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​インフェルノ
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パラレル設定です。

CP:眼鏡克哉(弟・22歳)×御堂(兄・29歳)

​の兄弟設定ですのでくれぐれもお気を付けください。設定上、年齢が本編よりも若くなっています。

​-あらすじ-

MGN社の開発部に配属された御堂。社内コンペを控えた多忙な時期に、弟の克哉が家に転がり込んできた。御堂はこの弟を苦手としていて……。

1
Pro

 パソコンのディスプレイに映る時計が午後六時を指した瞬間、オフィスがざわめき始めた。
 定時を迎えると、社員たちは一斉に席を立つ。外資系企業であるMGN社では総合職にフレックスタイム制が導入されているが、一般職の社員は従来どおりの9時6時勤務だ。残業は強制されず、それぞれが職務を全うしていれば、定時退社に咎める声はない。社員一人一人に割り当てられる広々としたデスクスペースと洗練されたオフィスデザインのおかげで、50名以上が在籍する部署でありながら息苦しさを感じることもない。
「御堂さん、お先に失礼します」
「ああ、お疲れさま」
 背後から声をかけられて、御堂はパソコン画面に視線を据えたまま挨拶を返したが、相手はその場を動こうとしなかった。御堂はひとつ息を吐いて、キーボードを叩く手を止めると顔を向けた。そこに立っているのは企画開発部の事務の女性だ。
 整った顔立ちは隙のないメイクで彩られ、ピンクのネイルに煌めくストーンが施された指先が目に入る。爪の先から髪の毛一本に至るまで、完璧に磨き上げられた姿。女性は御堂と視線を合わせると、柔らかく微笑んだ。
「御堂さん、いつも本当にお疲れさまです」
「何か?」
「いえ……、最近いつも遅くまで仕事されているようなので。これ、よろしければ差し入れです」
 彼女が差し出したのは、丁寧にラッピングされた小箱。印字されたロゴを見て、御堂はそれが青山の有名なパティスリーの菓子だとすぐに気づいた。
「ありがとう」
 御堂は黙っていると表情が冷たく見えることを自覚している。だから、意識して柔らかい笑みを作り、菓子を受け取った。
「次からは気を遣わなくていい。仕事は会社で終わらせたいだけだからな」
 女性は微笑みを絶やさぬまま言う。
「社内コンペに参加されるのですよね。頑張ってください」
「ああ。この部署からは私以外もたくさん参加する。君からも応援してやってくれ」
 相手の意図も期待も理解した上で、やんわりと、しかしきっぱりと拒絶する。女性はわずかに表情を曇らせたが、「応援しています」と言い残して去っていった。
 社内コンペ——それは新製品の企画を社員から募集し、優れた案があれば実際に開発・販売される制度だ。開発部のメンバーはほぼ全員が参加し、過去にはヒット商品も数多く生まれた。このコンペで評価されることは、出世への最短距離とも言われている。
 御堂は手渡された菓子箱を開けることなく鞄にしまい、再びパソコンへと向き合った。
 自分の外見や経歴が周囲にどのように映るのか、御堂は理解していた。180センチを超える長身と精緻に整った顔立ち。最高学府である東慶大学の法学部を卒業し、一流外資系企業MGN社に入社。一年目から花形部署である企画開発部に配属され、着実に実績を積んできた。
 中学時代から好意を寄せられることは日常茶飯事だった。性的なことに淡泊ではなかったため、言い寄ってくる相手の中から好みのタイプを選んで付き合ったが、どれも長続きしなかった。いまでは、恋愛に費やす労力のほうが煩わしいとさえ感じる。
 いまや入社6年目となり、そろそろ本格的に出世コースに乗るかどうかの篩い分けが行われる時期だ。そして、今回のコンペは幹部候補生として選ばれるかどうかの試金石だと言われていた。このコンペを勝ち取れば最年少クラスでの部長昇進も夢ではない。
 そんな重要な時期に、恋愛ごときに現(うつつ)を抜かしている場合ではない。仮に恋人を作るとしても、社内の狭い人間関係の中から選ぶ気はない。特に、先ほどの女性のように外見ばかり磨き上げて中身のない相手には興味すら持てなかった。
 とはいえ、社内の人間に冷淡な態度を取るわけにもいかない。紳士的な振る舞いを保ちながらも、きっぱりと拒絶する——それを、御堂は繰り返していた。

 
 夜遅く、家のドアの鍵を開けたところで、御堂は室内が明るいことに気が付いた。消し忘れ、というわけではなさそうだ。そして、玄関には自分のものではないスニーカーが揃えて置かれている。
 御堂は眉間にしわを寄せたところで、奥から長身の人影が現れた。その人物の顔を見て、御堂の眉間のしわはさらに深くなった。
「克哉か? 来ていたのか」
「おかえり、兄さん。随分と遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
 御堂を見つめるレンズ越しの目は細められ、整った顔に笑みが浮かぶ。その表情は御堂の帰りを純粋に喜んでいるようだったが、御堂は冷たく返した。
「お前が来るなんて聞いてない。どけ」
 御堂は克哉を押しのけて中へと入る。持っていたブリーフケースを置いてじろりと克哉を睨みつける。
「どうやって入った? 合鍵か?」
「ああ。父さんから借りた」
「勝手なことを……」
 悪びれない口調で言う克哉に御堂は露骨な不快感を眉に伝えた。
「私の不在時に勝手に入ってくるな。鍵を出せ」
「どうして? 兄弟なんだし問題ないだろう? それとも、恋人を連れ込んだりするのか? ……いや、兄さんに限ってそれはないか」
 どこまでも軽い口調で返す克哉を、御堂は視線できつく牽制した。
 生成りのシャツとデニムといったラフな格好の克哉は七歳下の弟だ。身長や体格は御堂とほぼ変わらないが、顔の印象は御堂とはまるで違う。御堂が父方からの黒髪と黒い眸を受け継ぎ端正ながらも冷厳な印象を与える御堂に対して、克哉は母方の淡い色合いの髪と蒼みがかった眸を持ち、華やかで色気のある顔立ちだ。
 御堂はどちらかといえば人を寄せ付けないような厳しさを相手に印象づけるが、七歳離れた弟である克哉はむしろ人を惑わすような蠱惑さがあった。御堂と七歳離れた弟は、持ち前の端正なマスクで柔らかく微笑んで、誰の心にもすっと入り込むような天賦の才がある。しかし大学に入った頃から使うようになったメタルフレームの眼鏡は表情を怜悧に引き締めていて、表情を消せば人形のようにひどく冷淡にも見えた。
 克哉とは血の繋がった兄弟だが、名字は違った。四年前に両親が離婚して、成人済だった御堂は父の戸籍に残ったが、克哉は母の戸籍に入り母方の旧姓である「佐伯」に改姓した。
 顔立ちも名字も異なり、年齢も七歳差とあっては付き合う友人たちも重なることはなかった。克哉と兄弟であることを知っている人間はごくわずかだ。
 両親の離婚は四年前だが、父と母の結婚生活はそれ以前からとっくに破綻していた。憎み合っての結果の別離と言うよりは互いに無関心になった故の選択といえる。互いに仕事人間として成功した立場にあり、金銭的な余裕もあった。家庭内が荒れていたという記憶はなく、御堂も克哉も物質的に不自由なく育てられた。両親は夫婦としての愛情はなくしても、子どもに対する人並みの愛情はあったのだろう。
 だから、克哉が高校を卒業して、子育てがひと段落するのを待っての離婚だった。MGN社ですでに働いていた御堂は、両親の事情について口出しするつもりなかった。一方、当時十八歳だった克哉は未成年だ。父と母のどちらが親権を持つかは克哉に選択が委ねられた。克哉は都内の大学進学も決まっていて、どちらについていっても経済的な心配はなかったが、克哉はあっさりと母親についていくことを選び、名前を佐伯克哉に変更したのだ。
 母親っ子であるように見えなかった克哉が母親を選んだことが意外で、なにかの折に理由を聞いてみた。当の本人はあっけらかんとしたもので、「大学デビューに合わせて、名字を変えるのも悪くないだろう?」と軽く言ってのけた。実際、名字が変わったものの、克哉の両親に対する態度は変化なく、父親のところにも時折顔を出しているらしい。
 突然やってきた弟に戸惑いながらも、御堂はジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めながら克哉に尋ねた。
「就活はどうだ? 内定はとったのか?」
「父さんみたいなことを言うんだな。本当は興味もないくせに」
 そう切り返されて言葉に詰まる。克哉はそんな御堂を可笑しそうに見詰めながら続けた。
「卒業に必要な単位は取っているし、内定も問題ない。就職先に困ることはないさ」
「どこに決まった?」
「さあ、どこだったかな」
 克哉は御堂の問いをはぐらかした。
 克哉は幼い頃から御堂に負けず劣らず神童ぶりを発揮していた。学業もスポーツも万能で、容姿の端正さもあって幼稚園のころからバレンタインチョコを山のようにもらっていた。それが、小学校卒業を境に成績は平凡になり、活発さも影を潜めた。
 とはいえ、克哉が中学に入るころには御堂は大学生になって家を出ていたものだから、その後の克哉のことは正直よく知らなかった。克哉は都内の私立大学に進学したが、御堂が入った東慶大よりも二ランクほど下の大学だ。御堂からしたら受験に失敗したようにしか思えないが、克哉は飄々としたもので落ち込む様子もない。そして、その頃から克哉はちょくちょく御堂の部屋に顔を出すようになった。一人暮らしを始めて、眼鏡をかけるようになり、雰囲気はすっかり垢抜けた。身長も伸びてそれに伴って男らしい体格になった。
 御堂を慕う素振りを見せる克哉だが、いまや御堂はこの弟を苦手としていた。しかし、克哉にそうと悟られることも癪だった。だからこそ、ことさら冷たい素振りで言う。
「さっさと帰れ」
「それが、俺のアパート、取り壊しになるんだ。だから、卒業までのあいだ、兄さんのところに泊めてくれないか? もう荷物は運び込んだ」
「なんだって?」
 克哉の言葉に驚いて、慌ててリビングに入ると、部屋の片隅に段ボールが数個積み上げられていた。御堂は怒りに赤くした顔を克哉に向けた。
「勝手なことをするな。マンスリーのアパートでも借りればいいだろう」
「父さんに相談したら、兄さんのところに住めば良いと合鍵を貸してくれたが」
「……なに?」
 小さく舌打ちをする。たしかにすべてにおいて無頓着な父ならそう言いかねない。
「俺はこのソファで寝起きするから問題ない」
 克哉はリビングのソファに腰を下ろし、当然のようにくつろいだ。
 この2LDKの賃貸の部屋はMGN社に就職したときに引っ越したところだ。それまで住んでいた部屋よりグレードを上げ、一人暮らしには十分すぎる広さだった。克哉が転がり込んできたところで、物理的に困ることはない。しかし、御堂はそもそも誰かと暮らすつもりはなかったし、ましてや弟と同居するなど想定外だった。 
 兄弟仲は悪くなかった。七歳という年の差もあってか、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。ほどほどの距離感で接する御堂に対して、克哉はやたらと御堂を慕ってきた。両親の仲が悪く簡単に甘えられない雰囲気もあったかもしれない。御堂も懐かれることを煩わしく思ったことはなかった。ただ、克哉が成長し、少年のあどけなさを失った頃から、油断ならない光を目に宿すようになった。兄を慕ってくる態度は変わらないのに御堂が頑なに警戒してしまうのは、ある出来事があったからだ。
 

 東慶大学に入学すると同時に御堂は家を出た。自宅から通える範囲の大学だったが、御堂は自ら希望して一人暮らしを始めた。金銭的な余裕もあり、両親の反対もなかった。ただひとり、克哉だけが寂しがったが御堂は大学生活に心が奪われていた。国内最高学府に集まる優秀な仲間たち、世界的に名高い教授陣による講義、そしてサークル活動。すべてが新鮮で目まぐるしく日々が過ぎていった。
 実家にはたびたび顔を出していたが、それは義務的なものだった。家族との食事の場では、決まって克哉が「大学で何をしているのか」「どんな友人がいるのか」と矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。自分の家に帰ろうとする御堂を引き留めることも度々だった。
 克哉が時折、御堂の部屋を訪ねてくることもあった。しかし、多忙な御堂にとって、弟の訪問を快く迎える余裕はなかった。彼の態度は次第にぞんざいになり、克哉もそれを察してか、以前より訪ねてくる頻度を減らしていった。
 四年間の大学生活を終え、御堂は優秀な成績で卒業し、第一志望であるMGN社に入社した。順調に業績を積み重ね、三年目春、ようやく希望の開発部へと配属された。慣れない開発部での業務、そして、新人研修の指導役として激務に追われていた。そんなる日、歓迎会の幹事をまかされた御堂は深酒をして泥酔した状態で帰宅した。部屋に入ると克哉がいた。その頃、克哉は高校生で、親から合鍵を借りて御堂の部屋に勝手に上がり込むことがあった。詰め襟の黒の学生服姿のまま、御堂を見て呆れたように言う。
「飲み過ぎだ」
「仕事の付き合いだ。仕方ないだろう」
 ろれつが回らない口調で足取りも覚束ない。克哉はため息を吐きながらも御堂を甲斐甲斐しく介抱した。スーツのジャケットを脱がし、ネクタイを解き、水を飲ませた。
 さらにはシャツを脱がそうしてくる克哉を御堂は鬱陶しそうに払うとワイシャツとスラックス姿でベッドに倒れ込む。
「兄さん、ダメだよ。ちゃんと脱がないと」
「もういい、お前は帰れ……。帰る前に電気を消しておけ……」
 泥のように重い疲労とアルコールが意識を引きずり込む。眠りに落ちる寸前、カチャカチャと金具の音がした。
 ベルトを外され、ズボンを脱がされる。ワイシャツのボタンも外されたところで、御堂はようやく異変に気が付いた。下半身が妙に涼しい。ハッとして目を開けると、ズボンごとアンダーまで脱がされていた。
「何をする」
「兄さん、無防備すぎるでしょう。俺の前でこんな姿を晒すなんで」
 ベッドの足元に立つ男を見上げた。いつのまにこんなに身長が伸びたのだろう。
 薄暗い部屋の中で、克哉のレンズが冷たく光を反射していた。
 表情ははっきりと見えない。しかし、唇の端に昏い笑みを浮かべているのがわかった。
「克哉……?」
 ぼんやりとした眼差しで克哉を見返した。克哉は頭を御堂の股間に埋めてくる。
「ぁ……あっ」
 次の瞬間、剥き出しにしたペニスを熱い口腔でくるまれた。ぬめる舌が絡みつき、根元から先端までしゃぶられて鮮烈な快感が走った。
 克哉の髪を掴んで止めさせようとした。だが泥酔した身体は力が入らずされるがままだ。それどころか男が感じるところをわかりきった的確な愛撫にあっという間に御堂のペニスはきつく張り詰めた。
「やめ……」
 克哉にやめさせようと呻くが、身体はまともに動かず呂律もはっきりしない。それどころか酩酊した思考は克哉によってもたらされる快楽にぐずぐずと溶けていく。
「は……ぁ、あっ、あっ」
 先端を舌でくじかれ、唇の輪で幹をしごかれる。同時に陰嚢をやわやわと揉まれ、限界はすぐにやってきた。
「――っ、ぁああっ」
 白濁をだくだくと克哉の口の中に放った。克哉は御堂のペニスを深く咥えたまま粘液を呑み込んでいった。同時に御堂のペニスを根元から扱いて最後の一滴まで絞り出すとようやく口を離した。
「今夜はこれくらいにしておく。おやすみ、兄さん」
 激しい絶頂に息を荒げる。朦朧とした視界の中で克哉が立ち上がった。下着を元に戻され、克哉は部屋を出て行った。
 いま何が起きたのだろう。理解が追い付かないまま意識が闇に溶けていった。


 翌朝、克哉の姿はなかった。
 振り返ってみればすべてが夢だったように思うが、それにしては生々しさがあった。克哉に口淫を施された強烈な感覚はとても夢とは思えない。
 かといって自分から克哉に連絡を取って問いただすこともできなかった。もし何もなかったのだとしたら、酔った自分が馬鹿げた妄想をしただけだと笑われるだろう。だが、もし、あれが現実だったとしたら……。
 そんな葛藤を抱えたまま時間が過ぎ、次に克哉と顔を合わせたとき、克哉は何事もなかったかのように、いつもどおりの態度で接してきた。
 となればやはり夢だったのかと自分をむりやり納得させたのだが、それでも克哉に対する疑念と怖れは御堂の心の奥底に居座り続けた。それは、自分を追いかける小さい弟だった克哉が、いつの間にか大人の男になっていたという脅威と、自分に向ける感情に兄弟としてのそれとは違うのではないかという疑念だ。
 そのせいで克哉のことが苦手になり克哉に対してそっけない態度をとり続けてきた。
 あれから四年経ち、御堂は29歳、克哉は22歳になった。克哉は無事に大学を卒業できるようだが、勝手に部屋に転がり込んでくるのは腹立たしい。克哉をリビングに残したまま御堂はキッチンに移動し、父に連絡した。夜も更けた時間だったが、父は御堂の電話に出た。どういうことなのか、と問いただすと、父親は「連絡を忘れていてすまなかったな。だがまあ、克哉をよろしく頼む」とだけ言って電話を切った。
 いらだちをどうにか抑えながらリビングに戻る。リビングでは克哉がくつろぎながらテレビを見ていた。克哉に冷たく告げる。
「話は聞いた。この家に泊まっていいが、今週末までだ」
「今週末?」
「土曜になったら不動産屋に行って、ウィークリーマンションを契約する。そっちに移れ」
「ずいぶんと冷たいじゃないか、兄さん」
 克哉は大げさに傷ついた口調で言うが、レンズ越しの眸は鋭く御堂を見据えてて、御堂は居心地の悪さを感じながら口を開く。
「いま仕事で大事な時期なんだ。邪魔をされたくない」
「邪魔する気はないのに」
「お前が家にいるだけで調子が狂う」
「家族なのに?」
「しつこいぞ」
 無理やり話を打ち切って御堂は寝室へと引っ込んだ。念のため、鍵をかける。
 普通に考えれば弟がやむを得ない事情で居候するだけのことで、警戒する必要はないのだ。それでも、嫌な予感が背筋をすうっと伝い落ちた。


 翌朝、目を覚まし寝室を出ると、コーヒーの芳醇な香りが漂っていた。昨夜コーヒーメーカーをセットした記憶はない。ダイニングに顔を出すと、克哉が朝食の準備をしていた。淹れたてのコーヒーとパン、それとスクランブルエッグといった簡単なものではあったが、食欲をそそる香りと見た目だ。
 朝は自炊せずに会社近くのカフェでコーヒーとサンドイッチを調達している御堂は新鮮な気持ちで食卓を眺め、そして克哉に顔を向けた。
「お前が作ったのか?」
「それ以外誰がいるんだ」
 克哉は笑って、コーヒーをなみなみと注いだマグを御堂の前のテーブルに置いた。
「居候させてもらっているからな。これくらいはしないと」
「そんなことに気を遣うくらいならさっさとこの部屋を出ていけ」
「相変わらず冷たいな」
 克哉は御堂の言葉をたいして気にも留めない様子で向かいの席に座った。寝起きで食欲はなかったが、せっかく用意されたものを無下にするのは気が引けて、仕方なく御堂も椅子を引いた。
 ひとくち食べると、スクランブルエッグの塩気と胡椒の加減が絶妙だった。克哉は食事を食べながら口を開いた。
「そういえば、最近ワインに興味があるのか?」
 克哉はリビングの隅にあるワインセラーに気づいたのだろう。それなりの存在感があるそれには、御堂が少しずつ集めた気に入ったワインや値打ち物のワインが並んでいる。
「ああ。接待などで飲む場面も多いからな。たしなみとして学ぼうと思ったら、意外と奥が深くてな。大学時代の友人とも定期的にワインバーに通うようになった」
「大学時代の友人? まだ付き合いがあるのか?」
「それくらいあるだろう。気が合う者同士だがな。同じ社に入った者もいるし」
「ふうん……」
 克哉は含みのある声音で相槌を打つと、さらりと言った。
「あんまり飲みすぎて泥酔するなよ」
「っ……」
 ぎくりと体がこわばった。あの夜のことを思い出す。恐る恐る克哉を見返したが、克哉は変わらぬ調子で朝食を平らげ、食器を手に立ち上がった。
「食べた後はそのままでいい。俺が片付けるから」
「ああ……」
 克哉はキッチンに立つと自分が使った食器を洗っていく。一人暮らしに慣れた手際の良さだ。
 そんな克哉の後姿を見つめながら訊いた。
「大学の講義はあるのか?」
「もう必要な単位は取ってるから、行かなくても大丈夫だ」
「学生は気楽でうらやましいな。そんな暇があるなら引越し先でも探してこい」
「ああ、残念ながら兄さんに歓迎されていないようだしな」
 嘆くような口ぶりで克哉は言うが、心の底から嘆き悲しんでいるようなそぶりはない。本当に不動産屋に行くかどうかも怪しいところだ。自分の時間がとられるのは癪だが、土曜日になったら御堂自ら克哉の引越し先を探すべきだろう。
「ごちそうさま」
 そう言って御堂は朝食を終えて、出勤の支度を始めた。

(1)
2

「御堂、おはよう。調子どう?」
 MGN社のビルのエントランスをくぐると、軽快な声が響いた。
 声の主は同じ開発部の同僚、本城だった。
 緩やかにウェーブした髪に甘く整った顔立ち。明るい色味のイタリア製スーツとマルチカラーの派手なネクタイはホストと見まがう装いだが、本城はそれを嫌味なく着こなしてみせるセンスがある。
「いつもどおりだ」
 そっけなく返すが、本城は気にした様子もなく、御堂の横に並んでエレベーターへ向かう。
 エレベーターホールには出勤してきた多くの社員がエレベーターを待っていたが、顔の広い本城はあちらこちらから挨拶をされ、にこやかな顔で挨拶を返している。女性に対しても常に優しく柔らかな物腰で接する本城は社内の女性陣にも人気が高いという。ひととおり挨拶し終えて本城はふと思い出したかのように御堂に顔を向けた。
「そうだ、御堂。総務の女性陣との飲み会に誘われたけど、一緒にどう? 」
「遠慮しておこう」
「ワインバーでの会なんだけどな。お前が以前飲みたいと言っていたシャトー・ポンテ・カネ2015やドメーヌ・ルフレーヴ ピュリニー・モンラッシェ2020もリストに入っているんだけど、本当にいいのか?」
 本城が挙げたワインの名前に、一瞬心が揺らいだ。どちらも優れたヴィンテージだ。ポンテ・カネ2015は力強くエレガントなボルドーであり、ピュリニー・モンラッシェ2020は繊細なミネラル感を持つ逸品だ。
 しかし、それならばなおのこと、安っぽい飲み会ではなく、ワインを本当に理解し、その深みを共有できる相手とじっくり楽しみたい。
 本城はともかく、ファッション感覚でワインを選び、ただの流行として消費する女性たちと飲むのは、御堂の流儀に合わない。
「やはり、遠慮する」
「相変わらずお堅いなあ」
 本城は肩をすくめ、苦笑する。
「大学時代からそうだったよな。こういう飲み会には出ないくせに、しっかり美人をゲットしてるんだよな」
 本城は学部こそ違うが大学時代からの友人だ。お互いの若気の至りを知っている間柄でもある。御堂は本城を睨みつけた。
「昔の話はやめろ。それにしても、お前は飲み会に現(うつつ)を抜かしても大丈夫なのか?」
「仕事も遊びも全力で、が俺のモットーだからね」
 本城は軽い調子で言いながら片目をウィンクして見せる。御堂はその仕草を冷ややかに見つめた。
 本城も開発部所属の若手である以上、今度のコンペへの参加は必須だし、結果次第では出世の階段から弾かれる可能性もある。こうして御堂に気さくに話しかけてきてはいるが、上級役職のポストが限られている以上、熾烈な出世争いのライバルでもあった。
 本城はちらりと御堂に探る眼差しを向けた。
「で、御堂はコンペどうなの? 順調?」
「まあまあだ」
「へえ、どんなこと考えているか教えてよ」
「断る」
「ま、そりゃそうだよね。でも楽しみにしているよ」
 にべもない返答だったが、本城は気にしない様子で笑った。


 MGN社の花形部署と称される開発部の仕事は激務だ。膨大なタスクを捌きつつ的確な判断をくだす能力が求められる。そして、その日々の業務を遂行しながら御堂はコンペのための新商品の企画を練っていた。
 御堂は飲料水部門に参加する予定で、本城も同じ部門への参加を考えていると聞いていた。完成度の高い企画は即座に商品化されることも珍しくない。それがヒット商品ともなれば、開発者にとっては出世への最短ルートとなる。当然、MGN社の業績にも直結する重要なイベントであり、他の研究部門やマーケティング部もコンペに出す企画に関しては積極的に協力してくれていた。
 その日も御堂は発売間近の商品の製造工程の最終確認を終えたあと、自分のコンペの企画に本格的に取り掛かった。メールボックスを確認するとマーケティング部に頼んでいた市場調査レポートとトレンド分析が届いていた。それを精査しながら、商品のコンセプト設計を検討する。
 御堂が企画しているのは濃縮タイプの飲料で、購入者が自宅で割って飲む形式のものだった。買ってそのまま飲むことはできず余分な手間はかかることは否めない。しかし、世界的な感染症の流行による巣ごもり需要を考えれば、自宅で好きに作って飲める濃縮タイプ飲料の受け入れ素地が整ったのではないかと睨んだのだ。また、MGN社の既存商品を濃縮版として展開すれば、開発の手間を削減できるうえ、ブランドのネームバリューも活かせる。  
 御堂は研究部門に原材料の安定性や保存期間に関するデータ提供を依頼すると同時に、新商品のプレゼン資料も作成していた。今夜も残業で遅くなりそうで、スマートフォンを確認すると克哉から夕食はどうするのかと尋ねるメールが来ていた。ため息を短く吐いて、『残業で遅くなるから不要』と返信した。
 不快感が先行した同居だったが、克哉との暮らしは思っていたほどストレスがなかった。克哉は自分のことは自分でするし、部屋も散らかしたり御堂の私物を漁るような無神経さもなかった。七歳離れた社会人の兄に対する距離感というのをしっかりわきまえていた。とはいえ、克哉から「このままこの部屋にいさせてくれないか」という願いはきっぱり拒否した。
 誰かと一緒に暮らすということは、それが肉親であっても相手に対する遠慮とか気配りが必要になってくる。こういうことがいまの御堂にとっては煩わしいのだ。とくに御堂は他人に対する間口が狭い。恋人さえも自分の部屋に入れたことはなかった。克哉の存在さえも鬱陶しい。それでも週末までの辛抱だ、そう自分に言い聞かせながら、御堂は手元の資料に再び視線を落とした。

