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空の彼方 はじめに

 小説の概略です。
 小説を読む前に、こちらに目を通し、ご了承いただいた上、お進みください。

 本作はメガミドの軍人パラレルです。
 第二次世界大戦の南洋諸島の戦いを背景にしています。凄惨な描写はありませんが、苦手な方は回避を。
 凌辱シーンもありますので(2,3話)、ご留意ください。
 時代考証や史実をしっかり踏まえているわけではありませんので、ご了承ください。
 全7話。今日明日で順次UPしていく予定です。
 なお、挿絵をいただきました(2、6、7話)。

【登場人物】
御堂孝典:帝国海軍少将
佐伯克哉(カツヤ・サエキ):アメリカ海軍兵士、日系アメリカ人

 

傾向:切ない、ハピエン 

空の彼方(1)
(1)

――昭和十九年某月

 近くで銃声が響いた。熱帯の島の闇はどこまでも暗く粘つくようだ。
 ランタンの中の炎が揺れて、部屋の中の御堂や兵士たちの影を震わせた。
 南洋のマリアナ諸島の一つ、K島の海軍基地に御堂たちはいた。第二次世界大戦当初、日本軍の連戦連勝で始まった戦争も、次第に戦況が変化しつつあった。
 帝国海軍少将御堂孝典は、この諸島の守備隊1万余名を率いる将官としてこの島で指揮を執っていた。
 だが、この夜、突然の奇襲に遭ったのだ。
 敵はアメリカ軍であることは間違いない。守備隊は激しい掃討戦が繰り広げられている別の島に割いていたが、今となってはその戦いは陽動作戦だったことが明らかだ。そして、敵の本命はこの島に間違いない。
 残された部隊で防衛していたが、陥落まで、もう時間の問題だろう。奇襲してきた部隊は少人数でありながら恐ろしく果敢で、並外れた度胸と優れた判断力を持っている。
 背後で、通信機のヘッドフォンに耳を当てていた藤田が、振り返って興奮気味に叫んだ。
「川出分隊、本隊の艦船に合流しました!」
「よしっ」
 解読された暗号に短い歓声が沸く。周囲の兵士たちの顔がほんの一瞬ほころんだ。
 この陣営に保管されていた機密文書を回収すること、それが敵襲の一報を海軍本隊に入れたときに上層部から下された命令だった。
 これで軍令は無事に守ることが出来た。
 だが……。
 御堂は眉根を寄せて、険しい声で命令した。
「この基地を放棄する。各自、撤退を!」
「はいっ!」
 無謀な命令を行っていることは自覚していた。敵は目前に迫っている。そして、援軍は期待できない。
 その時だった。部屋の扉が大きな音と共に蹴破られた。
 ハッと振り返れば、舞い上がる埃の中で複数の米軍兵士が御堂たちに銃を向けている。あまりに突然のことで、御堂たちは武器を構える間もなかった。
「武器を捨てて、投降せよ」
 熱帯の闇を引き連れた敵軍の第一声は恐ろしく流暢な日本語だった。
「御堂少将、俺の後ろへ」
 隣に立つ藤田が、腰の刀剣を抜こうと手をかける。目の前の兵士の銃口が藤田に向いた。
「やめろ、藤田」
 御堂は藤田の前に手を出して、血気に逸る若者を制した。
「投降する。皆、武器を捨てよ」
 苦渋を忍ばせた声で告げれば、部下たちは銃剣に触れていた手を次々に離して、御堂を伺う視線を送った。
 命が惜しくなったわけではない。ここで反撃しても、蜂の巣にされるだけだ。
 それよりも、米軍の目はこの場に引き付けられている。御堂の態度次第では、もっと時間を稼ぐことが可能だろう。その間に、川出に託した機密書類は艦隊と共に安全圏へと逃がれることが出来る。
 米軍の兵士たちをゆっくりと見渡しながら、声に威厳を持たせて口を開いた。
「私は帝国海軍少将、御堂孝典」
「少将……ジェネラルか?」
 案の定、目の前の兵士は驚いて御堂に眼差しを向けた。ヘルメットの下の髪色は明るく、その虹彩は薄い。だが、その端正な顔立ちは白人でも黒人でもない。アジア人、それも日本人に近い。
 お互いを訝しく伺う視線が交わった。


「克哉、どこ探してもないぜ」
「地下や隠し部屋がないか調べろ、本多」
 武器を取り上げられて後ろ手に拘束された状態で、御堂は部下たちから引き離されて、基地の参謀室に押し込められた。
 椅子に座らされているが、その目と鼻の先には先ほどの若い兵士が一人、見張りとして同じ部屋に残っている。そして、他の兵士が逐一、この兵士に現況を報告しに訪れていた。この若い兵士が、部隊を率いているのだろうか。格好からして士官とは思えないが、出す指示は的確で無駄がない。
 不思議なことに、彼らの部隊は全員がアジア人だ。しかも、呼び合う名前は日本人のそれで、英語と日本語、両方を操る。湧き上がる疑問が抑えきれずに、目の前の兵士に問いかけた。
「お前たちは一体何者だ?アメリカ人のようには見えないが」
 御堂の言葉に、兵士が顔を向けた。銃は手にしたままが、突入してきた時と違い、ヘルメットを脱ぎ眼鏡を着用している。銀のフレームの眼鏡が、鈍く光った。
「日系アメリカ人の部隊だよ。アメリカ軍第XX連隊戦闘団の第8分隊だ。俺は准尉のカツヤ・サエキ(佐伯克哉)」
 告げられた言葉に目を瞠った。
 日系アメリカ人で編成される部隊があるとは聞いていた。彼らの死を恐れぬ勇猛果敢な戦いぶりも。
 よりによって、この南洋の島で彼らの部隊と直接対決することになろうとは。御堂たちは知らずに同胞と戦っていたのだ。
 衝撃を受ける御堂とは裏腹に、克哉と名乗った兵士は、その事実に心痛めている風もなく、表情を消したまま淡々と他の兵士に命令を下している。彼らは祖国の軍と知っていて御堂たちに銃口を向けたのだ。我慢できずに罵った。
「お前たち日本人なのかっ!祖国に刃を向けるとは……この国賊め、恥を知れ!」
 克哉は冷ややかな視線を御堂に返した。
「御堂少将、勘違いするな。俺たちは日本人の血は流れているが、日本人だと思ったことは一度もない」
「何だと?」
「……大体、あんた達が戦争をおっぱじめたおかげで、俺達がどんな立場に追いやられているのか分かっているのか!」
 克哉の言葉は抑えきれない怒りに満ちている。その吐き捨てられた言葉に押し黙った。
 アメリカ本土に住む日系人が財産没収や強制収容などの迫害をうけていることは知っていた。しかし、敵国となった今、それは致し方ないことだ。日本にいる米国人はもっと酷い扱いを受けている。
 だが、それ以上に、日系アメリカ人を編成して軍隊として前線に送り込む、アメリカという国の清濁併せ呑む戦い方に空恐ろしさを感じた。彼の国は日本よりも割り切った戦いをしている。民族も対立する感情も飲み込んで、使えるものはなんでも利用する。そんな国に御堂たちは戦争を挑んでいるのだ。
 克哉と御堂の間で剣呑な視線がぶつかり合った。
「佐伯君、どうですか?」
 その時、一人の兵士が入ってきた。40歳前後の男だ。克哉が起立し敬礼した。
 どうやら、彼こそがこの部隊の士官であるようだ。
「片桐少尉、どうやら機密文書は持ち出されたようです」
「いつの間に」
「一杯食わされましたね。このジェネラルは自分を囮にして、その間に別部隊に機密文書を持たせて逃がしたようです」
「それは困りましたね」
 片桐と呼ばれた兵士は、心底困ったような表情を浮かべた。どこか気弱そうなその顔は一部隊を率いる士官としては頼りなく思えた。
 克哉がちらりと御堂に視線を送った。その視線を遮って、そっぽを向く。
「ですが、ここに帝国海軍の御堂少将がおります。俺が、機密情報を聞き出しますよ。少尉はその旨を本国に連絡してください」
「できますか?」
「俺に一任していただければ」
「分かりました。佐伯君に任せます」
「しばらくこの部屋に誰も近寄らせないでください」
「ええ、そうします」
 克哉が片桐に語る口調も内容も、どう見ても上官に対するものではない。その態度からして、実質的にこの部隊を仕切っているのは克哉であることが見て取れた。
 木が軋む音がして、扉が閉まると克哉と二人きりになる。克哉が御堂に向き直った。
「一応聞きますが、機密文書はどこですか?御堂少将」
「残念だな。ここに機密文書はない」
「人命よりも書類が大事か。いかれた国だな」
 当然、素直な回答は期待してなかったようで、克哉は御堂に向かって呆れたように呟いた。
 機密文書の回収よりも自分たちの撤退を優先していれば、御堂たちは米軍の手に堕ちることはなかっただろう。だが、帝国軍の暗号や作戦、そして陣容の詳細が記された機密文書を渡すわけにはいかない。
 御堂は、克哉を眼光鋭く睨み付けた。
「物事には優先順位というものがある。機密情報が貴様らに漏れたら、数多の人命が失われる」
「ふん。あんた達が無駄な抵抗をすること自体が、この戦争を引き延ばしていることを自覚するんだな。さあ、あんたの知っている機密情報を教えてもらおうか」
「殺せ。貴様らに渡す情報などない」
 帝国軍人として戦場に出たときから、死ぬ覚悟は決めている。機密文書を無事に持ち出すという使命は達成したのだ。今更、命を惜しむことはあさましい。
「『生きて虜囚の辱めを受けず』か。あんたたちの国では、命がどれほど軽いんだ。反吐が出るよ」
「日本人になり損ねた貴様らには分かるまい。私は帝国軍人としての誇りと覚悟がある」
「分かろうとも思わないね。いいさ、あんたのその覚悟を見せてみろよ。死ぬよりも恥ずかしい目に遭わせてやる」
 克哉がゆっくりと御堂の方に歩みを寄せた。その顔を見て、怖気が走った。
 口角を歪めて薄く笑う克哉の目には、甚振ることを楽しむ光が浮かんでいる。
「さて、始めましょうか」
 その声に嗜虐の響きが滲んだ。

