに座った。その一つ一つの所作が洗練されていて、無駄がない。纏う雰囲気はエリートビジネスマンのそれだ。こういった内面から滲む凛々しさは一朝一夕で身に着けられるものではない。先ほど垣間見せた動揺も表面からすっかり拭い去っている。
 御堂はちらりと自分の腕時計を確認すると口を開いた。
「それで、何の用だ。私はそれほど暇ではない」
 克哉に向ける眼差しも口調も強く鋭い。それはそうだろう。ここは御堂の城なのだ。御堂が今までに積み上げてきたものがここにある。異例の若さで執務室付きの部長職に就いたということは、今まで仕事に全てをかけてきたことがわかる。並大抵の努力ではないだろう。目の前の御堂はプライベートとは切り離されたもう一人の御堂であり、この部屋の主として振る舞う姿こそ御堂本来の在るべき姿なのだ。そして、その聖域に土足で上がり込もうとする克哉を威嚇し、排除しようとしている。だが、意地を掻き集めて抵抗する姿こそ克哉を煽るのだ。
 既にプライベートの御堂は克哉の従僕と成り果てている。御堂の最後の牙城を崩し、この高慢な男を完膚なきまでにねじ伏せる、それを想像し嗜虐的な興奮が胸の内に沸き立った。
「俺、救急当直明けなんですよ」
「……それは、ご苦労だったな。早く家に帰って休むと良い。それともコーヒーでも用意するか?」
 克哉の真意を図りかねて、御堂は訝し気に返した。
「そうじゃない。あんたに慰労して欲しいんですよ」
「慰労?」
「疲れマラって言うだろう? 一発抜かないと休めそうにない」
「佐伯、お前っ!」
 克哉の言葉が指すところを悟って、御堂の顔が瞬時に紅潮した。言葉も態度も憤りに満ちる。それを酷薄な笑みを浮かべながら見返した。
「時間がないんでしょう? さっさとしましょうよ」
「帰れ。君の戯言に付き合っていられない」
「自分の恋人に随分とひどい扱いじゃないか?」
「……っ!」
「御堂」
 凄みを聞かせた低い声で、その名を呼んだ。御堂がハッと息を呑んだ。
 端正な顔立ちが強張った。そこに畳みかける。
「だから、さっさと済まそう、と言っているんだ。俺の言うことが分からないのか?」
 有無を言わせぬ目で射抜いた。今度こそ明らかな怯えが走る。眸を泳がせながら言い訳がましい口調で言い添える。
「……だが、私は勤務中なんだ」
「この場で俺と揉めて、あんたと俺の関係、そして、あんたが俺の病院で何をしていたのかバレたらまずいだろう?」
「私を、脅す気なのか……!」
「まさか。俺も、あんたの仕事や立場をどうこうするつもりはない」
「それならば、一刻も早くこの部屋から出て行ってくれ」
 その声音は縋るような悲痛さを帯びている。もう勝負はついた。克哉は愉悦の光を目に宿し、追い詰められた獲物を前にした肉食獣のように舌なめずりをした。
「じゃあ、賢い選択をするんだな。俺をさっさとイかせろよ」
 御堂がぎりぎりと奥歯を噛みしめる音が聞こえてくるようだ。御堂は懸命に自分を抑えつけて声を絞りだした。
「……どうすればいい?」
「そうだなあ。舐めてくださいよ。俺のを」
「な……っ!」
 今度こそ御堂は言葉を失った。だが、克哉が本気で要求していると肌で感じたのだろう、悔しさを滲ませた表情のまま、傲然と座る克哉の足の間にゆっくりと跪いた。
 少しの間、黒目だけで克哉の動きを伺っていたものの、全く動こうとしない克哉に諦めて、自ら克哉のスラックスの前を緩めた。まだ勃ちきっていない克哉のものを取り出す。そのまま手が止まった。
 同性の性器を目の前にして、躊躇している御堂の様子が可笑しくて、嗤いだしそうになるのを堪える。
「そんなに俺のを鑑賞していたいのか?」
 克哉の嘲る言葉に御堂の顔がカッと火照った。だが、もう逃げ道はない。御堂はおずおずと舌を出して、克哉のペニスに舌を添えた。たどたどしい舌遣いで裏筋を舐め上げ、亀頭をくるむように舌を絡ませる。少しの間、御堂の動きを見守っていたがどうにも単調でつまらない。
「ん、ふ……」
「下手くそだなあ。あんた、フェラをさせたことはあっても、したことはないのか?」
「あ、当たり前だ。ん、んぐ」
 克哉に返事をするために口を放した御堂の頭をグッと押さえつけて、股間に埋める。
「男なんだから、どうすればいいのか勘所くらい分かるだろう? エリートの名が廃るぞ」
 揶揄するように言えば、御堂の耳まで朱に染まった。
「おいしそうに舐めてしゃぶって見せろよ」
 一筋の乱れなく整えられた髪に10本の指を入れ、頭を逃さないように固定する。唾液に濡れたペニスを喉の奥まで突っ込んだ。苦しさに喘ぐ粘膜がヒクヒクと響いて心地よい。
「ん……、く」
 鷲掴みにした指先で頭を前後に動かして、自分のモノを唇で扱かせる。形の良い唇から脈打つペニスが出入りして、慣れない口淫に冷たく整った顔立ちが淫らに歪んだ。こくりと御堂の喉が上下して、克哉の先走りと自分の唾液を必死に飲みこむ。それでも、溢れた滴が唇の端から伝い落ちていく。
 克哉は、たっぷりと御堂の口内を愉しんで、反り返ったペニスを御堂の口から引き抜いた。
「御堂、そこまででいい。次は俺に跨がれ」
「何……?」
 呆然とした顔で克哉を見上げながら聞き返してくる。嗤い交じりに御堂のネクタイのノットに指をかけて引き抜いた。
「ほら、早く服を脱げよ」
「佐伯、話が違うっ!」
「何が違うんだ? あんたが俺をイかせるんだろう? あんたのフェラじゃ、いつまでたっても無理だ」
「ふざけるなっ!」
 克哉の勝手な言い分に腹を据えかねたのか、御堂が立ち上がり、吐き捨てるように言った。
 その剣幕に克哉はわざとらしく首を竦めてみせた。
「このまま放りだす気ですか、御堂さん?」
 はだけられたスラックスの前からは、たくましく育ったペニスがそそり立っている。御堂の唾液に濡れて、てらてらと光るそれは、どうにも卑猥だ。それを目にして、ぎょっと身体を退こうとする御堂の手を掴んで自分のモノに触れさせた。手を引っ張られて上半身を屈めた御堂の耳元に口を寄せて声を深めて囁いた。
「御堂さん、あなたが欲しいんですよ」
「……っ」
「あなただって、このままじゃ辛いでしょう?」
 御堂の股間に手を這わせば、布地の下に硬く張り詰めたペニスがある。そこを緩々と布の上から擦った。その手の動きに合わせて、御堂の腰が揺らめいた。
 御堂の眸に欲情と拒絶がない交ぜになって揺らめく。克哉は御堂の服に手をかけた。
「佐伯……、お願いだから、ここでは嫌だ」
 その声は弱々しい。服を脱がす克哉の手を押さえようとするも、抵抗という抵抗にならないまま脱がされていく。
「心配しなくていい。あんたは恋人に抱かれるんだから」
「佐伯……」
 観念したように、御堂は目をきつく閉じた。その顔を見て、克哉はこみ上げる笑いを抑えた。
 御堂は克哉を恋人と信じきっているし、克哉に対する盲目的な愛情も、まさか克哉から植え付けられたものだと疑うことさえしない。
 なんと容易いことだろう。
 生命活動とは所詮、生体内の化学反応の連鎖に他ならない。自分自身を形作っている意識でさえ、脳の神経線維の電気活動に過ぎないのだ。
 自分の意思など、自身が思っているほど強固で確実なものではない。薬で化学反応を修飾して誘導してやれば、克哉を馬鹿にして見下していたこの男でさえ、克哉にどれほど嬲られようとも、愛しているの一言で、簡単に操ることが出来るのだ。
 医療技術とは使い方次第で全にも悪にもなる。だが、どこからが正しくて、どこからが悪いのか、それは恣意的な判断に過ぎない。死という避けようのない未来しかない患者に、貴重な医療技術を浪費することこそ、克哉にとっては悪なのだ。医療とは生命活動を操作することと表裏一体であり、自然摂理に反する不遜さを含有している。それを直視しないことこそ傲慢なのだ。
 克哉を傲慢だと言ってのけた四柳の顔が脳裏に浮かび、再び怒りが沸いた。
 その怒りを目の前の男への嗜虐心に挿げ替えて、克哉は抜き取ったネクタイを手に取った。御堂の両手首を体の前で縛り上げる。御堂が怯えた目を克哉に向けた。
「佐伯、せめて手を解いてくれ」
「大丈夫ですよ。俺が支えていますから。そのままゆっくりと腰を落として」
 ソファの上に仰向けに横たわった克哉の腰の上に御堂を跨らせる。
 膝立ちの御堂の腰を掴んで、位置を調整する。克哉のペニスの先端が双丘の奥の窄まりに触れたところで、御堂の動きが止まった。決心がつかないようで、内股が細かく引き攣れる。その腰を逃さぬように固定したまま、ぐっと突き上げた。深く貫通された圧迫感と苦痛に、御堂の背がしなり、声が上がった。
「ん、ぐ……あ、ああっ!」
「そんなに大きい声出すと気付かれますよ?」
「く……、ふ、んんっ」
 我に返った御堂が、両手を戒める自分のネクタイに噛みついた。必死に声を殺そうとする。その努力を嘲笑いながら、下から腰を突き上げると、漏れ出る呻きに甘い声が混じりだす。制御しきれない自分自身に御堂がきつく眉を寄せた。
「御堂さん、自分だけ気持ちよくなってないで、ちゃんと動いてくださいよ」
「ん、む、りだ……っ」
「動かないと一向に終わりませんよ」
「ぐ、んんっ、ふ……ううっ」
 腰を支える手に力を込めて動くように促せば、御堂が足に力を込めて腰を上げた。体内から引きずり出されるペニスに粘膜が絡みついてめくられる。
 身の内から生じる快楽を堪えようと、喘ぐ声ごとネクタイに必死に噛みついている。白い肌を火照らせながら耐え入る姿は艶めかしい。

 

 