 

 金曜日の夜遅く、御堂が家に帰ると、リビングのセンターテーブルにワイングラスが二脚並べられていた。御堂の部屋の食器棚に置いてあるリーデルのワイングラスだ。
 奥から風呂上りの克哉が「おかえり」とタオルで濡れた髪を拭きつつ出てくる。
「これは?」
「兄さんと飲もうかと思って」
 と克哉が無造作に自分の荷物から取り出してきたのは一本の赤ワインだった。シンプルなラベルに輝く赤い菱形のマークを見て御堂は目を見張る。
「ヴェリテ・ラ・ジョワじゃないか。どうしたんだ、いったい」
「やっぱり知っているのか。さすがだな」
 克哉はちらりと笑った。
「大学の知り合いの面倒ごとを解決してやったら、お礼にもらったんだ。ワインはあまり飲まないからどうしようかと思っていたが、兄さんがワイン好きだと聞いてちょうどよかった。今日が最後の晩餐になるかもだろ? 一応、今までのお礼も兼ねて」
 ほう、と小さく息を漏らしながら、克哉から手渡されたワインをしげしげと眺めた。紛れもない、本物のヴェリテ・ラ・ジョワだ。
「このワインはカリフォルニア産だが、生産量が少なく希少性が高い。ワイン・アドヴォケイト誌で100点満点を何度も獲得し、世界的に評価されている一本だ」
「へえ、それなら楽しみだ」
 克哉は感心したふうに相槌を打ったが、その口ぶりからして、このワインの価値をどこまで理解しているかは怪しい。自他共に認めるワイン好きの御堂でさえ実際に飲むのは初めての逸品だ。自然と気分が高揚してくる。
 キッチンからソムリエナイフを持ってくると早速ワインを開栓した。それぞれのグラスにワインを注ぐと華やかな香りが広がった。グラスを掲げて克哉と乾杯する。一口含むと、深みのある果実味と、複雑なニュアンスが舌の上に広がる。
「カリフォルニアが誇る最高峰のカベルネ・ソーヴィニヨン主体のワインであり、その名のとおり「喜び(La Joie)」を体現した一本だな。力強くそれでいてエレガントだ」
「まるでソムリエみたいだな」
 茶化すように言う克哉を軽くにらみつける。だが腹を立てたりはしなかった。それくらい、このワインの素晴らしさが勝っていたからだ。
 克哉に飲ますにはもったいないと思いながらもグラスを傾ける。克哉はワインがあまり得意ではないのか、ほんの少し口にしただけで立ち上がった。
「なにかつまみはないかな。探してくる」
「私が用意する。チーズと生ハムがあるはずだ」
 立ち上がった克哉を制して言う。とっておきのワインだ。つまみもそれに相応しいものにした。ウォッシュチーズにイベリコ豚の生ハムを出して皿に盛りつけて持っていくと、克哉は「おいしそうだ」と嬉しそうな顔をして生ハムを早速一口つまむ。
「少ししょっぱいな」
「ワインと一緒に味わうんだ。旨味と脂肪分がワインの渋みと調和し、味わいが深まる」
「へえ……本当だ。これはたしかに合うな。がらりと味が変わる」
 感心した口調で言われ、悪い気はしない。気を良くしながら、ワインを飲んでいるとふいにぐらりと視界が揺れた。
「……っ」
「どうした?」
「……いや、めまいがして」
 飲みすぎだろうか。いや、まだワインを一本開けるほども飲んでいない。こめかみに手を当ててめまいを耐えようとするが、指先に力が入らない。違和感が背筋を這い上がる。思うように手を動かせず、指先がかすかに震えていることに気づいた。
「なにか、変だ」
 喉が渇くような感覚が広がる。頭が重い。 ソファに身を預けようとした瞬間、膝が崩れた。倒れこむように座面にしがみつくが、力が抜けていくばかりで、まともに起き上がれない。焦燥感がじわじわと胸を締めつける。
 視界の端で、克哉がゆっくりと立ち上がるのが見えた。煌々と照らす照明の下、その顔に浮かぶのは冷ややかな微笑で、御堂の異変を心配するどころかまるで楽しんでいるかのようだ。
「克哉、なにをした」
 焦りからか声が掠れて喉の奥で籠もった。
「兄さんなら賢いからもうわかっているんじゃないか?」
 克哉はふっと息を吐くように笑う。悪意が滴るような笑みを前に、心臓がぎゅっと凍えた。
「兄さんは俺の大学を馬鹿にしているが、兄さんが言うとおり、頭の軽い連中ばかりでさ。こういうドラッグも出回っているんだ」
「ドラッグだと……?」
「安心しろ、違法じゃない。処方箋でもらえるやつだ。ただ、使い方によってはレイプドラッグにもなる。たとえば、アルコールと一緒に飲ませるとか」
 克哉がゆっくりと近づいてくる。逃れられない獲物を前にした捕食者のような足取りで。
 腕を持ち上げようとしても、まるで鉛のように重い。脚を動かそうとしても、もはや自分のものではないかのように言うことを聞かない。
「力が入らないだろう?」
 囁かれた言葉に、背筋が冷えた。克哉の指がそっと御堂の顎を持ち上げる。顔を背けようとするが、思うように動かない身体が憎らしい。喉の奥から怒りがこみ上げてくるものの、それを声にすることすらできなかった。
「……く……」
「兄さんのこんな顔を見たかった」
 抗おうとする意思とは裏腹に、指一本動かすことすらできなかった。混乱の中に、羞恥と屈辱、そして怒りが入り混じる。克哉は御堂の表情を楽しむように眺め、シャツに手を伸ばした。ボタンを一つずつ外し、シャツの前を完全にはだけると、ベルトをズボンを膝まで下ろされるとそのまま脱がされた。シャツとアンダーだけの心もとない格好にさせられる。
 これからなにをされるのか、いやな予感が胸の内に暗雲のように立ち込め、心臓が早鐘を打ち出す。
「なにをする気だ……」
「本当はわかっているんだろう? ヒントだって与えたじゃないか」
 その声音には愉悦が滲んでいる。腹立たしいほどに余裕のある態度だ。
 レイプドラッグ。
 克哉が先ほど口にした言葉を思い返した。まさか、本気なのか、と思った瞬間。 克哉の指がアンダーのふくらみをなぞった。ぞわりとした悪寒が背筋を駆け上がる。
 数度布地の上から形を確かめるように撫で上げられると、克哉の指がアンダーの縁にかかった。そのままずるりと下着をずり降ろされる。まだ柔らかいペニスがひんやりとした外気に触れた。
「本当は心配で仕方なかった。兄さんはモテるからな。どうせこっちは使いまくっていたんだろ?」
 克哉の手が御堂のペニスを握りこんだ。そのままリズミカルにしごかれた。途端に鮮烈な快楽がこみ上げて御堂は上擦った声を上げた。
「よせ…っ!」
「このドラッグ、動けなくなる分、感覚は研ぎ澄まされるんだ。気持ちいいだろう?」
 克哉の手が根元から先端まで這いまわる。ぞっとするほどの気持ちよさに御堂のペニスはあっという間に張り詰めた。
「これを使って何人抱いたんだ?」
「離せ……、くあっ!」
 克哉が爪を鈴口に立てて鋭い痛みが走った。
「ダメだ。ちゃんと聞かれたことに答えないと」
 克哉は指の腹でペニスの先端の浅い切れ目を強くこすると、ねばついた先走りがにちにちと音を立てた。震える声で言った。
「……そんなこと、覚えていない」
「へえ、覚えきれないほどヤったのか。それじゃあ、ちゃんとこの節操のない棒を躾けないとな」
 克哉はポケットからなにかの瓶を取り出しだ。それはどうやらローションのようでとろりとした液体を御堂のペニスに垂らし、克哉はそれを指で塗り広げていく。ローションはペニスの竿から陰嚢、そしてその奥へとぬるりと伝う。ローションをまとった克哉の指がアヌスへと触れた。その感覚のおぞましさに御堂は必死に首を振る。
「やめろっ、触るな……っ」
 反射的に拒もうと力を込めれば、克哉は喉で笑いながらアヌスの周囲をぬめる指でゆっくりと撫でる。
「兄さんのここ、兄さんみたいにきれいでお堅いな」
「ぅ……」
「ここは使ったことないんだろう?」
 ぬるぬると触れられる嫌悪感に思わずうなずくと、克哉は満足げに吐息を漏らした。次の瞬間、ローションの滑りを借りてぬるっと指先が潜り込んでくる。ぐっと奥歯を噛みしめ、必死に指を拒絶しようと力を入れていると、克哉が「きついな」と吐息で笑った。
「そんなに抵抗しても、つらいだけだろう。……仕方ないな」
 御堂をなだめるような口調で言うと、克哉は御堂の股座に頭を伏せた。ペニスが熱い口腔に迎え入れられる。
「は……っ、ぁっ、よせ……っ」
 舌を絡めて筋をたどり、頬をすぼめて粘膜で扱く。濡れた音を立てて頭を上下されるうちにあっという間に御堂のペニスは張り詰めた。その巧みさはかつての夜の克哉の口淫を思い出した。あれはやはり克哉だったのか、と思った瞬間、アヌスに埋められた指が、くいっと曲げられた。身体の深いところにある快楽の凝り、そこを指でえぐられる。
「は、ひ、……ああああっ」
 男としてなじみ深いペニスへの快楽を与えられて油断していたところで、未知の快楽に貫かれる。びくんと身体が跳ねた。克哉が御堂のペニスを喉奥深くまで咥えているせいで、克哉の指から逃れることができない。克哉はためらいもなく御堂のペニスをディープスロートで愛撫した。根元から先端まで粘膜で締め付けられてしごかれる。同時にペニスの根元の場所を刺激されて、下腹の奥からうずくような快楽がこみ上げてきた。ペニスと前立腺を交互に刺激され、狂わされる。
「も……やめ、離せ……っ、ひっ、あ、あ」
 いつの間にか後ろを責める指の数が増やされていた。克哉の指は性交の動きのように抜き差ししてくる。中の粘膜をこねられ、絶妙なタイミングでペニスを喉奥で強く締め上げられると腰が浮くような衝動に襲われた。あともうひと押しでイく、というタイミングで唐突に刺激が途切れた。
「そろそろ十分だろう」
 ずっと指を抜かれる。絶頂が遠のく切なさとようやく異物感から解放された安堵に息を吐いたが、これで終わりになるはずがなかった。
「ああ、そうだ。兄さんの初めてをちゃんと記録に残しておかないと」
 克哉はいやらしく笑って、センターテーブルの上にスマホ用の三脚を置いてスマホをセットした。スマホの位置を微調整し、無機質なカメラのレンズが御堂を捉える。それを絶望の眼差しで見た。
 克哉から逃げたいが、身体に力が入らず起き上がることさえできない。それでも必死に体をのたうったところでソファからずり落ちそうになった。とっさに克哉が御堂の身体を支える。
「危ないなあ。落ちたら痛いだろう? それとも痛いほうが好きなのか?」
 克哉はソファに乗りあがると自分の前をくつろげて、欲望にいきり立った自身を出した。完全に臨戦態勢の肉の凶器を前に、これから起きるすべてが現実であることを正しく把握して青ざめる。
「克哉……、私たちは兄弟なんだぞ……!」
「だから何? 血が繋がっていることが問題なのか? それとも男同士だから? ああそうか、クスリを使ったから怒っているのか。だけど、こうでもしないと兄さん俺のモノになってくれないだろう?」
「当たり前だ……っ! さっさとやめるんだ!」
 実の血を分けた兄弟であるにも関わらず、やはり克哉は御堂を犯す気なのだ。
「でもまあ、男同士なのは問題ないよな? 兄さんは男にも欲情するようだしな。俺たちが兄弟なことが問題なら、むしろ男同士でよかったと思わないか? いくらヤっても孕まないんだし」
 生々しい言葉にぞっと背筋が凍える。
 アヌスに克哉の先端が押し当てられた。その熱さと硬さに息を呑んだ瞬間、ずずっ、と中に侵入してきた。指とは比べ物にならないほどの圧迫感に御堂は声を上げた。
「ぁ、あ、あ――っ」
「すごいな、兄さん。熱い。アルコールのせいか?」
 克哉はちろりと舌で上唇を舐めると軽く腰を揺するようにして中の具合を確かめる。浅い位置に留めていたそれを少しずつ、深いところへと埋め込んでいく。
「よせ……っ、く、やめ……っ」
「兄さんは貞操を守ってくれたわけだ。これで俺は兄さんの初めての男になったというわけだ。まさしく、喜び(La Joie)だな」
 克哉は愉悦の滲む声音でうっとりとした顔をした。自分を犯す男は、御堂がよく知っている弟ではなかった。もはや、得体のしれない別のなにかだ。
 克哉が中の具合を確かめるように軽く腰を動かした。内臓をかき回されるようなぞっとする感覚に御堂は歯を食いしばろうとするが、それすら満足にできない。呼吸だけが浅く荒くなっていく。
「そんなに睨むなよ」
 克哉は笑いながら御堂の前髪をかき上げ、その表情を覗き込む。無力感が全身を覆い、逃れられない現実が冷たくのしかかる。
 克哉の顔が落ちてきた。くちびるを塞がれて舌をねじ込まれる。咄嗟にその舌先に強く噛みついた。
「痛――っ」
 克哉が呻いて口を離す。だが御堂を見下ろす顔は余裕に満ちている。
「やっぱり、兄さん。あんたはいい。堕とし甲斐がある」
 口元についた血を手の甲でぬぐい、 克哉はゆっくりと腰を動かし始めた。そのたびにずるずると肉の凶器が引き出され、ふたたび奥へと突き入れられる。内臓をえぐられるような圧迫感にあえぐことしかできない。
「分かるか? ここに俺が挿入っているの」
「ぁ……、ぁ、ん」
 克哉の手が御堂の下腹を押した。ぐっと粘膜が締まり、克哉の形を鮮やかに知覚してしまう。
「あんたはこれから俺だけのものになる」
「なにを、言っている……」
 克哉の手が御堂のペニスに伸びた。苦痛に萎え切ったそこに指が絡んだ。御堂の気を逸らすように扱かれて、強制的に快楽を与えられる。
「さわ、るな……っ」
 ペニスを刺激されながら身体の奥を犯される。嫌悪でしかなかった感覚に、一筋の違和感が混ざった。
「――――ぁ」
 一度それを認識してしまうともう駄目だった。ほんのわずかな疼き、それがみるみるうちに膨らんで、とろ火のように御堂の身体の芯をあぶりだす。克哉の手の中で御堂のペニスは反り返り、先端からはしとどに先走りをあふれさせる。
「あ、あ、あ……よせっ、か、つや……」
 身体がおかしくなっている。克哉に突き入れられるたびに身体が跳ねた。苦痛が快楽へと崩れ落ちる。克哉はその変化を見逃さなかった。腰遣いが猛々しいものになる。粘膜を熱くこすられて、同時にペニスを根元から強くしごかれて、決壊した。
「ひっ、あっ、ああああ」
 びくん、と四肢を突っ張らせて、御堂は克哉に迸らせた。激しい絶頂にぎゅうっと粘膜が絞られる。克哉が眉根を寄せて、喉で低く呻いた。身体の奥深くに埋め込まれたペニスが震えびゅくびゅくと中に粘液が注がれていく。身体の奥底を汚される感覚に震えた。
 克哉は細かく腰をゆすって最後の一滴まで注ぎ込むとようやくつながりを解いた。
「やっぱり兄さんは才能があるよ。天性の淫乱だな」
 克哉の手が御堂の頬を愛おしそうに撫でた。恥辱に胸の奥が焼け付く一方で、兄弟であるのに禁忌の交わりをしてしまった絶望に慄く。
「今夜は初めてだからな、これくらいにしておこうか」
 克哉はにこやかに笑って。もはや声も出せず、動くこともできずにいる御堂を克哉はかいがいしく御堂の後始末をした。中に出したものを掻き出し、御堂の汚れた身体を拭いた。そして、肩を貸して寝室まで連れて行くとベッドに寝かしつけた。
「ゆっくり休んでくださいね」
「どうして、こんなことを……」
 かすれた声で言い、ベッドサイドに立つ克哉を見上げた。克哉は白々しい口調で言う。
「どうしてって、兄さんが悪いんだろう? ゆっくりと距離を詰めていこうと思ったのに、俺をさっさと家から追い出そうとするから」
 そう言って踵を返し寝室を出ていこうとして、足を止めた。肩越しに振り返って言った。
「おやすみなさい」
 返事を返す気力などなかった。身体は動かないまま、色濃い疲労に襲われて御堂の意識はあっけなく闇に滑り落ちていった。

(2)
3

 翌朝、最悪の気分で目が覚めた。昨夜の出来事は夢であってほしかったが、身体の節々が痛み、そしてまだなにかを挿れられているかのような下腹の異物感が昨夜の出来事が現実であったことを御堂に知らしめていた。
「く……」
 きしむ身体をどうにか起こそうとしたところで異変に気が付いた。両手が体の前で手錠をかけられ、首には首輪が付けられている。そして首輪から伸びる鎖がベッドの足につながれていた。どういうことなのか、理解が追い付く前に、克哉がノックもなしに部屋に入ってきた。
「おはようございます、兄さん。身体はどう?」
「……どういうことだ、これは」
「こうでもしないと暴れるか逃げるかするでしょう?」
 悪びれない態度で克哉は答える。御堂はこみ上げる怒りを抑えつけながらうなるように言った。
「私をどうする気だ」
「この週末で、兄さんを俺のモノにするための調教をしようと思ってね」
「お前のものにするだと? ……ふざけるな!」
「ふざけてなんかいないさ」
 克哉は薄い笑みを浮かべて言った。
「自分の立場をわかってないようだが、昨夜のことはちゃんとビデオに録ってある。弟に犯されている場面なんて誰かに見られたくないだろう? たとえば、親や兄さんの知り合いには」
「貴様、まさか……」
 克哉は本気で言っているのだろうか。父や母がこのことを知ったら……と想像して青ざめる。御堂はクスリで無抵抗にされたところを犯されたとはいえ、正真正銘の血がつながった弟と肉体関係を持ってしまったのだ。いくら子どもに大した関心を持たない親でも、嫌悪は途方もないはずだ。
 克哉は言葉を失う御堂ににっこりと笑いかける。
「心配しなくていい。兄さんが俺から逃げたりしない限りはそんなことしないさ」
「こんな状態で逃げられるわけないだろう。外せ」
「月曜日には外すさ。だがそれまでの兄さんの時間は俺がもらう」
 ぎりっと奥歯を噛みしめて克哉を睨みつけるが、克哉は御堂の怒りをそよ風ほども感じないように完璧な笑みを張り付かせている。
「どうして、私にこんなことをする……。私がなにをした? そんなに私が憎いのか」
 唸るように言えば、克哉は意外そうな顔をした。
「兄さんが憎い? そんなことあるわけないだろう。俺はあんたのことが好きだ。だから抱く」
 ――私のことが好きだと?
 返事に詰まると、克哉は笑みを深めて確固たる口調で言った。
「あなたも俺のことを愛するようになる」

 

 こうして御堂は克哉によって自分の家に監禁される羽目になった。
 トイレやシャワーのときはさすがに首輪についた鎖を外されたが、代わりに両足に足枷をつけられる。両方の足枷の間には鎖がつながれ、歩くのもままならない。
 食欲はなかったが無理やり食事を取らされ、シャワーを浴びさせられたところで克哉の調教が始まった。裸にされ手枷の間の鎖を首輪のフックのところにつながれる。そうすると、両手を胸の前に掲げる状態になって手を使えない。
 その状態でベッドの上で、仰向けにされた。両足のあいだには金属のバーを固定され、足を閉じられないように拘束される。
「兄さんには後ろだけでイけるようになってもらうよ」
「こんなことして、なんになる……」
「言っただろう? 兄さんには俺のオンナになってもらう」
「お前は……狂ってる」
「大丈夫。兄さんもすぐに狂うさ」
 ありったけの怒りと憎悪を込めた言葉にも、克哉はこの上なく美しい微笑を浮かべた。その顔はよく知っている顔ながら、まったく知らない男の顔だった。この男は誰なのか。
 身長も御堂と同じくらいに伸びて、しなやかな筋肉をまとい、声も低くなっている。他人を力ずくで征服できる男として成長していた。昨夜、御堂を徹底的に犯した男は御堂が知っている弟からかけ離れていた。
 小学生くらいまでの克哉は、女の子と間違われるくらい可愛らしかった。柔らかで明るい髪色、大きくてぱっちりとした眸、細く伸びた四肢としなやかな体つき。母親も御堂のときとは違って、克哉には中性的な愛らしさを引き立てるような衣服を与えていた。当の克哉はかなりのやんちゃで親が買い与えたブランドものの服を泥だらけにしてばかりだったが、怒られることもなかった。両親にとっての子ども、とくに歳を重ねてから出来た子である克哉は、守り、育てる存在というより、愛玩すべき存在だったのかもしれない。克哉は御堂が同じ歳だったときよりもずっとわがままを許されて育っていたように思う。だが、それをうらやんだりねたんだりすることもなかった。そんな子どもじみた感傷を持つには克哉と年が離れすぎていたし、年が離れていた分、御堂にとっても克哉は可愛らしい存在だったからだ。
 あれは、克哉が小学三年生くらいのときだっただろうか。御堂は高校一年生のときだった。高校で部活を終えた帰り、あたりは薄闇に覆われていた。帰路の途中、公園があった。都市部の公園で緑が多く、昼間は憩いの場になっていたが、夜はうっそうと茂る木々のおかげで人気がなく、不気味な雰囲気を漂わせていた。
 公園を突っ切ったほうが自宅への近道になると、公園に足を踏み入れた時だった。ふいに公園の奥のほうから小さな足音が駆けてくるのが聞こえた。息を切らせるような荒い呼吸音も混じっている。
 目を凝らすと、見覚えのある小さな影が必死に駆けてくるのが見えた。
「……克哉?」
 克哉だった。小さな身体を震わせながら必死に走っている。追いかけられているのかと察した御堂が視線を向けると、その後ろには大人の男の影があった。
 見知らぬ男であったし、異様だった。御堂の中で警戒心が鋭く跳ね上がる。無意識に叫んだ。
「克哉!」
 克哉に向けて叫ぶと克哉がハッとこちらを向いた。同時に男も御堂の存在に気付いた。
 克哉がつまずきそうになりながら御堂の方へ走ってきた。恐怖に引きつった顔はよほど怖い思いをしたのだろう。
 御堂は素早く克哉の腕を掴み、自分の後ろに庇った。目の前の男と対峙し、冷たい視線を向ける。
「お前、何をしている」
 低く、鋭い声だった。男は一瞬ひるんだように足を止めたが、御堂を前に舌打ちをしてすぐに身を翻して走り出した。このころ御堂の身長は180近くまで伸びていた。それに部活もしていて身体も鍛えられている。
「待てっ!」
「行かないで!」
 とっさに追いかけようとしたところを克哉に制服の裾を掴まれて止められた。克哉の必死な声に冷静になる。自分があの男を追いかけたら、その間克哉は一人きりになってしまう。御堂がためらっているあいだに、男は逃げるように公園の奥へと走り去った。
 御堂はしばらく男の背を睨みつけていたが、やがて息をついて後ろを振り向いた。
「克哉、大丈夫か」
 震える克哉の肩にそっと手を置く。克哉はぎゅっと唇を噛み締めていたが、目には涙が滲んでいた。
「……怖かった」
 小さな声で絞り出すように言い、御堂の制服の裾を強く握る。事情を聞くと、お菓子を買いにコンビニまで行ったその帰りに公園を通り抜けようとして声をかけられたらしい。猫なで声で話しかけられて、怪しさから黙って逃げだしたら追いかけられたという。
「もう大丈夫だ。帰ろう」
 御堂は克哉の頭を軽く撫で、安心させるようにそっと抱き寄せた。華奢な身体は御堂の腕の中にすっぽり収まるほど小さく、頼りなかった。克哉が落ち着くのを待って、御堂は克哉と手をつないで帰宅したのだ。
 家に帰ってから母にこの件を報告した。母は克哉がお菓子を買いに家から出て行ったことさえ気づいていなかったようで、御堂の話を聞いて血相を変えていた。どうやら、少し前から小さな子どもに声をかける不審者の報告があって注意喚起されていたらしい。それから少ししてその男が捕まったという話を聞いた。
 幸いその事件が克哉の生活に影を落とすということもなく、快活な性格はそのままだった。ただ、そのころからことさら克哉に好かれるようになったように思う。家の中でも外でも御堂を見つけるとすぐにまとわりついてくる。両親があまり家にいなかった分、御堂に甘えようとしていたのかもしれない。
 高校生と小学生で生きる世界はまったく異なっていて、ときとして克哉を鬱陶しく思うこともあった。それでも克哉を思い浮かべるときに真っ先に思い出すのは、あの暗い公園で抱きしめた頼りないほどに小さく弱い存在だった克哉だ。あのとき、御堂は克哉を守らなければならないと強く思ったのだ。
 それなのに、守られるべき存在だった克哉は、いつの間にか大人の男として育ち、兄である御堂を犯した。どこで、なにを、間違ったのか。