(2)
空の彼方(2)

 敵意を剥き出しにして睨み付けてくる男の視線を、克哉は嗤って受け止めた。
 捕虜の立場にしては随分と尊大な態度だ。日系アメリカ人である克哉たちを見下し、侮蔑しているのだろう。
 この男は帝国海軍の少将だという。
 だが、少将にしては随分と若い。克哉よりは年上のようだが、30を超えたくらいの年齢だろうか。切れ長の二重に冷たく整った面立ち。長身に締まった体躯に長い手足は日本人離れしている。
 日本という国は、実力だけでなく出自がものを言うらしい。きっと、この男もその家名でここまでのし上がってきたのだろう。そうでなければ、その容姿を上手く利用したのだろうか。
 身に着けている軍服もマントも、克哉たちの突入で埃に塗れたが、かっちりと隙なく着こなしている。とても、戦場で戦う格好とは思えない。
 部下の命を惜しげもなく浪費して、自分は安全な部屋で胡坐をかいているような立場なのだろう。
 目の前の男に対して嫌悪感が沸いてくる。こんな連中が無謀な戦いを挑んできたせいで、克哉をはじめとした日系アメリカ人は苦しい立場に立たされたのだ。
 そんなことを露ほどにも気にかけないような澄ました顔立ちが、這いつくばって屈辱に打ち震えるところを想像すると溜飲が下がる気がした。
「私に近寄るな、下衆め!」
 御堂の言葉を無視し、薄く嗤いながら指を伸ばし、怒りで紅潮した頬を一撫でした。びくりと大げさな程その身体が震える。
 これから何をされるのか、おぼろげに気が付いたようだ。克哉の指を振り払おうと、首を振った。
「やめろっ!私に触るな!さっさと殺せ」
「自決しようと思うなよ?あんたが死んだら、次はあんたの部下をそれ以上の目に遭わしてやる。それとも、部下に全てを押し付けて自分だけ楽になるのが、帝国軍人か?あの若い兵士、藤田といったか。酷い上官を持って可哀相にな」
「貴様っ!!」
 御堂が声を荒げた。
 藤田という兵士はその若さと階級から士官候補生であることはすぐに分かった。御堂と行動を共にするあたり、可愛がられていたのであろう。
「何だ?藤田と出来ているのか?」
「戯言を言うなっ!!」
 揶揄するように言えば、御堂の顔が激しい怒りに紅潮し、眦まで赤くなった。
 怒りに震える御堂の軍服の襟元に指をかけて、片手で器用に鋲を外していく。その下に着こんだ襦袢から、南国の強い陽射しを浴びていない白い肌が覗いた。
「私に触るなっ!」
 かみつく勢いで御堂が怒鳴り、克哉の手を弾くように身体を捩じって立ち上がった。その勢いに椅子が大きな音を立てて倒れた。
 後ろ手の拘束のまま克哉に体当たりしてこようとする御堂の肩を掴んで、大きく突き飛ばした。
「ぐあっ!」
 そのまま、後ろのテーブルに押し倒す。後ろに縛られた両手が天板と背中に挟まれて、その痛みに御堂は背をのけぞらせて小さく呻いた。
 克哉を蹴り飛ばそうとする足を避けて、肩をテーブルに押さえつけて動きを封じた。
 ベルトに手をかけた。ズボンをずり降ろし、襦袢の前を肌蹴けさせて、指を這わす。薄く色づいた尖りを見つけると、その先端を爪で弾いて、摘まんだ。強めに力を入れると、その顔が歪んだ。
「く…っ!貴様、私を愚弄する気か!汚らわしい手を離せっ!」
「随分と初心な反応だな」
「く、あ…っ。何をするっ!」
「もう分かっているだろう?お前を今から強姦する」
「っ……!!」
 その目が大きく見開かれた。紅潮していた頬から血の気が引いて青白くなる。
 ここまでされながら、その先に待ち構える行為に気付かなかったのだろうか。それとも敢えて考えぬようにしていたのか。その甘ったるい思考回路に吐き気を覚える。
 嫌悪を露わにするその表情を煽ろうと、胸に顔を寄せて乳首をぺろりと舐めて、口に含んだ。

 その粒に軽く歯を立てて凝らせた。薄い皮膚の中心に熱が集まり、硬く尖る。両の乳首をしっかりと勃たせると、顔を離した。
 下半身に手を伸ばし下帯を解いて、薄い茂みとその中で垂れる性器が露わにした。そこに不躾な視線を落とす。
「俺のとそんなに変わらないな。同じ日本人だからか?」
「私に触れるなっ!!」
「念のために聞きますが、機密情報を俺に教える気は?」
「誰が言うかっ」
「じゃあ、続きをするか」
「くそっ、覚えていろよ…!」
「お互い忘れられない相手になればいいな」
 くくっ、と喉を短く鳴らして嗤う。委縮している性器に手を伸ばした、暴れようとする御堂に、脅し代わりに袋の中の双珠を強めに揉みこめば、強い痛みに鋭く息を呑みこんだ。
「貴様…っ!やめないかっ!」
「大声出してもいいですよ。そうなると御堂少将は、他の兵士たちの前で犯されることになりますが。そちらの方が好みですか」
「ぐっ」
 御堂は悔しさに奥歯を噛みしめた。その顔を見てほくそ笑む。
 アメリカ海軍に入ってからずっと、最前線に送られて死を間近に潜ませてきた。休むことを許されない張り詰めた緊張は、神経を尖らせて精神を消耗させる。その一方で、生を渇望する身体は、滾る衝動のぶつけ先を求めている。
「ぐ、……ふ、その手を離せっ!」
 御堂の萎えたままのペニスに指を絡めた。竿をリズミカルに扱き、先端の小孔を指の腹で強めに擦る。次第にそれは克哉の手の中で質量と形を持ち出した。
 部屋の蒸した空気に、御堂の荒い呼吸が響き、さらに熱がこもったようだ。
「うあ……っ、あ」
「随分と感じやすいな」
「違っ、やめ……っ」
 生理的な反応であることは分かっていたが、嘲るように言えば、羞恥に顔を背けた。
 その顎を掬い、顔を前に向けさせる。屈辱に染まる顔から視線を外さずに、力強くペニスを揉みこむ。くぷり、と先端からとろりとした蜜が溢れた。その蜜を絞り出すように根元から扱く。溢れ出た蜜を指に絡めて濡れた音をわざと大きく響かせれば、その呼吸が淫らに弾んだ。
 蜜でたっぷりと濡らした指を、双丘の奥のアヌスに伸ばした。びくっと大きく体が震えた。乾いた襞をなぞって濡らし、爪の先を潜り込ませた。
「くぅ……っ、そこは……やめろっ!!」
「どれくらい使い込まれているか、確かめてやる」
 固く閉じようとする蕾をこじ開けて、身体の中を探る。指先を少し動かすだけで、御堂は苦しそうに首を振った。
「きついな……。意外だな。あんた、初めてなのか?」
「抜、け…っ、ぐ、ふ。……っああ!」
 指の根元まで食ませると、腹側にくっ、と指を曲げた。短い悲鳴が上がり、御堂の首が仰け反った。勃ち上がっているペニスの先端から蜜がトロトロと流れだした。
「へえ、ここが良いのか。随分といい顔するじゃないか」
「んっ、……ふ、やめっ」
 更にもう一本指を潜り込ませた。2本の指を前後に抽送させながら、狭い内腔を拡げていく。
 その感触を耐えようと、御堂の広げられた内股が細かく引き攣れた。その反応を愉しみながら、3本目の指を強引に突き入れた。
「く、ああ、…ぐ」
 3本の指を蠢かして、中を弄る。閉ざされていた蕾を無理やり開けば、その秘められた赤い粘膜に外気が触れる。その刺激に中の襞が蠕動し、指を誘い込もうとする。
「指だけでもよさそうだな。だが、それじゃあ、尋問にならない」
 軍服のズボンの前を寛げる。御堂に見せつけるように、自分のそそり立ったペニスを出した。これから何が起きるのかを想像し、その顔が恐怖に引き攣るのを愉しむ。
 だが、それを抑えて、優しい声音を出した。
「ですが、あなたの持つ機密情報と引き換えに、解放してあげてもいいですよ。俺からも、この島からも」
「ふざけるな…っ!」
「それじゃあ、仕方ない」
 その先端をアヌスに押し当てた。焦らすように先端で軽く表面を突けば、アヌスがひくついた。
 御堂の唇が固く引き結ばれた。
「さあ、どうする、御堂?俺の女になるか?」
 愉快そうに笑うと、御堂は眉根をきつく寄せて顔を背けた。
「好きにしろ。貴様のような下劣な人間に、帝国軍人が屈するものか」
「ふうん」
 躊躇いなく言い放たれた言葉が面白くない。御堂の足を大きく開かせて腰を掴み、斟酌なく大きく突き入れた。
 隘路を穿ち、捻じ込むように奥まで挿れる。
 初めてであるのは本当だったのだろう。その苦痛に、御堂が首を大きく振った。
「やめっ、はっ……あ、ああっ!」
 根元まで入れれば、肉襞が絡みつくようにペニスにまとわりつく。
「これで俺の女だな、御堂。帝国海軍のジェネラルが一米兵の女にされた気分はどうだ?」
「ぐっ、く、この卑怯者め…っ」
「それにしてもきついな。てっきり、尻を使って今の地位に就いたのかと思ったが」
「ふっ……あ、動、くな」
 侮辱の言葉を投げかけながら、大きな動作で引き抜いて、また深く突き入れる。その度に御堂の身体が大きく跳ねた。次第にその声に掠れたような喘ぎが混ざり始める。
 頃合いだろうと、角度を変えて腸壁を大きく抉った。
「くぅっ、あ、ああっ」
 背を大きく仰け反らせて、声が上がる。身体の中までびくびくと震えて、中の粘膜が淫らに吸い付いてくる。
 弱い部分を狙い、深く抉る。御堂のペニスが張り詰めて、びくびくと震える。
「男に犯されながらイきそうだな」
「いやだ…っ、抜けっ、やめろっ!!」
 その声と態度から完全に余裕が失われた。責める手を緩めずに、そのまま思いきり中を抉った。
「イけよ」
「やめ…っ、あ、ああああっ!!」
 御堂は、全身を痙攣させて絶頂を迎えた。跳ねたペニスから飛沫となった白濁が、御堂の全身を汚した。御堂の軍服に精液の飛沫が飛び散り濡らす。克哉はぐうっとそのまま最奥にペニスを捻じ込み、奥に熱い粘液を注ぎ込んだ。
 ぐったりとテーブルの上に身体を投げ出して、荒く呼吸を吐く御堂からペニスを引き抜いた。
「どうだ?憎い敵に犯された挙句、イかされた気分は?ああ、あんたの軍服を汚してしまったな」
 御堂の身体がぴくりと動く。顔が克哉に向いた。その双眸を見て驚いた。その眼は死んでいない。憎悪を燃やして克哉を射殺そうと睨み付けてくる。
「殺してやる……っ!」
「くくっ。やれるもんならやってみろ」
 思った以上に愉しめそうだ。これはいい気晴らしになるだろう。
 克哉は唇の端を吊り上げた。

