top of page
(1)
アンカー 1

 目の前の白い壁を眺めた。
 エンボス加工された壁紙の凹凸の一つ一つを細かく見ていく。そこに何か規則性がないか、形を見いだせないか。
 白い壁に囲まれた家具も何もない部屋。唯一ある明り取りの窓から外の景色を眺めること、壁や天井を観察すること、それ位しかこの部屋では出来ることがなかった。高層階の角部屋にあるその窓からは、空とビルしか見えず人の気配は感じられない。
 人は忘れ去られた時に死ぬ、と言ったのはドイツの詩人だっただろうか。
 そういう意味では、自分は死にかけているのだろう。
 薄暗い部屋の中で、御堂孝典は一人小さく息を吐いた。その微かな呼吸音でさえ、静寂と蒼昏い闇が支配するこの部屋では大きく響く。
 煌々と輝く高層ビル街の遠くの明かりと仄かな月明かりが窓から挿し込み、室内を青白く照らしていた。
 この部屋に閉じ込められてから2か月以上経つ。シャツ一枚羽織らされ、首輪と鎖で繋がれて。両手は身体の前で拘束されて、満足に動かすことさえできない。足は拘束されていなかったが、鎖の伸びる範囲で部屋の中を動き回ることくらいしか出来なかった。
 これでは、死んでいるのとそう変わらないのではないのだろうか。
 唯一の外とのつながりである一人の男は、同時に御堂を監禁している張本人でもあった。
 その男、佐伯克哉もここのところ御堂と関わろうとしなくなった。それでも解放されることはなく、理由も分からぬまま、ずっとこの部屋に閉じ込められている。
 克哉が御堂と関わろうとしなくなったのは、1,2週間くらい前だろうか。カレンダーも外からの情報もないので、正確な日付は分からなかった。
 閉じ込められてからずっと怒りと憎しみを克哉にぶつける御堂に対して、克哉がある日言い放ったのだ。薄暗い部屋の中でも蒼く透ける、色素の薄い眸に冷淡な光を宿しながら。
「まだ、自分の立場が分からないのか。あんたが縋る相手は俺しかいない」
「貴様こそ、いつまでこうしているつもりだっ!こんな犯罪行為、許されるわけがないっ」
「いつまで?一生だ、と言っただろう。諦めが悪いな」
 その端正で怜悧な顔は、御堂の罵声に一瞬たりとも怯むことはない。それでも御堂は日々抵抗し、怒りをぶつけた。この男に屈する気がないことを示すために。
 克哉はそんな御堂に対して、逆に煽るように御堂から奪ったものを見せつけ、言葉で貶めてくる。ところが、この日は違った。
 ふう、とわざとらしくため息をつくと、肩を竦めて見せた。
「こんなに良くしてやっているのに、いつまでも冷たくされると俺も傷つく。いいですよ。御堂さん。あんたが自ら抱いてくれ、と自分から言うまで俺はあんたに触れない」
「何を言っている…?」
 全く傷付いていない素振りの克哉は、唖然とする御堂を愉しげに見つめた。
――何を考えているのだ?この男は。
 御堂はこの男に自ら望んで抱かれたことなどなかった。最初からこの関係は無理やり強制されたものだった。
 薬と拘束で無理やり身体を開かされ、それを録画された。その後もその映像をネタに、ローターやバイブなど様々な性具で脅迫され快楽を引き摺りだされて、達することを強要された。そして、監禁され、仕事も立場も私生活も全て奪われて、今この場にいる。
 憎悪と怒りしか感じないこの男に自分から縋ることなどありえなかった。力づくでねじ伏せられ、強制的に喘がされているのを自ら悦んで抱かれているとでも思っているのだろうか。
 この男は、なんという傲慢な勘違いをしているのだろう。
 怒りに顔が赤くなり、身体が震えた。克哉はフッと口角を上げて笑みを作り、そんな御堂を背に部屋の扉を閉めた。
 そして、その日以来、言葉通り克哉は御堂に一切手を出さなくなった。
 それは同時に、御堂を取り巻く環境が大きく変わることを意味した。