「いつもより感じているんじゃないか? 自分の職場でヤるのは格別だろう?」
「違っ、んんっ!」
 御堂のペニスに手を伸ばす。溢れる先走りを塗り広げるように擦りあげ、先端の小孔をくじると、御堂は拒否するように頭を振った。その一方で、喉が甘く鳴りだした。
 リズミカルに下から突き上げると、顔が快楽に染まりだし、眸が快楽に濡れる。戸惑いながらも、自ら腰を揺らめかしだした。
「扉の一枚向こうではあんたの部下が必死に働いているのに、とうの上司は執務室に籠って男に跨って腰を振っているんだから。滑稽だよな」
「ぐっ……、違っ、…く、ん、お前が……っああ!」
 肩を揺らしながら御堂の痴態を笑うと、怒り混じりの眸を向けてくる。克哉に反論しようと口を開きかけたのを腰を強く突き上げて封じた。予期せぬ揺さぶりに大きな喘ぎが漏れかけて、御堂は慌ててネクタイに噛みついた。
「く、ん、う、うう――っ!!」
 御堂が腰を沈めるのに合わせて、深く中を抉る。強く揺さぶり続けて中を擦りあげると、御堂は背をのけ反って絶頂を迎えた。放たれた精液が握っていた手を伝い、下腹部を濡らしながら結合部へと滴っていく。
 深く咥えこんだ中がきつく引き絞られる。絡みつく粘膜に誘われて、克哉は御堂の最奥に欲情を注ぎ込んだ。
「よかったですよ」
 荒い息を吐きながらしなだれかかる御堂の身体を引き剥がした。身繕いを整えて、御堂の両手首を戒めていたネクタイを外してやると、御堂が眦を朱に染めながら、涙に光る眸でキッと克哉を睨み付けてくる。
 薄い笑みを浮かべながら、御堂の眼差しを受け止めた。
 この男もついに感情を爆発させるのだろうか。それもそうだ、克哉がやったことは恋人の名を振りかざした凌辱行為に過ぎない。自分が弄ばれていることに、いい加減、気付いたのだろうか。
 御堂の動きを見守っていると、不意に顔を近づけてきた。そのまま唇を押し当てられる。
「……ん、ふ」
 驚いて開きかけた唇に御堂の舌が侵入してくる。克哉の口内を舐めようとするその舌を吸い上げた。唾液を混ぜ合わせ、舌を絡ませて、御堂のキスに応える。御堂の両手が克哉の後頭部に回された。唇を押し付けながら重なりを深めてくる。ぴちゃぴちゃと濡れた音を立ててキスを交わしていると、御堂は満足したのか静かに唇を離した。眼差しを伏せたまま、ふっと吐く息に言葉を添える。
「佐伯、……私は君を愛しているんだ」
「……」
 その言葉は震えていて、御堂の中の激しい葛藤が読み取れた。克哉に嬲られた行為を、克哉への愛で自分自身を納得させて受け入れようとしている。貶められただけの凌辱行為を意味のあるものに書き換えようとしている。克哉の後頭部に回された腕が細かく引き攣れて、御堂が受けた屈辱と傷の深さが伺いしれた。満身創痍の自分自身を、克哉への愛だけでどうにか保っているのだ。その痛々しい姿を目にして、克哉は無意識に御堂の肩を抱いて引き寄せた。
「……俺も、あなたを愛していますよ」
 上っ面だけの言葉。言い慣れているはずの言葉が喉に引っかかり、掠れた。
 それでも、御堂はその言葉を受けて、克哉の腕の中で安堵の息をそっと吐いた。
 むしゃくしゃした気持ちを晴らすための凌辱だったはずなのに、胸の中が鉛を流し込まれたように重くなる。
『我々は物を相手にしているんじゃない。人間を相手にしているんだ』
 四柳に告げられた言葉が頭を過った。
 馬鹿馬鹿しい。
 こんなことは単なる遊びだ。この男も、克哉の玩具に過ぎない。高慢なエリートは克哉の思惑通りに、無様な姿を晒して克哉に縋りついている。今や克哉はこの男をどうにでも出来るのだ。
 それなのに、感じていた愉悦はどこかに消え去り、胸に嫌な感じのしこりが生まれている。疼くような焦がれるような、痛みを伴う感情がふつりと胸に滴った。
 この男をどうしたいのだろう。
 腕の中の男を突き放すことも抱き締めることも出来ないまま、来た時よりも余計に苛立ちを抱えて、克哉は執務室を後にした。

Lies and Truth(6)

 辺りはすっかり暗くなった会社帰り、御堂は克哉の病院に立ち寄った。
 鞄の中には、克哉が執務室に忘れていった病院の職員証が入っている。
 克哉が御堂の執務室に押し掛けてきた日、克哉の職員証がソファの隙間に落ちているのを見つけたのだ。克哉に電話しようかか悩み、自分から連絡して酷い目に遭わされたことを思い出すと踏ん切りがつかず、克哉からの連絡を待つことにした。しかし、こんな時に限って一週間待っても克哉からは何の音沙汰もない。
 克哉に会って直接返そうと思ったが、克哉と顔を合わすのがどうも怖い。毎回、克哉に会うたびに惨めな目に遭わされて、屈辱と苦痛に喘ぐ。それを自覚しながらも、克哉から離れることは考えられない。心はすっかり克哉に囚われている。
 全てにおいて克哉の顔色を窺っている自分自身が惨めで、自嘲のため息が漏れる。しかし、克哉に嫌われたらもう生きていけない。そうまで思いつめるほどに理性は崩れかけている。
 克哉から呼び出されない日が続くと、克哉に焦がれて居ても立っても居られない。病院に行って拾得物として職員証を届けよう、運が良ければ克哉に会えるかもしれない。そう思い立って会社帰りに病院まで足を運んだのだ。
 夜遅く、既に病院の正面玄関は閉まっている。病院裏の時間外通用口に回ろうとして、御堂は道に迷った。
 ぼんやりとしていたのだろうか、道を間違えて建物と建物の間の脇道に迷い込んでしまった。辺りは真っ暗で、常夜灯の明かりも頼りない。関係者以外立ち入り禁止の表示を見て、道を引き返そうとした時だった。
 建物の陰から、人の気配がした。
 職員かもしれない。道を聞こうと近付いて息を呑んだ。
 白衣を着た二人の人影が楽しげに囁きあっている。格好からして一人は男性医師で、一人は看護師の女性だろう。そして、その医師の後ろ姿を見て言葉を失う。間違いない、克哉だ。
「佐伯……っ」
 愕然と口の中で名前を呟いた。
 体を寄せ合う二人の距離は、親密さを表している。二人の頭部のシルエットが重なった。こみ上げる吐き気に咄嗟に顔を背け、気付かれる前にすぐさま身体を返した。
 ショックに愕然とした意識のまま、どうにか通用口までたどり着き、守衛に克哉の職員証を渡す。この場から一刻も早く立ち去りたい。逃げるように一歩踏み出した時だった。
 背後から聞き覚えのある声をかけられた。
「御堂? 御堂じゃないか! 久しぶりだな」
「……四柳?」
 足を止めて振り返れば、四柳だ。大学時代の友人で、卒業してからも年に数度は顔を合わせてワインを飲みかわし、近況報告をしあう仲だ。四柳は再会の嬉しさに満面の笑みを浮かべた。
 御堂としては正直、誰とも会いたくない気分だったが、四柳に押し切られる形で、並びあって帰途についた。
「なんで、病院に来ていたんだ?」
「……いや、健診に引っかかって、ちょっとな」
 繁華街を駅に向かって歩きながら、詳細を省いて、二次健診でこの病院を受診したことを告げた。
「それで、二次健診は問題なかったのか? 顔色が悪いぞ」
「不摂生がたたったんだ」
 安心させるように、無理やり形作った笑みを返すと、ごく自然な調子で話を継いだ。
「四柳、お前の同僚に佐伯っているだろう。どんな医師だ?」
「ああ、7歳下の後輩医師だ。知り合いか?」
「先日、診察を受けた」
「へえ。彼は若いが優秀な医師だよ」
「そのようだな」
 四柳はくすりと柔らかく笑った。
「彼は一皮剥ければ化けるぞ」
「一皮?」
「彼はまだ若い。だから壁にぶつかったことがない。一度、絶対越えられない大きな壁にぶつかって挫折すれば、大きく成長することが出来る」
「そういうものなのか」
「そういうものだ」
 穏やかな外見と優しい語り口。四柳の揺らぐことのない落ち着いた態度は、相対する人間の心の障壁を自然と取り除く安心感がある。御堂は、思い切って尋ねてみた。
「変なことを聞くが、彼には特定の相手はいるのか…?」
「は? いきなり何だ?」
「いや、彼は若いし優秀だから人気があるのだろうな、と」
 慌てて付け足したが、何の説明にもなっていない。四柳にまで何を聞いているのだろう。嫉妬に駆られる自分自身を恥じ入った。しかし、四柳はそれ以上追及せずに、表情を綻ばした。
「御堂も人のことは言えないだろう。まあ、確かに彼は人気はあるよ。あの見た目だし、実力もあるしね。プレイボーイのようで、浮いた噂もいくつも耳にする。しかし、いい加減、年貢の納め時だな」
「年貢の納め時?」
「つい先日、理事長の孫娘と婚約したんだよ。相手はまだ大学生みたいだが。理事長も彼に目をかけているからな」
「婚約?」
 四柳が口にした言葉が理解できず、口の中で復唱した。
 克哉には、先ほど目にした相手以外にも、婚約者がいる。
 少しずつその事実が脳に浸透し、目の前が真っ暗になった。御堂は所詮、克哉にとって大勢の相手のうちの一人にすぎなかったのだ。
 足から力が抜けて、膝が砕けそうになりよろめいた。四柳が咄嗟に御堂の腕を取った。倒れかけた体勢をどうにか持ち直す。
「御堂、大丈夫か?」
「……悪いが、急用を思い出した。これで失礼する」
「おいっ!」
 もつれる足で逃げるように四柳の前から立ち去った。
 想像以上の事実を突き付けられて、自分自身の存在がいたたまれない。どこに向かっているのかさえ分からないが、ここではないどこかに向かって、覚束ない足取りで遮二無二、繁華街の中を彷徨う。
 その時だった。
 足早に歩く御堂の手を背後から突然掴まれて、ぐいと引っ張られた。振り向けば克哉だ。
「佐伯…?」
 険しい顔をした克哉が立っていた。今、最も会いたくない相手だ。手を振りほどこうにも、がっちりと掴まれていて振りほどくことが出来ない。
 困惑する御堂に克哉は返事をすることなく、近くの狭い路地裏に引きずり込まれた。
「何をする!」
「あの男はなんだ?」
「あの男?」
「並んで歩いていた」
 感情を押し殺した低い声で問われるが、御堂は硬い声で返した。
「四柳だ。君の同僚だろう」
「そんなことは聞いてない。あの男とどんな関係だ?」
 詰問口調で問われて、怒りが湧いてくる。
「私が誰とどんな関係でいようと、君には関係ないだろう」
「関係ないだと?」
 克哉の顔が激しい憤怒に染まった。それを目にして臆しそうになるが、心を奮い立たせた。視線を外して、そっぽを向くと強い口調で吐き捨てた。
「もう、放っておいてくれ!」
「何だと?」
「これ以上、私に関わるな。君の顔など見たくもない」
「……あんたはそれで満足できるのか? そんな淫乱な身体を持て余して」
「ふざけるな!」
 怒りに任せて克哉の手を振り払う。
 衣服の乱れを直しつつ、克哉に怜悧な視線を向けた。ありったけの意地を掻き集めてきっぱりと告げた。
「君は不誠実だ。私の見る目がなかった」
 その一言に克哉の纏う気配が変わった。踵を返して立ち去ろうとする御堂の腕を乱暴に掴む。そのままぐいと力任せに引かれて、よろめいた。
 克哉にジャケットの襟首を掴まれて路地の壁に力任せに押し付けられる。コンクリートの冷たい壁が頬に突き付けられた。
「ぐあっ!」
 克哉の身体は怒りに張り詰めていることが、押し付ける手から布地を通して伝わってくる。
「放せっ! 佐伯!」
 今までにないほどの暴力的な行動に怯える。せめて克哉と言葉を交わしたいと思うも、克哉は一言も言葉を発しようとしない。克哉は御堂を壁に縫い付けたまま、御堂のベルトに手をかけて外し、下半身を剥き出しにした。克哉が何をするのか、その意図を悟り、声を上げた。
「やめろっ! 佐伯!!」
「黙れ。観客を呼びたいのか」
 地を這うような低い声にぞっと背筋が凍えた。克哉の唾液に濡らされた指がアヌスへと潜り込む。性急な動きでぎちぎちときつい窄まりを広げられていく。
「佐伯、やめてくれ……っ」
 背後の克哉に聞こえるだけの小声で必死に懇願する。だが、克哉は動きを止めようとしない。
 奥まった路地とはいえ、都会の真ん中だ。道の向こうには多くの人が行き交う。もし、この行為が誰かの目に触れたとしたら、御堂だけでなく当然、克哉にも累が及ぶだろう。
 克哉は指でたっぷりと中を蹂躙すると、御堂の身体を返した。背中に冷たいコンクリートの壁が当たる。膝裏に手を入れられてぐいと足を持ち上げられ、両足を大きく開かされる。窄まりに剛直が触れた。
「ひっ、あ、ああっ!! いや、だ……んんっ」
 熱い塊がぐっと根元まで捩じりこまれる。その苦痛に大きな声を上げようとして、咄嗟に目の前に回した自分の腕を噛んだ。服の布地に唾液の黒いしみが広がる。
 両足を抱えるように持ち上げられて、その中心を穿たれる。持ち上げられてはその手を緩められ、自重で克哉のペニスを深く咥えこまされた。
 手で克哉の胸を押し返そうとするも、克哉は動じることなく御堂の首筋に顔を埋めた。獲物の喉笛を狙うような肉食獣の獰猛さで強く吸い上げられて、御堂は首をくっと反った。