(3)
空の彼方(3)

「くあっ…、は、はあっ」
 痛みを逃そうとする、荒い呼吸が部屋の中に響いた。
 鋭く空気を切る音と共に、開かれた胸元に乗馬鞭が鳴いた。
「うぁっ!」
 渾身の力で打たれているわけではない。むしろ、軽く甚振るだけの力の込め方だ。それでも同じところを集中して打たれれば、鞭の先が掠めるだけでも焼けつくような痛みが走る。
「いい色になったな」
「ぐ……くふっ」
 克哉が鞭の先端で御堂の乳首を舐めまわした。薄い尖りは鞭の標的にされて、南国の果実のように真っ赤に熟れて腫れている。
 克哉が鞭を置いて指で乳首を摘まんだ。両の乳首を代わる代わる捏ねるように弄られて、その激烈な感触から逃れようと不自由な体を捩る。
 木の椅子に座らされていたが、両足をそれぞれ椅子の足に繋がれて、手は椅子の背の後ろに回されて手錠をかけられていた。
 胸を執拗に嬲る指から逃れようと、拘束された身体を捩じり、ガシャガシャと手錠を鳴らした。
 御堂の尋問を行うのは、常に克哉だった。日々昼夜を問わず繰り返されたが、それは既に機密情報を自白させるというよりも、克哉の嗜虐心を満たすためだけの尋問のようだった。
 克哉は日本に対する憎悪と怒りを、御堂を性的に貶めることで憂さ晴らしをているようだ。屈辱に塗れて歯を食いしばる姿を揶揄されながら、酷薄な視線に炙られる。それを身体を打ち震わせてただただ耐えることしかできない自分が呪わしい。
 一緒に囚われた部下たちの姿を思い出した。彼らはどうなっているのだろう。克哉は、自分一人が辱めを受ければ、部下たちには手を出さないといったが、その約束は守られているのだろうか。部下たちの姿は捕虜の身分になってから、一度も目にしていない。深く伏せていた顔を上げて、克哉を睨み付けた。
「私の、部下たちは、どうなっている……」
「まだ、そんなことを気にする余裕があるのか」
 感心したように克哉が呟いた。克哉が乳首から指を離しても、未だにその先端を潰されているような感覚が残る。
「安心しろ。丁重な扱いを受けているよ。俺の部隊の士官は優しいからな」
 克哉が御堂の前に屈み、御堂の軍服のズボンの前を開いた。下帯を押しのけるように形を兆している性器がそこにあった。
 克哉は喉で嗤いながら、布の上からその先端部を指で強く擦れば、そこから溢れた液体が布に染みを拡げる。激しい羞恥に眼差しを深く伏せて、目を背けた。
「だが、お前たちは酷く扱われた方が嬉しいのかもな。帝国軍人って、マゾヒストばかりなのか。鞭で打たれて、ここをこんなにおっ勃てて」
「だ…黙れっ!」
「鬼畜米兵だっけか?あんたらが俺らにつけたニックネーム。ご期待に添わないとなあ?」
「この、外道がっ!」
「そんな外道で鬼畜な俺の目の前でイくのは嫌だろうから、ここを縛ってあげますよ。御堂少将」
 克哉は紐をポケットから取り出した。下帯を横にずらしてペニスを出すと、その根元に紐を回して、きつく縛り上げる。漲った性器を戒められて、そこに食い込む紐の辛さに唇を噛みしめた。
「ああっ、く…っ、ふ」
「苦しいか、御堂?だがすぐに気持ち良くしてやる。もう、ドライでいけるだろう?」
「あれは、嫌だっ、やめろ……っ」
 克哉の言うドライとは空イキのことだ。射精を伴わない絶頂は果てがない。後ろを責められながら、終わることなく続く絶頂を初めて味合わされたときは、あまりに激しい快楽に思考が真っ白になり、身体をびくびくと痙攣させながら声を上げ続けた。気が狂うかと思うような痺れが全身を包み込み、身体の内側を燃やし尽くす。
 やっと解放されたときは、涙と涎で顔がびっしょりと濡れていた。その無様な姿を克哉に嘲弄され、その場で舌を噛みきろうとさえ思ったほどだ。
「それなら、機密情報と引き換えにするか?」
 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら克哉が聞いてくる。御堂がどう答えるのか分かったうえで尋ねているのだ。怯みそうになる心を奮い立たせて、憎悪を滾らせた眼差しで克哉を射抜く。
「死んでも言うものか!」
 むしろ、死ねるものなら、死んでしまいたい。だが、克哉はそれさえも許してくれない。
「じゃあ、続行だな」
「ぐあっ」
 椅子の足とつないでいた両足の戒めを外されて立たされると、そのまま尋問用のデスクに伏せさせられる。肩を押さえつけられて、腰を突き出す体勢にされた。
 背後の克哉にぐいっとズボンを膝まで降ろされた。下帯を解かれて、双丘の狭間を指がたどりながら奥に入り込む。アヌスにたどり着くと、遠慮もなく指が奥に入り込んだ。
「く、ふ……ううっ」
 2本目、3本目と指が増やされ、ぐいぐいと中を拡げられていく。連日克哉に犯され、慣らされているそこは、いとも容易く克哉の指を受け入れるように躾けられている。
 中をたっぷり嬲っていた指が引き抜かれた。克哉が前を寛げて硬く熱いペニスを当てる。これから起きることの衝撃に、息を詰めて身体を小さく震わせた。
「俺を愉しませろよ?」
「ん、くう…は、ああっ!」
 心の準備をする前に、容赦なく穿たれる。
 声を殺そうにも、呼吸に喘ぎが混ざる。克哉が腰を軽くゆするたびに、甘く重い痺れが身体の奥から溢れて、背筋を侵していく。
 そこは性器ではないはずなのに、奥深いところまで拓かれてそこを熱い粘液で濡らされれば、恥辱と苦痛を追いかけるように激しい快楽が身体を走る。克哉に与えられる官能は日に日に深くなっている。
「あんた、こんな淫乱な身体で堪え性もなくて、よく今まで手を出されなかったな。日本軍は不能な奴が多いのか?」
 腰を使いながら克哉が耳元に口を寄せて言葉でも嬲ってくる。
「まあ、あんたの国の人間なんて、どこかしらおかしい奴ばかりだろうがな。もうすぐ無様な敗戦国になるだろうさ」
 自分を貶められるのはまだ耐えられる。だが、自分の国と仲間を貶められるのは許せない。強く揺さぶられながらも肩越しに振り返り、憤りの声を上げた。
「我が祖国をけなすなっ!!…貴様こそ、日本人にもアメリカ人にもなれない輩だろうが!アメリカ軍に入隊しても、厄介払いされてここにいるのではないのか。祖国を持たない根無し草が!」
 その言葉に、背後の克哉の気配が変わった。御堂の言葉が真実の一端をついたのだ。
 日系アメリカ人の苛烈な戦いぶりと目覚ましい戦果は名を馳せている。だが、逆に言えば、そんな激烈な戦いが繰り広げられる戦地に駆り出されてばかりいるのだ。その扱いをみれば、日系人の部隊が、同じアメリカ人の仲間からどう思われているか、おのずと分かるというもの。
 克哉が抉るように最奥を突き上げた。短い悲鳴を上げて、背を仰け反らせると、冷ややかな声が被さってくる。
「…御堂、俺を怒らせるなよ?あんたの身体は、こんなに俺に従順なのにな」
「やめっ…!ふ、……や、は」
 律動が激しくなる。克哉の剛直に体内を抉られ、擦られ、かき回される。こんな下劣な男に与えられる快楽に決して屈するものかと思っても、身体は引き抜かれようとする克哉に縋るように粘膜が絡みつき、深く穿たれれば悦んで震える。戒められた自分のペニスは腹につくほど反り返り、苦しさに涙のように蜜を滴らせている。
 克哉の指が胸に差し込まれた。その爪が充血しきってじくじくと痛む乳首を弾いた。
「ひっ、あ、ああっ!」
 それが引き金となって、身体の中の快楽が大きく弾けた。次から次へと快楽が身体の奥から表面まで爆ぜる。行き場のない嵐のような愉悦が出口を求めて暴れ出す。絶え間なく身体を大きく痙攣させながら、声を上げた。視界が真っ白な閃光に包まれる。果てのない絶頂が全身を蝕んでいく。
「あ、抜、け…!離せっ!」
 射精をしたくて堪らない。頭の中には滾る欲望を放つことへの渇望だけで占められる。この苦しさから解放されたい。手が自由になるのなら、ペニスの戒めを外して、一心不乱に擦りあげていただろう。嫌々するように激しく顔を振れば、眦から涙がこぼれて頬に伝った。
 克哉は動きを止めずに、官能を激しく煽ってくる。
「ほら、御堂、イきたければ俺に許しを乞え」
「誰が……っ!ふ、…んっ」
「イかせてください、って懇願しろよ!」
 散り散りになりそうな理性を必死でかき集めて抗う。だが、身体は既に自分の意思から離れて、暴走している。
 克哉の突き上げが、快楽の凝りを深く抉った。全身が大きく跳ねて、喉を仰け反らせて声にならない叫び声を上げた。
「くあっ、あああっ!!」
 戒められてもなお、ペニスの先端から熱い粘液が漏れだす感触があった。びくびくと身体を大きく痙攣させて、混濁した意識と身体を深く沈ませる。
「チッ。気を失ったか。強情な奴め…」
 舌打ちと共に、呟くような声が聞こえたが、意識は深い闇の中に沈んでいった。