「これを知ってるか?」
 克哉が手に持って見せたのは数センチほどの細長く薄っぺらい物体で、円が連なったような不思議な形をしていた。表面はなめらかで光沢があり、片方の先端には糸が取り付けられている。
「これはプロステートチップと言って、強制的にメスイキさせる道具だ。これで兄さんにはメスイキの感覚を覚えてもらう」
「それを一体どうする気だ……」
 嫌な予感がぞわりと首筋を撫でた。克哉はひんやりと笑い、御堂のペニスを掴んだ。親指と人差し指で亀頭を挟みとぐっと親指を押して尿道口を開く。赤い粘膜が覗く孔に、チップの丸みのある先端を潜り込ませた。未知の感触と異物を繊細な場所にねじ込まれる感覚に「ひっ」と息を呑む。
 チップ全体が見えなくなると、克哉は竿をしごくようにしてそれを奥へ奥へと進ませていく。チップが生き物のように深いところへともぐりこんでいく感覚に怖気(おぞけ)が走った。
「いやだ……っ、よせっ」
「小さいサイズを選んだんだからそんな痛くないだろう」
 克哉がなだめるように言うが、そういう問題ではない。実の弟にあられもない体勢で拘束され、嬲られているという事実が心を削っていく。
「克哉、やめろ……っ!」
「いやだね」
 艶のある低い声で断言される。そしてさらにチップを進ませた。敏感な粘膜を硬いチップが通っていく感触はむき出しの神経を嬲られるようで、御堂は手のひらに爪が食い込むほど手を握りしめる。
「ぅ、ぁ……っ」
 克哉は慎重に指先の感覚をたどり、チップの位置を確認する。チップはペニスの根元まで挿入っている。克哉は指を御堂の陰嚢の奥へと伸ばすと会陰を強く押すようにしてチップの位置を調整した。次の瞬間、チップがかちりとどこかにハマった感触がした。
「――――ぁ? あ…、なん、だ……、これは……っ、ひっ、はぁっ」
 しびれるような異様な感覚がペニスの奥から広がっていった。それは波のように繰り返し押し寄せて甘苦しい疼きを御堂の中に宿していく。
 いままで意識をしたことがない敏感な部位、前立腺の中心にチップが収まりぐりぐりと周囲を圧迫している。無意識に動く筋肉に動かされて、まるでチップが生き物のように蠢いているようで、そのおぞましい感覚に身もだえる。
「いい位置にハマったな。射精するとチップが外れるから勝手にイかないように戒めておく」
 克哉は御堂のペニスの根元にリングを嵌めた。チップを無理やり呑み込まされたペニスの先端からは糸が出ている。克哉はその糸をもてあそぶようにして軽くくいっと引いた。チップが引っ張られてぐりっと前立腺をえぐった。その瞬間、下腹の奥でぶわりとなにかがはじけた。
「ひぁっ、あ、あああっ」
 顎を跳ね上げ、唇をわななかせて悲鳴を上げる。言葉に形容できない異様な感覚が身体の深いところを炙る。むず痒いような苦しいような疼きが次第に快楽に転じてくる。
「な……っ、こんな……なに、ひ、ふぁ、あ、んふ」
 次から次に官能の波が身体の内側から御堂を襲う。絶え間ない刺激から逃れようと我知らず腰を揺らしてしまうが、チップはがっちりと御堂の快楽の源泉に喰いついて容赦のない刺激を与え続ける。
「いいだろう、これ。兄さん、これがメスイキの感覚だ。しっかりと覚えてくれ」
 克哉が優しい声音で言い含めてくるがそれどころではなかった。男の直線的に高まる鋭い快楽と比べると、チップから与えられる快楽はまったく異質のものだ。これはまさしく、昨夜、克哉に犯されているときに感じた未知の快楽だ。克哉の熱い肉塊を突き入れられた衝撃を思い出してしまい、アヌスが勝手にひくつく。そんな自分の反応に嫌悪して、御堂は首を振った。
「克哉、抜け……っ、抜いてくれっ!」
 上げる声が懇願の色を帯びる。
「俺に挿れてほしい、ってせがむなら抜いてあげてもいいが」
「誰が、言うか……っ」
「兄さんは相変わらず頑固だなぁ。じゃあ、次は乳首も開発しようか」
「な……」
 克哉がまた新たな道具を持ち出してきた。コードが付いた二個のクリップでコードの根元にはリモコンが付いている。克哉は片方の乳首を摘まみ、指の腹でくすぐるとあっという間に乳首が固くしこる。こうして乳首を尖らせ、クリップを持つと御堂の乳首に近づけた。
「よせ…っ、いやだっ、……ああっ」
 拒絶もむなしく、片方の乳首をクリップで挟まれた。先端はシリコンで怖れたような痛みはなかったが、しっかりとした力で挟まれて、じん、としびれが走る。克哉が手を離すとクリップの重みで乳首が引っ張られる。克哉はもう片方の乳首も指で愛撫して尖らせ、クリップで挟んだ。
「ひ、ぁ……っ」
 こうしているあいだもチップで絶え間なく身体を炙られている。身体が跳ねるたびにクリップが弾んで乳首が乱暴に引っ張られた。
「スイッチを入れる」
「あ、だめ、だっ、は、あああっ」
 手元のリモコンを操作するとクリップが振動し始めた。挟んだ乳首を揉みこむように動き出し、むず痒いような刺激が生まれる。
「あ、あ、あ、あああ」
 いままで感じたことのない乳首に妖しい疼きが宿る。チップがもたらす熱がじゅわりと身体の深いところから染みわたり、乳首の疼きと絡まりあって、まるで乳首をいじられて感じているかのように錯覚してしまう。克哉はそんな御堂の思考を見透かすかのように言った。
「そのうち乳首だけでイけるようになるさ」
「やめ、ろ……っ、く……ふぅっ、ああ」
 そんなふうになりたくないのに、克哉は乳首の振動を強めながら今度は御堂のアヌスに触れてきた。ぬるりとしたローションの感触。とっさに脚を閉じようとするが、バーで固定された脚は動かせず、内腿を震わせただけだ。克哉はたっぷりとアヌスにローションを塗り込めると指を潜らせた。
 チップや乳首の刺激に気を取られて、あっさりと克哉の指の侵入を許してしまった御堂は次の瞬間大きく身体を跳ねさせた。克哉の指がくいっと腹側に曲げられ、チップが食い込んでいる前立腺をタップしたのだ。
「ひっ、ぁ、ああああっ」
 電撃に打たれたかのようにむき出しの鋭利な快楽に貫かれる。チップに苛まれ鋭敏になった部位を指で扱かれたのだ。あまりにも圧倒的な感覚で、それを快楽と呼んでいいかどうかさえ怪しかった。視界が明滅し、喘ぐことしかできなくなる。
「は、ぁ……っ、あ、ん」
「ずいぶん悦さそうだな」
 克哉が御堂の顔を覗き込んできた。涙の滲んだ目で克哉を見上げる。眼鏡の奥にある眸は妖しい輝きを放っている。克哉は御堂の反応を愉しみながら指の数を増やし、窮屈な粘膜をかき乱し、耐えがたいほどの刺激を与えてくる。いつの間にかペニスは張り詰め、根元にはめられたリングが痛いほどに食い込んできた。
「も……やめ、ろ……」
「なに言っているんだ、これからが本番だろう?」
 克哉の指が引き抜かれて、御堂は反射的に大きく息を吐いた。脚を固定していたバーを外される。急いで脚を閉じようとしたが、その前に脚の間に身体を差し込まれ、腰をがっちりと掴まれた。血のつながった弟に犯される、そう思った瞬間嫌悪がこみ上げた。拒絶の声を上げる。
「克哉っ、やめないか……っ!」 
「へえ、俺に命令しているの? ここをこんなビンビンに勃てながら?」
 克哉の指が御堂のペニスに触れた。ぬるぬるとした先走りを亀頭に塗り広げられただけで、「ひぁっ」と上擦った声を上げてしまい克哉に喉を鳴らして笑われる。
「本当はイきたくて仕方ないんだろ? 弟の前でこんな淫乱な姿を見せながら、なに兄さんぶっているんだ」
「――っ」
「俺だけをしっかり感じてほしいからな」
 克哉は御堂の乳首を責めていたクリップを外すと自身の服を脱ぐ。
「これ以上は、やめて……くれ……」
 意地を張っている場合ではなかった。屈辱に打ちひしがれながら克哉に許しを乞う。
「どうして、こんなことをするんだ…」
「言っただろう? 兄さんが欲しいからだよ。兄さんの心も体も、魂まで欲しい。これでも今の今まで我慢してきたんだ」
 克哉の指が御堂のアヌスの位置を確認するように浅く挿入される。その指が抜けたかと思うと、分厚い先端が宛がわれた。
「克哉っ、よせ……っ、やめろっ」
 御堂は必死に拒絶の声を上げた。だが、克哉は容赦しなかった。体重をかけるようにして、ぐうっと自信を押し込んでいく。圧倒的な質量が御堂の身体を拓いていった。
「ぁ、ああああああ」
 止めどない悲鳴が上がった。太い杭を根元まで打ち込まれるとすさまじい圧迫感に呼吸が浅くなる。だが、克哉がほんの少し腰を揺らしただけで、身体の内側から鳥肌が立つような感覚が広がった。克哉が腰を揺すり始める。違和感は次第に大きくなり、苦しさは甘く色合いを変えていく。
「――――ぁ?」
 気が付いた。チップがもたらす快楽が克哉に犯されることで増幅している。克哉が腰を動かすごとに前立腺が擦られチップが動き、御堂に戦慄するほどの悦楽をもたらしている。克哉はそれを狙っているのか、御堂が感じるところを重点的にぐりぐりと亀頭で抉ってくる。怖い、こんなことで、気持ちよくなってしまう自分が怖い。
「や、よせ……っ、やだ、あ、やだ……っ、ぁ、ひぁっ、は、ああああ」
 いやだいやだと首を振ったが、克哉は的確に御堂を絶頂に突き落とした。ぐりっと強く抉りこまれた瞬間、つま先から頭のてっぺんまで強烈な快楽が突き抜ける。一瞬意識が白み、ふわりと身体が浮いた感覚があった。びくびくと腰が震え、それはまるで絶頂のようだったが、悦楽の波は引かずペニスも戒められたまま放っていなかった。四肢を突っ張らせて、声も出せないまま口を大きく開いて喘いだ。
「ちゃんとドライでイけたじゃないか」
 克哉が幼子を褒めるかのような口調で言う。
「兄さん、二回目なのにこんなに感じ切って。才能あるよ」
 誰が御堂を征服しているのか知らしめるように、克哉がゆっくりと大きく腰を動かしだした。えらの張った亀頭が大きく粘膜を抉る。そのたびに全身がしびれるほどの悦楽が駆け巡る。
 弟に犯されて感じたくないのに、身体が暴走している。克哉に穿たれて、ペニスからはしとどに蜜があふれて茎を伝って落ちていた。
「ッ、あ、あ、あ……抜け…っ」
 御堂の言葉に反応したのか、克哉が腰を引いた。圧倒的な質量がずるずると粘膜をめくりあげながら抜かれていく。おぞましいほどの体感に身震いした。
「やっ、は……っ、よせ、動くな……っ」
「抜けとか、動くなとか、わがままだなあ。挿れたり抜いたりしてやればいいのか?」
「違……っ、は、ぁ、ああああ」
 克哉が猛然と腰を打ち付け始めた。身体がバラバラになりそうな衝撃と圧迫感。苦しくて苦しくて仕方ないのに、身体がどんどん熱くなっていく。ぐちゅぐちゅと卑猥な音がリズミカルに響き、それに嬌声が重なる。
 昂ぶる身体に理性がぐずぐずに溶けていく。こんなことを許してしまったら、もう元の日常には戻れない。
「か、つや…っ、克哉……っ」
「俺の名前をもっと呼んで……孝典」
「克哉っ、克哉……っ」
 克哉が熱っぽく耳元でささやき、求められるがままに克哉の名を呼んだ。もう自分が何を口にしているのかわからない。苦痛だけなら耐えられるのに、こんな想像を超えた快楽を与えられて堪えられるわけがない。
「は、ぁあ、あ、おかしく、なるっ」
 克哉の手が頭上に伸びて手の拘束を解いた。その手で克哉を拒絶することもできたのに、しびれる手で克哉の首に手をまわして、克哉を引き寄せた。克哉の体温が重なってくる。やけどしそうなほど熱い身体だが、自分の中の熱も沸騰しそうなほどこもっている。なにかにしがみついていないとどこか遠くまで流されてしまいそうで、一向に止むことのない悦楽の切ないほどのじれったさに御堂はすすり泣くようにして声を上げた。
「ん、あ、あ、…イきたい……っ」
「とっくにイきっぱなしなのにな。……ああ、出したいんだな」
 克哉の手が器用に動いてペニスリングを外した。とたんに血流が流れ込みペニスが熱くなる感覚がある。克哉の手が御堂のペニスを包みこみ、根元から先端まで余すところなく愛撫される。射精への欲求がみるみるうちに高まり、克哉にしがみつきながら手の動きに合わせて腰がみだらに揺らめく。早く放ちたくて克哉の手に自らペニスをこすりつける。こんなみっともない姿、自制心を取り戻せば激しい自己嫌悪に陥ることが分かっていても達したくて仕方ない。
「まだこっちの快楽が忘れられないんだろう?」
「は、ぁ……っ、あ、あ、あ――っ」
 身体を貫く克哉の熱を意識しながら激しく達した。たっぷりした精液がびゅるっと迸ると同時にチップも押し出される。克哉の手と腹をどろどろに汚しながら、大きな極みに呑み込まれていった。前後して克哉の種をたっぷりと腹に注がれて、その熱に身を震わせていた。

(3)

 ふたたび目を覚ましたときにはもう午後の遅い時間になっていた。身体がぐったりと重いが試しに四肢を動かすと、なんの拘束もされていなかった。おそるおそるベッドから這い出た。裸のままだったが身体は乾いている。克哉が後始末をしたのだろう。
 足を一歩踏み出したところで下腹や腰のあたりがずきりと重苦しく痛んだ。克哉にさんざん犯されたダメージがまだ回復しきれてないのだ。
 こめかみに手を当てて深く息を吐いた。こうして冷静さを取り戻してしまえば、自分が犯した過ちの大きさを思い知らされる。いくら力尽くで犯されたとはいえ、弟に貫かれながら果ててしまい、克哉の身体を自分の精液で汚してしまった。しかも、二回も、だ。
 七歳年上の兄としてのプライドも尊厳も、家族としての愛情までもすべてを克哉に踏みにじられて壊された。いつかこの傷が癒えても、傷を付けられたという事実は一生消えない。
 このままここでうなだれていても仕方がないと、御堂は意識を切り替えた。なにか羽織るものを探し、ベッド脇に置いてあったバスローブを羽織った。部屋を出て耳を澄ますとリビングのほうから物音が響いている。克哉がいるのだろう。先ほどの仕打ちを考えると足が怯むが、かといって、家を出るにもシャワーを浴びるにもリビングを通らざるを得ない。
 御堂は意を決してリビングへと向かった。ドアを開けると、ソファに腰掛けた克哉の後ろ姿が見える。その視線の先、大型画面のテレビには、信じがたい映像が映し出されていた。
「起きてきたのか」
 克哉が肩越しに振り向いて言った。
 御堂は答えられなかった。見開かれた目はテレビ画面に釘付けになり、息が止まった。画面に映るのは紛れもなく自分だった。画面に何が映し出されているのか理解するのと同時に、血の気が引いていくのを感じながら、震える声で呟いた。
「なんだ、これは……」
 克哉はふたたび画面に視線を向けつつ、リモコンを弄びながら呑気に応じる。
「見ての通り、さっきのあなただよ。よく撮れているだろ?」
 克哉は音量を上げたらしい。画面の中の自分がみだらに喘ぎなが克哉に犯されている。
 いつの間に録ったのか。いや、当然撮られていると念頭におくべきだっただろう。
「兄さんとの最初のやつもあるが見たいか?」
 軽薄な口調に怒りが沸騰する。握りしめた拳に力がこもり、御堂は厳しい口調で怒鳴った。
「今すぐ止めろ!」
「そんなに怒るなよ、俺たちの。ほら、ここの表情なんて最高に味がある」
 克哉がリモコンを操作し、スロー再生を始める。映像の中の自分が恥辱的な姿で克哉に貫かれながら激しく達していた。克哉が深く差し込んだ腰を震わせる。いままさに自分の身体の深いところに注がれているのだ。それを恍惚とした顔で御堂は受け止めていた。紅潮した頬、潤んだ眸、発情しきった自分がそこにいた。鼻にかかったような甘い声を漏らしながら、びくびくと御堂が身体を震わせる。ややあって克哉がようやくつながりを解いた。
 ベッドから降りた克哉がカメラに向かってくる。部屋の隅に隠していたカメラを手に取り、忘我に意識をさまよわせている御堂がズームアップされる。しどけなく開かれた脚の間には濡れた赤い粘膜が覗き、そこからどろりと白濁が零れ落ちる。身体の内外を体液でどろどろに汚されて絶頂の余韻に放心している自分の姿はあまりにもいやらしかった。カッと頬が熱くなる。
「やめないか……ッ!!」
 駆け寄ってリモコンを奪おうとしたところで、克哉がようやくビデオ再生を止めた。
「ただちにデータを削除しろ」
 怒りと屈辱に震えながら克哉を睨みつけたが、克哉は面白いものでも見るかのように御堂を見返した。
「あんたの怒り顔いいな、そそる」
「ふざけているのか!」
「ふざけてなんかないさ。いままで兄さんは俺に怒ったことなんてなかっただろう? 俺は怒るに値する存在さえなかったってことだ。だが、いまは違う」
 克哉のレンズ越しの相貌に炯炯とした光が宿り、御堂は鳥肌が立つような空恐ろしさを感じた。それでも、御堂は抵抗をあきらめなかった。
「克哉、私とお前は血のつながった兄弟だ。兄弟でこんな関係を持つのは間違っている」
「どうして?」
「どうして、って……当然だろう」
 即座に切り替えされて言葉に詰まる。克哉はまっすぐに御堂を見詰め返して言った。
「当然? あんたらしくないな。そういうものだと思って思考停止してるんじゃないか。なぜ、兄を好きになってはいけないんだ」
 克哉のためらいのない言葉が刃のような鋭さで御堂に刺さる。
「いま、俺はどこまで来ている? あんたにどこまで見てもらえている? あんたの中にどこまで入れている?」
「なにを言っているんだ、お前は……」
 克哉は御堂を「兄さん」とは呼ばなかった。克哉にとって自分はもう兄ではないのか。そうだ、とっくに克哉は御堂と兄弟であることを放棄している。そうでなければあんなふうに御堂を犯すはずがない。
 目の前の男は御堂が知っている弟の克哉ではなかった。鍛えられ成熟した大人の身体、低く艶めいた声を持つ、一人の男だ。
 いまさらながらに、克哉が得体の知れない存在に思えて、御堂は恐れを抱いた。こんな気が狂った男相手にすべきではない。一刻も早く逃げ出すべきだ。そう思うのに血のつながりが御堂を縛り付ける。
 克哉は御堂が知っている弟の顔に戻り、明るい口調で言った。
「ビデオも別に俺が持っている分にはいいだろ? べつにほかの誰かに見せるわけじゃないし。こんなの親が見たら卒倒するだろうしな」
 邪気のない顔でにっこりと笑う克哉を前に、ぞっと血の気が引いた。克哉は暗に御堂を脅しているのだ。こうして拘束を解いたのも御堂が克哉の言いなりになるしかないとわかっているからだ。
 

 この土日は御堂の人生で最悪の週末だった。家から出ることもかなわず、食事は克哉が頼んだピザや寿司といったデリバリーで済ませ、残りの時間はひたすら克哉に組み敷かれた。「兄さんには俺の形をちゃんと覚えてもらって、後ろだけでイけるようにならないと」の言葉どおり、執拗に克哉を受け入れさせられた。繰り返される責め苦と快楽に下半身がぐにゃりと蕩けて自分自身のものではないようだ。失神がそのまま眠りになり、昼夜の区別も定かではなかった。どこで何をするにも克哉がついてきた。汚れた身体を洗い清めるためのシャワーでさえ例外ではなかった。
「俺もいっぱい出したな。掻き出しても掻き出してもまだ溢れてくる」
「ぅ……」
 バスルームの鏡に向き合うように両手を突かされ、御堂は克哉に身体を洗われていた。自分でやると言っても足元もおぼつかない状態で克哉が無理やりついてきたのだ。背後に立った克哉が御堂の中から精液を掻き出していく。綻んだアヌスを克哉の長い指が出入りするたびに、欲望の残滓とローションがグチュグチュと卑猥な音を立てながらかきだされていった。弟に抱かれて、その後始末まで弟の手にゆだねている。
 恥辱のあまり舌を噛み切りたくなるが、頭の片隅では克哉が満足すれば自分に対してあっけなく興味を失うのではないかと希望を持っている。御堂も男だからわかる。抵抗されるほど屈服させようと燃えるのだ。自分自身にそう言い聞かせて無理な抵抗はせずにいるが、克哉が御堂に飽きる前に自分を根本的なところから造り替えられてしまうのではないかという恐ろしさは常にあった。
「っ、……くぁっ」
 克哉の指がぐりっと中で動き、御堂は声という声も出せないまま喉を仰け反らせた。先ほどまで玩具でいたぶられ、さんざん抱かれ御堂のアヌスは柔らかくぬかるんだままだ。ぐっと二本の指で開かれた場所からぽたぽたと粘液がしたたり落ちた。身体の奥の奥まで克哉にたっぷり濡らされたことを自覚させられる。
「きりがないな」
 克哉はふ、と笑うと御堂の腰を両手で抱えた。克哉の体温が迫り、御堂は嫌な予感に身を強張らせた。
「何を……」
「俺ので俺のを掻き出してあげるよ、兄さん」
「っ、よせ……っ」
「いやなのか? ここをこんなに期待させているのに」
 形を変えた性器を握りこまれてびくびくと腰が弾んだ。執拗にアヌスをいじられて、御堂の身体は本来性器でないところに性的な興奮を感じるようになってしまった。
「違う……っ」
 首を振るが説得力は皆無だ。ずっと発情させられっぱなしの御堂の身体は絶望するほどに感じやすく淫らだ。
 克哉は両手で御堂の腰を掴み、後ろに突き出させると、猛りきった自身を容赦なく突き入れてきた。固い肉塊をたいした抵抗もなく御堂の身体は受け入れていく。抱かれるたびに克哉の形になじんでいるのを感じる。
「ぁ、……あ、あ、あ」
 身体を貫かれ、自分のとは違う熱を奥深くに埋め込まれていく。その熱に焦がされるように御堂は喉を反った。克哉の草むらが触れるくらいまで腰を密着させると克哉はおもむろに動き出した。引き抜かれ突き入れられるたびに、ぐちゅぐちゅと淫猥な音が立ち粘液とローションが混ざったものが掻き出されていった。
 克哉が思うがままに腰を遣いながらうっとりとため息を吐く。
「やっぱり俺とあなたは身体の相性が最高だと思わないか」
「そんな、わけ……ある、か……っ」
「意地を張るなよ。兄さんだってこうやって俺に犯されて気持ちいいんだろう?」
「やっ、違……っ、あ、あ……っ」
「じゃあ見てみろよ」
 克哉の大きな手が御堂の頭を掴んだ。顔を上げさせられ、目の前の鏡を見せられる。
 向かい合わせの鏡が御堂の姿を余すところなく映し出していた。感じきって蕩ける表情も、克哉を深く咥えこんであさましく反応している部分もすべて。
 自分の姿をこれ以上見ていられなくて、額を鏡に摺り寄せた。ひんやりとした感触が御堂の理性をほんの少しだけより戻してくれる。そのせいで余計にいたたまれない。
 無防備なうなじに噛みつくように歯を立てられた。獣同士のまぐわいのように自分のものだと所有を主張されているかのようだ。
「あんたは俺に抱かれるのが好きなんだ。本当は俺にぐちゃぐちゃにされたくてたまらないんだろう?」
「違う……っ、やめろ……っ!」
「ほんと、強情だな」
 克哉は吐息で笑うと腰を打ちつける動きを速くした。ぐっと最奥に叩きつけられ膝がガクガクと笑う。衝撃を耐えきれなくて状態を屈みに突っ伏した。浅く速い呼吸が鏡を白く染める。手が縋るもの探して鏡の上を滑ると、克哉の手が手の甲に覆い被さった。そのまま浴室の壁に縫い付けられる。
 これ以上なく深く穿たれると同時に他方の手でペニスを強くしごかれて、快楽が弾けた。吹き出た白濁が鏡をべったりと汚す。ほとんど同時に下腹の奥に克哉の粘液を叩きつけられた。言葉にならないほどの悦楽に喉をヒクりと鳴らす。
 克哉からつながりを解かれると膝が立たずにその場にへたり込んだ。バスルームの冷たい床に尻が触れ、その体の奥からあふれてくる生暖かい粘膜がどろりと中から伝い落ちてくる。その感触が気持ち悪いが、重たく弛緩した身体は立つことさえかなわない。
 克哉がシャワーヘッドを手に取り、ざあっとお湯を出しだ。手でお湯の温度をたしかめると、御堂の身体にシャワーを向ける。頭からお湯をかぶりながら朦朧とした眼差しを克哉に向けた。弟の顔を取り戻したのか、克哉はひどく優しげな表情を御堂に向けて言う。
「明日からはまた会社だろう? 今日はこれくらいにしようか」
 そうか、そうだった。今日は日曜日で明日は会社がある。MGN社で勤務していた自分がひどく遠い昔の出来事のように思えた。