 元々、監禁された当初から、克哉は抱くときと嬲るとき以外、御堂を不必要に触れることはなかった。移動させるときは首輪に繋がれた鎖を引く。身体的な暴力を振るわれたこともなかった。そして、今、誰も御堂を触れることはなくなった。
 今までは日々抱かれていたこともあって、寝るのはそのまま寝室のベッドの上だったが、今では食事や排泄、入浴以外部屋から出されることはない。それまでは日中しか閉じ込められなかった狭い部屋にマットと毛布が与えられ、ほぼ一日中閉じ込められるようになった。克哉も必要最低限しかその部屋に訪れることはしない。

 初めの一日二日はなんとも感じなかったが、すぐに閉塞感と圧迫感を感じるようになった。
 瞼を開けば嫌でも白い壁と天井が目に入る。そして、深い孤独。あの克哉でさえ自分の孤独を紛らわすためには重要な存在だったことに気付いた。
 克哉が家にいる間は、克哉が生み出す生活音にひたすら耳を澄ます。この世界に自分以外の人間が存在することを確かめるがごとく。克哉がいる夜よりも、誰もいない昼の方が耐え難かった。
 スキーでホワイトアウト(雪酔い)と言われる状態があるらしい。吹雪により視界が一面真っ白になった時に自分の位置を見失う状態だそうだ。
 白い壁、白い天井に囲まれて、自分の存在を見失う。まさに今の御堂自身の状態だった。
 壁や天井が自分自身を圧迫し押しつぶそうと迫ってくる錯覚に襲われた。目を閉じて蹲り、身を縮こませ、自身の鼓動と呼吸音に耳を澄まして自分の存在を確かめる。息が苦しい。真っ白な世界に溺れそうだった。
 こうなって初めて気付いた。克哉は今の状態の御堂にとって、自分自身の存在を維持するための座標だった。克哉にこのまま見捨てられたら、この白いだけの世界に自分を見失い、狂気の世界に取り込まれるだろう。
 自分を呑みこもうとする部屋から逃れようと御堂は扉に向かった。だが、手に付けられた拘束と首輪につけられた鎖があと一歩のところで、ドアノブを掴むのを阻む。
「佐伯、助けてくれ!佐伯っ!」
 克哉がいないことは分かっていたが、扉に向かって、何度も何度も絶叫した。気付けば意識を失っていた。

「御堂さん」
 部屋の扉の音が開かれて、声をかけられる。茫然自失状態だったが、うつろに瞬きを繰り返すうちに次第に周囲の輪郭がはっきりした。
 克哉が帰ってきたのだ。それだけで不安と恐怖に苛まされていた心に、一時的に安らぎが訪れる。
 御堂はぼんやりとした目で克哉を見上げた。
「どうしたんですか?今日は珍しく静かですね」
 揶揄する言葉に反論する気力はなかった。促されるまま部屋の外に自ら進んで出た。
 部屋から一歩出るだけで、空気の層が変わるのを感じる。部屋の中は淀んでいた。
 食欲はなかったが、与えられた食事を時間をかけて口の中に押し込む。克哉は何の表情も浮かべず、声もかけず、御堂の食事風景をただ見つめていた。
 食後、シャワーを浴びせられる。そして、その後は、再びあの部屋へ戻されるのだろう。
 新しいシャツを着せられ、両手を身体の前で拘束され首輪の鎖を引かれた。
 もう我慢の限界だった。
 御堂は不自由な両手で自分の首輪を掴み、抗った。
 ずっと閉じ込められていたせいで、筋力も体力も弱っていた。それでも精一杯の抵抗を示す。
 また無駄な抵抗を、と薄い笑みを浮かべた克哉に向かって、御堂は思い切り声を荒げた。
「もう、いい加減、解放してくれ。君は十分満足しただろう。私から全てを奪って、貶めて」
「また、その話か。俺はあんたを解放する気はない。あんたは一生俺に飼われるんだ」
 やれやれ、と克哉の顔から呆れたように嗤笑が漏れる。二人の間で既に数えきれないほど繰り返された会話だ。
――本気なのか。この男は。私を飼う、だと?