空の彼方(4)

「目ぼしいものはないなあ」
 参謀室のテーブルに並べられた背嚢や雑嚢、その中をひっくり返しながら本多はつまらなそうに声を上げた。
「本多、無駄口を叩くな」
 捕虜の日本兵の持ち物を検めているのだが、どれも質素で粗末な装備だ。克哉は事務的に中身を確認しながら、小さくため息をついた。
 配給された装備も武器も、日本軍のものはアメリカ軍のそれに遠く及ばない貧弱なものだ。これで、本当にアメリカ軍に勝てると思っているのだろうか。何故そんな無謀な戦いを挑んだのか理解に苦しむ。いつの時代も、上に立つ者の愚行のつけを払わされるのは、弱い立場の人間たちだ。
「克哉、後はよろしく頼む!俺は見回りに行ってくる」
 頭を使うよりも身体を使う方が性分に合っている本多は、この退屈な業務に早々に飽きたようだ。大きく伸びをすると、止める間もなく部屋を出て行った。
 本多を呼び戻すことを諦めて、散らばした荷物を元の袋の中に戻していく。その時だった。御堂孝典と名前が記された雑嚢の内側に指の引っ掛かりを感じた。
 覗き込めば、内側の生地にポケットが縫われている。そこに一枚の写真が挟まれていた。
 取り出して眺めれば、煤けたようなモノクロ写真だ。
 写真には大木が映り、その前に若い青年と彼を挟み込むよう着物姿の男女が映る。目を凝らして見れば、真ん中の青年が御堂で、一緒に並んでいるのはその両親だろうか。
 大学の卒業式の時に撮影したのだろうか。袴姿の御堂は卒業証書を入れるような丸い筒を手にもっていた。そして、映り込む木は枝いっぱいに白い花を咲かしていて、その花びらが地面をまだらに白く染めている。
「これは、桜ですね」
「片桐少尉!」
 突然背後からかけられた声に驚いて振り向けば、片桐が克哉の肩越しに写真を覗き込んでいた。
 片桐はこの部隊の部隊長だ。だが、性格は温和で戦いには向いていない。それでも少尉の地位にいるのは、米軍上層部が御しやすいと踏んだからだろう。
 上官としての片桐は、戦場においては命を預けるには頼りない。以前、戦場で窮地に陥った時に克哉のとっさの判断で生還できた時から、部隊の実質は克哉が取り仕切っていた。だが、片桐はそれを不満に感じていることもないようで、克哉にとっては組みやすい上官だ。
「桜?日本の花ですか」
「ああ、佐伯君はアメリカで生まれ育ちましたものね。僕は小さい頃は日本にいましたから。春にはどこもかしこも、桜がピンクの花を咲かせて日本という国を覆うんです……それは、もうきれいでしたよ」
 片桐は懐かしそうに目を細めた。克哉は写真を無造作にテーブルの上に放った。
「興味ないですね。日本なんて国。お国のためとか、大儀がどうとか、あの国の軍人は狂っている」
「佐伯君は、何のために戦っているのですか?」
「自分のためですよ。そして、本国の家族を守るため。正直、国なんかどうでもいい」
 腹立ちまぎれに投げやりで不遜な言葉をぶつける。その発言が他の士官に知られたら、ただでは済まないだろう。だが、片桐はそれを咎めることはせずに、にこりと笑った。
「それでいいんですよ。自分のため、家族のため、愛する人のために戦うことが、国を守ることになる。ですが、逆も然りなんです。国のために戦うことが、家族を守り、愛する人を守ることにつながる」
「……」
「私たちだって、日本軍の兵士だって、愛する人のために戦っているのは同じなんです。僕たちと彼らは何も違わない」
「俺たちと同じ?」
「憎むのは、相手を知ってからでも遅くないと思いますよ」
 片桐の言葉に、手にした写真に目を落とした。カメラを向けられ、カメラを前にぎこちない表情を浮かべる3人の家族に桜の花が降り注いでいる。
 もしかしたら、片桐は日本という国を愛しているのかもしれない。ふとした疑問を覚えたものの、それを直接聞くのは躊躇われた。
 日本は酔狂で戦争を始めたのではないのだろうか。御堂も、帝国軍人として、命をなげうって国のために戦うことで、家族を守ろうとしているのだろうか。
 少なくとも、御堂は自分の身を挺して、部下たちを守ろうとしている。克哉からどれほど酷い仕打ちを受けようとも、屈することもなく抗う眼差しで克哉を睨み返してくる。これは、彼の戦いなのだ。そして、彼は負けていない。その強靭な精神は、誰かを守ろうとする想いから来ているのだろうか。
 この戦争がなぜ始まったのか、勝つことで何が得られて何が守られるのか、克哉は分からなかった。伝えられる情報は、敵国への憎悪を煽り、味方の戦意を鼓舞する内容ばかりだ。だが、それでも構わなかった。日系二世である自分にとって、日本という国は親から伝え聞いただけのおぼろげな印象でしかなく、何の感慨も覚えない。むしろ、そんな日本が敵国となったことで、自分も家族も迫害を受ける立場になったのだ。迷惑この上ない。
 御堂を貶めて嬲ることは、日本やこの戦争に対する鬱憤を晴らすための行為に過ぎなかった。事実、機密文書など克哉にとってはどうでもいい。本隊が気にしているだけで、その有無がこの戦争に大きな影響を与えるとは思えない。
――御堂。
 いくら屈辱を味合わされても、決して膝を折ろうとしない御堂の姿を思い出した。
 それまでは日本という国に対する激しい嫌悪から、八つ当たりと嗜虐の対象でしかなかった。だが、その相手に初めて人として興味を覚えた。その高潔さはどれほど克哉に汚されようとも、翳ることはない。
 御堂の写真を再び手に取った。それを自分の胸ポケットにしまい込む。
「佐伯君、写真をどうするんですか?」
「本人に返してきます」
「そうしてください」
 温かみのある片桐の声を背に、部屋を出た。


 御堂はこの海軍基地の一角の営倉に閉じ込めていた。他の日本軍兵士たちとは隔離している。
 今まで高級将校として振る舞っていた男が、薄暗く狭い部屋に閉じ込められて、日々尋問と称して犯される。その御堂の恥辱を想像すると、胸が暗く高揚する。
 胸ポケットに入れた写真を軍服の布地の上からそっと触れた。あの男にも家族を想うという当たり前の気持ちがあることに、少なからず驚いた。
 克哉たち日系アメリカ人を見下し軽蔑しているからこそ、あれほど頑なに拒絶しているのではないかと思っていた。彼がそうやって守ろうとしているものは、その実は克哉たちと同じなのだろうか。
 だが、このまま写真をあっさり返すのも気が進まない。逆に、この写真を上手く使えば、あの男の動揺や狼狽を引き出せるかもしれない。敵軍の気高い男が這いずって克哉に許しを乞う姿は見ものだろう。
 愉悦に満ちた笑みを口元に履きながら、見張りに軽く手を上げて営倉に入った。一番奥の御堂の独房に足音高く歩みを寄せる。
「御堂少将、ご機嫌はいかがですか」
 殊更、明るい声を出してと満面の笑みを浮かべる。だが、すぐに異変に気が付いた。言った分だけ激しく罵しり返してきていた御堂の反応がない。部屋の隅で、虚ろな視線を床に落として座り込んで動かない。
「おい、どうした?」
「ぁ……」
 扉の鍵を開けるのももどかしく、駆け寄った。うつむき加減のその顔を覗きこむ。
 克哉の言葉にその眸が微かに揺らぐが、克哉を見返すことはない。強く肩を揺さぶれば、がくりと身体が倒れた。その艶を失い乾ききった肌に手を触れて息を呑んだ。
 肌は燃えるように熱く、筋肉は緊張を失いぐったりと弛緩している。
「っ……!ひどい熱だ。……おいっ!御堂っ!」
 薄く開かれていた眸が力なく閉じられた。