 バスルームで犯されたあとはなにもされなかった。食欲ないのに無理やり食事を取らされて、ベッドに寝かしつけられる。まるで御堂のほうが世話を焼かれる子どものようだ。だが、金曜の夜から始まった凌辱のせいで、もうなにも考えることもできず、泥のような眠りに攫われていった。
 翌朝、瞼を透かす陽の光で目が覚めた。関節は軋むし身体のあちこちは痛むが、たっぷりと睡眠を取ったおかげでかなり体力は回復していた。思考を霞ませていた靄も取れて、すっきりとしている。キッチンのほうからコーヒーとパンが焼けた香ばしい匂いが漂ってきていた。ベッドから抜け出してキッチンに向かうと克哉が朝食の用意をしていた。
 ぎくりと足を止めるが、克哉は御堂のほうを向いてにっこりと微笑んだ。
「おはよう、兄さん。そろそろ起こそうかと思っていたところだ。朝食の用意はできているが、先にシャワーを浴びるか?」
「克哉……」
 克哉は昨夜までのことなどなかったかのように、にこやかな笑みを向けてくる。
 警戒しながらも御堂は食卓についた。克哉は手際よく御堂の前に熱いコーヒーとパン、ハムエッグを用意する。
 コーヒーを飲もうとして、克哉に飲まされたクスリ入りのワインを思い出して躊躇していると克哉が笑いながら言う。
「心配しないでいい。もうクスリは使わないよ」
 考えを見透かされたことにぎくりと身体が強張り、克哉に抱いている怖れを吹っ切るようにコーヒーを口にした。口の中を苦みのある液体が満たし、強いカフェインが御堂を完全に覚醒させた。
 コーヒーを半分ほど飲んで御堂は食卓から立った。克哉はまったく手を付けていない皿を見て言う。
「朝食は? 食べないのか?」
「食欲がない」
「食べないと健康に良くないだろう。そんなんで仕事できるのか?」
 どの口が言う、と苦々しく思ったが、御堂は無視してバスルームに向かった。脱衣所の鍵を閉めて羽織っていたバスローブを脱いだ。鍵は簡易のもので外から開けようと思えば簡単に開けられるタイプだったが、克哉は追ってこなかった。その事実に安堵を覚えながら、頭から熱いシャワーを浴びた。ようやく一人きりになれた気がする。
 胸の中を一掃するほどの深い息を吐き、意を決して自分の身体に視線を落とした。あちらこちらに残るキスマークや噛み跡、赤くなって腫れぼったくなった乳首。情交の痕が色濃く残った身体がそこにあった。鏡で背中まで確認するが、どうやらスーツで隠せそうだ。
 克哉は会社のことを口にしていたし、そこまで考えて克哉は痕をつけたのかもしれない。
 克哉は一体、なにを目的にこんなことをしでかしたのか。
 御堂を自分のモノにするというたわ言は本気なのか。御堂はこれからどうすべきなのか。
 考えなくてはいけないことはたくさんあったし、体調はとても万全ではなかった。それでも会社を休むという選択肢はなかった。コンペの締め切りが迫っているからだ。
 御堂は思考を切り替えて、仕事のことだけを考えるとバスルームを出た。髪を乾かし身支度を調え、出社の準備をする。克哉は御堂の邪魔をする素振りはなかった。どうやら監禁するつもりはないらしい。
 鞄を持って靴を履いたところで克哉が見送りに来た。
「いってらっしゃい。今日は何時に帰ってくるんだ? 夕食は俺が用意するよ」
 肉親への愛情が込められた口調だったが、もう言葉どおりに受け止めることはできなかった。心を奮い立たせて御堂は克哉に向き直る。
「克哉、この部屋から出て行け」
 きっぱりと言い放つが克哉は目を丸くして、傷ついたような表情を見せる。
「酷いことを言うじゃないか。俺と兄さんの仲なのに」
「あんなことをしておいて、どの口が言う……ッ!」
「あんなことって? ……ああ、セックスか。だが、俺とのセックスは気持ちよかっただろう? いままで兄さんがどれだけ経験を積んだか知らないが、負けていない自信があるが」
 クツクツと喉を鳴らして笑いながら露骨なことを口にする克哉にカッと顔が熱くなる。羞恥と怒りを押し殺しながら低い声で言った。
「お前が出ていかないのなら、私が出ていく」
「駄目だよ、兄さん」
 克哉の顔が弟から冷酷な脅迫者の顔へと変わった。唇が酷薄な笑みを浮かべる。
「忘れたのか? 俺はいつだって、あんたと俺の関係をばらすことができる」
 言葉を失い押し黙る。きつく克哉を睨み付けると克哉から背を向けて家を出たが、胸の中では恥辱と敗北感が満ち満ちていた。


 出勤したMGN社は普段どおりの活気が満ちていて、誰も御堂の身になにが起きたのか気付くこともなかった。御堂もいつも以上に気を張って仕事に取りかかった。ふと気を抜くと克哉とのことが思い返されてしまう。仕事に打ち込むことで克哉とのことを頭から払拭しようと努力した。幸い、こなさなければならない仕事は山ほどあったし、コンペの企画もヤマ場を迎えている。
 どの飲料を濃縮飲料として開発するか、その選定に御堂は取りかかっていた。MGN社の飲料で知名度の高い定番品はいくつもある。コーヒー飲料や果実飲料、炭酸飲料など多種多様なドリンクの中でどれが濃縮飲料として一番消費者に受け容れられるのか。
 資料を読み込んでいるうちに、オフィスからすっかり人がいなくなっていた。そろそろ帰ろうかと思い、椅子から立ち上がりかけた瞬間、ふと克哉のことが頭をよぎった。
 ――帰れば、克哉がいる。
 その事実を思い出した途端、指先がひやりと冷たくなり、背筋が寒くなるような嫌な感覚が全身を駆け巡った。喉の奥がじわりと渇き、呼吸の仕方さえ忘れてしまったようだった。視界の隅がかすかに滲む。疲労がどっと襲ってきたかのように思考が停止し、ただ机の上の資料を見つめるばかりだった。やがて重くなった身体を無理やり動かし、御堂はため息とともに椅子へ沈み込んだ。
 自宅に帰るのをやめて、職場近くのホテルに泊まることも考えた。克哉と顔を合わせたくない。克哉は自分との関係をばらすと脅してきたが、仕事を言い訳にすればごまかせるのではないか。距離を取ることで頭を冷やし、これからの対策を考えたい。
 そう思いながら、鞄にしまいっぱなしだったスマートフォンを手に取った。メッセージの着信を告げる赤いランプが、静かに点滅している。御堂は嫌な予感を覚えながら、ゆっくりとロックを解除した。途端に、克哉が送ってきた写真が画面いっぱいに映し出されて御堂は克哉は自分の顔がみるみる青褪めていくのを自覚した。克哉は、こともあろうか犯されている御堂の写真を送りつけてきた。
 写真にはあまりにも淫らな姿の自分が写っていた。克哉に貫かれながら迎えた絶頂に恍惚とした顔、しどけなく開いた口の端から唾液が伝い、頬は発情に上気している。臍に付くほど反り返ったペニスからは蜜が滴り、自分の腹を濡らしていた。克哉に凌辱されていたにもかかわらず、この写真だけを見れば御堂は明らかに感じきっていた。
 写真の中の自分を正視できず、御堂は即座に写真を消した。もう二度と送ってこないように、震える指で『いまから帰る』と返信をして画面を消した。早く帰らなければならないのに、身体が凍り付いたかのように動かない。それでもどうに自分を奮い立たせようとしたそのときだった。
「どうしたの御堂? そんなに携帯を眺めて。彼女からの連絡?」
 突然背後から声をかけられて息が止まった。恐る恐る振り返れば本城が立っていて、御堂のうろたえぶりに目を丸くした。
「なんだよ、そんなに驚いて。冷静沈着なお前が珍しいな、そんなに慌てて。ねえ、誰から?」
 本城はクスクスと笑い、御堂の手元のスマートフォンを覗き込んでくる。幸い画面は消してあったが、それでも御堂の心臓は不穏に打ち鳴らされている。
「大したことではない」
 ことさら冷たく返して、さっとスマートフォンを鞄の中に滑らせるとパソコンをシャットダウンして、無理やり話題を切り替えた。
「お前はまだ帰っていなかったのか?」
「ちょっと研究部門に顔を出しててね。実験データを回収してきたのさ」
 本城はにこやかな笑みを保ったまま言った。その実験データとは、コンペ用の新商品に関するものだろう。自分の進退がかかった重要なコンペだ。常に余裕を見せている本城も、当然ながら本気で取り組んでいるはずだ。
 御堂が帰り支度を始めるのを見て、本城が続けた。
「今から帰るなら、一緒に帰らないか? 準備するから少し待っててくれ」
「悪いが、先に帰らせてもらう」
 とても、本城と帰路を共にできるような精神状態ではなかった。気を遣う余裕もない。御堂はさっと鞄を掴み、躊躇なく立ち上がると、そのまま踵を返した。だが、足を踏み出した瞬間、背後から軽やかな声が飛んできた。
「家で恋人が待ってるの?」
 冗談めかした笑い混じりの問いかけに、全身がぎくりと強張る。無意識のうちに呼吸さえ止まっていた。だが、表情を変えず、そのまま何も言わずにオフィスを後にした。

 

5

「遅かったじゃないか」
 家に帰るなり玄関まで迎えに来た克哉に咎められて、御堂は不機嫌な顔で克哉を一瞥した。
「なぜお前に私が帰る時間をあれこれ指図されないといけないのだ。ここは私の家だし、私には仕事がある。お前の都合に合わせる理由などない」
 ネクタイを緩めながら、御堂は克哉から顔を背けるようにして部屋へと足を踏み入れた。遅くまで仕事をして心身ともに疲労が蓄積し、身体は鉛のように重い。ようやく帰宅したというのに、迎えるのは安らぎではなく、克哉という名の災厄だ。
 仕事に打ち込んでいる間だけは、克哉の存在を頭の片隅へと追いやることができた。しかし、こうして同じ屋根の下で顔を突き合わせれば、屈辱的な仕打ちの数々を否応なしに思い出してしまう。この弟が、自分に何をしたのか、唇を噛み締め、込み上げる恥辱を飲み込むしかなかった。
「夕食は食べたのか?」
 背後から追いかけてくるように響いた克哉の声を、御堂は無視した。ダイニングチェアに鞄を置き、ふとテーブルの上に目をやる。そこには二人分の食事が並んでいた。見覚えのある容器から察するに、チェーン店の牛丼をテイクアウトしたのだろう。しかし、二つ並べられたその食事に、御堂は眉をひそめた。
 なぜ当然のように自分の分まで用意されているのか。
 視線が止まったところで、克哉がダイニングに入ってくる。御堂は克哉のほうをちらりと見て、冷たく言った。
「私の分は不要だ。仕事が詰まっていて、しばらく帰りは遅くなる」
 そう告げると、克哉はわずかに落胆したような表情を見せた。律儀にも、御堂が帰るのを待っていたらしい。だが、どうして御堂が克哉と共に食卓を囲むと思ったのか。
「それなら、早く言ってくれればよかったのに。夕食はどうするのかメッセージを送ったのに、返事がなかったろう?」
「メッセージって……あんなもの……っ」
 言いかけた瞬間、御堂の脳裏に嫌でもよみがえる。克哉が送りつけてきた、あの屈辱的な写真。瞬時に血が頭に上り、顔が熱を持ったように赤く染まる。
「何度送っても返事がなかったからな」
 克哉は悪びれる様子もなく、肩をすくめながら言う。まるで、当然のことをしたかのように。
 御堂は息を詰まらせ、何も言えなくなった。克哉がテーブルの脇に立ち、ちらりと食事へ視線を落とす。それが傷ついているように見えて、ほんの少しだけ胸がちくりと痛んだ。だが、克哉はすぐに表情を切り替え、にこりと笑う。
「仕方ないな。じゃあ、食事は後回しにして――セックスの時間だ」
 耳元で囁かれた言葉に、御堂の背筋が凍りつく。次の瞬間、克哉の手が伸び、御堂の腕を掴んだ。抵抗しようとする間もなく、強引に引き寄せられる。
「おい、やめないか……っ!」
 克哉の手を振り払おうとするが、それ以上の力で背中を壁に押し付けられた。両手を掴まれて壁に磔(はりつけ)のように縫い止められる。克哉のほうが七歳若いが体格はほとんど変わらない。それでも、抗えない力で押さえ込まれた。
「離せ……っ」
「暴れるなよ。無駄に体力消費したくないだろう?」
 鼻が触れあうほどの距離に克哉の顔があった。克哉の無機質なレンズが御堂の顔を写しとっている。精緻に整った顔が御堂をじっと見詰めている。呼吸が速く、荒くなる。
 克哉は余裕の笑みさえ浮かべてみせた。ゆっくりと御堂の耳元に顔を近づけて囁く。
「俺がその気になれば、あんたを無理やり従わせることができる」
 克哉が持っている動画、そして写真。この男の気持ちひとつで御堂を破滅させることができるのだ。みるみるうちに敵愾心を挫かれて力が抜ける。克哉は笑みを深めた。


「ぅ……っ」
 寝室に連れて行かれてベッドに放られる。体勢を立て直そうとしたところでベッドに乗り上がってきた克哉に手を掴まれてそのまま両手をベッドヘッドに回した手錠で繋がれた。動きを封じられたところで下着ごと脱がされて下半身を剥き出しにされる。シャツ一枚の姿にされ、残されたシャツさえも克哉によって前をはだけさせられた。
 露わになった乳首から臍、そしてまだ柔らかい性器まで克哉の視線が舐めるように這っていく。克哉のレンズ越しの双眸は自分が手にした獲物を検分する肉食獣のような酷薄な光を浮かべている。
 そうやってしばしの間、御堂の身体を眺めると、克哉はいったん部屋を出て自分のキャリーバッグを持ってきた。そこにいろいろな道具をしまっているのだ。そして、その中から小さな器具を出した。
 克哉が手に持っているチップを見て、御堂は顔色を変えた。
「それは……嫌だ」
「どうして? これでイきまくってたじゃないか」
 だからだ。
 プロステートチップ、前立腺に食い込んで強制的にドライオルガズム、いわゆるメスイキを引き起こす道具だ。射精をすれば外れるが、克哉はペニスの根元にリングを嵌めて射精を許さない。だから、延々と終わらぬ快楽に苛まされることになる。
 チップを挿入されると身体の芯をとろ火でずっと炙られているような感覚が引き起こされる。それはたしかに快楽ではあるものの、絶頂が治まらないうちに次の絶頂を強制される。そんな絶頂地獄のなか、克哉に犯されるのだ。チップに苛まれる前立腺を克哉に抉られて内外から責められる衝撃は言葉にできない。延々と続く絶頂はもはや快楽とは言えず、苦悶と悦楽の両方に揉みくちゃにされ続けるのだ。
 克哉が持つチップは前に使ったものよりも一回り大きく、ボコボコと突起までついていた。克哉は御堂に使うチップを徐々に凶悪なものにしているようだ。克哉はこうやってチップで得る快感を御堂の身体に刻みつけようとしている。チップがなくても、また、ペニスに刺激を施されなくても克哉に抱かれるだけで、あっけなく陥落するように御堂を躾けているのだ。
 唇を噛みしめて克哉を睨み付ける御堂に、克哉は呆れたように笑みを零す。
「まあ、兄さんはタチ側だったからな。ここからの快楽が忘れられないんだろう?」
「っ、触るな……っ」
 克哉の指が柔らかい御堂のペニスを摘まんだ。弄ぶように指を絡められ、御堂は嫌悪に声を上げた。
「そんなにこのチップがいやなのか。それなら今日は趣向を変えようか」
 怯える御堂を前に克哉はチップをバッグにしまって別のなにかを取りだした。克哉の手には御堂も知っている器具が握られている。ペットボトル大の筒状の道具、半透明のそれはいわゆる男が自慰に用いる大人の玩具だ。こんなものまで克哉は持っているのかと息を呑む。
「これ使ったことあるか?」
「そんなもの、あるわけないだろう…っ」
「そうだろうと思ったよ。 兄さんは女には不自由してなかったしな。だが、これが中々いいらしい」
 露骨な嫌悪と侮蔑を込めて吐き捨てたが、克哉は口元に笑みを浮かべたまま御堂がよく見えるようにその玩具を顔の前に持ってくる。
「兄さんは俺の大学を馬鹿にしているだろうし、実際、馬鹿ばかりだが、馬鹿なりにこういう玩具に詳しいヤツがいてさ。そいつからもらったんだ。おすすめだとさ。……ああ、新品だから安心しろ」
 克哉がローションを筒状の穴に注ぐ。穴の入り口は小さくて、こんなところに挿いるのかと思うが、克哉が中の潤いをたしかめるように指を挿入した。長い指がぐるりと中をなぞる卑猥な動きが半透明の本体から透けて見える。あの指があんなふうに動いて御堂の中を探るのだと想像してカッと身体が熱くなった。
「俺も使ったことないが、この感触はすごいな」
 克哉はニヤリと笑うとローションを手のひらに取ってその手で御堂のペニスを握り込んだ。手の温度に温められたローションをぬちゅりと塗りたくられて、根元から扱かれた。
「ひ……っ、は、あ」
 ぬるついた指が絡みつき的確な愛撫を施されるとあっという間にペニスが熱を持つ。抵抗しようにも自分ではどうしようもない反応に悔しさが込み上げる。
「あなたのここはこんなに素直なのにな」
 克哉は吐息で笑うと、勃起したペニスの先端にホールの穴が宛がった。ぬちゅっと呑み込まれていく感覚に御堂は息を詰めた。
 先端に圧がかかると穴がずずっと広がって御堂の亀頭を呑み込んでいく。ぬるぬるとしたローションのおかげで摩擦はないが締め付けが強い。ねっとりと亀頭の部分を嬲られる未知の感触に我知らず声が漏れた。
「ぁ、あ……っ」
「まだ先っぽだけなのにそんなに気持ちがいいのか」
 克哉は笑ってぬちゅぬちゅと玩具を浅く前後させた。そのたびに亀頭が小さな穴に咥えられてはぬぷっと引き抜かれる。ひたすら亀頭を責められて腰が捩った。
 やめろ、と言おうとした次の瞬間、ずぶっと奥まで貫通させられる。
「――――くあっ!」
 それは女性相手とは違うまったく異質の感覚だった。玩具の中に小さな突起がぎゅうぎゅうに詰まっていてそれが御堂のペニスを全方向から同時に刺激する。それだけではない。先端はさらに窮屈になっていてそこをくぐると繊毛のような細かな毛がいっせいに御堂の亀頭を撫でるのだ。
「あ、あ、あ、や、やめ、ひあっ、あっ」
 克哉が玩具をゆっくりと上下させるたびに、ぐぷっぐぷっとローションが粘ついた音を立てる。ペニス全体をねっとり締め付けられて、得も言われぬ快感がペニスを熱くする。
 玩具の中の窮屈な部分が亀頭のエラを弾く。ぶつぶつの部分が強弱をつけて鮮烈な悦楽に視界に火花が散った。怪しげな生物にペニスを呑み込まれてもみしだかれているかのような強烈すぎる感覚に下半身がおかしくなった。
 何往復もしないうちに四肢をびくりと突っ張らせて御堂は迸らせた。
「早いな。そんなに悦いのか」
 克哉がせせら笑いながらぐちゅぐちゅと玩具を動かした。ローションと一緒に御堂が放ったものが混じり合ってあふれ出てくる。達したばかりの敏感なペニスに刺激を与えられて、御堂は身悶えた。
「も……止めて、くれ、あっ、無理、だ」
「ペニスの刺激でイきたいんだろ? 一回だけと言わずたっぷり味わえよ」
「やめ、ひあっ、あ、あ、あ、あ」
 克哉は玩具の動きを止めない。過敏になった神経を逆なでするように玩具はペニスを刺激し続ける。萎えることも許されずに強制的に快楽を与えられて、ペニスが燃え上がってしまいそうだ。
「前と後ろどっちのほうが気持ちいい?」
 玩具に身悶える御堂を眺めながら、克哉は長い指をアヌスへと伸ばしてきた。そしてペニスの根元にある膨らみをぐりぐりと擦りあげる。それだけで腰が砕けそうなほどの刺激が走った。
「よせっ、あ、ぐあああっ!」
 痛みとも快楽ともつかない刺激が間断なく襲いかかる。拷問のような苦しさに全身の肌が粟立った。射精を伴う絶頂は苛烈である分、一回達してしまえば、すぐにまた達することは困難だ。ペニスの外側も内側も激しく揉みしだかれて、上り詰めてしまいたいほどに快楽は積み重なっているのにイくことができない。そのつらさに悶えうつ。ドライで延々と続く絶頂も地獄だが、達したいのに達せないのもまた別の地獄だった。とっくに閾値は超えているのに、解放のできない嵐のような悦楽が御堂の下腹に渦を巻く。
「ひっ、ぁ、あ、あ、やめて、くれ……っ、克哉ぁああ」
 快楽が嵩み、御堂の中で荒れ狂う。なにかが決壊する。そう思った。
 いやだ、いやだ。
 必死に首を振って拒絶する。だが、どこをどうこらえればいいのかさえ分からない。玩具は亀頭から根元までを容赦なく愛撫し、アヌスに挿入された克哉の指がペニスの根元を抉る。強すぎる快楽は苦痛との境目をなくし、御堂に襲いかかった。
「も…、だめ、だ、かつ、や……ぁ、ああああ!」
 びくん、と身体を跳ねさせた。次の瞬間、克哉が勢いよく玩具を引き抜いて………爆ぜた。
 びしゃびしゃという激しい水音とともに、ペニスの先端から勢いよく液体が噴き出した。止めようにも止められず、粗相したように下腹を濡らしていく。克哉が、「ほう…」と感心したような吐息を零した。
「激しい潮吹きだな」
「ぁ……」
 突き抜けた悦楽のあとの脱力と羞恥に、空気が抜けたような声が漏れた。こんなはしたない姿を弟の前に晒してしまったことに知らずに涙が溢れた。その涙を克哉の指が拭った。
「これで満足したろ? それともまだオスイキしたい?」
 そう問われて力なく首を振った。これは御堂が知っている快楽ではなかった。これほどの苦しさと屈辱を味わうくらいなら、メスイキのほうがまだマシだった。
 克哉の指が御堂の濡れた髪を梳きながら、慰めるように頭を撫でられる。朦朧とした思考のまま克哉を見返せば、レンズ越しの眸がにこりと綻ぶ。
「じゃあ、兄さん、次はメスイキしようか」
「も……無理だ……」
 ゾッと背筋が寒くなり、掠れた声で拒絶するが、克哉は容赦なく御堂に覆い被さってきた。身体を拓かれる苦痛に悲鳴を上げ、血のつながった弟に犯されるという事実に打ちのめされる。しかし、その苦痛も絶望もすぐに濡れそぼった快楽に取って代わられた。


 克哉と暮らす生活はすっかり様変わりした。日中はMGN社で働き、夜は克哉に抱かれる。七歳年下の克哉は若さ故か卒業が決まった大学生という気楽さ故か、満足するまで一晩に何回も御堂を抱いた。抱くだけではない。御堂が克哉に抱かれるだけで達することができるよう、メスイキを覚えさせるためにいろいろな淫具を使われる。いままで意識したことのなかった乳首までも性感帯として開発されてしまい、日中に乳首がシャツに擦れるだけでジンとした疼きを感じるようになってしまった。着々と身体を造りかえられている。
 克哉はどこで覚えたのかそれとも天性のものなのか、御堂を焦らすのも求めされるのも得意で、飴と鞭をよく使い分けた。御堂が反抗したときの仕置きは徹底するが、それ以外のところでは家事もすべてやるし、甲斐甲斐しく御堂の世話を焼く。御堂のワイシャツやスーツもクリーニングに出してしっかり回収までしてくれていた。結果、御堂は家に帰るとなにが待ち構えているのかわかっているのに、友人や同僚からの誘いも断って律儀に家に帰っていた。まるでよく躾けられた犬のようだ。
 毎日、仕事だけでなく克哉の相手もさせられることで、とてもほかのことに気を配る余裕はなかった。四六時中監視されているわけではなかったので、逃げることや助けを求めることもしようと思えば可能だった。ただ、もし克哉になにをされたのか、兄弟の関係が露見した場合のダメージの大きさを考えて思いとどまったのだ。克哉から無理やり強いられた関係だとしても、血のつながった兄弟間の関係は禁忌(タブー)だ。今まで通りに暮らすことは難しいだろう。これが周囲の人間の知るところとなれば、御堂はMGN社を追われる可能性が高い。一方の克哉は就職先がふいになるかもしれないが、所詮はまだ大学生だ。あらたな生活を築くのは御堂よりよほど容易いはずだ。ことが公になって失うものは御堂のほうが圧倒的に多い。克哉はそこまで見越して御堂を脅しているのだ。
 だが、御堂はあきらめたわけではなかった。今度の社内コンペで評価されれば今後の出世の大きな足がかりとなる。とくに、優勝者は海外研修なども優先的に派遣してもらえる。たとえばシカゴ本社への短期研修ではないく長期赴任を希望すれば叶えられる可能性も高い。これを機に克哉の手の届かない場所へと行ってしまえばいいのだ。
 だから今まで以上にコンペの企画案作りには身が入っていた。帰りが遅くなりすぎると克哉に手酷い仕置きを受けるので、ぎりぎりのラインを見極めながらコンペ用の企画を細部まで詰めていく。この日も残業をしていると、研究室から商品の安定性予測データが届いた。そのファイルを確認しているとデスクの内線が鳴った。すぐさま受話器を取る。
「はい、御堂です」
『ラボの川出です。さっきデータを送ったんですけど届きました?』
 電話をかけてきたのは開発部専属ラボの研究員の川出だった。おっとりとした性格と物言いだが、仕事は速いし確実だ。ただでさえ、開発部の正規の仕事が忙しいのに、御堂が頼んだコンペ用の解析依頼も嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれた。
「いま受け取って確認していたところです。こんな短期間でやっていただきありがとうございます」
 データをしっかり受け取った旨を伝え、お礼を言って電話を切ろうとしたところで、電話口の向こうに躊躇いの気配を感じた。
「……どうかしましたか?」
『いえ……、どうした、ってほどではないのですが、一応御堂さんの耳に入れておいたほうが良いと思いまして』
 そう前置きを置いて、川出は声を潜めるようにして言った。
『最近、本城さんがよくラボに来られるのです。本城さんからもいくつか依頼をいただいてその確認もあると思うのですが、どうやら御堂さんがなにを頼んだのかも気になっているようで……」
「ほう、私の企画案の探りを入れてくるということですか」
『ええ。コンペ用の依頼だということは承知しておりますので、具体的なことはなにひとつ伝えていませんが。本城さんは、ほかの研究員にもしつこく聞いているようです。知ってどうなるってことではないでしょうが、一応御堂さんにご報告まで』
「ご連絡ありがとうございます。私のほうでも気にかけておきます」
 丁寧に礼を述べると、受話器の向こうで川出がほっと安堵したように息を吐いた。川出としても本城の行動を御堂に告げるべきか悩んでいたのだろう。
 川出としてもどちらかの肩を持ったりはしたくないだろうが、よほど本城の行動が目に余ったに違いない。電話を切りながら、しばし考え込んだ。
 本城から強烈に意識されていることは気付いていた。学部は違えど大学は同じで学部生時代から交流があり、就職活動の高い倍率を勝ち抜いてMGN社に入社した同期だ。御堂も本城もMGN社の花形部署である開発部に所属しているが、今度のコンペできっと振り分けられるだろうということはお互い理解している。それは、互いの優劣がはっきりとつけられるということだ。
 だから、御堂の動向が気になるという本城の気持ちもわからないでもなかった。とはいえ、御堂がなにを企画しているのか知ったところでどうにかなるというものではない。
 御堂は意識を切り替えて、川出から届いたデータを細かくチェックし始めた。いまは本城のことを気にしている余裕などなかった。なによりも、御堂はこのコンペを勝ち取らねばならない確固たる理由があるのだ。