(6)

「ん、あ……ふ、あ、んああっ!」
 乱暴な行為にも関わらず、脳天を貫くような悦楽に堪えようもなくあっという間に達していた。噴き出した粘液が下腹部に滴り落ちる。克哉が喉を短く鳴らした。そのまま強く突き上げてくる。
「早いにも程があるだろう」
「やめっ、ん、ふ……ううっ! もう、無理だ……、許してっ」
 克哉は御堂の懇願を無視して、激しく揺さぶって抉ってきた。
 今まで何度許しを乞い、哀願しても克哉に受け入れられたことはなかった。あきらめと悔しさに感情が高ぶる一方で、克哉によって躾けられた身体は、達してもなお克哉に突き上げられる度に快楽に打ち震えた。引き抜かれる克哉自身を離すまいと粘膜がまとわりついて引き留めようとする。
 気付けば意思とは裏腹に、腰が淫らに揺れて克哉をねだっていた。
「尻まで振って、そんなに気持ちいのか? 俺に懇願してみせろよ。もっと深く抉ってください、気持ちよくさせてくださいってな!」
「嫌、だ、……や、ふ、ああっ」
 克哉は低く嗤いながら腰を突き上げてくる。結合部から生じる悦楽に翻弄されながら、克哉の身体にしがみついた。ずっと放ったらかしにされて、克哉に飢えている。もっと克哉が欲しくてたまらない。だが、それを素直に認めるのは、自分が惨めすぎる。
「あんたはどこまでも貪欲で淫乱な男なんだ。男に抱かれないと生きていけない身体なんだよ」
「やめてくれっ!! あっ! ん、ううっ」
 頭を振って否定しても、身体は克哉に媚びて更なる刺激を求めている。絶頂を迎えて間もない御堂のペニスはあっという間に芯をもって再び大きく育った。
 大きく激しい律動に、喘ぎ声しか出せなくなる。淫らな熱がうねり、体の隅々まで支配する。克哉の肩に爪を立てた。
「違わないさ。あんたは、男なら誰でもいいんだろう? 俺に会えなくて四柳をたらしこもうとしたのか?」
「違っ! やだっ、さえ、きっ。くっ、あ、ああっ!!」
 嬲る声に奥歯を噛みしめながら、声を絞り出して否定する。
 克哉が力任せに激しく穿った。最奥に熱い迸りを受ける。御堂も同時に果てて、がくりと身体が崩れ落ちていくのを克哉の腕が支えて、ゆっくりと地面に降ろされた。
 体も心も無残に貶められて、涙と嗚咽が溢れた。身体を支える克哉の腕に縋りつきながら、これ以上無様な姿を晒さないように、流れ出そうとする涙を堪える。押し殺した嗚咽が暗い路地に小さく響いた。
 克哉は自分の身繕いをし、しばらく無言で突っ立っていたが、ハンカチを取り出すと御堂の濡れた下腹部をきれいに拭い、しっかりと二の足で立たせ、衣服を直した。
 涙に歪む視界を克哉に向ければ、御堂から視線を外したままの克哉の端正な横顔が歪められていた。それは、自分の衝動的な行動を悔やんでいるようにも見て取れた。
 密度の濃い沈黙が二人の間に降りて、互いに動けなくなった。
 千々に乱れた心をなだめて自分を落ち着けると、顔を背けたままの克哉に御堂は小さく呼びかけた。
「佐伯」
 克哉がゆっくりと御堂に顔を向けた。その顔からは先ほど垣間見せた感情の発露が全て拭われている。静かに言葉を継いだ。
「四柳は、大学の同期で友人なんだ。それ以上の関係は何もない」
「……」
「本当なんだ。信じてくれ」
 克哉を問いただすべきなのに、釈明する立場になっている自分が情けない。しかし、裏切りを目の当たりにしてもなお克哉が恋しいのだ。
 克哉は黙ったままで、何を考えているのか読み取ることが出来ない。恐る恐る克哉に顔を近づけ、少し冷たく柔らかい唇に、そっと自分の唇を押し当てた。唇を触れ合わせるだけの軽いキス。それを拒否されなかったことに詰めていた息を吐いた。再び唇を押し潰して、啄むようなキスをする。吐息が交わる距離で克哉に囁いた。
「佐伯、愛している」
 その言葉を口にした瞬間、克哉の身体が強張り、その目が大きく見開かれた。
「やめろっ!」
「くっ!」
 激しい言葉と鈍い衝撃が胸に叩きつけられた。
 どん、と胸を突き飛ばされて。ずるずると地べたに倒れこんだ。尻もちをついた状態で、克哉を見上げた。
「佐伯……?」
 見上げる克哉の顔は怒りとも悲痛とも分からぬ感情に大きく歪んでいた。
「あんたは俺にここまでされても、まだ、そんなことを言うのか。それともこんな風に酷く扱われるのが好きなのか」
 突然の激高したような震える声が降ってくる。
「違うっ!」
 好きなわけがない。
「無理やりされるのは嫌だ。……だが、これが君の愛し方というなら受け入れるしかないだろう…っ!」
 今まで受けた仕打ちはそう簡単に受け入れられるものではない。だが、その全てを克哉への愛おしさで上塗りして自分自身をどうにか納得させてきたのだ。
 御堂の言葉に克哉は眉間にしわを寄せた。激しい感情を押し殺したような唸る声で言い放つ。
「俺が不誠実というなら、あんたは欺瞞だ」
「何……?」
「あんたは俺のことなんて微塵も愛していない」
 激しい気迫とともに投げつけられた言葉に、殴りつけられたような衝撃を受けた。
 意味が分からずに、乞う視線で克哉を見返すと、克哉は唇を噛みしめて顔を背けて唾を吐いた。飛び出す勢いで身体を返して去っていく。
 地べたにへたり込んだまま、その背中を呆然と見送った。

Lies and Truth(7)