 御堂が監禁されてから、抵抗らしい抵抗は出来ずに、毎日のように組み敷かれて身体を好きに弄ばれている。
 それでも克哉が満足しないのは、御堂に対して、飼い犬が主に示すような無条件の心からの服従を求めていることに気が付いていた。そして、克哉はそれを飽きることなく本気で御堂に要求している。しかし、それは人としての尊厳を捨てることと同義だ。
 呻き声とともに言葉が漏れた。
「なぜ、私なんだ…。なぜ…」
「あんたに興味がある。俺の足元で這いつくばって喘ぐあんたを見てみたい」
 克哉が睨(ね)めつけるように御堂の足元から頭まで視線を滑らす。その視線から逃れようと、御堂は後退りして背を向けようとした。
 苛立つように、克哉が鎖を引っ張った。それを足を踏みしめて抗った。ちっ、と克哉の舌うちが聞こえた。
「これ以上抵抗するなら、もうあの部屋から出さない。食事も排泄も全て部屋の中で済ませろ」
――あの部屋に永遠に閉じ込められる…?
 それを一瞬想像するだけでも恐怖が御堂の全身を包み浸食していく。あの部屋に戻らなければ、ずっと閉じ込められる。だが、あの部屋には戻りたくない。
 心も体もあの部屋に戻る事を拒絶していた。首輪を押さえる手が細かく震える。足に力が入らず、その場に膝が崩れた。筋肉を失った脛が硬い床に圧迫され鈍く痛む。
 この男は口にしたことを必ず実行するであろうことは身に染みて分かっていた。そして、尚且つ、御堂の生殺与奪の権を握っている。
 もう、全てを撥ねつける気力もプライドも残されていなかった。選択肢は残されていなかった。狂気に世界に捉われるか、克哉の支配に屈するか、その二択しか残されていない
 悔しさに歯噛みしつつ、自分自身を無理やり抑え、懇願するように克哉を見上げた。
「佐伯…せめて、…せめてあの部屋から出してくれ。お前のいう事を聞くから。…何でも聞くから」 
 御堂を見下ろす眼鏡の奥の無機質な双眸が一瞬見開かれたが、すぐに冷たい光を湛えて眇められた。
「俺と取引をするつもりなのか?」
 その声音は侮蔑の響きが込められていた。口角をわずかに吊り上げながら、克哉は御堂の前に屈みこんだ。
「取引に値する何かがあなたに残されているんですか?地位も名誉も、何もかも、俺が全て奪ったというのに?この身体さえも、俺のものだ」
 克哉の指が、つう、と御堂の頬から顎の下までをなぞり、俯きかけた御堂の顔を上げさせる。
 屈辱を呼び起こすだけのそのわずかな接触でさえ、御堂にとっては久しくなかった他人との触れ合いだった。無意識に克哉の指を視線で追ってしまう。
「どこに、飼い犬と取引をする飼い主がいるんだ?まだ、あんたは自分の立場が分からないのか」
 そう冷たく言い放つと、克哉は御堂からさっと手を離し立ち上がり、背を向けて鎖を強く引っ張った。
――取引にさえ値しない。