(4)
6

 「御堂、おはよう。……あれ、顔色悪くないか?」
 「本城か。おはよう」
 週末の金曜日、出勤してオフィスに入るなり、御堂は本城に声をかけられた。
 端的な挨拶だけしてデスクに着席するが、お節介にも本城はついてきた。今日もまた本城は光沢のあるシャツに、明るいグレーの三つ揃えのスーツを纏い、さらに複雑な紋様を描くネクタイを締めて洒落気を全面に押し出している。いくら外資系企業とはいえ、会社をパーティー会場と勘違いしているのではないかと思うほどだ。しかし、柔らかくウェーブした髪と甘いマスクが相まって、妙にしっくりと馴染んで見えるから不思議だ。
 一方の御堂は、常に落ち着いたダークスーツをまとい、髪の一本たりとも乱さずに整えている。対照的な二人は、社内の女性陣から「ブラックプリンス」「ホワイトプリンス」と並び評されていることを御堂自身も知っていた。
 本城は、御堂の隣のデスクから椅子を引き寄せると、その背を跨ぐようにして座り、肘を背もたれの上に乗せてじっと顔を覗き込んだ。
「ちゃんと寝ているのか? それとも食事を取っていないのか」
「問題ない」
 本城のしつこさに、御堂はあからさまなため息を吐いて応じた。しかし、本城はそんな冷淡な態度も気にした様子はない。むしろ、さらに身を乗り出し、探るような視線を向ける。
「本当に? なんだか最近、頬がこけてきたような気がするが。今日、展示会に行くんだろう? 大丈夫か?」
「お前に心配される筋合いはない」
 言葉こそ突き放しているが、本城の目はじっと御堂を見つめたままだ。本音を探るような視線を振り払うように御堂は視線を逸らし、パソコンを立ち上げる。本城はふ、と息を吐いて表情を緩めた。
「まあ、いいさ。でも無理はするなよ」
「余計なお世話だ」
 本城はからかうような笑みを浮かべると、ようやく自席へ戻っていった。
 実際のところ、毎日夜遅くまで仕事をして、帰ってからは克哉にいろいろな道具でいたぶられながら抱かれ、気を失うように眠りにつく。そんな日々が続いているので、心身ともに疲弊していた。
 自分の頬にそっと触れる。周りから見てわかるほどに自分は追い詰められているのだろうか。
 幸い克哉は御堂が出勤することは止めないし、むしろ朝食まで甲斐甲斐しく用意して送り出してくれる。しかし、それは御堂の仕事を尊重してくれているというよりは、克哉が逃げ出せないということがわかっているからだ。むしろ、御堂に仕事という仮初めの逃げ道を与えることで御堂があっという間に壊れないよう巧みにコントロールしているのかもしれない。
 いつになったらこの状況を打開できるのか、御堂は小さく息を吐いて仕事に取りかかった。


 午後は都内の大型展示場で開かれる飲料水の大規模展示会に参加予定になっていた。原料から容器・製造装置まで国内外の最新技術が多数出展される展示会で、飲料水を製造販売しているMGN社も参加する予定だ。御堂は出展には関わらないが、業界動向や技術トレンドを学ぶために開発部メンバーの多くが展示会へと向かう。
 金曜日の今日はビジネスデイで関係者のみが招待されているはずだが、会場に向かうとすでに多くの来場者で溢れかえっていた。大型のブースが所狭しと並び、最新の技術や製品を売り込むための熱気に包まれている。各企業の担当者がブースに訪れた参加者に向けて試飲やデモンストレーションが行われていた。御堂は事前にチェックしていた目的の展示を次から次に回っていった。
 各ブースで名刺交換をしつつ詳しく説明を聞く。それを繰り返していくうちに会場の喧騒と人の多さが、じわじわと身体に負担をかけてくるのを感じた。朝から体調が万全ではないことを自覚してはいたが、これほど堪えるとは思っていなかった。
 人混みをかき分けながら歩くうちに、視界の端がぼやけていく。ふわりと地面が浮く感じがした。めまいだと気付いたときには足元がふらついていた。
 ――まずい。
 御堂は思わず手近な壁に手をつこうとしたが、それすら間に合わず、力が抜けるように身体が傾いだ。
「御堂、大丈夫か?」
 伸びてきた腕に身体を支えられる。顔を上げれば横にいたのは、本城だった。腕を支えられ、なんとか倒れずに済んだが、まだ視界は揺れている。
「休憩所に移動しよう」
 半ば引きずられるようにしながら、会場の片隅にある休憩スペースへと連れて行かれた。椅子に座ると、途端に身体の力が抜ける。
「ほら、経口補水液だ。近くにブースがあって配っていた」
 紙コップを渡されて、それを口に含んだ。スポーツドリンクのような甘さはなく、ほんのり塩気を感じる。喉を通ると、少しずつ体に染み渡るような感覚がした。ふう、と息を吐く。
「ありがとう、助かった」
 残りを飲み干して礼を口にした。
 本城は腕を組み、じっと御堂を見つめると言った。
「やっぱり体調が悪いのに無理してたんだろう。今日はずっと青い顔していたぞ」
「……気にしすぎだ」
「なにか悩み事があるなら相談に乗るけど」
 克哉のことが頭に浮かんだ。実の弟に強姦のごとく抱かれて、それをネタに脅迫されて身体の関係を持ち続けている。そう言ったら本城はどのような反応をするだろうか。そんな誘惑が心を掠めたが、御堂はすぐさま自制心を取り戻した。
 本城の口調は御堂を気遣ってはいるが、好奇心も大いに混ざっているのだろう。友人以上にライバルでもある本城に弱みを見せることはできない。
「お前はいつもどおり元気そうだな」
「まあね」
「心配をかけたな。もう大丈夫だ」
 飲み干した紙コップを手に立ち上がろうとしたら、くらりとめまいがした。とっさにテーブルに手をついてじっと耐えてめまいをやりすごそうとすると、本城は呆れたようにため息をついた。
「なにが、もう大丈夫、だ。そんな体調で見て回る気か?」
「もう少し休めばよくなる」
「見たいところは大体見たんだろう? 俺ももう帰るところだったし、車で送るから、おとなしく帰れ」
「車で来たのか?」
「ああ。総務の子から駐車場のパスを融通してもらった。だから遠慮するな」
 本城は口元を緩め、悪戯っぽくウインクしてみせた。
 展示会の協賛企業であるMGN社に配布される駐車場パス、それも展示ブース担当者のみに限定された希少なものを、本城はは何らかの手段で入手したようだ。 社内の各部署に顔が利き、社内のあちこちの部署部署に顔を出しては独自の人脈を築いてきた本城らしい、抜け目のなさだった。
 本城の言葉に御堂は少し逡巡したが、本城の言うとおり、この体調で混み合う展示会を見て回る自信はなかった。これ以上本城の世話になりたくなかったが、御堂はこの展示場までタクシーで来ている。帰るためにタクシーを捕まえようにも、いまごろタクシー乗り場は長蛇の列になっているだろう。渋々ながら本城の申し出を受けることにした。
「……わかった。頼む」
「ようやく素直になったじゃないか」
 本城は満足そうに頷いた。


 展示場地下の駐車場に停めてあった本城の車の助手席に乗り込んだ。右ハンドル仕様のフランス車はシートの感触が心地よく、肩の力が抜ける。エンジンがかかり、低いエンジン音とともに車が走り出した。本城は視線を前に向けながら助手席の御堂に話しかける。
「そういえば、マーケティング部に巣ごもり需要関連の市場調査依頼したんだって? コンペと関係あるの?」
「どうしてそれを知っている」
「やっぱり」
 にやりと本城は笑う。沈みかけた太陽の陽射しが本城の顔の輪郭をオレンジ色に浮き立たせていた。
「マーケティング部に知り合いがいてね」
 まただ。顔が広く、フットワークの軽い本城ならではの情報網だ。そういえば、少し前にマーケティング部の女子社員との飲み会に誘われたことを思い出す。そこで話を聞いたのかもしれない。
「御堂はいったいどんな新商品を考えているんだ?」
「私のを聞いてどうする」
「参考までに知りたいだけさ。ネタがかぶったりするといやだろ?」
 本城はあくまでも軽い調子で言うが、本城の言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない。川出から本城がラボに出入りして御堂がなにを依頼しているのか情報収集していたという話もある。
 本城は大学時代からの友人で、いまでもプライベートでもワインを愉しむ仲間の一人でもあった。頭の回転も速く、性格も快活明朗で、万事に察しがよい。周囲には御堂よりよほどとっつきやすいキャラクターだと思われている。友人としてだけなら本城は楽しい男だが、同じフィールドで競う相手として本城は油断ならない男だと御堂はわかっていた。本城には強い野心と目的を達成するためなら手段を選ばないしたたかさがある。この男に足元を見られたくはない。
 窓の外に視線を流しながら黙りこくっていると、本城は、ふ、と息を吐いた。
「あんまり気を張り詰めすぎるなよ」
「……ここで手を抜くようなら、私はこの仕事に向いていないということだ」
 本城は軽やかにハンドルを回してほかの車を軽々と追い越しながら、鼻で笑う。
「相変わらずだな、お前は」
 車はスムーズに進み、やがて御堂の住むタワーマンションの前に到着した。
「本城、礼を言う」
 そう言って車を降りようとしたところで本城にぐいと腕を掴まれた。驚いて振り向くと、本城は運転席から御堂のほうに身を乗り出して言う。
「お前、最近、雰囲気変わったな」
「一体なんの話だ」
 本城は御堂を見る目をすっと細めた。
「色気が増したよ」
 言葉に詰まり本城を見返すと、本城は御堂の心を見透かすような鋭い視線を向けていた。ぞくりと冷や汗が背筋を伝った。本城はなにかを気付いたのか。まさか克哉に毎夜抱かれていることに感づいたのだろうか。日に日に御堂の身体は抱かれることに馴染み、克哉がそう意図したように、御堂の身体は男に抱かれて悦ぶようになっている。本城はそのことに勘づいたとでもいうのか。
 ぎくりと身体を強張らせる御堂に本城は顔を寄せて囁くように言う。
「なあ、御堂。俺たちはもっとうまくやれるんじゃないか?」
「ふざけるな、離せ、本城」
 手を振りほどこうとしたところでぐっと引き寄せられた。バランスを崩して運転席側に身体が傾ぐ。本城が覆いかぶさってくる。本城がまとう香水の香りが濃く迫った。
「よせっ」
 とっさに顔を背けたおかげで本城のキスを避けることができた。本城の柔らかな髪が頬に触れる。本城が喉の奥で笑った。
「つれないな」
「お前はなにを考えているんだ!」
「御堂、お前はバイだろう? 俺もそうだ。それなら、俺という選択肢も考えてくれてもいいんじゃないか」
 耳元で低く、艶のある声で囁かれる。本城の胸を手で押して逃れようとするが、本城の力は存外強くビクともしない。そのときだった。
「なにをしている」
 開いたドアから響いた声に、本城の手の力が一瞬緩む。その隙を突いて車の外に出たところで、目の前に立つ男に気づいた。
「克哉……」
 ジーンズに開襟のシャツ、ジャケットといった普段着姿の克哉が、御堂、そして運転席の本城を険しい眼差しで見据えている。本城は車から出ると訝しげな視線を返しつつ御堂に訊いた。
「誰? 知り合い?」
 弟だ、と答える前に克哉が口を開いた。
「佐伯克哉、御堂と同棲している」
 本城の目が驚いたように見開かれる。すぐに御堂へと視線を向けた。
「お前の恋人か? ずいぶんと若いな」
 本城は克哉と初対面だ。克哉が母親の姓を名乗ったおかげで兄弟だとは夢にも思っていないようだ。本城の勘違いを訂正すべきか迷っている沈黙を本城は肯定と受け取ったらしい。克哉に向けて蕩けるような笑みを浮かべた。
「俺は御堂の友人で同僚だよ」
「あんたは友だちにキスするのか?」
「親愛の表現だ」
 どこまでも軽い調子の本城に対し、克哉は険しい表情を崩さない。本城は片方の口角を上げ、克哉を牽制するような視線を向けた。
「恋人なら、御堂の面倒をちゃんと見てやれよ。今日、御堂は倒れたんだぜ? 俺が助けなければ、いまごろ救急車で運ばれていた」
「何……?」
 克哉が驚き、御堂に問いかけるような視線を向けた。
「違う、少しめまいがしただけだ」
 大げさだ、と慌てて弁明する。しかし克哉は納得できない様子で、疑る眼差しで御堂を見つめる。
 そんな二人の間に割って入るように、本城が車のドアを開け、乗り込む前に最後の一言を投げかけた。
「じゃあな。御堂もお大事に。よく寝ろよ」
 引き際はあっさりとしたもので、本城は手を軽く挙げるとそのまま車を発進させた。御堂と克哉をその場に残して。
 克哉は本城の車が走り去るのを見届けると、御堂に向き直った。不機嫌さを露骨に滲ませた口調で言う。
「誰なんだ、あいつは」
「本城だ。同じ部署の同僚で大学からの同期だ」
「へえ……。あんたはその本城とキスするような仲なのか」
「違う。あいつがふざけただけだ」
「だが、あんたはそれを許したってことだろう」
「不愉快だ」
 吐き捨てるように言って、克哉に背を向けてマンションに入ろうとした。その腕を「待て」と克哉がぐいっと引っ張った。
「離せ……っ」
 克哉の手を鋭く振り払ったところで、ぐらりと地面が沈み込んだ。違う、めまいが起こったのだ。あ、と思ったときには視界が激しく揺れて、膝がガクリと折れた。身体が言うことをきかず、頽(くずお)れていく。
「おいっ!」
 前に傾ぐ身体が力強い腕に抱き留められる。なにかを言おうとしたが、そこでぷつりと意識が途切れた。


 目を覚ましたとき、あたりは薄暗かった。数度まばたきを繰り返しながら、自分がどこにいるのかを把握する。次第に目が慣れて見慣れた室内の輪郭が浮かび上がってきた。どうやら、自分の家のリビングにあるソファに寝かされていたらしい。重く沈んだ身体をなんとか起こそうとしたそのとき、声が響いた。
「気が付いたか?」
「……克哉か」
 リビングの隅に、克哉が立っていた。どうやら彼がここまで運んできたのだろう。  
 御堂はめまいがぶりかえさないようにゆっくりと上体を起こした。身体が重い。身体の芯に鉛でも仕込まれたような重さがまとわりつき、休んだはずなのに疲労感はむしろ増していた。むしろ休んだことでようやく自分の逼迫した心身に気が付いたのかもしれない。
 御堂は克哉からそっと視線を逸らし、周囲を見渡す。キッチンの明かりは点いているが、リビングの照明は落とされている。窓の向こうには、既に夜の帳が下りていた。今が何時なのか、時計を確認する気力すら湧かない。
「暗いな……」
 戸惑うように視線をさ迷わせていると、克哉が壁際のスイッチを押した。途端に眩い照明が部屋を照らした。次の瞬間、眩い光が部屋を満たし、その眩しさに御堂は目を細める。
「暗いほうが休めるかと思った」
 言い訳がましく言いながら、克哉は御堂に顔を向けた。その眼差しは御堂を案ずるようにひたりと御堂に添えられる。
「まだ顔色が良くないな」
 克哉はほんの少し首を傾げると御堂の元に歩み寄った。そろりと伸ばされた指先が御堂の頬に触れた瞬間、びくりと身体が震えた。
 これからまた克哉に抱かれるのか。
 その思考が脳裏をよぎった瞬間、全身が強張り、視界の焦点が合わなくなる。心臓が痛いほどの速さで脈打ち、張り詰めていた心が一気に崩れ落ちる音がした。  
 心身ともに弱り切っていたせいか、堰を切って溢れだした恐怖は抑えようがなかった。凍てついた水中に放り込まれたかのように、血の気が引いていく。呼吸は浅く早くなり、歯の根が合わない。毛布を握る指に力を込め、どうにか震えを堪えるのが精一杯だった。
「そんなに俺が怖いのか」
 露骨すぎる御堂の反応に、克哉はそっと手を引いた。その体温が離れるだけで、凍え切った身体にようやく温もりが戻ってくる。
 怖かった。事実、御堂は克哉が、弟である克哉が恐ろしくてたまらなかった。脅迫で御堂を脅し、無理やり犯し、男として生きてきた御堂が知ることのなかったはず快楽を刻みつけている。実の弟という禁忌の関係を強いることによって。
 御堂はこれまで、人生において敗北も挫折も知らなかった。常に勝者であり続けてきた。それゆえに積み上げてきた自負と誇りは、克哉によって粉々に砕かれ、無惨に踏みにじられていた。
 その張本人がいま、痛ましいものを見るように御堂を見詰めていた。レンズの奥の眸が眇められる。
「俺はあなたを痛めつけたいわけじゃない。今日はもうなにもしないさ。ゆっくり休むといい」
「……本当か」
 かすれた声で問い返す。その震えすら情けなくて、悔しくてたまらなかった。
「ああ」
 克哉がなんの含みもないことを示すように両手をゆっくりと挙げ、御堂から一歩距離を取った。
 完全に警戒を解いたわけではない。しかし、いまの克哉はたしかに御堂を抱く気はないようだ。
 安堵を覚える一方で、御堂の中にはどうしようもない羞恥と自己嫌悪が込み上げた。なぜ、弟ひとりにここまで怯え、取り乱すようになってしまったのか。  
 どうして、こんな惨めな姿をさらしてしまったのか。
 御堂は唇を引き結び、手に爪が食い込むほど力を込めて拳を握りしめた。


 克哉はなにもしないと言った言葉どおりに「しばらく出かけてくる」と言って家を出て行った。
 ようやく一人きりになれた。家の中では常に克哉の気配があって気が休まる瞬間がなかった。
 御堂はソファから下りるとバスルームへと向かった。シャワーを浴びて汗や埃、そして本城のつけていた香水の残り香を全部洗い流す。熱めの湯を浴びると疲労感が抜けて頭もすっきりしてきた。タオルで髪を拭きながらバスルームを出ると、キッチンに向かう。
 ダイニングテーブルに一人分の食事が置いてあった。レトルトのリゾットだ。克哉が御堂のために用意したのだろう。空腹は感じなかったがなにか食べておいたほうが良いのはわかっていた。
 レトルトをレンジにかけると、やりかけていた仕事を思い出した。週明けまでにコンペの企画書のアウトラインを作っておきたい。
 鞄からノートパソコンと資料を取り出し、食事の準備ができる間に少し目を通す。温め終わったリゾットを機械的に咀嚼しながら、資料にもう一度丹念に目を通した。大まかな方向性は固まってきたが、まだ明瞭な輪郭を描き切れていない。肝心の「どういったタイプのドリンクを展開するのか」が決まっていないのだ。考えれば考えるほど迷いが生じる。
 ホームバーというコンセプトならある程度大人向けでカフェ系のドリンクを展開したほうが良いかも知れない。街中の洒落たカフェのようにキャラメルマキアートのような女性向けのラテも人気がでるのではないか。
 ダイニングテーブルに資料を広げ、時間を忘れ熱心に企画案を練っていると、ふいに玄関の扉が開く音がした。克哉が帰ってきたのだ。ぎくりと動きが止まる。克哉は玄関からまっすぐに御堂のほうへとやってくる。
「寝てないのか?」
 呆れたような声がかかった。なにか言い返すよりも早く、克哉はテーブルの上の資料を見遣り、御堂の後ろからパソコン画面を覗き込んだ。
「なにをしているんだ?」
「勝手に見るな」
「新商品のコンセプトを考えているのか」
「お前には関係のないことだ」
 御堂は鋭く言い放ち、無遠慮に覗き込んでくる克哉を睨みつける。体調が幾分戻ってきたおかげか、克哉に対する恐怖も薄れていた。克哉は御堂の言葉を気にした様子もなく、画面に映る企画書に目を走らせた。
「なるほど。巣ごもり消費を狙ったドリンクか」
 パソコン画面とテーブルに広げられた資料、そういった断片的な情報から御堂がなにを意図しているのか一瞬で読み取った克哉の勘の良さに舌を巻いた。
 克哉が勝手に資料を手に取りパラパラとめくる。克哉から資料を取り返そうとも思ったが、克哉の真剣な顔つきにあきらめて、代わりに説明を加えた。
「外で飲まずに家で飲むなら、こういった自分で割って作る濃縮飲料も需要が増えると考えている」
「ふうん」
 と相槌を打って、克哉は御堂に視線を向けた。
「どうせなら、カスタマイズ性を全面に出したほうがいいんじゃないか?」
「カスタマイズ性? 好みの濃さや割り方を自分で調整出来るということなら、最初から念頭に置いている」
「それだけじゃなくて、カクテルみたいに自分でアレンジできるよう、何種類かのドリンクを出してミックスできるようにするんだ。新しい組み合わせを消費者にSNSに投稿してもらえば、話題性も出るだろう? SNS好きなら食いつくさ」
「なるほど。Z世代をターゲットとするわけか。……いやその上の世代も狙えるな」
「コーヒー系も悪くないと思うが、もっと炭酸とか果汁系ドリンクの濃縮のほうがヒットするんじゃないか」
 克哉の観点はZ世代の流行をよく捉えている。チェーン店のドーナツの定番商品を自宅で焼いて食べるアレンジレシピがSNSを中心に流行ったりと、完全にパッケージ化された商品よりも、なにかしらアレンジする体験価値をZ世代は重要視している。
 御堂が考えていたターゲットは20代以上の自分と同じ若い社会人世代だったが、御堂たちも学生時代にファミレスのドリンクバーでカスタマイズドリンクを作ることが流行っていた。克哉の案は幅広い世代に受け容れられるだろう。
「割るのも炭酸や牛乳だけでなくて他社のドリンクを使ってもいいし。そういうのって人気でそうじゃないか」
「さすがに他社のドリンクを使う提案はこちらからはできないぞ」
「そんなのは放っておいても購入者が勝手にカスタマイズしてSNSで発信するさ」
 克哉と議論を重ねる。克哉の打てば響く反応の早さ、そして分析の的確さ、洞察力に舌を巻く。東慶大の優秀な仲間と会話しているような興奮を覚えた。その一方で、弟はこれほど優れた頭脳を持ちながら、なぜ明応大学にしか入れなかったのかとふと疑問を覚えた。
 話の方向性がまとまってきたところで、御堂はひとつ息を吐いて言った。
「お前の言葉は説得力がある。その路線での商品企画を考えてみるか」
 素直に認めるのは悔しいが、客観的に見ても克哉の提案は説得力があった。自分の頭の中だけで考えていたせいで煮詰まっていたものが、克哉との会話のおかげで突破口が見えた。自分が目指すべきものがくっきりと浮かび上がってくる。データはすでに揃っていた。あとは提案書を書き上げるだけだ。
 御堂はパソコンに向かうとキーボードをたたき出した。
 克哉は、そんな御堂の様子をしばらく無言で眺めていたが、一心不乱に企画書に取り組む御堂に向けて聞こえよがしにため息を吐いた。
「病み上がりなんだから無理しすぎるなよ」
 そうぼやいて、リビングへと向かい、ベッド代わりにしているソファに身を預けた。
 しばらくして、室内に克哉の静かな寝息が聞こえ始めた。
 企画書が完成したのは、夜明けの気配がわずかに部屋を染めはじめた頃だった。
 御堂は出来上がった資料にざっと目を通すと、ふうと息を吐き、両手を天井に向かって伸ばした。身体をぐっと反らせ、凝り固まった背筋を解す。体調はまだ万全ではなく、疲労も骨の奥に染みついている。けれど、それらを押し流すほどの充実感が胸の奥に広がっていた。
 ふと思い立ち、足音を忍ばせてリビングへと向かった。
 ソファでは克哉が毛布に包まり、穏やかな寝息を立てていた。深く眠り込んでいるようで、御堂の気配にもまるで反応を見せない。
 そっと近づき、その寝顔を見下ろす。眼鏡を外した克哉は、普段よりも幾分幼く、どこか無防備に見えた。滑らかな瞼は眼球の丸みを覆い、長い睫毛が影を落としている。彫刻のように整った顔立ちは、凛とした精緻さと、わずかに残るあどけなさを同時に宿していた。
 すらりと伸びた手足、無駄のない筋肉をまとった肢体は、気の抜けた寝姿のはずなのに、見る者を惹きつける色香を纏っている。御堂はしばし視線を留めたていると、ふいに胸の奥に生まれたある思考に気づいた。もしも克哉が弟でなかったら、どうなのだろう。
 その瞬間、御堂は自分の中に生まれかけた想いを振り払うように頭を振って、克哉から視線を逸らした。克哉は血のつながった弟だ。それ以上でも以下でもない。
 御堂は静かにその場を離れ、寝室へと戻った。ベッドに身を投げ出す。
 思考はすぐに霧散し、意識は深い眠りへと落ちていく。時間の感覚も曖昧になるほどの、重く深い眠りだった。
 

(5)
7

 御堂が父方の血を濃く受け継いでいるのに対し、克哉は母親に似ていた。二人で並ぶと「美形の兄弟」と親戚たちから褒めそやされたが、顔立ちの系統はまったくと言っていいほど違っていた。
 口さがない者たちの中には、母親の浮気を疑うような声をあげる者もいた。その心ない噂は、どうやら克哉の耳にも届いていたらしい。
 御堂が高校三年生、克哉が小学五年生だった年のことだった。両親は仕事の都合で家を空けがちで、昼間の家事は家政婦が取り仕切っていたが、夜はふたりきりになることが多かった。
 克哉は利発でやんちゃな子どもだったが、御堂との留守番で問題を起こしたことは一度もなかった。
 ある晩、御堂が自室で受験勉強に取り組んでいると、リビングでゲームをしていたはずの克哉が、ふいに部屋へ入ってきた。
 振り向くと、ドアの前に立つ克哉が所在なげに視線を彷徨わせている。
「どうした?」
「……別に」
 克哉は視線を逸らしたまま、語尾を濁して黙り込んだ。御堂もまた、それ以上問い詰めずに返事を待つ。
 しばらくの沈黙のあと、克哉がようやく口を開いた。
「ここにいてもいい? 邪魔はしないから」
「好きにすればいい」
 そう答えて御堂は再び問題集に向き直る。
 克哉は漫画を数冊抱えており、御堂のベッドに転がると、静かに読みはじめた。
 どれほどの時間が経っただろうか。静寂のなかで、ふいに克哉が声をかけてきた。
「ねえ、兄ちゃん」
「なんだ?」
 その頃、克哉は御堂のことを「兄ちゃん」と呼んでいた。
「……俺って、本当に父さんの子どもなのかな」
 その一言に、ペンを走らせていた御堂の手が止まる。
 椅子を回し、ベッドの上で腹ばいになって漫画を読んでいた克哉の方をまっすぐに見た。
「誰がそんなことを言った」
「誰かってわけじゃないけどさ。俺と兄ちゃん、全然顔が似てないだろ?」
「お前は母さんに似てる。それだけのことだ」
「でも父さんに似てない」
「馬鹿馬鹿しい。お前は父さんと母さんの子だ。そんなくだらないこと気にするな」
 御堂は努めて呆れたような口調で言い切った。
 克哉がどこかで無責任な噂を耳にしたのだと察しはついていた。
 御堂は知っていた。両親が克哉の幼少期に念のため行った遺伝子検査で、克哉は父と母の子であり、自分とは正真正銘の兄弟であるということを確認していた。
 だが、それをあえて伝えることはしなかった。そんな検査が行われたという事実こそが、克哉を深く傷つけると感じたからだ。
 代わりに、御堂は克哉の瞳をしっかりと捉え、揺るぎない声で告げる。
「克哉。誰が何を言おうと、お前は私の弟だ」
「……そっか」
 克哉はそっけないふうを装っていたが、その声にはかすかに安堵の色がにじんでいた。
 視線を漫画に戻し、あとは何事もなかったかのようにページをめくっていく。御堂もまた、無言のまま机へと向き直った。
 ふたりきりの部屋。互いの存在を意識しながら、それでも干渉しすぎることなく過ごす時間。
 それは御堂にとって、思いのほか静かで、心地よいものだった。