 会社からの帰り道、御堂は空を見上げた。厚い雲が空を覆いつくし、月も星も何も見えない。
 たかが曇り空。だが、それさえも、御堂の心に伸し掛かり、苦しさを募らせるようだ。
 今まで通りの日常を過ごすことが難しくなっていた。朝起きて、支度をして、出社のための靴を履く。それさえも、今までどうやっていたのか分からない。一度の動作ではできず、何度もやり直す羽目になる。全てにおいてぎこちない。当然、仕事にも支障をきたしていた。
 今までの御堂ならば考えられないようなケアレスミスを頻発している。実際、毎朝起きて職場に行くだけで限界だった。
 原因は明白だ。
 克哉とはあれからずっと連絡を取っていない。
 正確に言えば、克哉と連絡を取ろうとしても取れないのだ。電話もメールも無視される。思い余って、職場に電話してみたものの、取次ぎを拒否される始末だ。
 いい加減、目を背けていた自分の状態を直視しなければいけない。御堂は一室を率いる部長だ。こんな態度がいつまでも通用するわけもない。
 自身のあまりの酷さに乾いた笑いさえ漏れる。
 御堂は克哉にとって、単なる遊び相手の一人に過ぎず、挙げ句、捨てられたのだ。
 今まで御堂は恋愛対象からこんな扱いを受けたことはなかった。むしろ、御堂自身が相手に対して冷淡であったし、酷い扱いをしてきたと思う。御堂の過去の相手もこんな思いをしたのだろうか。今となっては過ぎてしまったことではあるが、申し訳なく思う。30歳を過ぎてこんな失恋の痛手を受けるのは、今までの溜まりに溜まったつけなのだろうか。
 克哉が最後に御堂に言った言葉が未だに耳にこびりついている。御堂は克哉のことを愛していないと告げられた。それは嘘だ。御堂は克哉を愛しているからこそ、克哉からの仕打ちを許して受け入れてきたのだ。
 何が克哉をああまで怒らせたのだろう。いくら考えても分からない。
 だが、これ以上考えても仕方がない。最早、克哉は御堂に関心がないとしか言いようがない。
 このままずるずると引きずっていても、更に傷口を広げるだけだ。だが、どうやってこの苦しい想いに決着をつければいいのか分からない。
 無性に克哉に会いたかった。克哉の顔を見て、声を聴きたい。会えばまた屈辱的な目に遭わされるかもしれない。それでも良かった。無視される方が苦しい。
 自分の女々しさに心底嫌気がさす。何故ここまで克哉に惚れこんでしまったのか分からないが、感情は理屈ではなくて衝動なのだ。自らを衝き動かすこの想いに抗う術を御堂は知らない。
 しかし、これ以上無様な生き恥を晒し続けるのは、自分の矜持が許さない。矜持と言っても既に形をとどめぬほどボロボロになっている。砕け散った自分自身を必死に掻き集めて、過去の自分がどうであったか思い出そうとするが、もう輝かしい過去には戻れないだろう。虚しさに涙さえ枯れ果てる。
 思考は同じところをグルグルと回るばかりだが、いい加減どうにかしなくてはいけない。御堂がMGN社で担っているプロジェクトは大事な局面を迎えている。御堂の不調が大隈専務の耳に届けば、プロジェクトから問答無用に外されるだろう。克哉を失い、更に自分が精魂傾けてきた仕事まで失ったら、もう、御堂には何も残らない。今度こそ立ち直ることは不可能だ。
 最後に、克哉に面と向かって別れを告げて、この関係に終止符を打とう。それで自分自身にケリをつけられるか分からないが、前へと踏み出すしかない。そう、自分自身を納得させて、御堂は克哉の病院へと向かった。
 克哉の帰宅時間は遅い。その上、夜間の救急当直にあたっていたら、待っていても無駄だろう。それでも御堂は通用口近くに目立たぬように佇み、克哉が出てくるのをじっと待った。
 夜が更けたころ、明るい髪色の男が通用口から出てきた。克哉だ。
 周囲に目もくれず一人速足で歩いていく姿を追う。人気がない場所で声をかけようとした時だった。御堂と克哉の間に一人の男が割り込んだ。あっという間に克哉との距離を詰める。
 どうも変だ。
 男は肩で荒く呼吸をして、その全身は細かく震えている。嫌な予感に突き動かされて御堂は速足になった。
 その男は克哉の背中に向かって叫んだ。
「おいっ!」
「何だ……?」
 克哉が訝しげに振り返って、男に向かい合った。
「お前が、俺の妻を見殺しにしたんだろう!」
「あんた、交通事故の……」
「許さない!」
 克哉の続く言葉が男の絶叫によってかき消された。
 男が振りかざした手にギラリと光る刃が握られている。男の意図を察して、御堂は青褪めた。
「佐伯っ!!」
「御堂……?」
 男が持つナイフを目にするや否や、御堂は叫んで、目の前の男の背中にタックルした。そのまま、身体を掴んで地面に引きずり倒す。
「やめるんだ!」
「誰だっ!!」
 二人して倒れこみ、男と揉みあいになった。がむしゃらに振り回されるナイフから手で頭をかばう。
 ざくり、とナイフが衣服を切り裂く鈍い音がした。右腕に鋭い痛みが走る。
「くあっ!」
「御堂!!」
 克哉が男に飛び掛かって、御堂から引き剥がした。地面に伏せる御堂と男の間に割って入る。男も、その衝撃に我に返ったのだろう。ナイフを放り出して、腰が抜けたようにへたり込んだまま地面をずり下がった。
 克哉は屈みこみ、御堂が押さえている腕を素早く確認した。
「大丈夫か!?」
「服を切っただけだ」
 出血は酷くない。シャツに滲む程度だ。
 御堂を背にかばうようにして立ち上がり、克哉は男に振り向いた。
「お前、よくも御堂を……!」
 激しい怒気が言葉に滲む。対する男は完全に戦意喪失したようで、自分が犯した過ちを目にして、がくがくと震えだしている。克哉が拳を振りあげた。
「やめろ、佐伯!」
 男に殴りかかろうとする克哉の足を掴んで、押しとどめた。
「放せっ!」
「君は医師だろう! 他人を傷つけるな。冷静になれ!」
「……っ!」
 その言葉に克哉の動きが止まった。体中に漲っていた緊張が溶けていく。克哉の拳が体の横に下りたのを見て、御堂は安堵の息をついた。
 この騒ぎに遠くから人が集まってくる音が聞こえてくる。克哉が振り返って屈むと、御堂の腕を取った。
「立てるか?」
「ああ」
 克哉は素早く御堂を立たせて、衣服の埃を払った。ハンカチを取り出して、御堂の腕の傷に押し当てる。
「歩けるか? 怪我は腕だけか?」
「大したことはない。かすり傷だ」
「後は俺が引き取る。あんたは早くこの場から立ち去るんだ。巻き込まれると厄介なことになるだろう?」
「だが、佐伯……」
 克哉に会おうとここまで来たのだ。やっと本人を目の前にしたのに、再び離れる不安に心が揺れる。だが、克哉が真っすぐと御堂の眸を見返した。
「ホテルで待っていろ。後から必ず行く」
 最後の言葉は唇とともに押し付けられた。唇をぶつけてくるような乱暴なキスだったが、そのキスに背中を押される。
「早く行け」
「分かった。待っている」
 衝撃から醒めやらない震える足で、御堂はその場を後にした。