 その言葉の衝撃に、全身の力が抜け、鎖に引きずられ廊下に前のめりに上体が倒れた。
 冷たい床板から肌を通じて体温を奪われていく。
「お願いだ!待ってくれ、佐伯」
 その言葉は懇願と言うより既に悲鳴だった。克哉はゆっくりと振り向く。
 言うべき言葉は分かっていた。自分に最後に残された道だ。
 身体を捩ってわずかに上半身を起こし、掠れて切れ切れになる声を必死に絞り出した。
「佐伯、…抱いて…くれ。私を、抱いてくれ」
 全てを自ら差し出して、この男に縋るしかなかった。
 克哉に抱かれることで、あの部屋から出してもらえるという保証はない。それでも、一時の安らぎを求めた。先の未来に希望は持たない。今だけの悦びを得ればいい。
 克哉の顔に高揚感に満ちた愉悦の笑みが浮かぶ。勝利を踏みしめるかのように、ゆっくりと一歩ずつ御堂に近づき、その顔を覗き込むように御堂の前に膝をついて深く屈みこんだ。
「いい子だ」
 言いつけを守った小さい子を優しく褒めるように、御堂の頭を撫で甘く柔らかい声をかける。
 髪を梳かれ頭を撫でられる感触に双眸から涙が溢れた。
 その涙は絶望でも、屈辱でも、悲嘆の涙でもなかった。安堵のために流れた涙だった。それは陶酔感にも似た感情だった。
 眦から頬に伝った涙をそっと克哉が指で拭った。その指が触れたところから、細やかな刺激が全身に広がって身体が微かに震えた。
――もっと触ってほしい、強く抱きしめてほしい。
「おいで」
 克哉から投げかけられた艶のあるその一言に促され、抗うことなく御堂はふらふらと立ち上がり、克哉の後に付き従った。

(2)

 御堂は寝室に連れてこられた。ベッドの上に乗るように促され、大人しく従った。
 首輪についた鎖をベッドのヘッドボードにつなげられ、手の拘束を外されシャツを脱がされた。ベッドの上に座らされ、足を広げさせられる。余すところなく克哉の目の前に下半身がさらけ出された。
 克哉の視線を感じるだけで、御堂のペニスは質量を増して頭をもたげてきた。
「見られるだけで感じるのか。相当溜まっていたんだな」
 克哉はククっと喉を鳴らして笑う。羞恥に顔が赤くなり、開いた下肢が震える。その屈辱に耐えようと、ベッドの上に置いた手でシーツをきつく掴んだ。
 克哉は触ってこようとしなかった。克哉の視線が全身をじっくり検分するように突き刺さる。
 ペニスは萎えるどころか、どんどん張りつめていった。俯いた視界の中にそれが目に入り、思わず目を閉じた。
「ねえ、御堂さん。自慰してくださいよ。俺の目の前で」
「…っ!!」
 その一言に身体が強張った。思わず顔を上げて克哉の顔を伺う。その顔は笑みを浮かべていたが、その双眸は無機質な光を湛え御堂を見据えている。
 克哉は試しているのだ。抱いてほしいと御堂自ら哀願したその言葉と決意が本物かどうかを。
――なぜ今更ためらう必要がある?