「マラリアですね」
「マラリア?」
 医務室に移され、清潔なベッドに寝かされた御堂を診察して、片桐は克哉の方を振り向いた。
 マラリアは熱帯にはびこる感染症だ。激しい高熱を特徴とする。克哉たちも南方の戦場に赴くときに、一般的な知識と予防法を教えられている。特効薬のキニーネが出来るまでは死に至る恐ろしい病だった。
「キニーネはあります。ですが、それにしても、消耗が酷いですね」
「……」
 片桐が困ったように眉をひそめた。その視線の先には眼下を窪ませて顔色悪く、荒い呼吸を継ぐ御堂の姿があった。
「捕虜の処遇は俺に一任されていました。俺の責任です。後は俺が看ます」
 もの言いたげな片桐を、有無を言わせずに部屋の外に追いやった。
 片桐はそうと直接指摘をすることはないが、御堂が克哉にどんな目に遭わされているか薄々気が付いているのかもしれない。
 体力のある御堂が、こうまで心身ともに衰弱して倒れたのは、マラリアのせいだけではない。克哉の日々の甚振りと凌辱によるものが大きいだろう。
 苦々しい気持ちを押し殺しながら御堂の頭を起こし、キニーネの錠剤を乾いた口の中に含ませた。コップに注いだ水を唇に当てて水を流し込む。だが、流し込んだ分だけ、溢れた水が口の端を伝って滴り落ちた。口の中の錠剤は飲み込まれる気配はなく、水と一緒に零れ落ちていく。
 再度、錠剤を口の中に含ませて試してみるが、御堂のシャツを濡らしただけの結果になった。
 何度試しても同じ調子だ。零れ落ちた錠剤を拾い上げながら克哉は苛立って、御堂の襟首を掴んで揺さぶり、声を荒げた。
「御堂っ!!飲めよ!あんた、死ぬぞ!」
 その声に、御堂の意識が一瞬揺さぶり起こされた。怯えたように身体を竦ませ、色を失った顔と焦点の合わない眸を克哉に向けた。
 今のうちに、と口元にコップを寄せようとした手首を、御堂に掴まれた。
「……っ」
 手が動かせなくなる。
 火傷するような熱を孕んだ手に、爪が食い込むほど強く握られた。
「部下たち……を、頼む」
 もつれた舌で発せられた言葉は、不明瞭で聞き取りづらかった。その言葉に御堂の顔を見返して言葉を失った。必死の眼差しと縋る表情を克哉に向けている。憎いはずの克哉を味方とでも勘違いしているのだろうか。
「俺はあんたの敵だぞ。そんなこと俺に言うな」
「父と、母に……、私が、この地で死んだことを、……伝えてほしい。お願いだ」
「誰が頼まれるかっ!!自分で言えっ!!」
「後生、……だから」
「くそっ!!」
 克哉の言葉は御堂には、全く届いていないようだった。
 克哉に向かって、うわ言の様に懇願される言葉に自制心が瓦解した。
「ん、……ふ」
 咄嗟にその震える唇に唇を押し当てて言葉を封じた。しどけなく開いた唇にすっと舌を差し入れる。口の中は焼けるように熱い。その粘膜に触れて、体内で暴れ狂う熱を直接感じ取った。乾いた口内を濡らすように舐める。御堂は熱に混濁した意識のまま、克哉の舌を受け入れている。その時、こくり、と御堂の喉仏が小さく上下した。
 ハッと気が付いて、唇を離す。克哉はキニーネの錠剤と水を口に含んだ。もう一度、御堂の唇に口付けを落として、そのまま水と錠剤を流し込んだ。溢れた水が合わせた唇の端から伝ったが、そのまま唇を押し当てていると、今度こそ御堂はごくりと飲み込んだ。
 何とか薬を与えることが出来て安堵する。だが、まだまだ水分が足りない。克哉は再びコップの水を口に含んだ。

(4)
空の彼方(5)

「御堂」
 名前を呼ばれた気がした。
「喉、乾くか?」
 そう問われれば、酷い乾きが全身を軋ませていた。
 覚醒しない意識のまま、微かにうなずくと、後頭部に添えられた手に頭を持ち上げられた。唇に重みがかかる。柔らかく唇を押し潰されて、その不思議な感触に意識を取られると、口の中に冷たい水が満ちた。
 全身にすっと染み込むような気持ち良さに、貪るように水を飲み下した。あっという間に飲み干してしまったことを残念に思えば、一度唇を解放されて、再び重みがかかった。唇が押し潰されて、促されるように唇を開けば、水が流し込まれる。
 水を口移しされていることに気付いたが、乾きに抗えず、乞うように喉を鳴らしながら、重ねられた口を吸いあげた。それでも足りなくて、残滓の一滴をも舐めとろうと、相手の唇の間に舌を差し込んだ。ひんやりと冷やされている濡れた口内を舐める。
 その仕草に相手は一瞬戸惑いを見せたが、喉で柔らかく笑うと深く唇を噛み合わせて御堂の舌を受け入れた。くちゅっと音を立てて舌を吸われる。その優しい感触に身を委ねていると、少ししてあっさりと唇を離された。名残惜しく思えば、また唇を重ねて水を口移しされる。乾きが完全になくなるまで、それは何度も繰り返された。
 たっぷりと喉を潤してゆっくりと唇が離れた。
 満たされる心地良さに、自然と瞼を開いた。無味乾燥な部屋の天井が視界に入り込む。そして、鼻が触れ合う位置にある顔。誰だったかと目の焦点を合わせた。
「佐伯っ!」
 目の前の男を認識して、身体を強張らせた。逃げようと、寝かされていたベッドに手をついたが、力が入らず肘が折れ、がくりとベッドのマットに沈み込んだ。
「気が付いたのか」
「何…?」
 克哉は大して興味もなさそうに御堂から顔を背けると、腰かけていたベッドの端から立ち上がった。
 部屋の中を見渡せば、基地の医務室だった。何故、ここに自分がいるのか混乱し、最後の記憶を掘り起こす。熱帯の島にもかかわらず酷い寒気がして歯の根が合わず、ぶるぶると身体を震わせたことまでは覚えていた。
「あんたはマラリアにかかったんだ」
「マラリア?」
 そう言えば、寒気の後は身体が炙られるように熱かったような気もする。だが今は、熱もなく、気分も悪くない。
 自分の状態と周囲の状況から、意識がない間に何が起きたのか推測し、困惑した視線を克哉に向けた。
「お前が、私を助けたのか…?」
「あんたに死なれちゃ困るんだ」
 御堂から視線を外して呟く克哉の横顔は酷く疲れているように見えた。
 まさか、克哉がずっと付き添って看病をしていたのだろうか。
 あれ程、自分を憎んでいた克哉が何故そこまでしたのか、その理由を考えて思い当たる。
「私の機密情報が、そんなに欲しいのか」
「……ああ、そうだ」
 克哉は少し躊躇いを見せて、ぞんざいに答えた。
 やはりそうだったかと、違う何かを少しでも期待した自分自身を心の中で笑う。
 抗う気力も体力も底を尽きかけている。それでも、精一杯の虚勢を張った。
「…それで、機密情報が手に入ると思うのなら、私を好きにすればいい」
「病み上がりのあんたを甚振っても面白くないからな。せいぜい、体力でも温存してろ」
 それだけ言い捨てて、克哉は部屋を出て行った。部屋に一人残されて、ふっ、と力ない息を吐いた。
「死に損ねたな」
 敵の虜囚となって生き恥を晒すくらいなら、死んでしまいたい。そう願っていたのに、とことん死には嫌われているらしい。
 不意に柔らかく押し当てられた唇の感触を思い出した。自分の唇を指でそっと触れれば、濡れて、口の中は潤っている。
――佐伯?
 交わした唇は甘く感じた。だが、口移しで水を与えられた記憶は確かなものだったのだろうか。
――まさかな。
 朦朧とした意識で夢を見たのだろう。
 窓の外の熱帯のジャングルを眺めた。生命の息吹を滾らせる木々の鮮やかな緑が眩しすぎて、すぐに視線を深く伏せる。ただ一人きり色のない世界に取り残されているような虚しさを感じ、呆然とベッドの白いシーツを眺めていた。


 体力が回復すると、独房に戻された。だが、克哉の尋問と称した凌辱はそれからぱたりと途絶えた。
 別の任務にでも就いたのかもしれないが、それを知る術はなかった。
 代わりに片桐少尉が尋問を担当するようになった。暴力を振るわれることもない。片桐は黙り込む御堂に、困ったような笑みを浮かべ、全く無関係な話で場をつないでいる形だけの尋問になっていた。
 克哉の姿を一切目にすることもない、そんな日々が数日続いた夜だった。
「御堂」
 夜の闇に紛れて、鋭い声で名前を呼ばれて目を覚ました。
 起き上がって声の方を向けば、ランタンで薄められた闇に、薄い虹彩が光る。
「佐伯?」
「来い。逃がしてやる」
「何…?」
「安心しろ。お前の部下たちも一緒だ」
 克哉が営倉の鍵を開けて出るように促す。警戒しながらも、部屋から出て克哉の後についていった。
 見張りは誰もいなかった。基地の外に出て、手に持つランタンで足元を照らし、熱帯の濃い闇を掻き分けながら、ジャングルの中に入った。少し入ったところで、複数の人影を見つけた。
「御堂少将!」
「藤田か?」
 一人の兵士が御堂に駆け寄ってきた。声量を抑えながらも、その声音には興奮が滲んでいる。
「よくぞ御無事で」
「お前たちこそ」
 闇の中で目を凝らせば、御堂の部下たちは誰一人欠けていないし、健康状態も悪くなさそうだ。
「再会を祝っている暇はないぞ」
 御堂の背後で佐伯が低い声を出した。
「このまま島の裏に出ろ。お前たち日本軍のボートが残されている。それに乗って、ここから脱出するんだ」
「俺、ボートまでの道、分かります」
 口を挟んだ藤田に向かって、克哉は小さく頷いた。
「さっさと行け」
「待て、佐伯。どういうことだ?」
 無条件で捕虜を解放しようとする克哉の真意を図りかねて、疑問を口にした。
「明日、本隊にこの基地を引き渡す」
「アメリカ海軍本隊が上陸するのか?」
 告げられた情報に戦慄が走った。それは、アメリカ軍が本格的な侵攻を開始したことを意味する。今まで南洋諸島は日本軍の支配下で、小規模な戦闘しか起こらなかったが、これからは比較にならないほどの血が流されるだろう。
「引き渡すのは基地だけじゃない。あんたたちもだ」
「機密情報目的か」
 克哉は肯定の代わりに口角を歪めた。
「あんたからそれを聞き出すことが出来ないのは分かっている。だが、機密情報を得られなくても、重大な情報が漏れたと日本軍に思わせることが出来ればいい。口封じにあんたは始末される可能性がある」
 克哉が告げた言葉に驚きはなかった。むしろ、そうなるだろうと予想していたのだ。予想外だったのは克哉の行動だ。
「ならば、何故、私を逃がす?」
「……。俺の気が変わらないうちに行け」
 克哉は御堂の問いに答えようとしなかった。探るようにレンズ越しの眸を真っ直ぐと覗き込めば、顔を背けてその視線を遮られた。
「御堂少将、行きましょう」
「…分かった」
 藤田の声に我に返る。部下たちに指示を出して、克哉に背を向けた。一歩踏み出したときに、背後から名を呼ばれた。
「御堂。…これ。あんたの大切な写真だろう?」
 克哉が胸ポケットから一枚の写真を取り出した。それを受け取って、ランタンの灯りにかざせば、戦場に持ち込んでいた唯一の家族写真だ。驚いて克哉の顔と写真を見比べた。
「これは…っ。佐伯、君に礼を言う」
 御堂の礼に、克哉はレンズの奥の目を瞠って首を振った。
「あんた、俺があんたに何をしたのか忘れたのか?礼なんかいらない。生き延びろ。戦争はもうすぐ終わる」
「だが……」
 克哉は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、約束だ。御堂、戦争が終わったら、日本を案内してくれ。桜という花を見てみたい」
「日本を…?」
 あれほど日本という国に対して憎悪を剥きだしにしていた克哉が日本に興味を持つとは、どんな心情の変化があったのだろう。それが何なのか知りたい気持ちがあったが、詳らかに問う時間はない。
 克哉と視線を合わせて、しっかりと頷いた。
「分かった」
「死ぬなよ」
 そう一言告げて、克哉は踵を返した。今度こそ御堂も背を向けて、先に待つ部下たちを追った。
 交わす約束は、戦場に身を置く二人には意味をなさない。克哉もこの約束を本気にしているわけではないだろう。克哉と御堂は明日には互いに銃口を向ける敵味方の関係だ。
 克哉に対する憎しみを忘れたわけではない。だが、二人の間に生まれた憎しみが戦争によるものだとしたら、戦争が終われば克哉に対して違った感情を持つことが出来るのだろうか。
 いつか、克哉との約束を果たす日が来るのかもしれない、それを荒唐無稽な話だろうか。
 しかし、その約束を、明日を生き抜く糧にするのも悪くない。
 島の裏の入り江からボートに乗り込み空を見上げた。何も遮ることなく、満天の星が降り注ぐ。その空の彼方にある日本を想う。
 黒い海を掻き分けつつボートは進んだ。振り返れば、島が小さくなっていく。同じ空の下にいる克哉の姿がちらりと脳裏をよぎった。