 御堂は自分の部屋に一度戻り、切り裂かれたジャケットとシャツを着替えた。克哉のハンカチを外してみれば腕の傷はうっすらと皮膚の表面が切れている程度で、出血もすでに止まっている。
 ハンカチはきれいにして克哉に返そう。
 ハンカチをクリーニング用の衣服の束にまとめると、部屋を後にしてホテルにチェックインをした。
 不安に逸る胸をなだめながら、克哉の言葉を信じて部屋で待っていると、しばらくして克哉が部屋を訪れた。片手に黒いボストンバックを手にしている。
「すまない。遅くなった」
「佐伯」
 克哉は部屋に入るなり、御堂を抱き寄せた。その腕に身体を任せて克哉の唇に自らの唇を触れさせれば、克哉がそれに応えて舌を差し入れてくる。相手の体温を感じるほど密に抱擁しながら、時間をかけてキスを交わす。
 息苦しくなるほど唇を重ねて、名残惜しく顔を離した。克哉が御堂の腕に目を向けた。
「傷を見せてみろ」
「大丈夫だと言っただろう。心配性だな、君は」
「いいから、見せろ」
 ジャケットとシャツを脱いで腕を出した。克哉が傷口に触れないように注意しながら診察し、ボストンバッグから取り出したガーゼを当てて包帯を丁寧に巻いた。
「問題なさそうだな。痕にもならないだろう。……あんたの身体に傷がつくのは忍びないからな」
 克哉は、深く息を吐いた。
「すまなかった。巻き込んでしまって」
「いいや。……あの男は誰だ?」
「妻を交通事故で亡くして、精神的に混乱していたんだ。その妻を俺が救急で診た。精神科受診を条件に事件にはせずに収めた」
「そうか。よかった」
 警察沙汰にしなかったのは、ブランド病院としての体面を重んじたのが大きいのだろう。それでも、事が大ごとにならずに安堵する。克哉が御堂に顔を向けた。
「それで、あんたは何をしに病院に来たんだ?」
 そう問われて、胸が苦しくなった。正直に吐露する。
「君に、別れ話をしに」
「そうだろうな」
 克哉は表情と感情を消して淡々と返事をする。引き留める素振りもない。予想していたことではあったが、心が暗く沈んだ。克哉が先ほど御堂にしたキスも、克哉にとっては特別なものではないのだろう。
 せめて、最後だけは潔さを保ちたい。御堂は克哉のレンズ越しの眸を真正面から見返した。
「佐伯、最後に一つだけ訂正させてくれ。私の言葉も気持ちも欺瞞ではない。私は、君のことを本当に…」
 愛していたんだ、そう続けようとしたところで克哉が言葉を遮った。
「知っている。あんたのせいじゃない。俺が全て悪い」
「何?」
「俺もやっと決心がついた。あんたを俺から解放するよ。……本当に、すまなかった、御堂」
「は?」
 克哉の言う言葉が理解できずに聞き返す。
 今夜、克哉に謝られるのはこれで三度目だ。一度目は到着が遅くなったことに対して、二度目は事件に巻き込んだことに対して、そして今度は何に対して謝っているのだろう。
 克哉が力なく笑った。
「あんが俺のことを好きなのは、そう思い込まされただけだ。あんたは本当のところ、俺のことを毛嫌いして馬鹿にしていた」
「何を言っている?」
「俺があんたに呪いをかけたんだ。俺のことが好きになるように」
「呪いだと? 変な冗談はやめろ」
 突飛なことを言い出す克哉に御堂は眉根を寄せた。
「催眠術って言えば分かるか? 俺があんたの記憶と感情を操った」
「馬鹿なことを言うな」
「本当だ。これを見ろ」
 克哉は自分のスマートフォンを取り出してボタンを操作すると、御堂に画面を見せた。
 映し出された画像を見て言葉を失う。
 画面には診察室で無残に犯された自分が映っている。カメラのレンズから必死に顔を背け、憎しみと怒りに滾る表情を浮かべているが、まぎれもない自分の姿だ。克哉と付き合ってから診察室で何度も犯されてはいた。だが、こんな出来事は記憶にない。
「これがあんたと俺の初めてだ。あんたは俺と初めて会った時、診察室で俺に強姦されたんだ」
「嘘だ。そんな覚えはない」
 いくら写真を見ても記憶はない。だが、どうみても強姦された自分自身が画面の中にいる。写真の撮影日時を確認すれば、二次健診で病院を初めて訪れた日だ。
「薬を使って記憶を消した。そして、あんたに催眠をかけた。俺のことを好きになるように。決して逆らうことが出来ないように」
「まさか、信じられない」
 話が荒唐無稽すぎて、理解が追い付かない。
「今から催眠を解く。そうすれば、あんたは真実が分かる。あんたは、俺のことなんて愛してない」
「本当なのか……?」
 克哉はじっと御堂を見詰めている。その言葉と表情に冗談を言っている節はない。そして、克哉の言葉を裏付ける凶行を収めた写真の数々。
 克哉の言葉を理解するにつれて、怖気が足元から這い上がってきた。自分が克哉を愛していたのは、自分自身の感情ではなかったのだろうか。本能的な恐怖に駆られて首を振った。
「違う。私が君を好きになったのは自分自身の意思だ」
「あんたが俺を好きになるわけないだろう? 冷静に考えるんだ。あんたが俺にされたことを思い出せ。それでも俺を拒絶できなかっただろう?」
 克哉は辛抱強く言葉を重ねた。
 信じられない。
 信じられないが、頭の奥底で克哉の言葉を冷静に吟味し肯定しようとする自分がいる。確かに今までにないほどの強い恋慕の情に襲われたのは事実だ。だが、人を好きになるのは理屈ではない。
「嘘だ、佐伯。私の感情は私のものだ。他人に操られるものではない」
「いいや。あんたは俺に操られたんだ。だから、俺を好きになった。それを俺はもてあそんだ。催眠を解けばすべてが分かる」
「……何でそんなことをしたんだ」
「あんたに嫉妬したんだろうな。あんたの惨めな姿を見たいと思った」
 克哉から告げられた言葉に愕然とする。うっすらと勘付いていたとはいえ、克哉の気持ちは端から自分にはなかったのだ。自虐気味に呟いた。
「それなら、何故、催眠を解こうとする? 好きなだけ私をもてあそべばいいだろう。それとも、もう、私が邪魔になったのか」
 克哉が自分の行いを告白し、催眠を解くと言いだしたのは、御堂に飽きて御堂の存在が疎ましくなったのだろう。
 嘘を塗り重ねられたことが悲しいのではない。真実とともに別れを告げられることの方が心を抉られる。
 視界がぶれて歪む。部屋のライトが幾重にも滲んだ。
「御堂、違う」
 だが、克哉は即座に返した。御堂の髪に手を伸ばして、乱れていた髪を指で梳く。その指先が優しくて、触れられた感触にトクンと心が揺れる。克哉が静かな声で語り掛けた。
「俺があんたのことを好きになったんだ」
「何……?」
「人を呪わば穴二つ、って言うだろう。あんたにかけた呪いは俺に跳ね返った。あんたを忘れようと、他の奴と付き合おうとしたがだめだった」
「……それなら、このままでいいじゃないか」
 御堂は克哉を愛し、克哉は御堂を愛している。それ以上、求めるものはない。何故、現状を変えないといけないのだろうか。
 克哉は静かに首を振った。
「あんたに愛していると言われる度に、辛くなって耐えられなくなった」
「私は、君を愛している」
「違う。あんたは本当のところ俺を愛してはいない。俺にそう言わされているだけだ」
「そんなことはない!」
 克哉は黙ったまま、御堂の目を見返した。克哉のレンズ越しの眸が、否という返事を御堂に突き付ける。
 克哉は御堂の愛が真実ではないと言っているのだ。克哉自身が作り上げた幻想だと。
 だが、御堂は自分の気持ちを疑ったことはない。心の底からそう想って告げていたのだ。克哉が御堂に行った行為よりも何よりも、今、自分が抱く感情を克哉に否定されることが苦しい。
「だから、催眠を解くというのか」
「ああ」
「催眠を解くと私はどうなる」
「全てを思い出して、操作された感情が元に戻る。俺のことを心底憎むだろうな」
「君を憎む?」
 もし、克哉が催眠を解いたら克哉を愛しく思うこの気持ちはどこへと消え去るのだろう。そして、自分は克哉を激しく憎むようになるのだろうか。それはもう、今の御堂ではない、別の誰かに成り代わるも同然だ。
 克哉の襟をきつく握りしめてしがみついた。
「佐伯、お願いだからやめてくれ。私は変わりたくない。君を憎みたくない」
「変わるんじゃない。元のあんたに戻るだけだ」
「元の私? 今の私では駄目なのか」
「あんたをこれ以上騙し続けるわけにはいかない」
「私は騙されてなんかいない」
「その言葉は俺が催眠を解いてから言ってくれ。あんたは元に戻るべきなんだ。本当のあなたはこんなことをされて、俺を殺したいくらい憎くて仕方がないさ」
 克哉に何度説明されても、それを無理やり理解しても、過去の自分に戻りたいとは思わない。だが、克哉はそれが御堂にとって一番いいと信じている。胸にもどかしいほど熱く切ない感情がこみ上げた。
 御堂にとっての真実と克哉にとっての真実は違う。だが、克哉は自分にとっての真実を優先させようとしている。
「今の私は本物ではないというのか、君は。残酷だな。そんなに私に殺されたいのか」
「自分のしでかしたことだ。責任は取る。あんたは正当防衛を主張すればいい。このスマホに俺の犯罪の記録も残っている」
 自棄になって言った言葉に真面目に返す克哉に声を荒げた。
「馬鹿を言うな! 君を殺したりするものか」
「御堂、よく聞け」
 克哉は声を潜めた。
「殺人は犯罪だ。だが、自然死や事故死に見せかければ犯罪にはならない。いくつかやり方を教える。どうにでも、あんたの気が済むようにしろ」
 克哉は手元のボストンバッグを開いた。そこにいくつもの薬品のバイアルや錠剤が入っている。そして、注射器や何に使うかもわからない医療器具も。そのおぞましさに御堂は顔を背けた。
「御堂、こちらを見ろ。俺の話をよく聞け。上手くやればあんたは警察に疑われずに復讐を遂げられる」
 自分の殺し方を説明しようとする克哉の正気を疑う。だが、克哉が本気であることはその眼差しと表情から見て取れた。それでも、そんな方法は知りたくない。
「やめろっ! 私は君を殺したりしない」
「今のあなたは、ね」
 克哉は自分なりに不器用なやり方で決着を付けようとしている。克哉の非道な行為は決して許されることではない。だが、克哉に対する憎しみは湧いてこなかった。こうまでしても克哉のことが嫌いになれない。これも克哉の言う催眠の影響なのかもしれない。どうあっても、克哉のことが好きなのだ。だが、克哉は時間を巻き戻して、自分を憎む御堂を呼び戻し、自分を罰しようとしている。
「……どうしても催眠を解くというのか」
「ああ」
 御堂が何を言っても、克哉は聞き入れようとしない。克哉の固い覚悟に触れて御堂は諦めて力ない息を吐いた。克哉の襟を握りしめていた手を離す。眼差しを深く伏せた。
「君は一度たりとも、私の頼みを聞いてくれたことはなかったな」
「御堂……」
「佐伯、せめて、私の最後の頼みを聞いてくれるか」
「なんだ?」
 克哉の手を取り、その手をそっと自分の頬にあてがった。その手に頬を擦りつけて、視線を克哉に合わす。
「催眠を解くときに、一緒に君のことを忘れさせてくれ。何もかも。……出来るか?」
 その言葉に克哉は目を瞠った。
「出来なくはないが、俺への復讐の機会を失うぞ」
「君のことを憎みたくない。“今の私”からの最後のお願いだ」
 催眠が解けたらどうなるのか正直分からない。だが自分が胸に抱く克哉への愛しさが掻き消えて、代わりに胸の内を克哉への憎しみが滾ると思うと耐えきれない。今の自分が消えるなら、せめて克哉に関する全ての記憶ごと一緒に消えてしまいたい。
 御堂の必死の願いに克哉は口を閉ざしていたが、しばらくして詰めていた息を吐いた。
「……分かった。あんたがそれを望むなら」
「もう一つ、頼んでもいいか」
「ああ」
 掴んでいた克哉の手に口を寄せた。その手の甲に自らの唇を触れさせる。
「最後に君との思い出を作りたい」
「忘れるのに?」
 克哉の言葉に呆れたように笑ってみせた。
「馬鹿だな、君は。忘れるから無意味なんじゃない。人間は誰でもいずれ死ぬだろう。だからこそ、その瞬間まで精一杯悪あがきするんじゃないか。それと一緒だ」
 克哉は少しの間黙り込み、突然肩を震わせて笑いだした。
「あんたの言う通りだな。俺は医師なのに、そんなことすら分かってなかった」
 強く抱き締められて、柔らかい唇が押し当てられる。抱擁を繰り返し、交わされるキスに夢中になっていると、服に手がかかり脱がされていく。御堂も克哉のネクタイに指をかけた。シュッと音を立てて解く。一つ一つ克哉のシャツのボタンを外していくだけで、呼吸が弾んでいく。
 体に重みがかかり、ベッドのマットへと沈められる。キスをずらしあいながら体の輪郭を辿り、肌を重ねあう。もどかしく焦がれるような熱が二人の間に生まれてくる。
「佐伯……」
 名前を呼びながら克哉の頭を掻き抱いて、両手で克哉の裸の肌に手を滑らせた。
 克哉の肌の下の締まった筋肉、そして体温に触れれば触れるほど、自らの奥に凝った疼きが増していく。感度が研ぎ澄まされて、神経が昂る。
「く、う、……んあっ」
 克哉の唇が胸の突起を食んだ。くすぐるように歯を当てられて、舌先でチロチロ舐められて、乳首が硬く尖って克哉の愛撫を悦ぶ。
 全身のどこもかしこも克哉に触れられれば、そこの神経が興奮しきって、克哉が生み出す濃密な快楽を全身に浸透させていく。
 気持ちを交わしながら肌を重ねる官能の深さに、溺れてしまいそうだ。
 克哉の濡れた指が後ろをまさぐる。淫猥な動きで身体の奥まったところを拓いていく。
 指を抜かれて、両足を高く持ち上げられて克哉の肩にかけられた。漲った楔が貫く。身体の裡を克哉に埋められる苦しさに、背中に両手を回してしがみついた。
「辛いか?」
「問題ない。このまま、来てくれ…っ」
 その先にある底なしの快楽をせがむ声に、克哉は苦笑交じりに返した。
「無理をするな。傷に響く」
「君は、実は優しいんだな」
 あてつけがましく言うと、くくっ、と克哉の喉が甘く鳴った。
 克哉は小刻みに腰を動かして、熱を交ぜ合わせながら時間をかけて御堂の最奥まで自身で満たした。強烈な圧迫感に喘ぐ一方で、自分の身体の奥深くで克哉の脈動を感じてつながりを持つことがたまらなく愛おしい。
「克哉、君を愛している」
 これが最後の言葉になるかもしれない。その名を何度も呼んで気持ちを告げれば、克哉は心を変えてくれないだろうか。叶わぬ願いを祈り、精一杯の想いを込めて耳元で告げた。
「俺も、あんたのことが、好きだ」
 克哉の正直な言葉がじわりと染み込む。克哉の顔が落ちてくる。それを唇で受け止めながら、せめてこの瞬間を永遠に心にとどめておきたいと、克哉に必死にしがみつく。律動が激しくなった。
「か、つやっ、あ、あああっ!」
 激しい絶頂に身体も意識もさらわれる。恍惚と崩れて溶けていく身体を克哉に抱きしめられた。克哉は耳元に口を寄せた。
「おやすみ、孝典。……そして、さようなら」
 囁かれた言葉に何か返事をしようとおもったが、それさえも出来ずに意識が深いところに沈んでいった。