 自分の中にわずかに残っていたわだかまりを振り捨てて、自らの性器に怖々と右手を伸ばした。
「くうっ…」
 自らの指がペニスに触れた瞬間に得も言われぬ疼きが電撃のように走った。わずかに開いていた口から喘ぎ声が漏れそうになり、必死に喉の奥に封じ込めた。
 克哉の軽蔑に満ちた視線を感じながら、ぎこちなく指を動かす。
「やり方を知らないわけじゃないでしょう」
 その稚拙な指使いに克哉の嘲笑が響く。恥辱に涙がにじんだ。それでも、自分の性器は敏感に反応し、先端から粘液が溢れだしてくる。
「そうだ、記念に撮っておきましょうか」
 克哉がベッドサイドテーブルの引き出しから、小型のデジタルビデオカメラを取り出した。液晶ディスプレイを開き、スイッチを押す。赤いランプが光った。
「よせっ!」
 慌ててレンズから顔を背けた。カメラに映らぬよう、反射的に足を閉じる。
「やめますか。それでもいいですよ」
 克哉は平然とした顔で、カメラのスイッチを切り、それをゆっくりとベッドに置いた。
「あんたが望まない限りは、俺はあんたを抱かないと約束したしな」
「あ……」
 克哉は御堂から興味を失ったように、ふい、と顔を背ける。
 その素振りが御堂の焦燥や不安を引き出すための態度だということも分かっていた。それでも、プライドを盾に拒否するだけの気力は残されてなかった。
 初めて抱かれた時にも録画されたが、その後も何度も録画されていた。
 監禁されてからも無理やり抱かれる度に、日記を付けるがごとくビデオで記録されていた。
 無様な格好で自慰行為を録画されることは初めてだったが、今までの御堂の痴態を写した録画の内容と何ら変わりはないだろう。そう自ら言い聞かせて、きつく目を閉じた。
「…好きにすればいい」
「録画しても?」
「ああ」
 覚悟を決め、克哉と自分に向けられたレンズの前で足を開いて、自慰を再開した。雑念を振り払い、自分の指が絡むペニスに意識を集中する。自然と顔が俯くたびに、克哉に顔を上げろと言われ、レンズの方に顔を向かされた。
 しばらく抱かれなかった反動だろうか、それとも視姦されビデオに撮られているという異様な状況がそうさせるのだろうか、意識せずともペニスは右手の中で硬く張りつめ弾けそうなくらい質量を増す。先走りが大量に溢れ、指の間を伝って滴っていく。左手でシーツを一層強く掴み、奥歯を強く噛みしめた。
「……くぅっ」
 その瞬間、身体が強く震えた。意識が瞬くように弾けて再び収束する。手の中のペニスが跳ねて、先端を握っていた掌に熱くたぎった欲望が吐精された。
「はぁっ…あっ…」
「よく出来ました」
 荒く息をつく御堂の元に、克哉が笑みを浮かべながらベッドに乗って近寄ってきた。
 ベッドサイドテーブルにビデオカメラを置かれた。そのレンズは相変わらず御堂を捉え、赤いランプが点灯したままだったが、そちらに気を向ける余裕はなかった。
「見せろ」
 ペニスを握ったままの手首を掴まれた。放心状態のまま、力なく手を開く。掌で受け止めた精液が濃い精臭とともにさらけ出された。
「随分ため込んでたな」
 克哉は御堂の手首を掴んだまま、もう片手の人差し指でその掌から精液をすくった。掌を強くなぞられる感覚に身震いをする。
 克哉はその人差し指を、しどけなく開いていた御堂の口の中に差し込んだ。すうっ、と舌の表面を指の腹でなぞる。精液の青臭い匂いと濃い味が口腔内に広がった。反射的にえずきそうになるが、それを必死に抑えた。
「舐めて」
 命じられるがままに克哉の指を舐める。指の腹を丁寧に舐め、爪や指の関節を舌を絡めて吸う。更にその指を深く咥えようとしたところで、さっと指を抜かれた。
 克哉が満足気に目を細めて御堂を見た。
「その顔、そそるな」
 その言葉が御堂の鼓膜を震わせて、淫らな期待と予感を呼び起こす。小さく身体が震えた。