(5)
空の彼方(6)

「伏せろ!」
 怒号と銃声が飛び交う。辺りに立ち込める硝煙と血の匂いに克哉は、身を深く伏せて息を潜めた。
 あの日から一年余。克哉は未だ南洋諸島にいた。戦争はもうすぐ終わるという克哉の予想は大きく外れた。
 南洋諸島を戦略上の最重要拠点と定めたアメリカ軍は、本格的な侵攻を開始した。大量の兵士と武器を投入したが、日本軍を制圧することは困難を極めた。日本軍が従来の戦術からゲリラ戦を中心とした戦術に転換したのだ。それは相討ちを覚悟したような戦い方だ。そうまでしても、大国に戦いを挑み続ける日本の執念に、アメリカ軍の間に怖気が走った。
 戦いは凄惨を極めた。日本軍もアメリカ軍も多数の犠牲者を出した。その最前線で克哉は戦い続けていた。
 御堂たち捕虜を取り逃がしたことは、全てを承知した上で、片桐が克哉の代わりに責任を負った。幸いにして、今までの勲功があり、また、他の日系アメリカ人兵士の士気に関わると判断されたのか、罪を問われることはなかった。
 克哉は、その後もいくつもの戦勝を上げて、その戦功から少尉へと昇格していた。だが、以前と違って戦うたびに虚しさばかり募った。日本軍と直接相対するときは、相手の部隊に御堂がいないか目で探してしまう。日本軍のジェネラルがこんな前線にいるはずがない。そう自分に言い聞かせて銃を構える。
 あの時、何故自分は、敵軍の将校に情けをかけて逃がしたのだろう。その答えを胸の裡、奥深くに閉まいこんだまま、目を背けてきた。
 砲弾の音が止む。決着がついたようだ。
 克哉は詰めていた息を吐いて、腹ばいになっていた身体を返し、仰向けになった。うっそうと茂る木々の間から、突き抜けるような青い空が細切れに見える。あの男は、今、どの空の下にいるのだろうか。
 そっと目を閉じて、潔い男の面差しを瞼の裏に思い浮かべた。


 昭和二十年八月十四日、日本はポツダム宣言を受諾し、翌日、国民に発表されて戦争は終わった。
 最も激しい戦いが行われた島の一つ、M島に克哉はいた。
 戦争が終わったという情報は克哉がいる南方の島々にもすぐに伝わった。
 この戦争を無事に生き延びた克哉たち第8部隊の任務も日本軍の掃討作戦から島々に散る日本軍の投降を呼びかける任務となった。
 しかし、それを敵軍の罠だと思って、最後まで徹底抗戦する日本軍兵士も少なくなかった。
「さっさと全員出てきてくれないかな。早く本国に帰りたいぜ」
 投降してきた日本兵を仮設のテントへと誘導しながら本多がぼやいた。
「戦争が終わったからと言って、昨日までの敵にそう簡単に投降出来ないだろう」
「そうか?俺は出来るけどな」
「それはお前だからだ、本多」
 鷹揚に答える本多にあきれ顔で返す。
 本多はこの戦争中、最初から最後まで本多だった。何事にも影響を受けず、自分を保っていられるのは本多ならではだろう。片桐とともに緊張に張り詰めた部隊のムードメーカだ。
「おい、克哉!あいつって……」
「馬鹿力で叩くなっ!」
 本多に肩を思いきり叩かれて、顔をしかめながら本多の指し示す方向に視線を向けた。視線の先には、投降したばかりの日本兵。ヘルメットの下の疲労困憊したやつれ顔に見覚えがあった。本多の手を乱暴に振りほどき駆け寄った。
「藤田?お前、藤田か?」
「あ…っ!あの時の米兵!!」
 藤田と呼ばれた日本兵は、驚いた顔を克哉に向けた。
 周りの注目を浴びるのも構わず、藤田に矢継ぎ早に畳みかけた。
「御堂は?御堂少将はどうなった?」
 その単語に藤田の目が見開かれて、そして顔を大きく歪ませた。眦から大粒の涙が零れ落ちる
「御堂少将は…っ、この島に…います!助けてください!」
「この島に?どういうことだ?」
 なぜ、ジェネラルがこの激戦の島に?
 藤田を投降兵の列から引き離して問いただした。しゃくりあげて嗚咽を漏らしながら、藤田が途切れ途切れに語った話はこうだった。
 御堂たちは克哉に解放されてから帝国海軍本隊に無事に合流できたものの、機密情報を漏らした嫌疑をかけられた。もちろんそれを否定したが、結局疑いは晴らせないまま、死地へと送り込まれた。それがこのM島だったのだ。
 御堂たちはジャングルでゲリラ戦を行って何とか今まで戦い抜いてきた。部隊の兵士たちは次から次に飢えや怪我、病気で戦闘不能になる中、終戦を迎えたのだ。
 これでは、実質上の懲罰処分だ。軍法会議を経ない分、さらに性質が悪い。
 克哉はぐっと奥歯を噛みしめた。
 同じ島に克哉と御堂はいたのだ。一歩間違えれば、互いに殺し合っていただろう。背筋がぞわりと怖気に襲われた。
 そして、終戦を迎えてもなお戦おうとする藤田たち部下を、御堂が説得して米軍に投降させたのだ。その一方で、御堂は、動くことのできない瀕死の部下たちの面倒を最後まで看てから、投降するという。
 だが、と藤田は首を振った。
「御堂少将は責任を取って自決するつもりです。佐伯さん、御堂少将を止めてください!」
「なんだと…?」
 克哉は言葉を失った。
 戦争は終わったのだ。何を馬鹿なことを。
 だが、日本の兵士たちが、死に向けた未来を厭うことなく、むしろ自分から選び取ることは、この戦争で嫌というほど思い知らされてきた。藤田の言葉も嘘ではないだろう。
「御堂はどこにいる?」
 藤田から御堂たちの隊が陣を張っていた大まかな場所を聞くや否や、克哉は身体を返して走り出した。
「おい、克哉!どこに行くんだ!」
「後は頼む」
 状況が呑み込めずに克哉を呼び止めようとする本多に一言返して、真っ直ぐとジャングルに駆け込んだ。
――御堂、早まるな!
 切に祈りながら、御堂の名を叫び探す。緑の木々が生い茂るジャングルでは見通しが効かない。
 取るものも取り敢えず乗り込んだせいで、このままでは克哉自身が遭難の恐れがあるだろう。それでも、だ。
「御堂っ!!」
 空に向かってあらん限りの大声で叫んだ。
 その時、鋭い銃声が鳴った。
 ハッと銃声の方を向く。荒い息のまま銃声の方に向かって駆けた。
 近付くにつれて硝煙の匂いが鼻をかすめた。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打つ。
 駆け込むその先に、陣を張った跡が見えた。ジャングルの木々の隙間、空が開けて強い陽射しが差し込む。
「御堂!」
 目の前に御堂が立っていた。