 朝日が差し込み、光に満ちる部屋の中で御堂は目を覚ました。
 なぜ、ホテルの部屋にいるのか、目を瞬かせて部屋の中を見渡した。
 スランプ続きだった日々の気分転換にホテルに泊まったのだろうか。確かに、昨日までの憂鬱な気持ちはどこかに消え去って、心は軽く気持ちは晴れやかだ。
 御堂は何も疑問に思わず起きてシャワーを浴びようとバスルームに向かった。その時、不意に腕に包帯が巻かれていることに気が付いた。
 この包帯の下には切り傷があったはずだ。記憶にとどめぬほどの些細な理由で作ってしまった切り傷が。
 だが、この包帯は誰が巻いたのだろう。丁寧に巻かれていて、自分が片手で巻いたとは思えない。
 しかし、怪訝に思ったのはほんの数秒のことで、御堂は頭を振って些末な疑問を意識の表面から拭い去った。気持ちを瞬時に切り替えると、包帯を外して捨ててバスルームに入った。
 ここ最近の御堂の不調のせいで滞っていた仕事をどう片付けるか。その段取りに頭の中が占められる。今や全てが上手くいく気がした。
 もう、心を悩ますものはないのだから。
 そう考えて、そのまま通り過ぎ去ろうとした思考を引き留めた。御堂の心をあれほど苦しめて悩ましていたものは何だったのだろう。
 だが、どれほど考えても、『それ』を思い出せなかった。

(7)
Lies and Truth(8)


――1年後

「御堂さん、これ、どうぞ。健診のお知らせです」
 執務室から出るなり、通りかかった部下の藤田に紙を渡される。それを一瞥し、御堂は、ふん、と鼻を鳴らした。
「またか。これで半日潰れる。まだ、健診に引っかかる歳でもないし、40歳までは数年に一度で十分だろう」
「お言葉ですが、昨年、御堂さん引っかかっていたじゃないですか」
 不満げに呟いた言葉に、珍しく藤田が食いついてきた。
「私が? まさか」
「それで二次健診を受けなくてはいけないって、早退していましたよ」
「そんなはずはない」
「あれ、おかしいなあ……」
 藤田が言う話に心当たりがない。だが、藤田が嘘をついてからかっているようにも思えない。藤田と御堂、お互いに困惑した視線交わした。
 御堂は小首を傾げて、たった今出てきた執務室に戻り、デスクの引き出しの奥にしまい込んであった昨年の健診結果を取り出した。
 その結果は、肝機能の異常が認められるため二次健診を受けるように指示が書かれていた。何度も見直すが、確かに御堂のものだ。
 藤田の言う通りだ。そして、自分は二次健診を受けに行ったのだろうか。
 だが、この結果も、二次健診を受けに行ったことさえ覚えていない。
 少し迷って、御堂は総務課に連絡を入れた。驚いたことに、自分は確かに二次健診を受けていた。その証拠に診断書も提出されているという。念のため、そのコピーを取り寄せた。
 診断書は会社近くの総合病院で作成されたものだった。御堂の大学時代の友人である四柳が勤めている病院でもあり、自分が二次健診を受けるために選択する病院として妥当なものだ。
 癖がある字で書き込まれた診断書には、肝機能は再検査で異常がなかったこと、来年の健診で再度異常が認められた時はもう一度診察を受けるよう、丁寧に記されている。
 文章の最後の医師の署名欄に視線が引っかかった。
「医師、さえき、かつや……」
 するりと名前が口をついて出る。その響きはどこか懐かしく、言いようのない感情が胸の奥底でごとりと動いた。その残像を掴もうと、眉間にきつく皺を寄せて、目を固く瞑った。
 何だろう、この感覚は。
 ハッと気が付いて御堂は自分の鞄の中を漁った。一枚のきれいに折りたたまれたハンカチを取り出す。そのハンカチにはKの一文字が刺繍されている。
 一年ほど前、クリーニングから御堂の元に戻ってきたハンカチだ。自分のハンカチではなく、クリーニングに出した覚えもなかったが、確かに御堂が出したという。そう言われれば、借りたハンカチを誰かに返さねばと思ったような記憶もあり、ただそれが誰だったのか思い出せずに、ずっと鞄にしまいっ放しだったのだ。このイニシャルのKは克哉のKではないのだろうか。何の根拠もないが、自分の直観は的を射ているがした。
「かつや……佐伯、克哉」
 もう一度、その名を口の中で復唱した。次の瞬間、脳の奥がズキン、と痺れた。瞼の裏にレンズの向こうの淡い虹彩が煌く。白衣を着た男の残像が過った。
「……っ!」
 五感が消失し、すべての感覚が内側に向く。呼吸が狂おしい感情に搦めとられたように乱れて荒れる。心臓が破裂しそうなほど、脈打ち出した。
 目の前に何かの情景がフラッシュのように光っては消える。
 走馬灯のように脳内を走り去る映像を必死に掴み取った。そう。これが、抜け落ちていた記憶だ。
 診断書を掴んでいた手がぶるぶると震えた。
 御堂は弾かれたようにデスクの上の電話を取った。外線番号を押して、診断書に書かれている病院の電話番号の数字を押していく、震える指先が思うように動かずもどかしい。
 番号を押し終えると、すぐにコールが鳴り出した。数コールで取次ぎの女性が出て病院名を名乗った。カラカラになった喉で声を絞り出す。受話器を握りしめる手に力がこもった。
「佐伯医師を、お願いします」
 逸る胸を無理やり抑える。だが、取次ぎの女性は思わぬことを口にした。
『佐伯と言う名の医師は当院にはおりません』
「まさか……」
 混乱して、電話口で言葉を詰まらせた。診断書の日付はおよそ一年前だ。異動があったとしてもおかしくない。
 御堂の沈黙に、受話器の向こうの女性が訝しむ気配が伝わってくる。
 どうすればいい?
 混乱に電話を切ろうとした寸前、友人の存在が頭に浮かんだ。四柳への取次ぎを依頼する。そちらはすんなりとつながった。
『どうした、御堂? 久しぶりだな』
 落ち着いた深みのある声が受話器から響く。その声に気持ちを落ち着けつつ、前置きを省いて本題を切り出した。
「佐伯医師はそちらにはいないのか?」
『佐伯君…? ああ、彼は昨年、この病院を辞めたよ』
「辞めた?」
『詳しい理由は分からないけど、婚約も破棄してね。急な退職だった』
 次々と記憶が鮮やかに蘇る。その記憶に酔いそうになりながら、必死に意識を保つ。
「……それで、彼はどこに行った?」
『渡米したよ』
「アメリカに……?」
 愕然と呟いた言葉は舌がもつれて不明瞭になった。