 再び克哉が御堂の手から精液を掬い取った。今度は二本の指でたっぷりと精液を絡めて掌を拭う。
 また口の中に入れられるのだろうか。軽く閉じていた唇を薄く開いた。
 だが、その指は御堂の口元にはこなかった。そのまま開いた脚の奥、双丘の奥の窄まりをなぞった。
「あっ!」
 声が漏れ、身体が仰け反る。右手首は克哉に掴まれ固定されたまま、腰が浮きあがったところで更に手を尻の下に差し込まれ、後孔をしっかり指で捉えられた。そのまま自分の精液を後孔に擦り込まれ、ほぐされていく。
 同時に右手が引っ張られ、その掌に生暖かく濡れた感触が襲った。視線を向けると、克哉が自らの口元に御堂の掌を寄せ、舌を這わせて残された精液を舐めとられていた。克哉の尖らせた舌が掌から指間に強く丹念に這わされる。そして、先ほど御堂がしたように、御堂の指を一本一本口に含んで強く吸い上げる。
 手と後孔からどうしようもなく淫猥で濡れた音が響く。克哉がわざと音を立てるように、口と指を使っているのだ。
「あぁっ…!!やっ…はっ」
 声を抑えようと歯を噛みしめても、喉から甘い呻き声が漏れる。手指と後孔から身体が総毛立つような刺激が生み出され、上体が捩れ体の芯と頭の芯をしびれさせる。
 唯一自由になる左手で、シーツごと掌に爪が食い込むほどきつく握りしめた。
 倒錯的な悦楽と劣情に心身を犯される。羞恥によるものか生理的なものなのか、御堂の双眸の眦から涙がこぼれた。
気付けば、自身のペニスが再び淫らな角度に勃ち上っていた。
 自分の抑えきれない欲望が視界に入る。
 男は不便だ、と御堂はいつも実感する。女と違ってその欲望を身の内に隠すことが出来ない。
 そして、目の前の克哉も男だった。そのスラックスの前が苦しそうに張りつめ、克哉自身も昂ぶっていることが見て取れた。物欲しげな眼をして克哉のその部分に視線を向けてしまう。
 喉の奥で低い笑い声を立てながら、克哉が唇を御堂の手から放した。そのまま、御堂の眦から頬に伝った涙をぺろりと舌で拭われる。そして、耳朶を軽く食まれ、耳元で柔らかく囁かれた。
「何が欲しい?言ってごらん」
 既に頭が快楽で支配されていた。優しく促されるままに口を開く。
「君が…欲しい」
「俺の、何が、欲しいんだ?」
「君の、これが…欲しい」
 自然と手が克哉のスラックスの前に伸び、ベルトの金具に指をかける。克哉はその手を止めようとしなかった。
「どこに、欲しい?」
「私の、中に…」
 腰を上げる。克哉の指が入ったままの奥の窄まりを、克哉に見せつけるように。克哉の顔から昏い笑みがこぼれた。
「いい子だ。ご褒美をあげよう」
 その言葉に全身が強くわなないた。それは期待と悦びによるものだ。自身の強張った顔も緊張が解け、自然と笑みが浮かんでいるのが分かった。
 克哉がシャツとスラックスを脱ぎ捨てていく。下着を脱いだ時に、すでに克哉のモノが固く反り返っているのが目に入った。その有り様を目にしただけで、身体の芯が熱く蠢く。
 克哉が覆いかぶさってくる。膝を掴まれ、さらに足を広げられた。自分の後孔が物欲しげにひくついた。
「佐伯…来てくれ」
 自分から腰を持ち上げ誘う。その言葉に誘われるように、硬い屹立が一気に突き入れられる。
「うあっっ!!」
 猛る雄の器官をねじ込まれ、熱さと圧迫感に身体が強張ったが、それもわずかな時間だった。男を受け入れることに慣らされた身体はすぐに弛緩し、更に奥まで呑み込む準備が整う。
 御堂は自分から腰を小さく揺すって、克哉を咥えていった。更に、克哉の背中に手を回し、自分の汗ばんだ身体を密着させようとする。
 その御堂の行為に克哉は応える。身体を重ね、深く克哉自身を埋め込み、狭い内腔を強く掻きまわされ擦りあげる。その度に、御堂が腰を捩り、声にならない喘ぎ声をあげる。
「これが欲しかったんだろう。どうだ?」