 やつれた顔に泥に汚れた軍服。手には空に銃口を向けた銃剣を持つ。身なりを見れば死地をかいくぐってきたことが一目でわかる。
 だが、ぴんと背筋を伸ばして立つその佇まいは凛として、威厳すら感じさせる。その姿は、一年前にK島で初めて目にした御堂の印象そのままだ。目を奪われる鮮烈な美しさがある。
 克哉を目にして、御堂は薄い微笑を口元に履いた。空に向けていた銃剣を降ろす。
 御堂は克哉を呼ぶために、空に向かって銃を撃ったのだ。
「佐伯、最後に君の顔を見たかった。そして、感謝と謝罪を」
「御堂…?」
「君のおかげで、ここまで生き延びることが出来、部下たちもこの手で弔うことが出来た。礼を言う。ありがとう、佐伯」
 御堂が視線を投げたところを見遣れば、掘り起こされたいくつもの土の跡があり、その上にヘルメットと銃剣が置かれている。これは墓標だ。死んだ部下たちを埋めた墓なのだ。
 嫌な予感に胸が逸る。その胸を抑えて、カラカラに乾いた口を開いた。
「……謝罪とは?」
「君との約束を守ることはできない」
「御堂っ!」
「私に近寄るなっ!」
 勢い込む克哉に、御堂は鋭く叫んだ。手に持った銃剣の刃を、素早く自らの首に押し当てる。銃剣の先端の刃が鈍く光った。
「やめろっ!!戦争は終わったんだ!」
「戦争は終わっても、死んだ部下たちは生き返らない。責任を取らねばならない」
「あんたが責任を取ることはないだろう」
 御堂の眼差しはどこまでも澄んでいて、深い。その顔が哀しみに翳った。
「この銃、先の一発で弾を撃ち尽くした。それ以外の弾はどうしたと思う?……お前たちを撃ったんじゃない。味方を撃ったんだ」
「……っ」
 克哉は言葉を失った。御堂が目を眇める。
「瀕死の部下を私が撃った。私が殺した。ふがいない上官を持って、無益に死んでいった部下たちは私を許さないだろうな」
「…あんたは、自分が出来ることをやったんだろう。あんたの部下はあんたを恨んでなどいない」
 御堂は首を振った。
「慰めの言葉など要らない。お前には私の最期を見届けてほしい」
 その静かな声音は御堂の覚悟を伺わせた。
 誰が何の責任を取るというのだろう。この戦争のせいで、多くの者が失われ、残された者も苦しめられた。戦勝国と言えども、何か得たものはあったのだろうか。この戦争に意味などない。こんな戦争のために、これ以上血を流してはいけない。
「お断りだ」
 克哉はきっぱりと告げた。
 御堂から眼差しを外さぬまま、腰にかけていた拳銃を引き抜いた。そして、その銃口を自らのこめかみに押し当てる。
「佐伯?」
 御堂の顔が驚きに強張る。克哉は、不敵に口角を吊り上げた。

 

(6)
空の彼方(7)

 克哉は御堂の目の前で、ゆっくりと撃鉄を引いた。そして、引き金に指を絡める。その指に力を籠めれば瞬時に絶命するだろう。
 たまらずに声を上げた。
「佐伯、何をしている!」
「あんたがその剣で首を切った瞬間に俺は引き金を引く。銃と剣、どちらが早く命を絶てる?俺はあんたの死ぬところを見るなんて御免だ」
「馬鹿なことを…っ!」
「どちらが、馬鹿だ!」
 冷ややかな声が御堂の言葉を切り捨てた。
「あんたが死んだら、誰が、死んだ彼らの家族に彼らのことを伝えるんだ?」
「っ……!」
 問いかけられた低い声に絶句する。
 度重なる極限の戦いは、人間らしい感情も思考も全てを溶かして奪っていった。気が付けば、空っぽの身体と頭で戦い続けるだけの人形になりそうなところを、部下を率いる士官として、極限のところでどうにか自分を保っていたのだ。
 戦争が終わったという事実に、喜びも悲しみもなかった。ただ、それが生き続ける最後の理由を失わせた。助けられる部下は助けて、死の際に苦しむ部下には乞われれば御堂がその苦しみを終わらせた。すべきことは全てやった。
 後は、この惨状の責任を取るだけだ。こうする以外、どんな責任の取り方があるというのだろう。
「戦争は終わったんだ。どんなに辛くても、生きていくのが残された者の務めではないのか。あんたが責任を感じるなら、死ぬことでなくて生きることが、本当の償いだろう」
「生きることが…償いになるのか?」
「死んだ部下や仲間たちの分まで、精一杯生きるんだ。あんたが生きる分だけ、あんたの仲間はあんたの心の中で生き続ける」
 揺らがぬ眼差しを御堂に注ぎながら、克哉は深い声で語りかける。その言葉はすっと浸透し深く響いた。
「……私だけ、生き延びていいのだろうか」
 覚悟を決めたはずなのに、躊躇いと迷いが生じる。自分の声とは思えないほど、みっともなく声が掠れて震えた。生にしがみつくことはあさましいことだ。華々しく散ることこそ帝国軍人のあるべき姿ではなかったのか。死ぬことはけじめをつけること同義だったはずだ。
 二人の間に落ちた沈黙を克哉が破った。
「生きるための理由が欲しいなら、いくらでも与えてやる。御堂、俺のために生きてくれ」
「佐伯……?」
 その意味が分からず問い返す。克哉は語気を強めた。
「頼む、御堂。生きてくれ、俺のために」
「…何を」
 それは熱のこもった切実な響きで胸を打った。空っぽになった胸に少しずつ、満ちてくるものがある。
 克哉は御堂を瞬きもせずに強い眼差しで射貫きながら、御堂に一歩、歩みを寄せた。
 距離を詰められたことにハッと気付き、自らに当てる銃剣を持ち直した。
「来るなっ!」
 その牽制に怯むことなく、克哉はこめかみに拳銃を当てたまま、さらにもう一歩御堂に向けて歩を進めた。
「御堂、あんたのことが好きだ」
 その低い声は、真っ直ぐと届いた。
「何?…どういうことだ?」
 混乱した頭で克哉の言葉を反芻し、その意味を理解し呆然として聞き直した。
「つまり、こういうことだ」
 克哉の行動は素早かった。御堂の一瞬の隙を逃さずに、大きく踏み込んだ。自らの拳銃を投げ捨てて飛びかかる。
「さえっ…!」
 克哉の両手が御堂の銃剣にかかる。そのまま揉みあう形で二人で倒れこんだ。
「離せっ!」
「離すかっ」
 取り上げられた銃剣を力任せに奪い返そうとするが、消耗した体力と腕力では克哉にかなわない。克哉は奪い取った銃剣を遠くに放り投げた。
 地面に倒した御堂の身体に馬乗りになって動きを封じられる。克哉の両手が顔に伸びた。何度も繰り返された凌辱の記憶がよみがえり、恐怖に駆られて首を必死に振った。
「よせっ!」
 両手で顔を包み込まれて、正面を向かされる。克哉の眼差しとぶつかった。
「佐伯……?」
 レンズ越しの眸がどこまでも深く真摯で、身じろぎを忘れて魅入った。顔がゆっくりと落ちてくる。唇に唇を押し重ねられた。咄嗟に唇を硬く結んで拒もうとしたが、柔らかく愛おしむように唇の隙間を舌で撫でられた。
「ふっ……、んんっ」
 その優しい口づけは記憶にあった。水を口移しで何度も与えられた時の感触と違わない。
 やはり、あれは夢ではなかったのだ。
 震える心に抵抗する気持ちを崩されて、唇を薄く開いた。熱く濡れた舌が入り込んでくる。そっと触れるような慎重さで始まった接吻は次第に力強く深くなった。舌を絡めとられて、粘膜を舐められる。克哉の背に手を回して引き寄せれば、覆い被さるように静かに重みがかかる。身体を重ねながら、頭の芯が痺れるくらい、その行為に没頭する。
 全てを溶かすような長い口づけの最後に唇を痛いほど吸い上げられて、濡れた唇をようやく克哉が離した。閉じていた目を開けば、レンズ越しの濡れた眸が間近で見下ろしてくる。
「御堂、あなたが欲しい」
「私は……」
 そう、はっきりと告げられて、言葉を失った。求められることに嫌悪はなかった。むしろ嬉しくさえある。
 それなのに、その後の言葉が続かない。自分は、克哉に縋ろうとしているだけなのではないだろうか。自分だけが生き残って、ひとり生きていくことの罪の重さから逃れて、克哉の気持ちに付け込もうとしているだけなのではないのか。
 克哉は、強引に先を進めることはしなかった。御堂を抱きしめたまま温もりを分かち合っている。
 今だけは、この優しさに溺れてもいいのだろうか。自分の胸の裡に渦巻く感情を掴みきれず、涙が溢れた。堪えきれずにこめかみを伝う。
 答える代わりに、克哉に小さくうなずいた。克哉が御堂の眦に口づけを落として、涙をぬぐった。喉元がつかえたように言葉が出ない。そのまま、使い物にならない唇を塞がれる。
 克哉の指が軍服の襟元にかかり、前を寛げられた。交わし合う接吻をずらしながら、頬に首筋を吸われる。肌蹴られた胸元を緩く手が撫でまわし、感触を凝らせて快感へと変えていく。湿った肌がざわめきだした。
 克哉の唇が胸元へと降りてくる。胸の尖りを舌先で舐められ、唇で挟まれる。
「ぁ……っ」
 その鋭い感触に上擦った声を上げそうになる。手の甲で口を塞ごうとして、その手を押さえつけられた。
「我慢しなくていい。誰も聞いてやしない」
 ジャングルの密林に囲まれて二人きり。それはそうだろう。だが、こんな場所で行為に及ぶこと自体が激しい羞恥を煽るのだ。
 克哉はたっぷりと乳首を舐って勃たせると、唇を優しく肌に添わせながら、下腹部へと下ろしていった。軍服のズボンに手をかけ脱がすと、下帯が覗く。その帯の下に形を兆した性器があった。
「佐伯っ」
 嗚咽めいた声で名前を呼んで止めようとするが、克哉は気にかけることなく帯を解いた。自分の性器を雲一つない青空の下に晒される。今度こそ、激しい羞恥に顔が燃えた。
 克哉はそんな御堂を気にかけることなく、ごく自然な所作で御堂のペニスを口に咥えた。
「んんっ、あ……っ」
 先端の小孔を尖らせた舌がなぞる。押し殺そうとした声が喉から洩れた。
 克哉は御堂のペニスにたっぷりと唾液を絡めると、唇で輪を作り扱いていく。克哉の熱い口の中で、自分のモノが育っていく。克哉によって高ぶらされたそこは、屹立して張り詰めた。
「それ以上、は、…あ、駄目だっ」
 その硬さを確かめるよう克哉が口を使う度に、急激に射精感が高まっていく。耐え難い刺激を堪えようと、膝を立てて力を込めた。それでも溢れだした快楽は全身を駆け巡る。
 もうイく、そう思った寸前に、ペニスから口が離れた。解放された安堵と寸止めにされた欲望がない交ぜになって身悶える。
「く、あ…」
 克哉が上半身を起こすと、御堂の脚を大きく割った。狭間が全て曝け出されるくらいに深く身体を折られる。眩ゆい太陽の下に、決して他人に見せることのない部位を露わにされて、激しく鼓動が打ち出した。羞恥に震える。
 克哉が指を自分の口に含んだ。その指が唾液にしとどに濡れて、てらてらと輝く。その指を窄まりに当てた。唾液を染み込ませるように、柔らかく沈ませる。
「ん、…くぅ」
「きついな。使ってなかったのか」
「あたり、前だっ」
 一年ぶりの行為だ。その時とは気の持ちようが全く異なるが、深く沈んでいく指にさえ激しい異物感を覚え、背を弓なりにそらした。
「力を抜け」
「無理、だ」
 ぎちぎちと克哉の指を食いしめる内壁を自分ではどうにもできない。克哉が少し指を動かすだけで、困惑するほどの鋭い刺激が走るのだ。
「仕方ないな」
「……んんっ」
 克哉が覆いかぶさるように上体を伏せて、口づけを唇に落とした。甘やかすように、唇を甘噛みして、舌を優しく吸われる。その口づけに気を取られると、アヌスに2本目の指が潜り込んだ。指を根元まで挿して引き抜かれる動きに、塞がれた唇から声が漏れる
「ん、ふっ…ぁっ」
 ねっとりと唇を重ねられながら、指を受け入れさせられる。3本目の指を含まされて、丹念に中を拡げられる。反り返るほど滾った自分のペニスの先端からは、わずかに白さの混じった蜜が滴り、下腹部を濡らしていった。
 克哉が指を抜いて、口を離した。体内から指が抜ける感触に、手を握りしめる。
 克哉は潔い動作で自分の軍服を脱ぎ捨てた。無駄のない締まった身体が露わになり、視線が縫い付けられた。
 多分、この男と自分は羞恥心の尺度が違うのだろう。克哉は御堂の視線に構うことなく、昂ぶる身体を重ねた。
「――っ、く」
 狭い窄まりに重圧がかかる。身体を割り拓かれる感触に唇を噛みしめて身体を固くすると、その動きが止まった。克哉が自分を慎重に伺う視線を感じる。
「大丈夫か」
「大、丈夫…だ」
 むしろこのままの状態で留め置かれる方が苦しい。精一杯の声で克哉を促すと、克哉は繊細に労わりながらも、確実に腰を進めてきた。その張り詰めた体に筋肉が浮き立ち、うっすらと刷いた汗が光る。
「ん、…っ、あ、ああっ」
 時間をかけて深く身体を繋がれた。その圧迫感の辛さ以上に、陶酔にも似た強烈な快楽に身体の芯を侵される。克哉がゆっくりと腰を使い始めた。
「ひ……っ、は、あ―っ」
 仰け反りながら、喘ぐ声を伸ばす。大きな抽送に身体ががくがくと引き攣れる。克哉の指がペニスに絡んだ。
「あ、そこは、やめっ」
「御堂、俺を見ろ」
 濡れた眸で見上げれば、克哉の顔が落ちてくる。音を立てて口づけを数え切れないほど交わしながら、制御できない悦楽に翻弄される。
 克哉の動きは激しく強くなり、すぐに喘ぐことしかできなくなった。濡れた音と肌がぶつかる音が響きわたる。深く抉られるその動きに、身体の中で荒れ狂うような愉悦のうねりが起きた。
「あ、さえっ、き、…ああっ!!」
 叫ぶように身体を跳ねさせて、爆ぜた。克哉が低く喉を鳴らして、最奥に自身を穿つと、最後の一滴まで全てを中に注ぎ込んだ。
 思考も身体も、全てが蕩かされてしまうような悦楽に、身体を大きく仰け反らせた。