 御堂が目が覚めたときはたっぷりと睡眠を取った実感があった。身体の疲労も取れた感じがする。ベッドから起き上がろうとしたところで、手足が自由に動かないことに気が付いた。見ると両手首、両足首にそれぞれ枷がつけられ、鎖で繋がれている。
 なんだこれは、と外そうともがいていると、克哉がにこやかな顔をして寝室に入ってきた。
「ようやく起きたのか。よほど疲れていたんだな」
「これはなんだ」
「見れば分かるだろう?」
 明るい色合いのシャツとスラックスを穿いた克哉は御堂と視線を合わせて邪気のない笑顔を浮かべる。
「昨夜はあなたを気遣ってなにも手を出さないであげたんだ。だが、今日明日は休日だろう? 兄さんにはたっぷりと訊きたいことがあるからな」
 すうっと背筋に冷たい汗が伝った。克哉は笑みを保っているが、レンズ越しの眸は冷たい光を宿していた。昨夜、御堂と熱心に議論を重ねた弟の姿はそこにはなかった。御堂を獲物として貪ろうとする残忍な男がそこにいた。
 克哉に促されるまま食事を食べさせられて、シャワーを浴びて、ふたたび寝室へと連れてこられた。下手に抵抗しても克哉には御堂の痴態を撮影した画像を握られている。表向きは大人しく従い、どこかのタイミングで克哉を説得できないかと考えていたが、克哉はそんな隙を御堂に与えることもなく、手際よく手枷と足枷を繋ぎ直した。右手首と右足首、左手首と左足首というようにそれぞれの手首と足首を繋ぐ形にされて四肢の自由を奪われた。「外せ」と抗おうとしたが、克哉は御堂の抵抗を意に介さず、まだ柔らかい御堂のペニスを掴み、プロステートチップを挿入しようとした。
「それは、いやだ……っ!」
 プロステートチップがもたらす終わりのない快楽を思い出し、必死に拒絶するが、次の克哉のひと言で御堂は抵抗の意志を挫かれた。
「それなら、この前みたいに潮吹きするまでイきまくるか?」
 チップを嫌がった結果、女性器を模した淫具を使われこれ以上ないくらい苦しく、恥辱的な目に遭わされたのだ。チップを使われるのも嫌だが、あの淫具でイかされ続けるもの耐えがたかった。どちらがマシというものではない。どちらも地獄だ。だからこそ自分で選ぶことなどできなかった。御堂が黙り込むと克哉はそれを了承の返事と受け取ったのか、チップを御堂の鈴口に押し込んできた。
「んっ、く……」
 ペニスを扱くようにしてチップを深く沈めていく。まるでチップが自ら蠢きながら奥へ奥へと進んでいくようで怖気が走る。だがそれもほんの少しの間だ。チップがズズッと狭いところにぴったりとハマったその瞬間、御堂はびくりと身体を跳ねさせた。
「は……っ、ぁっ」
 じんわりとした疼きのさざ波が広がってくる。このチップを使われるたびに、苦しさよりも快楽が強くなってきている。御堂の身体がチップを受け容れ、チップがもたらす快楽を感じるように変わってきているのだ。
「気持ちいいだろう?」
 克哉が御堂の心を見透かしたように囁いてくる。当然、そんなことを認めるわけにはいかない。潤んだ双眸で睨み付けると克哉は唇の片端を吊り上げながら、ペニスの根元をバンドで戒めた。これも毎度のことだ。射精するとチップが外れてしまう。だから射精管理される。結果、御堂はチップがもたらす快楽から逃れられず、射精も許されず、絶頂に囚われたまま延々と身悶えることになるのだ。克哉が御堂の顔を覗き込んだ。
「もう突っ込んで欲しくてたまらないって顔をしてるな」
「誰が……っ、――くあっ」
 克哉にぐいと身体をひっくり返される。結果うつ伏せで足を開いた状態で尻を高く掲げるような屈辱的な体勢にさせられた。
 克哉は御堂の無様な格好を背後から眺めつつ、満足げに言う。
「エロい格好だな。本城もこんなふうに誘ったのか?」
 克哉の手が御堂の尻をなで上げた。そのいやらしい感触にこのまま犯されるのかと恐怖が込み上げるが、気圧されていることを悟られないように声を上げる。
「こんなことやめないかっ! 本城は単なる同僚だと言っただろう!」
「へえ、兄さんは同僚とキスをするのか」
「していないっ」
「キスはしないけど、それ以上のことをしたとか?」
「私の言葉が信じられないのかっ」
「兄さんの言葉は信じたいけど……最近の兄さんはエロいからな」
 克哉の言葉に息を呑む。本城にも同じことを言われた。やはり自分は変わってきているのだろうか。周りから見てもそうとわかるほどに。
「そんなふうに見境なく周りを誘うなんて、お仕置きしないとな」
 克哉は御堂に見えるように枕元に持ってきた道具を広げた。ローションと、何個もの卵形のピンクローターだ。ひとつひとつは小さいが、数が多い。一体何個あるのかと目を瞠ると克哉が察したかのように答えた。
「十個だよ」
「……これを、どうする気だ」
「そんなの考えなくてもわかるだろう?」
 克哉はローターを一つ手に取るとローションをまぶし、御堂のアヌスに押し当てた。そこにヌプリと潜り込ませる。ぬるぬるとしたローターは大した抵抗もなく呑み込まれていった。思わず「ひっ」と声を上げて身体を強張らせるが克哉は笑い含みに言う。
「一個じゃ物足りないだろう?」
 そう言って、二個、三個と含ませていった。克哉に毎夜嬲られている粘膜はたやすく異物を呑み込んでいく。一個挿入されるごとに、押し込まれる形で先に挿入されたローターが奥へと沈む。半分以上挿入されたときには下腹が重たくなって、またゴツゴツと内側から押し広げられる圧迫感に御堂は声を上げた。
「もう、無理だ…っ、くる、し……」
「まだ残っているから、頑張りましょう? あなたならできるはずだ」
 克哉は優しい声音で無責任に御堂を励ますと、さらに一個呑み込ませた。これで、七個。克哉はもう一個挿入しようとしたが、さすがにきつくなっていたらしい。それでも克哉はぐっとローターを押し込んだ。克哉が指を引き抜くとローターがこぼれ落ちそうになって、御堂はとっさに尻に力を込めた。
「はあっ、ん、ふ……」
「さすがにこれ以上は無理か。だが、八個挿入った」
「ぁ、あ……っ」
「じゃあ、次はこれを動かしてみようか」
「っ、やめ……っ、ひあっ、はあっ、ん、く、ふぁっ、あああ」
 やめろ、と言うよりも早く、克哉は手元のコントローラーを操作した。途端に、下腹の奥で、八個のローターがいっせいに振動しだした。
 震えては互いにぶつかり、粘膜の蠢動と合わさって不規則に動く。時折前立腺をぐりっと抉られて鮮烈な刺激に鞭打たれたように背をしならせる。身体の内側をかき回されて、細かな襞を拓かれて、まるで得体のしれない生き物に犯されているようで御堂は嫌悪に首を振った。
「も……克哉、よせ……っ」
「それなら、自分で出せばいいじゃないか」
「な……」
 なにを言われたのか咄嗟に理解できず目をしばたかせると、克哉が言葉を続けた。
「俺の目の前でローターを産んでもらう」
 背後からかけられる無情な声に息を詰めた。
「そんなこと、できるか……っ!」
「じゃあ、ずっとローター挿れっぱなしのほうがいいのか」
 苦しさと違和感、そしてこみ上げる疼きに内腿が震える。
「は……ぁ、あ……っ」
 克哉はベッドの足元に椅子を持ってきて座った。御堂を放置して、御堂がローターを産む姿を鑑賞するつもりのようだ。克哉の視線が御堂の臀部をはい回るのを感じる。産毛が立つようなぞわりとした感触。
 こんな恥ずかしい格好でローターの排泄を強いられている。そんなことは絶対にしたくない。だから逆に体内でうごめくローターを零さぬようにアヌスに力を入れていたが、次第に苦しさばかりだったローターの振動が、甘い疼きへと変化していった。いつのまにかペニスは張り詰め、先端からは蜜が滴り落ちる。戒められたペニスも腿ももどかしく震えた。
「は、ぁ……」
 背後から呆れたような吐息が聞こえた。
「まったくはしたないな。ローターで気持ち良くなっておったててるのか」
「ん、ふ……っ、ぁっ」
 背後の克哉が苦笑とともに立ち上がる気配がした。ベッドに乗りあがり御堂のペニスに触れて、完全に屹立した形をたどる。その柔らかな触れ方がもどかしくて切ない声が漏れる。
「全部出したらイかせてあげるから」
 そう言って、克哉は御堂の先端の敏感な鈴口を爪で弾いた。鋭い痛みが走り「くあっ」と腹筋に力が入った。その弾みにローターが一個つぷんと零れ出た。
「……ぁ」
 情けない声が漏れた。シーツの上に転がったローターはブルブルと震え続けている。思わず出してしまった失態にアヌスがヒクついた。
「上手に産卵できたじゃないか。だが、まだ残っているぞ」
 克哉に排泄を見られる屈辱に死にたくなるが、まだ七個のローターが御堂の体内に残されている。一個なくなった分だけ窮屈さが緩んでローターの振動をより強く感じた。動き回るローターが甘く爛れた刺激をもたらし、屹立したペニスに根元のリングがきつく食い込んで苦しさが募る。このまま堪え続けても克哉は許してくれそうにない。御堂は覚悟を決めた。
「く、ふ……っ、見るな……っ」
 二個目のローターがはじき出される。そのまま三個目、四個目と続いて出てきた。アヌスがぐうっと広がってローターを排泄するその姿を克哉に具(つぶさ)に見られているという羞恥に内腿が細かく震えた。
 半分出してしまうと、腹の圧迫感はかなり楽になった。だが、その分、しっかりと腹筋に力を籠めないとローターを排泄できない。呻くようにしてどうにかローターを出そうとするが、上手くいかない。
「ほら、協力してあげるから」
「ぁ、や……っ」
 克哉の手が御堂の下腹部に当てられ、ぐうっと押し込まれた。咄嗟に堪えようとしたが、それがまずかった。アヌスが締まり、中途半端に押し出されたローターを大きくアヌスが拓いたところで留めてしまった。いまさら中に戻すこともできないし丸く拡がったアヌスが苦しくてしかたない。克哉が優しい声で言う。
「ほうら、ちゃんと出さないと」
「ぁ、あ……見ないで…くれ……」
 あまりの恥辱に嗚咽を漏らしながら、ローターを排泄した。自尊心を大きく削られて、もはや抵抗の意志も木っ端微塵に挫かれる。克哉に下腹を押され続け、すすり泣きながら残りを全部出そうと力んだ。残りのローターがぬぷん、ぬぷんと出てくる。ピンクのローターは卵形でまさしく産卵させられているかのようだ。
「は、ぁ……っ、はぁ……っ」
 荒い息を吐いた。下腹の奥から振動が響き続ける。どんなに頑張っても最後のひとつが出せない。克哉が、はあ、と息を吐いた。克哉の大きな手がやわやわと御堂の腹を撫でる。
「まだ一個残っているのに、もう無理か?」
「も……無理だ…っ」
「こんなにすぐに音を上げるなんて、あなたらしくない」
「克哉……、お願いだから……っ」
 プライドを忘れ懇願する声が哀れっぽく響いた。ローターにいたぶられ続けてペニスがジンジンと痺れるように痛む。腹に付くほど反り返るペニスはうっ血して痛々しく腫れていた。強烈な快楽と苦痛に揉まれ続け限界に達している。早くローターを取ってほしい、早くイかせて欲しい。
「仕方ないな……」
 克哉が吐息で笑った。御堂の後ろに陣取る。これでようやく楽になれる。そう思った刹那、アヌスがぐっと大きくこじ拓かれた。指よりも、ローターよりも圧倒的な塊をねじ込まれる。
「はあっ、あ、あああああああ」
 抗う粘膜を強引に突き入れられて穿たれた。脳裏に火花が散った。両手足を拘束された体勢で悶えうつと克哉の手が伸びて右手首と足首の拘束を外された。だが、ふかぶかと楔を打ち込まれて逃げることなどできず、シーツをきつく握りしめて強烈な感覚に身悶える。
「先端にローターが当たってくすぐったいな」
「ぁ――っ」
 克哉はぐりぐりと奥へとローターを押し込むように根元まで自身を埋め込んだ。明らかに深すぎる場所をローターに犯される。自分でも意識したことのない内臓でローターの振動を感じた。腸壁をぐりっと擦りあげられて粘膜が激しく波打つ。快楽神経を焦がされるような異様な感覚に呼吸をするのも忘れた。内臓を引っ張るようにずるずると引き抜かれてようやく息を吸う。そしてふたたびずくんと突き入れられたとき、肺を押し上げられるようにして声が迸った。
「あああああああ、あ、あ、は、んあっ」
 激しく抜き差しされ、ローターとペニスに犯されるメスの快楽がすさまじくて、声が止まらなくなる。それは耳を塞ぎたくなるほどの嬌声で身じろぎもできないまま苛烈な快感に囚われた。髪を乱して喘ぎ続ける。苦しささえ悦楽として感じきってしまう。克哉の動きが忙しないものとなりベッドが絶え間なく軋む。
 びゅくん、と克哉のペニスが御堂の中で跳ねた。どっと中に注ぎ込まれる。その熱さえ恍惚と受け止めた。
「――――ぁ」
 放ってもなお固さを保ったペニスが引き抜かれる。そのあとを追うように、蹂躙されて綻んだアヌスから精液がどろりと伝い落ち……ローターもぽたりと落ちてきた。
「全部出せたじゃないか。約束のご褒美だ」
 子どもを褒めて甘やかすような声音とともに克哉の手が御堂のペニスをいましめていたベルトを外した。じゅわっとペニスに血流が巡り熱を持つ。克哉の手がペニスを根元から扱きだした。牛の乳搾りをするような義務的な手つきだったが、快楽で蕩かされ散々お預けを食らっていたのだ。堪える間もなくあっけなく放ってしまう。
「っ、は、あ……んっ」
 ビュルッと音が聞こえるような勢いで大量の精液を噴き出した。押し出されたチップと精液は御堂が産んだ8個のローターの上に降り注いだ。ピンクのローターにべったりと精液がまぶされる。
「産卵したローターに放精して……まるで、魚みだいだな」
 克哉が笑いながら投げかける言葉に知らず涙が零れた。御堂の目尻に浮かぶ滴に気付いたのか克哉が顔を寄せてそっと舌先で御堂の涙を舐め取った。
「兄さん、あいしている」
 克哉が囁く愛の言葉をどこか遠くに聞いていた。兄として、男としての矜持を踏み躙られて、いままでにない快楽と苦痛を与えられ続ける。こんなことが続いたら早晩自分は壊れてしまう。
 そう考えながらふと思った。いっそ壊れてしまえば良いのかもしれない。そうすれば、この理不尽で暴力的な愛さえ受け止められるのかもしれない。


 この週末は、先週に劣らず最悪だった。一日中家の中に閉じ込められて、克哉に抱かれ続ける。乳首だけひたすら責められて達するように強制され、バイブを挿入されまま放置されたこともあった。もっとも、体調不良で倒れたことが効いたのか、克哉は御堂を責めつつも、睡眠と食事だけはきちんと取らせた。御堂の身の回りの世話も、甲斐甲斐しく焼いてくれる。
 克哉に激しく責め立てられ意識を失っても目を覚ませば、あたたかでやわらかな上掛けが掛けられている。身体の節々は軋み、脚の奥はまだなにか咥え込まされているような違和感があったが、四肢を動かせば自由に手足は動き、どこも拘束されていない。裸のままだったが肌は乾いていて不快感はない克哉が後始末をしたのだろう。
 抱くときは相変わらず容赦なく、力ずくで御堂を貪るくせに、そのあとはまるで壊れ物でも扱うように、優しく労わるように接してくる。まるで、御堂を大切に思っているとでも言いたげに。
 克哉は御堂を拘束し続けることもしなかった。克哉は知っているのだ。御堂が、もう逃げられないと。逃げようとする意思すら、消えかけていると。
 克哉は御堂の痴態を余さず記録していた。
 克哉に調教され男を浅ましく受け容れ、悦びを感じる身体になっていく過程のすべてが保存されている。
「俺しか見ない。だから、いいだろ?」
 低く囁かれるその声は、穏やかにすら聞こえるが、御堂にはそれが恐怖にしか感じられない。
 たとえ直接的な脅しの言葉がなくとも、その記録の存在が、何より強く御堂を縛りつける。記録を公開すれば克哉だってタダでは済まない。だが、克哉はそんなことを気にしていないように見える。もしかしたら、克哉は自分の顔だけ消して御堂が男に抱かれて善がり狂うだけ公開するのかもしれない。どちらにしろ御堂は破滅だ。
 唯一残された希望は、社内コンペに勝ち、海外派遣の枠を勝ち取ること。それだけが、克哉の魔の手から距離を置ける、たった一つの現実的な道だった。
 克哉は、御堂のそんな意図には気づいていないのか、御堂が仕事へ向かうことを妨げはしなかった。
 いや、それどころか、日曜の夜まで無理強いすることはなかった。
「明日、出勤するんだろう」
 そう言って、日曜は早々と解放されたが、御堂の身体は限界だった。
 思考は鈍り、視界は霞み、ベッドに倒れ込んだ瞬間に意識は闇に沈んだ。
 目が覚めたのは、月曜の朝で、御堂はあらぬところの痛みで御堂は目を覚ました。なにかがペニスにぎりぎりと食い込むような痛みだ。部屋の中には陽の光が差していて、痛みの中慌てて時計を確認したが、まだ早朝の時間帯だ。そのことに安堵しつつ、痛みの原因を探ろうと、ペニスに手を伸ばして気が付いた。なにか、着けられている。上掛けをめくって、御堂は目を瞠った。
 御堂のペニスには貞操帯が装着されていた。鉄のリングが連なった形の筒にペニスが収められて、根元では大きなリングが陰嚢とペニスをひとまとめにして括っている。そのアタッチメントの部分に小さな錠がついていて、鍵がない限りはどうやっても外れそうになかった。
 朝の生理的な勃起が鉄のリングに阻まれて痛みが走ったのだ。
「克哉っ!」
 思わず怒鳴ると幾ばくもしないうちに克哉が顔を出した。
「こんなもの、なにを考えているんだ。すぐに外せっ!」
「今日からこの貞操帯をつけてもらうことにした」
 克哉は平然とした顔で御堂に告げた。
「勃起や射精は無理だが、排尿はできるし、シャワーだって浴びられる。」
「ふざけるなっ! こんなものを着けて出社できるか!」
「大丈夫だ。トイレは個室を使えばいいし、俺以外の誰かに見せることなんてないだろう?」
「こんなことをしなくても……」
 御堂はぎり、と奥歯を噛みしめる。
「私が逃げないことくらいわかっているだろう」
「あなたを逃さないためじゃない」
 克哉は聞き分けの悪い子どもをなだめすかすような口調で続けた。
「あなたがほかの男を誘惑したり、誘惑されたりしないようにするためのお守りだ。代わりに、平日はあなた無理やり抱かないことを約束する。また倒れられても困るからな。もしそれでも嫌なら兄さんを閉じ込めるしかないが」
 そう返されて言葉を失した。貞操帯は克哉なりの妥協案なのかもしれない。
 苦渋の選択をさせられて、御堂は押し黙るしかなかった。

(6)
8

 着用を強制された貞操帯は、スーツを着れば予想していたほどには目立たなかった。先端は開いていて用を足すことはできたし、リングが連なる形なので隙間からお湯を流して洗うこともできる。
 克哉は言葉どおり、貞操帯と引き換えに御堂に無理強いをしなくなったが、寝るときも含めて二十四時間嵌められていて違和感はどうあっても拭えない。通勤時や社内でも、なにかの弾みでこんなものを着けていることが周りにばれないかと気が気でない。生理的な勃起すらも許されず、毎朝ペニスが締め付けられる痛みに目が覚めてしまう。
 シャワーを浴びたときにソープのぬめりを借りて外そうとしたががっちりと根元のリングが嵌まっていて上手くいかなかった。それに克哉には貞操帯をしっかりつけているか朝晩チェックされている。無理にでも外そうとすれば、苛烈な仕置きが待っているだろう。
 だから渋々我慢していたが、なぜ自分がこんな目に遭わなくてはならないのか、次第に理不尽な仕打ちに対する怒りが湧いてくる。
 貞操帯を着けられて三日目、さすがに腹に据えかねて御堂は帰宅するなり、せめて家の中では外すよう、克哉に要求した。
「なんだ、もうイきたくて我慢できないのか? 兄さんはこらえ性がないなあ」
 リビングのソファで寛いだ格好でノートパソコンを開いていた克哉は、呆れたような顔で自分の前に立つ御堂を見上げた。
 御堂は込み上げる怒りを抑えつつ低い声で言った。
「家の中までこんなものを着けさせる気か」
「外したら兄さんは隠れてオナニーするかもしれないだろう?」
 当然だとばかりに克哉はあっさりと却下する。あまりの言葉に御堂の針は振り切れた。
「ふざけるなっ! そんなくだらない理由……っ」
 憤怒に顔を赤くするが克哉は真面目くさった顔で言う。
「くだらなくなんかないさ。あなたの身体は俺の管理下にある」
「こんなことを続けて、私が貴様のものになるとでも思うか」
「なるさ」 
 そうと信じて疑わない口調だった。これ以上克哉と会話を交わしても埒が明きそうになかった。冷静に交渉するつもりだったのに、怒りにどうかなってしまいそうで、御堂は無理やり話を打ち切ると克哉に背を向けた。
「話にならない」
「まあ、待てよ」
「っ、なにをするっ」
 克哉が御堂の手首をぐいと掴んだ。そのまま力任せに引き寄せられソファに押し倒された。あっという間に克哉は馬乗りになって御堂を押さえつけた。克哉の手が御堂のネクタイにかかり、そのままシュッと衣擦れの音と共に引き抜かれる。あっという間に両手首をネクタイで締め上げられた。
「本当は、イきたいんだろう?」
「なにを……っ」
 克哉の手が御堂のスーツの股間を撫で回し、貞操帯の形を辿る。克哉の体温は貞操帯のリングに阻まれているのに、ぞくぞくとした甘い痺れがペニスを伝って下腹にくすぶった。
「よせ……!」
 ワイシャツの裾をズボンから引き抜かれ、ベルトのバックルを外された。大した抵抗もできないままズボンを腿のあたりまで引きずり下ろされ、アンダーを露出させられる。下着に窮屈に押し込められている貞操帯の膨らみが卑猥だ。
「パンツ穿いてると苦しいんじゃないのか。明日からノーパンにしたらどうだ?」
「そんなことできるかっ」
「ほら、シャツも脱がしてあげますよ」
「触るな、私の上からどけっ」
 どうにか克哉から逃れようと身体をねじるが、克哉は上手く体重をかけて御堂の動きを封じてくる。克哉は御堂のシャツのボタンをひとつひとつ外し、前をはだけた。あられもない格好にされて、冷や汗が背筋を伝う。
「抱かないという約束だっただろう!」
「ああ。約束は守るが、兄さんがイきたいって言うから」
「そんなことは言っていないっ」
 克哉の指先が御堂のアンダーのウエストゴムにかかった。そのままアンダーを引きずり下ろし、貞操帯に包まれたペニスを曝け出した。まるで金属の檻に閉じ込められているようなペニスを確認し、克哉が満足げに目を細める。咄嗟に克哉の胸を蹴ろうとしたが、その脚を掴まれた。そのままぐいと開かされ、脚の間に克哉が身体を差し入れてくる。
「おっと、危ないじゃないか」
 克哉が唇の片端を吊り上げる。
「抱かない約束だったからな。今日はこれを使おうか」
 と克哉が御堂に見せたのは、手のひら位の大きさの道具だ。黒いプラスチックのような素材でできていて、筆記体のTの字を思わせるような形で出っ張った部分が波打つように膨らんでいる。それを目にして顔から血の気が引く。
「エネマグラ……」
「これは知っているのか。さすが兄さんは博識だな。使ったこともあるのか?」
「あるわけないだろう!」
「そうだろうな」
 克哉は納得したように言って用意していたらしいローションをエネマグラに垂らすと、問答無用で御堂のアヌスに先端を押し付けてきた。
「やめ……あ、あ、く、うぁっ」
 異物を拒もうと力を込めるが、丸みを帯びた先端がローションのぬめりを借りてぬぷりと潜り込んできた。指より一回りくらい太い程度の大きさで克哉に穿たれるようなひどい圧迫感はないが、無機質な固さは異物感が強い。アヌスの形状に合わせて作られているであろうそれは、御堂の中にみっちりと収まった。
「いやだ、こんなもの……抜けっ、…………く、んあっ!」
 エネマグラから逃れようと腰をずりあげたところで、電撃に打たれたように身体が跳ねた。筋肉が動いた弾みでエネマグラが動き、前立腺を強く抉ったのだ。
「ほうら、暴れるから」
 克哉は笑い含みに言って、今度は小さなゴムをどこからともなく取り出した。それを御堂の右乳首に嵌めて乳首をぴんと括り出す。じんとした痛みが走り、「あ」と声を上げたが、すぐに左側の乳首も右同様に小さなゴムを嵌められる。ゴムに括り出された乳首は赤く腫れていて、まるで女性のそれのように卑猥だ。ゴムがきつく乳首を締め上げてジンジンと痛む。その乳首を克哉がきつく指で摘まんだ。
「痛っ、……くあっ」
 過敏になった乳首の痛覚をさらに刺激されて、ズクンとした鋭い痛みが走った。その苛烈な感覚は腰の奥へと響いて、ぎゅんっとエネマグラが動く。
 体の内側から強烈な衝撃に襲われて、顎が跳ね上がる。喘ぐ唇が戦慄く。
「あ、あ……っ」
「やっぱり兄さんはマゾだな。痛くされるほど感じるんだろ」
 克哉が愉しげ声とともに御堂の貞操帯のリングの狭間に爪をねじ込んだ。中には熱く膨張したペニスがギチギチに貞操帯に締め付けられていた。
「克哉……っ、痛いっ、これを…外せっ」
「どうしようかなあ。でもこれを外したら射精しちゃって、また仕事中に倒れたりするのも困るからなあ」
 克哉はわざとらしく考え込む素振りを見せる。
「お願い、だから……っ」
 克哉に懇願するなどプライドが許さないが、そんなことを言っている場合ではなかった。
 痛くて、苦しくて仕方ないのに、もだえればもだえるほどエネマグラが蠢いて、電撃のような快楽に打たれる。乳首はいまや燃えるように熱くなり、痛痒いような疼きを宿していた。感じれば感じるほど貞操帯の中でペニスが張り詰め、いままでにないような苦痛を御堂にもたらす。このままだとペニスがどうかなってしまいそうな恐怖に呑み込まれる。だから必死な形相で克哉に頼み込む。
「こんなもの、早く、外してくれ……」
「こんなもの、ねえ……」
 克哉は考え込む仕草をしたあと、御堂に向けてにこりと笑った。
「これを外さなくても、兄さんがドライでイけばいい話じゃないか」
「ひあ、ああっ!」
 克哉の親指が尖りきった乳首を強く擦った。それはまるで亀頭を強く擦られたかのような苛烈な刺激となって御堂を襲った。貞操帯で守られ、拘束されているペニスは一切触れられていないのに、すべての刺激がペニスに集約され、そしてその奥へと流れ込んでくるかのようだ。開きっぱなしの口からは悲鳴のような喘ぎが零れ続ける。克哉は御堂を楽器のようにあちこち爪弾き、御堂が嬌声を上げ、身悶える姿を愉しんでいる。
 熱を弾けさせたいのに貞操帯がそれを許さない。出口を失った熱は身体の深いところでどんどん膨張して膨らんでいく。心臓が壊れそうなくらい激しく暴れだし、神経は熱せられ、内臓も筋肉もでたらめに脈打っている。痛みと快楽がないまぜになって御堂を揉みくちゃにする。自分を失ってしまいそうな怖さに御堂は声を上げた。
「助けて……くれ…っ! 助け……っ、か、つや…っ!」
 訳もわからないまま叫ぶようにして克哉に助けを求めていた。御堂の必死の懇願に克哉はハッと動きを止めた。涙に濡れた視界の中で、克哉が御堂に顔を向けた。縋るようにして克哉に許しを乞うていた。
「か、つや……っ、たすけ……てっ」
 もう自分がなにを口にしているかわからない。ただ、一刻も早くこの苦痛と快楽から解き放たれたかった。唇は戦慄き、ちゃんと言葉を発せているかも怪しかった。
 自分を見つめるレンズの奥の双眸が仄かに熱を持った気がした。克哉が覆い被さるようにして顔を寄せる。喘ぐ唇が克哉の唇で塞がれる。
「――んんっ」
 熱く濡れた舌に舌を絡められて、克哉とキスを交わしていることに気が付いた。息苦しくてキスを解こうとするが、後頭部をがっしりと掴まれて、さらに深く唇を噛み合わされる。ぬるりと粘膜同士が触れあい、唾液が混ざり合う。粘膜同士が擦れ合う感覚に、脳の内側までもが泡立つ感覚に襲われた。
 苦しくて、熱くて、気持ちいい。キスに溺れるというのはこういう感覚なのだろう。酸欠でぼうっとなった頭のまま、御堂は注がれる克哉の唾液をこくりと呑み込み、鼻に抜けるような甘い気を漏らす。
 肉厚な舌が抜き差しされて粘膜を擦られるたびに克哉に口まで犯されているようで、甘い衝撃がジンジンと腰を震わせた。キスを交わしながら、克哉の指が御堂の乳首を指の腹で強く擦った。その瞬間、快楽神経がショートしたように全身に電流が駆け巡り身体がビクビクと跳ねた。貞操帯に戒められたペニスは苦しく張り詰めているが、勃起も射精も許されぬまま、射精で得られる快楽を何倍にも煮詰めたような激しい絶頂に襲われた。ペニスからは透明な蜜がしとどに溢れ、ぐっしょりと股間を濡らしていく。めくるめく悦楽の嵐に身を震わせながら御堂は克哉とのキスを受け容れ続けた。