◇◇◇◇


 シカゴの夕日がガラス一面のビルに反射してきらきらと輝く。
 その煌きに目を細めながら、克哉は病院の玄関で、亡くなった患者が自宅に運ばれるのを見送った。
 アメリカ随一の商業都市であるシカゴは、数多くの企業が集まる。どこもかしこも高層ビルが立ち並び、空が覆いつくされるのではないかと思うくらいだ。
 ここ数年、シカゴは医療関連の企業が大企業からベンチャーまで乱立し、新薬を始めとした医療技術の開発が盛んだ。
 シカゴのビジネス都市として洗練された雰囲気と、しのぎを削る競争が活発行われている環境を克哉は気に入っていた。克哉が勤める病院も街の雰囲気をそのまま反映している。入職してから休む間もなく働いているが、何も考える間もないほど忙しい方が、今の克哉にとってはかえって心地いい。
「ドクター佐伯、今までありがとうございました」
 患者の家族に取り囲まれて代わる代わる挨拶をされる。亡くなった患者は高齢男性であり、親戚一同集まればかなりの数になる。
「こちらこそ、最期まで主治医としてお付き合い出来て光栄でした。至らぬところも多かったと思いますが」
「とんでもない。あなたが主治医で、祖父は幸せでした。もうどうにもならない、と言われたのに、最期まで手を尽くしていただいて」
 家族一人一人とハグを交わす。患者の妻である高齢女性が克哉をひと際強く抱きしめた。
「私も、死ぬ時はあなたに看取って欲しいわ、ドクター」
「それはまた随分と先の話ですね。その時まで俺が現役でしたら喜んで」
 克哉が冗談めかして返した言葉に一同が沸いた。
 家族が亡くなった寂しさがある一方で、皆の表情は悲しみに打ちひしがれていない。患者も家族も思い残すことのない最期の日々を過ごせたのだ。
 今まで克哉が無駄だと切り捨ててきた、亡くなるまでの僅かな時間。その時間でさえ、患者と家族にとってはかけがえのない大切な時間なのだ。患者の命は医師のものではなく、患者と家族のものだ。今なら、四柳に言われた言葉の意味を理解できる。
 オレンジ色の光が人も景色も等しく染め上げていく。アメリカでも変わらぬ黄昏の景色に克哉が捨てた日本の光景が脳裏に蘇った。同時に、一人の男の記憶が胸に差し込む。
――御堂。
 その名を心の裡で小さく呟く。
 克哉が愛した御堂は依然として日本にいるのに、克哉を愛した御堂はもういない。克哉との過去とともに消え去った。
 それを想うたびに胸が切り裂かれそうになる。これは、克哉が一生負うべき罪と罰だ。
 職場を逃げるように辞めて、医師という職業も捨てようと思ったが、もう一度だけ、一からやり直してみようとアメリカに渡った。ここには克哉を必要としてくれる人がいる。それだけが心の支えだ。
 名残惜しく別れを告げる家族を見送ると、背後から看護師に声をかけられた。
「ドクター佐伯! 診察希望の患者が来院しています」
「こんな時間に診察希望? 急病か?」
「いえ、先ほどシカゴに到着したそうですよ。日本人で、日本人の医師を希望しているようです。それほど具合悪そうでもないですし……改めて予約を取るよう、断りましょうか」
「旅行者かな? いいですよ。俺が診ます。見知らぬ土地に来てすぐに体調を崩すのは可哀想だ」
「ドクター佐伯は人がいいですね。出張でこちらに来られているそうですよ。……こちら、診察室の鍵です。終わったら消灯と戸締りお願いします」
 看護師が笑いかけながら、診察室の鍵を投げて寄越した。それを片手で受け止めて、診察室へと向かう。病院の診察時間はとうに終わっている。普通ならば断わるところだが、病院へ来るとはよっぽどのことなのだろう。渡米してからはどんな小さな訴えも無視せず、患者と向き合うように心掛けている。
 診察室の鍵を開けて、電気をつける。まっさらなカルテを取り出して、待合にいるという患者を呼んだ。
「お待たせしました。どうぞお入りください」
「失礼します」
 聞き覚えのある響きの声とともに診察室の扉を開いて入ってきた人物に視線が釘付けになった。瞳孔が開き切り、心臓が早鐘を打ち出す。診察表にクリップで付けられたパスポートのコピーを横目で確認する。間違いない。本人だ。
「初めまして。医師の佐伯です」
「……」
 努めて平静を装って挨拶をする。冷たく整った容貌の切れ長な眸が、克哉を値踏みするように眇められた。
 その姿に、一年前、御堂と診察室で初めて向き合った情景が脳裏に鮮やかに蘇った。あの時も、鮮烈な高慢さと冷ややかさを兼ね備えていた。思えば、あの瞬間から惹きつけられていたのだろう。
 御堂は診察室の入口に突っ立ったまま、診察室に入るのを躊躇っている。確か、初対面の時、御堂は克哉の若さに不満を漏らしていた。それを思い出して懐かしさに目を細めた。
 椅子を勧めつつ、口を開いた。
「もし、私の診察に不安があるようでしたら、別の医師に代わりますが」
「いや、いい」
 御堂は一言返して診察室に足を踏み入れ、克哉の目の前に座った。その眸はじっと克哉を伺っている。
 今の御堂と克哉は他人同士だ。不自然な対応があってはいけない。慎重に、心の中の動揺を消して、端正な笑みを浮かべた。
「それで、どうされました?」
 御堂は大きな息を一つ吐いた。整った容貌が怜悧さを増す。
「……随分と、他人行儀なんだな、佐伯克哉。お前を追いかけてここまで来たというのに」
 全てを見透かす強い眼差しが克哉を射抜いてくる。息を呑んだ。
「御堂……お前、まさか記憶が……」
「ああ」
 端的に返された言葉に、御堂が何を考えているのか窺い知ることは出来なかった。
 いつか、こんな日が来るかもしれないと予期していた。
 克哉がいくら記憶を消しても、あった出来事をなかったことには出来ない。
 踏みにじられた愛情は反転すれば深い憎しみになる。人の感情の襞に付け込んで、弄んだ報いを受ける覚悟は出来ている。
 強張りかけた表情を緩めて、作りものの笑みを保つ。
 御堂は表情を消したまま言葉を継いだ。
「何故、こんなところにいるんだ?」
「……あんたは俺の記憶を消すことを望んだ。だから、俺もあんたの近くから消えた方がいいと思った」
「私のためだというのか」
「あの時のあんたの気持ちを汲んだつもりだった」
 御堂が冷ややかな光をその目に宿した。
「私がこの一年間、どう過ごしていたか知っているか?」
「いいや……」
「君に記憶を消されてから、私は何の疑問も覚えずに、今まで通り日々仕事に打ち込んで業績も上げてきた。全てが順調だったよ」
「……」
 何と答えるべきか分からず、黙ったままでいると御堂は手元の鞄から一枚のハンカチを取り出して、克哉の目の前のデスクに置いた。それを手に取る。アイロンがかけられてきれいに折りたたまれたハンカチは自分のものだ。御堂は唇の端を吊り上げた。
「ヤブ医者め。詰めが甘いんだ。あちらこちらに自分の手がかりを残して置くとはな。おかげで、君のことを思い出してしまってから、何もかも手がつかなくなった。君の行方を捜すのに必死だった」
 自嘲と共に語られる言葉にどんな感情が含有されているのか読み取ることが出来ない。克哉は我慢しきれず口を開いた。
「何をしにここまで来た。俺に復讐しにきたのか?」
「そう思うのか?」
「あんたは俺に復讐する理由がある。それとも、また、記憶を消して欲しいのか?」
「どこまでも馬鹿だな、君は」
 御堂がすっと椅子から立ち上がった。身体の脇で握りしめられた拳は細かく震えている。
 その両手が克哉の白衣の襟にかかった。そのまま、強い力でぐいと引き寄せられて、克哉は椅子からよろめいて立ち上がった。
 殴られるのか、それ以上のことをされるのか。
 どちらにしろ、克哉に拒絶する権利はない。静かに目を閉じた。
 次の瞬間、重みを感じたのは唇だった。唇が唇に押し潰される。驚いて目を瞠れば、御堂の顔が目の前にあった。
「探したぞ、佐伯。私を捨てて、こんなところに逃げるとはな」
 その目が可笑しそうに笑っている。その顔に憎しみの残滓はなく、克哉と出会えた喜びに染まっている。
 驚きに目を瞠った。目の前にいる御堂は“どの”御堂なのだろうか。
「御堂、お前、本当に記憶が戻っているのか?」
「ああ、何もかも思い出した。君と初めて出会った時のことも」
「……俺のことが憎くないのか?」
「君を憎む気持ちは否定しない」
 当時のことを思い出したのか御堂の顔に翳りが差した。
「それなら何故?」
「言っただろう。全てを思い出したと。君を憎んだ気持ちも、愛おしく思った気持ちも全てを思い出したんだ。そして、君を愛おしく思った気持ちが何よりも勝った」
「あんたは、それでいいのか?」
「だから、ここまで来た。それとも、君は、この私はやはり本物の私でないと否定するのか」
「……いいや、あんたはあんただ」
 目の前の御堂をじっと窺う。しなやかな強さと凛とした美しさを持つ目の前の人物は、克哉が愛する御堂、その人だ。
 人の心を覗き込むことは出来ない。御堂の心が実際のところ、どこに在るのか克哉には分らない。一年前、克哉は御堂に催眠をかけた。それは効いているように思えた。だが、克哉がかけた催眠がどれほど効いて、どこまで御堂の意思に影響を及ぼしたのか結局のところ分かりはしない。
 克哉を侮蔑した御堂も、克哉を愛した御堂も、どちらも御堂であることには変わりないのだ。嘘か真実かは、本当のところ、重要ではない。大切なのは、それを自分が信じられるかどうかだ。
 一年前の自分は最後まで臆病だった。御堂の言葉と気持ちを受け止めることが出来ずに、御堂の記憶を消して逃げたのだ。
 だが、御堂は克哉を追いかけてきた。だとしたら、答えは既に決まっている。
 克哉は御堂を愛し、御堂は克哉を愛している。それが二人の真実だ。
 克哉の言葉に御堂の眸が微笑んだ。
「これ以上、君に弄ばれるのはごめんだ。責任を取れ」
「いつだって、その覚悟は出来ているさ」
 言葉とともに唇を押し付ける。御堂は唇を薄く開いて克哉のキスを受け止めた
 抱き合ってキスを交わす。深くかみ合わせて、貪るほど強く。
 克哉の指が御堂の喉元をたどって、ネクタイのノットとへとたどり着いた。ネクタイを緩めて喉元を寛げると、キスをずらして、喉に唇を強く押し当てた。御堂はくうっと喉を反った。
 キスを交わしあいながら、服を脱がしていくと、御堂の指が白衣のボタンにかかった。長い指がボタンを一つ一つ外していくのを好きにさせながら、御堂の胸元にキスを落とした。
 キスを下に降ろしながら、膝を折って、克哉は床に両膝をついた。御堂のスラックスのジッパーに唇を押し付けると、そこは硬く張っている。ジッパーに沿って舌で舐め上げると、御堂が克哉の意図を察して、羞恥に腰を引こうとした。その腰を背後に回した手で押さえつけて、ベルトの金具に手をかけてベルトを外し、ズボンのホックを外す。
 眸を潤ませながら見下ろす御堂を煽る視線で見返しながら、ジッパーの金具を前歯で噛んだ。ゆっくりと引き下げると、ジッパーの間から張り詰めた下着の布地がせりだしてくる。
 先端の部分の布が色濃く滲んで張り付いている。そこを唇で挟んで布ごと舐め上げると、御堂の両足が細かく引き攣れた。
「佐伯……っ」
 喘ぐような言葉には甘い息が混じる。
 両手を下着にかけて、膝までずり降ろした。勃ち上がっていた性器が弾むように外に飛び出した。ペニスを口に含んで、裏筋を尖らせた舌で辿って先端の小孔を舌先でくすぐる。亀頭を舌で包み込んで転がすように舐めしゃぶる。唾液で濡れそぼったペニスが口の中でビクビクと震えた。
 唇の端から零れた唾液がペニスの茎を伝って滴り落ちていく。それを指で拭うと、双丘の窄まりに指を伸ばした。乾いた襞をなぞって濡らし、揉みこんでほぐしていく。口を絞めてペニスを口内の粘膜で擦りつつ、唇から出し挿れするたびに、窄まりがヒクつく。
 前と後ろを同時に責められて、先端から潮気を感じる液体が次から次にあふれだす。口の中で限界まで漲ったペニスの根元を指で戒めながら、口を外した。切ない声が漏れた。
「……っ、あ」
「このままイきたい? それとも、俺に貫かれながらイきたい?」
 しれっとした口調で聞くと、御堂は眦を朱に染めて睨み付けてきた。悔しそうな顔を見せる。
「君は、意地が悪いな……っ」
「とうに知っているだろう? どちらがいい?」
 笑いながらペニスの先端にキスを落として、チュッと音を立てて吸い上げた。御堂の息が淫らに弾む。
「君と、一緒に、イきたい」
「ご希望通りに」
 克哉は満足げに微笑んだ。下着をまとめて片足から抜き去ると、自分の前を寛げて椅子に座り、御堂の腰を引き寄せた。身体を支えながら、位置を合わせる。
 ゆっくりと突き上げると同時に、御堂の腰を落とさせる。自らのモノが徐々に自重で熱い体内に呑み込まれていく。
 張り出した亀頭を受け入れる苦しさに御堂が喘いだ。
「く、う……っ、ああっ!!」
「きついな。使ってなかったのか」
「当たり……前だっ、うっ、く、……君に抱かれたことさえ、忘れていたんだから」
「そうだったな」
 恨みがましく言われた言葉に苦笑しつつ、「御堂」と名前を呼んだ。きつく寄せられていた眉根のままの顔を引き寄せる。誘うように、下唇に唇を合わせてちろりと舐め上げると、御堂自ら唇をかみ合わせてくる。キスを深めながら、腰を軽く揺すった。
「んっ、く……、ううっ!」
 時間をかけながら根元まで呑み込ませる。御堂の粘膜が克哉の形に押し広げられた。細やかな襞が克哉のペニスを包み込んで絡みついた。圧迫感に御堂が喉を震わせて、肩で呼吸をする。だが、呼吸に混ざる声から、感じているのは苦痛だけではないことが分かる。その快楽を後押ししてやるように、腰をリズミカルに突き上げながら、前に指を絡めて擦りあげた。
「ふ、はっ、あ、くあっ! か、つや」
「……御堂っ!」
 こみ上げる愉悦に御堂が、身体を大きくしならせた。
 椅子が軋み、バランスを崩した御堂が背後に倒れそうになるのを、力強く腰を抱き寄せた。御堂も克哉の首に両手を回して縋りつく。お互いに強く抱き着く格好になり、束の間、顔を見合わせ、共に相好を崩した。弧を描く唇を重ね合わせる。身体の二か所を深く繋ぎながら互いに高めあう。
 合わせた唇の間から、御堂の喘ぎが響いて、御堂の限界が近いことを知る。せり上がる劣情に、腰を激しく揺すり、きつく締まる中を強く突き上げた。
「く、あ、あああっ!」
 体を大きく波打たせて、御堂は果てた。御堂のペニスを挟む下腹部がぐっしょりと熱く濡れた。身体の中が大きく引き絞られる。それに誘発されるように絶頂の余韻に沈み込もうとする身体を深く穿って、熱く爛れた最奥に重たい液体を注ぎ込んだ。
 うっすらと汗を刷いた身体がしなだれかかってくる。それを全身で受け止めた。
 耳元に口を寄せる。
「孝典さん、愛しています」
 その言葉を躊躇いなく心から告げられる喜びに浸る。御堂も眦を緩めた。
「私も、君を愛している。克哉」
 返される言葉に微笑んで、再び腰を揺すった。御堂が小さく悲鳴を上げてしがみついてくる。
「ぁっ、……あっ」
「まだまだ全然足りない」
「佐伯……っ!」
 汗に濡れた体を抱きしめながら、小刻みに突き上げる。御堂のペニスもすぐに芯を持ち出した。絶頂後の余韻を新たな絶頂への予感に塗り替えていく。
 互いに分かち合う快楽に目を細めながら、唇を交わして幸福を貪りあった。