 無数の星が頭上で瞬く。
 熱帯の湿った夜の空気は、汗で濡れそぼった身体をじっとりと包み込んだ。何度も行為を重ねた身体は酷く重く、身体の奥深いところで、いまだ克哉を咥えているような錯覚さえ引き起こす。
 重い瞼を震わせて身体を沿わせて横たわる克哉を見遣れば、克哉はじっとこちらに眼差しを向けていた。長い腕で抱き寄せられて、その肩に頭を預けた。耳元で深い声で囁かれる。
「御堂、日本に帰れ」
「……分かった」
 それはすなわち、克哉との別れを意味する。だが、その切なさを殺して返した。
 この胸が痛む慕情も何もかもが、一時の気の迷いなのかもしれない。
 だが、克哉は、もう少し生きてみようと思う理由と希望を与えてくれた。それだけで十分だ。
「約束、忘れるなよ?」
「約束?」
 念を押すように低く言われて、ハッと顔を上げた。
「俺に日本という国を教えてくれるんだろう?桜という花も見てみたいしな」
 頬を撫でるように手を添えられる。注がれる眼差しは温かい。
 戦争は終わったのだ。同じ空の下、克哉と御堂を隔てるものは、何もない。
 克哉の目をしっかりと見返した。
「ああ、佐伯。約束は守る」
「克哉だ」
 そう訂正を入れられる。
「親しい者同士はファーストネームで呼び合う。日本では違うのか」
「いや、違わないな」
 その返事に克哉は満足げな笑みを浮かべた。額をすり合わせるように顔を寄せて、囁いた。
「愛している、孝典。あんたの国を俺の祖国にしたい」
「……克哉」
 胸が、苦しい。
 どうしても、その先の言葉が続かない。その言葉に応えきれないもどかしさを感じたが、克哉はそれを責めることもなく、口づけを落としてきた。それをそのまま受け止める。交わし合う唇と唇の間に、確かな気持ちを感じながら。


 翌朝、御堂は克哉に付き添われて、アメリカ軍に投降した。
 再び捕虜の身分となったが、戦争が終わったこともあり、事務的な尋問と手続きを得た後、数か月を経て復員した。
 克哉とはあれきり顔を合わすことはなかった。軍令に従う克哉は、勝手な行動は許されないことは分かっていたが、一抹の寂しさを感じた。
 日本の地に降り立って、御堂は空を見上げた。
 南国の強烈な陽射しはなく、冬の始まりの薄い空がその頭上にあった。これが、祖国の空だ。そして、この空の彼方には、克哉がいる。
 空襲で焼け野原となった東京を戸惑いながら自宅に向かえば、両親は無事で家も焼失を免れていた。
 慌ただしい戦後の復興の最中、敗戦国となった事実に打ちひしがれている暇はなかった。誰もが未来に眼差しを向けて、必死に生きていた。
 帝国軍が無くなった今、御堂は最早軍人ではなかった。堪能な語学力をもって貿易関係の事業を立ち上げ、うまく軌道に乗せた。軍がなくなり失業した、かつての部下たちも雇うことが出来ている。
 その傍ら、亡くなった部下たちの遺族を探しては、戦場での彼らの記憶を伝えて弔うことも行っていた。残された者の戦争の記憶が癒えるまでは、気の遠くなるような時間がかかるだろう。
 
「それでは、御堂さん、また明日」
「ああ。藤田、後はよろしく頼む」
 仕事の事務所として使っている建物の部屋を、御堂は後にした。
 吹き付ける風は春の息吹を感じる。長い冬は終わった。
 事務所近くに借りた屋敷へと帰途につくと、自宅の周辺が騒がしいことに気が付いた。
 子どもたちが、大騒ぎをして群がっている。東京に残留している米兵でもいるのだろうか、と目を凝らせば、軍服を着た兵士ではない。スーツを着こなした長身の体躯。明るい髪色に薄い虹彩、そして、メタルフレームの眼鏡が端正な顔立ちを引き締めている。レンズの奥の双眸がこちらを向いた。
 その瞬間、時が止まったように思えた。埃が舞い上がる雑踏の中で、その人物は、一人鮮やかな色彩を纏っているようだ。
 御堂を視界に収めたその男は、笑みを深めて御堂に歩み寄った。
「Takanori ! Long time no see !」
「佐伯!?」
 人混みの往来で、その出で立ちはあまりにも目立ちすぎる。
 慌てて佐伯の手を引いて、屋敷の敷地の門の中に連れ込んだ。
 克哉は引っ張られるままに御堂に連れられて、物珍しそうに周囲を見渡した。
「ここが、あんたの家か。随分探したぞ」
「佐伯……」
 舌がもつれて言葉が出ない。胸が熱く震えだす。
 克哉の眼鏡の向こうの眦が緩んだ。その眼差しはどこまでも優しい。
「約束だろう?俺に日本という国を教えてくれ。そして、桜を見せてくれ」
 返事代わりに克哉の襟元を掴み、ぐいと顔を寄せた。頬に手を添えて、そのまま唇を押し付ける。
 レンズ越しの眸が大きく開かれた。

 深い接吻をすることなく、その唇を軽く音を立てて吸うだけで離した。唇が触れ合う距離で気持ちを伝える。
「克哉、君が好きだ」
 戦場で伝えられなかった言葉。それを克哉に届けたいとずっと思っていた。
 克哉が表情を綻ばして御堂を強く抱き寄せた。
「日本語は不得意なんだ。もう一度、大きな声で言ってくれないか?」
「馬鹿を言うなっ」
 この一言を伝えるだけでも、自分がどれほどの勇気と覚悟を振り絞ったのか、この男には永遠に分かるまい。
 渋面を作ってみせれば、克哉が笑って深く唇を噛み合わせてくる。自らも、克哉の背中に手をまわし舌を絡ませた。
 互いの腕の中で、思う存分、気持ちを交わし合う。
 同じ空の下、互いの熱を腕の中に抱く。たとえようのない幸福感に包まれた。
 
 桜の蕾は綻びかけて、開花まであともう少し。

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