 

 翌朝、御堂は遅めにMGN社に出勤した。すでに活気に満ちたオフィスに足を踏み入れれば、御堂を目にした同僚から次々に挨拶される。自席に着いて端末を立ち上げ、いつものようにメールをチェックしていたところへ、背後から軽やかな声がかかった。
「御堂、おはよう。今日は重役出勤だな。……それで、コンペの提出、済ませたか?」
 顔を上げれば、光沢のある明るいグレーのスーツをまとった本城が、コーヒーの香りを漂わせるカップ片手に立っていた。いつもどおりの人懐っこい笑みを浮かべている。
 御堂の出勤が遅くなったのは言うまでもなく昨夜の克哉の仕打ちのせいだ。挿入こそされなかったとはいえ、ドライでイきっぱなしにさせられて、克哉とキスしたあとの記憶は曖昧だ。それどころかまったく射精できず、満たされなかった男としての欲求がず埋み火のように腰に熱が残っている感じがする。そのおかげで朝から冷たいシャワーを浴びて淫らな欲求を抑えて出勤する羽目になったのだ。それでも御堂は何事もなかったかのように端的に返した。
「ああ。昨日、提出した」
 再び視線をディスプレイに戻したが、本城はそれを追いかけるように隣のデスクに腰を下ろし、どこか誇らしげに言った。
「俺は月曜に出したよ。フライング気味だけど、締め切りは明日の金曜だし、ギリギリになると慌てるからな」
 わざわざ自分が出したことを報告するのは自慢したいからなのか。だが御堂はそれに乗らなかった。社内コンペは先着順で評価が変わるようなものではない。提出順など、結果には一切関係ない。
 今回の社内コンペは、開発部のみならず、営業やマーケティング、広報など全社的に門戸が開かれた大型企画だ。応募数は膨大で、まず書類審査によって予備選考が行われ、通過した企画は役員クラスを含む審査員たちの前でプレゼンテーションを行うことになる。
「で、どうなんだ、手応えは?」と、本城が訊いてくる。
 御堂は端末を閉じてから、真正面から視線を返した。
「悪くはない。もちろん、プレゼンの準備もしてある」
「俺もだ」
 本城は満足げに頷いた。その口元に、なにか含みがあるような歪な笑みが浮かんだ。だが、それがなんなのか見極める前に本城は席を立った。
 ずくん、と下腹が疼いたようで、御堂は眉根を寄せて身体から無理やり意識を逸らしつつ、仕事に集中するよう自らを叱咤した。


 結局貞操帯は外されることはなかった。克哉になにか言えばより酷い目に遭うのは身をもって知ったので、耐えることが最善の策なのだろう。
 とはいえ、身体の中の淫らな熱は嵩んでいくばかりで、週の終わりの金曜日を迎えたときには、気にしないようにと思うほどに意識がペニスへと向かってしまう。そのせいで、簡単に膨らんでしまい、そのたびに貞操帯が食い込む苦しさを味わうことになった。そうなると、芋づる式に克哉にエネマグラでいたぶられたときの嵐のような感覚と、ねっとりと交わしたキスの熱を否応にも思い出してさらに昂ぶってしまう。一週間にも満たない射精管理にも関わらず、御堂の肌の下の神経は研ぎ澄まされて、かすかな刺激でさえ敏感に感じ取ってしまうようになっていた。
 夕方が近付くと御堂は自分のやるべきタスクをリストアップしながら、いつ帰れるのか頭の中で算段していた。いままでは克哉が待っている家に帰ることが憂鬱だった。それなのに、この貞操帯を外してもらえるなら、克哉に抱かれることだって許容できる。そうとさえ考えている自分がいた。
 さいわい立て込んだ仕事はなく、早めに帰れそうだった。そう思ったとき、御堂のスマートフォンに本城からメッセージの通知が届いた。同じフロア内にいるのにわざわざメールを送ってくる魂胆を訝しみながらもメッセージアプリを開くと、本城から『ふたりきりで大事な相談をしたい。今日の夕方時間を取ってくれないか』との内容だった。ホテルのカフェラウンジが指定されている。パソコン画面から顔を上げて本城の姿を探した。本城は自分のデスクで真剣な面持ちで作業をしているようだ。
 正直なところ断りたかったが、普段軽い調子で誘ってくる本城にしては、いつになく真面目な文面だった。御堂は『あまり時間は取れないがそれでよければ』と返信するとすぐに『それでいい。ありがとう』と返ってきた。
 一体、何の相談なのか。
 約束の時刻と場所を頭の片隅に留め、目の前のタスクへと意識を戻した。


 ホテルのラウンジに着いたのは、約束の時刻ちょうどだった。
 仕事を終えてオフィスのフロアを出たときには、本城の姿は既に見当たらなかった。一緒にタクシーで移動すれば、そのぶん会話の時間も取れただろうに、と少しだけ惜しい気持ちになる。
 ラウンジを見渡すと、奥の革張りのソファ席で背を預ける本城の姿を見つけた。御堂がスタッフに待ち合わせの旨を告げると、こちらに気付いた本城が軽く片手を上げる。無言で頷き、御堂は本城の向かいへと歩を進めた。
「悪いな。仕事終わりに呼び出して」
「構わない。それで、相談というのは?」
 返答を急ぐと、本城は肩をすくめて笑った。
「まあ、そう焦るなって。……コーヒーでいいか?」
 差し出されたメニューには目もくれず、御堂は黙って頷いた。本城がウエイターを呼び、コーヒーを二つ注文する。注文はすぐに運ばれた。芳醇な香りがふわり広がる。
 ひと口啜った本城が、ふいに口角を吊り上げる。
「それでさ、御堂。例の、若い彼氏とは上手くやってるの?」
「……その話をするために、わざわざ呼び出したのか?」
 露骨に不快感を滲ませて冷淡な声と共に片眉を跳ね上げた。本城は気まずそうに咳払いし、すぐに話を本筋に戻した。
「いや、違うって。本題はコンペのことだ。お前と相談しておきたくてな」
「コンペの……? 何かあったのか」
 今日が提出締切日だ。まだ応募総数も出ておらず、当然予備審査の結果も知らされていない。
 本城は隣のソファに置いていたビジネスバッグから、大きなファイルを取り出した。中を開いて、御堂の前に差し出す。
「これが、俺の提出した企画だ」
 御堂は黙って受け取った。ファイルには提出した企画書のコピーに加えて、プレゼン用のスライド資料まで綴じられている。
 本城が指先で一枚、ページをめくる。
「プレゼン資料のほうが分かりやすいだろ? 最後まで見てくれ」
 軽く頷いて、御堂は手元の資料に目を落とした。一枚、また一枚とページを繰るたび、眉間にしわが寄っていく。内容に目を通すうち、無意識に呼吸が浅くなるのを自覚した。
 最終ページには提出用の企画書のコピーが綴じられていた。それにも一瞥をくれると、御堂は静かにファイルを閉じた。そして、無言のまま本城を見据える。
「本城、これはどういうことだ」
 本城は肩をすくめ、困ったようにため息を吐いた。
「お前の企画と、俺の企画。……中身が、ほとんど同じなんだよ」
 御堂はゆっくりと椅子の背に身を預け、ファイルを閉じた。ぬるくなったコーヒーを口に運びながら、思考を巡らせる。本城が出した企画は御堂と同じ濃縮飲料だ。巣ごもり需要を着眼点にしたのも同じだ。
 この数週間、本城が開発部のラボや市場調査部、さらには品質管理室にまで顔を出していたという話は聞いていた。単なる社交かと思っていたが、どうやらそれ以上の意味があったらしい。御堂がなにを調べ、どの方面に注目していたか、探りを入れていたのだ。その結果がこれだとしたら、これは意図的なものだ。
 御堂はじろりと本城を見返した。
「最初に聞きたいのは、応募した企画の詳細が発表されてない中で、どうして私とお前の企画が相似していると分かったのだ」
「それはね、コンペのとりまとめをしている事務の子が俺と顔見知りでさ。審査メンバーのあいだで話題になっていると教えてくれたんだ」
 本城は淀みなく答える。
「お前は私がなにを企画していたのかずいぶんと気にしていたな。……これは偶然か?」
「誤解だよ。俺はお前の案なんて知らなかった。たまたま目の付け所が一緒だっただけさ」
 本城は心外だとでも言わんばかりの顔をして、そして御堂の顔を見返すと含みを持たせた口調で言った。
「だけど、俺のほうが先に提出しているだろう? 偶然ネタが被ったとはいえ、御堂の立場が悪くならないか俺は心配しているんだよ」
 本城の企画が先に提出されていたというのは事実だ。順序だけを見れば、御堂のほうが“後出し”になる。もし本城が「御堂のほうが自分の案を模倣した」と主張すれば、筋が通っているのは本城のほうだと受け取られかねない。本城もその構図を計算の上で持ち出している。口ぶりは柔らかいが、その実、詰め寄っているのだ。
「なあ、御堂、お前の企画を撤回してくれないか。偶然とはいえ、御堂ほどの人材が模倣を疑われるのは、正直、会社にとってもよくないだろう。むしろ、お前を共同企画者として俺の企画書に追記するのはどうだ? それならお前の名誉も保たれる」
 本城が言っていることは、卑劣だし、詭弁だ。本城は御堂を気にかけるふうを装いながらも、その実、脅しに近い。
 御堂は書類から視線を外し、コーヒーに口をつけた。温度を失った苦味が妙に舌に残ったが、そんなことが気にならないほど思考は冷静に研ぎ澄まされていた。
「このままで構わない」
「なんだって?」
 きっぱりと言い切る御堂の言葉に本城は目を見開いた。
 本城と御堂の企画はたしかに似ている。だが、決定的なところが違っている。本城の企画案は濃縮系飲料でもコーヒー系を提案している。
 御堂の案も当初はコーヒーの濃縮飲料だった。カフェを日常利用する層の需要を狙う計画だ。そのため、コーヒー系飲料の市場データや品質データを収集していた。しかし、御堂は途中で路線を切り替えた。きっかけは、克哉の意見だった。家庭で気軽に飲めて、しかもアレンジ性が高く、消費者の自由度を最大限に活かせるもの。炭酸系の濃縮飲料の商品化を御堂は考えたのだ。
「本城、お前の企画は、たしかに私の初期案に似ている。だが今の私の案は、対象商品も、切り口も違う。似て非なるものだ。……それに、お前が私の案を模倣したと主張するなら、各部署に確認してもらうことで疑いを晴らせると考えている。私がこの企画に費やした時間と過程を、彼らは知っている」
 淡々と告げ、本城を揺るぎない視線で見据える。
「私は、この企画が最善であると信じて提出した。その自信は揺るがない。……本城、お前がどう出るかは自由だが、こちらが引く理由はない」
 御堂の言葉に本城の肩がわずかに揺れた。
「では、失礼する」
 友人だと信じていた男に深い失望を感じながら、御堂は無言で立ち上がった。もう、これ以上この場に留まる意味はない。背広の裾を整え、踵を返そうとした瞬間――視界が、ふらりと傾いだ。
「……っ」
 足を踏み出そうとしたところで、意識ごと足元がぐらりと沈み込んだ。倒れる、と思った瞬間「おっと」とすかさず本城が立ち上がり、肩を抱えて支えた。御堂の身体はそのままソファへと戻される。だが、まともに座っていることすら困難だった。視界が左右に揺れ、まぶたの裏で世界がかすむ。
 あの展示会のときのように、疲労からめまいを起こしたのだろうか……いや、この感覚は違う。むしろ、克哉にクスリ入りのワインを飲まされたときに近い。
 本城は驚きも見せずソファにぐったりともたれる御堂を前ににこやかな笑みを浮かべて、ゆっくりと自分のコーヒーを口にした。
「残念だよ、御堂。お前とは付き合いも長いし、話の分かる男だと信じていたんだが」
  ――まさか。
 ふとよぎった疑念が、脳内で急速に形を持った。
 コーヒーだ。
 本城は、開いたファイルを差し出すことで御堂の視線を覆い隠し、資料を確認させているあいだに御堂のコーヒーに細工をしたのだ。
「……本城」
 言葉にならない呻きが漏れる。
 本城は整った微笑を湛えたまま、落ち着き払って口を開く。
「御堂、また具合悪くなったのか。仕事のしすぎなんじゃないか」
 異変に気付いたラウンジスタッフが慌てて近寄ってくるのを本城は完璧な微笑を向けて制した。
「大丈夫です。連れが疲労で少し体調を崩しただけですので、部屋で休ませます」
 本城は懐から部屋のカードキーを取り出して見せた。
 これは最初から用意周到に張り巡らされた罠だったのだ。怒りに頭が沸騰するが、まともに声を出すことも難しかった。
 スタッフが逡巡するあいだに、本城は会計を済ませ、御堂にさりげなく腕を回し、身体を支えながら立ち上がらせた。
 拒もうとしたが、もう身体が言うことをきかない。膝に力が入らず、視界はぐらぐらと揺れ続ける。
「――御堂、このあとゆっくりと話し合おうじゃないか」
 耳元で囁かれる本城の声がねっとりとまとわりついた。

 

 