「い…いっ!もっと…、そこ…!」
 激しい快楽に目の焦点を失う。御堂の視界にビデオカメラの録画中を示す赤い光が目に入るが、気にならなかった。むしろ、もっと奥まで、もっと深く克哉を感じることに意識がいっぱいになる。
「あ…ああっ!!」
 再び絶頂が襲う。お互いの腹で挟まれたペニスが再び弾けた。熱い迸りが皮膚を伝い、一気に身体が弛緩する。抱く側とは違う、抱かれる側の熱い泥沼に引きずり込まれるような深く長い快楽がその身を襲う。
 その快楽の余韻が身体の力を奪っていくが、克哉は腰の動きを止めずに抽挿を続ける。
「まだ足りないだろう?」
 その克哉の言葉にがくがくと首を振って頷いた。ここで止めてほしくはなかった。自分が壊れるまで抱いてほしい。もっと克哉を感じて、自分の中を満たしてほしかった。
 お互いの体液と体温を混ぜ合わせ、身体の輪郭を溶かし重ね合わせる。つながった部分から疼くような熱が全身に広がった。自分の身体の境界線があいまいになる。一時、意識を飛ばしても、その刺激に再び意識が引き上げられた。快楽が自身の臨界点を超える。
 すすり泣くような哀しげで淫らな声をあげて、克哉に縋りついた。ここまで激しいセックスを経験したことはなかった。
 そのままベッドで気を失うように眠り、再び起きてはお互いを貪った。いつの間にか、首輪の鎖が外されていたことに気が付いたが、ベッドから抜け出る気力はなかった。わずかに開いた寝室のカーテンから日が昇ってまた日が落ちるのが分かった。
――今日は、佐伯は休みなのだろうか。
 悦楽に混濁する意識の中で、場違いな事を考えた。もう、どれくらい経っただろう。ベッドの脇に置かれていたビデオカメラは既にバッテリーが尽きたのか何の光も灯していない。
 丸一日は経っただろうか。食事もベッドの上で取り、必要最低限しかベッドから離れなかった。克哉は御堂が求めるがままいくらでも抱いて、ひと時の悦びと安らぎを与えてくれた。

 La Petite Mort――小さな死。
 フランス語ではオルガズムのことをこう比喩するそうだ。それはオルガズム後の放心状態を指すのだそうだが、克哉からオルガズムを与えられるたびに、御堂は確かに小さく死んでいった。それは単に意識を失うことだけではない。御堂の中にある、希望、自尊心、自信、悔しさ、守ってきたものが一つずつ死んでいく。後に残されるものは、空っぽの心と快楽に喘ぐ身体だけだ。
かつて言われた克哉の言葉が霞んだ意識の中に蘇る。
『自ら犯してください、と俺に縋るようになる』
『浅ましい自分を認めろ』
『諦めろ、そうすれば楽になれる』
――ああ、そうだな。全てお前の言ったとおりになった。
 漠然とした思考はすぐに淫蕩で溶けて散らされた。
 うつ伏せで腰を上げさせられ、肘と膝をついた四つん這いの姿勢にされ、克哉に背後から犯される。御堂の首輪の縁に沿って、首筋を長い指でなぞられた。克哉が腰を抉らせるたびに、掠れた喘ぎ声と共に、体内に何度も注がれた淫らな液体が濡れた音を立て溢れ、下半身を濡らす。克哉が御堂の耳に口を寄せた。耳に熱い吐息がかかり、それだけで甘い痺れが全身を巡った。
「あんたは堕ちた。俺のところに」
 耳元で残酷な宣言を囁かれる。その艶のある美声は鼓膜を通じて御堂の身体の芯から頭の芯まで響く。
 否定はしない。事実なのだから。全てを忘れてしまえる程、このまま身も心も爛れ堕ちてしまえばいい。
 半ば心をどこかに飛ばしたまま、克哉に腰を密着させしなだれかかる御堂を、克哉は背中から手を回しその身体を強く抱きしめた。汗で湿った肌を通して、克哉の熱と鼓動が伝わる。
 身体の力を抜いて、克哉の抱擁に身を任せた。
 もし、首輪をしていなければ、恋人同士の性交と抱擁に見えるのではないだろうか。そう想像した自分自身を小さく笑い飛ばした。

アンカー 2
bottom of page