(8)

◇◇◇◇


「忙しいのに、わざわざ見送りまで。別にいいのに」
 一週間の出張を終えて、シカゴ・オヘア国際空港に御堂と克哉はいた。
 ハブ空港として使われるだけあって、巨大な空港には大勢の人々が忙しそうに行き交う。スーツ姿の御堂が振り向けば、御堂のスーツケースを転がしながら克哉が笑みを返した。
「この時間を捻出するために忙しく働いていたんだ。誰にも文句は言わせない」
 そう言う克哉の笑みが、共に過ごした1週間の間に見せた笑みと比べて、幾分ぎこちないのは気のせいだろうか。
 フライトの電光掲示板を見ながら克哉が呟いた。
「成田まで12時間か。長いな」
「いや、トランジットがないから楽だ。羽田への直行便があれば言うことなしだが」
「ビジネスクラスのご身分だしな」
「ああ。フルフラットシートで機内ではゆっくり過ごすさ」
「それなら、昨晩は腰が立たなくなるくらい抱いておけばよかったな。手加減するんじゃなかった」
「馬鹿を言うなっ」
 真っ赤になりながら、肘で克哉のわき腹を突こうとすると、克哉が素早い動きで攻撃を避けた。
 お互い顔を見合わせ笑いあう。ひとしきり笑うと、克哉は表情をふっと戻した。
「荷物、預けてくるか?」
「それくらい私がやる」
 克哉からスーツケースを受け取って、荷物を預け入れる。ビジネスクラス専用のカウンターに列はなく手続きはすぐに終わった。
 御堂が荷物を預ける間、ロビーの片隅で克哉はじっと御堂の一挙手一投足を見守っている。
 彼らしくない態度で無理に明るく振る舞うのも、その裏の寂しさや不安を悟らせまいと努力しているのだろう。
 荷物を預けて克哉の元に歩みを寄せた。
「佐伯、休暇はあるのか?」
「やりくりすればクリスマス休暇は少しくらいとれるかもしれない」
「お互い仕事があるし、仕方ないな」
「もう、日本には戻る気はなかったんだが。……戻りたくなったな」
「日本の仕事を中途半端に放り出してきたんだろう? ここでの仕事を責任もってやり遂げろ」
「厳しいこと言うんだな」
「当たり前だ。帰国するのは、請われて戻る実力を兼ね備えてからだ」
 思わず本音をこぼした克哉を厳しく叱咤する。年長者として、そして恋人として、甘やかすべきか諭すべきか悩むが、克哉はこの場所で大きく飛躍しようとしている。ならば、その背中を後押ししてやりたい。
 克哉は御堂の言葉に、すぐに自信に満ちた笑みを返した。
「当然そのつもりだ。せいぜい腕を磨いて、高く売りつけるさ」
 それは一年先か、二年先か。いや、もっと年数がかかるのかもしれない。
 相応の実力を身に着けるには、アメリカでただ勤務していればいいというものではない。激しい競争と努力が必要だろう。
 それでも克哉は強気の表情を見せる。
 彼ならやり遂げるだろう。御堂の目に狂いはない。
 御堂がシカゴに滞在した一週間、互いの勤務の合間を縫って一秒でも長く共に過ごした。それはとても濃密な時間で、心と体を重ねつつも真正面からぶつかり合った。甘い愛の言葉を交わすだけでなく、激しい喧嘩もした。
 一年前とは異なる眼差しと角度で相手を見詰め直す。克哉も御堂が一年前の、克哉に服従するだけの御堂とは異なっていることに気付いたはずだ。御堂も、克哉の成長を直に感じ取っている。かつて御堂を徹底的に貶めた克哉はもういない。その眼差しも指先も御堂を愛おしむためだけに使われている。そしてまた、克哉に溺れきった自分ももういない。正確にはどちらも消え去ったのではない。かつての自分自身として、今の自分の中に含有されているのだ。
 人の心は頑強ではなく移ろいやすいものだ。だからこそ、簡単に操られてしまうのかもしれない。しかし、一方でその柔軟性があるからこそ成長することが出来る。操ることは出来ても操り続けることは不可能だ。変化は決して厭うものではない。
 二人してまどろっこしいほどの速度で歩いていく。一歩一歩別れが近づいてくる。それが一時的なものにすぎないとしても、切ない感情がこみ上げてきてその時間を少しでも長く遠ざけようとしてしまう。
 目の前には搭乗口。ここから先には乗客のみしか入れない。足を止めて、克哉が御堂に向かい合った。
「御堂……」
 克哉が何かを言いかけたとき、克哉の携帯が甲高い着信音を響き鳴らした。病院からの連絡だ。時も場所も弁えずに鳴るその着信音を御堂はこの一週間の中で何度も聞かされて覚えてしまった。
「連絡するなって言ったのに」
 克哉が舌打ちして、電話を取った。通話の相手に対して、患者の状況を瞬時に把握しつつ早口の英語で専門的な指示を飛ばしていく。
 御堂はちらりと腕時計に視線を送った。
 もうすぐ搭乗時間だ。気障な別れ方を期待していたわけではないが、湿っぽい別れは性に合わない。
 御堂は携帯を片手に握りしめてやり取りをしている克哉を置いて、搭乗口に足を踏み入れようとした。
 その時、背中に大きな声がかかった。
「孝典、愛している」
 大勢が行き交う空港の中で突然の告白に驚いて振り返った。そのほとんどは外国人のビジネスマンで、克哉の日本語を理解している者はいないだろう。事実、周りは御堂達に一瞥もくれずに搭乗口へと吸い込まれていく。それでも、真っすぐと届いた言葉に耳まで朱に染まる。
 克哉が通話中の携帯の通話口を手で押さえながら、つかつかと歩み寄って片手で御堂の胸元を掴んでぐいと引き寄せた。
 ほんのひと時、唇が重なって離れた。ぶつかる克哉のレンズ越しの眸が、悪戯っぽく笑う。
 驚きと羞恥と怒りと愛しさが混ぜこぜになって、現実感が消え失せる。
 ぽかんと克哉の顔を凝視している自分に気づいて、慌てて咳払いをして場を紛らわせた。
 克哉の唐突なキスにどう応えるべきか迷って、一番伝えるべきことを優先させた。
「私も君を愛している」
 そう眼差しを正面から返して告げる。克哉がその言葉に微笑みをこぼした。御堂も釣られて微笑む。
 その一瞬に通じ合う気持ちを確かに感じて、今度こそ体を返した。
「日本で待っていろ!」
 克哉の言葉が再び背中に投げかけられた。返事の代わりに片手だけ挙げて、別れの挨拶を済す。克哉もニヤリと笑って、通話中の携帯を耳に当てて会話を再開した。
 御堂は顔を戻して搭乗口に足を踏み入れながら、クスリと笑った。
 今回の一週間の出張の本当の目的を克哉は知らない。
 表向きは日本で開発した新製品をアメリカで展開するための打ち合わせだったが、その実はシカゴ本社への顔見せの挨拶のための出張だったのだ。
 帰国したらシカゴ本社への出向の正式な辞令が出る。
 そうなれば、一か月後には、再びシカゴだ。しかも今度の滞在は1年以上に及ぶだろう。
――教えてやるべきだったか。
 克哉の寂しそうな表情を思い出し、後悔の念が過った。
 だが、御堂は克哉に散々振り回されたのだ。ちょっとくらい振り回してやっても罪にはなるまい。
――待っていろよ、佐伯克哉。
 御堂は顔を上げた。そして、一歩前に足を踏み出す。
 その先には、二人の未来。

Lies and Truth あとがき

 皆様こんばんは。
 最後までお付き合いいただきありがとうございました。
 無事、医者パラレルも完結させることが出来ました。

 パラレルは本編をしっかり消化するまで手を付けない、と自らに誓っていたのに、8月に軍人パラレル『空の彼方』を掲載。
 今回も、Twitterで眼鏡が医者だったら、という話をしていたら勢いで書くことになりました。

 パラレル二編書いて気が付いたのですが、私は鬼畜眼鏡のストーリー、眼鏡の成長に大きな魅力を感じているようです。
 パラレルは本編に寄せてストーリー構成を考えているのですが、どちらも眼鏡が御堂さんを通じて成長していく過程がストーリー展開の大きな軸となっています。
 御堂さんが喘ぐ姿はたまらなく好きなのですが、鬼畜眼鏡にドはまりしたのは、鬼畜眼鏡が主人公の成長の物語であるってところに単なるボブゲーに収まらない壮大さと共感を得たのかなあと思います。

 今回は眼鏡が医師という設定になっています。それは、あれですね。白衣姿の眼鏡と医療器具を使ったプレイが書きたかったからですね。
 ストーリーも本編では眼鏡に徹底的に抗う凛々しい御堂さんでしたが、逆に全てを受け入れようとする健気な御堂さんの姿を見ようと、無理やり眼鏡に惚れさせられて片思いを弄ばれるという、下衆な眼鏡設定にしました。
 眼鏡が卑劣すぎて、眼鏡好きの方、本当に申し訳ないです。ですが、最後には大きく成長しますので……っ!
 ついでに全話にエロ描写を入れるという試みを行ったため、一話8000字の長さで読みづらくなってしまいました。申し訳ないです。

 今回、最強マッパ兄貴さんに挿し絵を描いてもらう都合上、プロットを事前に作成しました。空の彼方も同様に事前にプロットを作成しています。
 その上で、展開をフォロワーさんに相談したり案をもらったり励まされたりで、無事に完成することが出来ました。ワイワイ作るのも楽しいです。
 なお、最強マッパ兄貴さんに表紙絵(フルカラー)を描いてもらってますので、後ほど公開できるかと思います。ご期待ください( *´艸`)

 どうでもいいのですが、空の彼方も今作も、プロットを事前作成しているにも関わらず、今作は書きあがりまで時間がかかったのはプロットの内容に大きな差がありました。
 空の彼方はストーリー展開について会話文を中心にプロットを書いてましたが、今作のプロットはエロシーンだけ真面目に書いて、あとはおざなり……。後半に行くほどその傾向が酷く、後から見直すとプロットは言えないエロシーンの寄せ集めになってました(--;
 多分、兄貴にエロい挿し絵を書いてほしかったんですね。

​ それでは、また。

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