(7)
9

「ぐ……っ」
 どん、と背中からベッドに放られる。
 激しいめまいでで、ベッドの上でもぐらぐらと揺れているようだった。視界が定まらず、吐き気をこらえるのに精一杯だ。
 傍らのベッドマットが沈み、声の聞こえてくるほうに視線を向けた。揺れる視界の中で本城がベッドの端に腰を書けて御堂の顔を覗き込んでいる。
「ひどい顔色だな。大丈夫か?」
 御堂は声にならない声を絞り出した。
「なにを飲ませた……」
「この手のクスリは初めてか? だがすぐに治まってくるさ」
「アルコールは飲んでいないはずだ……」
 頭の中には克哉に飲まされたクスリがあった。克哉はアルコールと一緒に飲むことで効果を発揮するみたいなことを言っていた。今回はアルコールは一切飲んでいない、それなのになぜ……。
 本城がにっこりと爽やかな笑みを浮かべる。
「ああ、それなりの知識はあるんだ。俺が使ったのはね、新しいやつでさ。アルコールがなくても効果が出るし、それに媚薬効果もある。手に入れるの結構大変だったんだよ」
 本城が指先で御堂の頬をつうとなぞる。産毛に触れるくらいの微かな触れ方だったにもか変わらず、声を上げそうになるほどの鮮烈な感触だった。本城は自分のバッグから手錠を取りだし御堂の両手を拘束し、さらに紐でベッドヘッドにつないだ。ひどいめまいはいくらか治まってきたが、それでも身動きひとつできず、抵抗という抵抗もままならない。
「ようやくこれで二人きりだな、御堂」
 本城は御堂のネクタイのノットに指を入れるとひと息に解いた。シュッと衣ずれの音が鳴る。
 御堂は眼差しに焼けつくような怒気が宿して本城を睨み付けた。
「貴様……っ!」
「そんな怖い顔をするなよ。言っただろう? 俺とお前はもっと仲良くなれるんじゃないかって」
「こんなことをして、許されると思っているのか」
「許してもらわないと困るなあ」
 御堂に露骨な憎悪を向けられながらも、本城はまるで楽しんでいるかのような口調だった。本城の手が御堂のシャツのボタンを上から外していく。御堂はビクッと身体を強張らせた。
「お互いわかり合うにはスキンシップが一番だろう? ……あれ?」
 本城の手が御堂のスラックスの布越しに股間に触れた。そこにあるはずのない感触に気付き、本城が首を傾げた。
「なんだ、これ」
「よせっ、触れるなっ!」
 股間を撫でまわした本城は御堂が装着させられているものに気付いたらしい。慣れた手つきで御堂のベルトを外し、ズボンのファスナーを下ろすと御堂の股間を露出させた。
「やめろ……っ」
「へえ、すごいね、これ。あの彼氏に着けられたの?」
 がっちりと御堂の性器を戒める貞操帯、小さな南京錠で自分では取り外せないようになっているそれは、明らかに御堂以外の別の誰かが関わっていることは明らかだ。それを見られた羞恥に頭の中が真っ白になる。
「嫉妬深そうな彼氏だとは思ったけど、まさかこれほどまでとはね。御堂もプライド高いのによくこんなの着けることを許したな」
 本城が喉を震わせて笑った。
 自分から着けたのではない、無理やり強制されたものだ。当然そんな弁明はできないから唇を噛みしめる。
「じゃあ、ひとまず記念撮影といこうか」
 そう言いながら、彼はポケットからスマートフォンを取り出す。カメラアプリが起動された音が、耳の奥を刺激する。レンズが、御堂の顔を捉えた。
「ほら、そんな顔しないで。大丈夫。誰にも見せたりしないよ」
 その笑みには、滴り落ちるような悪意があった。シャッター音が数回響いた。咄嗟に顔を背けようとしたが、本城に顎を掴まれて正面に顔を向けさせられる。両手を拘束されて裸に剥かれ、貞操帯を着けた恥ずかしい姿と次々と撮影される。
 ひととおり撮影を終えると、本城はゆるく小首を傾げるようにして御堂の顔を覗き込んだ。
 その表情には悪びれた様子は一切なく、むしろ愉悦の色が濃く浮かんでいる。
「俺、お前になら抱かれてもいいと思ったんだよ。けど、これじゃあ無理だな。仕方ない、俺がお前を抱くしかないか」
「貴様……っ」
 怒声とも言えぬ声が漏れた。だが、本城は意に介したふうもなく、むしろ愉しげに笑みを深める。
「俺の気持ち、受け取ってくれよ、御堂。……きっとお前も、すぐに俺のことを好きになるさ」
 そう言いながら、本城はネクタイのノットに手をかけ、緩めた。
 嗜虐と欲望を滲ませた視線が、御堂の肌の上を這うように滑っていく。その気配にぞわりと鳥肌が立つ。
 愉悦に濡れた指先が、御堂の頬をなぞる。薬物で熱を帯びた肌が、神経を逆撫でされたかのように過敏に反応する。
 身体は火照っているのに、吐き気が込み上げてくるほどの嫌悪感が全身を満たしていた。
 ――抱かれてもいいと思った、だと?
 本城の言葉は、嘘だ。
 この男が欲しているのは、愛でも情でもない。ただ、相手を支配し、自分の下にひれ伏させること、それだけだ。
 御堂の意志を挫き、力で押し潰し、二度と本城に抵抗できなくするために抱こうとしている。
 それは、克哉とはまったく違っていた。
 克哉の行為を肯定するつもりはない。あの執着は常軌を逸していたし、決して許されるものではない。
 だが、そこには理屈を超えた欲望があった。御堂という存在を、心の底から絶対的に欲しているという狂気じみた熱があった。
 抱くことは手段ではなく、渇望を募らせた結果だったのだろう。
 本城には、それがない。ただ、御堂という他者を引きずり降ろすためだけの仕打ちだ。
 克哉も本城も御堂の意思を無視して抱こうとしているのに、こうしてみれば二人の立ち位置は真逆であることがわかる。
 本城は嗜虐と愉悦に濡れた顔で、貞操帯の金属の輪のつらなりを撫でまわした。
「こういうの外してくれる手合いも知っている。ことが済んだら、紹介してやるよ。だから少しの間は我慢しててくれよな。……だけどこういうのも悪くないな。これを外したら俺が別のをプレゼントする。鍵は俺が持ってさ」
 この時ばかりは貞操帯が本城が直接触れるのを防いでくれることに感謝した。だが、それもつかの間、本城の手が御堂の陰嚢へと下ろされる。やわやわと揉まれて、強烈な拒絶感が全身を貫いた。
「汚らわしいっ! 私に触るなっ!」
 吐き捨てるように言うと、本城は大仰に傷ついた素振りをした。
「ひどいなあ、御堂。そんな物言いを俺にするなんて」
 表情は一転して冷酷なものになった。だが、声は粘り着くような甘ったるさを帯びた。
「物分かりが悪い子には、お仕置きするよ?」
「ぐ……ぁっ、よせ……っ!」
 本城が御堂の陰嚢を握る手に力を込めていく。男の急所を掴まれる激痛と恐怖に顔が青褪めた。
 そのときだった。
 ふいに、鋭いノック音が響いた。
 本城がぎくりと動きを止めてドアのほうに顔を向けた。
「なんだ……?」
 ノック音は控えめなものではない。明らかにドアを開けることを要求している。ドア越しにくぐもった声が響いた。
「本城、開けろ! いるのは分かっている」
 本城の顔から笑みが消えた。御堂もまた驚愕に目を見開いた。
「克哉……?」
 克哉の声だ。どうして、ここに。疑問が渦巻くが、それどころではなかった。声を失う本城にふたたびドア越しに声が響く。
「それとも、このまま騒ぎになって注目を集めたいか?」
 ホテルのドアは、容赦なく、怒りを帯びて叩きつけられている。本城が開けない限りは続くだろう。ホテルのスタッフが集まってくるのも時間の問題だ。
「待てっ! いま開ける」
 本城はホテルのスタッフが駆けつける前にと焦ってドアへと向かった。御堂はベッドに拘束されたままだ。この状況で克哉が乱入すればどんな惨事が起こるか分かっているはずだ。それでも、この場をホテルスタッフに見られれば一巻の終わりだ。本城の選択肢はドアを明けることしかない。
 鍵が開けられる音がして、きしむ音とともに、扉が開かれる。
「……克哉……」
 名前を呼ぼうとしたが、声がうまく出ない。
 ドアの向こうから現れた克哉は、怒りを隠そうともしなかった。
 室内に足を踏み入れ、真っ先に視線を走らせ、ベッドの上で拘束されたあられもない姿の御堂を見た瞬間、顔がわずかに歪む。それでもどうにか爆発しそうな怒りを押し殺して御堂の元にすぐさま歩み寄り、手の拘束を解いた。
「大丈夫か」
「私は……大丈夫だ」
 起き上がろうと、ベッドマットに手をついて体を起こしかけたが、力が入らず、そのままベッドから転げ落ちそうになる。
 咄嗟に克哉が抱き留めるようにして、御堂をベッドへと戻した。
「クスリが、まだ効いているんだろう。休んでいろ」
「……どうして、それを」
 なぜ克哉が、自分がクスリを盛られたと知っているのか。問う間もなく、克哉は鋭い視線を本城に向けた。
「どういうつもりだ、本城」
「やだなあ、佐伯君だっけか。大人同士、ふたりきりで愛を交わそうってときに、無粋なことをしないでくれよ」
 本城はどこまでも軽い調子だった。まだ言い逃れできると踏んでいるらしい。
「クスリを飲ませて、無理やり縛った上でか?」
「クスリ? 何のことだい? 縛ったのは御堂の趣味だよ。君も知っているだろう、御堂はドMだからさ。恋人に裏切られて怒っているのかもしれないけど、まあ落ち着きなよ」
「下手な言い訳はやめろ。もうすべて把握している」
 克哉の声も、表情も、凍りつくほど冷たかった。ゆっくりと懐からスマートフォンを取り出す。
「あの人には、盗聴器とGPSを仕込んである」
「……なんだって?」
 本城が声を震わせるなか、克哉はスマホを操作し、録音データを再生した。
 室内に、くぐもった声が流れ始める。
『この手のクスリは初めてか? だがすぐに治まってくるさ』
『アルコールは飲んでいないはずだ……』
『ああ、それなりの知識はあるんだ。俺が使ったのはね、新しいやつでさ。アルコールがなくても効果が出るし、それに媚薬効果もあるんだ。手に入れるの、なかなか大変だったんだよ』
 本城の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
 克哉は冷徹な口調で告げる。
「本城。お前が使ったクスリが違法なものであれば、――お前のキャリアも、人生も終わりだ」
 声はどこまでも冷たいが、そのレンズ越しに光る克哉の瞳には、燃えさかるような憎悪が宿っていた。
 本城も、克哉の本気を悟ったのだろう。掠れた声で、搾り出すように問うた。
「どうすればいい……?」
「まずは、お前のスマホから御堂の写真と動画を、すべて消せ」
 有無を言わせぬ命令だった。
 本城はしぶしぶスマートフォンを持ち直し、消すべきデータを表示させる。克哉に画面を見せながら、ひとつひとつ、確実に消していった。
 完全に削除されたことを確認した克哉は、さらに冷たく言い放った。
「じゃあ、次はお前が持っているクスリを、自分で飲んでみろ。……万一のために、余分を持っているんだろ?」
「な……」
 本城は目を見開き、声にならない呻きを漏らした。
 克哉は表情ひとつ変えず、追い詰める。
「お前には、同じ目に遭ってもらう。当然だろう。……それとも、今すぐ警察に出頭するか?」
「なにを言って……そんな……」
 窮地に追い詰められた本城の顔は、死人のように青白くなっていく。
 克哉は残酷な笑みを浮かべながら、さらに詰め寄った。
「さあ、どうする?」
「やめろ、克哉」
 唐突に割って入った声に克哉と本城は御堂へと顔を向けた。御堂はどうにかベッドヘッドにもたれかかる形で上体を起こして、克哉に視線を重ねる。
「克哉、もうこれ以上はいい」
 そして本城を見据える。
「本城、今すぐ私の前から消えろ。今後二度と、私たちに関わるな。それを守るなら、こちらもこれ以上騒ぎ立てるつもりはない」
「おい…っ」
 克哉が鋭く息を吸い口を挟もうとした。それを、黙っていろ、と視線で制す。
「……わかった、御堂」
 本城は一瞬、すがるような目をした。だが何も言えず、ふらつく足取りで鞄を手に取ると、乱れた服装のまま部屋を出て行った。
 ドアが閉まる音が、やけに重く響き、部屋に沈鬱な静寂が落ちた。
 克哉は険しい視線で御堂を睨んだ。
「いいのか、あの男を野放しにして」
「克哉……、お前は……く、んっ!」
 口を開いたその瞬間、ズクンと電撃のようなしびれが全身を駆け抜けた。御堂は呻き声を上げ、ベッドに身体を沈める。
 緊張が解けたせいか、あるいは薬物がより深く効いてきたのか、焼けつくような熱が体中を駆け巡る。
 克哉が慌てて駆け寄ってきた。
「救急車を呼ぶ」
「よせ、止めろ……っ」
 掠れる声で言い、克哉の手を掴んで引き止めた。
「どうして……」
「違法の薬物……だったら、まずい」
 切れ切れに言う。呼吸が速く、浅くなる。
「どうしてだ? 本城に飲まされたんだろう?」
「やめてくれ、克哉。お願いだから……」
「そこまで、あの男を庇うのか!」
 克哉は苛立ちを隠そうともせず、声を荒げた。
 だが御堂は、かすかに首を振るだけだった。その手のひらに力を込め、克哉の手を必死に握り返す。
「私は……大丈夫だ。だが……お前を巻き込みたくない。本城の証言次第では、お前に罪が被せられる可能性がある」
「そんなこと……。俺には証拠の録音がある」
 それでも、御堂の身体から薬物反応が検出されれば、誰かが責任を問われる。
 いくら録音が残っていようとも、本城が開き直って徹底抗戦に出れば、克哉の身辺が洗われるのは避けられない。その過程で、かつて御堂に対して使用した薬物の入手歴まで明るみに出れば、今度は克哉自身が裁かれる側に立たされるかもしれない。
「それでも、何らかのダメージを負う可能性がある。……私は、お前にどんな傷も負わせたくない」
 静かに、しかしはっきりとそう告げる御堂に、克哉は目を見開いた。
 息を呑み、絞り出すように応える。
「馬鹿だよ、あなたは。本当に……俺のことなんか、どうなったっていいのに」
「それでも何度でも言う。お前は、私のたった一人の弟だ」
 上がる呼吸を押さえながら、御堂は揺るぎない声で言い切った。
 結局のところ、御堂は克哉を守りたいのだ。
 あれほどの仕打ちを受けても、克哉を憎みきれない。それは御堂の心の最奥に、克哉への愛情が途切れることなく連綿と流れ続けているからだ。
 本城と対峙したことで、それを自覚した。
 兄弟としての情だけでは説明のつかない、御堂が本城には抱けなかった情欲すらも、確かに克哉に対して感じている。そしてその感情に気付いた今、もう元には戻れない。御堂と克哉は、かつての兄弟という関係に立ち返ることはできない。
 それでも御堂は、克哉を失いたくはなかった。あれほど、逃げ出すことばかりを考えていたのに。いざ克哉を失うかもしれないと意識したとき、胸の底から強烈な想いが込み上げた。
「克哉、私は、お前の傍にいたいのだ」
「俺はあなたに、ひどいことばかりしてきたのに?」
 克哉は自嘲するように笑ったが、レンズ越しの瞳は、わずかに揺れていた。
 御堂は、痺れの残る手をどうにか伸ばして、克哉の頬にそっと触れる。指先でぬくもりを確かめるように、ゆっくりと撫でながら、目を合わせて静かに言った。
「あいしている、克哉」
 その言葉に、克哉は苦しげな表情を浮かべたまま、御堂をきつく抱き締めた。御堂もまた、震える背中にそっと腕を回す。
 克哉の身体が、小さく震えている。
 それは怒りでも寒さでもなく、押し殺しきれないほどの強い感情を必死に堪えているのだろう。
 ふたりで抱き合いながら自然と顔を寄せる。唇が噛み合う。 舌と舌が触れ合い、互いの口内を貪るように行き来する。
 深みを増していくキスに、うなじから背筋、全身へと甘やかな痺れが伝っていくのが分かった。
 克哉とのキスに耽溺するうち、ふたたび下腹部に重苦しい痛みが響いた。
 喘ぐようにして御堂は顔を離した。
「克哉……苦しい……これを、外してくれ……っ」
 下腹に収まる貞操帯が、今にも皮膚を破りそうなほど食い込んでいる。
 抑えきれず、先端から透明な蜜がぽたぽたと滴り落ちていた。
 克哉は短く「わかった」とだけ言い、ポケットから小さな鍵を取り出した。カチャリ、と小さな音を立てて錠が外れる。
 ペニスと陰嚢を括っていたリングが緩み、ゆっくりと金属の筒が引き抜かれていった。
 リングの跡がうっ血した痕として肌に残っているのを、克哉の手がそっと撫でた。
「ぁ、あ……っ」
 御堂の身体が小さく震える。
 拘束を失ったことを知ったかのように、ペニスは瞬く間に張り詰め、固く昂ぶった。
 克哉は溢れる蜜を絡めとるようにして、根元から竿をゆっくりと擦りあげる。
 そのたったひと撫でで、御堂の意識は痺れるような快感に攫われた。
 反射的に、克哉の手首を掴んで押しとどめる。
「克哉……それ以上は……ダメだ、イってしまう……っ」
 必死の声に、克哉は微かに口角を吊り上げる。
「何度でもイけばいい」
 その言葉に御堂は首を振った。
 息を整え、至近距離で潤んだ眸で克哉を見つめた。
「……一人でイくのは、嫌だ」
 驚いたように克哉が瞬きをした。
 だが、御堂はためらわずに続ける。
「克哉、お前を……愛している。イくなら……一緒に、イきたい」
 その告白に、克哉は信じられないものを見るように御堂を見返す。
「それは、弟としてか……?」
 御堂は克哉の視線を受け止め、まっすぐに答えた。
「弟として、だけではない。……君という人間を、丸ごと愛していると言っているんだ」
 これ以上言わせるな、とばかりに克哉の唇に、自らの唇を重ねて言葉を封じる。
「後悔するなよ」
 短く深いキスを交わして、かすかに笑いながら克哉が囁く。
「お前が……私をこうしたんだ。お前こそ後悔するなよ」
「後悔なんて、するわけないだろ」
 克哉は不敵に笑い、そのままあっという間に衣服を脱ぎ捨てた。
 しなやかな身体を惜しげもなく晒し、御堂に滲む蜜を指に絡め取る。そして、そっと、御堂の窮屈な中を探るように指を滑らせた。
 戸惑いと甘やかな痛みが交じる感覚に、御堂は小さく肩を震わせた。クスリで敏感になった身体はあっという間に克哉の指に蕩かされていく。
「克哉……きてくれ」
 自分から克哉を求める言葉に、ぐうっと克哉が腰を深く突き入れてきた。その大きさ、固さ、熱さに研ぎ澄まされた神経はまざまざと克哉の形を知覚する。
 ぎっちりと腰を掴まれながら身体の内奥をじわじわと拓かれ、貫かれていく。息苦しいほどの圧迫感に喘ぎ続けるが、それは決して苦痛ばかりではなかった。肉襞を擦りあげられぎちぎちに嵌め込まれると、克哉に覚えさせられたねじくれた快楽が込み上げてくる。
「ぁ……っ」
 最奥まで貫かれ、びくりと身体を跳ねさせた。激しい快感が弾ける。絶頂を迎えたかと思ったがまだ放っていない。ドライでイったのだ。
「すごい、あなたの中、俺にねっとり絡みついてくる」
 克哉は感極まったようにつぶやいて、腰を猛然と打ちつけだした。たくましいもので突かれるたびにペニスの先端からは蜜が噴き出し、目も眩むような絶頂感に身体の隅々まで熱くなる。これはクスリのせいだろうか。いやそれだけではない。自分が克哉を心身ともに受け容れたから、こんなにも深い快楽を得ることができたのだ。
「あ、ぁ、ぁ……」
 悦楽の波は引かず、何も考えられなくなっていく。絶え間ない絶頂に溺れそうになり、すがりつくように克哉の首に両腕を巻き付けた。開きっぱなしの口からは濡れた声が漏れ続ける。堪えきれない喘ぎを塞ぐように克哉の唇が深く重なって舌をきつく吸い上げられた。口と尻を同時に犯される愉悦にコントロールが効かなくなる。もっと、もっと、克哉が欲しくてたまらない。
「ぁ、あ……、かつ、や…」
「たかのり、さん……」
 克哉のレンズ越しの眼差しが苦しげに眇められる。強すぎる快楽を必死に耐えているのだろう。克哉も御堂同様、感じすぎているのだ。その克哉の表情にさえ欲情してしまう。
 中を抉られるたびに悦楽の波に揉まれ、濃密な快楽が弾けて全身に広がっていく。もっと自分の中に、克哉を刻んでほしい、もう二度と消えないくらいに。血よりも深くつながるために。
 ひときわ強く突き入れられてがくがくと震える。脳が痺れて、意識がふわりと飛びそうになる。克哉の大きな手のひらでペニスを扱かれるともう堪えられなくてすすり泣くような声を上げてしまう。
「あ、あ、あ、も……イかせて、くれっ」
「俺も、もう、限界だ……」
 イきっぱなしの状態なのに、さらなる絶頂をねだる。
 克哉が腰を強く差し込み、これ以上なく深くつながってきた。互いに手を伸ばしてぎゅっと指を絡ませると同時に、克哉は御堂の最奥に熱を注ぎ込んできた。ぐっぐっと突き込まれながら最奥をぐっしょり濡らされる。自分は克哉のものにされているのだという倒錯した悦びに耽溺しながら、御堂も激しく白濁を迸らせた。突き抜ける快感に息が止まる。そして一瞬のちの空白に呑み込まれる。真っ逆さまに墜落していく感覚に目を瞑るが怖くはなかった。克哉が強く抱き締めてくれているからだ。
 深く結びついた魂同士が溶け合う悦楽はどこまでも深いのだ。

(8)
​エピローグ

 目を覚ますと、窓の向こうに白んだ空が広がっていた。カーテンの隙間から、透明な朝の光が淡く差し込んでくる。
 見慣れぬ天井に一瞬戸惑い、やがて、ここがホテルの一室であることを思い出した。
 頭がズキズキと痛む。二日酔いにも似た鈍い痛みだ。
 クスリの影響だろうか。だが、意識は澄んでいて、もう身体の中に異物が残っているような感覚はなかった。
 寝返りを打つと、指先がしっとりとした温かな肌に触れた。はっとして隣を向けば、克哉が眠っていた。
 起こすつもりはなかったが、御堂の気配に気づいたのか、克哉がうっすらと目を開ける。
 克哉の身体には、昨夜の情交の痕跡が鮮やかに残っていた。自分の身体もきっとそうだろう。
 同じベッドで朝を迎えたという現実に、かすかな気恥ずかしさを覚える。だが、克哉の恋人になると決めたからだろうか、心のどこかには不思議な清々しさもあった。
 互いに朝のキスを交わし、シャワーを済ませる。
 タオルで髪を拭きながら寝室に戻ると、すでに身支度を終えた克哉がちらりとこちらを見遣って言った。
「本城のことは、あれで本当によかったのか?」
 まだ納得がいかないといった表情だった。御堂は静かに、落ち着いた口調で応じる。
「これ以上ことを荒立てれば、私たちが兄弟であることも、本城に知られるかもしれない。……お前は、それを隠しておきたかったのだろう?」
 克哉が、はっと目を瞠る。何かを言いかけて、結局、言葉を飲み込んだ。
 御堂は言葉を継ぐ。
「お前は本城の前で、一度も私を“兄”とは呼ばなかった。それどころか、“佐伯”と名乗った。……お前は、私と兄弟であることをやめたかったのではないか?」
 克哉はしばらく黙って御堂を見つめ、やがてため息まじりに口を開いた。
「……どうして俺は、あなたの弟として生まれたんだろうな。自分の出自を恨んだこともあったよ」
 伏し目がちに、淡々とした声で続ける。
「いずれこの国が男同士の結婚を法的に認めるようになったとしても、兄弟だけは絶対に許されない。俺があなたの弟である限り、あなたはきっと俺を“そういう対象”には見てくれないと思った。だからせめて、周囲から兄弟だと悟られないようにしていたんだ」
「まさか、名字を変えたのも……」
「ああ。父さんたちが離婚したとき、兄さんは御堂姓のままだと聞いて、俺は迷わず母親についていくことを選んだ。名字が違えば、弟だと気づかれることも少ないだろう?」
「東慶大を避けて、明応大にしたのもそのためか」
「さすが兄さん、勘がいいな。……俺は兄さんの交友関係からは極力距離を置いていた。弟だと知られたくなかったから」
「まったく……お前は……」
 克哉の意図を察し、御堂は深くため息をついた。
 両親の離婚を利用して名字を変え、御堂の弟であることを外から隠し通してきた克哉。大学すらも御堂と別の道を選び、眼鏡をかけて印象を変えたのも、すべてはこの関係を成立させるためだった。
 思い返せば、友人たちといるときに克哉と鉢合わせた記憶はほとんどない。 実家に友人を招いた際も、克哉は決まって姿を消していた。あれも、接点を意図的に絶っていたのだろうか。
「お前は、いつからそんな計画を立てていたんだ?」
「物心がついたときから、かな。俺には、最初からあなたしか見えてなかった」
 あまりに突拍子のない言葉に、思わず眉をひそめたが、克哉は真剣な眼差しのまま、ふと目許を緩めた。
「……自分の出自を恨んだって言ったけど、それでも、あなたの弟で良かったとも思ってる。兄弟だったからこそ、そばにいられた。……あなたに、愛してもらえた」
 あけすけな口調に、御堂はわずかに睨みつけるような視線を返す。
「……親は、ごまかせないぞ」
「兄弟で仲良くしてるって思うさ」
 子どもに必要以上の関心を持たない両親のことだ。克哉の言う通り、まさか恋人同士だとは夢にも思わないだろう。
 とはいえ、いくら名字を変えても、血縁は戸籍に残っている。
 この国が同性婚を認めるようになっても、兄弟である以上、法的に結ばれることは決してない。それでも克哉は、御堂の弟として見られることよりも、御堂の恋人として傍にいる道を選んだのだ。
 この先に待つ未来は、おそらく平坦ではない。
 克哉と健全な兄弟関係を築いてきたはずだった。これからも幾度となく、自分たちはなぜこうなってしまったのかと問い続けることになるだろう。
 もし血の繋がらない他人として克哉と出会っていたならどうだろうか。もっと素直に、もっと穏やかに、克哉を恋人として愛せたのかもしれない。
 それでも、 御堂は克哉を、弟としてだけではなく、最愛の恋人として、受け容れたのだ。
 克哉が人生のすべてを懸けて手に入れた想いならば、自分もまた、そのすべてで応えていくしかない。
 差し込む朝の光が、克哉の髪や肌を柔らかく照らし出していた。
 その光のなかで、克哉は愛おしげな眼差しを向け、優しく言った。
「これからも、ずっと一緒にいてください――孝典さん」
「ああ。……ずっと一緒だ、克哉」
 御堂は、そっと口づけを返した。

 

「すごいですね。コンペからの商品化スピード、最速ですよ、これ」
 開発部の後輩が感心したように声をかけてくる。
「もともと既存商品をベースにしているからな。ゼロから設計するのとは訳が違う」
「それでも、目の付け所がいいですよね。俺も欲しいですもん。なんか懐かしいですよ、ファミレスのドリンクバーで色々混ぜて、オリジナルドリンクとか作ってたの思い出しました」
 それは、かつて克哉も口にしていた言葉だった。
 あれから半年が経つ。
 御堂がコンペに提出した商品は、着眼点と柔軟な発想が高く評価され、異例の早さで商品化が決定した。
 プロジェクトリーダーは当然、御堂が任された。
 すでにMGN社で販売実績のあるドリンクの濃縮タイプということで、デザインやロゴは元商品のイメージを踏襲した。品質検査には、御堂が以前から研究部門に依頼していたデータをそのまま使用できたため、開発から発売までの期間は前例のない短さとなった。
 広告に大きな予算を投じたわけでもない。だが、流行に敏感なインフルエンサーの目に留まり、SNSで瞬く間に拡散された。
 一本で複数杯作れるコスパの良さに加え、濃さを自分好みに調整できる柔軟性や、他のドリンクやアルコールと混ぜてアレンジを楽しめる自由度も好評を博した。
 速報値では、当初の予定販売数を大きく上回る数字が出ていた。
 短期間での開発・商品化・販売を成功裏に収めたことで、御堂の評価は社内でも確実に高まっていた。
 本城は、あの一件の直後に企画書を自ら撤回した。
 御堂と同じコンセプトで物議を醸しかけたが、彼の企画がカフェ飲料、御堂の案が炭酸飲料という点で異なっていたこと、また本城自身が早期に手を引いたことで、事態は大事には至らなかった。結局、本城はコンペの結果を待たずして辞表を提出した。
 だが、そのあと、御堂が本城の企画やデータを盗んだという噂がまことしやかに囁かれた。御堂はその情報の出所も、その真偽を明らかにする証拠もすべて把握していたが、否定はしなかった。これ以上、本城の名誉を傷つけることに意味を感じなかったからだ。
 実際、本城は退職届を出したあとは、有休消化でほとんど姿を見せなかった。
 だが一度だけ、夜の廊下で鉢合わせた。
 彼は私物をこっそり回収しに来ていたのだろう。すれ違いざま、御堂を見ようともせず通り過ぎようとする本城に、御堂は声をかけた。
「辞めるのか」
 本城は足を止め、振り返る。
 その表情からは、かつての人懐っこさはすっかり消え失せていた。代わりにあったのは、どこか影を帯びた乾いた笑みだった。
「ああ。もうここにいても仕方ないからな」
「これから、どうする気だ」
「アメリカに行って、MBAでも取ってこようかと思ってる」
「そうか」
 言葉が見つからず黙り込んでいると、本城はふっと鼻で笑った。
「お前のことは、ずっと前から大嫌いだったよ。どんなときも冷静で、何もかも手際よくこなして成果をかっ攫っていくお前に苛立って仕方なかった。お前はいつだって周囲の中心にいて、何もかも思い通りに動かしていた。そして今、こうして俺にとどめを刺す。それで満足か?」
「……私は、お前のことが嫌いではなかった」
「ふん。勝者の余裕か?」
 本城は嘲るように笑ったあと、ぽつりと漏らす。
「お前は……いつだって俺の手の届かないところにいたんだ」
 その言葉を最後に、本城は背を向ける。
「……じゃあな。恋人と、仲良くやれよ」
 軽く手を振って歩き去るその背中を、御堂はそれ以上追わなかった。
 それが、本城を見た最後だった。
 しばらくして、本城が渡米したと共通の知人から知らされた。


「ただいま」
 夜遅く家に帰ると、リビングの明かりが灯っていた。
 珍しく克哉のほうが先に帰宅していたらしい。「おかえり」と玄関まで迎えに来た克哉は、柔らかく微笑む。
 克哉はこの春、社会人になった。
 就職先は、誰もが名を知る外資系コンサルティングファームだ。御堂以上の激務で、連日のように深夜帰宅を繰り返しているが、順調にキャリアをスタートさせたようだった。
 ネクタイを緩めながら、御堂はぽつりと報告する。
「来期の人事で、部長になることが内定した」
 専務と廊下ですれ違ったとき、さりげなく耳打ちされた。
 克哉はレンズ越しに瞳をわずかに見開く。
「すごいな。最年少クラスだろ? 社内で話題になるんじゃないか」
「ポストには責任が伴う。若さを言い訳にするわけにはいかない。これからは今まで以上に厳しい目で見られる」
 だが、怯む気持ちはなかった。上の役職に就けば、それだけ裁量と自由が増す。MGNという大企業の中で、自分の力をどこまで試せるか、その野心は確かに胸にあった。
「あなたなら当然だろうな」
 克哉はにっこりと笑い、続けた。
「お祝いしないと。何かリクエストは?」
「……そのことなんだが」
 軽く咳払いして、言った。
「マンションを買おうと思う」
 思いもよらぬ言葉に、克哉が目を丸くする。
 御堂は静かに続けた。
「この家も、ふたりで暮らすには手狭だ。……ファミリータイプのマンションを買おうと思っている」
「俺は、この部屋で満足しているが」
「お前にも、自分の部屋が必要だろう」
 いまの家では、克哉のスペースはリビングの一角しかない。
 兄弟であり、恋人同士という関係であっても、いや、だからこそ、一人になれる時間と場所は必要だ。
 これからも共に生きていくために、生活環境を整えることに迷いはなかった。
 克哉は目許を緩めて笑い、返す。
「……やっぱりあなたは、俺の想像を超えてくるな」
「週末、一緒に見に行こう」
 御堂の誘いに、克哉は小さく頷いた。
「今度はちゃんと行くから安心しろ」
 かつて、部屋を一緒に見に行くという約束を反故にしたことを、どこか茶化すように言って笑う。御堂は片眉を吊り上げて、釘を刺す。
「当たり前だ。兄の言うことは、ちゃんと聞くものだ」
 二人は顔を寄せ合い、唇を重ねる。
 軽やかに交わすキスの合間に、克哉が囁いた。
「俺も、いつかあなたに、もっと良いものをプレゼントする」
「ほう、何を?」
「会社だ。あなたと一緒に、起業する」
「……まさか、それで外資のコンサルに?」
「もちろん。あなたと、二十四時間一緒にいたいからな、孝典さん」
 御堂は息を呑む。
 マンション購入で驚かせたつもりが、逆に驚かされた。
 克哉が激烈な競争を勝ち抜いて一流コンサルティング会社を選んだ理由を聞いたことはなかったが、もしかして、実践的な経営のノウハウを学んで、自ら起業するためだったのだろうか。
 克哉は、この先の未来まで見据えていた。
 御堂と共に在り続けるために。
「……楽しみにしているよ、克哉」
 心からそう告げて、御堂は深く、彼に口づけた。

END

9
あとがき

 最後までお付き合いいただきありがとうございました!
 本作は眼鏡と御堂さんが兄弟というパラレル設定で、いわゆる近親相姦で地雷の人も多いのかなーと思いつつも、私自身はとても楽しく書きました。
 なんてったってエロてんこ盛りにできましたから…。
 公式の徹底抗戦の御堂さんも大好きなのですが、心のどこかでは眼鏡を突き放すことができない御堂さんのシチュを見たかったというのもあり、このような設定にしました。
 眼鏡は御堂さんへの愛を最初から自覚しているし、御堂さんも眼鏡への肉親としての愛情を持っています。一方でだからこその嫌悪感や背徳感もおいしいですよね。
 今回はプロステートチップも含め、詰め込みたいシチュをみんな詰め込めて満足です。また、年齢設定を若くしたことで、部長になる前の御堂さんや同僚の本城さんとの競争といったいままで書いたことのないシチュも書けてよかったです。
 それでは、また!
 次はミドメガのオフ本を書きたい……。

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